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4話 イラリオ王の誕生
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(三人称視点)
会場はレイチェルが静かに退場したことで水を打ったように静まり返っていた。
「兄上は何をされたか、分かっておられるのですか!」
男性にしてはやや高い音域の声で険のある言い方で発言をするのは第二王子のレジェスだった。
現在、十四歳。
まだ、変声期を迎えていない彼の声はともすれば、少女のように聞こえる可愛らしいものである。
それが刺々しく、いつになく凄みを利かせた言い方をともなれば、話は違ってくる。
レジェスの発言を切っ掛けに会場は突如、息を吹き返したように騒然としだした。
今後の対応をどう取るべきかと悩む者達もいれば、怒りに任せ、イラリオに詰め寄ろうとする者までいる始末である。
急に慌ただしくなった会場。
そんな様子を見てもイラリオは自らの行動を省みることはなかった。
身体にしがみついているヒメナを安心させるように優しく、抱き寄せると壇上から、レジェスを見下すように虚ろな視線を向けた。
「レジェス。お前には失望したぞ」
「何ですって?」
「分からないのか? この余に対して無礼にもほどがあるだろう! そう言っているのだ! 余は……余こそが王である」
イラリオの言葉を受けてレジェスの顔色がさっと変わる。
彼は何か言おうとして口を開きかけたが言葉が出てこなかったのか、ギュッと血が滲むほどに唇を噛み締めることしか出来なかった。
「レジェス様。ここは一旦、引くべきです」
「分かった……」
レジェスの後ろに控えていたトビアスが耳打ちをするとレジェスはハッとした表情を浮かべ、すぐに小さく首肯した。
そして、トビアスと共に騒然としている人混みの中に消えていった。
その背中を見送るイラリオの顔に浮かぶのは愉悦とでも言うべき醜悪なものだった。
「ふんっ。相変わらず、意気地のない奴だ。だが、まぁいい……これから先、奴もゆっくりと余の力を思い知ることだろう」
勝ったと確信し、傲慢な態度を隠そうともしないイラリオを満足そうに見つめるヒメナの顔に浮かぶのは蠱惑の色である。
オスワルドとビセンテ両名もまるで熱に浮かされたようにヒメナへと視線を送っていた。
「さあ、余は満足である。皆の者、今日は無礼講にするがよい!」
イラリオの増長した発言に異議を唱えるものはいない。
何故なら、現時点では彼こそが国の頂点に立つ男なのだから。
イラリオが即位宣言をしてからの会場は雰囲気が混沌としていた。
良識ある人間がイラリオのことを不敬だと非難する一方、彼に媚びへつらうような態度を取る者もいたからだ。
非難した者達はイラリオの乾杯にも賛同することなく、レイチェルと同じように会場を辞していった。
残った者達は媚びへつらう有象無象の輩ばかりである。
そのほとんどが男爵・子爵といった低位の貴族であり、伯爵とは名ばかりの貧乏貴族もいた。
彼らは自分達よりも上位に位置する存在に平伏し、少しでも良い印象を与えようと必死になっているだけの道化に過ぎなかったのだ。
卒業パーティーを途中で辞した令息・令嬢から、会場で何が起きたのかが伝えられていく。
人の口と耳は止められないものだ。
真実という名の事の顛末はさながら、燎原の火の如く、広まっていった。
王都にタウンハウスを持つ有力な貴族は早馬を走らせ、領地にいる家族や親族に連絡を取り始める。
当然のことながら、それは王家に仕える騎士爵家の面々も同じだった。
トビアスもまた、王都を去るべく、いつでも出立が出来るよう旅装束に身を包んでいた。
学園の寮で五年間、生活をしていたとは思えないほどに簡素な部屋のインテリアだった。
生きていく上で必要最低限の家具しかなかったのである。
その為、まとめられた荷物は信じられないくらいの少なさになっていた。
「荷物はそれだけなんだ?」
半ば驚き、半ば呆れ。
トビアスの荷造りに付き合っていたのは第二王子レジェスだった。
「はい。これだけで十分ですよ」
