34 / 35
34 それから
しおりを挟む「今日はフランス料理のフルコースなので、基本的にフランス式でいきましょう。でも、ここは宮廷の晩餐会などではありませんから、あまり固くなる必要はありません。周りの人を不快にしないこと。そしてお料理を楽しむこと。それさえ守っていれば、概ね問題ありません。だってスープを掬う時に、スプーンを手前側から入れようが向こう側から入れようが、その味は変わりませんから」
透がバチンとウィンクすると、各テーブルに座っている男女から小さく笑い声が起こった。
神崎グループでは福利厚生の一環として、定期的に希望する従業員を集めて礼儀作法などの無料セミナーを行っている。透は珀山家で培った知識と経験を活かして、テーブルマナーなどの講義を担当していた。
「ふ……楽しそうだな」
「はい、セミナーを受けた従業員にも分かりやすいと評判ですよ」
「そうか」
厨房の方からレストラン店内の様子をうかがっていた慶はホッとしたように微笑んだ。
結婚後も透は当然のように働くと言い出した。慶は仕事などせずにいつでもそばにいて欲しかったのだが、透が鬼在に新装開店したカレー店で働こうかなどと言い始めたため、必死の説得でなんとかセミナー講師になってもらったのだった。それ以来、慶が出張する時にあわせて透のセミナーの日程を組み、共に各地を飛び回っている。
神崎慶の結婚は、ネットニュースになり、新聞にも小さく載って、さらに週刊誌にも写真付きの特集記事が掲載されてしまった。透は無邪気に『俺、雑誌に載ったの初めて』などと笑っていたが、そのすぐ後に珀山正高は慶の持つ会員制クラブから退会した。
慶と透は結婚に際して、親への挨拶をしていない。慶の方は生みの親も育ての親も亡くなっているからだが、透は珀山家と縁を切っているからだった。
このところ珀山の手掛けるいくつかの事業はかなり低迷している。慶と透の結婚を機に、神崎グループの力を頼ってすり寄って来るかと思ったのだが、珀山正高は一切助けを求めて来なかった。痩せても枯れても珀山は珀山ということだろう。
慶は透を苦しめたすべての者に復讐するつもりだったが、透はそれを望んでいなかった。
透が苦しい時に助けようともしなかった兄と姉とは時折食事などを共にしているし、元婚約者の番である墨谷唯月とも仲良く連絡を取り合っているようだ。
仕返ししてやりたい慶にとってはどうにも歯がゆいのだが、透は直接暴力を振るった犯人以外をいっさい恨んでいない。過去を振り返ることも無く、ただ今と未来だけを見て生きている。きっと透のような人間がこの世で一番強いのだと思う。
透はナプキンとカトラリーを持って、生き生きとした表情で何かを語っている。また生徒たちから笑いが起こった。
「入らないんですか、社長」
「あ、あぁ、邪魔をするのは悪い。終わる頃に迎えに来よう」
「はい。では裏口の方から出ましょうか」
「なぁ、黒田」
「なんですか」
「セミナーの様子を録画しておくのは、別に変態じゃないよな……?」
透の爪や髪の毛をとっておくのは変態だと言われたことを思い出して、慶は黒田に問いかける。
「撮影することをあらかじめ本人に知らせて、ちゃんと許可をもらえば変態じゃないですよ」
「……そうか。では、次回はプロの撮影隊を手配してくれ。社の資料用だと言えば、透も撮るのを許してくれるはずだ」
「かしこまりました」
黒田は笑いをこらえるようにして、深々と頭を下げた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
鬼在市郊外にある霊園の中、『原田家』と書かれた墓石の前にひとりの若い女が佇んでいた。そこへ、中年の痩せた女が近付いて来て、何も言わずにそっと彼女の隣に立った。
喪服姿の二人はしばらくそのまま墓石を眺めていたが、やがてぽつりと若い女の方が口を開いた。
「終わったんですね」
中年の女が重々しくうなずく。
「……終わりましたね」
「これで、原田君の仇は全員……」
「ええ、全員。一人残らず」
「でも、まさかお母様があの四人を一度にやってしまうとは思いませんでした」
「…………え?」
