勇者仏滾る(ぶったぎる)~坊さん勇者は骨伝導お経を叩き込んで魔王を倒す~

十一屋 翠

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第5話 海の打音(アクアビート)

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「南~ぁ無ぅ阿~弥ぃ陀ぁあぁ~打ぅ~」

 魔の海域の海面を、死んだ目のゴブリンとオークを担いだガタイの良い坊主がお経を唱えながら歩いていた。
 間違いなく海の怪談である。
 気弱な一般人でなくとも逃げる。
 現に危険なモンスターで溢れる魔の海域にもかかわらず、モンスター達はあまりの異常な光景に警戒して近づいては来なかった。
 なおマーマンのサグジョは普通に泳いで付いてきた。
 彼にとっては不幸中の幸いである。
 なにしろジョバッカとゴーグは至近距離でお経を聞かされ、鍛砕坊の筋肉を振動して届くお経のシャウトを体で体験していたのだ。
 彼らは己が手を出してはいけない相手に愚かにも挑んでしまった瞬間をリフレインで思い出させられていた。
 さしずめ閻魔大王が亡者の善悪を見極める為の浄玻璃の鏡で生前の行いを映し出されるが如き光景である。

(さてどうしたものか)

 鍛砕坊の後を少し遅れて付いていくサグジョは考えていた。
 いつ逃げ出すかを。

(今は間違いなく好機だ。あの坊主もお経を唱えながらあの二人を抱えていちゃあ逃げる俺を追いかける事なんて不可能。こっちはマーマン。水中深く潜れば人間なんざ置いてけぼりさ)

 だがそれでも戦おうとは思わないサグジョ。
 圧倒的に有利なホームであろうとも、この坊主には絶対に勝てないと魂魄に刻まれていたるだ。

(よし、今がチャンス!)

 サグジョは行動を開始した。
 鍛砕坊が自分を見ていないのを見て海中に潜る。
 そして水中深く逃げようとしたその時、海底から巨大な鮫が自分に向かって襲い掛かってきていた事に気付いた。
 何たる迂闊。
 彼は鍛砕坊を恐れるあまり、それ以外の脅威を失念していたのだ。

「ギャァァァァァァァ!!!!」

 あわてて海面に飛び撥ねて一目散に逃げ出すサグジョ。

「南ぁぁぁ無ぅぅぅ?」

 鍛砕坊のお経の音程が疑問符風に変化する。
 直後、鍛砕坊の背後で水が爆発した。
 危険を感じ取った鍛砕坊は前方に跳躍しつつも体をひねって背後に向き直る。

「ギシャシャシャーク! 我が名は海の四天王バーシャーク! 貴様が勇者か!」

「南~ぁ無ぅ阿~弥ぃ陀ぁあぁ~打ぅ~(訳:否、拙僧は勇者ではなく坊主にござる!)」

 しかし鍛砕坊は海面を歩く為にお経を途切れさせる訳には行かないので会話が成立しない。

「何を歌っておる!?」

「南~ぁ無ぅ阿~弥ぃ陀ぁあぁ~打ぅ~(訳:歌ではないお経である!)」

「ええーいおかしな奴め!」

 本当におかしな奴なので否定のしようがなかった。
 だがこの光景を好機と見る者が居た。
 そう、サグジョである。
 逃亡に失敗したと思われたサグジョであったが、鍛砕坊とバーシャークが互いに意識しているので自分にまで注意が向いていないのだ。

(今のうちに逃げないと!)

「逃がさんぞ裏切り者!」

 だが、バーシャークはサグジョを見失ってなどいなかった。
 彼は鍛砕坊に注意を向けつつ、サグジョにも目を配っていたのだ。
 鮫は目が悪いなどという俗説があるが、最近の研究では実は目が良い事が判明している。
 異世界の鮫の生態が地球の鮫と同じかは分からないが、少なくともこのバーシャークの視力、視野は非常に優れていた。

「この人間を食い殺したら次は貴様だ。貴様の首を晒す事で魔王様を裏切った愚か者の末路を広く知らしめてやるのだ!」

「ひぃぃぃぃぃ!!」

 サグジョは後悔した。
 もっと早く逃げればよかったと。
 この人間に関わらなければ良かったと。

「さぁ、勇者よ! 暗い海の底にご案内だ!」

 バーシャークが飛び上がる。
 彼は魚類にあるまじき跳躍力で数百メートル上空まで飛び上がりそして落下してきた。
 紐無しバンジーシャークである。
 そしてバーシャークが海面にぶつかると、その質量が飛び込んだ衝撃で大量の海水が大きな波となって鍛砕坊に覆いかぶさった。
 当然鍛砕坊はびしょぬれになる。
 それだけではない。
 津波の如き勢いの海水の衝撃は鍛砕坊を吹き飛ばした。
 同時に彼が担いでいたジョバッカとゴーグが死んだ目で吹き飛ぶ。
 だがそれは最悪の状況を彩るおまけにしか過ぎなかった。
 波に流される鍛砕坊は水の中。
 人間は水中では会話が出来ない。
 ソレはつまり水中ではお経を唱える事が出来ないという事だ。
 お経を唱える事が出来ないという事は、水の振動を利用して海面を歩く事が出来ないという事。
 そう、波に流された鍛砕坊は海中へと引きずり込まれてしまったのだ。

