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第一章
夢だけど、夢ではないらしい(4)
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耳のそばや、足元から。あるいは、泉の向かい側に生えた木の影から。
クスクス、クスクスと笑い声が聞こえてくる。
意味を持たないはずのその声が、ところどころで像を結ぶのをわたしは感じ取った。
『子は善なり』
言葉の音を形づくったそれは、直接頭の中に鳴り響く。
……これが、神さまなのだろうか。
姿が見えないため、どうにも実感が湧かないのだ。
それでも、普通ではありえないなにかが起こっているのだということはわかる。今は、この声を聞くしかないのだということも。
――子は善なり。
神さまらしき声はそう言った。
つまり、子供――わたしは、善人だよ、ということだろうか。
悪人と言われなくて良かった。そう思ってほっと息を吐くと、同じように肩を撫で下ろすヒィリカの姿が目に入る。
『木の立つ鐘を、九つ鳴らし』
……鐘? 九つ?
煩悩の数だろうか。善人だから少ない、とか。
確か、煩悩は悪いことではなかったはずだけれども。
『土の守り手より来たりて、理の環を知らぬ古を通らん』
……あぁ、もうお手上げです。
単語の意味はわかるのに、なにを言っているのかまったく理解できない。ヒィリカとトヲネの会話よりも、だ。
『外の心の寄る身とし、土の心は消ゆ』
これで神さまの話は終わりらしい。あちらこちらからずっと聞こえていた笑い声が、泉のほうへ集まっていくのがわかった。そして、少しずつ泉の中へ消えていく。
結局なにもわからなかったな、と思っていると、耳もとで僅かに空気が震えた。
「ごめんなさい。あなたの思いが強すぎて、身体まで連れてきてしまったの。……楽しい夢を見せてあげる、それだけのつもりだったのに」
先ほどまでの古めかしい口調ではなく、とても気楽な調子で「じゃあ、頑張って」と囁き、今度こそ声は消えた。
はっとして周りを見てみると、ジオ・マカベたちはなにやら話し込んでいた。最後の声は聞こえなかったようだ。
普通に話せるなら、はじめからそうすればいいのに。そう思ったのも束の間。
……神さま、今、なんて言った?
――身体まで連れてきてしまった。
――夢を見せてあげるだけのつもりだった。
つまり、これは夢だったけれど、その中に入り込んでしまったということだろうか。
ありえない、ただの夢だと思いたいのに、神さまの最後の言葉には現実味がありすぎた。ここには本当に神さまがいて、言葉を聞くことができて、わたしは連れてこられてしまって。
そして、じゃあ頑張って、と。
……これからはここで生きろ、と?
無理に決まっている。こんな変なところで、どのように生きていけば良いというのだろう。わたしは早く帰りたい。明日はライブがあるのだ。
けれども、どうやって来たかもわからないのに、帰りかたがわかるはずもない。神さまに聞こうにも、どこかへ行ってしまったようだ。呼び出しかただってわからない。ヒィリカがうたっていた歌がそうなのかもしれないけれど、うたいかたを知らない。
本当に、わからないことだらけである。
ヒィリカが神さまを呼び出せるなら、彼女に頼んでみるのが良さそうだが、わたしを娘にすると言っていた人が簡単に頷いてくれるだろうか。
見た目に反して、ヒィリカは強引だ。そんな女性の希望をはねのけて自分の頼みごとをする勇気など、わたしは持っていない。
人に頼むことができないのなら、自分でやるしかないのだ。
となると、ここはやはり彼らの望み通り、娘になっておくのが最善策だろうか。
ヒィリカはわたしを育てたいと言ったのだ。それならば、神さまの呼び出しかたも教えてくれるかもしれない。
もしかしたら時間がかかってしまうかもしれないけれど。急がば回れと言うし、わたしにはそれくらいしか思いつかなかった。
……それに、もう夢の中で一週間は経っているからね。少し伸びたところで、きっと変わらない。
わたしが覚悟を決めていると、彼らの話し合いも済んだようだ。
四人の視線がこちらを向く。
ヒィリカが、とても綺麗に微笑んだ。
「神に話を伺って、あなたに問題がないことを確認いたしました」
……よし、来た。
「ですからわたくしたちは、あなたを娘として迎え入れたく思います。あなたはそれを、受け入れてくださいますか?」
「はい。受け入れます」
――わたしが帰りかたを見つけるまでは。
他人を利用するみたいで気が引けるが、ジオ・マカベも「力を活かせる」と言っていた。これはお互い様だ。
「良かったわ。……では、お名前を伺ってもよろしいかしら? 覚えていなければ、わたくしたちが授けますけれど……」
「わたしの名前は――」
――木下周。
これがわたしの名前だ。きっと、ここでは浮いてしまうだろう。
けれども、今の状況にふさわしい名前をわたしは持っている。
音楽活動でも使っていた名前。明日に控えたライブのことを考えれば、目標はわかりやすいほうが良い。
「レイン、です」
こうしてわたしは、ジオ・マカベとヒィリカの娘レインとして、しばし、この夢の中の世界で生活することとなった。
クスクス、クスクスと笑い声が聞こえてくる。
意味を持たないはずのその声が、ところどころで像を結ぶのをわたしは感じ取った。
『子は善なり』
言葉の音を形づくったそれは、直接頭の中に鳴り響く。
……これが、神さまなのだろうか。
姿が見えないため、どうにも実感が湧かないのだ。
それでも、普通ではありえないなにかが起こっているのだということはわかる。今は、この声を聞くしかないのだということも。
――子は善なり。
神さまらしき声はそう言った。
つまり、子供――わたしは、善人だよ、ということだろうか。
悪人と言われなくて良かった。そう思ってほっと息を吐くと、同じように肩を撫で下ろすヒィリカの姿が目に入る。
『木の立つ鐘を、九つ鳴らし』
……鐘? 九つ?
