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番外編
メイクと意地
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※本編 第一章と二章の間の話です。
==========================
卒業記念ライブの録画は富岡さんが言った通り、専門の人が撮ってくれたみたいで、ブログで公開されている過去の映像とはまるで違う出来栄えだった。
「うっひょ~、ぼくたちやっぱりイケてるよね~っ!」
薄型テレビの大画面に映しだされたライブ映像を前に、神音が両手を上げて歓声をあげる。自信家であり自惚れ屋の神音らしい発言で俺はそっと苦笑した。
樫部を見送ってから数日後、アレンさんの実家のリビングに『i-CeL』メンバーが全員揃っていた。
ライブの後に富岡さんは『今後のことも聞きたいだろう』と言っていたのに、みんなでカニ料理を食べて騒いだ翌日、慌てて帰って行ってから音沙汰がない。
まるで謝罪代わりのように卒業記念ライブ映像の入ったDVDだけがアレンさんの実家に郵送されて、アレンさんの号令でみなが集まったのだった。
俺とアレンさんはいつもの癖でソファに並んで座り、足元のラグに神音と八代さんが座っている。文月さんはひとり掛けのソファになぜか正座で座っていた。
各々持ち寄った菓子や飲料を口に運びながら、ライブ前の緊張感が嘘のように穏やかな時間を過ごしている。
「この音出せて見た目もイケる人間なんて、そうそう転がってない逸材なのに、よく揃いも揃って集まれたよね~ぼくたち」
神音がぐるりとみんなを見回して、首を傾けた。
神音以外のメンバー全員が苦笑する。
「さりげに自分自身も誉めてるところが、さすがカノンさまやな~」
「それにオリジナル曲数は多いのに、リリースしたCDは一枚だけって言うアンバランスなバンドになってるけどね」
八代さんとアレンさんがしみじみと語った。
話題についていけてない俺に気づいて、アレンさんが説明を補ってくれた。
「作曲者たる神音が量産タイプなおかげで、オレたち楽曲はたくさん持っているんだよ、響くんが覚えた以上にね。でもライブで歌うだけで音源にしてないの。どうしてもとファンの強い要望で一枚だけCDにして販売したけれど、それだって神音がかなり渋って大変だった」
無知な俺としては、ミュージシャンでもない一般人がCDを作れることがまず衝撃的事実だ。
そしてそれを買う人が存在するなんて。
身近に感じていた仲間たちが、一気に別世界の人間みたいに感じてしまう。
「だってさ~本来の声じゃない音を形にして残したって、意味ないじゃん。むしろ『i-CeL』にとってマイナス、傷にしかならないよ。ああ~いま思い返しても嫌になる~あのCDはぼくたちにとって汚点だ~っ」
頭を抱えて身をよじる神音に、八代さんが隣から手を伸ばして宥めている。
「せやかて、ライブに来れんファンはたくさんおるんや。友達におれたちの音楽を聞いてみやと言われても、都合が悪うて聞けへんファンには唯一の手段やったろ」
「これからのぼくたちを聞けばいいんだよ。みんな揃うまで待ってろっての、ファンだって言うならさ」
「……さすが王子様俺様カノン様……」
文月さんがぼそり、と声を挟んだ。
アレンさんと俺が小さく吹き出す。慌てて手で口元を隠して顔を背けたけど、ばっちり神音に聞かれたみたいで、軽く睨まれた。
「まぁまぁ、気を取り直して続き見よな、な?」
八代さんが強引に神音の目線をライブ映像に戻してくれた。
数分間、全員が映像を見て口を閉ざしていると、神音もさっきの話題を忘れてくれたらしく機嫌がよくなった。
「それにしてもイイよね~今回のライブの出来。映像で見て聞いても、やっぱり響の声、最高っ」
「そ、そうかな?」
初ライブの映像を見た時にも感じたけれど、やっぱり映像に残る俺の姿は本当に俺自身なのか自信が持てないくらいに違和感がある。
だけどがっかりしたとは思っていない。
むしろ自分の知らない姿を見ることが出来て、うれしく思えた。
(情けなかった初ライブの時と違って、ちゃんと楽しめてる)
ヒロのライブと比較してまだ拙さは残っているけれど、曲の世界を会場中に広げようと歌っているのがわかる。
ライブ前半はまだ足も痛まなかったから、曲の雰囲気にあわせて動き回ることもできている。
歌声も叶う限りの最高の出来だった。
(不満は残るけど、しょうがないよな)
むしろもっと、と思えることは貴重なんじゃないかと都合よく考えることにした。
まるで俺の考えが透けて見えていたかのようなタイミングで、文月さんがぼそりと呟いた。
「逸美さんのメイクの方が上手です……見習わねば」
画面ではちょうど演奏する文月さんがアップで映っていた。
自分自身の姿を見ながら、どこか悔しそうに言う。
「そう言えば文月さんは俺の初ライブの時もメイクしてましたよね」
神音いわく俺が必要以上に緊張しないようにと質素にやった、初ライブの時だ。
卒業記念ライブとは違って、控室には最初から最後までメンバーしか来なかった。過去の映像でもメイクしていたし、きっと自分で出来る時はしているのだ。
画面から俺に視線を移した文月さんが、こくりと頷く。
「僕にとってメイクもひとつの表現なのです」
いつもは表情少なく、淡々と話す文月さんの声に熱がこもった。
「ひとつひとつメイクをほどこす間に、まるで僕の本当の姿がよみがえってくるような……普段は抑えつけている本能がむきだしになるような高揚感に襲われるのです。僕にとってそれがライブで演奏するエネルギーに直結するのです」
虚空を見上げて熱弁する文月さんの周囲で、神音や八代さん、アレンさんがはいはいと適当な相槌を打っている。
「あの湧きたつような熱情。魂を掴まれ、引き出されるような恐怖と解放感……」
恍惚と語り続ける文月さんを、アレンさんがわかったからと苦笑しつつ止めた。
また画面を食い入るように見つめはじめた文月さんに代わって、神音が話題を変えた。
「今回いい具合に八代、解れてんじゃん? いっつもこうならいいのに~」
カメラが八代さんを捉えていた。
ほんの少しだけ片頬を楽しそうに微笑ませた八代さんが、伏せ目がちになってベースをかき鳴らす。どことなく哀愁を感じさせる伏せた顔は男前で、緊張のかけらも見当たらない。
きっと控室の八代さんを見ていなければ、演奏中の八代さんが素顔だと思うだろう。
仲間たちの音楽を支え、見せ場ではしっかり客席に向けてパフォーマンスもしている姿は頼もしい限りだ。
「そうですよ。八代さんの音はすごく頼もしくて、安心して歌えました」
あの熱くて楽しかった時間を思い返しながら神音に賛同すれば、八代さんが頭を抱えて身悶えしはじめた。
「ぎゃ~全身がこそばゆいわっ! やめてんか~誉められるの慣れてないんや~っ」
「二重人格じゃないの、ヤッシーは」
誉められたくないならとアレンさんがすかさず口を挟んできた。
「ライブ前の緊張しまくりで症状態と、うまくいった時のライブ中とは全然別人じゃない」
「……あ、でも前はそんなに緊張していなかったですよね?」
アレンさんがからかうそばで、ふと疑問を感じて質問を投げかける。
俺以外のメンバー全員が、八代さん当人も含めて首を傾げて聞き返してきた。
「俺の初ライブの時……いたって普通に見えましたけれど?」
文月さんとそろって客席の様子を見てきて、控室のソファに座ってくつろいでいた。
卒業記念ライブでは部屋のすみで呟き続けていたのに。
すると八代さん以外が吹き出した。
「あれはね、意地だよ」
「意地?」
アレンさんが口元を手で隠しながらネタばらしをする。
