7 / 54
第一章
自覚する(2)
しおりを挟む
紙になってしまった鳥、もしくは、鳥であった紙に、ヒィリカはさっと目を通した。
「どうやら話がついたようですね。森の入り口まで来るように、とのことです」
そう言いながら、彼女は腰飾りから取り出したペンでなにやら書きつけていく。そして最後にちょん、と突き、紙を支えていた手を振り上げる。すると、紙は元の鳥の姿に戻り、そのままどこかへ飛んでいった。
……なに、あれ?
「行きましょうか」
わたしの驚きはよそに、ヒィリカはそう促す。言われるままに赤い花の服をヴェールのように被ると、トヲネがそれを整えてくれた。顔のほとんどが覆われているが、一応前は見える。
最初に着ていた服と、花の服を数枚、腕に抱える。出発だ。
ヒィリカたちが、泉の水が川になって流れているところへ向かって歩きだす。
わたしはその後を追おうとしてすぐ、足を止めた。
振り返り、泉に向かって小さくお辞儀をする。なにもわからない状況で一週間生き延びることができたのは、この不思議な泉のおかげだ。
顔を上げると、一瞬、泉の光が強まった……ように感じた。
荷車と聞いていたので、わたしはリヤカーのようなものを想像していた。けれどもそこにあったのは、もっと機械的なものだ。
形は馬車に近いだろうか。しかし馬はおらず、大きな機械にレバーやらハンドルらしきものが取り付けられている。それらが勝手に光ったり、小刻みに動いたりしているのを見て、なんらかの動力が使われていることがわかった。
操縦席には男性が座っていたが、わたしはすぐに荷車の中へ押し込められてしまった。視界の端に映った、鮮やかな青色の服だけが印象に残っている。
「では、私たちは先に帰宅し、レインを迎える準備をしておく」
三人が荷車に乗り込んだところで、窓の外からジオ・マカベが話しかけてきた。
「えぇ。よろしくお願いしますね。マカベの儀まで、季節二つ分もありませんもの」
「そうだな。あの魔力量であれば問題ないと思うが……できるだけのことはしておこう」
また魔力の話だ。わたしのことを言っているに違いないのだろうけれど、理解が追いつかない。そうやって知らないところで期待されることが怖かった。彼らが期待するだけのなにかをわたしが持っているとは思えないのだ。
わたしは平凡な人間だ。
そのことに気づいたとき、彼らはわたしをどうするのだろう。
そんな不安を胸に抱きながら、わたしは動きはじめた荷車の窓から、後方へ流れる景色を眺めていた。
早くとも到着は明日の夜で、時間はたっぷりある。ならば一度、頭の中を整理しておこうと思ったのだが、それは話しかけてきたヒィリカとトヲネによって阻止されてしまった。……おかげで重要な話を知ることができたのだから、結果としては良かったのだけれど。
「レインは余程、歌の好きな子供だったのでしょうね」
はじまりは、ヒィリカのそんな呟きだった。本人であるわたしにも答えを求めていないような言いかたに首を傾げると、彼女は優しく微笑む。
「あなたの記憶は消えてしまった、と神はおっしゃいました。けれども、歌はこの身体に染みついているようですね」
……あれ? わたし、記憶あるよね?
まるで疑う余地もないように言われて、急に怪しくなってきた。ひとつずつ思い出してみる。
本当の名前は木下周、二十五歳。都内で一人暮らしをしていて、IT系の会社に勤めるしがないテスターだ。趣味は勿論、音楽である。学生時代から付き合っている、啓太という恋人もいて……あぁ、啓太に会いたいな――ではなくて、記憶はちゃんとあるようだ。
わたしの沈黙を肯定と受け取ったのか、ヒィリカは続ける。
「レインが泉に現れたのは、神が寄り道をしていたからなのですって」
気立子とは、ここマクニオスという場所の外から神さまが連れてきた子供のことを指すらしい。神隠しのようなものだろうと、わたしは無理やり納得した。
ずっと遠いところから連れてくるので、「神の道」と呼ばれる、普通には行き来できない道を通る。そのため、神の道と繋がっている神殿か、マクニオスの中心にある特別な木のところにのみ現れるのだという。
あの泉は神さまに近い場所ではあるが、神の道との繋がりはない。この身体には相当な負担がかかっただろう、と。
当然、わたしが身体に負担を感じた記憶はない。もしかして、これが消えた記憶の正体だろうか。……なんて、さすがにそれはないか。
「……そのせいで記憶が消えてしまったのですから、神も困ったものです」
そう言いつつも、ヒィリカの表情は明るい。むしろ都合が良いなどと考えていそうで、わたしは薄ら寒いものを感じた。
「あなたの故郷は、マクニオスからずっと北へ行ったところにある、土の国、と呼ばれる国だと思われます。『外の心』、『土の心』と、神が分けていた理由はわかりませんけれど……」
「そのことはナヒマ様もジオ・マカベも、不思議がっていましたね」
「まぁ、神は気まぐれでいらっしゃいますから。……土の国とは、ほとんど交流がないのです。けれど、北方の国に住む人びとは確かに、このような服を着ていることが多いですね」
ヒィリカが、わたしの隣の席に目を向けた。そこには、あの目の粗い布の服が置いてある。
心臓が、ドクリ、ドクリと大きな音を立てはじめた。
「どうやら話がついたようですね。森の入り口まで来るように、とのことです」
そう言いながら、彼女は腰飾りから取り出したペンでなにやら書きつけていく。そして最後にちょん、と突き、紙を支えていた手を振り上げる。すると、紙は元の鳥の姿に戻り、そのままどこかへ飛んでいった。
……なに、あれ?
