我恋歌、君へ。(わがこいうた、きみへ。)

郁一

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第一章

10:きっかけ

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 火曜日。
「おっはよ~さん」
 八代さんがスタジオに入ってきた。鞄を置きながら、そやと神音を振り返る。
「メール見たか? 今日はアレンの奴、遅れてくるそうやで」
「そうだった? 気づかなかったな……わかった、このメンバーで練習をはじめよう」
 指慣らしがてら、キーボードを即興で弾き流していた神音は伏せていた視線を上げて、八代さんに頷いた。
 俺がむせて、咳きこんだところで、ずいぶんと時間が経っていたことに気づいた神音が休憩を切りだした。
 文月さんが人数分のペットボトル飲料を持参していて、俺たちに配ってくれた。
「実家が喫茶店を経営してて、関係業者から賞味期限間近の物をもらうことがあるんですよ。これはそのおすそわけです」
「ほんま、助かるで~」
 さっさと開封して飲んだ八代さんが、文月さんに両手をあわせて拝んでみせる。
 文月さんが渋い顔をして八代さんを蹴った。
「先輩にも同じこと言っていたでしょう。ヤッシーは本当に守銭奴ですね」
「失礼な。苦労性やと言うてぇな」
「あの……先輩って?」
 昨日も文月さんは先輩と言っていたけど、だれのことを言っているんだろうと疑問だった。
「あれ、知らんかったか? ダイ……文月とわれらがリーダーのアレンは同じ大学の先輩後輩の間柄なんやで。もっともダイと入れ違いに卒業してもうて、同時期に在学してへんけどな」
「それでも先輩はいまも有名人ですよ。あの『ラダフ』のドラマーだって……響君は知らないでしょうか? 先輩が以前に所属していたバンドで、インディーズとしては異例のCD売上高を記録したバンドなのです」
「へぇ……そんなにすごい人だったんですね」
 目を輝かせて語る文月さんを見れば、アレンさんを尊敬しているんだなとわかる。
「三年前、メジャーデビュー寸前に突然解散して。理由は一切不明のまま、先輩以外は音楽業界から去ったと噂されています」
「アレンもずいぶんと質問攻めにされとったみたいやで。このバンドに見学に来た時、ずいぶんやさぐれとったもん。いまとえらい違うでー。別人やないの、と思ったくらいに明るくなりおって」
 八代さんが当時を思い出したのか、ほろ苦く笑った。
「先輩のドラムはもちろん、歌詞の世界観が好きで、何度も先輩の歌詞を書き写してましたから、一緒にバンドを組めるなんて夢のようです」
「おれにはそんなこと、ひとかけらも言ってくれへんなぁ」
 八代さんが拗ねたように言うと、文月さんはとたんにいつもの表情に戻り、ふっと鼻で笑った。
「ヤッシーはたまたま、僕に声をかけてきただけでしょう?」
「そんなんあらへんで。おれはダイの声と詞に惹かれて声かけたんやで!」
 聞けば、路上でギター片手に弾き語りをしていた文月さんに、別の人と演奏していた八代さんが興味を持ち、ふたりで組んだのが『i-CeL』の原型なのだと言う。
「ある日演奏しとったら、生意気な小僧が寄ってきてなぁ。その小僧が次の日、曲を作って持ってきたんや。それまたいい曲で。聞いたらはじめて作ったと言いよる。おれもダイも目を剥いたで、あれは」
「その小僧って、もしかしなくてもぼくのことだよね」
 神音が口をはさむと、八代さんが大きな体を小さくしながら、怖い怖いと呟いた。
 中学三年の冬、ピアノ教師の自宅まで指導を受けに通っていた神音が、帰ってくるなり興奮していた日があった。
 それからバンドをやりたいと言うようになったから、何があったんだろうと思っていたけど、神音が八代さんたちに会った日だったようだ。
「路上ライブができる場所は限られとる。このビルの前なら、時間限定やけど見逃してもらえるんや。おれとダイはそこで演奏しとって神音に会ったんや」
「ヤッシーはあの時の彼女とどうなったんです」
