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番外編 2 ある日の出来事
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アラバスとマリアの子供である双子もすくすくと育ち、国王と王妃主導で初めての誕生日パーティーの準備も進んでいる。
第一級来賓のためのパーティーでも、ここまではしないだろうと思われるほどに入念なその準備に、王族居住区の使用人たちはあくせくと動き回っていた。
「おい、アラバス。どうしたんだ? こんなところで」
宰相から預かった書類を執務室へ運んでいたアレンが、廊下で立ち竦むアラバスを見て声を上げた。
「ケンカ中だ」
「え? マリアちゃんと? 夫婦喧嘩は犬も喰わんらしいが……ちょっ! お前その頬!」
アラバスの右頬が少し赤く腫れていた。
「夫婦喧嘩じゃない。マリアとマリアちゃんがケンカしてるんだよ。止めに入ろうとしたら、マリアの手が当たっただけだ。殴られたわけじゃないから心配ない」
「それにしてもマリア妃とマリアちゃんがケンカ? 物凄くややこしいんだけど……何が原因なんだ?」
「国王と王妃が双子を連れて庭で遊んでいたのを見たマリアちゃんが、不貞腐れたんだよ。最近はちっともマリアに構ってくれないってブンむくれだ。それをマリアが窘めたんだが、マリアはあの子たちの母親だから、マリアちゃんに我慢しろって言ったんだ」
「まあ、そうなるわな」
「そしたらマリアちゃんが『依怙贔屓だ! 差別だ! 横暴だ!』って暴れだした」
「はぁぁぁぁ……めんどくせぇ。それで止めに入って巻き込まれたのか」
アラバスが深い溜息を吐いた。
「口喧嘩なら良かったんだが、マリアちゃんがマリアの大切にしている小物入れを投げたんだ。そうしたら今度はマリアが怒って、マリアちゃんのバシュを投げた。もうあとは手当たり次第だよ」
「なあ……それってどんな状況?」
アラバスが眉尻を下げて扉を少し開けて見せた。
部屋の真ん中で簡素なドレスを身につけたマリア妃が、ひとりで喚き散らしている。
どうやら今はマリアちゃんターンのようだ。
「嫌なの! マリアも遊ぶの! パパもママもマリアが一番なの! アシュもマリアのの!」
今度はマリア妃が出てきたようだ。
「我儘言わないで! あの子たちはパパとママにとって孫なのよ? この世で一番大切な存在なの! どうしてそれがわからないの? 今までマリアちゃんはいっぱい遊んでもらったでしょ? 今はあの子たちに譲ってあげてよ! まだ赤ちゃんなんだから!」
「いやぁぁぁぁぁ!」
「うるさぁぁぁぁい!」
アレンはそっとドアを閉めた。
「なんだかものすごくリアルな一人芝居を見ているみたいだ。あそこに入ったのか? アラバス、お前って勇気あるな」
アラバスが肩を竦める。
「俺はどちらの肩を持てばいい?」
「来年の国家予算策定より難題だ」
なかなか帰ってこないアレンを探しにトーマスがやってきた。
「何やってるんだ? なかなか帰ってこないから仕事が止まってるぞ」
アラバスとアレンがほぼ同時にトーマスを見た。
「あっ、お兄ちゃまだ」
アレンの声にトーマスが不思議そうな顔をする。
「そうだな、夫としては情けない限りだが、ここは義兄殿を頼ろう」
アラバスも頷いている。
「いったいどうしたんだよ」
二人がトーマスに状況を説明していると、吞気な顔で鼻歌を歌いながらカーチスが通りかかった。
「おっ! カーチス、お前のことを今度から夏の虫と呼んでやろう」
ニヤッと笑ったのはやはりアレンだ。
「どうしたの? みんなで集まってさぁ。それにここはマリア妃の部屋じゃん。あれ? 兄上……どうしたんだよ、その頬」
今度は三人がかりでカーチスに状況説明をする。
「うわぁ……そりゃ大変だ。じゃあ僕は忙しいから、ここで失礼させていただくよ」
