泣き鬼の花嫁

志波 連

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44 銀杏

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 男同士で向き合いながらも目線をあわせることなく、暫しの間ただひたすら隈笹茶を啜っていた。
 すっかり夜の帳は地面まで届き、流星と並んで繋がれた伊十郎の馬が藁を食む音だけが室内に響いている。
 空になった茶碗を両手で持ったまま、伊十郎がぼそりと声を出した。

「のう、佐次郎。右京にはなんと言えばええんかのぉ」

 佐次郎が潰れた目から溢れ出る涙を袖口で拭いてから口を開いた。

「目は覚ましたと言うてください。ただ、木こりになる言うて聞かんけぇ諦めろと言うてくれりゃあ良いですよ。元気で働いとるけぇ、心配は要らんと伝えてください」

「そうなると必ず連れ戻そうとするぞ」

 佐次郎が残っている左目で天井に貼られた杉皮を見た。
 ところどころ剝がれて垂れ下がっている。
 そこにかかった蜘蛛の巣が煤を浴びて黒く変色していた。

「いや、兄上はきっと『そうか』と言うて許してくださいますよ。兄上は俺のことを一番わかってくれとりますけぇ」

「うん、そうかもしれんな」

 思い出したように佐次郎が伊十郎を見た。

「秋には必ず兄上の薬となる大仙の銀杏を届けます。それが届いている間は俺は生きているのだと思ってほしい伝えてください」

「銀杏? ああ、あの山頂の宮の銀杏か」

「ええ、あれは特別な滋養があるでしょう? 毎年俺が取りに行っていたのです。春乃が畑に埋めて食えるようにしてくれるんです」

「なるほど。しかしあれは臭そうて叶わんよのぉ。かたい殻さえ腐らせたら、信じられんほどうまいのにのぉ。しかしあれをああやって食うと最初に発見したやつは凄いと思わんか?」

「本当に凄いですよね。あの匂いは俺もダメです。肥溜めの臭いじゃもん。でもね、春乃は平気な顔をして抱えて川に洗いに行くんです。女は強いですよね。あの匂いを知っていても、焼いたら旨い旨いというて食うんですから」

「ハハハ!」

 伊十郎が声をあげて笑った。
 煙抜きのガラリから男たちの笑い声が木々を揺らす。
 伊十郎がふと振り返り佐次郎に言った。

「春乃が戻ったようじゃの。詳細は書簡でやり取りをしよう。できることは全部する。何なりと言うてくれ」

 佐次郎が頭を下げた。

「頼りにしとります」

 カラッと戸が開き、杣人が持つ松明の灯りが春乃の影を室内に伸ばした。

「おう、戻ったか。ちょうど話は終わったところだ」

「そろそろじゃろうと思うて戻りました。伊十郎さまはここでこのままお泊りになるじゃろう? 私は村長のところに泊めてもらいますけぇ」

 佐次郎が春乃に言う。

「狭いがここで三人で寝よう。なぁに寒い戦場の地べたに寝ることを思えば極楽のようなものじゃ。のう? 伊十郎様」

 伊十郎が頷く。

「おう、その通りよ。囲炉裏を囲って寝ようわい」

 春乃が申し訳なさそうに眉を下げた。

「狭かろうに……」

「それがええんじゃ」

 伊十郎の言葉に春乃を送ってきた杣人が頷いた。

「じゃあワシは帰りますけぇ。治療をして下さったお医者も今夜は泊りなさるそうですけぇ、明日は佐次郎さまも診てもらいんさいよ」

「おう、よろしく頼む」

 春乃が土間に積んだ藁を伊十郎の愛馬と流星の前に積み上げた。

「伊十郎様、湯があるけぇゆっくりお浸かりになってくださいよぉ」

 伊十郎が驚いた顔をした。

「湯? お前のところには湯殿があるのか?」

 春乃がおかしそうに顔を緩める。

「立派な湯殿ですよぉ。雨が降ったら入れんけんど、星を眺めながらゆっくりですますけぇ」

「おお、露天か。そりゃ風流じゃのう。佐次郎、お前も一緒に入ろう」

「ええですねぇ。俺はここに来て風呂に入るのは初めてじゃけぇ」

「そうか。そりゃええわい」

 春乃が体を洗うための糸瓜と清潔に洗ってある拭いを桶に入れた。
 佐次郎が伊十郎と共に裏手に回る。
 この辺りは温泉が湧き出しており、少し深く掘れば熱い湯が滲み出る。
 それを竹筒で村まで引き込んでいるので、集落には小さいながらも共同の風呂があった。
 それを途中で分岐して、小屋の裏に石積みの露天風呂を作ってくれたのも杣人たちだ。
 熱ければ川の水でうめれば良いし、放っておけばまた熱くなるので、春乃は毎日のように湯を楽しんでいた。

「ふぅぅぅぅぅ……こりゃホントに極楽じゃなぁ」

 裏手から伊十郎の声が聞こえる。
 その声を微笑みながら聞いた春乃はでたらめな鼻歌を歌いながら、ありったけの布団を敷きならべていった。
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