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「君は本当にそれでいいの? 確かに最初から仕立てるには時間が足りないかもしれないが、そこはなんとでもするよ?」
「いいえ、殿下。それで結構です」
「シェリー……君にとっては望みもしない結婚だろう。でもね、シェリー、僕もそうなんだよ? 僕だって辛いんだ。そこはわかってね」
「もちろんですわ、アルバート殿下。学生の頃から殿下とローズ様はとても仲睦まじかったですもの。本当になんと申し上げて良いのか」
「ああ、ありがとう。僕は男だし、生まれたときから王子だから。なんと言うかこの状況は受け入れざるを得ないことは理解している。心情的には納得できないけどね。でも君にとっては青天の霹靂だっただろう? あれほど愛し合っていた婚約者と引き離されて……可哀そうに。だからせめてもの詫びに、できることはしたいと思う。母に逆らってでもね」
「いえ、本当に大丈夫ですから。皆様のお手を煩わしてしまう方が心苦しいです」
「そう? 女性にとって結婚式で着るドレスは思い入れがあるとローズが……いや、失敬。忘れてくれ」
「ふふふ、殿下。遠慮なさらずにお話しください。別に私とローズ様が恋敵だったわけではございませんし、彼女とは同級生として、すれ違えば会釈をし合う程度には知り合いでしたから。彼女の笑顔は大輪のバラが咲き誇るように美しかったですわね」
「ああ、本当にこちらまで明るくなるような笑顔だった。僕はあの笑顔がとても好きだったよ。性格的には少しきついところがあったし、贅沢も大好きだったけれど、僕は彼女が大好きだったよ」
「殿下……」
テーブルに載せた手をギュッと握りしめて俯くアルバート。
シェリーはこの国の第二王子という立場ゆえに、次期王レースのまっただ中にいるこの青年に心から同情した。
シェリーはアルバートのために気配を消す。
彼の後ろに咲き乱れる真っ赤なバラは、ローズをイメージして交配された品種だ。
ローズオブローズ。
名付けたのはアルバート殿下だと聞いたことがある。
「……ごめん」
アルバートの声に視線を戻したシェリーの目にも涙が浮かんでいた。
「僕ばかりごめんね。君の方が辛いよね。うん、それはわかっているんだ。だから何でも相談して欲しい。何か強請ってくれたらいいのにって思うよ。僕は君のことを大切にすると誓う」
「殿下、ありがとうございます。運命を受け入れるにはまだ時間が必要だと思いますが、殿下もきっと同じだと思います。私たちは運命共同体なのですわ。ゆっくりと歩み寄って参りますので、もう少しだけ時間を……時間をいただけないでしょうか」
「勿論だ。君の言う通り僕たちは運命共同体だ。君の辛さの全てはわからないけれど、少なくとも同じような痛みは知っている。君もそうだよね。互いの辛さが分かるのは僕たち二人だけだものね。ゆっくりで良いよ。だから君も頑張ってくれ」
「はい、頑張りますわ。殿下も頑張ってくださいまし」
「うん、頑張るよ」
そうして二人は、少しずつ心を開きあい、微笑み合えるように努力を重ねた。
でもずっと拭えない黒い澱は沈殿したまま、それぞれの心の底に残っている。
アルバートの心の中も、シェリーの心の中も真っ白になることは永遠に無いだろう。
ゴールディ王国第二王子の結婚式まで後ひと月というある日、シェリーの心を地獄の底に突き落とすほどの情報がもたらされた。
知らせたのは王弟であり、王宮近衛騎士隊長のサミュエルだった。
「シェリー嬢、少し話をしても良いかな?」
相変わらず自室で勉強三昧のシェリーを訪ねたサミュエルの顔色は酷かった。
「まあ、王弟殿下。ご無沙汰しております。どうぞお入りくださいませ」
シェリーは侍女にお茶の用意を頼み、サミュエルにソファーを促した。
一度ギュッと目を瞑ったサミュエルが、お茶の用意も待たずに口を開く。
「ブラッド公爵夫妻はご健勝だ。安心して欲しい」
「ありがとうございます」
両親と面会することは王妃により禁止されていたが、手紙のやり取りは許されている。
しかし、イーサンとのやり取りは全く無い。
どんな些細な情報さえ入ってこないのだ。
「イーサンのことだ……既に知っているだろうが、彼が派遣された辺境地で少し大きな戦闘があった」
シェリーは驚いて顔を上げた。
「辺境地? 出征? 一度戦争に参加した者は二度と出征しなくて良いという決まりなのでは無かったですか? イーサンが出征? どういうことです? いったい何が……」
サミュエルがギュッと拳を握る。
