泣き鬼の花嫁

志波 連

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75 鬼は誰か

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「殿さまはよねこを疑っておられますんですか?」

 春乃がよねこを抱きしめながら国久に視線を向けた。

「おう、疑っとるよ。そもそもこの娘はまがまがしい気配を発しておるじゃないか。俺はここに来てからずっとそう思っておった」

「まがまがしい……」

 確かにそれは春乃も感じていた事だった。
 しかし我が夫を助けるために、腕を差し出してくれている幼子を疑うことなどできようはずがないと、春乃はその思いを口には出さなったのだ。

「俺は何も感じませんがのぉ」

 土間に座っている佐助がそう声を出した。
 国久が鼻で嗤いながら声を出す。

「そりゃお前はけばけば草にやられとるけぇじゃ。そもそもこの小屋はけばけば草の保管場所じゃないのか? 壁にも天井にも匂いがこびりついておるわい」

 そういうった国久に老女が鋭い目を向ける。

「けばけば草はわしらが村の宝じゃけぇね。それが無いとわしらはとっくに全滅しとるわい」

 吐き捨てるようにそう言った老婆の前に仁王立ちとなる国久。

「なんで俺にけばけば草が効かんか不思議じゃろう?」

 フンッと鼻を鳴らして老婆が横を向いた。

「あの匂いはよう知っとるけぇね。入った瞬間にわかったけぇ。ほれ、この通り対策をしとる」

 そう言って国久は己の左手をぬっと差し出した。
 肘の少し下に深い傷ができており、ダラダラと血が滴っている。

「売り先は曾我衆か? そもそも毛利か?」

 老婆は答えない。

「春乃というたか? お前もこの娘の声が聞こえるのじゃろう? じゃがのぉ、それは幻聴じゃけ。人間という者は都合のいいようにできておるんじゃ」

「幻聴?」

「ああ、そうじゃ。恐らくじゃが佐次郎はそれに気づいたけぇ自分の意識を沼に沈めたのじゃと思う。この傷は治ってないんじゃない。治らんようにされとるんじゃ」

 よねこの肩がビクッと撥ねた。
 春乃が恐る恐る言う。

「このたたら場はそういう場所じゃったということ?」

「そうじゃな。もう砂鉄は出んのじゃろう。毛利がここを守ろうとしとるんはけばけば草が欲しいからじゃ。尼子が積極的にここを守ろうとせんかったのは、砂鉄の埋蔵量に見切りをつけとるからじゃけぇねぇ。高橋のことも知っていて泳がせとるんじゃ。でも俺はここに来た。その理由は二つじゃ」

 春乃が顔をあげて国久の次の言葉を待った。

「一つは我が尼子家の裾野に他家の足跡をつけたくないということ。もう一つはお前の父親の恩に報いるためじゃ」

「お父ちゃんの?」

「ああ、そうじゃ。お前の父親が俺の命を守ってくれたけぇ、いま俺は生きとるんじゃ。お前だけは絶対に守る。しかし佐次郎が死んだらお前も生きてはおるまい? じゃから佐次郎も守る」

 老婆が苦々しい顔のまま、そろそろと戸口の方へとにじり寄っている。
 いつの間に太陽が傾いたのか、雲の合間からスッと西日が差し込み、前屈みになって気配を消している老婆と、佐次郎の横でじっとしているよねこの影を土間に写した。
 頭から二本の角を伸ばしているその影を見た春乃が声に出す。

「鬼……」

 春乃がそう呟いた瞬間、佐助がまだ動く方の足で土間を蹴った。

「何をするかぁ!」

 とても老婆とは思えないほど低い声で怒鳴り、自分の体を押さえようとしている佐助を振り解く。
 杣人とはいえ、銭稼ぎに戦場に出るほどの男を簡単に振り解いた老婆の爪が鈍色に変化した。
 国久が迷うことなく刀を抜き、老婆を袈裟懸けに切り下ろす。

「うぎゃぁぁぁぁぁ!」

 右肩と首が離れているにもかかわらず、老婆は小屋を出ようと足を動かした。
 
「気色悪いのぉ。首を切っても死なんのか?」

 国久の声に、ハッとした春乃が叫ぶように言った。

「角じゃ! あの角を折らんと死なん!」

「おうよっ!」

 切り下げたままの刀を大上段に振りかぶり、国久が地を蹴り、飛び掛かるようにして老婆の頭を薙ぎ払った。
 目視できる限りでは角は見えないが、影がその存在を知らしめている。
 影を見ていないものにとっては、国久が空振りをしたように見えただろう。

「ひぃぃぃぃぃ」

 老婆の断末魔が小屋を揺らした。
 倒れたその体は、見る間にカサカサになっていく。
 まるで松の老木のようだと春乃は思った。

「佐助! ようやった。春乃もよう教えてくれた」

 そう言いながらも国久は、よねこの頭上を握りしめている。
 よねこは目を真っ赤に染めて、ぶるぶると体を震わせていた。

「佐次郎さまを連れて行こうとした宮と言うんは鬼の館じゃったんか?」

 観念したのか、よねこが小さく頷いた。

「佐次郎さまをとって食おうとでも思うとったんか?」

 また頷くよねこ。

「あんた……かわいい顔してあんたも鬼じゃったんじゃね? さあ佐次郎さまの腹から手を抜きんさい! 早う! 早う抜きんさいや!」

 震えるばかりで行動しないよねこに詰め寄る春乃。
 国久が落ち着かせようと静かな声を出した。

「春乃、今じゃない。中で爪でもたてられたら大事じゃけ」

「あっ……」

 角を握られたよねこの顔色はますます青くなっている。
 
「よねこ、よう聞きんさいよ。私はたたら場を守る神社の娘から生まれたんじゃけ、鬼退治の事なら血が覚えとるんじゃ」

 ゴクッとよねこの喉が鳴った。

「そうじゃろう? あんたら鬼が喉から手が出るほど欲しい血が、私の中には流れとるんじゃけぇね。もし佐次郎さまが無事に戻られんかったら、絶対に許さんよ」

 国久が冷静な声で春乃に聞いた。

「そうじゃ、そう言えばなんでお前がここにおるんじゃ?」

 春乃が答える。

「呼ばれたんですよぉ。私が行かんと佐次郎さまが死ぬ言われてねぇ。もう大慌てでやって来たのですよぉ」

「なんじゃ、ハナからお前が目当てじゃったんか。お前の血が欲しゅうてこんなことをしたんか? またまどろっこしい手を使ったものじゃなぁ」

「それだけじゃないですけぇ」

 そう言いながら小屋に入ってきたのは、よねこの叔父と名乗っていた男だった。
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