「行きましょうか」
わたしの驚きはよそに、ヒィリカはそう促す。言われるままに赤い花の服をヴェールのように被ると、トヲネがそれを整えてくれた。顔のほとんどが覆われているが、一応前は見える。
最初に着ていた服と、花の服を数枚、腕に抱える。出発だ。
ヒィリカたちが、泉の水が川になって流れているところへ向かって歩きだす。
わたしはその後を追おうとしてすぐ、足を止めた。
振り返り、泉に向かって小さくお辞儀をする。なにもわからない状況で一週間生き延びることができたのは、この不思議な泉のおかげだ。
顔を上げると、一瞬、泉の光が強まった……ように感じた。
荷車と聞いていたので、わたしはリヤカーのようなものを想像していた。けれどもそこにあったのは、もっと機械的なものだ。
形は馬車に近いだろうか。しかし馬はおらず、大きな機械にレバーやらハンドルらしきものが取り付けられている。それらが勝手に光ったり、小刻みに動いたりしているのを見て、なんらかの動力が使われていることがわかった。
操縦席には男性が座っていたが、わたしはすぐに荷車の中へ押し込められてしまった。視界の端に映った、鮮やかな青色の服だけが印象に残っている。
「では、私たちは先に帰宅し、レインを迎える準備をしておく」
三人が荷車に乗り込んだところで、窓の外からジオ・マカベが話しかけてきた。
「えぇ。よろしくお願いしますね。マカベの儀まで、季節二つ分もありませんもの」
「そうだな。あの魔力量であれば問題ないと思うが……できるだけのことはしておこう」
また魔力の話だ。わたしのことを言っているに違いないのだろうけれど、理解が追いつかない。そうやって知らないところで期待されることが怖かった。彼らが期待するだけのなにかをわたしが持っているとは思えないのだ。
わたしは平凡な人間だ。
そのことに気づいたとき、彼らはわたしをどうするのだろう。
そんな不安を胸に抱きながら、わたしは動きはじめた荷車の窓から、後方へ流れる景色を眺めていた。
早くとも到着は明日の夜で、時間はたっぷりある。ならば一度、頭の中を整理しておこうと思ったのだが、それは話しかけてきたヒィリカとトヲネによって阻止されてしまった。……おかげで重要な話を知ることができたのだから、結果としては良かったのだけれど。
「レインは余程、歌の好きな子供だったのでしょうね」
はじまりは、ヒィリカのそんな呟きだった。本人であるわたしにも答えを求めていないような言いかたに首を傾げると、彼女は優しく微笑む。
「あなたの記憶は消えてしまった、と神はおっしゃいました。けれども、歌はこの身体に染みついているようですね」
……あれ? わたし、記憶あるよね?
まるで疑う余地もないように言われて、急に怪しくなってきた。ひとつずつ思い出してみる。
本当の名前は木下周、二十五歳。都内で一人暮らしをしていて、IT系の会社に勤めるしがないテスターだ。趣味は勿論、音楽である。学生時代から付き合っている、啓太という恋人もいて……あぁ、啓太に会いたいな――ではなくて、記憶はちゃんとあるようだ。
わたしの沈黙を肯定と受け取ったのか、ヒィリカは続ける。
「レインが泉に現れたのは、神が寄り道をしていたからなのですって」
気立子とは、ここマクニオスという場所の外から神さまが連れてきた子供のことを指すらしい。神隠しのようなものだろうと、わたしは無理やり納得した。
ずっと遠いところから連れてくるので、「神の道」と呼ばれる、普通には行き来できない道を通る。そのため、神の道と繋がっている神殿か、マクニオスの中心にある特別な木のところにのみ現れるのだという。
あの泉は神さまに近い場所ではあるが、神の道との繋がりはない。この身体には相当な負担がかかっただろう、と。
当然、わたしが身体に負担を感じた記憶はない。もしかして、これが消えた記憶の正体だろうか。……なんて、さすがにそれはないか。
「……そのせいで記憶が消えてしまったのですから、神も困ったものです」
そう言いつつも、ヒィリカの表情は明るい。むしろ都合が良いなどと考えていそうで、わたしは薄ら寒いものを感じた。
「あなたの故郷は、マクニオスからずっと北へ行ったところにある、土の国、と呼ばれる国だと思われます。『外の心』、『土の心』と、神が分けていた理由はわかりませんけれど……」
「そのことはナヒマ様もジオ・マカベも、不思議がっていましたね」
「まぁ、神は気まぐれでいらっしゃいますから。……土の国とは、ほとんど交流がないのです。けれど、北方の国に住む人びとは確かに、このような服を着ていることが多いですね」
ヒィリカが、わたしの隣の席に目を向けた。そこには、あの目の粗い布の服が置いてある。
心臓が、ドクリ、ドクリと大きな音を立てはじめた。
10
あなたにおすすめの小説
3歳で捨てられた件
玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。
それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。
キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
そんなに義妹が大事なら、番は解消してあげます。さようなら。
雪葉
恋愛
貧しい子爵家の娘であるセルマは、ある日突然王国の使者から「あなたは我が国の竜人の番だ」と宣言され、竜人族の住まう国、ズーグへと連れて行かれることになる。しかし、連れて行かれた先でのセルマの扱いは散々なものだった。番であるはずのウィルフレッドには既に好きな相手がおり、終始冷たい態度を取られるのだ。セルマはそれでも頑張って彼と仲良くなろうとしたが、何もかもを否定されて終わってしまった。
その内、セルマはウィルフレッドとの番解消を考えるようになる。しかし、「竜人族からしか番関係は解消できない」と言われ、また絶望の中に叩き落とされそうになったその時──、セルマの前に、一人の手が差し伸べられるのであった。
*相手を大事にしなければ、そりゃあ見捨てられてもしょうがないよね。っていう当然の話。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる