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57 覚悟
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佐次郎たちがたたら場で暴れようとしていた頃、道庭家に預けられた春乃が幼いころから住んでいた小屋から出てきた。
駆け去っていく佐次郎を泣きながら見送った春乃は、ずっと小屋に籠って泣いてばかりいたのだ。
困り果てた右京から知らせを受けた杣人の女房達が、山の恵みを手に見舞いに来てくれた。
「うちの亭主も一緒ですけぇ、心配はいりませんよぉ」
少し腹が目立ってきた女房が言う。
春乃はコクリと頷いた。
「そいじゃがあなた様も腹に子がおるというのに……申しわけないことですよぉ」
「何を言いなさるかね。子を産むのはおなごの仕事ですけぇ。こんな時の男はおっても(居ても)役になど立ちやしませんけぇ。せいぜい稼いでくれた方がええですよぉ。それに私は二回めじゃけぇね。それほど恐れとりはしませんけぇ」
「二回目? ああ、二人目ということ?」
その女房がふと悲しげな顔をした。
「腹に宿ったのは二回目じゃし、産み落とすんも二回目じゃけどね。前の子は一歳になる前に死んでしもうたんですよ。理由はわからんのです。朝起きたら息をしとらんかった……生きとったら今年で四歳ですけぇ」
春乃は息をのんだ。
そうなのだ。
産めば育つというものではないのだと思い知った気がした。
やっと授かった子を、命を懸けて産み落とし、自分の食い扶持を減らしてでも育てるのが親だ。
しかし、そうまでして大きくした子の命を、まるで雑草を刈り取るように奪っていく戦。
戦とはなんと罪深い行いだろうか。
「佐次郎さまが帰ってきなさったら、また山にもどりんさるのじゃろう?」
春乃が頷く。
「佐次郎さまがどう考えとられるかは聞いてはおらんけんど、私は戻りたいと思うとりますよ」
「うんうん、戻ってくりゃええよ。あの小屋では心配じゃと言うなら、村長の隣の家に住めばええ。あそこは去年から空き家じゃけぇね」
春乃は集落の風景を思い浮かべた。
確かに村長の家の続きにある小屋はいつも雨戸が立ててある。
「去年から? 集落を出ちゃったん?」
見舞いに来た女房達が顔を見合わせた。
一人が務めて明るい声で答える。
「村長の次男夫婦が住んどったんじゃけどね、次男は戦から帰らんかったんよ。子も無かったけぇ女房は里に戻ったんじゃと聞いとるよ」
「戦から……」
違う女房が呟くように言う。
「それが戦いうもんじゃろ……つまらんことをするものじゃ」
その隣に座る女房が頷いた。
「殺し合う前に話し合えばええのにのぉ」
本当にそうだと春乃は思った。
なぜ力で解決しようとするのだろうか。
「それより御新造さん、あんたちいと瘦せたんじゃないかね?」
春乃が俯いた。
「まあ、そうじゃろうと思うて美味いもんをたんと持ってきたけぇね。母屋の竈は貸してもらえるかね?」
「うん、大丈夫じゃと思うけんど、ちいと聞いてくるね」
「ええよ、私が行ってこよう。ついでにパパっと拵えてくるけぇ」
三人の女たちが立ち上がった。
「ごめんねぇ。ありがとうねぇ」
三人が振り返って、ふわっと笑う。
まるで菩薩のようだと春乃は思った。
「ねえ、御新造さん」
一人残った腹のせり出した女が声を出した。
「どうしたん?」
言い淀むように俯く女。
「もしも……もしもよ? 佐次郎さんが戻られんかったら御新造さんはどうなさるね?」
予想外の質問だ。
「戻らんかったら? ええと……考えたことも無かったけぇ……」
女房が悲しそうな顔で言う。
「私は亭主が村を離れるたびに、もう会えんものじゃと思うんですよぉ。これが最後かもしれんと思うて、朝めしを作ってねぇ。この飯がこの人が食う最後の米粒じゃろうと思うて、握り飯を渡すんです」
「……」
佐次郎を何度も戦場に送り出した経験のある春乃でさえ、そこまで考えたことは無かった。
なぜか必ず戻ってくるという確信があったのだ。
いや、そう信じたかっただけかもしれない。
そう思い至った春乃は、今この瞬間さえ奇跡の積み重ねなのだと思った。
「帰ってきたら嬉しいですよ? でももし帰らんかったとしても……私の暮らしは変わらんのですよ。子も同じじゃ。生きとってくれりゃあそりゃ嬉しいですよ。でもね、死んでしもうたからといっても何も変わらんかった」
春乃は泣くのを我慢している。
「結局ね、私らなんかおってもおらんでもなんも変わらんのです。でもね、私らも生きとるでしょう。生きとる限りは精一杯生きんと、命を繋いでくださったご先祖様に申し訳が無いでしょう。だからね、私は何人でも子を産みますよ。たとえこの子が死んでも次を産みますよ」
「……あなたは凄い人じゃね」
「いやぁ。私ら杣人だけじゃないですよ。農民も漁民も商人も這いずり回って生きとる人間はみんなその覚悟を持ってます。私らが持っているのが生き抜く覚悟なら、お武家さんらが持っとるのは死ぬ覚悟でしょう?」
「うん、そうじゃね」
春乃はふと佐次郎の顔を思った。
「佐次郎さまはお武家さまじゃったけんど、御新造さんのために止めちゃったんじゃろ? 凄いねぇ。あの人はほんとに凄いお人じゃねぇ」
春乃の目からポロリと涙がこぼれた。
そんな春乃の頭を優しくなでる女。