「だって以前、ひとりずつ消していって、じわじわ追いつめてやるって言っていたから」
「ええ?」
「ええって、前にそう言ったじゃないですか。楽に死なせてやるもんかって」
「そ、そうじゃなくて! ちょっと待って、あれ、あなたがやったんじゃないの?」
「私が? 違いますよ。私が殺せたのは沼田ってやつだけです。ほかのやつらは機会をうかがっている内に語学留学とかで日本を出て行ってしまったから」
「私だってそうよ。殺せたのは岩野って男だけ……」
ふたりはポカンと顔を見合わせた。
「じゃぁ、あれは」
どちらの頭の中にも同じ言葉が思い浮かんだ。
―――― あれは天罰だったのか、と。
「……お母様、知っています?」
「……何を?」
「金田拓真とその取り巻き達が全員死んだことで、卒業生達からは『原田の呪い』なんて言われているそうなんです」
「呆れた。あんなに優しい子が呪いなんてかけるわけがないのに……」
「…………」
「…………」
「……ふっ」
若い女がほんのかすかに笑いを漏らした。
「……ふふ、ははは」
中年の女もつられたように笑い出す。
しばらくの間、ふたりは乾いた笑いを漏らし続けた。
笑うしかなかった。
はち切れそうなほどパンパンに膨れ上がった感情の風船が、破裂することの無いまま少しずつ空気が抜けてしまい、シワシワにしぼんでいくかのようだった。
ほかに霊園を訪れる人も無く、遠くからカラスの鳴き声だけが聞こえている。
やがてふたりは笑うのも疲れたように黙り込み、静かに泣き始めた。
夕日が女二人の背中を赤く照らしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
唯月が妊娠した。
石宮の妻との間に離婚が成立して、春哉は避妊する必要がなくなった。Ωはもともと妊娠しやすい体質をしている。αとΩである二人の間にはすぐに子供が出来るだろうと周囲は思っていたし、実際にすぐにそうなったのだった。
「春哉さん、男の子と女の子どっちがいいですか? 私はどっちでも嬉しいんですけど。ふふっ、春哉さんに似れば、どちらにしても美形でしょうね」
妊娠が分かってからの唯月はずっとウキウキとして幸せそうだ。パステル色のスタイを何枚も手作りして、今は小さなソックスをせっせと編んでいる。
「僕も、男でも女でもどちらでもいいよ。唯月に似てくれればもっと嬉しいな」
春哉は心からそう言って、唯月に微笑みかけた。
そのお腹の中にいるのは十中八九金田拓真の子供なのだが、唯月はそのことにまったく気付いていない。
あの日、金田が二人の家にまで押しかけて来た日、唯月は『運命の番』のフェロモンに抗うことが出来ず金田と関係を持った。
監視カメラの映像では、その数時間後、唯月は夢から覚めたように正気に戻り、金田を激しく罵倒して家から追い出した。金田が去った後も唯月はひどく泣き続け、やがて半ば気を失うように眠りに落ちた。翌日、目を覚ました唯月は金田の痕跡を消すように長時間風呂に入り、それから寝具をすべて処分して新しいものに取り換えた。その後も家中を必死に掃除する様子が映っていたのだが、もっとも肝心なことが頭から抜けているようだった。唯月は避妊ピルを飲み忘れたのだ。
金田拓真はαだ。しかも、唯月の『運命の番』でもある。映像を見ただけで春哉は確信した。唯月は間違いなく金田の子供を妊娠している……。
その時、真っ先に春哉の頭の中に浮かんだのは『唯月に子供を堕ろさせる』ことではなく、『春哉が石宮の妻と離婚する』ことだった。自分でも不思議なほどその決断に迷いは無く、春哉は大急ぎで石宮家との間に離婚を成立させた。唯月が妊娠に気付く頃には、春哉との間に子供が出来てもおかしくない状況にしておきたかったからだ。
唯月は、体も心も繊細でひ弱なΩだ。春哉はそんな唯月に堕胎をさせたくはなかった。施術による体への負担ももちろん心配だったが、それ以上に精神的な負担が大きすぎると思ったからだ。自分が金田の子を孕んだと知ったら、唯月はどれほどのショックを受けるだろうか。それに、小さな命を犠牲にしてしまえば、弱く優しい唯月はこの先ずっと自分を責め続けてしまうだろう。
