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限界
しおりを挟むバシーッ!!
頭から顔にかけて右半分に強い衝撃が走る。
痛っ…!!顔をしかめ反射的に手を痛む範囲に当てる。
やだ…もう…まただ。私はしゃがみこんだ。体育館にボールが転がっていく。
ふふふっ!…はははは!数人の笑い声が遠巻きに聞こえる。だれが投げて、私にぶつけたのか。あの4人のうちの誰かだろう。見当は付いている。
体育の時間だった。バレーボールのレシーブとトスの練習。「ふたりペアになって練習してください。」こういうのがいつも困る。私とペアになってくれる人がいないんだもの…。案の定ひとりぼっちでポツンとしている私めがけて、誰かがバレーボールをぶつけて来たのだ。何でいつも私に意地悪をするの…?…そう。私はいじめに遭っている…。
バレーボールのトスとレシーブの音が、生徒達の騒ぎ声と共に体育館中に反響している。私がボールをぶつけられた事など、先生は気づいていないだろう。
「優花!ペアがいないんだろ?!私が組んであげるって!」大声を出して木下香澄が近付いて来るなり、私の腕をぐいぐい引っ張って"彼ら"の所に連れて行こうとした。私はゾッとする。私が一番怖れている相手が香澄なのだ。連れて行かれて何をされるかわかったものではない。私はここ一番の強力な動きで香澄の手を振りほどくと、一目散に逆方向へ走った。体育なんてもういい。帰りたい。おい!待てよ!!どうした?!香澄や先生の声が背中に降って来たように感じたが知った事では無い。
誰も居ないクラスに戻ると急いで制服に着替え、取るものもとりあえず学校を後にした。
2008年、落ち葉舞う秋の頃だった。
中学2年生の私、佐藤優花は、陰鬱な日々を送っていた。
学生である私にとって、学校生活は、日常に於けるほぼ全てと言って良かった。辛いスクールライフは憂鬱でしかなかった。
家に着くと母が居た。
「あ…あれ、しご 仕事は?」咄嗟にそう言った。母は私を見ると
「優花!?何で帰って来たの!学校は?」とまくし立てた。
「今日は…は…早く帰れる日だったの。」と嘘を言い、
「おか お母さんこそ、し…仕事は」と問うと、
「電話があってね。病院にお見舞いに行かないとならなくなったのよ」
そこで家の電話が鳴った。プルルルルル…。
「はい、佐藤です。」母が出る。
「あ、小谷先生、いつも優花がお世話に……え?はい、帰っておりますが。え?まあ!…はい……そ…そうですか。わかりました。優花と話しておきます。はい。はい。大丈夫です。わかりました。ありがとうございます。はい。それでは。」
まずい…ばれた。私は青ざめる。
「優花……体育の授業抜け出したって…?」私は母の視線を逸らす。
「先生、優花がちゃんと帰ってるなら良かったって。あんたね、勝手に学校抜けたりしてきちゃダメじゃない!とりあえずね、母さん今は急ぐから…。ああ、あなたも一緒に病院行く?そうだよ丁度いい、来なさい。さ、車に乗って」
え…?また母にくどくどグチグチ説教を受けることを覚悟していた私は予想外の言葉に困惑した。
「だ…誰のお見舞いに行くの?」
「おじいちゃんよ。」
車の中でも母は意外と私が学校をサボった事を話題にしなかった。まぁ、サボりたくなる、そんな日もあるんじゃない?くらいに軽く受け止めているのだろうか。
実は娘が同級生からずっと嫌がらせを受けていると知ったらどう思うだろう。ショックを受けるだろうか。
うちは母子家庭だ。
余計な心配をかけたくない思いはある。でも、訊いて欲しいような気もした。
もっと私を気に掛けて欲しい。母はずっと自分と仕事、生活の事で精一杯なのだ。
いつだって余裕が無い。
「おじいちゃん、いよいよ良くないみたいなの。ねえ優花…おじいちゃんが天国逝ったらさ、遺産、うちも少しは相続出来るといいよね。お金が欲しいのよ~~。」母は、ムリかな~…とため息をつきながらぼんやりした顔で車を運転している。そうか、お母さんはお金の事で頭が一杯なんだ。私よりお金に興味があるばかりか。私は少し残念な気がしながらも、母が勝手に学校を早退した私を咎めない理由がわかったと思った。
「お…おじいちゃん」
502号室。病室に着くと、力無くベッドに横たわった祖父が居た。今にもあの世に旅立ってしまいそうに感じて、私は呼び掛けた。祖父には点滴と、何かよくわからない機材が身体に繋げてある。導尿カテーテルも刺さっているようだ。
