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終章 友哉とあきらのやっぱり異常な日常
(1) 神隠し願望 前編
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友哉が俺を見なくなってから、俺が友哉を見つめる時間ははるかに増えた。
あれから少しも背が伸びていないことにも、痩せてしまったことにも気付いているし、ちぎれた右耳を隠すために髪を伸ばしていることも、首元の傷跡が目立たないようにと襟のついたシャツを着ているのもよく知っている。それから、痛々しい獣の噛み跡が友哉の肌のどこにいくつ残っているのかも。
友哉は視力を奪われ、命を削られ、本来送るはずだった真っ当な人生を奪われた。
それなのに、あの日々を語る口調はどこまでも穏やかで、その内容はまるでジュブナイル小説のような冒険譚であり、成長譚になっていた。
友哉を怖がらせないように、そして嫌われないようにと、俺が嘘に嘘を重ねてきた結果だと思う。
俺にとってあの数ヶ月は、呪いと憎悪と復讐の季節だった。
一番大切な人の目の光を奪われ、知りたくなかった生い立ちを知らされて、すべてを終わらせるために自分の手で母親を殺した。
友哉は自分が5歳の頃から俺の人形にされていたことも知らない。
だから今でもこうやって、屈託のない笑顔を俺の方へ向けてくるんだ。
「あきらが一緒に暮らそうって言ってくれた時、俺は本当に嬉しかったんです。あきらがそばにいてくれるってだけで、不安とか途惑いよりもワクワクが勝っちゃうから」
「そうか」
微笑む友哉を見て、ハルが瞳を潤ませる。
ハルは俺のしたことをほとんど知っていて、友哉には隠してくれている。俺のためではなく、もちろん友哉のためにだ。
「倉橋友哉は、今幸せか?」
「はい、幸せです」
ごく自然に友哉は答えた。
「そうか、それなら良いのだ」
危ういバランスの上に成り立つ平穏、嘘の上に成り立つ幸福。
もしも友哉が真実を知ったとしても、目の光は戻らないし霊が見える体質も変わらない。いわゆる『普通の人生』というものにはもう戻ることは出来ない。それなら何も知らないままの方がずっといい。俺はそう思っているし、ハルもそう思っているんだろう。
「あのあと、念願のテーマパークも行ったよね」
俺は明るい声で言う。
「うん、ひばりちゃんと竹久が成仏した後だったよな」
友哉が嬉しそうに答える。
「私も一緒に行ったぞ」
「もちろん覚えています。吉野部長も御子神も、雪彦さんも一緒で」
御前市には遊園地が無いので、俺達は観覧車もメリーゴーラウンドもジェットコースターも乗ったことが無かった。
盲目の友哉がそれらを楽しいと思うのか怖いと思うのかは、実際に経験してみないと分からないので、とりあえず本人がやりたいと思うことは全部、挑戦してみたのだった。
友哉はスピードの速いものは平気だったが、落下系のものはかなり怖がっていた。
それから音声ガイドを貸し出してもらえるアトラクションもあったりして、俺達は行けなかった修学旅行の分もめいいっぱい楽しんだ。
「大勢でわいわいして楽しかったよねー」
「楽しかったなぁ」
人の多いところやエネルギーの満ちているところには不可思議なものも多く棲み付いているから、テーマパークにもその類がわんさかといた。
友哉は中途半端に見える力があるから、そういう場所ではかなり危うい。実は、俺と雪華とハルで分担しあって、遊びに行く前日までに完璧に除霊を済ませたのだった。
「また行きたいね」
「うん、また行きたい」
友哉はニコニコと話しながら、そっと触読式の腕時計に触れた。俺も自分のスマートフォンを見ると、16時29分と表示されている。
