泣き鬼の花嫁

志波 連

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28 夢まぼろし

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 無理に動いたせいでまた気を失っていた佐次郎は、夢の中で春乃に会っていた。

「春乃、戻ったぞ」

「あい、ようお帰りなさんしたのぉ。毎日お天道様にお祈りしながら待っておりましたよぉ」

 佐次郎はグッと手を握り春乃から目を逸らした。

「権左のことは……俺が悪かった。俺が遣いを頼んだばかりに……すまんことをした」

 春乃が小首を傾げる。

「おとうちゃん? 今は山に入っておるでのぉ。先に早う帰ってきなさったからもう働いておりなさるよ?」

「え?」

「えって……どうしたのです? 佐次郎様」

「だって権左は……戦場で……死んでしもうた」

 春乃が佐次郎の胸をパタパタと打って笑う。

「何を言うていなさるのかね。おとうちゃんは無事に戻って来なさったよぉ。たんと褒美も貰いなさって、私の花嫁衣装をこさえてくださったのですよぉ」

「いや……権左は……」

 春乃が佐次郎の背後に視線を投げた。

「おとうちゃんが帰ってきなさったよぉ」

 佐次郎が慌てて振りむくと、戦場へ赴く前と変わらない権左が、たくさんの小枝を背負子に乗せて歩いてくるではないか。

「権左……お前……」

 権左がパッと明るい笑顔を向けた。

「あれあれ、遅いお戻りでありましたのぉ。あれからどうなさりましたのじゃ? 傷はまだ痛みますかの?」

「傷?」

「ほれ、城壁にとりついた時にできた傷でございますよ。上から落ちてきた大きな礫が肩にあたりましたでしょうが。アレですよ」

「肩に礫が……ああ、確かにあの時は避けようもない程の礫をくろうたが。そんなことより権左のことじゃ。お前は……あの時……」

 権左がしゅるっと肩を竦めて見せる。

「ああ、ワシが死んだということですかいのぉ」

 佐次郎は声もなく何度も頷いて見せた。

「いやぁ、あれは痛いというより熱いが近いような感じでしたのぉ。あっという間じゃったから自分が死んだのやら生きているのやらわかりませんでせんでのぉ。ホントに戸惑いましたわい」

「権左?」

 権左がまっすぐに佐次郎を見た。

「ワシは死んでしまいましたよ。あなた様の命令で流星に乗ってご当主様のご次男に会いに行って死んでしまいましたのじゃ」

 佐次郎がボロボロと涙を溢した。

「すまんかった……すまんかったの、権左」

「まあ他に行ける者もおらなんだし、流星に近づけるのはわしだけじゃったしのぉ。でものぉ、佐次郎様よ。ワシは死にとうはなかったですよ」

 佐次郎が力なく頷く。

「春乃を残して行くのは嫌でしたのじゃ。おまけに佐次郎様も死にそうになっておるのじゃから尚更じゃ。春乃をどうしてくれるのですかの? 春乃は……春乃は……」

 そう言う権左の体が頭の先からぽろぽろと崩れ始めた。

「春乃は必ず幸せになれるように兄者に手紙を出すけぇ。絶対に食うに困らせることじゃないけぇ」

「あんたはどうしなさるのですかの? ワシと共に行かれますかの? 春乃を一人置いて死になさるのかの?」

「ごんざ……ごんざ……」

「それはあまりにも悲しいことですのぉ」

 すでに権左の体は胸から下しか残っていない。
 塵になった権左がサラサラと舞い、月に吸い込まれていく。

「さいなら(さようなら)、佐次郎様。さいなら、さいなら」

 佐次郎はその場で膝をついて泣いた。
 ふと顔を上げると春乃が月になっていく権左を見送っている。

「春乃……」

 佐次郎の声には返事をせず、春乃が独り言のように呟いた。

「おとうちゃん」

 その時、佐次郎の右目が燃えるように痛んだ。
 頬に何かが伝い不快で仕方がない。

「佐次郎様……佐次郎様」

 春乃の声ではない誰かが遠くで呼んでいる。
 返事をするのも億劫なほど、全身が重たい。
 このまま吸い込まれて行けば楽になれるだろうか。
 佐次郎はふとそんなことを考えた。

「佐次郎が死ねば、俺もここで首を切る」

 遠くだったはずの声がすぐ近くでした。
 その声に聞き覚えのある佐次郎が体を動かそうと藻搔く。
 小松伊十郎を死なせては、何度生まれ変わっても償い切れないとばかりに佐次郎は必死で藻搔いた。
 
「こまつ……さ……」

 声になっているかどうかもわからない。
 しかし叫ばずにはいられないのだ。

「こ……ま……」

 まるで息も吸えないような重たさが、一瞬で霧散した。
 やっと体の自由が戻り、指先が微かに動く。

「あっ! 動きなさった! 佐次郎様が動きなさったよぉ」

 枯れたような男の声が耳に入り込んでくる。
 体が揺れるほどの足音がして、すぐそばに誰かがそ割り込んだ気配がした。

「佐次郎!」

 小松の声だ。
 右目が痛い。

「こ……まつ……さま」

「おう、俺だ。小松伊十郎だ! 気を確かにもて! 佐次郎! 目を開けよ!」

 なんとか目を開けようとするが、ぴくぴくと瞼が動くだけだ。

「無理は禁物じゃ。気を取り戻しただけでもよしとせねば」

 少し年を取った男の声が小松を宥めている。

「しかし!」

 焦る小松の声を無視したその男が、側にいるのであろう者たちに指示を出していた。

「必ずこの薬湯を飲ませろ。一刻ごとに飲ませるのじゃぞ。戸板に上には藁を敷き詰めて布を撒いておけ。時間がかかっては治療もままならぬが、なるべく揺らさぬようにできるだけ急ぐのじゃ」

「はい」

 その返事を聞いてすぐに佐次郎の体がぐらりと揺れた。

「落とすなよ。落ちぬように縛っておけよ」

「はい」

「俺も共に参る」

「いや、小松殿は本城へ向かわねばならん。この男は必ず生きて戻ってくれるわい」

「佐次郎が死ねば俺も死にます」

「それは仕事の後じゃ。今はお控えなされ」

 佐次郎は荷台に乗せられて一足先に戦場を離れた。
 明るくなった戦場はまさに地獄絵のような有様だ。
 佐次郎と一緒に戦場を後にする杣人たちは、佐次郎の目がこの光景を見なかったことに感謝した。
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