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9 懐かしい感情

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「……不味い」

 口の中に入った黒コートの血を全て吐き捨てる。

「ったく、便利だが嫌なスキルだ」

 吸血鬼のスキルの一つ『吸血と支配』。血を媒介に相手の精気を吸い上げたり、あるいは相手の血にこちらの魔力を流し込んで、相手の精神と肉体を支配することが出来る能力だ。

「ひゃっ!? わ、わたひぃ、どうなったんですかねぇ~!?」

 血中に俺の魔力をたらふくと流し込まれた黒コートが、怪しくなった呂律で聞いてくる。

「俺の魔力を致死量を越えてお前の血液に流し込んだ。お前は俺の意のままに動く人形となって、その内、内部から弾け飛ぶだろうよ」
「そ、そんひゃ、そんひゃああ~!?」
「うるさい。さっさとセブンの所にいけ」
「は、はいぃいい~!? た、だちにぃいい」

 言われるまま影の霧から出ていこうとする黒コート、だがこのまま出ていけば銀髪に殺される可能性がある。そしたらせっかく嫌なのを我慢してクズの首に牙を突き立てたのが無駄になってしまう。

(仕方ない、影を使って少し離れた所まで運んでやるか)

「スキル『影ノ中』」
「ぬひゃああ!?」

 俺の影に落ちた黒コートを操ってここから離れた抵当な場所に送る。

(これでセブンの居場所が分かる。まさかこっちに戻ってこんなに早く奴の居場所を掴めるとはな)

 俺の移動速度が人間を遥かに上回り、ナンバーズが誰もが知る存在になっていたとはいえ、ここまでトントン拍子に進むとは流石に思わなかった。

(もうすぐ、もうすぐだよ母さん)

 幸運に感謝しながら、俺は不要となった黒い霧を影の中へと戻した。

 霧の晴れた先ではーー

「……何のつもりだ?」

 銀髪と女騎士、そして生き残った戦闘可能な兵士が俺をぐるりと取り囲んでいた。 

「助けてもらっておいての非礼は重々承知よ、でもまずは貴方が何者で、あの従僕をどうしたのかを教えて貰えるかしら」

(従僕? あの黒コートのことだよな)

 渾名か役職か、あるいはまさかの名前か。なんにしろあんなクズのことなどどうでもいい。

「嫌だと言ったらどうするんだ? まさか俺と殺り合う気か?」
「正直に言うわね。この天才でも判断しかねているの。だから私としては貴方があの怪しげな霧の中で従僕を始末したのだと言って欲しいところね」
「言ったら信じるのか?」
「あれほどの力を見せつけた貴方がここで詰まらない嘘をつくとは思わないわ」

 本当にそう考えているのか、あるいはそう思いたいのか、少なくとも銀髪がここで俺と殺り合いたいと思っていないことだけは伝わってくる。

(さて、どうするか)

 獣人との戦いを見る限りこいつらは中々役に立ちそうではあるが、商人達と違って個々の戦闘能力も高く、安易に復讐に利用しようとして逆に不覚を取る事態だけは避けたいところだ。

「……黒コートの獣人なら始末した」
「そう、なら帝国の味方にはなっていないのね?」
「少なくともナンバーズと皇妃、そして皇帝は俺が殺す。その障害になるなら帝国も潰す。……満足か?」
「ええ、満足よ」

 銀髪はニコリと微笑むと、その場に膝をついた。周囲の兵士達もそれに倣う。

「危ないところを助けて頂き、ありがとうございました。私の名はシルラ・ヒニア・ヒーリニア。ヒニア法国の第二王女です。我が祖国の誇りにかけてこのご恩は必ずお返しいたします」
「ヒニア法国。なるほど、お前らが」

 隊商を襲った獣人共が真っ先に警戒していたのも納得だ。

「それで? 第二王女様がこんな所で何をやっているんだ?」

 女騎士を含めた他の兵士が跪いている中、銀髪が立ち上がった。

「シルラでいいわ。私達はこれからギガナの民の救出に向かうところなの」
「ギガナの民?」

(聞いたことあるな。確か民の殆どが騎士で、高い戦闘能力を持つ少数民族……だったか?)