「お腹、触ってもいいかな」
「もちろん」
春哉はそっと唯月のお腹に手を置いてみた。ほんの少しだけふっくらしてきている。春哉はそのお腹に口をくっつけるようにして優しく話しかけてみた。
「おーい、聞こえるかーい? パパだよー。早く元気に生まれておいでー」
自然に笑ってそう言えた。
自然にその子を愛しいと思えた。
金田拓真がとっくに死んでいるからなのかもしれないけれど、なによりも、その子が『唯月』の子供だからだった。
「早く抱っこしてみたいな。おしめも換えてやりたいし、風呂にも入れてやりたい」
「パパママ教室で手際がいいって褒められていましたね」
「ああ、僕は良いパパになるから、唯月は二人目も三人目も早く産んでくれよ」
「ふふ、気が早すぎますよ。春哉さん」
くすくすと嬉しそうに笑った後、唯月は小さく欠伸をした。
「眠いのかい?」
「少し……」
「いいよ、僕に寄りかかりなさい」
唯月はこてんと春哉の肩に頭を乗せてきた。
「春哉さん……私、幸せです」
「あぁ、僕もだよ」
「いいんでしょうか、私がこんなに幸せで……」
かすかな不安が唯月の声に滲んでいて、春哉は唯月を抱き寄せてそっとキスをした。
「唯月は僕を信じているかい?」
「はい」
「じゃぁ、自分の幸せも疑っちゃいけないよ」
唯月はちょっと顔を上げて不思議そうにしていたが、すぐに甘えるように体を寄せてきた。
「はい、信じます。私は春哉さんを信じます」
幸せの見本みたいな家の中に優しい午後の光が差していた。
まるで絵に描いたようなこの『幸福』が薄氷の上に成り立っていることを春哉だけが知っている。この先も一生、唯月には何も知らせるつもりは無かった。
Ωはひとりで生きてはいけない。
唯月は春哉がいなければ生きてはいけない。
唯月にとって、春哉は唯一の番だ。唯一の庇護者だ。そして、唯一の夫だ。
「愛しているよ、唯月」
「愛しています、春哉さん……」
春哉は細く頼りなげな唯月の体を両手で包むようにして、そっと大事に抱きしめた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
金田拓真の弟は、医学部のある地方の大学を受験してすんなりと現役合格した。模試では東王大学も狙えるという判定だったが、兄の無様な結果を知って無理はしなかったのだ。
今は大学に通うために、地方で一人暮らしを満喫している。
大病院を経営している祖父の周辺は政治スキャンダルで非常に騒がしく、さらにその孫が薬物中毒で死んだことでますます実家のまわりはうるさくなった。
弟は学業に専念するためといって兄の葬儀にも参列せず、しばらく実家にも帰らなかった。
年末になって母に懇願され、やっと帰って来たのだが……。
「うわ、まだ兄ちゃんがここにいるみたいだ。この部屋、兄ちゃんの匂いが残ってる」
「そうね、あの子はαだったから……」
幼い頃からいつもいじめられていた弟は、兄の死をさほど悲しいとは思っていなかった。
でも、やはり母親にはつらい出来事だったようで、かなりやつれてしまっている。
「で、なんだっけ? パソコン見てみればいいの?」
「拓真がどんなことに興味を持っていたか知りたいの。スマホはなぜか水没していたらしくて、データがダメになっていたから」
「えー、でも息子のパソコンなんて母親が見るもんじゃないと思うけどなぁ。多分、エッチな動画とかいっぱいあるよ」
「そうかもしれないけれど、友達や家族と撮った写真とか、思い出のものだってあるはずでしょう?」
「まー、多分ね」
「どうやって開くか、まったく分からなくて」
「パスワードかなんか必要なの?」
「さぁ、どうなのかしら? とにかく何も見られないのよ」
弟は机の上のパソコンを開いて起動しようとした。
そして、驚いたようにパチパチと瞬きをした。
「ほんとだ。何もない……」
「そうでしょ? 開けないでしょう?」
「ううん、開けないんじゃないよ。これ、何も入っていないんだ」
「どういう意味?」
「ええと、何のデータも無いってこと。このパソコン、中身が空っぽだよ」
「え……」