母である辺境伯デボラには事の次第を伝えてあった。
火急の知らせの時のみに使うことを許された特別な手段を使ったのだ。
西と南への渡りも既に付けてある。
準備は万端である。
身一つで持って、領地に戻るつもりでいるトビアスだったが、レジェスはそのことについて、納得していない様子だった。
「本当にこれでいいのかい? 僕なら、もっと色々と持っていくけどね。例えば、そうだね……」
「お二方なら、大丈夫ですよ」
「そうなのかい?」
「既に都を落ちているはずです。我らも急ぎましょう」
レジェスはまだ、納得のいかない表情をしていたが、落ち着いた様子のトビアスに無理矢理、促されるように馬上の人となるのだった。
国王夫妻が友好国に外遊中を狙った第一王子イラリオによる政変。
政変というにはあまりにお粗末な卒業パーティーでの怪事は平和だった王国を一変させることになる。
事の次第を知った有力貴族はタウンハウスを引き払う準備を始めている家が多く、一週間もすれば、貴族の邸宅が並ぶ通りに人気がなくなることだろう。
第一王子イラリオは元々、容姿のみの王子と呼ばれていた凡庸な人物だ。
学業や武芸だけではなく、人格においても年下の弟王子達の方が優れていると見られていた。
彼が学園を卒業する年齢になるまで立太子の儀を行っていなかったのも偏にそのことが大きい。
そこにきて、イラリオが政変を起こしたのである。
弟王子達はさらなる混乱とこれ以上の事態の悪化を防ぐべく、動き始めた。
第二王子レジェスは北のブレイズ辺境伯。
第三王子アーロンは西のウィンディ伯爵。
第四王子エリアスは南のフロウ侯爵。
有力な大貴族を頼り、落ち延びる弟王子達。
それに追随し、力になろうと動く家もあったが、日和見する家が大多数を占めていた。
王都に残っているのは取り残され、不安に怯える民衆と狂える王イラリオに迎合する一部の貴族だけとなったのである。
しかし、これらは後に起こる異変に比べれば、前兆とも言えないような些細な物であった。
『聖女』が王都からいなくなり、起きる異変の影。
それが日に日に濃くなっていることにまだ、誰も気付いていない。
会場はレイチェルが静かに退場したことで水を打ったように静まり返っていた。
「兄上は何をされたか、分かっておられるのですか!」
男性にしてはやや高い音域の声で険のある言い方で発言をするのは第二王子のレジェスだった。
現在、十四歳。
まだ、変声期を迎えていない彼の声はともすれば、少女のように聞こえる可愛らしいものである。
それが刺々しく、いつになく凄みを利かせた言い方をともなれば、話は違ってくる。
レジェスの発言を切っ掛けに会場は突如、息を吹き返したように騒然としだした。
今後の対応をどう取るべきかと悩む者達もいれば、怒りに任せ、イラリオに詰め寄ろうとする者までいる始末である。
急に慌ただしくなった会場。
そんな様子を見てもイラリオは自らの行動を省みることはなかった。
身体にしがみついているヒメナを安心させるように優しく、抱き寄せると壇上から、レジェスを見下すように虚ろな視線を向けた。
「レジェス。お前には失望したぞ」
「何ですって?」
「分からないのか? この余に対して無礼にもほどがあるだろう! そう言っているのだ! 余は……余こそが王である」
イラリオの言葉を受けてレジェスの顔色がさっと変わる。
彼は何か言おうとして口を開きかけたが言葉が出てこなかったのか、ギュッと血が滲むほどに唇を噛み締めることしか出来なかった。
「レジェス様。ここは一旦、引くべきです」
「分かった……」
レジェスの後ろに控えていたトビアスが耳打ちをするとレジェスはハッとした表情を浮かべ、すぐに小さく首肯した。
そして、トビアスと共に騒然としている人混みの中に消えていった。
その背中を見送るイラリオの顔に浮かぶのは愉悦とでも言うべき醜悪なものだった。
「ふんっ。相変わらず、意気地のない奴だ。だが、まぁいい……これから先、奴もゆっくりと余の力を思い知ることだろう」
勝ったと確信し、傲慢な態度を隠そうともしないイラリオを満足そうに見つめるヒメナの顔に浮かぶのは蠱惑の色である。
