我恋歌、君へ。(わがこいうた、きみへ。)

郁一

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第一章

7:ステージ

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 ヒロと文月さんに連れて行かれたのは、地元のコンサートホールだった。
(一昨年だっけ……学校行事でオペラを観させられたな、ここ)
 収容人数も設備も整っているから、年間通していろんなイベントが開催されているのは知っていた。けれどバンドのライブにも使われることがあるんだとは初耳だ。
 時間が迫っているからとヒロは入口手前で別れて、文月さんと客席に入った俺は懐かしさにかられていた。
 二階席を見上げながら歩く俺を、先導していた文月さんが振り返り苦笑する。
「足元見てないと危ないですよ」
「あっ、いて……段差があるんでした」
 注意されたそばから、階段を踏み外して変な声をだした俺の腕を文月さんがつかんだ。
 彼の手元にはチケットが二枚。座席番号を確かめて、ずんずんステージに向け歩いて行く。
 入口扉から入ってすぐに見下ろしたステージ上は、開始前だからまだぼんやり照らされている状態だった。
 遠くて小さく感じたステージが、進むにつれて大きくなっていく。
「どこまで行くんですか?」
「ステージ正面の最前列から二列目。そこが僕たちの指定席。ヒロからもらった席なんですよ」
「も、もらった?」
 チケットと言うのは、もちろんお金を払わないと買えないもののはずなのに。
「ヒロがどうしても招待したい人がいたんだけど、今夜は来れないらしくて。無駄にするよりはマシだって言っていました」
「……そ、うなんですか」
 すでに席に座っていたお客さんたちに断って前を通り、列の中ほどまで入って指定席に座る。文月さんは一息ついて、ホール内を見回して笑った。
「今夜は立見客も大勢いる。さすが『聖白』ですね」
 早朝特訓でアレンさんに聞いた名前に、俺の脳内が反応した。
「『聖白』って確か……富岡さんがメジャーデビューさせたとか言ってた?」
「そうだよ。響君も知っていたんだ。ヒロは『聖白』のヴォーカルなんです」
「…………」
 あんな人が人気のある歌手だなんて、俺にはよくわからない世界だ。
 文月さんを見習って周囲を見回す。
 若いカップルや中年の男性客、俺と同じくらいの学生たちもいる。
 しばらく文月さんに『聖白』の音楽について教わっていると、アナウンスの後に照明がすべて落とされた。
 暗闇に会場が飲みこまれた直後、ステージ上にだけ照明が灯る。そこにふたりの青年がいた。
 さっき見た服とは違い、衣装に着替えたヒロはまるで別人のようだった。華やかな雰囲気はそのままだけど、もっと鋭く研ぎ澄まされた空気も持っていた。
 マイクをかまえ、客席に呼びかけたヒロより半歩、斜め後ろでギターを構えている青年がいる。
 彼は黒い髪を背中まで伸ばし、全身黒ずくめの衣装で、にこりともしないままヒロに紹介され、客席に頭を下げた。
 文月さんによると、彼が演奏できない楽器はないそうで、特にギターテクニックは文月さんに憧憬と絶望を感じさせるほどなんだとか。
 『聖白』はそのふたり組だった。
 ヒロが客席に軽く挨拶をしてすぐ、一曲目がはじまった。俺は急に視界が狭くなったような感覚にとらわれた。
 叫ぶようなギターに、深い響きの歌声が語るのは、最後の恋を失って、それでもなお相手を想い続ける女性の歌だ。
 出会った時に感じたヒロの印象は、曲がはじまったとたんに、俺の中から吹き飛んでしまった。
(なんて……強引で、でも優しい声なんだろう。甘いのに、哀しくて……胸が痛むけれど、ずっと聞いていたいと思う)
 さっきまで俺をからかっていたヒロは、いまどこにもいない。
 意識の一片までも彼らの音楽に染められ、塗り替えられてしまうようだ。
 次の曲は息切れしそうな早さのリズムの曲で、歌詞もよく舌を噛まないなと感心してしまう密度で展開していく。
 ヒロは曲に合わせて、多彩な声を聞かせてくれる。   
 まっすぐ届いてくる声に、一秒たりとも意識を離せなかった。
 皮膚を突き破って、体の奥底まで突き抜けてくるような彼らの音の世界に飲み込まれた俺は、鳥肌が最後までおさまらず、時間を忘れてのめりこんだ。
(あぁ……樫部が『i-CeL』に会って、衝撃を受けたって言った時の気持ちが、いま分かった気がするよ)
 気がつくとライブが終わり、ふたりがステージから消えていた。
「終わったね……しばらく経ってから楽屋へ行ってみようか。聞こえてる、響君?」
「……えっ、は、はい。何ですか」
 文月さんは目を細めて笑った。
「楽しんでくれたみたいですね、よかった」
「はい、すごく……えっと、何と言ったらいいのかな。興奮した感じです。うまく言葉にできないですけど」
「いいよ。きっと響君が歌えば、すべてわかる。楽しみです」
 文月さんに楽屋へ連れて行ってもらった。
 汗を洗い流して、水分を補給していたヒロに、直接感想を伝えたら大爆笑された。
 猿でも音楽がわかるか、なんて馬鹿にされた気もしたけれど、その時のヒロの顔がすごくうれしそうだったから、ひょっとしたら照れてただけかもしれない。