母親は呆然とパソコンを見つめていたが、やがてストンと力が抜けたように床に崩れた。
スマホは水没していて、パソコンはデータが消去されている。
その事実から導き出される結論は……兄の死が薬物事故ではなく自殺かも知れないということ。
「えっと、どうする? どうしよっか?」
弟の問いかけに、母親は首を振った。
今さら、事故ではなく自殺だと警察に訴えてもあまり意味は無さそうだった。遺体はもうとっくに火葬されてしまって調べ直すことは難しいし、それに、自殺の原因なら調べなくても分かり切っているからだ。兄は合格確実と言われていた東王大学の受験に二度も失敗していたから。
「拓真も、意外に繊細だったのね」
「うん……相当プライド高かったし」
「でも、受験の失敗からもう何年も経っているのに」
「逃げるように語学留学なんかしちゃったから、結局進学も就職も決まらなくて、いつまでもプー太郎のままだったじゃん」
「でも、能力はある子だったのよ。死ぬほど悩んでいたなら、相談してくれれば良かったのに……」
母親が涙をこらえるように顔を覆う。その肩が震えていた。
「母さん……」
「ちょっとの間だけ、お母さんをひとりにしてくれる?」
「……うん、分かった」
金田拓真の弟は、うつむいている母親をその場に残して静かに兄の部屋を出た。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
鬼嵜恭一の運転する車の後部座席で、黒田梨香はノートパソコンの画面を開いた。
「うわ、何これ」
小さく声を上げて、前に身を乗り出す。
「ちょっと鬼嵜君、いったい何してくれてんの?」
「は? 何が?」
鬼嵜が運転しながら、横目にちらっと梨香に視線を寄越した。
「だってもう、すんごい! めちゃくちゃ見やすい!」
「見やすいんだったらいいじゃねぇか。昨日ちょっと暇だったから整理してみたんだ」
「暇だったから?」
「おー」
「いやでも昨日だってけっこうな量の仕事を任せたはず……」
「とっくに終わってるぞ」
「うそ」
梨香は慌てたようにパソコンを操作し、座席に置かれた書類のファイルをぱらぱらとめくった。
「うわ信じられない、本当に全部終わってる……。なんで十年もムショに入ってた人が、こんなに完璧に出来るのよ」
「まー、エクセルもワードもパワポも資格持っているし?」
「いやいやエクセル使えるからって出来るもんじゃないでしょ」
「まぁ、組にいた頃もみかじめ料や上納金の管理・運営はほぼ俺ひとりでやっていたからな」
「あー、なるほどそれで……」
「組の経営も会社の経営も似たようなもんだ」
「そういうことじゃなくて、鬼嵜君ひとりが抜けたくらいでどうしてあの大きな組が内部分裂していったのかなって思っていたから」
「あぁ、それか。中臣組はおやっさんのカリスマだけでまとまっていたような組織だったからなぁ。あの事件で俺がムショに入り、その後おやっさんも大病したとあっちゃぁ……」
鬼嵜はふーっと大きく息を吐き、コキコキと首を鳴らした。
内部抗争でボロボロになっていた中臣組は、一部の構成員が西濱会ともめたことでさらに暴走し、最後には完全に瓦解してしまった。先代組長の息子はヤクザ稼業には向かない物静かな男だったが、行く当てのない下っ端どもの受け皿として仲冨商会を立ち上げたらしい。それがうまく軌道に乗るまで陰になり日向になり助力してくれたのが、天下の神崎グループの神崎慶だったという。
「神崎の野郎には」
「神崎社長」
「神崎社長には、感謝している。俺の元子分どもも、おかげで路頭に迷わずに済んだ」
「それならどうしてあの日、社長の大事な透君を襲ったりなんかしたのよ」
「そりゃぁ、あのΩがとびきり可愛かったからだな」
「はぁ?」
「あんなに気の強いΩは他にいないぞ。俺のフェロモンで発情したくせに、必死にナイフ振り回して抵抗してきてさ。殺気のこもった目でキッと睨んできやがって。……今でもたまに思い出すんだ。ああいうΩを屈服させてベッドで泣かせてみてぇって……」
「いくら妄想でもやめなさいよ。社長に殺されるわよ」
「分かってるって、冗談だ」
くっくっくっと鬼嵜は喉で笑った。