「やはり情報が遮断されていたか。その件で私も現場を離れることができなかった。まさかそこまで徹底していたとはな。さすがとしか言いようがないが。そうだ、イーサンは君との婚約が解消された後、職を辞して領地に引き籠ってしまったんだよ。それも知らなかったのかな?」
「領地に……」
「ああ、もう王宮騎士ではない彼に、召集令状など無縁のものだ。でも彼は志願したんだよ。ある条件を提示してね」
「志願って……条件を出した? 意味が解りません!」
「実はね、君の弟に召集令状が届いたんだ。学園を卒業したばかりの青年の、ましてや侯爵家の嫡男にそういうものが出るなんて考えられないだろ?」
「ブルーノに招集令状ですって? 父は……父は何も言わなかったわ!」
取り乱し、王族への礼などかなぐり捨てたシェリーは叫んだ。
「どういうことですか!」
シェリーの態度を諫めようと近づいた侍女を手で制し、退出するように促したサミュエルは、ドアが閉まるのを待って言葉を続けた。
「出たんだよ。信じられんだろ?あの女狐の策略に決まっている」
「あの女狐?」
「そう、あとひと月で君の義母となる尊き身分の御方だ」
「そんな! なぜ? なぜそこまで苦しめるのですか? 父が何かしでかしましたか? それとも私が?」
「いや、君たちは何もしていない。というよりむしろ中立派として本当によくやってくれているよ。イーサンのシルバー伯爵家もね」
シェリーは絶望で気が変になりそうだった。
サミュエルが言葉を続ける。
「君の弟……ブルーノだったね。それを知ったイーサンが、彼の代わりに出征すると言い出した。自分は経験もあるからブルーノより役に立つと言ってね。そして……認められた」
「イーサン……ああ、イーサン……あなた……」
「彼は説得に赴いた私に言ったよ。シェリーの愛する者たちを守りたいのだとね。君を守れなかったことをとても悔やんでいた。彼には妹と弟がいるんだね。でも君の家には弟しかいないだろ? 自分に何があっても両家は安泰だって……笑ってたよ」
シェリーは両手で顔を覆った。
「すまない、シェリー。しかし、ここからが本題だ」
泣きぬれた顔をサミュエルに向けるシェリーの顔が一瞬で真っ青に変わった。
変えたのはサミュエルが放った一言だ。
「イーサンが……行方不明だ。状況的には難しいと思う」
シェリーはそのまま気を失った。
「いいえ、殿下。それで結構です」
「シェリー……君にとっては望みもしない結婚だろう。でもね、シェリー、僕もそうなんだよ? 僕だって辛いんだ。そこはわかってね」
「もちろんですわ、アルバート殿下。学生の頃から殿下とローズ様はとても仲睦まじかったですもの。本当になんと申し上げて良いのか」
「ああ、ありがとう。僕は男だし、生まれたときから王子だから。なんと言うかこの状況は受け入れざるを得ないことは理解している。心情的には納得できないけどね。でも君にとっては青天の霹靂だっただろう? あれほど愛し合っていた婚約者と引き離されて……可哀そうに。だからせめてもの詫びに、できることはしたいと思う。母に逆らってでもね」
「いえ、本当に大丈夫ですから。皆様のお手を煩わしてしまう方が心苦しいです」
「そう? 女性にとって結婚式で着るドレスは思い入れがあるとローズが……いや、失敬。忘れてくれ」
「ふふふ、殿下。遠慮なさらずにお話しください。別に私とローズ様が恋敵だったわけではございませんし、彼女とは同級生として、すれ違えば会釈をし合う程度には知り合いでしたから。彼女の笑顔は大輪のバラが咲き誇るように美しかったですわね」
「ああ、本当にこちらまで明るくなるような笑顔だった。僕はあの笑顔がとても好きだったよ。性格的には少しきついところがあったし、贅沢も大好きだったけれど、僕は彼女が大好きだったよ」
「殿下……」
テーブルに載せた手をギュッと握りしめて俯くアルバート。
シェリーはこの国の第二王子という立場ゆえに、次期王レースのまっただ中にいるこの青年に心から同情した。
シェリーはアルバートのために気配を消す。
彼の後ろに咲き乱れる真っ赤なバラは、ローズをイメージして交配された品種だ。
ローズオブローズ。
名付けたのはアルバート殿下だと聞いたことがある。
「……ごめん」
アルバートの声に視線を戻したシェリーの目にも涙が浮かんでいた。
「僕ばかりごめんね。君の方が辛いよね。うん、それはわかっているんだ。だから何でも相談して欲しい。何か強請ってくれたらいいのにって思うよ。僕は君のことを大切にすると誓う」