途中で昼休憩を挟んだのだが、それでもかなりの距離を進んできた。
俺の血で友哉を汚した効果があったのか、あいつも追いかけてきてはいないようだ。
「ハル、まだ着かないの? ちょっと疲れて来たんだけど」
と言いながら目線で友哉を示す。
友哉は笑顔だったが、また顔色が悪くなってきていた。
「もう着いているぞ」
ハルの答えに、俺は車の外を見回して眉をしかめた。
「どういう意味? 田んぼのない都会の方へ行くんじゃなかったの? なんか、またすっごい田園地帯に入って来てるんだけど」
「安心しろ。ここは違う田の神のテリトリーだ」
「違う田の神?」
「ああ、こちらの地域には現在でもきちんと機能している古いお稲荷さまがあるのだ」
友哉が首を傾げる。
「お稲荷様、ですか?」
「えー? お稲荷さんて俺と同じ狐だろ? 田の神っていうより商売繁盛の神じゃなかったっけ?」
「お稲荷様にいる狐は神使だな」
「しんし?」
「神の使いのことだ。狐はあくまでも神使であって、この土地の稲荷神社に祀られているのは宇迦之御魂神という五穀豊穣の神さまだ。つまり田の神と同じく稲の実りの神だな」
「その神様の名前は聞いたことがあります。全国の稲荷神社で信仰されているんですよね」
「その通りだ」
「へぇ」
「神使のお狐様と、魔物である久豆葉あきらはまったく立場が違うのだから、もしお会いすることがあってもけして馴れ馴れしくするなよ」
「別に仲良くしたいなんて思わないよ」
「きちんと敬えと言っているのだ。それと、失礼になるから、この土地では絶対に狼を出すなよ」
「い? そうなの? でもまたあれが来たら……」
「あやつはこちらの神のテリトリーには入って来られない。こちらのお稲荷様は観光客がめったに来ない地味で小さな社だが、地元民には厚く信仰されている。信仰が廃れて悪霊に成り下がったようなあやつとは格が違うのだ」
車は途中で未舗装の砂利道へと入り、林を抜けて大きな鳥居の前で止まった。小高い丘の上へと階段が続いているが、木が生い茂っていて頂上にあるはずの神社はここからは見えない。
「降りるぞ、ここから歩きだ」
「まさか神社に泊まるの?」
「いや、宿泊の許可は下りなかった。『しあわせの愛のひかり教団』なんて聞いたことも無いとすげなく断られた」
「ああー……まぁそれは仕方ない」
しあわせの愛のひかり教団。
ハルのお兄さんによるネーミングだが、何度聞いてもくすっと笑ってしまうくらいに胡散臭さ全開の教団名だ。
「まずはこちらのお社にきちんと挨拶をする。それから倉橋友哉と久豆葉あきらにはここから一番近い旅館に泊まってもらう。こちらの神のテリトリー内では何も起きないはずだが、大事を取って大賀見雪彦もこちらへ向かっている」
「雪彦さんが?」
「ああ、倉橋友哉に会えると分かって喜んでいたぞ。旅館にて大賀見雪彦と合流したら、私はさっきのアパートへ戻ってお祓いの準備だ」
運転手を残して車を降り、石段を見上げる。
まだ日差しは強いけれど、ひぐらしが鳴き始めていた。
「うわー、急な階段だなぁ。何段あるの?」
「99段と言われている」
「友哉、おんぶしていこうか?」
「大丈夫、自分の足で歩けるよ」
友哉が右手を前に出す。
俺はその前に立って、腕につかまらせる。
友哉は白杖を使えるように練習していた時期もあったのだが、一度、それで俺の足を引っ掛けてしまい盛大に転んでしまったことがあった。俺が庇ったので友哉に怪我はなく、俺は手と膝を擦りむいた程度の軽い傷だったけれど、それ以来、友哉は白杖を持たなくなった。