「そう。それで提案なのだけど、貴方、この天才に手を貸すつもりはないかしら?」
「俺が? なんのメリットがあって?」
「ナンバーズを殺すと言っていたわよね。確かに貴方の力ならひょっとしたらナンバーズに届きうるかもしれない。でも、いくら貴方が強くても、敵は大軍に守られているのよ? 私達と協力した方が目的に近づけるとは思わない?」

(確かにその手は考えた。だがーー)

「……ここにいるのが全員なのか?」

 いくら精鋭といえども、この程度の人数に出来ることならシャドードックで十分に代わりが利く。銀髪の力は多少惜しいが、機動性を損なってまで欲しいものかと言われれば首を傾げるところだ。

「いいえ。今回の救出任務にはヒエラ法国の精鋭五百名が参加しているわ。もっとも内二百名は民のための物資の調達係やルートの確保などの裏方で戦闘要員は三百といったところなんだけどね」
「姫様、それは」

 恐らく作戦の要であろう情報を俺のような正体不明の相手に開示する銀髪に、女騎士が伏せていた顔を上げる。だが銀髪は片手を上げてそれ以上女騎士が何かを言うことを許さなかった。

「それで? 貴方の答えをこの天才に教えてもらえるかしら?」
「……ナンバーズは俺が殺る。お前らの指示は受けない。それと」
「それと?」
「商人が二人、後からやってくる。そいつらをお前らで保護するなら、ひとまず一緒に行動してもいい」
「その商人のことについて聞いても?」
「ネーダ商会の者だ。俺も少し前に会っただけで詳しくは知らない」
「ネーダ商会、ね。貴方もひょっとしてそこの関係者なのかしら?」

 銀髪は上手く隠しているが、女騎士を始めとした数名の兵士がネーダ商会の名に期待するような反応を見せた。

(あの商会がレジスタンスの支援をしていることを知っているのか?)

 確認したかったが、母さんの知り合いを危ない目に遭わせたくないので触れないでおく。

「違う。俺は個人で動いている」
「個人ってむしろそっちの方が驚きなのだけど、貴方のような強者が今までどこで何をしていたのかしら?」
「なんだ? まさかここで身の上話を延々と話させる気か?」
「……そうね。そろそろ移動しないとね。商人の件は了解よ。迎えの兵を一人出すわ。こちらで責任をもって保護するわね」
「シャドードック……式を一匹迎えに行かせたから兵は不要だ」

 魔術に関することは例外なのか、交渉の最中は殆ど表情を変えなかった銀髪が分かりやすい驚愕の表情を浮かべた。

「戦闘だけじゃなくそんなことまで出来るの!? ほんと、どんな術式を組んでいるのか教えてほしいくらいだわ」
「悪いがそれは断る」
「まぁ、そうでしょうね。それにいくらこの天才でも、教えられたからと言ってそんな高度な術式を理解できるかどうか」

(そりゃ、そうだろ。それを理解出来たら生命を理解したようなものだぞ)

 生命の解明という魔術師としての究極の命題を前に頭を悩ます魔術師。

(なんだ、悪いことしたと思ったが案外健全だな)

 俺はこれからもシャドードックは魔術で通すことに決めた。

「それじゃあこれで話は纏まったようだし、いい加減、貴方の名前を教えて貰えると嬉しいのだけれども?」

 銀髪がこちらに手を伸ばしてくる。

(なんか、今日はやけに自己紹介の機会が多いな)

 これも幸運の代償かと観念しつつ、俺は銀髪の手を握った。

「ロマ・バルトクライだ」
「そう、よろしくね。ロマ…………バルトクライ? もしかしてだけど、あの最強の貴族令嬢と何か関係が?」
「俺の母親だ」

 跪いている兵士の何人かが、伏せていた顔を上げる。

(そういえばヒニア法国の兵士ってことは母さんとは敵対関係にあったのか)

