我恋歌、君へ。(わがこいうた、きみへ。)

郁一

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第一章

2:誘い

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 神音から樫部の知られざる一面を教えられた翌日。
 俺は近所のファミレスに来ていた。
 県道の脇に建つこのファミレスは、それなりの広さと料理の種類、手頃な値段なのにかなり美味しいと評判でいつも賑わっている。 
 Lの字型に広がる客席フロアの最奥、禁煙席に神音の仲間たちが座っていた。
 神音の後について歩きながら、そこに座る人たちを観察する。
 四人掛けの席に二人掛けのテーブルを寄せて、六人用にした席に男性ばかりが四人座っていた。みんな年上のようだ。
「こっちだよ~」
 中のひとりが立ち上がり、手を振る。
 セーターとジーンズ、踝までのブーツ。いたってシンプルな服装なのに、洗練された雰囲気があって、まるでモデルのように彼の周りだけ空気が違った。
 肩につくくらいの金髪を首の後ろで結び、少し垂れ気味の目は春の空みたいに青く輝いていた。
「いつも同じ席使っているんだから、わざわざ呼ぶなよな、アレン」 
 神音が言い返しながら、青年の隣の席に座る。俺は神音の向かい、眼鏡をかけた青年の隣の席に座った。
「神音を呼んだんじゃないよ。響くんはオレたちを知らないだろうし、呼んであげなきゃ迷子さんだろ?」 
 手を振っていた青年はアレンと言うらしい。ちらりと俺を見て、片目を閉じた。
 何と答えたらいいものか、困った俺は笑ってごまかす。思考も行動も日本人な俺です。
 アレンさんが手を差し出してきた。
「はじめまして。オレは榎本アレン、一応バンドのリーダーを任されてる。先に言っておくと、日本人とイギリス人のハーフです。担当はドラム。神音から響くんの話はよく聞いていたから会えてうれしいよ。よろしくね~」
 きっと女性なら彼と目が合っただけで歓声をあげるだろう。事実、客席のあちこちからアレンさんを見ている視線を感じた。
 美人は得だな、性別問わず。
(うぅ……この人と一緒にご飯を食べるだけでも緊張する)
 平々凡々を自覚しているから、非常に居心地が悪い。もじもじとアレンさんの手を握り返し、すぐに手を離した。
(しまった……嫌われたって勘ちがいさせたかも)
 そっと目を上げて伺ってみると、アレンさんはほわりと笑っているだけだった。大人の余裕ってことだろうか。
「まずは順番に自己紹介しよっか。神音はもちろん必要なし、オレは終わったから隣ね」 
 指名されたのは、彼の左横に座っていた青年だ。
 短く刈りそろえた髪を赤く染めていて、一重で目尻の切れた顔立ち。上目遣いで見上げられると、背筋が震えるほど迫力がある。
 まるでヤのつく世界の人みたいだ。ところが彼が口を開いたとたん、雰囲気がまるで変わってしまった。
「どっも~。早瀬八代、二十四歳、ベースやってますー! 噂の響ちゃんに会えてめっちゃうれしいわ、これからよろしゅう頼んます~!!」
「っ……!」
 こ、声が大きい! 鼓膜がピリリッと鳴る。
 思わずのけ反った俺に、八代さんがにこりと笑いかける。とたんに強面に愛嬌が生まれて親しみやすく感じるから不思議だ。
 八代さんの正面に座っている細身の青年には見覚えがあった。
「久しぶりです、覚えていますかね……ギター担当の文月大悟です」
 焦げ茶色の髪のギタリストが、細面にそっと笑みを浮かべて挨拶してくれた。
 韓流スターに勝るとも劣らない、凛々しくてきれいな顔立ちの美青年だ。
「もちろん、覚えてます。お久しぶりです」
 バンド練習に出掛けた神音が忘れ物をしたと電話してきた時、届けに行った先で彼とは一度会ったことがあった。
 文月さんが持つ雰囲気はまるで大木のようで、その時から心地よく感じたものだけど、今日は特にそう思う。
初対面だらけの人間に囲まれて、緊張しているようだ。ほぅ、と息を吐き出して微笑む。
 まだ紹介されていないのは、文月さんの隣に座っている青年だけになった。
