泣き鬼の花嫁

志波 連

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43 頼み

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「お前……帰らんつもりか」

 佐次郎が弾けるような笑顔を向ける。

「帰らんというのは道庭の家にということですか? それなら『はい』と答えるしかないです。春乃の元にという問なのであれば返事は『いいえ』ですのぉ」

「右京は……妻を離縁した。佳代はいないんだ。もうお前がいらぬ気づかいをすることはないぞ」

「え? 義姉上と離縁?」

「なんじゃ、お前は春乃から聞いておらんのか」

 佐次郎が肩を竦める。
 流星が土間でブルンと鼻を鳴らした。

「だって俺、目が開いたのはつい昨日です」

「なんだと?」

 佐次郎が遠い目をして煙抜きのガラリを見上げた。

「義姉上……いや、佳代殿は寂しい人だったのですよ、小松様」

 伊十郎が怪訝な目をした。
 佐次郎が続ける。

「ご実家では肩身の狭い思いをしなさったと聞いております。俺は佳代殿が嫁いでこられた日のことをよう忘れんのです。そりゃもう恥ずかしそうに頬を染めて兄上をじっと見ておられたのですよ。きっと自分がこの家を守るのだと……この人の妻となって盛り立てるのだとお覚悟なさったのだと思うとります」

 伊十郎が片膝を立てて大きな声を出した。

「しかし! やり方というもうのがあるだろう。そこまでの覚悟で道庭家に嫁いだのであれば、道庭家の家訓を守るべきだ! なぜお前が庇う? 春乃もいびられておったのだろう?」

「だから俺は、あの家には戻らない。俺にとって守らねばならんのは、道庭の名と……春乃だけだ。義姉上が世継ぎを産んだなら、もう俺の役目は済んでいた。あとは春乃のことだけを、静かに守れればそれでよかったんですよ」

「佐次郎……」

 佐次郎がフッと気を抜いた。

「でもまあ、離縁したのであれば仕方もありますまい。兄上はああ見えて頑固なお人ですからのぉ。一度言いだしたのなら変えはしますまいて」

 伊十郎が座り直す。
 春とはいえ夜はまだ寒い。
 囲炉裏で小枝が爆ぜた。

「そうか……戻らんか」

「ええ。いや、戻らんというか、戻れんというか……事情が変わりましたけぇねぇ」

 伊十郎が顔を上げた。

「事情とは?」

 佐次郎が爛れた半顔を細い灯りに晒した。

「こんな面相じゃ帰っても怖がられるだけでしょう? それに……」

「それに?」

 一瞬の沈黙に伊十郎の背中が揺れる。
 佐次郎はそんな伊十郎を正面から見つめて静かな声を出した。

「俺は政久様の仇をとります」

 それは尼子政久が敵矢に倒れた瞬間から佐次郎が言い続けていた事だった。
 あの軍議の時の鬼気迫る顔を思い出す。
 単騎でも攻め込まんとする佐次郎の気迫が、保守に走っていた領主たちを動かしたのだ。

「それなら尚更だ。俺も行く」

「いや、小松様には頼みがあるのです」

 伊十郎の眉間にまた皺が寄った。

「兄上をよろしく頼みます。世継ぎのことは遠縁から養子を迎えれば良い。その世話も頼みます。それと……」

「おいおい、まだあるんか?」

「これが今の俺には一番大事な事ですよ」

「春乃か」

「ええ、春乃がいらん苦労などせんでも飯が食えるように頼みます」

 佐次郎があばらが浮いている腹を折るように頭を下げた。
 あれほど太かった腕が、今では見る影もない。
 とはいえ、伊十郎よりは太いのだから、そもそもの骨が太いのだろう。
 まるで現実逃避をするように、伊十郎はそんなことを考えていた。
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