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終章 友哉とあきらのやっぱり異常な日常
(1) 神隠し願望 後編
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「あきら……!?」
「友哉、早く!」
玉砂利が浮いてきそうなほどの水量の雨の中、俺は友哉を抱きかかえるようにして扉に飛び込んだ。
吹き込んでくる雨と強い風にあおられながら、バタンと扉を閉める。
「友哉、だいじょ……」
「あきら、あきら、こっちに顔を見せてくれ」
「え?」
振り向くと、いきなり両手で顔をつかまれた。
濡れた髪からぽたぽたと雫を落としながら、友哉が顔を近づけてくる。
「ああ、ほとんど変わっていない……いやでもやっぱりちょっと大人っぽくなっているか……でもほとんど記憶と同じだ……」
感極まったように震える声で友哉が言った。
「友哉……?」
「はは……あきら、髪がびしょびしょだ……」
友哉は俺の前髪をそっと撫でて、輪郭をなぞるようにして顎を触り、眉や頬骨や鼻や唇に順に触れて来た。
「友哉、見えてるの……?」
「うん、見える。ちゃんとあきらの顔が見えるよ!」
興奮したように言うと、友哉は潤んだ瞳からぽろりと涙を零した。
「やだ、泣きたくない。あきらをちゃんと見たいのに」
慌てたように手の甲でぬぐうと、泣くのを我慢するように唇を噛んで、友哉は必死に俺を見つめてくる。
それでもまた涙が溢れてくるようで、友哉は何度もそれをぬぐった。
「あきらは相変わらず綺麗だな。良かった。元気そうだ。どこも怪我していないし、肌も荒れていないし、顔色もいい」
矢継ぎ早に言い、友哉は俺の肩から腕を撫でて小さく笑った。
「分かっていたけど、やっぱこんなに体付きが違うんだな。なぁあきら、ちょっとかがんで、もっと顔をよく見せてくれ」
言われるままに少しかがむと、友哉は潤んだ瞳で俺を見る。まるで砂漠で干からびて乾いた人がオアシスに辿り着いたかのように、友哉は俺を涙ながらに見つめて、見つめて、見つめ続ける。
俺は何が起こっているのか分からなくて、嬉しさと不安が混じった声でもう一度聞いた。
「友哉、目が、治ったの……?」
「分からない。でも今は見える。はっきり見える」
必死に目に焼き付けるように凝視してくる友哉を、嬉しさのあまりギュッと抱きしめる。
「すごい! 奇跡みたい!」
「わ、あきら。抱きつくと顔が見えないだろ」
笑いながら友哉は俺を押しのけ、ふと、周りを見回した。
「え……? どこだここ」
俺も友哉しか見ていなかったから、今さらになって気付いた。
「あれ、誰もいない?」
社務所へ入ったはずなのに、ハルも神職らしき人の姿も見えず、しかもどこかの御殿のような長い長い廊下の真ん中に二人でぽつんと立っている。
お香を焚いているような良い香りがかすかに漂って来る。
「なんだ、ここ」
「社務所……じゃないよね」
静かだった。
俺達のほかに人の気配が無い。
「雨の音がしないね」
「ああ……」
片側は鎧戸が閉められていて、光源は見当たらないのに、ほのかに明るかった。
鎧戸の反対側は草花の描かれたふすまが並んでいる。雪彦の屋敷の中庭にあるような昔ながらの日本の草花だ。隣り合うふすまはそれぞれ似ているけれど、描かれているものは微妙に少しずつ違うようだった。
友哉は急に真剣な顔になって、俺の近くへ体を寄せてくる。
「あまり離れるなよ」
不安ですり寄ってきたわけじゃなく、何かあったら俺の盾になるためだと分かった。
友哉の行動原理は、目が見えても見えなくても何も変わらない。5歳の時から俺を守るために生きている。
「大雅」
小声で呼んでみたが、俺の式狼は出てこなかった。
「あきら、この神社で狼はダメだって!」
焦る友哉に首を振ってみせる。
「どっちにしても、ここでは呼び出せないみたい」
「そうなのか?」
「うん」
以前、ハルに公園で襲撃されたことを思い出したのか、友哉はいっそう緊張した顔をした。