八代さんは仏頂面になって、耳を手で塞いだ。ここで止めても無駄だと悟ったらしい。顔を背けてライブ映像を見て聞こえない振りをしている。
「先輩の意地って言えばわかるかな? 仮にも『i-CeL』結成当時のメンバーで、響くんよりも長く演奏している者として、情けない姿は見せられないって意地だけで、平気なふりを装ってたの。でもね」
そこで笑いを堪えきれなくなったアレンさんが言葉を詰まらせ、続きを文月さんが淡々と引き継いだ。
「響君も緊張していて気付かなかったと思いますが、ヤッシーはほとんどトイレに籠っていたんです」
「トイレ、ですか? 様子見に行っていたんじゃ……」
「それは口実。ダイが先に様子見に行ってて、ちょこっと八代が加わったくらいでしょ」
俺に付き添っていたから自分の目で見ていないアレンさんが、推測を口にすると文月さんがその通りだと肩をすくめていた。
「控室に入る手前で、十回以上も深呼吸していました。それでもすごい大量の汗をかいて。響君の手前、平静を保とうとして失敗してた証しなんですよ。事実先輩が響君を連れ出したとたん、またトイレに駆けこんでました。卒業記念ライブの時だって、先輩たちが遅れて到着するまでトイレにずっといたんです」
記憶をたどり、卒業記念ライブの控室に入った時、文月さんしかいなかったことを思い出す。
「本当にね、もうちょっとどうにかならないかなぁ~」
スナック菓子をかじりながら神音が呆れ声を出す。
八代さんは完全に拗ねているらしく、画面を見たまま反応しない。
どうしてそこまでして音楽をやっているんだろうと素直な疑問が湧いてきたけど、それを聞くのは失礼な気がしてやめた。
「……それでもやりたいんや。おれが姉ちゃんと再会できたのは、音楽やってたからやねん」
画面を見つめたまま、八代さんがぼそぼそと語る。
「恩返しやねん。姉ちゃんと再会させてくれた神さまがおるなら神さまに。人の縁や言うなら人の縁に。とにかくおれをここまで連れてきてくれたすべてに、おれは一生音楽で恩返しすると覚悟したんや……向いてなくてもな。いつかおれらの音楽があってくれてよかったて言う人がひとりでもおるかもしれん。その人のためにおれはやると決めたんや」
「八代さん……」
思わぬ八代さんの決意表明に、からかいまじりだった神音たちが言葉を失った。
俺もじん、と胸が熱くなってきて声に詰まる。
神音たちにはわからないかもしれないけれど、俺も初ライブで眠れなくなるほど緊張したから八代さんの苦しさが少しは理解できる。
しなくてよくても緊張してしまう。その苦しみを毎回味わいながら、それでも立ち向かおうとする八代さんの姿がかっこいいと思った。
外見のよさだけじゃなくて、音楽に対する姿勢が透けて見えるから。
ふと目の前に高校の教室の幻が見えた気がした。
別れて間もない横顔も一緒に。
「……少なくともひとり、俺はみんなの音楽で救われた人を知ってます」
考える前に口から言葉が飛び出していた。
八代さんを含め、みんなが俺を注目したので少しだけためらう。
「俺の同級生です。路上で演奏していた『i-CeL』の音楽に衝撃を受けて、ずっと帰れなかった家に戻る勇気が出せたんだって言ってました」
みんな覚えているだろうか。樫部が話してくれた通りだとすると、結成して間もない頃みたいだからアレンさんは知らないかもしれない。
すべて聞き知っている神音はすぐにだれのことかわかったらしく、目を細めて笑っている。まるで狡猾な詐欺師みたいな表情だ。
「会いたくなかった人に会って、からまれてるところを助けられたのがきっかけだったと言っていましたけれど」
「ああ……」
すると文月さんが小さく声を上げた。
全員がそちらに視線を移す。
「下衆なサラリーマンに腕をつかまれてた彼ですね。覚えています」
本当に覚えていたんだと驚いたけれど、次の台詞はさらに俺を驚かせてくれた。
「ダイが投げ飛ばしてた奴かっ!」
八代さんが手を打って、思い出したと叫んだ。
