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杣人たちが引き上げていき、代わりにたたら場衆が全員戻ってきたのはのは、木村助右ヱ門が棲みついてからひと月ほど経った頃だった。
何度か顔を出す小松伊十郎に伴われ、道庭右京がやってきたのは、桜のつぼみがすっかり色づいて、人々の心もなんとなく浮かれているような弥生月が始まったばかりの朝のことだ。
「兄上……遠路はるばるかたじけのうございます」
佐次郎が涙を流しながら右京の前に座る。
杣人たちが戻る前に切り出した材木で、仮家とはいえ頑丈な領主邸もできていた。
その前座敷に招き入れられた右京が、感慨深げにきょろきょろと見回している。
「いやぁ、立派な屋敷じゃないか。遂にやったなぁ佐次郎」
「俺は寝とっただけですけぇ。国久様が俺を領主と決めなさったけぇここにおるだけで、俺は何も変わっとりはしませんよ」
右京が嬉しそうな笑顔を浮かべて佐次郎の肩に手を置いた。
「いやいや、鉄師とは大そうなことじゃ。しかも、あの木村助右ヱ門さまが番頭だと? なんとも贅沢な話じゃなぁ」
木村助右ヱ門が笹茶を乗せた盆を下女に持たせて入ってきた。
「久しぶりですな、道庭殿。どうやらご体調も良いようじゃ」
右京が座り直して畳代わりの茣蓙に手をついた。
「これは木村様。ご無沙汰いたしております。この度は愚弟のためにお骨折りをいただき、心より御礼申し上げます」
木村がどっこいしょと声に出して胡坐を組んだ。
「正座ができない体ゆえ、これで勘弁してください。お世話になっているのはこちらの方ですよ。今は佐次郎さまの恩上にて命を繋いどうような身でしてな」
「愚弟が我儘を申したのでしょう? 申し訳ござらん」
「とんでもないですよ。俺はね、右京さん。押しかけ番頭なんです。勝手にやってきて、佐次郎さんの優しさにつけ込んで居座っておるだけでしてなぁ。働かんと出ていけ言われると思うて、一生懸命にできることをしとるだけなのですわい」
「ご謙遜を……いや、本当にありがたく存じておりますよ」
いつまでも終わりそうにないので、佐次郎は口を挟むことにした。
「ところで兄上、こんな遠くまで来れたということは、お体の具合は良いようですな」
佐次郎に向き直る右京。
「ああ、実は国久様が南蛮渡来の薬草を下さってな。白い根っこを干したようなものなのじゃが、これがどうやら効いたようでの。このところ寝込むことも咳きこむこともない。あれほど辛かった体のだるさも噓のようになくなってのぉ、父上には長い間ご苦労を掛けたが、今は俺が登城しておる」
「それは重畳です。そう言えば父上はお元気で?」
「ああ、お元気でおられるよ」
後ろでニヤニヤ笑っていた小松伊十郎が口を挟んだ。
「どうやらうちのばば様と気が合うようでなぁ。まさか祝言をとまでは言うまいが、もう夫婦のような気安さでなぁ。瓢箪から駒とは正にこのことよ」
「へえ……小松様の大奥様で? あの厳しい?」
「ああ、あの厳しい怒ると鬼のような顔をするババじゃ。道庭家に住みついてくれたお陰で、女房殿の機嫌が良い。誠にありがたい事じゃ」
全員が声を出して笑った。
「兄上は再婚されないので?」
右京が眉を下げて言う。
「ああ、佳代にも問題はあったが、俺にも責任はあったと思う。お前に対する仕打ちには腹が立ったが、あれもかわいそうな女じゃったけぇなぁ。どうも後添いという気にはなれんのよ。それにもはや子をなすのも億劫でなぁ。そこでじゃ、佐次郎」
佐次郎の正面に座り直した右京が真剣な顔を向ける。
「お前んとこに子ができたら、跡継ぎにさせて欲しいのじゃがどうであろうか」