オスワルドとビセンテ両名もまるで熱に浮かされたようにヒメナへと視線を送っていた。
「さあ、余は満足である。皆の者、今日は無礼講にするがよい!」
イラリオの増長した発言に異議を唱えるものはいない。
何故なら、現時点では彼こそが国の頂点に立つ男なのだから。
イラリオが即位宣言をしてからの会場は雰囲気が混沌としていた。
良識ある人間がイラリオのことを不敬だと非難する一方、彼に媚びへつらうような態度を取る者もいたからだ。
非難した者達はイラリオの乾杯にも賛同することなく、レイチェルと同じように会場を辞していった。
残った者達は媚びへつらう有象無象の輩ばかりである。
そのほとんどが男爵・子爵といった低位の貴族であり、伯爵とは名ばかりの貧乏貴族もいた。
彼らは自分達よりも上位に位置する存在に平伏し、少しでも良い印象を与えようと必死になっているだけの道化に過ぎなかったのだ。
卒業パーティーを途中で辞した令息・令嬢から、会場で何が起きたのかが伝えられていく。
人の口と耳は止められないものだ。
真実という名の事の顛末はさながら、燎原の火の如く、広まっていった。
王都にタウンハウスを持つ有力な貴族は早馬を走らせ、領地にいる家族や親族に連絡を取り始める。
当然のことながら、それは王家に仕える騎士爵家の面々も同じだった。
トビアスもまた、王都を去るべく、いつでも出立が出来るよう旅装束に身を包んでいた。
学園の寮で五年間、生活をしていたとは思えないほどに簡素な部屋のインテリアだった。
生きていく上で必要最低限の家具しかなかったのである。
その為、まとめられた荷物は信じられないくらいの少なさになっていた。
「荷物はそれだけなんだ?」
半ば驚き、半ば呆れ。
トビアスの荷造りに付き合っていたのは第二王子レジェスだった。
「はい。これだけで十分ですよ」
母である辺境伯デボラには事の次第を伝えてあった。
火急の知らせの時のみに使うことを許された特別な手段を使ったのだ。
西と南への渡りも既に付けてある。
準備は万端である。
身一つで持って、領地に戻るつもりでいるトビアスだったが、レジェスはそのことについて、納得していない様子だった。
「本当にこれでいいのかい? 僕なら、もっと色々と持っていくけどね。例えば、そうだね……」
「お二方なら、大丈夫ですよ」
「そうなのかい?」
「既に都を落ちているはずです。我らも急ぎましょう」
レジェスはまだ、納得のいかない表情をしていたが、落ち着いた様子のトビアスに無理矢理、促されるように馬上の人となるのだった。
国王夫妻が友好国に外遊中を狙った第一王子イラリオによる政変。
政変というにはあまりにお粗末な卒業パーティーでの怪事は平和だった王国を一変させることになる。
事の次第を知った有力貴族はタウンハウスを引き払う準備を始めている家が多く、一週間もすれば、貴族の邸宅が並ぶ通りに人気がなくなることだろう。
第一王子イラリオは元々、容姿のみの王子と呼ばれていた凡庸な人物だ。
学業や武芸だけではなく、人格においても年下の弟王子達の方が優れていると見られていた。
彼が学園を卒業する年齢になるまで立太子の儀を行っていなかったのも偏にそのことが大きい。
そこにきて、イラリオが政変を起こしたのである。
弟王子達はさらなる混乱とこれ以上の事態の悪化を防ぐべく、動き始めた。
第二王子レジェスは北のブレイズ辺境伯。
第三王子アーロンは西のウィンディ伯爵。
第四王子エリアスは南のフロウ侯爵。
有力な大貴族を頼り、落ち延びる弟王子達。
それに追随し、力になろうと動く家もあったが、日和見する家が大多数を占めていた。
王都に残っているのは取り残され、不安に怯える民衆と狂える王イラリオに迎合する一部の貴族だけとなったのである。
しかし、これらは後に起こる異変に比べれば、前兆とも言えないような些細な物であった。
『聖女』が王都からいなくなり、起きる異変の影。
それが日に日に濃くなっていることにまだ、誰も気付いていない。
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