アラバスがカーチスの右腕をとり、トーマスが左腕を掴む。
アレンは逃げられないように背後から羽交い絞めをした。
「いや……無理っしょ……いやいやいやいや……兄上がなんとかしなよ!」
「俺はどちらの味方をしても禍根が残る。お前とトーマスが適任だ」
「アレンは?」
「いや、お前たちは親族だろ? 僕はとても親しい友人枠だからさ。へへへ」
「こんな時だけズルいよ!」
「いや、冷静に考えろ。お前が今抱えている案件は、僕のヘルプがあれば最短で最高の結果が出るはずだ。違うか?」
「違わない」
「自分一人でやるか? あの面倒な仕事を」
「……」
「さっさと決めろ!」
半泣きの顔で頷いたカーチスだった。
「トーマスがマリア妃を止めてよ。僕はマリアちゃんを止めるから」
二人は頷きあってから扉を開けて飛び込んでいった。
「なんだか敵陣に突っ込む先鋒決死隊のような顔だったな」
アラバスの声にアレンが頷いた。
「第二王子殿下と侯爵閣下がマリアちゃんの前では一兵卒か……妙な感動を覚えるな」
差し迫った仕事よりも、今はこちらの解決が大事だとばかりに、二人はドアの隙間から中の様子を伺っている。
「何をしてる?」
左右の腕に双子を一人ずつ抱えた国王が、宰相と共に通りがかった。
アレンの父である宰相が、ピンクとブルーのおもちゃ箱を両手で抱えている。
「父上……子守ですか?」
「ああ、遊び疲れて寝てしまってなぁ。この間に仕事をしようかと思って部屋に戻すところだ。カレンは疲れてしまって……ん? どうした?」
国王は侍女を呼び双子を託した。
侍女たちは宝物を運ぶように双子を部屋へと連れて行く。
アラバスが国王に状況を説明した。
「なるほどな……嫉妬か。ふふふ……ははははは! ジェラシー! やっほい!」
嬉しそうに笑う国王と、苦虫を嚙みつぶしたような顔のアラバス。
後ろから声をかけてきたのは王妃だった。
「いつまでも戻ってこないと思って探しに来てみれば! 何を遊んでいるのですか!」
国王と第一王子が数センチ飛び上がったのをアレンは見逃さなかった。
「遊んでいるわけではないんだよ。マリアちゃんがヤキモチを焼いて大変なんだってさ」
「どういうことですの?」
説明も回を重ねるごとに要領よくなっていくアラバス。
「まぁ! 何てこと! でもそうよね……このところマリアちゃんと遊んでいないもの。でもお昼は王子妃としての執務でしょ? 午後は育児だし、夜はアラバスが放さないし。そう考えると確かにマリアちゃんの出る幕は無かったわよね」
この国のトップスリーは反省しきりだ。
「今はトーマスとカーチスが生贄……いえ、説得に入っています。今なら全員でマリアちゃんと話せますよ? ご機嫌をとるチャンスじゃないかな」
アレンの言葉に全員が頷いた。
王妃が通りがかった侍女に、スミレの砂糖漬けを瓶ごと持ってくるように言う。
その横で、国王が侍従にすぐに出せるスイーツを全て持ってくるように命じていた。
「本日のスケジュールは再調整いたしましょう。二時間ほどならなんとか確保いたします」
国王の後ろに立ってたラングレー宰相がそう声をかけた。
ちなみに宰相はまだおもちゃ箱を抱えたままだ。
「すまんなラングレー、よろしく頼む」
国王が申し訳なさそうに言った。
「じゃあ僕は仕事を進めておきますよ。このままじゃ後が大変だ」
そう言ったアレンに、アラバスが頷いた。
「よろしく頼む。今はこちらを優先するしかない」
侍従が走るように持ってきたスイーツワゴンと、侍女が息を切らして差し出したスミレの砂糖漬けを受け取った国王夫妻は、いそいそと部屋へ入った。
「マリアちゃん! 遊びに来たよぉ。一緒におやつを食べようねぇ」
国王の声にマリアとトーマスとカーチスが振り向いた。
男二人はなぜかヨレヨレになっている。
「ご苦労だった」
疲れ果てている二人に、アラバスが労いの声を掛けた。