佐次郎が少しだけ木村に視線を向けると、小さく頷いた木村が立ち上がった。
障子を開けると、控えていた下女に女将さんを呼ぶように伝える。
「おかみさん? 女将さんとは春乃の事か?」
「当たり前でしょうわい。俺の妻は死ぬまで春乃だけじゃもの」
右京が嬉しそうに笑った。
「ああ、そうじゃな。お前たちはほんの幼いころから互いを伴侶として認め合っておったものなぁ。いやしかし、本当に良かったなぁ。生きて戻れたんは伊十郎や木村様のお陰じゃ。そのことは絶対に忘れるなよ」
「はい、兄上。肝に銘じておりますよ」
また笑い合う男たちが揃う前座敷に、春乃がひょいと顔を出した。
「お呼びですか? あれぇ、右京さまではないかね! こりゃたまげた。なんとお元気そうになられたことじゃ!」
「ああ、久しぶりじゃな。お前こそちいとは(少しは)大人になったようじゃ。いやいや、今では山内の女将さんじゃものなぁ、えろう出世したものじゃ」
春乃が瞬時に頬を染めて、顔の前で手を振る。
「揶揄わんでくださいよぉ。私はどこに行っても私じゃけぇ。なんも変わらんですよぉ」
「何よりじゃ」
「当分泊まれるんでしょう? ゆっくりして下さいねぇ。ここにも温泉場があるんですよぉ。熱い湯が噴き出るけぇ、家まで引いたらええ塩梅なんです」
「そりゃ楽しみじゃな」
二人にやりとりを黙って聞いていた佐次郎が、伊十郎をちらっと見た。
コホンとひとつ咳をして、伊十郎が木村に声を掛ける。
「木村さん、例の宝を掘りだす算段ができたと聞きましたが、詳しく教えて下さいませんか」
心得た木村がニヤッと笑って立ち上がる。
「作業員が確保できんで苦労したが、杣人たちも協力してくれてなぁ。それと牛尾様が道づくり衆を貸してくださることになったんじゃ。なかなか苦労したが、明日から始められそうじゃけぇ、ゆっくり見物していきんさい」
木村が器用に杖を操り、伊十郎の横に立った。
何度か顔を出す小松伊十郎に伴われ、道庭右京がやってきたのは、桜のつぼみがすっかり色づいて、人々の心もなんとなく浮かれているような弥生月が始まったばかりの朝のことだ。
「兄上……遠路はるばるかたじけのうございます」
佐次郎が涙を流しながら右京の前に座る。
杣人たちが戻る前に切り出した材木で、仮家とはいえ頑丈な領主邸もできていた。
その前座敷に招き入れられた右京が、感慨深げにきょろきょろと見回している。
「いやぁ、立派な屋敷じゃないか。遂にやったなぁ佐次郎」
「俺は寝とっただけですけぇ。国久様が俺を領主と決めなさったけぇここにおるだけで、俺は何も変わっとりはしませんよ」
右京が嬉しそうな笑顔を浮かべて佐次郎の肩に手を置いた。
「いやいや、鉄師とは大そうなことじゃ。しかも、あの木村助右ヱ門さまが番頭だと? なんとも贅沢な話じゃなぁ」
木村助右ヱ門が笹茶を乗せた盆を下女に持たせて入ってきた。
「久しぶりですな、道庭殿。どうやらご体調も良いようじゃ」
右京が座り直して畳代わりの茣蓙に手をついた。
「これは木村様。ご無沙汰いたしております。この度は愚弟のためにお骨折りをいただき、心より御礼申し上げます」
木村がどっこいしょと声に出して胡坐を組んだ。
「正座ができない体ゆえ、これで勘弁してください。お世話になっているのはこちらの方ですよ。今は佐次郎さまの恩上にて命を繋いどうような身でしてな」
「愚弟が我儘を申したのでしょう? 申し訳ござらん」
「とんでもないですよ。俺はね、右京さん。押しかけ番頭なんです。勝手にやってきて、佐次郎さんの優しさにつけ込んで居座っておるだけでしてなぁ。働かんと出ていけ言われると思うて、一生懸命にできることをしとるだけなのですわい」