「祓い屋が関係しているのか?」
「それは無いよ。どんなに霊力があっても、人間には友哉の視力を戻す力なんて無いもん」
「あ……そうか」
友哉は俺の顔を見て、フッと力を抜いた。
「そうだよな。こんなにすごいことをしてくれるなんて、人間業じゃないよな」
人間の業でないなら何なのか。
もしこれが悪霊の仕業だったら今頃もっと怖いことが始まっている。
ミシ、ミシ、と不気味な足音が近づいてきたり、ふすまや鎧戸に怪しげな影が映ったり、床に血の足跡が浮かび上がったりするんだろう。
でも、ここは静まり返っていて怪奇現象のひとつも起こらない。
「とても、静かだな」
「うん……」
友哉は鎧戸に手をかけたが、それはびくともしなかった。試してみろというように振り返って視線を寄越すので、俺も鎧戸を開けようとしてみたけどやっぱり開かなった。
友哉は次に近くのふすまに手をかけた。それはほとんど抵抗なくスイッと横へ開き、中から淡い光が漏れ出て来た。
「わぁ」
「おお……」
ふすまの中は当然室内だと思っていた俺達は思わず声を出した。
夕暮れ時の夏の原っぱ……ふすまに描かれていた名前も知らない植物が原っぱのあちらこちらに揺れている。
「広いな」
「うん」
「行ったら戻れなくなりそうだな」
「うん」
友哉はそっとふすまを閉じて、隣のふすまをスイッと開く。
「さっきと同じ、だよね?」
「たぶん」
友哉はそのふすまも閉じると、「ちょっと先へ行ってみよう」と言って俺の腕をつかんで歩き出した。
「あのさ」
「なんだ?」
「俺達土足だけどいいのかな?」
友哉が足元を見下ろす。
「どうなんだろ?」
「だめかもしれないけど、脱ぐのはやめておこう」
「どうして?」
「なんとなく、履いたままの方が、帰りやすい気がするから」
「そっか」
二人で歩く廊下に並んでいるふすまは一枚一枚が少しずつ違っている。俺達が進むのに合わせて、まるでパラパラ漫画のように草花がちょっとずつ変化していく。
友哉が少しずつ足を速め、しまいには駆け出していた。手を引かれるままに、俺もついて行く。
はじめは濃い緑の中に色鮮やかな花々が顔を覗かせていた夏の原っぱが、少しずつ黄色味を帯びていって明らかに秋の絵になったところで友哉は足を止めた。
「開けるぞ」
宣言して、ゆっくりとふすまを開く。
中はふすまに描かれた通りの、秋の草花が夕焼けに照らされていた。
「あ……やっぱり」
「うん、やっぱり秋だね」
「これって、俺の思う通りなのかな……」
「もしかして友哉も俺と同じことを思ってる?」
俺と友哉は顔を見合わせ、ちょっと笑った。
「このふすま、きっと365枚あるんだよな」
「季節が一日一日進んでいくってことだよね」
「もっと先へ行ってみようか」
「一年が終わるところを探すの?」
「その通り」
365枚のふすまが連なる先には果たして何が待っているのか。ループしてまた1枚目から始まるのか、それとも何か違うものがあるのか。
友哉はワクワクした顔で俺の手を引っ張り、軽やかに駆けて行く。
俺はそれが楽しくて、声を出して笑ってしまった。
「なんだよ、あきら」
「だって、久しぶりに一緒に走ったからチョー楽しくて」
「そっか」
友哉は少し考えるように視線を揺らして、「戻ったらジョギングでも始めるか」と言った。
さっきからずっと走っているのに、まったく息が切れていない。
「ジョギング?」
「確か、ロープの輪っかみたいなのを持ってもらって、一緒に走るんじゃないかな。あれはパラリンピックだったかなぁ? 視覚障害者が『伴走』っていうゼッケンをつけた人と一緒に走っているのを、テレビで見たことがある」
友哉はそれを、当然のようにさらりと口にした。
俺は足を止める。手をつかんでいた友哉も、驚いたように走るのをやめた。
「どうした?」
「やっぱり……元の世界に戻ったら、友哉の目も元に戻るの」
「そりゃそうだろ」
「だって、そんな……そんなのひどくない?」
「何が? っていうか何で?」
「だって……それじゃこの現象ってなに? 今だけ見えるようになっても、すぐにまた失明しちゃうなら、そんなのかえって残酷じゃんか」