煩悩の数だろうか。善人だから少ない、とか。
確か、煩悩は悪いことではなかったはずだけれども。
『土の守り手より来たりて、理の環を知らぬ古を通らん』
……あぁ、もうお手上げです。
単語の意味はわかるのに、なにを言っているのかまったく理解できない。ヒィリカとトヲネの会話よりも、だ。
『外の心の寄る身とし、土の心は消ゆ』
これで神さまの話は終わりらしい。あちらこちらからずっと聞こえていた笑い声が、泉のほうへ集まっていくのがわかった。そして、少しずつ泉の中へ消えていく。
結局なにもわからなかったな、と思っていると、耳もとで僅かに空気が震えた。
「ごめんなさい。あなたの思いが強すぎて、身体まで連れてきてしまったの。……楽しい夢を見せてあげる、それだけのつもりだったのに」
先ほどまでの古めかしい口調ではなく、とても気楽な調子で「じゃあ、頑張って」と囁き、今度こそ声は消えた。
はっとして周りを見てみると、ジオ・マカベたちはなにやら話し込んでいた。最後の声は聞こえなかったようだ。
普通に話せるなら、はじめからそうすればいいのに。そう思ったのも束の間。
……神さま、今、なんて言った?
――身体まで連れてきてしまった。
――夢を見せてあげるだけのつもりだった。
つまり、これは夢だったけれど、その中に入り込んでしまったということだろうか。
ありえない、ただの夢だと思いたいのに、神さまの最後の言葉には現実味がありすぎた。ここには本当に神さまがいて、言葉を聞くことができて、わたしは連れてこられてしまって。
そして、じゃあ頑張って、と。
……これからはここで生きろ、と?
無理に決まっている。こんな変なところで、どのように生きていけば良いというのだろう。わたしは早く帰りたい。明日はライブがあるのだ。
けれども、どうやって来たかもわからないのに、帰りかたがわかるはずもない。神さまに聞こうにも、どこかへ行ってしまったようだ。呼び出しかただってわからない。ヒィリカがうたっていた歌がそうなのかもしれないけれど、うたいかたを知らない。
本当に、わからないことだらけである。
ヒィリカが神さまを呼び出せるなら、彼女に頼んでみるのが良さそうだが、わたしを娘にすると言っていた人が簡単に頷いてくれるだろうか。
見た目に反して、ヒィリカは強引だ。そんな女性の希望をはねのけて自分の頼みごとをする勇気など、わたしは持っていない。
人に頼むことができないのなら、自分でやるしかないのだ。
となると、ここはやはり彼らの望み通り、娘になっておくのが最善策だろうか。
ヒィリカはわたしを育てたいと言ったのだ。それならば、神さまの呼び出しかたも教えてくれるかもしれない。
もしかしたら時間がかかってしまうかもしれないけれど。急がば回れと言うし、わたしにはそれくらいしか思いつかなかった。
……それに、もう夢の中で一週間は経っているからね。少し伸びたところで、きっと変わらない。
わたしが覚悟を決めていると、彼らの話し合いも済んだようだ。
四人の視線がこちらを向く。
ヒィリカが、とても綺麗に微笑んだ。
「神に話を伺って、あなたに問題がないことを確認いたしました」
……よし、来た。
「ですからわたくしたちは、あなたを娘として迎え入れたく思います。あなたはそれを、受け入れてくださいますか?」
「はい。受け入れます」
――わたしが帰りかたを見つけるまでは。
他人を利用するみたいで気が引けるが、ジオ・マカベも「力を活かせる」と言っていた。これはお互い様だ。
「良かったわ。……では、お名前を伺ってもよろしいかしら? 覚えていなければ、わたくしたちが授けますけれど……」
「わたしの名前は――」
――木下周。
これがわたしの名前だ。きっと、ここでは浮いてしまうだろう。
けれども、今の状況にふさわしい名前をわたしは持っている。
音楽活動でも使っていた名前。明日に控えたライブのことを考えれば、目標はわかりやすいほうが良い。
「レイン、です」
こうしてわたしは、ジオ・マカベとヒィリカの娘レインとして、しばし、この夢の中の世界で生活することとなった。
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