我恋歌、君へ。(わがこいうた、きみへ。)

郁一

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番外編 裕&聡史編

2-snow

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 裕が所属するバンド『SunGlow』は結成して二年目に入った。
 大学生と高校生のメンバーなので、活動時間は限られている。それでもメンバーの演奏は耳に心地よく、彼らの隠れた努力を教えてくれた。
 その演奏を背に歌うのは想像していたよりも楽しくて、時々秘めた苦悩を忘れてしまう瞬間がある。
 クリスマス・イブのライブを前に、控室でメイクを終えた裕は、今夜もその時が来ることだけを祈っていた。
(今夜はついてない。あんなのを見るなんて……)
 ライブのために衣装に着替えながら、ここに来るまでを思い出してみれば、リビングに散らばっていたチラシは、ハネムーンの行き先を決めるための旅行パンフレットだった気がする。
 極めつけがキッチンテーブルに置かれていた、婚姻届
 裕が行く前に、結婚相手の女性が叔父の部屋にいたのだ。
 そばに行きたい、近づきたかった。
 だけどどんなに頼んでも、ライブを見てはくれなかった。
 部屋に籠りっぱなしだったのに、いつの間にか女性と知り合い、結婚すると言う。
 叔父にとって裕は、ただバンド遊びをする甥なのだ。
 特大のため息を吐き出した時、隣にいたバンドリーダーが立ち上がった。
「みんな、ライブ前に言っておきたいことがある」
 それぞれ楽器のチューニングを確認していたメンバーたちが顔を上げるのを見て、バンドリーダーがひとつ頷く。
「演奏前に言うのは酷かもしれないが、オレとヨミとで話し合って決めた」
 ヨミはギタリストだ。
 リーダーでドラム担当のオチとそのヨミは、別のバンドで活動していた経験がある。
 自然と『SunGlow』でもオチとヨミが活動を仕切ってきた。
 裕は残りのメンバーと顔を見合わせた。
 深刻な顔をしたオチはいつもと同じように見えた。
 ただ足元に座ったままのヨミは、哀しそうに笑っている。そんな表情は見たことがない。
 何を言うんだろうと不審がるメンバーを一度順番に見てから、オチは口を開いた。
「オレたち『SunGlow』は、今夜のライブを最後に解散する」
 他のバンドの演奏と観客の歓声が、どこかに吹き飛んでしまったかのようだった。
 凍りつくメンバーと控室の空気の中で、裕は呟いた。
「……ったく、今日はついてない」


 ステージ脇から眺めても、いざステージ中央に飛び出してみても、今夜も探していた姿は見つからず。
 解散宣言はメンバーたちの演奏から、いつもの切れを奪い去った。
 ぬるま湯につかったような演奏を背に、裕も歌いきれずにライブは終わった。
「聡史さんの曲はいいと思う。ヒロの作詞も声も曲に合ってる。ただオレたちの目指す音楽とは違う気がするんだ……悪いけど。ヒロなら『i-CeL』のヴォーカルになれるんじゃないか。ソロでもいけるだろ」
 歌うまいし、作詞も出来るんだからとオチに肩を叩かれ、ヨミに抱きしめられた。
 ライブ後の話し合いで他のメンバーは残留し、別の名前のバンドとして活動していくことになった。
(事実上、追い出されたってことだよな)
 器用なヨミが作った派手な舞台衣装を脱ぐ。
 これを着ることはもうないんだと思うと、やけに寂しさを感じた。
 母親に教わって、何とか自分で出来るようになったメイクも、今夜でお終いだ。
 バンドのために切らずに伸ばして染めた髪も、どうしようと文句を言われなくて済む。
(……せいせいしたって言いたいところだけど)
 音楽性の違いなら、ずっと前から裕も感じてはいた。
 脇腹や二の腕、太ももの素肌が見える衣装や目元と唇を強調して、色っぽさを演出するメイク。
 無理やり脱色して赤く染めさせられた髪は、左右で長さが違う。短い方の髪が俯くたびに口の中に入るのが鬱陶しかった。
 彼らの目指した音楽は、この衣装とメイクが必要なんだろう。
 でも叔父が作り、裕が詞をつけた音楽には必要がない。
 裕はいつからかそう思うようになっていた。
(でもやっぱり寂しいな……)
 これからどうやって歌おう。
 物思いに沈みそうになった裕は、ライブハウスのスタッフに急かす声で我に返った。
 慌てて着替えを済ませて、荷物を掴む。
 すぐそばにいたメンバーたちは先に出たらしい。控室には次の出演者たちが残っているだけだ。
 最後のライブだったのに、冷たいなと思いながらライブハウスを出る。
 挨拶くらいしたかったと思う反面、何を言えばいいのかわからなかったとも思う。
 彼らなりに罪悪感があるのかもしれない。
 重いドアを開けると、夜空から白い悪魔が舞い降りてくるのが見えた。
 狭くて急な階段は色を変えて、境界が見えにくくなっている。
(……今夜はどこまでもついてない)
 滑らないように細心の注意を払って階段を昇りきって、駅へと歩きだした。
 すれ違う通行人たちが、いつもより速足だ。
 気がつくと男女の二人連れが多い気がする。
「…………」
 吐き出した息が白く夜空に揺れた。
 雪を踏みしめる音を道連れに裕は歩き続けた。
 オチが口に出した『i-CeL』のヴォーカルオーディションは、友人に誘われて受けたことがある。
『声がいいから残念だけど、ぼくたちの音楽とたぶん違うね。君自身がわかってるんじゃないの?』 
 作曲担当のカノンにそう評価されたことを思い出して、裕は苦笑した。
 今頃は彼らもどこかで演奏しているんだろうか。
 駅につくと、電車が止まっていた。
「この雪だもんな……ライブ前は降ってなかったのに」
 周囲は裕と同じく、移動手段を失った人たちで混雑している。
 どうにか動いているバスやタクシーを待つ人の列を見て、裕はため息をついた。
「仕方ない。歩くか」
 濡れて重い楽器を持っているメンバーと違って、幸いにも裕は身ひとつだ。
 ぐしょりと潰れる雪を踏みしめ、歩きだした。