友哉はまっすぐ俺を見て、優しい顔をして目を細めた。
「あきらは優しいな」
「何言ってるんだよ」
「そんな風に心配する必要は無いよ。俺は一時的でも見えるようにしてもらえて、こんなに嬉しいんだから」
細い指先が俺の前髪をサラッと揺らす。
「髪、乾いたな」
「髪……? ああ、うん、いつのまにか乾いたね」
「あきら、ちょっと俺の前を歩いてくれるか?」
「え?」
「少しでいいからさ」
「う、うん、いいけど」
俺は途惑いつつ歩き始める。後ろから友哉がトコトコとついて来た。そのまま何も言わずに歩き続けるから不安になって振り向くと、友哉は満面の笑みで俺の頭を見つめていた。
「あの、友哉?」
「学校帰りとかさ、こうやって後ろからあきらの髪が揺れるのをよく見ていたんだ。さらさらしていて、時々キラッと光って……俺の大好きな光景だった」
懐かしそうな目をして、友哉が微笑む。
「もう一生見ることは無いと思っていたあきらの姿を、俺は見ることが出来た。残酷なんて思うわけがないだろ。これは贈り物だよ」
友哉は相変わらず優等生な発言だけど、それが嘘じゃないのを俺は知っている。
幼い頃に俺の人形として呪いを受け、いまだにそれは解けていない。どこにいても、何をしていても、友哉は『久豆葉あきら』を優先する。俺がちゃんと『大人』になればきっとその呪いは解けるのだろうけど、俺はわざと幼い言動を続けて、その時が来るのを必死に引き延ばしている。
「お、雪の絵だ」
「ほんとだ。降ってる絵だ」
ふすまの絵は完全に冬になっていた。枯れた草花を覆うように薄く雪が積もっている。
友哉がふすまを5センチくらい開くと、凍るような風が顔に吹き付けて来てひらひらと雪を運んできた。
「さむっ」
ぶるぶるっと身震いすると、友哉はパタンとふすまを閉めた。
さらに足を進めると、友哉があっと小さく声を出した。
「あきら、あれだあれ」
指差す方角に真っ白なふすまが見えて、俺と友哉は小走りにその前に立った。
「何も描いていない」
「意外だな。金箔が貼られていたり、大げさなマジナイでも書かれているかと思ったのに」
「この白いふすまのこっちが大晦日で、そっちが元日?」
「俺達の仮説が正しければな」
友哉はもうこの空間に慣れ切ったように、まったく警戒しないで白いふすまの取っ手に指をかけた。
スイッとふすまを開く。
途端に、食欲を掻きたてるようないい匂いが流れ出してきた。
「うわ……これって」
20畳はありそうな広い和室の中に、膳に乗せられた料理がところせましと並べられていた。畳は青々として新しく、柱は太く艶々としていて、欄間は立体的で美しく、天井は正方形の格子が並んだお城みたいに立派なものだ。
「ああ、こう来たか。一口でも食べたら、現世に戻れなくなるってやつだな」
「だよね」
異界の食べ物は口にしてはいけない。
それはこの国に伝わる数々の怪異譚のセオリーみたいなものだ。
友哉は音を立てないようにそろりとふすまを閉めると、俺の手をぐいっとつかみ、来た道を戻り始めた。
「出口、探そう。入って来たのは夏の所だったから、その近くに出口もあるかも知れない」
「うん……でも」
「でも?」
友哉は不思議そうに俺を見た。
友哉は気付いているだろうか。ここに来てから友哉の目は光を取り戻し、頬の血色は戻り、まったく疲れた様子も見せていないってことを。
もしかしたらさっきの部屋に戻って、二人でここの食べ物を口にすれば、友哉と俺の残り時間の隔たりは無くなり、俺達はずっと一緒にいられるんじゃないか……。
「ねぇ友哉、もうちょっとここにいない?」
「あきら」
「だって、ここってあの、ウカノなんちゃらっていう神様の神域とかだよね? 神聖な場所っていうか、別に悪いところじゃないんじゃない? それにほら、友哉と二人なら怖くないしむしろ楽しいし、ここが現実世界じゃなくたって別に俺は……」
「俺と一緒に死ぬ気か」
「違うよ! きっと死なない。ただ消えるだけ。俺達はきっと神隠しみたいに現世からいなくなるけど、ここでずっと一緒にいられる。多分、永遠に」