「あのΩが俺好みに可愛かったからってのが半分、神崎がどういう反応するのか見たかったからってのがもう半分だな。で、結局ボコボコの半殺しにされて、俺は神崎の下で働くことを心に決めたんだ」
「…………そこら辺の思考回路はよく分かんないわ」
「お前だって同じじゃないのか? 自分の上に立つ存在は、自分より圧倒的に強くあって欲しいだろ?」
肯定も否定もせずに、梨香は小さく「ふーん……」と言った。
「神崎慶は俺が今までやりあってきたヤクザどもより、はるかに強い。この鬼嵜恭一のボスとして一ミリも不足は無ぇ」
「それじゃぁ、これだけ優秀に『堅気のお仕事』が出来るのに、仲冨商会に行かなかったのも同じ理由?」
「ああ。あそこはぜんぜんダメだ」
「どうして? うちほどじゃないけど、なかなか景気もいいみたいだし、なにより鬼嵜君の古巣でしょ? ゆくゆくは鬼嵜君自身がボスになるって道もあったんじゃ」
「いや、あそこはちっとも面白くねぇ。社長も社員も俺を見るたび縮みあがっちまって、まったく仕事にならねぇし」
「あはは、なるほどね。その点、神崎グループではみんな、神崎社長のフェロモンに慣れているから」
「あぁ、誰も俺にビビらねぇ。だから居心地は良いよ。仕事もやりがいあるし」
「そう? じゃ、せいぜいこき使ってあげるわね」
「ははは、お手柔らかに頼む」
二人の笑い声が車内に響く。
「なぁ、黒田」
「さんをつけなさい、さんを。ここでは私の方が先輩なんだから」
「……黒田さん」
「なーに?」
「お前、番を10人持つのが目標なんだって?」
「なんでそんなこと知ってるのよ」
「あちこちで公言してまわってるだろ。有名な話だ」
「そう? それが何?」
「悪いことは言わない。もう番は増やさない方がいい」
「なんでよ」
「俺はムショに入る前、番が10人いた。だが、ムショから出てきた時、迎えに来た番はひとりもいなかった」
「え…………」
梨香はしばし絶句した。
「それって」
「番ってのは、思ったほど強い絆じゃねぇってことだな」
「そう…………。ねぇ、答えたくなかったらいいんだけど、結局、その10人って今何してんの?」
「はっきり消息が分かったのはたった2人だ。後の8人はおそらく田舎に引っ込んだが、海外に逃げたかのどちらかだろう。ヤクザと縁を切るにはそのくらいはしないとな」
「消息が分かったっていう2人は?」
「一人は病で二年前に死んでいた。もう一人は堂々と挨拶に来たよ。ほかのαと連れ立って」
「ほかのα? あっ、まさか」
「ああ、そのまさかだ。『運命の番』とやらいうのに出会ったそうだ。そのαと結婚して、子供も三人いるとか。俺は『運命の番』なんて信じていなかったし、てっきり俺と別れるための芝居かと思っていたんだが……」
「そうね。私も以前はおとぎ話のようなものだと思っていた」
「でも、この前のフェロモン検査の時、あの学者に『運命の番』ってのが実際に存在するって教えられたからな。今では本当のことだったんだと理解している」
「それで? はじめは『運命の番』を信じていなかったんでしょ? 鬼嵜君は十年ぶりに会った自分の番と、その運命の相手を前にしてどうしたわけ?」
「『おめでとう、せいぜいお幸せに』っつって結婚祝いと出産祝いの祝儀を渡してやったさ」
「あはは、潔いわね」
「十年間も放って置いたのは俺の自業自得だからな……。俺のことはいいんだ。問題はお前の、じゃなくて黒田さんの……」
「ふふ、本気で10人のΩの首を噛もうなんて思っていないわよ。神崎グループをもっともっと発展させて、10人でも20人でも楽々養えるくらいに稼ぐぞっていう私の意気込みというか目標なの。そもそも大奥の殿様とかハーレムの王様とかでない限り、10人もの発情期には毎回付き合えないわよ。仕事をしながらだともう、3人でいっぱいいっぱい」
梨香は苦笑して肩をすくめたが、鬼嵜は妙な顔をして少し黙った。
「鬼嵜君?」
「黒田さん、番が発情するたびに一緒にいてやるのか?」
「当たり前じゃない。あの子達を抱いてやれるのは私だけなのよ。といっても、義務感っていうより私もあの子達と一緒にいたいからだけど」