 俺はだれに言われるでもなく、ヒロに懐いて時間が合えばついて回った。
 同じ立場にいる先輩で、でも一緒に活動するメンバーじゃない。その距離感が俺にとって気安かったのかもしれない。
 ただヒロはすでにデビューしている人だから、忙しくて会える日ばかりではなかったけれど。
「ヒロさんはなぜ歌うようになったんですか?」
 モーチンさんの特訓を終えた帰り道、今日はヒロに連れて行きたい場所があると連れ出されて歩きながら聞いてみる。
 後頭部をかきむしりながらヒロが答えた。
「その、さん付け……やめてくんない? むず痒くてたまんない。歌いはじめたきっかけは、近づきたい人がいてそのために必要だったから。って、何でクソ真面目に答えてんだよ、俺」
 ヒロは唇を曲げて、眉間にしわを寄せた。
 赤い髪や言動で軽薄そうに見えるヒロだけど、根は優しい人だ。いくら富岡さんに頼まれたからと言っても、ライブに招待した後もこうして付き合ってくれるんだから。
「いまもその人のために?」
「ん~……だけ、じゃないなぁ~いまは。やっぱさ、ライブで歌うの気持ちいいんだよ。だれかに聞いてもらえる、喜んで聞いてくれる快感って言うの? あれを知っちゃうと、癖になっちまう」
「そう言うものですか」
 並んで歩いていたヒロが俺を見下ろし、首を傾げながら聞いてくる。
「お前、まだ人前で歌ったことないんだって?」
「……学校の授業以外ではないですね」
 また見下されるかな、と思いながら答えると、ヒロは納得した様子で頷いた。
「ふ~ん。なるほど、それで俺が選ばれたってわけか」
 何がなるほど、なのかはすぐにわかった。
 ヒロが連れて行ってくれたのは駅から二十分ほど歩いた地下にあるお店で、お酒を飲みながらステージを楽しめるバーだった。
「デビューする前、俺ここで歌ってたんだわ。組んでいたバンドから追い出されて、歌う場所が見つからなくて、ずいぶん鬱憤たまってたからさ。暇さえあれば通ってて、マスターにずいぶん可愛がってもらった」
 飴色の木製ドアを開けると、店内はまるでホテルのようで、客席テーブルや椅子、小物までお洒落だった。男子高校生には馴染みのない雰囲気に尻ごみしてしまう。
「ヒロじゃないか。よく来たな~久しぶり」
 入口から見て右手側に、壁一面にお酒が並んだバーカウンターがあって、そこにいた男性がヒロを見て声を上げた。
「店長、相変わらず不景気そうな顔色してるね」
 両腕を広げる男性にヒロが笑いながら近づいて、ふたりは抱擁を交わした。
「今日は連れがいるんだ、こいつ……響って言う俺の後輩。まだステージで歌ったことないって言うからさ、経験させてやってくんない?」
「おや~……ヒロがだれかを連れて来るなんて珍しいねぇ」
 そう言って店長は俺を頭から足先まで、何度もじろじろ見てきた。
 ヒロの言った通り、顔色が悪くて痩せている店長は俺の苦手意識を刺激した。
 思わず後ずさりする俺に、ヒロが苦笑して肩をすくめながら引き寄せる。
「うまく歌えたら、店長のコレクション部屋、使わせてあげてよ」
「……ヒロがそこまで言うなんて、本当に珍しい。君はそれほどなのかね」
「歌わせればわかるよ。って言うか、俺も聞いてみたい。富岡が肩入れする新人なんて久々だしな。ほれ、響。歌えそうな曲を選べ」