盲目でも自立して一人暮らしをして、職場はもちろん通院や買い物まで白杖を使ってひとりで歩ける人もいる。友哉は真面目で努力家だから、そのまま練習を続ければきっと白杖もうまく使えるようになったに違いない。
でも、俺は友哉に一人歩きをして欲しくなかった。友哉と俺は数ヶ月ごとに住まいを変えるし、なにより友哉の目はこの世ならざるものを映すからどんな危険があるかも分からないからだ。
俺に怪我をさせたことで友哉がためらいを見せた時、俺は練習を続けるようにとは一切勧めなかった。やめろとは言わなかったけど、やめて欲しい気持ちは伝わったんだと思う。
友哉は気付いていない。御前市の結界から抜けて自由になったと喜んでいるけど、本当はちっとも自由じゃないんだ。友哉は俺がいないと、どこにも行けないのだから。
「まず、鳥居をくぐる前に一礼をする」
ハルに言われて、友哉は頭を下げた。俺もハッとして、すぐに頭を下げる。
「神社の階段の真ん中は神の通り道だから、我々は端を歩く」
鳥居をくぐり、ハルが石段の左側を登り始める。
俺達は階段の前で一度足を止めた。
「えっとね、一段が20センチ以上あって、しかも幅が狭いから、かなり急な感じだよ。途中に踊り場もないから、一段一段ゆっくり行こうね」
「分かった」
ハルの後ろから、友哉と一緒にゆっくりと登っていく。
ひぐらしの声が降るように響いて来る。
「まだまだ暑いのに、これを聞くと夏の終わりみたいな感じがするよな」
友哉が耳を澄ますように顔を少し上げる。
「あーあー、今年も海行かなかったぁ」
「海か。俺達が行くと確実になんかいるだろうな」
「あはは、確かにいっぱいいそう。泳ぐどころじゃないかもね」
「そういえば俺って今も泳げるのかな。目がこうなってからプールも行ったことないけど」
「小中と授業では泳いでいたんだから、きっと泳げるよ。まっすぐ進めるかどうかは分からないけど」
「はは、歩く時もまっすぐのつもりでなぜか右に行っちゃうしなぁ」
笑っている友哉をハルが振り向き、また前を向いて歩き出した。
ゆっくりと石段を登り切り、もうひとつの鳥居をくぐって敷地内に入る。
狛犬ではなく、一対の白っぽい狐の象が俺達を出迎えた。
「右に手水舎、左に社務所、正面に拝殿が見えるよ。こじんまりとしているけど、きちんと手入れされている感じ」
「そうか」
少し息を切らしていた友哉が、顔を上げ、目を凝らすようにして正面を見る。
きっと神様的なものが見えるのを期待したんだろう。
でも、俺の目にも拝殿には何も見えないし、ハルにも見えている様子はなかった。
「なぁ、ハル。ここってホントにご利益あるの? 神様なんていないじゃん?」
「何を言う。力のある本物の神がおいそれと姿を現すはずが無いだろうが。先ほどのホテルであやつの姿が見えたのは、あやつがもはや神ではなく悪霊に成り下がったものだったからだぞ」
「へぇ、そんなもん?」
「無駄口はいいから、まずは手水舎で手を洗っ」
ハルが言いかけた時、友哉がはっと息を吸い込んだ。
目を見開き、俺をつかむ手にキュッと力が加わる。
「友哉?」
カッとストロボを焚いたみたいに友哉の顔が白く染まり、次の瞬間、地面が揺れるほどの轟音が鳴り響いた。
「おわ!」
「近いぞ!」
ゴロゴロゴロという残響の中でとっさに友哉を抱き寄せると、痛いくらいの激しい雨がドシャーッと降り始めた。
「わ! つめた!」
「夕立ちか?」
雷光、雷鳴、そして豪雨。
俺は愕然と空を見上げた。
同じだ。
アパートであいつが友哉を見た時とすっかり同じ反応だ。
あいつはあの時、友哉を見て「いいものを見つけた」と言った。
まさか、ここにいる神も……。
俺は雨の礫に打たれながら拝殿を見た。
何もいない。
これは単なる普通の夕立か?
