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72 春乃の仕事
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「そのご神木いうんはどこにあるんか?」
「あの山の宮の後ろにありますんです」
「険しい道か?」
「馬でも通れんことは無いんですが、ご神木が生えとるのは大きな岩の天辺でしてのぉ。その岩を昇るとなると、並大抵じゃないのですわい」
「岩を昇る?」
「へぇ、ご神木に触れる者なら岩に取り付いてよじ登ることもできるんですが、そうでない者が昇ろうとするなら、命がけの力技ですわい」
伊十郎が首を傾げた。
「もう一つ意味が解らんが、要するにそのご神木の枝を春乃に取って来させにゃならんいうことじゃの?」
全員が声を出さないまま頷いた。
「しかし今日は無理じゃぞ? 春乃は慣れん騎馬で半日も続けざまに駆けてきたんじゃ。今ここで立っておるのも凄い事じゃからのぉ」
佐助が眉間に皺を寄せながら、曾我衆から得た情報を伝えた。
「一人だけ早く来るじゃと? しかし一人だけならなんとでもなろう?」
後ろから曾我衆の生き残りである曾我の二郎が声を出した。
「姿を見せるのはその男が一人ですが、その男には常に曾我衆の棟梁か若衆頭がついとるのです。あの二人にはわしらが束になっても叶わんのですわい」
「それほどの男が常に護衛している?」
「へぇ、姿は見せんけんど、絶対にどこかから見張っとりますけぇ」
「それはまた厄介じゃな。しかしなぜその男に?」
「それは……」
言い淀む二郎だったが、意を決したように口を開いた。
「あの男は大内の殿さまの落とし胤ですよ。本当なら今の当主よりも先に産まれとるけぇ嫡男になるはずじゃったんです。それが母親が卑賎の身でしてのぉ。隠されて毛利に預けられとるんですわい」
伊十郎が眉を寄せた。
「毛利の……そりゃ腫物扱いじゃったじゃろうのぉ。それにしても今の毛利の党首はまだ幼子じゃろ? 実権は次男の元就と……高橋か! あの野郎! 尼子を裏切っとったか!」
伊十郎の言う高橋とは石見の国に拠点を置く豪族だ。
その娘が毛利興元に嫁ぎ、現在四歳ながら家督を継いだ幸松丸の生母の父親として、幼すぎる当主に代わり毛利の実権を握っているといっても過言ではない人物だ。
「裏切るも何も、あいつはハナから日和見じゃったですよ。強いものに付いて己の領土を広げてきたんじゃから。その中でわしら曾我衆を雇い入れたんですわい」
伊十郎が苦虫を嚙みつぶしたような顔で言う。
「まあ元よりそんな男じゃったわい。そうか。あいつが糸を引いとったか。山内にも良い顔を見せてその隠し子を匿い、我ら尼子には知られんようにたたら場を掠め取っておったというわけじゃな」
「へぇ、そういうこってす。尼子の若殿を討った者にはたたら場を一つくれてやると言われとりましたんです。だからあの日……」
伊十郎がギュッと手を握り締めた。
「要するに若殿は桜井にやられたのではなく、高橋に討たれた言うことか」
誰も何も言わない。
ふとよねこの体がぐらっと揺れた。
駆け寄ったのは春乃だ。
「よねこちゃん!」
手拭いで覆われていたよねこの腕が露わになると、佐次郎の腹に埋まったままの腕が真紫に変色していた。
「こりゃいけん! すぐに抜いてやらにゃあ」
春乃がよねこの腕を掴んで引き抜こうと力を入れた。
ぶよぶよになっているよねこの皮膚は、すでに佐次郎の腹膜と癒着しているのか動かすたびに傷口から血が吹き出す。
「ここで抜いたら動かせんようになる。もう少しの辛抱じゃ。よねこ、頑張ってくれ」
コクンと頷いたよねこが春乃の目を覗き込んだ。
「え? うん、わかった。私は大丈夫じゃけ。すぐにも行ってくるけえね」
春乃が立ち上がった。
伊十郎が慌ててふらつく春乃の体を支える。
「無理をするな!」
「でも早う行かんと佐次郎さまもよねこちゃんも死んでしまいますけぇ」
確かに春乃の言う通りではあるが、たたら場衆の話が本当だとすると、大岩に昇ってご神木の枝を落とすという大仕事に耐えられるとは思えない。
「せめてあと半日は休め。そうでなければご神木に辿り着く前にお前が死ぬぞ」
「私は大丈夫ですけぇ!」
行こうとする春乃と、止めようとする伊十郎の声が小屋の外まで聞こえていた。
その時、ガタッと音がして小屋の戸を蹴破り、流星がぬっとその巨体を差し込んでくる。
「流星?」
伊十郎がそう呟いた時、小屋の横壁からダダンと鈍い音がした。
「何事か!」
慌てて小屋に駆け込んでくる杣人たち。
曾我の二郎が声を張った。
「矢の音じゃ! 狙われとる! もう来たんか」
小屋の中に尋常ではないほどの緊張が流れた。
佐次郎と春乃を守るように伊十郎と佐助が体を寄せた。
たたら場衆は怯えながらもよねこと老婆をなんとか守ろうとする気概を見せている。
動くことも儘ならない曾我の二郎が動かない足を引き摺って側に寄ってきた。
「今のは威嚇だけじゃ。毛利方の死体が転がっとるけぇ襲われたことを知って様子を見とるんでしょう」