立ち上がって挨拶をしようとするマリア妃と、駆け寄ろうとするマリアちゃんが鬩ぎ合っているのか。マリアの体が不自然な動きをしている。
「やっと来たか……まあ、マリアちゃんは納得してくれたよ。あの子たちはマリアちゃんにとっても大事な子供達だからね」
カーチスが手の甲で額の汗を拭きながらニコッと笑った。
「カーチス……あなたまで育児の達人になるなんて。もうどこにお婿に出しても恥ずかしくないわ」
王妃がにこやかに答える。
「ママ! 会いたかったの! ずっとずっと我慢してたんだよ! うえぇぇぇぇん」
泣き出すマリアに王妃が駆け寄った。
「マリアちゃん! 寂しい思いをさせてごめんなさいね。ママもマリアちゃんに会いたかったのよ? でもほら……マリアちゃんはもうお母さんだもんね。子供のためには我慢しないといけないでしょう? 分かるかなぁ? マリアちゃん」
マリアが小首をかしげる。
「お母さん? マリアはお母さんじゃないよ? お母さんになったのはお姉ちゃんで、マリアはまだ五歳でしょ?」
マリア以外の全員が顔を見合わせた。
妊娠の原因となったあの日のあの行為も、出産そのものもマリアは経験していない。
ただ悪阻と腹囲の増加は知っているのだが、マリアにとっては『食べすぎ』と『便秘』として片づけているのだった。
アラバスがマリアに駆け寄った。
「なあマリア、マリアはお姉ちゃんと同じ体を共有しているということは理解しているだろう? だから同じ体のお姉ちゃんがお母さんになったということは、その体を使っているマリアもお母さんってことになるんだよ」
マリアが泣きそうな顔をしてアラバスにしがみついた。
「うん……わかるけど……マリアはまだ子供だもん」
「マリアはもう体も大人になって、後は心と知識を育てるだけだ。でもあの子たちはまだ体も子供というより赤ちゃんだろ? 守ってやらないと死んでしまうんだよ」
マリアの背中がビクッと震えた。
「死ぬの? あの可愛くてちっちゃいのが死んじゃうの? いやだぁぁぁぁぁぁ」
マリアは再び泣き出してしまった。
おろおろするアラバスを押しのけて王妃がマリアを抱きしめる。
「マリアちゃんは優しい子ね。そんなマリアちゃんにママがご褒美をあげましょう。何が良いかな?」
マリアがパッと顔を上げた。
「あのね、マリアね、パパとママとアシュとカチスとアエンとお兄ちゃまと一緒にピクニックしたいの。毎日じゃなくていいの。お姉ちゃんがお仕事の時はマリアはいい子にしてるし、夜にアシュと抱っこっこねんねするときも、ちゃんと歯を磨いてからねんねするよ? だからね、サンドッチ持ってね、スコンもビシュケットもたくさん持ってね、ピクニックしたいの」
「マリア……なんていい子なんだ。よし分かった。みんなでピクニックに行こうな。ジュースもお菓子もたくさん持って行こうな」
国王が半泣きの顔でマリアに駆け寄り頭を撫で始める。
突き飛ばされたアラバスはトーマスが助け起こした。
この国の尊き夫婦が嫁と三人で抱き合って泣いている。
呆れた顔をするアラバスとトーマスの横で、カーチスが何故かもらい泣きをしていた。
「たくさんごちそうを作ってもらおうね。マリアの好きなものばかりにしようか」
アラバスの言葉にマリアが満面の笑みを浮かべる。
「みんなで行くなら、あの子たちも一緒に行こうね? だってまだ赤ちゃんだもんね」
「マリアは優しい子だ。大好きだよ、俺のかわいい子ウサギちゃん」
言わされ過ぎたのか、最近のアラバスは何の照れもなくその言葉を口にするようになっていた。
「聞いているこっちが恥ずかしいよ」
カーチスがトーマスにぼやいている。
「そうか? 結婚するとやることになるんだぜ? 今のうちに慣れておけ」
トーマスの言葉にカーチスが目を丸くした。
「え……トーマスも家では言ってるの? マジで? ちなみにダイアナさんは何?」
「子リスだ」
カーチスが無表情のまま遠くへ視線を投げた。