「みなさん、こちらへどうぞ! 入ってください!」
社務所の扉が開き、神職らしい男が手招きしている。
「助かった! 入らせてもらおう!」
ハルが叫んで走り出した。
「行こう、友哉!」
友哉はびっくりしたように俺に顔を向けた。
「あきら……!?」
「友哉、早く!」
あれから少しも背が伸びていないことにも、痩せてしまったことにも気付いているし、ちぎれた右耳を隠すために髪を伸ばしていることも、首元の傷跡が目立たないようにと襟のついたシャツを着ているのもよく知っている。それから、痛々しい獣の噛み跡が友哉の肌のどこにいくつ残っているのかも。
友哉は視力を奪われ、命を削られ、本来送るはずだった真っ当な人生を奪われた。
それなのに、あの日々を語る口調はどこまでも穏やかで、その内容はまるでジュブナイル小説のような冒険譚であり、成長譚になっていた。
友哉を怖がらせないように、そして嫌われないようにと、俺が嘘に嘘を重ねてきた結果だと思う。
俺にとってあの数ヶ月は、呪いと憎悪と復讐の季節だった。
一番大切な人の目の光を奪われ、知りたくなかった生い立ちを知らされて、すべてを終わらせるために自分の手で母親を殺した。
友哉は自分が5歳の頃から俺の人形にされていたことも知らない。
だから今でもこうやって、屈託のない笑顔を俺の方へ向けてくるんだ。
「あきらが一緒に暮らそうって言ってくれた時、俺は本当に嬉しかったんです。あきらがそばにいてくれるってだけで、不安とか途惑いよりもワクワクが勝っちゃうから」
「そうか」
微笑む友哉を見て、ハルが瞳を潤ませる。
ハルは俺のしたことをほとんど知っていて、友哉には隠してくれている。俺のためではなく、もちろん友哉のためにだ。
「倉橋友哉は、今幸せか?」
「はい、幸せです」
ごく自然に友哉は答えた。
「そうか、それなら良いのだ」
危ういバランスの上に成り立つ平穏、嘘の上に成り立つ幸福。
もしも友哉が真実を知ったとしても、目の光は戻らないし霊が見える体質も変わらない。いわゆる『普通の人生』というものにはもう戻ることは出来ない。それなら何も知らないままの方がずっといい。俺はそう思っているし、ハルもそう思っているんだろう。
「あのあと、念願のテーマパークも行ったよね」
俺は明るい声で言う。
「うん、ひばりちゃんと竹久が成仏した後だったよな」
友哉が嬉しそうに答える。
「私も一緒に行ったぞ」
「もちろん覚えています。吉野部長も御子神も、雪彦さんも一緒で」
御前市には遊園地が無いので、俺達は観覧車もメリーゴーラウンドもジェットコースターも乗ったことが無かった。
盲目の友哉がそれらを楽しいと思うのか怖いと思うのかは、実際に経験してみないと分からないので、とりあえず本人がやりたいと思うことは全部、挑戦してみたのだった。
友哉はスピードの速いものは平気だったが、落下系のものはかなり怖がっていた。
それから音声ガイドを貸し出してもらえるアトラクションもあったりして、俺達は行けなかった修学旅行の分もめいいっぱい楽しんだ。
「大勢でわいわいして楽しかったよねー」
「楽しかったなぁ」
人の多いところやエネルギーの満ちているところには不可思議なものも多く棲み付いているから、テーマパークにもその類がわんさかといた。
友哉は中途半端に見える力があるから、そういう場所ではかなり危うい。実は、俺と雪華とハルで分担しあって、遊びに行く前日までに完璧に除霊を済ませたのだった。
「また行きたいね」
「うん、また行きたい」
友哉はニコニコと話しながら、そっと触読式の腕時計に触れた。俺も自分のスマートフォンを見ると、16時29分と表示されている。
途中で昼休憩を挟んだのだが、それでもかなりの距離を進んできた。
俺の血で友哉を汚した効果があったのか、あいつも追いかけてきてはいないようだ。