 その部屋はまるで遊園地だった。
「さと~、なにしてんの?」
 保育園から帰ると、いつもは閉まったままの部屋の扉が開いていて、裕はひょいっと中に入った。
 白い箱や薄っぺらのピアノが置いてある部屋の中で、パーカー姿の少年がいた。
「お帰り、ヒロ」
「ただいま~。ねぇねぇ、なにしてんの?」
 薄っぺらピアノの前に椅子を置いて座る少年の膝の上に乗ると、少年が苦笑しながら抱き上げて支えてくれる。
「曲を作っているんだよ」
「きょく?」
「うた、おんがく……わかるかな?」
 そう言って、少年が鍵盤をぽんと鳴らした。
 片手で裕を支えたまま、残る手で曲を奏ではじめる。
「あっ、このうた、おれもしってる~!」
 少年が優しく笑った。
「こうやって、音をたくさん集めて……」
 違う曲を弾いた後で、少年が白い箱の前の板に触れる。
「ひとつひとつは単調な音ばかりだけど、集めてみると?」
「みると?」
「……ほら、こうなる」
 部屋の中でだれも演奏していないのに音楽が流れだした。
 裕はびっくりして目を丸くしていたが、曲が進んでいくと楽しそうに体を揺らしはじめた。
「すごい、すごい~! だれもいないのに、おとがいっぱい!!」
「楽しい?」
 膝の上で踊りそうな裕を覗きこんで、少年が首を傾げながら聞いた。
 うん、と頷いた裕は床に下りた。
「おれもうたう~」
 そう言って歌いだした裕を、今度は少年の方が目を丸くした。
 しばらくして、少年は裕の前にしゃがんだ。
「歌……上手だね、ヒロ」
「うん、ほいくえんでも、ほめられたよ!」
「歌うの、好き?」
「うんっ!」
 音の遊園地の中で、裕は歌って踊って、好き勝手に跳ねまわった。
 しばらくして母親が部屋に駆けこんで、少年に謝った。
「ごめんね、聡史さん。こらっ、ひろむくん。お兄ちゃんの邪魔しちゃだめよ」
 手を引っ張って部屋から連れ出そうとする母親に、裕は口を尖らせて抵抗する。
「いや~、もっとあそぶ~!」
「ひろむくんっ」
「……大丈夫ですよ、邪魔じゃありませんから」
 少年が母親の手を掴んで、裕の手を離させた。
 涙目になっていた裕の頭を撫でて、少年は笑った。
「ヒロ、もっと歌を聞かせてくれる?」
 裕は輝くような笑顔になって、少年に抱きついた。