「はぁ……なるほどね。ようやく納得がいった」
「え、なに? 何が?」
「ムショに入る前の俺は中臣組の若頭でかなり多忙だったし、いつでも組の方を優先していて、番に会いに行くのは気が向いた時だけだった。番には十分に金を渡しているから不自由は無いだろうと思っていたんだ」
「それじゃぁせっかく番になった意味が無いじゃないの」
「あぁ……。俺は色々勘違いをしていたらしい。首を噛んだだけでは、本当の意味で自分のものにできるわけじゃないんだな。今さらになって理解しても遅いだろうが」
「うーん、そっかぁ……。次に誰かを番にする時は大事にしてあげてね」
「次か……。いや、ちょっともう次は考えられねぇな」
「何言ってるの。鬼嵜君は社長ほどじゃないけどかなり有能で、社長ほどじゃないけどかなりのイケメンなんだから、まだまだ恋できるわよ」
鬼嵜は運転しながら器用に肩をすくめた。
「さいですか」
「さいですよ」
鬼嵜はハハッと軽く笑うと、カーブを曲がるために大きくハンドルを切った。
1
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
番解除した僕等の末路【完結済・短編】
藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。
番になって数日後、「番解除」された事を悟った。
「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。
けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。
運命じゃない人
万里
BL
旭は、7年間連れ添った相手から突然別れを告げられる。「運命の番に出会ったんだ」と語る彼の言葉は、旭の心を深く傷つけた。積み重ねた日々も未来の約束も、その一言で崩れ去り、番を解消される。残された部屋には彼の痕跡はなく、孤独と喪失感だけが残った。
理解しようと努めるも、涙は止まらず、食事も眠りもままならない。やがて「番に捨てられたΩは死ぬ」という言葉が頭を支配し、旭は絶望の中で自らの手首を切る。意識が遠のき、次に目覚めたのは病院のベッドの上だった。
僕の番
結城れい
BL
白石湊(しらいし みなと)は、大学生のΩだ。αの番がいて同棲までしている。最近湊は、番である森颯真(もり そうま)の衣服を集めることがやめられない。気づかれないように少しずつ集めていくが――
※他サイトにも掲載
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
8/16番外編出しました!!!!!
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
1/27 1000❤️ありがとうございます😭
3/6 2000❤️ありがとうございます😭
4/29 3000❤️ありがとうございます😭
8/13 4000❤️ありがとうございます😭
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
当たり前の幸せ
ヒイロ
BL
結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。
初投稿なので色々矛盾などご容赦を。
ゆっくり更新します。
すみません名前変えました。
【完結済】極上アルファを嵌めた俺の話
降魔 鬼灯
BL
ピアニスト志望の悠理は子供の頃、仲の良かったアルファの東郷司にコンクールで敗北した。
両親を早くに亡くしその借金の返済が迫っている悠理にとって未成年最後のこのコンクールの賞金を得る事がラストチャンスだった。
しかし、司に敗北した悠理ははオメガ専用の娼館にいくより他なくなってしまう。
コンサート入賞者を招いたパーティーで司に想い人がいることを知った悠理は地味な自分がオメガだとバレていない事を利用して司を嵌めて慰謝料を奪おうと計画するが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる