記憶の書店と、ひとつぶの問い

久遠梓

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第1巻 扉を開ける日

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何かを忘れるように、私は都会の雑踏をただ歩いていた。

恋人との別れから、まだ数週間。
連絡先を消しても、部屋に残る記憶の破片はどうしても消せなかった。
心の整理がつかないまま、私は休みのたびに街をさまよっていた。目的もなく、ただ人混みに紛れることで、自分の輪郭を曖昧にしたかったのかもしれない。

その日も、特に行き先を決めず歩いていた。人通りの少ない裏通りに入ったのは、何となくだった。
ふと顔を上げると、そこに小さな書店があった。
目を引くような外観ではない。古びた木製の看板が、軋むように風に揺れていた。
けれどなぜか、胸の奥がちくりと疼き、足はその扉の方へ向かっていた。

木の扉を押し開けると、細く高い鈴の音が空気を裂いた。
埃と紙の香り。微かに揺れる暖色の灯り。思っていた以上に奥行きのある空間が広がっていた。
そこには、びっしりと並ぶ本棚の森があった。

「おや、お客さんとは珍しい」

奥から現れたのは、白髪に白い髭の年老いた男性だった。
小さな丸眼鏡をかけ、落ち着いた声でそう言って微笑んだ。
私は小さく会釈を返し、あいまいな言葉で挨拶をした。
特に読みたい本があったわけじゃない。ただ、何かに引き寄せられるようにして、この場所に来ていた。

私はゆっくりと本棚を眺め歩いた。並ぶ本の背表紙はどれも色あせていて、どこか懐かしいような気がした。
ふと、目に留まった一冊があった。
表紙はすっかり擦れて、文字もほとんど読めない。けれど、なぜか胸の奥がざわついた。私はその本を手に取った。

ページをめくると、そこには古い町並みと、一本の大きな木の挿絵があった。
懐かしい気配が胸を打つ。――あれは、祖父母の家の近くの、子どもだった私の“隠れ家”。
思い出の中でしか存在しないはずのその木が、なぜここに描かれているのだろう。

店主が静かに近づいてくる。「気になるのかね?」
私は言葉に詰まりながらもうなずいた。「ええ…でも、どうしてこれが…?」
店主は微笑みを深めた。「本は時に、読む人の心を映し出すものだよ。」

その言葉に引かれるように、彼女は本を購入した。家に帰り、何度もそのページをめくるが、新たな記憶が甦ることはなかった。ただ、不思議と心が少し軽くなったような気がした。
数日後、再び書店を訪れる決意をする。理由はうまく言えない。ただ、もう一度あの空気に触れ、店主と話をしたいと思ったのだ。
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