その頃アラバスの執務室では、アレンと文官たちが書類の山に埋もれながら仕事をしていた。
「マリアちゃんのご機嫌取りの方が楽だったかもしれん……失敗した」
アレンの声に答えるような余裕のある者はいなかった。
第一級来賓のためのパーティーでも、ここまではしないだろうと思われるほどに入念なその準備に、王族居住区の使用人たちはあくせくと動き回っていた。
「おい、アラバス。どうしたんだ? こんなところで」
宰相から預かった書類を執務室へ運んでいたアレンが、廊下で立ち竦むアラバスを見て声を上げた。
「ケンカ中だ」
「え? マリアちゃんと? 夫婦喧嘩は犬も喰わんらしいが……ちょっ! お前その頬!」
アラバスの右頬が少し赤く腫れていた。
「夫婦喧嘩じゃない。マリアとマリアちゃんがケンカしてるんだよ。止めに入ろうとしたら、マリアの手が当たっただけだ。殴られたわけじゃないから心配ない」
「それにしてもマリア妃とマリアちゃんがケンカ? 物凄くややこしいんだけど……何が原因なんだ?」
「国王と王妃が双子を連れて庭で遊んでいたのを見たマリアちゃんが、不貞腐れたんだよ。最近はちっともマリアに構ってくれないってブンむくれだ。それをマリアが窘めたんだが、マリアはあの子たちの母親だから、マリアちゃんに我慢しろって言ったんだ」
「まあ、そうなるわな」
「そしたらマリアちゃんが『依怙贔屓だ! 差別だ! 横暴だ!』って暴れだした」
「はぁぁぁぁ……めんどくせぇ。それで止めに入って巻き込まれたのか」
アラバスが深い溜息を吐いた。
「口喧嘩なら良かったんだが、マリアちゃんがマリアの大切にしている小物入れを投げたんだ。そうしたら今度はマリアが怒って、マリアちゃんのバシュを投げた。もうあとは手当たり次第だよ」
「なあ……それってどんな状況?」
アラバスが眉尻を下げて扉を少し開けて見せた。
部屋の真ん中で簡素なドレスを身につけたマリア妃が、ひとりで喚き散らしている。
どうやら今はマリアちゃんターンのようだ。
「嫌なの! マリアも遊ぶの! パパもママもマリアが一番なの! アシュもマリアのの!」
今度はマリア妃が出てきたようだ。
「我儘言わないで! あの子たちはパパとママにとって孫なのよ? この世で一番大切な存在なの! どうしてそれがわからないの? 今までマリアちゃんはいっぱい遊んでもらったでしょ? 今はあの子たちに譲ってあげてよ! まだ赤ちゃんなんだから!」
「いやぁぁぁぁぁ!」
「うるさぁぁぁぁい!」
アレンはそっとドアを閉めた。
「なんだかものすごくリアルな一人芝居を見ているみたいだ。あそこに入ったのか? アラバス、お前って勇気あるな」
アラバスが肩を竦める。
「俺はどちらの肩を持てばいい?」
「来年の国家予算策定より難題だ」
なかなか帰ってこないアレンを探しにトーマスがやってきた。
「何やってるんだ? なかなか帰ってこないから仕事が止まってるぞ」
アラバスとアレンがほぼ同時にトーマスを見た。
「あっ、お兄ちゃまだ」
アレンの声にトーマスが不思議そうな顔をする。
「そうだな、夫としては情けない限りだが、ここは義兄殿を頼ろう」
アラバスも頷いている。
「いったいどうしたんだよ」
二人がトーマスに状況を説明していると、吞気な顔で鼻歌を歌いながらカーチスが通りかかった。
「おっ! カーチス、お前のことを今度から夏の虫と呼んでやろう」
ニヤッと笑ったのはやはりアレンだ。
「どうしたの? みんなで集まってさぁ。それにここはマリア妃の部屋じゃん。あれ? 兄上……どうしたんだよ、その頬」
今度は三人がかりでカーチスに状況説明をする。
「うわぁ……そりゃ大変だ。じゃあ僕は忙しいから、ここで失礼させていただくよ」
アラバスがカーチスの右腕をとり、トーマスが左腕を掴む。
アレンは逃げられないように背後から羽交い絞めをした。
「いや……無理っしょ……いやいやいやいや……兄上がなんとかしなよ!」