 帝国における穏健派の象徴だった母さんだが、それでも帝国に所属して戦争に参加していた以上、それなりに恨みも買っていただろう。

(もしも母さんのことを悪く言ったらこいつらと手を組むのは止めだな)

 理性よりも感情。状況にもよるが復讐者にとって当然の選択だ。

「そう。なるほどね。貴方がナンバーズや皇帝を狙う理由が分かった気がするわ」
「お前くらいの年齢でも母さんのことを知っているんだな」
「それはね。個人としての武勇は勿論として、ナンバーズを作り出したと言われる最強の貴族令嬢はゆうめーー」
「ナンバーズを作ったのは母さんじゃない!」

 バキッ、と俺と手を繋いでいる銀髪から骨が砕ける音がした。

「ッ!?」
「シルラ様!!」

 女騎士を含めた何人かが剣を抜く。

(やべっ、母さんのことになるとつい)

 俺の中にある復讐の炎。その原点なのだからむしろこの怒りは誇るべきなのかもしれないが、それでも交渉の場においては厄介だと認めざるを得ない。

「すまない、大丈夫か?」
「あら、何のことかしら?」

 折れた手を引っ込めると、銀髪は何事もなかったかのように微笑んで見せた。そして回りの兵士達に視線を向けると不思議そうに首を傾げる。

「貴方達何をボケッとしているのかしら? ロマと手を組めた以上、ここにはもう用はないわ。移動を開始するわよ、早く準備なさいな」

 銀髪の指示を受けた兵士達が立ち上がり行動を開始する。剣を抜いていた兵士も武器をしまうと、こちらに一礼して去っていった。そんな中、女騎士が近づいてきた。

「姫様、手は大丈夫ですか?」
「……メチャクチャ痛い」

 ちょっぴり涙目になっている銀髪。その小さな手は歪に変形していた。

「うわっ!? 姫様これ完全に骨が折れてますよ。というか砕けてます」
「見れば分かるわよ。早く治しなさいな」
「ドロシーは敵の毒で治療ができる状態じゃありません。他の者だと、たぶん完治まで一週間はかかりますよ」
「とりあえず動くようになればいいわよ」
「わかりました。ただ治療魔術が使える者は全員大けがを負った者の治療に当たっています。しばらくは我慢してください」
「そう、それなら仕方ないわね」

(……何かかなり久々の罪悪感だな)

 目の前で繰り広げられる銀髪と女騎士の会話に、幼い時に無くしたと思っていた感情かんかくを思い出した。

「本当にすまなかった」
「いや、頭を下げる必要はない。わざとでないのは分かっているし、貴方がいてくれなければ私達はもっとひどい目に遭っていただろう。私の方こそ恩人に対して剣を向けてしまい申し訳なかった」

 頭を下げようとしたら逆に下げられてしまい、物凄くいたたまれない気分に陥った。

「悪いと思うなら出発の準備が整うまで私のお喋りに付き合いなさいな。それくらいいいでしょう?」
「……ああ、分かった」

 恐らく色々と情報を引き出されるだろうが、正直、吸血鬼のこと以外は教えてやってもいいかなという気分だ。

「それじゃあクレーリア、私達は馬車でお喋りしているから、貴方は新たな仲間であるロマにお茶を用意して頂戴」
「畏まりました。お腹がすいているようでしたら食事も用意させますが?」

 女騎士がこちらに視線を向けてくるが、とても食事を楽しむ気分にはなれそうもない。

「いや、だいじょーー」
「ご飯っスか? 良かった。丁度腹ペコだったんっスよ。お肉あるっスか? お肉。あっ、あとスイーツも希望っス」

 俺の背中からひょこりと顔を出したテレステアに銀髪と女騎士が大きく目を見開く。

(厄介なところで厄介な奴が目を覚ましたな)

 あんまり面倒になるようだったらやはり一人で行動しよう。そう決めた俺は小さくため息を吐いた。
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