「な、投げ飛ばしたっ!? 文月さんが?」
思わずソファに正座する文月さんを見てしまった。
女性らしいとは言えないけれど、細身で繊細そうにも見える文月さんが投げ飛ばせるなんて信じられない。
すると目だけ鋭くさせて、文月さんが親指を立てて突き出した。
「響君がからまれたら僕に任せてください。火星まで投げ飛ばしてあげます」
「い、いや……あの……」
冗談では言ってないことがわかるだけに、返答に困った俺の横でアレンさんがくつくつ笑っていた。
「ダイは空手の黒帯で、ああ見えてオレたちのだれよりも強いよ」
「力持ちだしね~。アレンのドラムセット、文月が一番軽々と運ぶよね」
神音がひらひら片手を振りながらアレンさんに賛同した。
人は見かけで判断してはいけないんだな、と俺は心に刻んだ。
「実演してあげましょうか? さぁ、ヤッシー僕にかかってきなさい」
「なんでおれが犠牲にならなあかんねんっ!」
「逃げないでください。かえって危ないですよ」
「ぎゃーマジでやるな~っ!」
逃げる八代さんを真顔で追う文月さん。
神音は他人事だから腹を抱えて笑ってるけど、みんなここは他人の家だって失念してないだろうか。
思わず横を盗み見る。
ほんのり口元を微笑ませて、アレンさんはどこ吹く風でライブ映像を見ていた。
とても優しく、何かを慈しむみたいな表情だった。
その美しさに見とれてしまった俺に気づいて、アレンさんが横目で俺を見る。
(うわっ、見てたのバレちゃった)
悪いことをしていたわけじゃないのに、変に気が焦ってしまう。
視線を外そうとする一瞬前に、アレンさんの口元が動いた。
(え……)
声を出さないで、口が何かを語る。
『さ・い・こ・う……最高』
最後にウィンクをして、アレンさんがまた映像に視線を戻した。
ライブ映像では歌っている俺がまたアップで映し出されているところだった。
なぜだか気恥かしくて、ソファに座り直した俺の周囲を八代さんたちがまだ駆けまわっていた。
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卒業記念ライブの録画は富岡さんが言った通り、専門の人が撮ってくれたみたいで、ブログで公開されている過去の映像とはまるで違う出来栄えだった。
「うっひょ~、ぼくたちやっぱりイケてるよね~っ!」
薄型テレビの大画面に映しだされたライブ映像を前に、神音が両手を上げて歓声をあげる。自信家であり自惚れ屋の神音らしい発言で俺はそっと苦笑した。
樫部を見送ってから数日後、アレンさんの実家のリビングに『i-CeL』メンバーが全員揃っていた。
ライブの後に富岡さんは『今後のことも聞きたいだろう』と言っていたのに、みんなでカニ料理を食べて騒いだ翌日、慌てて帰って行ってから音沙汰がない。
まるで謝罪代わりのように卒業記念ライブ映像の入ったDVDだけがアレンさんの実家に郵送されて、アレンさんの号令でみなが集まったのだった。
俺とアレンさんはいつもの癖でソファに並んで座り、足元のラグに神音と八代さんが座っている。文月さんはひとり掛けのソファになぜか正座で座っていた。
各々持ち寄った菓子や飲料を口に運びながら、ライブ前の緊張感が嘘のように穏やかな時間を過ごしている。
「この音出せて見た目もイケる人間なんて、そうそう転がってない逸材なのに、よく揃いも揃って集まれたよね~ぼくたち」
神音がぐるりとみんなを見回して、首を傾けた。
神音以外のメンバー全員が苦笑する。
「さりげに自分自身も誉めてるところが、さすがカノンさまやな~」
「それにオリジナル曲数は多いのに、リリースしたCDは一枚だけって言うアンバランスなバンドになってるけどね」
八代さんとアレンさんがしみじみと語った。
話題についていけてない俺に気づいて、アレンさんが説明を補ってくれた。