「ハル、まだ着かないの? ちょっと疲れて来たんだけど」
と言いながら目線で友哉を示す。
友哉は笑顔だったが、また顔色が悪くなってきていた。
「もう着いているぞ」
ハルの答えに、俺は車の外を見回して眉をしかめた。
「どういう意味? 田んぼのない都会の方へ行くんじゃなかったの? なんか、またすっごい田園地帯に入って来てるんだけど」
「安心しろ。ここは違う田の神のテリトリーだ」
「違う田の神?」
「ああ、こちらの地域には現在でもきちんと機能している古いお稲荷さまがあるのだ」
友哉が首を傾げる。
「お稲荷様、ですか?」
「えー? お稲荷さんて俺と同じ狐だろ? 田の神っていうより商売繁盛の神じゃなかったっけ?」
「お稲荷様にいる狐は神使だな」
「しんし?」
「神の使いのことだ。狐はあくまでも神使であって、この土地の稲荷神社に祀られているのは宇迦之御魂神という五穀豊穣の神さまだ。つまり田の神と同じく稲の実りの神だな」
「その神様の名前は聞いたことがあります。全国の稲荷神社で信仰されているんですよね」
「その通りだ」
「へぇ」
「神使のお狐様と、魔物である久豆葉あきらはまったく立場が違うのだから、もしお会いすることがあってもけして馴れ馴れしくするなよ」
「別に仲良くしたいなんて思わないよ」
「きちんと敬えと言っているのだ。それと、失礼になるから、この土地では絶対に狼を出すなよ」
「い? そうなの? でもまたあれが来たら……」
「あやつはこちらの神のテリトリーには入って来られない。こちらのお稲荷様は観光客がめったに来ない地味で小さな社だが、地元民には厚く信仰されている。信仰が廃れて悪霊に成り下がったようなあやつとは格が違うのだ」
車は途中で未舗装の砂利道へと入り、林を抜けて大きな鳥居の前で止まった。小高い丘の上へと階段が続いているが、木が生い茂っていて頂上にあるはずの神社はここからは見えない。
「降りるぞ、ここから歩きだ」
「まさか神社に泊まるの?」
「いや、宿泊の許可は下りなかった。『しあわせの愛のひかり教団』なんて聞いたことも無いとすげなく断られた」
「ああー……まぁそれは仕方ない」
しあわせの愛のひかり教団。
ハルのお兄さんによるネーミングだが、何度聞いてもくすっと笑ってしまうくらいに胡散臭さ全開の教団名だ。
「まずはこちらのお社にきちんと挨拶をする。それから倉橋友哉と久豆葉あきらにはここから一番近い旅館に泊まってもらう。こちらの神のテリトリー内では何も起きないはずだが、大事を取って大賀見雪彦もこちらへ向かっている」
「雪彦さんが?」
「ああ、倉橋友哉に会えると分かって喜んでいたぞ。旅館にて大賀見雪彦と合流したら、私はさっきのアパートへ戻ってお祓いの準備だ」
運転手を残して車を降り、石段を見上げる。
まだ日差しは強いけれど、ひぐらしが鳴き始めていた。
「うわー、急な階段だなぁ。何段あるの?」
「99段と言われている」
「友哉、おんぶしていこうか?」
「大丈夫、自分の足で歩けるよ」
友哉が右手を前に出す。
俺はその前に立って、腕につかまらせる。
友哉は白杖を使えるように練習していた時期もあったのだが、一度、それで俺の足を引っ掛けてしまい盛大に転んでしまったことがあった。俺が庇ったので友哉に怪我はなく、俺は手と膝を擦りむいた程度の軽い傷だったけれど、それ以来、友哉は白杖を持たなくなった。
盲目でも自立して一人暮らしをして、職場はもちろん通院や買い物まで白杖を使ってひとりで歩ける人もいる。友哉は真面目で努力家だから、そのまま練習を続ければきっと白杖もうまく使えるようになったに違いない。
でも、俺は友哉に一人歩きをして欲しくなかった。友哉と俺は数ヶ月ごとに住まいを変えるし、なにより友哉の目はこの世ならざるものを映すからどんな危険があるかも分からないからだ。