「…………」
 が、いつまで待っても話し出す気配がない。
(こ、これは……もしかして、歓迎されてないってこと?)
 バンドメンバーの兄でしかない俺と、話す必要がないって態度で示されているんだろうか。
 銀縁の眼鏡をかけ、まばらにひげが残る顔は気難しそうな表情のまま、正面の虚空を見つめている。哲学を追及する学生みたいな雰囲気の青年だった。
「…………」
 青年はオレンジジュースの入ったグラスを持って、ストローをくわえて、まばたきもしない。
 メンバー全員がしばらく青年を見ていた。
「……先生の番ですよ」
 見かねた文月さんが声をかけたが、青年は迷惑そうに文月さんを見返しただけだった。
 苦笑しながらアレンさんが代わりに口を開く。
「彼は富岡邦彦さん。オレたちのプロデューサーになってくれる予定。極度の人見知りだけど、耳と勘の鋭さは業界で知らない人がいない。有名なアーティストを何組も世に送り出しているんだよ、これでも。ちなみにもうすぐ父親になる」
「……正確に言うと、三ヶ月後だ」
 ぼそりと富岡さんがしゃべった。
「は、はじめまして……」
 どう接したらいいんだかわからず、笑顔と挨拶が引きつってしまった。
(プロデュ、なんだっけ……そう言う肩書の人って、何をする人なんだ?)
 音楽業界はよくわからない。友人の中にはバンドを組んでいるやつもいるけど、俺はあまり興味を持てなかった。
「というメンバーで『i-CeL』(イシェル)はメジャーデビュー目指して活動中。そこに新たに君が加わるってことだよね、響くん?」
 メンバーそれぞれをもう一度見渡していた俺は、アレンさんに呼ばれて我に返る。
 いま、なんて?
「ちょ、ちょっと待ってくださいッ! 俺は……俺はただ一度、学生最後のライブで歌ってみないかと言われただけです!」
 それすら迷ってるけど。
 最後は心の中だけで打ち明けた俺の台詞を聞いて、アレンさんが首を傾けた。
 そんな仕草ひとつで、まだこちらを伺い見ていた女性客たちが黄色い声を上げる。
 何となく胸がもやもやする。
「あれ、そうなの? オレたちが聞いた話とは違っているね。どういうこと、神音」
 客席の騒音なんて聞き流し、アレンさんは神音を見る。他の仲間や富岡さんまでもがストローから口を離して神音に注目した。
 俺だって神音に聞きたい。
 全員の視線を集めた神音は、悪戯をする時の子供のように笑った。
「みんなの前で口説こうと考えていたんだよ。響に正式に『i-CeL』のヴォーカルになって欲しいって」
「はあぁ?」
 片割れの台詞に、俺の口から間抜けな声が飛び出した。
 驚くと言うよりも、理解ができない。
 いま聞いたはずの言葉が、俺の知る意味と同じだと信じたくない心境だった。
(正式にってことは一回だけじゃなくて……何で俺?)
 ただ片割れに恋愛相談と言うか、愚痴を聞いてもらっただけのはずが、とんでもない場所に飛び火してしまった。
 俺は自分の思考にどっぷり沈んでいたらしい。
 気がつくと、テーブルの周りが静かになっていた。
(えっ、え?)
 見回してみると、五人とも真顔で俺を見据えていた。
 みんなさっきまで笑っていたじゃないか、ひとりは無表情だったけど。
 重さすら感じそうな強い視線が集中していて、まるで就職面接を受けているようだ。
(な……なんなの、急にッ)
 それまで動きもしなかった富岡さんが、ふとグラスをテーブルに置いた。
 空いた手で、いきなり俺の喉を触る。
「ちょ、ちょ……なにするんですかっ」
 素っ頓狂な奇声を発して逃げる俺の肩をつかんで、富岡さんは容赦なく喉を撫でて、胸から腹へと手を移動させていく。
 とんでもない行動に驚きパニックする頭の片隅で、身体に触れる富岡さんの手が大きいなと、まるで他人事みたいに冷静に感心している俺がいた。
 すると下腹の辺りまできて、急に富岡さんが力をこめた。
 指が食い込むほどの圧力を加えられて、俺の喉から制御しないまま声が飛び出してしまった。
「ぐっ、わぁああっー!」
 これを俗に悲鳴と呼ぶんだ、なんて考える俺の声は驚くほどの声量で店内に響き渡った。