 まだ俺を値踏みしている店長から逃れるために、ヒロに手渡された喫茶店のメニューみたいなものに視線を落とす。
 それにしてもヒロ、富岡さんを呼び捨てにするなんて度胸がある。お世話になっている相手だろうに。
 きれいにビニールかけしてあるメニューは、ジャンル別に曲名とアーティスト名が書かれていた。
「え、選べって……いまから選んだ曲を歌うんですか、俺が?」
「そ。ここはステージにバックバンドが控えていて飛び入り参加で歌える、ありがた~い店なんだぜ。バンドメンバーはみんなアマチュアだけど、そこに載ってる曲は全部演奏できる。ほれほれ、とにかく一曲歌ってみやがれ」
 ヒロが手を伸ばして、メニューを次々とめくりはじめた。
「お前が知ってるジャンルはどれだ? ジャズなんて知らねぇだろな~……演歌か? アニソンはやめてくれよ」
「あ、ちょ、めくるの早すぎます……っ!」
 リストにどんなジャンルがあるのかすら読みとれず、俺は慌ててヒロの手からメニューを遠ざけた。
 じっくり見たところで歌える曲は片手で足りるほどで、どれも人に聞かせられる自信はない。
「……どうしても、いまから歌うんです?」
 ヒロはカウンターに座り、頬杖をつきながら、俺の質問に目を丸くして驚いてみせた。ちょっと演技がくさい。
「お前な、俺をここまで付き合わせておいて、何もせず帰るつもりかよ。ぐずぐず考えるなんて、きりがねぇんだ。考えるより先にやってみろ、ここで俺が聞いててやるからよ」
 ヒロに聞かれるのはよけいに緊張するので、やめていただきたい。
 俺はそう思ったものの、ヒロの言った通り、いろいろと付いて回っては教えてもらっている立場だから言えなかった。
 代わりにリストの中で、これならと思える曲を口に出した。
 店長が頷いて、両手を音高く打ち鳴らす。
 客席の奥のステージ上でBGMを奏でていたバンドメンバーたちが店長を見る。彼らに店長が曲名を伝えると、うれしそうに頷いて小さな音量で曲を奏でた。
「これから歌う曲を、先に軽く演奏して客に教えておいてくれるのさ。さ、お前さんはステージに上がる。マイクは中央に立ててあるやつを使え。スイッチはわかるか?」
 ヒロに突き飛ばされて、よろけながらステージへ向かう。
 ステージ脇の階段を昇り、中央へ歩いて行く。
 スタンドマイクの前に立つと、自然に客席に顔を向ける形になった。
 テーブル席が七つ、お客さんはそこに二組とカウンターにひとり。その隣でヒロが俺に片手を上げて笑っていた。
 ごくり、と唾を飲み下す音がマイクに拾われそうだ。
 スイッチはすぐにわかったものの、マイクに添える手がぶるぶる震えていた。俺は本当に歌えるだろうか。
「……君、ここで歌うのははじめてだね?」
「は、はい」
 背後にいたバンドメンバーのひとりが俺に囁きかけてきて、振り向いてみると初老の男性が目を細めて笑っていた。
「目を閉じて、深呼吸してみなさい。カウンターにいるのは連れだろう? 彼だけが店内にいると思ってごらん」
 それは無理だと思うと心の中だけで反論しつつ、目を閉じてみた。
(……うん、少しだけ楽になった、かな?)
 ヒロがいるだけだと自分に言い聞かせて、 でも目は閉じたまま、ひそかにはじまった伴奏に第一声を乗せた。
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