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25 流れ星
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じりっと膝を勧めたのは木村助右ヱ門だった。
「それは間違いなく私でしょう。私は戦略の差配を任されていながら、磨石城を攻める機会を逸してしまいました。何度攻めかけても反応しない桜井に踊らされたのです」
「いや、それは違う。わしらが反対したから若い木村殿は強く言えなんだのじゃ」
声を出したのは牛尾高信だ。
「いいえ、私にも責任がございます。いくら勘定方とは言え、なんとか宰相の出費で抑えたいと思うあまり、木村殿の言葉を退けてしまいました」
割って入ったのは国久だった。
「これでは埒が明かぬのぉ。結局のところ皆が少しずつ筋を誤ったということじゃろ? それぞれの間違いは罰するほどの事でもないが、それが悪い方に重なったということじゃ」
経久が声を出した。
「なるほどのぉ。そういうことか。戦場ではままある事じゃが、それを差配するのが上に立つ者の役目。そうなると悪いのは政久ということになるのぉ」
国久が眉間にしわを寄せた。
その時、陣幕が揺れて酷いなりをした男たちが入ってきた。
どう見ても雑兵で、このような場に入れる身分とは思えない。
慌てた護衛兵が駆け寄ろうとした時、男たちの後ろでブルンと鼻が鳴る音がした。
「流星が目通りを願ったのでは止めようがございませぬな」
肩を竦めた小松の声に全員が目を見開いた。
漆黒の闇に溶け込んだような馬体の上には、砂塵と血に汚れた男が乗せられている。
「お前……動いてはならんと申したであろうが!」
小松が叫ぶように言う。
一緒に来ていた男たちに支えられて流星から降りた佐次郎が、ヨロヨロと経久の前に跪く。
「お初に……お目通りさせていただき……感激の極みにて……」
「良い。あまりしゃべるな。無駄に血が出るわ。用件を申せ」
経久の声に頷いた、佐次郎が懐に手を入れる。
一瞬だけ緊張が走ったが、佐次郎が取り出したのは政久から預かった横笛だった。
震える手でそれを差し出すと、片目から涙を流しながら弱々しい声を出した。
「俺はものを知らんうつけにて、失礼があったら申し訳ございません。あの日、俺たちが酒盛りをしておった場所に……政久様が来られましてのぉ」
経久が膝を折り佐次郎と視線を合わせた。
「淀んでしもうた戦況に兵たちが倦むと、どうしても残してきた家族の話になります。里心が頭をもたげて脱走を企てるものも出てきます。それを止めることができたのは政久様の笛の音だけでした」
「そうか」
「あの日は最後の夜じゃった。俺らは持っていた食料を全部出しおうて、車座になって酒を飲みました。明日は死ぬかもしれん……そう思うとやはり頭に浮かぶのは家族のことですわい」
尼子親子以外の者がスッと顔を伏せた。
「あのお方はそんな兵の心がお分かりになるのでしょうなぁ。お止めになる方達を宥めてすすっと櫓に登られましてなぁ。皆も声をひそめてその音を心に刻みました。本当の驚くほどの暗闇でした。まるで自分が宙に浮いているような気分になるほどのね。しかしふと雲が切れて月明かりが差しましてなぁ」
「雲が……切れた?」
「はい、月光が政久様の影を地面に長く伸ばしてみせました。その刹那、ドサッという音がしたのです。俺のすぐ後ろでね。振り返ると……」
佐次郎は肩で息をしている。
おそらく正気を保っているだけでも大変なのだろう。
「全て詳細に話せ!」
「はい。最初は誰かわからなかったのです。俺が落ちてきたその何かを抱き起こすと、何やらぬるっとした温かいものにふれました。顔を見ると政久様で、俺にしっかり目を向けられて、この横笛を託しなさったのです。これを父上に……これが政久様の最後の言葉でございます」
経久が歯を食いしばっている。
国久は堪らずその場で泣き伏していた。
「それからお前はどう動いたのか?」
涙を流し続ける佐次郎の潰れた目を見ながら経久が言った。
「すぐに駆け寄ってこられた領主様達が政久様を連れていかれました。俺の配下の杣人たちが細い月あかりを頼りに森に入り、三人の男たちをみつけて切り合いになりましたが、一人は取り逃がしてしまいました。引き摺ってきた男は小松様に引き渡し、我らはすぐに戦の準備にかかりました」
「そ奴らが矢を射たものなのか?」
佐次郎が小松を見た。