「作曲者たる神音が量産タイプなおかげで、オレたち楽曲はたくさん持っているんだよ、響くんが覚えた以上にね。でもライブで歌うだけで音源にしてないの。どうしてもとファンの強い要望で一枚だけCDにして販売したけれど、それだって神音がかなり渋って大変だった」
無知な俺としては、ミュージシャンでもない一般人がCDを作れることがまず衝撃的事実だ。
そしてそれを買う人が存在するなんて。
身近に感じていた仲間たちが、一気に別世界の人間みたいに感じてしまう。
「だってさ~本来の声じゃない音を形にして残したって、意味ないじゃん。むしろ『i-CeL』にとってマイナス、傷にしかならないよ。ああ~いま思い返しても嫌になる~あのCDはぼくたちにとって汚点だ~っ」
頭を抱えて身をよじる神音に、八代さんが隣から手を伸ばして宥めている。
「せやかて、ライブに来れんファンはたくさんおるんや。友達におれたちの音楽を聞いてみやと言われても、都合が悪うて聞けへんファンには唯一の手段やったろ」
「これからのぼくたちを聞けばいいんだよ。みんな揃うまで待ってろっての、ファンだって言うならさ」
「……さすが王子様俺様カノン様……」
文月さんがぼそり、と声を挟んだ。
アレンさんと俺が小さく吹き出す。慌てて手で口元を隠して顔を背けたけど、ばっちり神音に聞かれたみたいで、軽く睨まれた。
「まぁまぁ、気を取り直して続き見よな、な?」
八代さんが強引に神音の目線をライブ映像に戻してくれた。
数分間、全員が映像を見て口を閉ざしていると、神音もさっきの話題を忘れてくれたらしく機嫌がよくなった。
「それにしてもイイよね~今回のライブの出来。映像で見て聞いても、やっぱり響の声、最高っ」
「そ、そうかな?」
初ライブの映像を見た時にも感じたけれど、やっぱり映像に残る俺の姿は本当に俺自身なのか自信が持てないくらいに違和感がある。
だけどがっかりしたとは思っていない。
むしろ自分の知らない姿を見ることが出来て、うれしく思えた。
(情けなかった初ライブの時と違って、ちゃんと楽しめてる)
ヒロのライブと比較してまだ拙さは残っているけれど、曲の世界を会場中に広げようと歌っているのがわかる。
ライブ前半はまだ足も痛まなかったから、曲の雰囲気にあわせて動き回ることもできている。
歌声も叶う限りの最高の出来だった。
(不満は残るけど、しょうがないよな)
むしろもっと、と思えることは貴重なんじゃないかと都合よく考えることにした。
まるで俺の考えが透けて見えていたかのようなタイミングで、文月さんがぼそりと呟いた。
「逸美さんのメイクの方が上手です……見習わねば」
画面ではちょうど演奏する文月さんがアップで映っていた。
自分自身の姿を見ながら、どこか悔しそうに言う。
「そう言えば文月さんは俺の初ライブの時もメイクしてましたよね」
神音いわく俺が必要以上に緊張しないようにと質素にやった、初ライブの時だ。
卒業記念ライブとは違って、控室には最初から最後までメンバーしか来なかった。過去の映像でもメイクしていたし、きっと自分で出来る時はしているのだ。
画面から俺に視線を移した文月さんが、こくりと頷く。
「僕にとってメイクもひとつの表現なのです」
いつもは表情少なく、淡々と話す文月さんの声に熱がこもった。
「ひとつひとつメイクをほどこす間に、まるで僕の本当の姿がよみがえってくるような……普段は抑えつけている本能がむきだしになるような高揚感に襲われるのです。僕にとってそれがライブで演奏するエネルギーに直結するのです」
虚空を見上げて熱弁する文月さんの周囲で、神音や八代さん、アレンさんがはいはいと適当な相槌を打っている。
「あの湧きたつような熱情。魂を掴まれ、引き出されるような恐怖と解放感……」
恍惚と語り続ける文月さんを、アレンさんがわかったからと苦笑しつつ止めた。
また画面を食い入るように見つめはじめた文月さんに代わって、神音が話題を変えた。