「俺はどちらの味方をしても禍根が残る。お前とトーマスが適任だ」
「アレンは?」
「いや、お前たちは親族だろ? 僕はとても親しい友人枠だからさ。へへへ」
「こんな時だけズルいよ!」
「いや、冷静に考えろ。お前が今抱えている案件は、僕のヘルプがあれば最短で最高の結果が出るはずだ。違うか?」
「違わない」
「自分一人でやるか? あの面倒な仕事を」
「……」
「さっさと決めろ!」
半泣きの顔で頷いたカーチスだった。
「トーマスがマリア妃を止めてよ。僕はマリアちゃんを止めるから」
二人は頷きあってから扉を開けて飛び込んでいった。
「なんだか敵陣に突っ込む先鋒決死隊のような顔だったな」
アラバスの声にアレンが頷いた。
「第二王子殿下と侯爵閣下がマリアちゃんの前では一兵卒か……妙な感動を覚えるな」
差し迫った仕事よりも、今はこちらの解決が大事だとばかりに、二人はドアの隙間から中の様子を伺っている。
「何をしてる?」
左右の腕に双子を一人ずつ抱えた国王が、宰相と共に通りがかった。
アレンの父である宰相が、ピンクとブルーのおもちゃ箱を両手で抱えている。
「父上……子守ですか?」
「ああ、遊び疲れて寝てしまってなぁ。この間に仕事をしようかと思って部屋に戻すところだ。カレンは疲れてしまって……ん? どうした?」
国王は侍女を呼び双子を託した。
侍女たちは宝物を運ぶように双子を部屋へと連れて行く。
アラバスが国王に状況を説明した。
「なるほどな……嫉妬か。ふふふ……ははははは! ジェラシー! やっほい!」
嬉しそうに笑う国王と、苦虫を嚙みつぶしたような顔のアラバス。
後ろから声をかけてきたのは王妃だった。
「いつまでも戻ってこないと思って探しに来てみれば! 何を遊んでいるのですか!」
国王と第一王子が数センチ飛び上がったのをアレンは見逃さなかった。
「遊んでいるわけではないんだよ。マリアちゃんがヤキモチを焼いて大変なんだってさ」
「どういうことですの?」
説明も回を重ねるごとに要領よくなっていくアラバス。
「まぁ! 何てこと! でもそうよね……このところマリアちゃんと遊んでいないもの。でもお昼は王子妃としての執務でしょ? 午後は育児だし、夜はアラバスが放さないし。そう考えると確かにマリアちゃんの出る幕は無かったわよね」
この国のトップスリーは反省しきりだ。
「今はトーマスとカーチスが生贄……いえ、説得に入っています。今なら全員でマリアちゃんと話せますよ? ご機嫌をとるチャンスじゃないかな」
アレンの言葉に全員が頷いた。
王妃が通りがかった侍女に、スミレの砂糖漬けを瓶ごと持ってくるように言う。
その横で、国王が侍従にすぐに出せるスイーツを全て持ってくるように命じていた。
「本日のスケジュールは再調整いたしましょう。二時間ほどならなんとか確保いたします」
国王の後ろに立ってたラングレー宰相がそう声をかけた。
ちなみに宰相はまだおもちゃ箱を抱えたままだ。
「すまんなラングレー、よろしく頼む」
国王が申し訳なさそうに言った。
「じゃあ僕は仕事を進めておきますよ。このままじゃ後が大変だ」
そう言ったアレンに、アラバスが頷いた。
「よろしく頼む。今はこちらを優先するしかない」
侍従が走るように持ってきたスイーツワゴンと、侍女が息を切らして差し出したスミレの砂糖漬けを受け取った国王夫妻は、いそいそと部屋へ入った。
「マリアちゃん! 遊びに来たよぉ。一緒におやつを食べようねぇ」
国王の声にマリアとトーマスとカーチスが振り向いた。
男二人はなぜかヨレヨレになっている。
「ご苦労だった」
疲れ果てている二人に、アラバスが労いの声を掛けた。
立ち上がって挨拶をしようとするマリア妃と、駆け寄ろうとするマリアちゃんが鬩ぎ合っているのか。マリアの体が不自然な動きをしている。
「やっと来たか……まあ、マリアちゃんは納得してくれたよ。あの子たちはマリアちゃんにとっても大事な子供達だからね」