「おお……優花か」
祖父は目をうすく開き、囁くように言った。私のこと、ちゃんとわかるみたい。まだまだ、大丈夫だよね。
「お父さん調子はどう。」母が尋ねると、
「まぁ…もうそう長くはないて。」
冗談を言うように祖父は少し笑う。
「そんなこと言わないでよ。」母が涙ぐんだ。
「まだ…若いじゃない」母は祖父の手を両手で握った。
私は思う。お母さんたら泣いている。まさか演技?さっきまで早く遺産が欲しいとか言ってたのに…。本心がわからなくて、私は少し母を怖いと感じる。
「優花…来てくれて……ありがとう。
顔を見られて嬉しいよ…」
今度は祖父が涙ぐんだ。
「ひ…さしぶりだもんね…おじ…おじいちゃん。」私は言った。嫌になる。こんな時でもどもってしまう。
中学に入ってから、ずっと吃音が直らない。同級生に嫌がらせをされているせいだ。私はそう思っている。
祖父はしかしそんな事は気にならないようで、にっこりと弱々しく私に微笑んだ。私はその笑顔に不意を突かれた。急に鼻がムズムズして涙がこみ上げる。私なんかに微笑んでくれるおじいちゃん。こんな私なんかに……!私はいたたまれなくなって病室から出た。扉は閉めず祖母たちからは見えないように、壁に背を向けて肩を震わせた。扉は…勝手に閉まった。
おじいちゃん…こんな孫でも、私のこと、好き?私は…もうすぐ死んじゃうかもしれないおじいちゃんのことが、『羨ましい』と言うのに…!
「ねぇ…。罰…当たりだね わた 私は罰当たりのろく ろくでなしだね…」怯えたように酷くどもり小さく呟きながら涙を拭っていると、祖父の病室の隣から不穏な騒ぎが耳に飛び込んで来た。
「…嘘だよ、裕ちゃん…私は、諦めないよ、裕ちゃんのこと。きっと元通り元気になるもん。信じてるもん……」
若そうな女性のボソボソとした声が嗚咽と共に聴こえた。私はハッとして反射的に耳を澄ます。ゆうちゃんって誰かな、おじいちゃんの隣の503号室に入院してる患者かな。きっとそうだ…。
「耐えられやしないよ。礼花の辛そうな顔を、もう見たくないんだ。」
次に割とはっきりとした声で男性の声が聴こえた。その声は泣いてなどいないようだった。
「もう二度と、ここには来ないでくれ。」
抑えめの冷静な声は、キッパリとそう言った。
数秒後、ガラッ!
隣の病室のドアが開き、涙を目にいっぱい溜めた女の人が出てきた。祖父の病室のドアに張り付いていた私と目が合った。彼女の涙が一粒ポロリとこぼれて落ちる。
「あ…」私は見ていけないものを見たようで、どうして良いかわからず、目を逸らしておどおどしていると、彼女は一瞬苦しそうな悲しい表情を浮かべたようだった。そしてフイと私に背を向け去って行った。
その時私は目撃した。
隣の病室のドアが閉まる瞬間に、その病室の中の人を。思い詰めた表情でベッドに座る男の人を。その辛そうな目が…忘れられなかった。あの人が…裕ちゃんて人だろうな。
「優花?どうしたの?おじいちゃん、寝ちゃいそうよ」母の声がして、急いで祖父の病室に戻った。祖父は寝息を立てている。とても…安らかだ。
「また…来るね、おじいちゃん」私はそう言うと、母と病院を後にした。
「優花、おじいちゃんの遺産の話さ、優花みたいな可愛い孫が居た方が、もらえるかもしれないんだから!ちゃんと見舞ってよ。もっと手を握ってさぁ、アピールしといてさぁ。」帰りの車の中での母の言葉に
「え…そ…そんなこと…知らない」と言うと
「今から遺言直すかもしれないじゃん?」と母。私はまだ祖父が元気なうちにこんな話はしたくなくて黙った。もうこの件に関してはずっと黙ることに決めた。普通に考えて祖母は亡くなり、母には兄が一人居るふたり兄妹だから、兄妹仲良く二分するだけではないのか。何を母は欲を出しているのだろう。だいたい、母が最近浮ついているのを私は知っている。母にはきっと…いい人が出来たのだ。デート代でも欲しいのだろうかと私は勘繰った。
翌日の学校での事は、思い出したくもない。
登校するなり、香澄に両手で髪の毛を掴まれて教室の隅に連れて行かれると、香澄のグループに囲まれた。
「お前昨日よくも逃げたな…」
睨み、小声でそう言われた。私は怖くて何一つ声が出ない。明らかに敵意剥き出しの四人に、たった一人囲まれるという経験が、あなたにあるだろうか。
これが私の日常だ。
恐ろしくて震えそうになる。
心臓がドキドキと高鳴る。
これから何かしらの暴力を受ける。
