泣き鬼の花嫁

志波 連

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61 鬼の子

 しかしその幼子は、まるで何かに呼ばれたように佐次郎の方へと足を進める。

「よねこ!」

 たたら場の男が幼女を抱きかかえようとした時、後ろから声がした。

「おまえ……無事じゃったか。良かったのぉ」

 佐次郎の声だ。
 どうやら意識を取り戻したらしい。
 顔中に脂汗を浮かばせながらも、必死で優しい声を出そうとしている佐次郎。
 ふと佐助が呟くように言う。

「この幼子の腕なら入れられるかもしれん」

 幼子を抱き上げようとした男の手が止まる。

「この子を助けるために佐次郎さまは体を張ってくれんさったんじゃ」

 男が幼子をそっと抱き上げた。

「なあよねこ、お前はこの人に命を助けてもろうたんじゃ。お前ならできるかもしれんけぇ、おじちゃんの言うとおりにやってくれんか? 恩返しせにゃいけんじゃろう?」

 コクンと頷くよねこ。

「この子はワシの姉の子です。姉は早うに死んでねぇ、今はばばが育てとるんです。なんでかわからんけんど、この子は言葉が喋れんのです。でも賢いええ子ですけぇ」

 もう一人の男が、何か思い立ったように佐助のそばを離れて小屋の奥に走った。

「あった! やっぱり隠してやがった!」

 男が探し出してきたのは焼酎の入った船徳利だ。
 まだ封を開けていない状態で、口の封印がそのまま残っている。

「よねこ! 手を出せ」

 素直に手を伸ばしたよねこの腕を焼酎で洗い始める。
 小屋の中に酒精の匂いが立ちこめた。
 腕を洗われながらも、よねこはじっと佐次郎の目を見ていた。

「そうか、お前が助けてくれるんか。ありがとうのぉ。でものぉ、無理はせんでくれえよ?」

 佐次郎がそう言うと、まるで会話が成立していたように大きく頷くよねこ。

「そうかそうか、かかさまが行けと言うたんか。お前のかかさまは凄い人じゃのぉ」

 よねこがにっこりと微笑んで後ろを見た。

「おお! ととさまもおいでになったか。そりゃ安心じゃなぁ」

 佐次郎とよねこだけがわかり合っている不思議な空間に、男たちは戸惑った。
 よねこの叔父である若いたたら場の男がやっと声を出した。

「姉はたたら神への御供だったのです。貢物になると決まってからはずっと山の宮に籠もっとったのに、ある日ひょっこりこの子を連れて降りてきたのですよ。男衆は誰も近寄っとりはせんですけぇ、誰か旅の者にでも手籠めにされたのじゃろうと言われとったのです」

 そのことでいろいろと辛い思いもしたのだろう。
 その男が悲痛な表情を浮かべている。
 佐次郎が男に言った。

「この子の父親はこの山の主じゃそうな。お前たちが鬼と呼んでおった御方じゃろうて。姉様は立派にお役目を果たしなさったのじゃ。自慢のねえさまじゃのぉ」

 たたら場の男たちが顔を見合わせた。
 ニコニコと嬉しそうな顔でよねこが血だらけの佐次郎の横に座った。
 無言のまま濡れた右腕を叔父に向けて突き伸ばす。

「え? ああ……うん、わかった。よねこ……頑張ってくれろ」

 頷くよねこ。
 もう一人の男がよねこの肘上まで煙草をまぶしつけた。
 伊十郎の方へ顔を向けて小さく頷くと、片膝を立てて腕を構える。

「あいわかった。いくぞ! 佐次郎!」

「お頼み申す!」

 意識を取り戻した佐次郎なら、不用意な動きはしないと踏んだ伊十郎は一気に矢を引き抜いた。
 佐次郎は真っ赤な顔で痛みに耐えている。
 顔中の血管が青い筋を作り、噴き出す汗が滝のように流れ落ちた。
 ずるずると吐き出される矢と共に、出血量が増えていく。

「今ぞ!」

 見事に矢を抜き去った伊十郎の声に、よねこが動いた。

「はうっ!」

 ずっと耐えていた佐次郎がうめき声を漏らした。
 よねこは顔の半分に血を被りながらも、ひるむことなくその腕を傷口に沈めていく。
 その様子を息をするのも忘れて見守る伊十郎たち。
 よねこの肘が佐次郎の体に埋まり切ったところで、動きが止まった。

「突き当たったか?」

 頷いたよねこが、何かを探っているような動きを見せた。
 幼子の上腕の半ばまで飲み込んだ佐次郎の体がぴくぴくと痙攣を始めた。

「拙いぞ。引き攣れが起きとる!」

 佐助の声が声に響いた。

「手を抜け! 佐次郎が動いたらお前の腕など簡単に折れてしまう!」

 伊十郎が慌ててよねこに駆け寄った。
 首を振るだけでそれを制したよねこが、埋まっていない方の手で佐次郎の左目を覆う。
 伽藍洞の右目からは相変わらず涙が零れ落ちていた。

「よねこ?」

 叔父であるたたら場の男が声を出した。
 ゆっくりと振り向いたよねこが、小屋の入り口を見た。
 
「流星? お前……」

 暗闇に溶け込んでいたのか、まったく気配を感じさせなかった流星が、のそりと小屋に入ってくる。
 月が出ているのだろうか、漆黒の馬体が金色に輝いて見えた。
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