「今回いい具合に八代、解れてんじゃん? いっつもこうならいいのに~」
カメラが八代さんを捉えていた。
ほんの少しだけ片頬を楽しそうに微笑ませた八代さんが、伏せ目がちになってベースをかき鳴らす。どことなく哀愁を感じさせる伏せた顔は男前で、緊張のかけらも見当たらない。
きっと控室の八代さんを見ていなければ、演奏中の八代さんが素顔だと思うだろう。
仲間たちの音楽を支え、見せ場ではしっかり客席に向けてパフォーマンスもしている姿は頼もしい限りだ。
「そうですよ。八代さんの音はすごく頼もしくて、安心して歌えました」
あの熱くて楽しかった時間を思い返しながら神音に賛同すれば、八代さんが頭を抱えて身悶えしはじめた。
「ぎゃ~全身がこそばゆいわっ! やめてんか~誉められるの慣れてないんや~っ」
「二重人格じゃないの、ヤッシーは」
誉められたくないならとアレンさんがすかさず口を挟んできた。
「ライブ前の緊張しまくりで症状態と、うまくいった時のライブ中とは全然別人じゃない」
「……あ、でも前はそんなに緊張していなかったですよね?」
アレンさんがからかうそばで、ふと疑問を感じて質問を投げかける。
俺以外のメンバー全員が、八代さん当人も含めて首を傾げて聞き返してきた。
「俺の初ライブの時……いたって普通に見えましたけれど?」
文月さんとそろって客席の様子を見てきて、控室のソファに座ってくつろいでいた。
卒業記念ライブでは部屋のすみで呟き続けていたのに。
すると八代さん以外が吹き出した。
「あれはね、意地だよ」
「意地?」
アレンさんが口元を手で隠しながらネタばらしをする。
八代さんは仏頂面になって、耳を手で塞いだ。ここで止めても無駄だと悟ったらしい。顔を背けてライブ映像を見て聞こえない振りをしている。
「先輩の意地って言えばわかるかな? 仮にも『i-CeL』結成当時のメンバーで、響くんよりも長く演奏している者として、情けない姿は見せられないって意地だけで、平気なふりを装ってたの。でもね」
そこで笑いを堪えきれなくなったアレンさんが言葉を詰まらせ、続きを文月さんが淡々と引き継いだ。
「響君も緊張していて気付かなかったと思いますが、ヤッシーはほとんどトイレに籠っていたんです」
「トイレ、ですか? 様子見に行っていたんじゃ……」
「それは口実。ダイが先に様子見に行ってて、ちょこっと八代が加わったくらいでしょ」
俺に付き添っていたから自分の目で見ていないアレンさんが、推測を口にすると文月さんがその通りだと肩をすくめていた。
「控室に入る手前で、十回以上も深呼吸していました。それでもすごい大量の汗をかいて。響君の手前、平静を保とうとして失敗してた証しなんですよ。事実先輩が響君を連れ出したとたん、またトイレに駆けこんでました。卒業記念ライブの時だって、先輩たちが遅れて到着するまでトイレにずっといたんです」
記憶をたどり、卒業記念ライブの控室に入った時、文月さんしかいなかったことを思い出す。
「本当にね、もうちょっとどうにかならないかなぁ~」
スナック菓子をかじりながら神音が呆れ声を出す。
八代さんは完全に拗ねているらしく、画面を見たまま反応しない。
どうしてそこまでして音楽をやっているんだろうと素直な疑問が湧いてきたけど、それを聞くのは失礼な気がしてやめた。
「……それでもやりたいんや。おれが姉ちゃんと再会できたのは、音楽やってたからやねん」
画面を見つめたまま、八代さんがぼそぼそと語る。
「恩返しやねん。姉ちゃんと再会させてくれた神さまがおるなら神さまに。人の縁や言うなら人の縁に。とにかくおれをここまで連れてきてくれたすべてに、おれは一生音楽で恩返しすると覚悟したんや……向いてなくてもな。いつかおれらの音楽があってくれてよかったて言う人がひとりでもおるかもしれん。その人のためにおれはやると決めたんや」