「私が何を言いたいんかいうたらね、御新造さん。あなたも覚悟を決めんさいということじゃ」
春乃はギュッと目を瞑った。
駆け去っていく佐次郎を泣きながら見送った春乃は、ずっと小屋に籠って泣いてばかりいたのだ。
困り果てた右京から知らせを受けた杣人の女房達が、山の恵みを手に見舞いに来てくれた。
「うちの亭主も一緒ですけぇ、心配はいりませんよぉ」
少し腹が目立ってきた女房が言う。
春乃はコクリと頷いた。
「そいじゃがあなた様も腹に子がおるというのに……申しわけないことですよぉ」
「何を言いなさるかね。子を産むのはおなごの仕事ですけぇ。こんな時の男はおっても(居ても)役になど立ちやしませんけぇ。せいぜい稼いでくれた方がええですよぉ。それに私は二回めじゃけぇね。それほど恐れとりはしませんけぇ」
「二回目? ああ、二人目ということ?」
その女房がふと悲しげな顔をした。
「腹に宿ったのは二回目じゃし、産み落とすんも二回目じゃけどね。前の子は一歳になる前に死んでしもうたんですよ。理由はわからんのです。朝起きたら息をしとらんかった……生きとったら今年で四歳ですけぇ」
春乃は息をのんだ。
そうなのだ。
産めば育つというものではないのだと思い知った気がした。
やっと授かった子を、命を懸けて産み落とし、自分の食い扶持を減らしてでも育てるのが親だ。
しかし、そうまでして大きくした子の命を、まるで雑草を刈り取るように奪っていく戦。
戦とはなんと罪深い行いだろうか。
「佐次郎さまが帰ってきなさったら、また山にもどりんさるのじゃろう?」
春乃が頷く。
「佐次郎さまがどう考えとられるかは聞いてはおらんけんど、私は戻りたいと思うとりますよ」
「うんうん、戻ってくりゃええよ。あの小屋では心配じゃと言うなら、村長の隣の家に住めばええ。あそこは去年から空き家じゃけぇね」
春乃は集落の風景を思い浮かべた。
確かに村長の家の続きにある小屋はいつも雨戸が立ててある。
「去年から? 集落を出ちゃったん?」
見舞いに来た女房達が顔を見合わせた。
一人が務めて明るい声で答える。
「村長の次男夫婦が住んどったんじゃけどね、次男は戦から帰らんかったんよ。子も無かったけぇ女房は里に戻ったんじゃと聞いとるよ」
「戦から……」
違う女房が呟くように言う。
「それが戦いうもんじゃろ……つまらんことをするものじゃ」
その隣に座る女房が頷いた。
「殺し合う前に話し合えばええのにのぉ」
本当にそうだと春乃は思った。
なぜ力で解決しようとするのだろうか。
「それより御新造さん、あんたちいと瘦せたんじゃないかね?」
春乃が俯いた。
「まあ、そうじゃろうと思うて美味いもんをたんと持ってきたけぇね。母屋の竈は貸してもらえるかね?」
「うん、大丈夫じゃと思うけんど、ちいと聞いてくるね」
「ええよ、私が行ってこよう。ついでにパパっと拵えてくるけぇ」
三人の女たちが立ち上がった。
「ごめんねぇ。ありがとうねぇ」
三人が振り返って、ふわっと笑う。
まるで菩薩のようだと春乃は思った。
「ねえ、御新造さん」
一人残った腹のせり出した女が声を出した。
「どうしたん?」
言い淀むように俯く女。
「もしも……もしもよ? 佐次郎さんが戻られんかったら御新造さんはどうなさるね?」
予想外の質問だ。
「戻らんかったら? ええと……考えたことも無かったけぇ……」
女房が悲しそうな顔で言う。
「私は亭主が村を離れるたびに、もう会えんものじゃと思うんですよぉ。これが最後かもしれんと思うて、朝めしを作ってねぇ。この飯がこの人が食う最後の米粒じゃろうと思うて、握り飯を渡すんです」
「……」
佐次郎を何度も戦場に送り出した経験のある春乃でさえ、そこまで考えたことは無かった。
なぜか必ず戻ってくるという確信があったのだ。
いや、そう信じたかっただけかもしれない。
そう思い至った春乃は、今この瞬間さえ奇跡の積み重ねなのだと思った。
「帰ってきたら嬉しいですよ? でももし帰らんかったとしても……私の暮らしは変わらんのですよ。子も同じじゃ。生きとってくれりゃあそりゃ嬉しいですよ。でもね、死んでしもうたからといっても何も変わらんかった」
春乃は泣くのを我慢している。
「結局ね、私らなんかおってもおらんでもなんも変わらんのです。でもね、私らも生きとるでしょう。生きとる限りは精一杯生きんと、命を繋いでくださったご先祖様に申し訳が無いでしょう。だからね、私は何人でも子を産みますよ。たとえこの子が死んでも次を産みますよ」
「……あなたは凄い人じゃね」
「いやぁ。私ら杣人だけじゃないですよ。農民も漁民も商人も這いずり回って生きとる人間はみんなその覚悟を持ってます。私らが持っているのが生き抜く覚悟なら、お武家さんらが持っとるのは死ぬ覚悟でしょう?」
「うん、そうじゃね」
春乃はふと佐次郎の顔を思った。
「佐次郎さまはお武家さまじゃったけんど、御新造さんのために止めちゃったんじゃろ? 凄いねぇ。あの人はほんとに凄いお人じゃねぇ」
春乃の目からポロリと涙がこぼれた。
そんな春乃の頭を優しくなでる女。
「私が何を言いたいんかいうたらね、御新造さん。あなたも覚悟を決めんさいということじゃ」
春乃はギュッと目を瞑った。
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