小松が片膝をついて経久に答える。
「詳細は不明です。その者たちは口内に何やら毒を隠し持っていたようで、陣幕まで連れてきたときにはすでに骸になっておりました」
経久の眉がぴくっと動いた。
牛尾高信と安藤九衛門が口を揃える。
「厳重な囲みの中で見張っておりましたが、喋らせることもできぬまま死なせてしまったのは、断腸の思いでございます」
「お前たちもそ奴らを見たのか?」
「松明の火を翳して見ましたが、顔も手足も真っ黒に塗りこめておりまして。顔面の詳細まではわかりかねました。少しでも明るくなれば水を掛けてと話し合い、その場はそれで終えましてござります」
「顔を……そうなるとなぜ杣人は捕らえることができた?」
今度は佐次郎が答えた。
「杣人は夜目が利きますが、あの夜はそんな者達でさえ躓くような闇でした。松明で足元を照らさねば一歩も動けぬほどの闇だったのです。しかし杣人は気配を感じることができます。同じような暗闇でも獣の気配を察知して動くことができるのでございます」
経久が続ける。
「となれば、その者たちも杣人ということか?」
国久が口を挟む。
「明日、大山と桜井を尋問いたしますれば、自ずと明らかになりましょう。大山は毛利の配下でございますれば、毛利の影一族とも考えられましょう」
ブルブルと震えていた杣人たちが佐次郎の陰に隠れるよに体を寄せ合った。
佐次郎が低い声を出した。
「杣人ではございますまい。奴らは自ら命を絶ったのでございましょう? 杣人は全体にそのようなことはしません。最後の一息を吐くまでいかに生きるかを考えておるのでございます。そうでなければ森では生きてはいけませんのじゃ」
経久は返事をしなかった。
「これは何か?」
「あっ……それは、俺が懐に突っ込んでいたスルメのカスでございます。横笛を手渡されて、なんとかせばいかんと思い、慌てて懐に笛を入れてしまいました。洗ってお渡しすべきとも思ったのですが、そうなると政久様の血も流れてしまいますので、そのままにしております。どうかご無礼をお許しください」
「そうか。この黒いのは政久の血か。埃のように絡みついているのがスルメとは……ははは……はははははは」
笛を握りしめて経久は大声で笑った。
夜空を仰ぎ、仁王立ちのまま微動だにしない。
その声を拾いに来たように流れ星が一閃した。
「それは間違いなく私でしょう。私は戦略の差配を任されていながら、磨石城を攻める機会を逸してしまいました。何度攻めかけても反応しない桜井に踊らされたのです」
「いや、それは違う。わしらが反対したから若い木村殿は強く言えなんだのじゃ」
声を出したのは牛尾高信だ。
「いいえ、私にも責任がございます。いくら勘定方とは言え、なんとか宰相の出費で抑えたいと思うあまり、木村殿の言葉を退けてしまいました」
割って入ったのは国久だった。
「これでは埒が明かぬのぉ。結局のところ皆が少しずつ筋を誤ったということじゃろ? それぞれの間違いは罰するほどの事でもないが、それが悪い方に重なったということじゃ」
経久が声を出した。
「なるほどのぉ。そういうことか。戦場ではままある事じゃが、それを差配するのが上に立つ者の役目。そうなると悪いのは政久ということになるのぉ」
国久が眉間にしわを寄せた。
その時、陣幕が揺れて酷いなりをした男たちが入ってきた。
どう見ても雑兵で、このような場に入れる身分とは思えない。
慌てた護衛兵が駆け寄ろうとした時、男たちの後ろでブルンと鼻が鳴る音がした。
「流星が目通りを願ったのでは止めようがございませぬな」
肩を竦めた小松の声に全員が目を見開いた。
漆黒の闇に溶け込んだような馬体の上には、砂塵と血に汚れた男が乗せられている。
「お前……動いてはならんと申したであろうが!」
小松が叫ぶように言う。
一緒に来ていた男たちに支えられて流星から降りた佐次郎が、ヨロヨロと経久の前に跪く。
「お初に……お目通りさせていただき……感激の極みにて……」
「良い。あまりしゃべるな。無駄に血が出るわ。用件を申せ」
経久の声に頷いた、佐次郎が懐に手を入れる。
一瞬だけ緊張が走ったが、佐次郎が取り出したのは政久から預かった横笛だった。
震える手でそれを差し出すと、片目から涙を流しながら弱々しい声を出した。
「俺はものを知らんうつけにて、失礼があったら申し訳ございません。あの日、俺たちが酒盛りをしておった場所に……政久様が来られましてのぉ」