俺に怪我をさせたことで友哉がためらいを見せた時、俺は練習を続けるようにとは一切勧めなかった。やめろとは言わなかったけど、やめて欲しい気持ちは伝わったんだと思う。
友哉は気付いていない。御前市の結界から抜けて自由になったと喜んでいるけど、本当はちっとも自由じゃないんだ。友哉は俺がいないと、どこにも行けないのだから。
「まず、鳥居をくぐる前に一礼をする」
ハルに言われて、友哉は頭を下げた。俺もハッとして、すぐに頭を下げる。
「神社の階段の真ん中は神の通り道だから、我々は端を歩く」
鳥居をくぐり、ハルが石段の左側を登り始める。
俺達は階段の前で一度足を止めた。
「えっとね、一段が20センチ以上あって、しかも幅が狭いから、かなり急な感じだよ。途中に踊り場もないから、一段一段ゆっくり行こうね」
「分かった」
ハルの後ろから、友哉と一緒にゆっくりと登っていく。
ひぐらしの声が降るように響いて来る。
「まだまだ暑いのに、これを聞くと夏の終わりみたいな感じがするよな」
友哉が耳を澄ますように顔を少し上げる。
「あーあー、今年も海行かなかったぁ」
「海か。俺達が行くと確実になんかいるだろうな」
「あはは、確かにいっぱいいそう。泳ぐどころじゃないかもね」
「そういえば俺って今も泳げるのかな。目がこうなってからプールも行ったことないけど」
「小中と授業では泳いでいたんだから、きっと泳げるよ。まっすぐ進めるかどうかは分からないけど」
「はは、歩く時もまっすぐのつもりでなぜか右に行っちゃうしなぁ」
笑っている友哉をハルが振り向き、また前を向いて歩き出した。
ゆっくりと石段を登り切り、もうひとつの鳥居をくぐって敷地内に入る。
狛犬ではなく、一対の白っぽい狐の象が俺達を出迎えた。
「右に手水舎、左に社務所、正面に拝殿が見えるよ。こじんまりとしているけど、きちんと手入れされている感じ」
「そうか」
少し息を切らしていた友哉が、顔を上げ、目を凝らすようにして正面を見る。
きっと神様的なものが見えるのを期待したんだろう。
でも、俺の目にも拝殿には何も見えないし、ハルにも見えている様子はなかった。
「なぁ、ハル。ここってホントにご利益あるの? 神様なんていないじゃん?」
「何を言う。力のある本物の神がおいそれと姿を現すはずが無いだろうが。先ほどのホテルであやつの姿が見えたのは、あやつがもはや神ではなく悪霊に成り下がったものだったからだぞ」
「へぇ、そんなもん?」
「無駄口はいいから、まずは手水舎で手を洗っ」
ハルが言いかけた時、友哉がはっと息を吸い込んだ。
目を見開き、俺をつかむ手にキュッと力が加わる。
「友哉?」
カッとストロボを焚いたみたいに友哉の顔が白く染まり、次の瞬間、地面が揺れるほどの轟音が鳴り響いた。
「おわ!」
「近いぞ!」
ゴロゴロゴロという残響の中でとっさに友哉を抱き寄せると、痛いくらいの激しい雨がドシャーッと降り始めた。
「わ! つめた!」
「夕立ちか?」
雷光、雷鳴、そして豪雨。
俺は愕然と空を見上げた。
同じだ。
アパートであいつが友哉を見た時とすっかり同じ反応だ。
あいつはあの時、友哉を見て「いいものを見つけた」と言った。
まさか、ここにいる神も……。
俺は雨の礫に打たれながら拝殿を見た。
何もいない。
これは単なる普通の夕立か?
「みなさん、こちらへどうぞ! 入ってください!」
社務所の扉が開き、神職らしい男が手招きしている。
「助かった! 入らせてもらおう!」
ハルが叫んで走り出した。
「行こう、友哉!」
友哉はびっくりしたように俺に顔を向けた。
「あきら……!?」
「友哉、早く!」
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