 音が、消え去る。

「…………」
 静かだった。
 窓の向こうを走り去る車の音が、場違いなくらいに大きく聞こえる。
 ファミレスがこんなに静まり返るなんて、人生初の体験だった。
 それも俺の発した悲鳴が原因で。
 俺は俯いて目を強く閉じた。
(……恥ずかしすぎるッ!)
 顔を上げるなんて、とてもじゃないけれど出来ない。
 気がつくと膝の上で握りしめた拳が、細かく震えていた。
「……はは、」
 俯いたままでいたら、かすれた声が聞こえてきた。
 何だと顔を上げるまでに声は爆笑となり、ファミレスを埋めた。
 呆気にとられる俺の周りで神音たち、富岡さんまでもが大口を開けて笑っている。
 腹を抱えて足を踏みならし、机を叩いて笑い、まるでお笑い芸人が得意のネタを披露したかのようだ。
 さすが音楽家たち、耳に心地よく重なりあって心を躍らせる笑い声に、だんだんと客や店員が苦笑しながら自分たちの時間に戻っていく。
 少しずつ笑い声が静かになり、消えた。
 もうだれもこちらを見ていない。たぶん大学生がハメを外して騒いでいる、とでも結論つけてくれたんだろう。
(た、助かった……)
「ごめん、ごめんね、響。まったくもぅ……響は繊細なんだから気をつけて、と言っておいたでしょうに。富岡さんが突拍子もない行動するから悪いんだ」
 笑いすぎて浮かんだ涙を指でぬぐいながら、神音が謝罪する。
 俺は彼らの笑い声に自分の失態そのものを忘れかけていたから、謝罪されてかえっていたたまれなくなる。
「……改めて確認しよう。『i-CeL』は響を加えた五人のメンバーでいいんだな?」
 再び俯いた俺の耳に、落ち着いた低音が降り注ぐ。
 そうだったと思い出した俺は、慌てて富岡さんを見上げ否定した。
「え、だ……だから俺は歌えませんって」
「なぜ」
 すばやい動きで顔を向けてきた富岡さんが断定的な問いかけをよこす。
「さっきは声が出ていただろう」
「あれは悲鳴です」
 あんな声が歌声であるわけがない。
「……一年前になる。私は彼らに出会い、言った。飛び立つ気はないかと……神音は答えた。まだ全員が揃っていない」
 いきなり話し出した富岡さんに目を丸くする俺に、アレンさんが説明を補ってくれる。 
 まだ知りあって数分だけど、彼がリーダーを任されているわけがわかった。彼がいなければ富岡さんと俺は会話が成り立たないだろう。
「オレたちが結成した時からずっと、神音は『i-CeL』の声は自分じゃないと言い張ってきた。望む声に心当たりはあるけれど、殻に閉じこもったまま。もしその声が殻を割らなかったら『i-CeL』は解散するとまで。だからオレたちは神音が待っている声を『神の声』と名付けて、楽しみに待っていたんだよ。さっき響くんは聞き逃したみたいだけど、神音は響くんがその『神の声』だと言ったんだ」
「か、解散……神の声って……」
 悪寒のような強い衝撃が、全身の肌を駆け抜けた。
 一緒に育ったからわかる。神音は音楽の為に生きると決めている。たぶん、彼らも似た考えのはずで。
 俺の決断ひとつで彼らの将来が左右されるなんて、冗談だって言ってくれないかな。
 俺の声に神音がそこまで期待する理由がわからなかった。
 いきなり肩に重い荷物を背負わされた気分になって、すがるように神音を見る。
 ついぞ見たことのない切るように鋭い視線で、神音は俺を見つめて言った。
「響……ぼくを信じろ」
 できません。
 この世に一緒に生まれてきた片割れだけど、こればっかりは。