「ご謙遜を……いや、本当にありがたく存じておりますよ」
いつまでも終わりそうにないので、佐次郎は口を挟むことにした。
「ところで兄上、こんな遠くまで来れたということは、お体の具合は良いようですな」
佐次郎に向き直る右京。
「ああ、実は国久様が南蛮渡来の薬草を下さってな。白い根っこを干したようなものなのじゃが、これがどうやら効いたようでの。このところ寝込むことも咳きこむこともない。あれほど辛かった体のだるさも噓のようになくなってのぉ、父上には長い間ご苦労を掛けたが、今は俺が登城しておる」
「それは重畳です。そう言えば父上はお元気で?」
「ああ、お元気でおられるよ」
後ろでニヤニヤ笑っていた小松伊十郎が口を挟んだ。
「どうやらうちのばば様と気が合うようでなぁ。まさか祝言をとまでは言うまいが、もう夫婦のような気安さでなぁ。瓢箪から駒とは正にこのことよ」
「へえ……小松様の大奥様で? あの厳しい?」
「ああ、あの厳しい怒ると鬼のような顔をするババじゃ。道庭家に住みついてくれたお陰で、女房殿の機嫌が良い。誠にありがたい事じゃ」
全員が声を出して笑った。
「兄上は再婚されないので?」
右京が眉を下げて言う。
「ああ、佳代にも問題はあったが、俺にも責任はあったと思う。お前に対する仕打ちには腹が立ったが、あれもかわいそうな女じゃったけぇなぁ。どうも後添いという気にはなれんのよ。それにもはや子をなすのも億劫でなぁ。そこでじゃ、佐次郎」
佐次郎の正面に座り直した右京が真剣な顔を向ける。
「お前んとこに子ができたら、跡継ぎにさせて欲しいのじゃがどうであろうか」
佐次郎が少しだけ木村に視線を向けると、小さく頷いた木村が立ち上がった。
障子を開けると、控えていた下女に女将さんを呼ぶように伝える。
「おかみさん? 女将さんとは春乃の事か?」
「当たり前でしょうわい。俺の妻は死ぬまで春乃だけじゃもの」
右京が嬉しそうに笑った。
「ああ、そうじゃな。お前たちはほんの幼いころから互いを伴侶として認め合っておったものなぁ。いやしかし、本当に良かったなぁ。生きて戻れたんは伊十郎や木村様のお陰じゃ。そのことは絶対に忘れるなよ」
「はい、兄上。肝に銘じておりますよ」
また笑い合う男たちが揃う前座敷に、春乃がひょいと顔を出した。
「お呼びですか? あれぇ、右京さまではないかね! こりゃたまげた。なんとお元気そうになられたことじゃ!」
「ああ、久しぶりじゃな。お前こそちいとは(少しは)大人になったようじゃ。いやいや、今では山内の女将さんじゃものなぁ、えろう出世したものじゃ」
春乃が瞬時に頬を染めて、顔の前で手を振る。
「揶揄わんでくださいよぉ。私はどこに行っても私じゃけぇ。なんも変わらんですよぉ」
「何よりじゃ」
「当分泊まれるんでしょう? ゆっくりして下さいねぇ。ここにも温泉場があるんですよぉ。熱い湯が噴き出るけぇ、家まで引いたらええ塩梅なんです」
「そりゃ楽しみじゃな」
二人にやりとりを黙って聞いていた佐次郎が、伊十郎をちらっと見た。
コホンとひとつ咳をして、伊十郎が木村に声を掛ける。
「木村さん、例の宝を掘りだす算段ができたと聞きましたが、詳しく教えて下さいませんか」
心得た木村がニヤッと笑って立ち上がる。
「作業員が確保できんで苦労したが、杣人たちも協力してくれてなぁ。それと牛尾様が道づくり衆を貸してくださることになったんじゃ。なかなか苦労したが、明日から始められそうじゃけぇ、ゆっくり見物していきんさい」
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