友哉は俺を見上げてふっと微笑んだ。
「そこまでしてくれなくていいよ」
「え……」
「俺が死ぬ時は、ちゃんとひとりで死ぬから」
「友哉……!」
少し背伸びするようにして、友哉は俺の目を覗き込んできた。
「あきらは優しすぎるよ。目の見えない俺と一緒に暮らしてくれるだけで、もう十分すぎるんだからさ。一緒に消える必要なんて無いんだ」
「違う……俺は友哉と離れたくないから……」
「せっかく道切りの結界の中から出られたのに、今度はここに閉じ込められるのか」
「いいじゃん、閉じ込められたって。ここにいれば安全だよ」
「確かに、ここは悪いところじゃないと思う。嫌な感じもしないし、あきらの顔が見えるし。でも」
友哉は言葉を探すようにちょっと間を置いた。
「夜になってさ、ベッドに入ってウトウトしてくる時にさ、俺は毎晩思うんだ。ああ、今日も楽しかったなぁって、ほんとに毎晩思うんだ。俺は今のままで、誰よりも幸せ者なんだよ」
友哉らしいきれいな言葉。
嘘っぽいくらいの、きれいな本音。
「そう思うのって俺だけか? 俺だけが幸せ? あきらはやっぱり俺といるのは負担か?」
俺はブルブルと首を振った。
友哉は無意識にずるいことを言う。そんな風に聞かれたら、答えはひとつしかないのに。
「俺もめちゃくちゃ幸せだよ……」
「だろ? ならそれでいいじゃないか。一緒に帰ろう。俺はやっぱり、あきらには生きていて欲しいよ」
俺は、自分が死ぬ時は友哉を道連れにするし、友哉が死ぬ時には俺を道連れにして欲しい。
ここで二人一緒に神隠しにあって、二人で永遠に閉じ込められることが、俺の望みに最も沿う形なのに。
そういう暗い願望を、きれいな友哉は理解しない。
「俺達の日常に帰ろう、あきら」
友哉は俺に手を伸ばした。
迷いの無い、きれいな笑顔で。
俺は友哉の手を握った。
この先何回も、この瞬間を後悔するだろうなと思いながら。
ガラリと遠くの鎧戸が開けられた。
「倉橋友哉! 久豆葉あきら! どこにいる! 倉橋友哉! 久豆葉あきら! 返事をしろ!」
泣きそうなハルの声がこの不思議な空間に響いて来た。
「友哉、早く!」
玉砂利が浮いてきそうなほどの水量の雨の中、俺は友哉を抱きかかえるようにして扉に飛び込んだ。
吹き込んでくる雨と強い風にあおられながら、バタンと扉を閉める。
「友哉、だいじょ……」
「あきら、あきら、こっちに顔を見せてくれ」
「え?」
振り向くと、いきなり両手で顔をつかまれた。
濡れた髪からぽたぽたと雫を落としながら、友哉が顔を近づけてくる。
「ああ、ほとんど変わっていない……いやでもやっぱりちょっと大人っぽくなっているか……でもほとんど記憶と同じだ……」
感極まったように震える声で友哉が言った。
「友哉……?」
「はは……あきら、髪がびしょびしょだ……」
友哉は俺の前髪をそっと撫でて、輪郭をなぞるようにして顎を触り、眉や頬骨や鼻や唇に順に触れて来た。
「友哉、見えてるの……?」
「うん、見える。ちゃんとあきらの顔が見えるよ!」
興奮したように言うと、友哉は潤んだ瞳からぽろりと涙を零した。
「やだ、泣きたくない。あきらをちゃんと見たいのに」
慌てたように手の甲でぬぐうと、泣くのを我慢するように唇を噛んで、友哉は必死に俺を見つめてくる。
それでもまた涙が溢れてくるようで、友哉は何度もそれをぬぐった。
「あきらは相変わらず綺麗だな。良かった。元気そうだ。どこも怪我していないし、肌も荒れていないし、顔色もいい」
矢継ぎ早に言い、友哉は俺の肩から腕を撫でて小さく笑った。
「分かっていたけど、やっぱこんなに体付きが違うんだな。なぁあきら、ちょっとかがんで、もっと顔をよく見せてくれ」
言われるままに少しかがむと、友哉は潤んだ瞳で俺を見る。まるで砂漠で干からびて乾いた人がオアシスに辿り着いたかのように、友哉は俺を涙ながらに見つめて、見つめて、見つめ続ける。
俺は何が起こっているのか分からなくて、嬉しさと不安が混じった声でもう一度聞いた。
「友哉、目が、治ったの……?」