「ギシャシャシャーク! 貴様は魔法で海面を歩く事はすでに調査済みだ。だが人間ある貴様は水中では呪文を唱える事は不可能。つまりは海中に沈むしかないと言う訳だ! ギシャシャシャーク!」

 勝ち誇った笑い声を上げるバーシャーク。
 事実これはどう見ても詰んでいた。
 圧倒的に不利な状況、鍛砕坊の命は風前の灯であった。
 ついでにサグジョの命も。

「……」

 しかしそんな絶望的な状況でも鍛砕坊は恐れを見せない。
 彼は懐を探ると、中から茶色い球体を取り出した。
 否、それは木魚であった。
 木魚、すなわちお経を唱える時に叩く物で、子供達がおじいちゃんの家に遊びに来た時面白半分に叩いて親に怒られるあの木魚である。
 更に鍛砕坊は先端が布に包まれたバチを取り出し構える。

「ほう、ソレが勇者の武器と言う訳か」

 バーシャークは勘違いしたが、間違いなく武器ではない。
 それを証明する様に鍛砕坊がが木魚を叩き始める。
 旋律バラードの如き2ビートから始まり、次第に速度を上げジャズの如き4ビートへと変化していく。

「何だそれは? 只音を鳴らしているだけではないか!? 貴様それでも勇者なのか?」

 坊主である。

 木魚のビートはロックミュージックを彷彿させる軽快な8ビートへと変化し、遂にはフュージョンミュージックの如き16ビートへと到達した。
 だが鍛砕坊の木魚さばきはそこで終わりはしない。
 気が付けばその手は手ブレするカメラ映像の如くぼやけ、更には木魚の音がリズムを刻む事を止めまるで超音波の様に耳に響く。

「ウグググ、ヤメ、ヤメロ!!」

 と、そこでバーシャークが苦しみの声を上げる。
 そう、苦しんでいるのだ。
 バーシャークは鍛砕坊の放つ木魚ビートに酷い苦痛を感じていた。
 鮫といえば一億分の一に希釈した血をたらしてもその匂いを嗅ぎつけるほど鼻が良いというのは有名すぎる事実である。
 だが、実は鮫でもっとも優れた器官は聴力を司る耳である事はあまり知られていない。
 鮫は四〇ヘルツ以下の音を二km先からでも判別出来るほど耳が良いのだ。
 更に言えば水は空気中よりも音の伝達する速度が速い。
 バーシャークは文字通り音の檻に閉じ込められていると言えた。

「その音をヤメロォォォォォ!!!」

 堪りかねたバーシャークが鍛砕坊に襲い掛かる。
 圧倒的巨体から繰り出される高速の体当たり。
 水中に適応していない人間に回避など到底不可能。
 轢殺必死。

 ボボボボボボボボボッ

 だが、鍛砕坊は木魚ビートを止めなかった。
 むしろそれまで以上の異常なバチ裁きで更に木魚ビートが加速する。
 もはやソレは音ではなく衝撃波であった。
 音の衝撃波による攻撃。
 そうつまりはガチンコ漁だ。
 水面に顔を出している岩に岩を投げつければその衝撃で近くの魚が気絶して浮き上がるガチンコ漁。
 鍛砕坊はソレを木魚の旋律で再現したのである。
 更に間の悪い事に、鍛砕坊を轢き殺そうとしたバーシャークはそれを至近距離で浴びた。
 音の零距離射撃である。
 当然只の四天王にそれだけのビートを耐え切れる筈などなく、あわれバーシャークは意識を失った。
 そして彼の肉体を木魚ビートが浸透していく。
 さしずめリトマス紙に水溶液を溶かし込む様な化学反応が意識を失ったバーシャークの脳内で起きていた。

 ◆

「おみそれいたしました勇者様。貴方こそは私の支配者にふさわしいお方にございます」

 意識を取り戻したバーシャークは、全身に響き渡った木魚ビートの骨伝導殺法せっぽうによって完全に洗脳きえされていた。

「先ほども言ったが、拙僧は勇者ではなく坊主でござる。そして拙僧は坊主ゆえお主を支配などせぬ」

 心服したバーシャークの上に乗った鍛砕坊が否定の言葉を投げかける。

「これは失礼いたしました」

 バーシャークは完全に洗脳きえしきっており、魔王四天王としての自分を完全に捨て去っていた。
 これぞ阿弥打流殺法せっぽう輪廻転生ブレインウォッシュの効果であった。

「どうぞ私の背中に乗ってこの魔の海域をお通りください」

「うむ、御仏の導きに感謝だ」

「感謝でございます」

 こうして鮫が乗り物として配下に加わるのであった。
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