 歌えと言われて、はい、いいですよ。と言えるぐらいなら、さっさと好きな人に想いを伝えているだろう。
 俺はとりたてて特技も取り柄もない。光り輝く神音の陰に隠れるようにして生きてきた人間なんだ。
いきなり人前に出ろだなんて過激すぎる。
「いや、無理だってば……神音だって嫌だろ。俺みたいな素人を仲間にするのは」
「だったら誘うわけないって。ぼくが音楽に関して冗談を言わないのは知ってるでしょう?」
 神音に言われて、それはそうだよなと納得してしまう。
「妥協もしないって、響ならわかるよね?」
「うっ……はい」
 ピアノを習っていた頃に、思ったように弾けず、夜通し練習し続ける後ろ姿を何度見たことか。
 教師が十分だと言っても、神音自身が納得しない限り、絶対に練習をやめなかったのだ。
 だめだ、このままだと神音のいいなりに流されてしまう。
 視線を他のメンバーに移す。
 面識が少しだけある文月さんに、すがるように視線を向けた。
「文月さんも、俺が参加するのは迷惑でしょう?」
 文月さんは、ほんの少し目を細くして口元だけで笑った。
「いや。僕は神音の耳を認めているから。その神音が決めたことなら、間違いはないと思っています」
「…………」
 何だって片割れはそんなに信頼されてるんだ。
 ほわほわ微笑みながら、なぜかずっと俺を見ているアレンさんにも矛先を向けた。
「リーダーはアレンさんでしょう? 神音の言いなりに、聞いたこともない素人の俺の声になんて、期待したりしませんよね?」
「ん? オレは響くんと一緒にやれたらいいなぁと思ってるけど?」
 八代さんも、うんうんと頷いている。
(あなたたち、みんな神音よりも年上なんですよね? 何か神音の言いなりになってるみたいな雰囲気なんですけどーッ!)
 一体、何をしたんだ神音。
 逃げ道が見つけられない。焦りにかられ、苦手な富岡さんにも話しかけてしまった。
「素人が加わったバンドをプロデュースするなんて、嫌ですよね?」
 具体的に富岡さんが何をするのか知らないけど、最終決定権は彼にある気がして食い下がる。
 腕を組んで富岡さんは、冷たいまなざしを俺に向けてきた。
「私は『i-CeL』に未来を見た。それだけだ」
「う~っ!」
 まったく誰も話にならない。
 だからってここであきらめたら、嫌でも歌うはめになる。
 どうしようと戦略を考えだしたとき、じっと俺を見ていた神音が静かに語りだした。
「小学校五年生の時に、合唱コンクールがあったこと覚えてる?」
「……え? あ、ああ…うん」
 ずいぶんと昔の話で、あまりはっきりとは覚えてないけど頷いた。
「響さ、その練習中に友達にからかわれたって言ってたのも、覚えてる?」
 胸の奥でひやりと冷たい感覚が弾けた。
 忘れているようで、覚えている。おぼろな記憶が頭の片隅に浮かんできた。
『片平の声、すっげ~変!』
『おまえホントはオンナノコなんじゃねぇの?』
 遠くから子供の声が聞こえてくる。
 いまいる場所がどこなのかも忘れて、俺は両手を握りしめた。
「ぼくは変じゃないよって言ったのに、響はほとんど声を出さないでコンクールに参加して、それきり歌わなくなった。友達とカラオケに行くこともしない。だけど一緒に育ったぼくだけは知っている。覚えてるよ、響の声を」
「……だから、歌えって?」
「ぼくの音楽に足りない最後のひとかけらが、響の声だって確信しているからね。絶対に口説き落とすよ」
「口説きって……な、何て言葉使うんだよ」
 体が異常に熱くなって、汗が湧いてくる。
 俺はこういう場面に慣れてない。
 期待されるとか、誉められることがほとんどなかったんだ。
 居心地が悪くてたまらない。椅子の上で体を小さく動かした俺を見て、アレンさんが頬杖つきながら微笑んだ。
「あはは、熱烈~! 響くん、さっさとあきらめちゃいなさい」
「……そ、そんな簡単に頷けませんよ。俺は何も知りません。音楽のことも、バンドのこととか……本当に何も」
「知らなければ、知ればいい」
 ぼそりと低音が聞こえてきて、顔を向けると富岡さんと目が合った。
「時間は多くないが、動きながらでも学ぶことはできる」
「…………」
「響くんひとりでやらせるわけじゃない。オレたちもいるでしょ?」
 アレンさんも、笑顔を少しだけ硬くして言った。
「せやで。もっと気楽に考えや~。やってみて、駄目やと思ったら辞めてしまおうってな」
「……そんな風に考えれるのは、ヤッシーだけだと思う」
「何やて~?」
 八代さんに文月さんが反論して、テーブルの隅でしばらく言い合っていた。
 彼らを背にして、富岡さんが締めくくった。
「少し猶予を与える。もう一度考えてみろ」
「……はい」
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