「分からない。でも今は見える。はっきり見える」
必死に目に焼き付けるように凝視してくる友哉を、嬉しさのあまりギュッと抱きしめる。
「すごい! 奇跡みたい!」
「わ、あきら。抱きつくと顔が見えないだろ」
笑いながら友哉は俺を押しのけ、ふと、周りを見回した。
「え……? どこだここ」
俺も友哉しか見ていなかったから、今さらになって気付いた。
「あれ、誰もいない?」
社務所へ入ったはずなのに、ハルも神職らしき人の姿も見えず、しかもどこかの御殿のような長い長い廊下の真ん中に二人でぽつんと立っている。
お香を焚いているような良い香りがかすかに漂って来る。
「なんだ、ここ」
「社務所……じゃないよね」
静かだった。
俺達のほかに人の気配が無い。
「雨の音がしないね」
「ああ……」
片側は鎧戸が閉められていて、光源は見当たらないのに、ほのかに明るかった。
鎧戸の反対側は草花の描かれたふすまが並んでいる。雪彦の屋敷の中庭にあるような昔ながらの日本の草花だ。隣り合うふすまはそれぞれ似ているけれど、描かれているものは微妙に少しずつ違うようだった。
友哉は急に真剣な顔になって、俺の近くへ体を寄せてくる。
「あまり離れるなよ」
不安ですり寄ってきたわけじゃなく、何かあったら俺の盾になるためだと分かった。
友哉の行動原理は、目が見えても見えなくても何も変わらない。5歳の時から俺を守るために生きている。
「大雅」
小声で呼んでみたが、俺の式狼は出てこなかった。
「あきら、この神社で狼はダメだって!」
焦る友哉に首を振ってみせる。
「どっちにしても、ここでは呼び出せないみたい」
「そうなのか?」
「うん」
以前、ハルに公園で襲撃されたことを思い出したのか、友哉はいっそう緊張した顔をした。
「祓い屋が関係しているのか?」
「それは無いよ。どんなに霊力があっても、人間には友哉の視力を戻す力なんて無いもん」
「あ……そうか」
友哉は俺の顔を見て、フッと力を抜いた。
「そうだよな。こんなにすごいことをしてくれるなんて、人間業じゃないよな」
人間の業でないなら何なのか。
もしこれが悪霊の仕業だったら今頃もっと怖いことが始まっている。
ミシ、ミシ、と不気味な足音が近づいてきたり、ふすまや鎧戸に怪しげな影が映ったり、床に血の足跡が浮かび上がったりするんだろう。
でも、ここは静まり返っていて怪奇現象のひとつも起こらない。
「とても、静かだな」
「うん……」
友哉は鎧戸に手をかけたが、それはびくともしなかった。試してみろというように振り返って視線を寄越すので、俺も鎧戸を開けようとしてみたけどやっぱり開かなった。
友哉は次に近くのふすまに手をかけた。それはほとんど抵抗なくスイッと横へ開き、中から淡い光が漏れ出て来た。
「わぁ」
「おお……」
ふすまの中は当然室内だと思っていた俺達は思わず声を出した。
夕暮れ時の夏の原っぱ……ふすまに描かれていた名前も知らない植物が原っぱのあちらこちらに揺れている。
「広いな」
「うん」
「行ったら戻れなくなりそうだな」
「うん」
友哉はそっとふすまを閉じて、隣のふすまをスイッと開く。
「さっきと同じ、だよね?」
「たぶん」
友哉はそのふすまも閉じると、「ちょっと先へ行ってみよう」と言って俺の腕をつかんで歩き出した。
「あのさ」
「なんだ?」
「俺達土足だけどいいのかな?」
友哉が足元を見下ろす。
「どうなんだろ?」
「だめかもしれないけど、脱ぐのはやめておこう」
「どうして?」
「なんとなく、履いたままの方が、帰りやすい気がするから」
「そっか」
二人で歩く廊下に並んでいるふすまは一枚一枚が少しずつ違っている。俺達が進むのに合わせて、まるでパラパラ漫画のように草花がちょっとずつ変化していく。
友哉が少しずつ足を速め、しまいには駆け出していた。手を引かれるままに、俺もついて行く。
はじめは濃い緑の中に色鮮やかな花々が顔を覗かせていた夏の原っぱが、少しずつ黄色味を帯びていって明らかに秋の絵になったところで友哉は足を止めた。
「開けるぞ」
宣言して、ゆっくりとふすまを開く。
中はふすまに描かれた通りの、秋の草花が夕焼けに照らされていた。
「あ……やっぱり」
「うん、やっぱり秋だね」
「これって、俺の思う通りなのかな……」
「もしかして友哉も俺と同じことを思ってる?」
俺と友哉は顔を見合わせ、ちょっと笑った。
「このふすま、きっと365枚あるんだよな」
「季節が一日一日進んでいくってことだよね」
「もっと先へ行ってみようか」
「一年が終わるところを探すの?」
「その通り」
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友哉はワクワクした顔で俺の手を引っ張り、軽やかに駆けて行く。
俺はそれが楽しくて、声を出して笑ってしまった。
「なんだよ、あきら」
「だって、久しぶりに一緒に走ったからチョー楽しくて」
「そっか」
友哉は少し考えるように視線を揺らして、「戻ったらジョギングでも始めるか」と言った。
さっきからずっと走っているのに、まったく息が切れていない。
「ジョギング?」
「確か、ロープの輪っかみたいなのを持ってもらって、一緒に走るんじゃないかな。あれはパラリンピックだったかなぁ? 視覚障害者が『伴走』っていうゼッケンをつけた人と一緒に走っているのを、テレビで見たことがある」
友哉はそれを、当然のようにさらりと口にした。
俺は足を止める。手をつかんでいた友哉も、驚いたように走るのをやめた。
「どうした?」
「やっぱり……元の世界に戻ったら、友哉の目も元に戻るの」
「そりゃそうだろ」
「だって、そんな……そんなのひどくない?」
「何が? っていうか何で?」
「だって……それじゃこの現象ってなに? 今だけ見えるようになっても、すぐにまた失明しちゃうなら、そんなのかえって残酷じゃんか」
友哉はまっすぐ俺を見て、優しい顔をして目を細めた。
「あきらは優しいな」
「何言ってるんだよ」
「そんな風に心配する必要は無いよ。俺は一時的でも見えるようにしてもらえて、こんなに嬉しいんだから」
細い指先が俺の前髪をサラッと揺らす。
「髪、乾いたな」
「髪……? ああ、うん、いつのまにか乾いたね」
「あきら、ちょっと俺の前を歩いてくれるか?」
「え?」
「少しでいいからさ」
「う、うん、いいけど」
俺は途惑いつつ歩き始める。後ろから友哉がトコトコとついて来た。そのまま何も言わずに歩き続けるから不安になって振り向くと、友哉は満面の笑みで俺の頭を見つめていた。
「あの、友哉?」
「学校帰りとかさ、こうやって後ろからあきらの髪が揺れるのをよく見ていたんだ。さらさらしていて、時々キラッと光って……俺の大好きな光景だった」
懐かしそうな目をして、友哉が微笑む。
「もう一生見ることは無いと思っていたあきらの姿を、俺は見ることが出来た。残酷なんて思うわけがないだろ。これは贈り物だよ」
友哉は相変わらず優等生な発言だけど、それが嘘じゃないのを俺は知っている。
幼い頃に俺の人形として呪いを受け、いまだにそれは解けていない。どこにいても、何をしていても、友哉は『久豆葉あきら』を優先する。俺がちゃんと『大人』になればきっとその呪いは解けるのだろうけど、俺はわざと幼い言動を続けて、その時が来るのを必死に引き延ばしている。
「お、雪の絵だ」
「ほんとだ。降ってる絵だ」
ふすまの絵は完全に冬になっていた。枯れた草花を覆うように薄く雪が積もっている。
友哉がふすまを5センチくらい開くと、凍るような風が顔に吹き付けて来てひらひらと雪を運んできた。
「さむっ」
ぶるぶるっと身震いすると、友哉はパタンとふすまを閉めた。
さらに足を進めると、友哉があっと小さく声を出した。
「あきら、あれだあれ」
指差す方角に真っ白なふすまが見えて、俺と友哉は小走りにその前に立った。
「何も描いていない」
「意外だな。金箔が貼られていたり、大げさなマジナイでも書かれているかと思ったのに」
「この白いふすまのこっちが大晦日で、そっちが元日?」
「俺達の仮説が正しければな」