「殿下、ありがとうございます。運命を受け入れるにはまだ時間が必要だと思いますが、殿下もきっと同じだと思います。私たちは運命共同体なのですわ。ゆっくりと歩み寄って参りますので、もう少しだけ時間を……時間をいただけないでしょうか」
「勿論だ。君の言う通り僕たちは運命共同体だ。君の辛さの全てはわからないけれど、少なくとも同じような痛みは知っている。君もそうだよね。互いの辛さが分かるのは僕たち二人だけだものね。ゆっくりで良いよ。だから君も頑張ってくれ」
「はい、頑張りますわ。殿下も頑張ってくださいまし」
「うん、頑張るよ」
そうして二人は、少しずつ心を開きあい、微笑み合えるように努力を重ねた。
でもずっと拭えない黒い澱は沈殿したまま、それぞれの心の底に残っている。
アルバートの心の中も、シェリーの心の中も真っ白になることは永遠に無いだろう。
ゴールディ王国第二王子の結婚式まで後ひと月というある日、シェリーの心を地獄の底に突き落とすほどの情報がもたらされた。
知らせたのは王弟であり、王宮近衛騎士隊長のサミュエルだった。
「シェリー嬢、少し話をしても良いかな?」
相変わらず自室で勉強三昧のシェリーを訪ねたサミュエルの顔色は酷かった。
「まあ、王弟殿下。ご無沙汰しております。どうぞお入りくださいませ」
シェリーは侍女にお茶の用意を頼み、サミュエルにソファーを促した。
一度ギュッと目を瞑ったサミュエルが、お茶の用意も待たずに口を開く。
「ブラッド公爵夫妻はご健勝だ。安心して欲しい」
「ありがとうございます」
両親と面会することは王妃により禁止されていたが、手紙のやり取りは許されている。
しかし、イーサンとのやり取りは全く無い。
どんな些細な情報さえ入ってこないのだ。
「イーサンのことだ……既に知っているだろうが、彼が派遣された辺境地で少し大きな戦闘があった」
シェリーは驚いて顔を上げた。
「辺境地? 出征? 一度戦争に参加した者は二度と出征しなくて良いという決まりなのでは無かったですか? イーサンが出征? どういうことです? いったい何が……」
サミュエルがギュッと拳を握る。
「やはり情報が遮断されていたか。その件で私も現場を離れることができなかった。まさかそこまで徹底していたとはな。さすがとしか言いようがないが。そうだ、イーサンは君との婚約が解消された後、職を辞して領地に引き籠ってしまったんだよ。それも知らなかったのかな?」
「領地に……」
「ああ、もう王宮騎士ではない彼に、召集令状など無縁のものだ。でも彼は志願したんだよ。ある条件を提示してね」
「志願って……条件を出した? 意味が解りません!」
「実はね、君の弟に召集令状が届いたんだ。学園を卒業したばかりの青年の、ましてや侯爵家の嫡男にそういうものが出るなんて考えられないだろ?」
「ブルーノに招集令状ですって? 父は……父は何も言わなかったわ!」
取り乱し、王族への礼などかなぐり捨てたシェリーは叫んだ。
「どういうことですか!」
シェリーの態度を諫めようと近づいた侍女を手で制し、退出するように促したサミュエルは、ドアが閉まるのを待って言葉を続けた。
「出たんだよ。信じられんだろ?あの女狐の策略に決まっている」
「あの女狐?」
「そう、あとひと月で君の義母となる尊き身分の御方だ」
「そんな! なぜ? なぜそこまで苦しめるのですか? 父が何かしでかしましたか? それとも私が?」
「いや、君たちは何もしていない。というよりむしろ中立派として本当によくやってくれているよ。イーサンのシルバー伯爵家もね」
シェリーは絶望で気が変になりそうだった。
サミュエルが言葉を続ける。
「君の弟……ブルーノだったね。それを知ったイーサンが、彼の代わりに出征すると言い出した。自分は経験もあるからブルーノより役に立つと言ってね。そして……認められた」
「イーサン……ああ、イーサン……あなた……」
「彼は説得に赴いた私に言ったよ。シェリーの愛する者たちを守りたいのだとね。君を守れなかったことをとても悔やんでいた。彼には妹と弟がいるんだね。でも君の家には弟しかいないだろ? 自分に何があっても両家は安泰だって……笑ってたよ」
シェリーは両手で顔を覆った。
「すまない、シェリー。しかし、ここからが本題だ」
泣きぬれた顔をサミュエルに向けるシェリーの顔が一瞬で真っ青に変わった。
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シェリーはそのまま気を失った。
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