わかっているのだ。
香澄に脛を思い切り蹴られた。ああっ…!と私は情けない声を上げるとその場に倒れた。右脛が痛む。鈍痛…絶対、痣になる…。
「おいお前、ドモリの優花、キョドッてんじゃねーよキモイんだよ」
背中を足でどつき回される。私は震えが止まらない。
「せっかく仲間に入れてやろうとしたんだ昨日は。帰りやがって。先生に色々訊かれて面倒だったんだぞコラ」
「あ、こいつニキビ出来てるな、このアクネ菌」
色々悪口を言われたけど、私の心の傷は深かったのだ。あっという間に他人にされても構わないと思える許容範囲を超えていたから。私の情報処理速度は追いつけなかった。痛み以外に殆ど覚えていない。ただその日は、それでもましな方だった。引っ張られたり叩かれたり、ゴミ箱の中身を頭からかけられたりしたけど、トイレでバケツの水をかぶったり、便器の水を飲めと言われたりは無かった。なるべく先生のそばに居た。彼らは先生が居るところであからさまな事は出来ないんだから。
なんとかかんとか1日を乗り切り、重い気持ちで帰宅した。涙を流すのも恥ずかしい。香澄たちのせいで涙を流すなんてバカバカしい。だけど自然に泣けてくる時がある…。自転車をこぎながら、ぼやけた視界に我が家の玄関を捉えた。…と思ったら人が居る。あれ、お母さん今日ももう居るの?と近寄ると違った。
お母さんじゃない。誰この男の人…。私は立ち止まる。うちの玄関に居たその男の人は、私に一瞥をくれると母を見た。彼の後から母が来たのだ。母は、
「優花。私のひとり娘です。」とにやけた表情で私を紹介した。
「ふうん、大きいね」とだけ男は言い、母は
「まだ中1よ」と答えた。私はハッとした。あ、この人なんだ。お母さんの、『いい人』って。やだな……。私を見て挨拶のひとつもない。感じ悪い、と思った。本当のお父さんとは全然違うな。お母さん、なんでこんな人と…。私はこの時、正に、絶望を感じたんだと思う。
学校は、地獄です。
けど、家にも居場所が無くなるのかな…。
今までもお母さんは留守がちで、居ても上の空だったりで会話があまり無かったけど、それでも、母娘ふたりでいられたら、家では私は幸せだったんだ。私は頭にガーンと一撃喰らったかのようなショックを受けて、ガクガク足が震え出した。ボーッと見ていたような男が、おい、どうした?大丈夫か?と言ったようだったけれど、私はすぐさま自転車に跨ると帰ってきた道を引き返した。優花?!って母の声も聞こえた気がした。
うるさい。うるさいうるさいうるさい。知らない。お母さんなんて知らない。勝手に変な人と幸せに暮らせば!私の事なんて、要らないんでしょう。そうでしょうもうずっと前から…!!
父が出て行った時の事を鮮明に覚えている。
尊敬していた、優しくて大好だったお父さん。よく一緒に遊んでくれた。イライラしがちな母よりずっと、親身に接してくれて、子煩悩だった。私の事をすごく愛してくれている…そう思っていた。浮気して離婚して出て行くまでは。
父が浮気相手の女性を取った事は、私にトラウマを残した。お父さんは、お母さんと私より、その若い女を選んだ。私はお母さんと一緒に捨てられたんだ…。父の事が大好きで、父親としても非の打ち所がないくらい良い父だと思っていただけに、急に捨てられた時のショックは計り知れなかった。酒飲みで暴力でも振るうような、最低で大嫌いな父だったほうがましだったと言ってもいい。私が小学校をまだ卒業していないうちに父は出て行った。最後の方は、私と目を合わせる事も避けていた。私は真っ白だった。真っ白な灰になって、風に飛ばされて消えそうだ。いやむしろ消えたい。自分自身が信じられなくなった。父にも捨てられるような私。存在価値がわからない。それからどうやって中学生になったのか…。ボヤボヤしていたら、同級生に目をつけられた。暴力を、受けるようになった。
…今私の学校生活が辛いのは、お父さんのせいかも。私は思った。
お父さんに捨てられて、お母さんも私を邪魔にするの。
私は涙がとめどなく流れるのをそのままにして自転車で走った。行くあては無かった。もう限界だった。心が壊れると思った。けれど、その時ふと浮かんだのが、祖父のあのあたたかい、慈愛に満ちた笑顔だった。
おじいちゃん……。
私の自転車は祖父の入院している病院に向かっていた。
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