経久が膝を折り佐次郎と視線を合わせた。
「淀んでしもうた戦況に兵たちが倦むと、どうしても残してきた家族の話になります。里心が頭をもたげて脱走を企てるものも出てきます。それを止めることができたのは政久様の笛の音だけでした」
「そうか」
「あの日は最後の夜じゃった。俺らは持っていた食料を全部出しおうて、車座になって酒を飲みました。明日は死ぬかもしれん……そう思うとやはり頭に浮かぶのは家族のことですわい」
尼子親子以外の者がスッと顔を伏せた。
「あのお方はそんな兵の心がお分かりになるのでしょうなぁ。お止めになる方達を宥めてすすっと櫓に登られましてなぁ。皆も声をひそめてその音を心に刻みました。本当の驚くほどの暗闇でした。まるで自分が宙に浮いているような気分になるほどのね。しかしふと雲が切れて月明かりが差しましてなぁ」
「雲が……切れた?」
「はい、月光が政久様の影を地面に長く伸ばしてみせました。その刹那、ドサッという音がしたのです。俺のすぐ後ろでね。振り返ると……」
佐次郎は肩で息をしている。
おそらく正気を保っているだけでも大変なのだろう。
「全て詳細に話せ!」
「はい。最初は誰かわからなかったのです。俺が落ちてきたその何かを抱き起こすと、何やらぬるっとした温かいものにふれました。顔を見ると政久様で、俺にしっかり目を向けられて、この横笛を託しなさったのです。これを父上に……これが政久様の最後の言葉でございます」
経久が歯を食いしばっている。
国久は堪らずその場で泣き伏していた。
「それからお前はどう動いたのか?」
涙を流し続ける佐次郎の潰れた目を見ながら経久が言った。
「すぐに駆け寄ってこられた領主様達が政久様を連れていかれました。俺の配下の杣人たちが細い月あかりを頼りに森に入り、三人の男たちをみつけて切り合いになりましたが、一人は取り逃がしてしまいました。引き摺ってきた男は小松様に引き渡し、我らはすぐに戦の準備にかかりました」
「そ奴らが矢を射たものなのか?」
佐次郎が小松を見た。
小松が片膝をついて経久に答える。
「詳細は不明です。その者たちは口内に何やら毒を隠し持っていたようで、陣幕まで連れてきたときにはすでに骸になっておりました」
経久の眉がぴくっと動いた。
牛尾高信と安藤九衛門が口を揃える。
「厳重な囲みの中で見張っておりましたが、喋らせることもできぬまま死なせてしまったのは、断腸の思いでございます」
「お前たちもそ奴らを見たのか?」
「松明の火を翳して見ましたが、顔も手足も真っ黒に塗りこめておりまして。顔面の詳細まではわかりかねました。少しでも明るくなれば水を掛けてと話し合い、その場はそれで終えましてござります」
「顔を……そうなるとなぜ杣人は捕らえることができた?」
今度は佐次郎が答えた。
「杣人は夜目が利きますが、あの夜はそんな者達でさえ躓くような闇でした。松明で足元を照らさねば一歩も動けぬほどの闇だったのです。しかし杣人は気配を感じることができます。同じような暗闇でも獣の気配を察知して動くことができるのでございます」
経久が続ける。
「となれば、その者たちも杣人ということか?」
国久が口を挟む。
「明日、大山と桜井を尋問いたしますれば、自ずと明らかになりましょう。大山は毛利の配下でございますれば、毛利の影一族とも考えられましょう」
ブルブルと震えていた杣人たちが佐次郎の陰に隠れるよに体を寄せ合った。
佐次郎が低い声を出した。
「杣人ではございますまい。奴らは自ら命を絶ったのでございましょう? 杣人は全体にそのようなことはしません。最後の一息を吐くまでいかに生きるかを考えておるのでございます。そうでなければ森では生きてはいけませんのじゃ」
経久は返事をしなかった。
「これは何か?」
「あっ……それは、俺が懐に突っ込んでいたスルメのカスでございます。横笛を手渡されて、なんとかせばいかんと思い、慌てて懐に笛を入れてしまいました。洗ってお渡しすべきとも思ったのですが、そうなると政久様の血も流れてしまいますので、そのままにしております。どうかご無礼をお許しください」
「そうか。この黒いのは政久の血か。埃のように絡みついているのがスルメとは……ははは……はははははは」
笛を握りしめて経久は大声で笑った。
夜空を仰ぎ、仁王立ちのまま微動だにしない。
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