友哉はもうこの空間に慣れ切ったように、まったく警戒しないで白いふすまの取っ手に指をかけた。
スイッとふすまを開く。
途端に、食欲を掻きたてるようないい匂いが流れ出してきた。
「うわ……これって」
20畳はありそうな広い和室の中に、膳に乗せられた料理がところせましと並べられていた。畳は青々として新しく、柱は太く艶々としていて、欄間は立体的で美しく、天井は正方形の格子が並んだお城みたいに立派なものだ。
「ああ、こう来たか。一口でも食べたら、現世に戻れなくなるってやつだな」
「だよね」
異界の食べ物は口にしてはいけない。
それはこの国に伝わる数々の怪異譚のセオリーみたいなものだ。
友哉は音を立てないようにそろりとふすまを閉めると、俺の手をぐいっとつかみ、来た道を戻り始めた。
「出口、探そう。入って来たのは夏の所だったから、その近くに出口もあるかも知れない」
「うん……でも」
「でも?」
友哉は不思議そうに俺を見た。
友哉は気付いているだろうか。ここに来てから友哉の目は光を取り戻し、頬の血色は戻り、まったく疲れた様子も見せていないってことを。
もしかしたらさっきの部屋に戻って、二人でここの食べ物を口にすれば、友哉と俺の残り時間の隔たりは無くなり、俺達はずっと一緒にいられるんじゃないか……。
「ねぇ友哉、もうちょっとここにいない?」
「あきら」
「だって、ここってあの、ウカノなんちゃらっていう神様の神域とかだよね? 神聖な場所っていうか、別に悪いところじゃないんじゃない? それにほら、友哉と二人なら怖くないしむしろ楽しいし、ここが現実世界じゃなくたって別に俺は……」
「俺と一緒に死ぬ気か」
「違うよ! きっと死なない。ただ消えるだけ。俺達はきっと神隠しみたいに現世からいなくなるけど、ここでずっと一緒にいられる。多分、永遠に」
友哉は俺を見上げてふっと微笑んだ。
「そこまでしてくれなくていいよ」
「え……」
「俺が死ぬ時は、ちゃんとひとりで死ぬから」
「友哉……!」
少し背伸びするようにして、友哉は俺の目を覗き込んできた。
「あきらは優しすぎるよ。目の見えない俺と一緒に暮らしてくれるだけで、もう十分すぎるんだからさ。一緒に消える必要なんて無いんだ」
「違う……俺は友哉と離れたくないから……」
「せっかく道切りの結界の中から出られたのに、今度はここに閉じ込められるのか」
「いいじゃん、閉じ込められたって。ここにいれば安全だよ」
「確かに、ここは悪いところじゃないと思う。嫌な感じもしないし、あきらの顔が見えるし。でも」
友哉は言葉を探すようにちょっと間を置いた。
「夜になってさ、ベッドに入ってウトウトしてくる時にさ、俺は毎晩思うんだ。ああ、今日も楽しかったなぁって、ほんとに毎晩思うんだ。俺は今のままで、誰よりも幸せ者なんだよ」
友哉らしいきれいな言葉。
嘘っぽいくらいの、きれいな本音。
「そう思うのって俺だけか? 俺だけが幸せ? あきらはやっぱり俺といるのは負担か?」
俺はブルブルと首を振った。
友哉は無意識にずるいことを言う。そんな風に聞かれたら、答えはひとつしかないのに。
「俺もめちゃくちゃ幸せだよ……」
「だろ? ならそれでいいじゃないか。一緒に帰ろう。俺はやっぱり、あきらには生きていて欲しいよ」
俺は、自分が死ぬ時は友哉を道連れにするし、友哉が死ぬ時には俺を道連れにして欲しい。
ここで二人一緒に神隠しにあって、二人で永遠に閉じ込められることが、俺の望みに最も沿う形なのに。
そういう暗い願望を、きれいな友哉は理解しない。
「俺達の日常に帰ろう、あきら」
友哉は俺に手を伸ばした。
迷いの無い、きれいな笑顔で。
俺は友哉の手を握った。
この先何回も、この瞬間を後悔するだろうなと思いながら。
ガラリと遠くの鎧戸が開けられた。
「倉橋友哉! 久豆葉あきら! どこにいる! 倉橋友哉! 久豆葉あきら! 返事をしろ!」
泣きそうなハルの声がこの不思議な空間に響いて来た。
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