 雪のせいでモノクロになった街を歩きながら、思い出した記憶に苦笑する。
(あれが忘れられないんだよな~)
 十歳年上の叔父、聡史は裕が三つになる頃に、祖父の養子になった。
 祖父と両親は同居していたので、自然と聡史もひとつ屋根の下で暮らすことになって、何も知らない裕が彼らを和ませていたのだと聞いたことがある。
 そんなつもりはまったくないし、覚えてもいないけれど、たったひとつ忘れられないのが聡史の部屋で歌った記憶だ。
 上手だねと撫でてくれた手のひらの感触を、いまも覚えているような気がした。
「はじめはただ、もう一度撫でてもらいたいと思ったんだった」
 バンド活動をしようと思ったきっかけが、あの部屋の記憶だ。
 友達に誘われてカラオケに行った時、聞いていた友達の中にバンド活動している奴がいた。
 彼のバンドはヴォーカルがすでにいたので、『SunGlow』を紹介してくれて、そこではじめて二十歳になって実家を出た聡史が、高校生の頃から作曲して収入を得ていたと聞いた。
「知らなかったのか? 売れてる作曲家なんだぜ。おまえの叔父さんなんだろ? 曲作ってもらえないかなぁ」
 オチが言った台詞を、そのまま聡史に伝えたら、いいよと軽く言われた。
 ただし作詞は苦手だから、と渡された楽曲に裕が詞をつけて、他のメンバーたちも納得して演奏してきた。
「……結局、聞いてもらえなかったなぁ……撫でてもらってもいないし」
 何をしてきたんだろ、と雪道にため息を落とす。
 聡史を特別な意味で、いつ好きになったのかわからない。
 同性で年上で、戸籍上だけでも繋がりのある人を好きになった戸惑いは強かった。
 だけど作ってもらった曲をステージで歌った瞬間に、戸惑いは消えた。
 聡史の作った曲を、詞をつけて歌っている間、例えようもない幸福感に満たされた。
 すぐそばに聡史がいるような気がした。
 吐息を、体温を感じて、何を考えているのかもわかるような感覚がした。
 近づけたと思って、うれしくて涙が勝手に流れ出した。
「……って、考えてたからって、何でここに来てんだよ」 
 はじめてのステージを思い出したところで、見覚えのあるマンションの前に辿り着いた。
 防音機能を優先したらここになった、と聡史が選んだ高層マンションは、入口に警備員が常駐している。
 傘がないせいで全身濡れまくった姿で、警備員のいる煌びやかなホールに入っていく気にはなれなかった。
(しかもクリスマス・イブだ。あの人だっているかもしれないんだから)
 こんな格好で聡史の部屋に押し掛けても迷惑にしかならない。
 凍えて感覚がなくなっている足先をどうにか動かして、裕がマンションに背中を向けた。
 その視界の端でマンション脇の駐車場に赤い車が入っていく。
 何気なくそちらを見て、車から降りた人の姿に裕は凍りついた。
 セミロングの髪と清楚な雰囲気の女性は、一度だけ会った聡史の結婚相手だ。
 傘を差して、車内から何かが入った袋を取り出し、鍵をかけた女性がマンションに入って行く。
 警備員に挨拶する様子も、警備員の態度も慣れたもので、女性がしょっちゅうここに来ているのだとわかる。
 マンションを見渡せる道の片隅に立ったまま、裕は身動きを忘れて女性が消えた入口を見つめ続けた。
 頭の中で、今日の出来事が蘇る。
 酒に酔った父と叔父の話。
 キッチンテーブルにあった婚姻届。
 聞かせたい人のいないライブ。
 追い出されて、挨拶もできなかったバンド。
 懐かしい聡史との思い出。
 そしてマンションに入っていく女性の後ろ姿。
 何度も何度も、断片的な記憶がくり返される。
(本当に……俺はついてないな)
 恋愛は選べないとよく聞くけど、よりにもよって叔父を好きになるなんて。
 もちろん想いを伝えるつもりはない。
 社会人経験がない若造でも、この恋に陽が当たらないことはわかる。
 だから傲慢に、叔父もひとりでいて欲しいと思ってしまった。
 結婚なんてしないで、いつでも遊びに行かせて。
 音の遊園地みたいな部屋の中で、一緒に曲を作って生きて欲しい。
 知らず知らず望んでいたことが、叔父の結婚ですべて消え去ってしまう。
 裕には止められない。
 たったひとつ望む人が、永遠に別の人のものになってしまうのだ。
(もう、疲れたな……考えるのも)
 裕はすべての力が抜け落ちるのがわかり、その場にしゃがみこんだ。