相手方の動きを熟知している二郎の言葉には、抗えないほどの説得力がある。
開いたままの小屋の戸のすぐ側で、どこからか飛んできた杉の小枝が風に踊らされていた。
「あの山の宮の後ろにありますんです」
「険しい道か?」
「馬でも通れんことは無いんですが、ご神木が生えとるのは大きな岩の天辺でしてのぉ。その岩を昇るとなると、並大抵じゃないのですわい」
「岩を昇る?」
「へぇ、ご神木に触れる者なら岩に取り付いてよじ登ることもできるんですが、そうでない者が昇ろうとするなら、命がけの力技ですわい」
伊十郎が首を傾げた。
「もう一つ意味が解らんが、要するにそのご神木の枝を春乃に取って来させにゃならんいうことじゃの?」
全員が声を出さないまま頷いた。
「しかし今日は無理じゃぞ? 春乃は慣れん騎馬で半日も続けざまに駆けてきたんじゃ。今ここで立っておるのも凄い事じゃからのぉ」
佐助が眉間に皺を寄せながら、曾我衆から得た情報を伝えた。
「一人だけ早く来るじゃと? しかし一人だけならなんとでもなろう?」
後ろから曾我衆の生き残りである曾我の二郎が声を出した。
「姿を見せるのはその男が一人ですが、その男には常に曾我衆の棟梁か若衆頭がついとるのです。あの二人にはわしらが束になっても叶わんのですわい」
「それほどの男が常に護衛している?」
「へぇ、姿は見せんけんど、絶対にどこかから見張っとりますけぇ」
「それはまた厄介じゃな。しかしなぜその男に?」
「それは……」
言い淀む二郎だったが、意を決したように口を開いた。
「あの男は大内の殿さまの落とし胤ですよ。本当なら今の当主よりも先に産まれとるけぇ嫡男になるはずじゃったんです。それが母親が卑賎の身でしてのぉ。隠されて毛利に預けられとるんですわい」
伊十郎が眉を寄せた。
「毛利の……そりゃ腫物扱いじゃったじゃろうのぉ。それにしても今の毛利の党首はまだ幼子じゃろ? 実権は次男の元就と……高橋か! あの野郎! 尼子を裏切っとったか!」
伊十郎の言う高橋とは石見の国に拠点を置く豪族だ。
その娘が毛利興元に嫁ぎ、現在四歳ながら家督を継いだ幸松丸の生母の父親として、幼すぎる当主に代わり毛利の実権を握っているといっても過言ではない人物だ。
「裏切るも何も、あいつはハナから日和見じゃったですよ。強いものに付いて己の領土を広げてきたんじゃから。その中でわしら曾我衆を雇い入れたんですわい」
伊十郎が苦虫を嚙みつぶしたような顔で言う。
「まあ元よりそんな男じゃったわい。そうか。あいつが糸を引いとったか。山内にも良い顔を見せてその隠し子を匿い、我ら尼子には知られんようにたたら場を掠め取っておったというわけじゃな」
「へぇ、そういうこってす。尼子の若殿を討った者にはたたら場を一つくれてやると言われとりましたんです。だからあの日……」
伊十郎がギュッと手を握り締めた。
「要するに若殿は桜井にやられたのではなく、高橋に討たれた言うことか」
誰も何も言わない。
ふとよねこの体がぐらっと揺れた。
駆け寄ったのは春乃だ。
「よねこちゃん!」
手拭いで覆われていたよねこの腕が露わになると、佐次郎の腹に埋まったままの腕が真紫に変色していた。
「こりゃいけん! すぐに抜いてやらにゃあ」
春乃がよねこの腕を掴んで引き抜こうと力を入れた。
ぶよぶよになっているよねこの皮膚は、すでに佐次郎の腹膜と癒着しているのか動かすたびに傷口から血が吹き出す。
「ここで抜いたら動かせんようになる。もう少しの辛抱じゃ。よねこ、頑張ってくれ」
コクンと頷いたよねこが春乃の目を覗き込んだ。
「え? うん、わかった。私は大丈夫じゃけ。すぐにも行ってくるけえね」
春乃が立ち上がった。
伊十郎が慌ててふらつく春乃の体を支える。
「無理をするな!」
「でも早う行かんと佐次郎さまもよねこちゃんも死んでしまいますけぇ」
確かに春乃の言う通りではあるが、たたら場衆の話が本当だとすると、大岩に昇ってご神木の枝を落とすという大仕事に耐えられるとは思えない。
「せめてあと半日は休め。そうでなければご神木に辿り着く前にお前が死ぬぞ」
「私は大丈夫ですけぇ!」
行こうとする春乃と、止めようとする伊十郎の声が小屋の外まで聞こえていた。
その時、ガタッと音がして小屋の戸を蹴破り、流星がぬっとその巨体を差し込んでくる。
「流星?」
伊十郎がそう呟いた時、小屋の横壁からダダンと鈍い音がした。
「何事か!」
慌てて小屋に駆け込んでくる杣人たち。
曾我の二郎が声を張った。
「矢の音じゃ! 狙われとる! もう来たんか」
小屋の中に尋常ではないほどの緊張が流れた。
佐次郎と春乃を守るように伊十郎と佐助が体を寄せた。
たたら場衆は怯えながらもよねこと老婆をなんとか守ろうとする気概を見せている。
動くことも儘ならない曾我の二郎が動かない足を引き摺って側に寄ってきた。
「今のは威嚇だけじゃ。毛利方の死体が転がっとるけぇ襲われたことを知って様子を見とるんでしょう」
相手方の動きを熟知している二郎の言葉には、抗えないほどの説得力がある。
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