カーチスが手の甲で額の汗を拭きながらニコッと笑った。
「カーチス……あなたまで育児の達人になるなんて。もうどこにお婿に出しても恥ずかしくないわ」
王妃がにこやかに答える。
「ママ! 会いたかったの! ずっとずっと我慢してたんだよ! うえぇぇぇぇん」
泣き出すマリアに王妃が駆け寄った。
「マリアちゃん! 寂しい思いをさせてごめんなさいね。ママもマリアちゃんに会いたかったのよ? でもほら……マリアちゃんはもうお母さんだもんね。子供のためには我慢しないといけないでしょう? 分かるかなぁ? マリアちゃん」
マリアが小首をかしげる。
「お母さん? マリアはお母さんじゃないよ? お母さんになったのはお姉ちゃんで、マリアはまだ五歳でしょ?」
マリア以外の全員が顔を見合わせた。
妊娠の原因となったあの日のあの行為も、出産そのものもマリアは経験していない。
ただ悪阻と腹囲の増加は知っているのだが、マリアにとっては『食べすぎ』と『便秘』として片づけているのだった。
アラバスがマリアに駆け寄った。
「なあマリア、マリアはお姉ちゃんと同じ体を共有しているということは理解しているだろう? だから同じ体のお姉ちゃんがお母さんになったということは、その体を使っているマリアもお母さんってことになるんだよ」
マリアが泣きそうな顔をしてアラバスにしがみついた。
「うん……わかるけど……マリアはまだ子供だもん」
「マリアはもう体も大人になって、後は心と知識を育てるだけだ。でもあの子たちはまだ体も子供というより赤ちゃんだろ? 守ってやらないと死んでしまうんだよ」
マリアの背中がビクッと震えた。
「死ぬの? あの可愛くてちっちゃいのが死んじゃうの? いやだぁぁぁぁぁぁ」
マリアは再び泣き出してしまった。
おろおろするアラバスを押しのけて王妃がマリアを抱きしめる。
「マリアちゃんは優しい子ね。そんなマリアちゃんにママがご褒美をあげましょう。何が良いかな?」
マリアがパッと顔を上げた。
「あのね、マリアね、パパとママとアシュとカチスとアエンとお兄ちゃまと一緒にピクニックしたいの。毎日じゃなくていいの。お姉ちゃんがお仕事の時はマリアはいい子にしてるし、夜にアシュと抱っこっこねんねするときも、ちゃんと歯を磨いてからねんねするよ? だからね、サンドッチ持ってね、スコンもビシュケットもたくさん持ってね、ピクニックしたいの」
「マリア……なんていい子なんだ。よし分かった。みんなでピクニックに行こうな。ジュースもお菓子もたくさん持って行こうな」
国王が半泣きの顔でマリアに駆け寄り頭を撫で始める。
突き飛ばされたアラバスはトーマスが助け起こした。
この国の尊き夫婦が嫁と三人で抱き合って泣いている。
呆れた顔をするアラバスとトーマスの横で、カーチスが何故かもらい泣きをしていた。
「たくさんごちそうを作ってもらおうね。マリアの好きなものばかりにしようか」
アラバスの言葉にマリアが満面の笑みを浮かべる。
「みんなで行くなら、あの子たちも一緒に行こうね? だってまだ赤ちゃんだもんね」
「マリアは優しい子だ。大好きだよ、俺のかわいい子ウサギちゃん」
言わされ過ぎたのか、最近のアラバスは何の照れもなくその言葉を口にするようになっていた。
「聞いているこっちが恥ずかしいよ」
カーチスがトーマスにぼやいている。
「そうか? 結婚するとやることになるんだぜ? 今のうちに慣れておけ」
トーマスの言葉にカーチスが目を丸くした。
「え……トーマスも家では言ってるの? マジで? ちなみにダイアナさんは何?」
「子リスだ」
カーチスが無表情のまま遠くへ視線を投げた。
その頃アラバスの執務室では、アレンと文官たちが書類の山に埋もれながら仕事をしていた。
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