濡れちゃいそうだよ

kjji

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6月

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 その日、杏は校外学習で、帰りは遅くなる予定だった。二年生は四時間授業だったから、わたしは二時には家に着いていた。このチャンスを逃す手はない。
 わたしは杏の部屋に入って、本棚やベッドの下など少し嗅ぎ回ったが、やはりなにも出てこない。想定内だ。杏の秘密が隠されているとしたら、勉強机の横に置かれた、鍵のかかる引き出しの中だ。そしてわたしは引きだしの鍵の隠し場所を知っている。
 杏がまだ小学生だったころ、こっそり鍵を隠す姿を盗み見ていた。あのころからあいつは生意気だったが、隠し場所が変わっていなければ、あのクマのぬいぐるみの中だ。
 わたしは本棚の上にちょこんと座っているクマのぬいぐるみを手に取ると、くるっとひっくり返した。ぬいぐるみのお尻の部分の糸がほつれていて、その中に指を差し入れる。
 あった! そう言えば杏の妄想の中に、お股に鍵が隠されていると言う話があったけれど、これがそのアイデアの源泉だろうか。
 いや、そんなことを考えている場合ではない。クマのお股から取り出した鍵で引き出しを開ける。アイドルのブロマイドやお菓子(なんでこんなとこに隠してあるの?)の底に、ノートが置かれている。
 わたしはそのノートを手に取ると、ペラペラとページをめくってみた。
 やっぱり。
 杏はわたしの真似をして、妄想をノートに書きつけていたのだ。それにしても、もうノートの終わり近くまで書き込まれている。杏がわたしのノートについて知ったのは、二ヶ月ほど前のことだから、その間の執筆量だと考えると、かなりの多筆と言っていい。
 試しにわたしは最後のページに書かれている物語を読んでみた。
【薄暗い廊下に緑色の非常灯だけが燈っている。どこからか吹き込む風も湿気を帯びて、生暖かい。ここは地下の通路。両側に並んでいる扉のどれかの中に洸は囚われているはずだった。
 杏は忍び足で、一番手前の扉の鍵穴を覗き込んだ。暗くて何も見えない。そのとき突然、後ろから屈強な手が伸びて、杏の口を塞いだ。その手にはガーゼが握られていて、麻酔薬が染み込ませてあるのだろう、杏はすぐに意識を失った。
 杏が眼を覚ますと、手術台のようなものの上に縛り付けられている洸の姿があった。洸は褌をつけているだけで、その姿のまま台の上に大の字に手足を固定されている。
「洸さん」と、ソファから立ち上がろうとして、杏は自分の手足がロープで縛られていることに気づいた。
「どうやら、眼を覚ましたようだね」
 その声に振り向くと、そこに覆面をつけた男が三人立っていた。
「一ノ瀬を助けに来たつもりだろうが、ちょうどよかった」
「あなたたちは?」
「好奇心の強いお嬢さんだな。そんなことよりお前を捕まえたとき、俺たちは面白い賭けを思いついたんだ。お前が一ノ瀬を愛していることを証明できるかどうか、それがこの賭けのコマだ。もし証明できたなら、一ノ瀬を開放してやろう。ただし証明できなかったなら、一ノ瀬の命はないものと思え」
「証明するって、どうやって?」
「簡単なことだ。お前が愛の限りを尽くして、一ノ瀬を射精にまで導くことができるかどうか、それが証明だ」
「そんな!」
「別にいいんだよ。嫌ならやらなくても。しかしその場合は一ノ瀬の命は俺たちが貰う」
 杏は羞恥のため、心臓が激しく脈打つのを感じたが、「洸さんの命を救うためだ」と、自分に言い聞かせ、
「分かったわ。その代わり証明できたなら、必ず洸さんを解放して」
「ああ。どうやら取引が成立したようだな。早速はじめて貰おうか」
 手下と思われる二人の男が、杏に近づいてきて、ナイフで杏を縛っていたロープを断ち切る。杏は小突かれるようにして、洸の拘束されている台の横に立たされた。
 テニスで鍛え上げられた洸の裸体は、見事なまでの均整を示している。その美しさに杏は眩暈さえ覚えた。
「何してるんだ。早くやりな。本当に愛しているなら、簡単なことだろう」
 覆面をつけた男のひとりが言う。
「せめて洸さんの体を自由にしてあげて」
「おっと。その手に乗るとでも思っているのか。一ノ瀬が暴れ出したら、手に負えないからな。その格好のままで証明するんだ」
「洸さん、ごめんなさい」
 杏は洸の顔を覗き込んで言った。
「いいんだ。僕の方こそ済まない。君にこんなことをさせてしまって」
「いつまで待たせる気だ」と、リーダー格の男が言う。「時間制限を設けよう。一時間。一時間以内に証明できなければ、一ノ瀬の命はないものと思え」
「洸さん、本当にごめんなさい。じゃあ、始めるわね」
 杏は洸の腰に巻き付いている褌の紐に手を掛けた。】
 几帳面そうな小さくてカクカクした文字で書き綴られた物語は、ここで終わっている。
 クソッ、いいとこで止めやがって。
 それにしても、杏のやつ、なかなかやるな。三人称のちゃんとした小説みたいに書いてある。わたしがよく書く「いや~ん」みたいな馬鹿げた表現がない。
 もしかして、これは大型新人発掘か。それにしても褌とか、杏はどんな趣味をしているのだろう。
 いや、いや、そんなことを勘繰っている場合ではない。
 わたしは赤いボールペンを手に取ると、ノートの最後のページに「読んじゃった。これでオアイコだからね。淫らな妹へ、清純な姉より」と書いて、引き出しに戻した。

 翌日、ノートを抱えて杏が部屋に入ってきた。てっきり口喧嘩になるものと思いきや、
「ねえ、ひとつの話を代わりばんこに書かない? わたしが書いたら、その続きをお姉ちゃんが書いて、そのまた続きをわたしが書くみたいにして」
 ふむ。なかなか面白そうだ。最近自分の創作活動に行き詰まりを感じ始めていたこともあり、
「まあ、いいけど」と、わたしは答えた。
「じぁ、これ。途中まで書いたから、続きをお姉ちゃんが書いて」
 そう言って、杏は抱え来た真新しいノートを差し出した。
「もう書いてあるの」
「うん。でもひとの話をけなすのは無しね」
「分かったよ。いま宿題してるから、あとで読むよ」
 とは言ったものの、杏が部屋から出て行くと、わたしはすぐにノートを開いて、カクカクした文字を読み始めた。
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