「八代さん……」
思わぬ八代さんの決意表明に、からかいまじりだった神音たちが言葉を失った。
俺もじん、と胸が熱くなってきて声に詰まる。
神音たちにはわからないかもしれないけれど、俺も初ライブで眠れなくなるほど緊張したから八代さんの苦しさが少しは理解できる。
しなくてよくても緊張してしまう。その苦しみを毎回味わいながら、それでも立ち向かおうとする八代さんの姿がかっこいいと思った。
外見のよさだけじゃなくて、音楽に対する姿勢が透けて見えるから。
ふと目の前に高校の教室の幻が見えた気がした。
別れて間もない横顔も一緒に。
「……少なくともひとり、俺はみんなの音楽で救われた人を知ってます」
考える前に口から言葉が飛び出していた。
八代さんを含め、みんなが俺を注目したので少しだけためらう。
「俺の同級生です。路上で演奏していた『i-CeL』の音楽に衝撃を受けて、ずっと帰れなかった家に戻る勇気が出せたんだって言ってました」
みんな覚えているだろうか。樫部が話してくれた通りだとすると、結成して間もない頃みたいだからアレンさんは知らないかもしれない。
すべて聞き知っている神音はすぐにだれのことかわかったらしく、目を細めて笑っている。まるで狡猾な詐欺師みたいな表情だ。
「会いたくなかった人に会って、からまれてるところを助けられたのがきっかけだったと言っていましたけれど」
「ああ……」
すると文月さんが小さく声を上げた。
全員がそちらに視線を移す。
「下衆なサラリーマンに腕をつかまれてた彼ですね。覚えています」
本当に覚えていたんだと驚いたけれど、次の台詞はさらに俺を驚かせてくれた。
「ダイが投げ飛ばしてた奴かっ!」
八代さんが手を打って、思い出したと叫んだ。
「な、投げ飛ばしたっ!? 文月さんが?」
思わずソファに正座する文月さんを見てしまった。
女性らしいとは言えないけれど、細身で繊細そうにも見える文月さんが投げ飛ばせるなんて信じられない。
すると目だけ鋭くさせて、文月さんが親指を立てて突き出した。
「響君がからまれたら僕に任せてください。火星まで投げ飛ばしてあげます」
「い、いや……あの……」
冗談では言ってないことがわかるだけに、返答に困った俺の横でアレンさんがくつくつ笑っていた。
「ダイは空手の黒帯で、ああ見えてオレたちのだれよりも強いよ」
「力持ちだしね~。アレンのドラムセット、文月が一番軽々と運ぶよね」
神音がひらひら片手を振りながらアレンさんに賛同した。
人は見かけで判断してはいけないんだな、と俺は心に刻んだ。
「実演してあげましょうか? さぁ、ヤッシー僕にかかってきなさい」
「なんでおれが犠牲にならなあかんねんっ!」
「逃げないでください。かえって危ないですよ」
「ぎゃーマジでやるな~っ!」
逃げる八代さんを真顔で追う文月さん。
神音は他人事だから腹を抱えて笑ってるけど、みんなここは他人の家だって失念してないだろうか。
思わず横を盗み見る。
ほんのり口元を微笑ませて、アレンさんはどこ吹く風でライブ映像を見ていた。
とても優しく、何かを慈しむみたいな表情だった。
その美しさに見とれてしまった俺に気づいて、アレンさんが横目で俺を見る。
(うわっ、見てたのバレちゃった)
悪いことをしていたわけじゃないのに、変に気が焦ってしまう。
視線を外そうとする一瞬前に、アレンさんの口元が動いた。
(え……)
声を出さないで、口が何かを語る。
『さ・い・こ・う……最高』
最後にウィンクをして、アレンさんがまた映像に視線を戻した。
ライブ映像では歌っている俺がまたアップで映し出されているところだった。
なぜだか気恥かしくて、ソファに座り直した俺の周囲を八代さんたちがまだ駆けまわっていた。
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