 どれくらいそのままでいたのか、気がつくと目の前にだれかがいた。
「ヒロ、何しているっ」
 だれなのか確かめようと顔を動かしたものの、錆ついたゼンマイ人形より鈍く、ぎこちなく頭が少し動いただけだった。
 だれかの方が痺れを切らして裕の腕を掴んで、強引に立たせた。
「ったく、こんなに濡れて……いつからここにいたんだ!」
「……だれ?」
 肩を抱きかかえて、裕を歩かせる人を見たいのに、まばたきをしても視界が定まらない。
 何だか変だな、と思うけれど、どうおかしいのかわからない。
「サトシ、その子……この前の子?」
 別の声がすぐ近くで聞こえる。
 ぼんやりした視界の中で、長い髪が揺れている。
「ああ。甥で裕と言うんだが、今夜はライブだったはず……とにかくサラ、今夜は帰ってくれ」
 肩を抱えるだれかの声が、触れた体の部分を伝って裕の体も震わせる。
 少し掠れた、張りのある声だ。
(あれ……この声、まさか……)
 裕が見つめたまま入れなかったマンション入り口ホールに連れ込まれたらしく、空気が暖かくなった。
 ようやく視界が形を作り、裕を覗きこむセミロングの女性の顔がはっきり見えた。
「あ、なた……は」
 裕の声に女性の顔が歪む。
「ひどい声ね……喉が腫れてるみたい。体も冷え切ってる……病院に連れて行った方がよくない?」
 女性の手が裕の首筋を確かめた。その手の温かさに裕が驚いた。
「今晩様子を見て考える」
「手伝うわよ」
「要らん」
 間髪いれずに断られて、ちょっと女性はむくれてみせた。
 もうろうとしている裕が見ても、可愛いなぁと思った。
「またメールするわ」
「勝手にしろ」
 そう言って裕の肩を抱いたまま、だれかは歩き出した。
 引きずられるようにして降りてきたエレベーターに連れ込まれる。
 上昇していくエレベーターの中で、ようやく隣を見上げて裕は息を飲んだ。
(ゆ、めじゃ……ない?)
 息がかかりそうなほど間近にある横顔は、叔父聡史のものだった。
「お、おじ……さん?」
「ヒロ、何故あんな場所で座りこんでいた。ヴォーカルが喉を壊すような真似して、何を考えている」
 裕を見下ろす聡史の顔は険しくて、思わず体が竦む。
 そんな裕の反応に気づいて、聡史の表情が少しだけ緩んだ。 
「……すまん、言いすぎた」
「ちが……違う、おじさん、悪くな……い」
 話そうとすると、声が何かに引っかかっるようで、うまく音にならない。
 時々掠れて空気しか出て来ない裕の声に、聡史が眉を寄せた。
「いまはいい、声を出すな」
 話すなと言われたので頷く裕に、聡史はわずかに微笑んでみせた。
 叔父の珍しい表情に呆けているうちに、ずるずると聡史に引きずられるようにして、部屋に連れ込まれた。
 玄関に座らされて靴を脱がせてもらう。
 几帳面に濡れたブーツを並べておく聡史の手つきに、彼らしさを感じてつい笑みがこぼれた。
 振り返って気づいた聡史が何か言いたそうにしたものの、無言のまま裕の両脇に腕を通し、拒否する間もなく抱き上げられた。
「うっ……わ!」
 まるで小さな子供になったようだった。聡史の片腕に座るような姿勢で、落ちないように肩にしがみついた。
 そのまま危なげなく聡史は歩いてリビングに入り、裕をソファに下ろした。
「そこで待ってろ」
 短く言い置いて、暖房をつけた聡史は隣の部屋に入って行った。
 作曲部屋へ続くドアとリビングを挟んだ向かいにあるそこは、聡史の寝室になっている。
 寝室から戻ってきた聡史は手に毛布を持っていて、それを裕に巻き寿司のように巻きつけた。
 ずり落ちないように毛布の端を渦の中に押し込んで、次に浴室へ入って行った。
 がたがた音がした後に水音がする。
 浴室から出てきた聡史は、休む間もなくキッチンへ移動して何かをはじめた。
 振り向いてみると、あちこち扉を開けては閉めてをくり返して、最後に冷蔵庫から何かを取り出してコップに注ぎ、電子レンジに放り込んだ。
「何か飲むべきだとわかるんだが……すまないな、これしか思いつかない」
 肩を落とした聡史が持ってきて、手渡してくれたマグカップの中身は、ホットミルクだった。
(ほとんどキッチンに立たなかったんだから、どこに何があるのかわからなかったんだろうな)
 ミルクに息を吹きかけて裕は微笑んだ。
 マグカップを持つ手も、少しずつ飲んだミルクのおかげで体内も温まってきた。
 毛布の上から聡史が抱きついているので、気持ちまで温かくなった気がする。
(……ずっと、こうしててくれないかな)
 心地よさに目を閉じて、ちょっとだけ聡史に体重を傾ける。
 額が聡史の喉元に触れた時、聡史が体を揺らしたが、何も言わずに裕を抱き寄せてくれた。
(あったかい……眠くなってきた……)
 ライブハウスからマンションまで雪道を歩いてきた疲労も手伝って、裕は強烈な眠気に誘われる。
「駄目だ、まだ眠るな……ヒロ、ヒロ?」
 聡史が何か言っている気がしたけれど、裕はもう限界だった。 
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