 文月さんが何気なく問いかけると、八代さんは飲み損ねてむせてしまった。
「あの時?」
「僕に声をかけてきた時、ヤッシーは女の人と組んで演奏していたんです。ずいぶんと可愛らしい子でした……小柄で細くて、目がくりくりして」
「ややや、やめてんか、その話は!」
 八代さんは髪の毛と同じように、真っ赤に顔を染めて、両手を振りながら後ずさる。
 目を細めてうっすらと口元を微笑ませ、文月さんが詰め寄った。
「もぉ、仲良いのはわかったからさ。練習に戻ろうよ」
 呆れて神音が声をかけたのをきっかけに、再び練習に戻ろうとしたところで、アレンさんが入ってきた。
 振り返った四人は、アレンさんの姿に目を丸くした。
「先輩っ、どうしたんですか、その手!」
 文月さんが声を乱しながらギターを置いて、ドアの前で肩にかけていた鞄を外すアレンさんに駆け寄る。
「面目ない……転んで、捻っちゃったみたいで」
「だったら家に帰ってくださいよっ。何真面目に練習に来ちゃってんですか!」
「あはは……ダイってほんと、怒ると怖いよねぇ」
 呑気に笑うアレンさんの左手首が、ぱっと見てわかるくらいに腫れている。
 文月さんと同意見だ。笑ってる場合じゃないと俺も思いますよ。
 ふと昨夜の光景が脳裡をよぎる。
 もしかしなくても、昨夜すでに怪我をしていたんじゃないだろうか。
 神音を見ると、神音も同じことを想像したのか、俺を見ていて視線が合った。
 小さく頷いた神音がアレンさんに近寄り、怪我の様子を見て言った。
「文月が言う通り、今日の練習は打ち切りにしよう。明日からもアレンは療養した方がいい」
「大げさな。ちょっと腫れてるだけ……」
 手を振るアレンさんに、神音が両手を腰に当てて言い放った。
「ミュージシャンが商売道具に傷つけて、ヘラヘラ笑ってんじゃないっ!」
 その声量と迫力に、俺たちはそろって体を縮めた。本当、神音こそがバンドのリーダーみたいに見えてくる。
 ピアノを習ってきた神音だからこそ、持ちえる感覚なのかもしれない。
「代打とは言え、大事なライブ前に怪我をしておきながら、危機感がなさすぎるんだ」
「まぁ、それについては……言い返す言葉もございません」
「早く帰って診てもらってください、先輩」
「その手じゃ運転しにくいやろ。おれが代わりに運転したる。悪いけどそのまま帰らせてもらうから、これで解散やな」
 八代さんがベースをしまい、肩にかけながらアレンさんを連れてスタジオから出て行った。
 神音がまったく、とため息を吐き出した。
「責任感が強すぎるのも考えものだよ。あいつは下手すると、自分の体のこと放り出してまで他人を優先するからなぁ……ああ、響は知らないよね。アレンのお父さんが接骨院を開いているから、帰れば怪我をすぐに診てもらえるんだよ」
 心配で落ち着けない気持ちを抱えたまま練習を終えて、スタジオを出た。
 帰宅後に神音の携帯に届いたアレンさんからのメールによると、二日間練習を休むそうだ。
「メンバー全員で音合わせができるのは、金曜日だけってことか……」
 神音がメールを見ながら、渋い顔で呟いた。
 ライブ前に音合わせが出来ないのは辛い。特に今回は素人の俺が参加するのだ。
 心配でたまらない俺を神音が振り返り、けろりと笑って見せた。
「響は基本練習に専念して。他のことは考えなくていい、ぼくたちでどうにかするからさ。大丈夫、こういうこと、ぼくたちは慣れてるから」
 こう言う時は先輩の意見に従うべきだろう。
 俺は大人しく、発声法と呼吸法の練習と、覚えた曲の練習に専念した。
 それ以外にも、バンド活動を紹介するブログサイトを、文月さんが管理しているらしく、参考にとアドレスを教えてもらって、過去のライブ映像を見た。
(うっわ……文月さん、別人みたい)
 結成したばかりの頃の映像を再生すると、いまよりも細くて背が低い文月さんが映しだされた。
 髪を固めて黒をベースにしたメイク、切りつけるような尖ったギターの音色を響かせながら文月さんが歌いだす。
 その隣でキーボードを弾く神音も、背丈が小さくて顔立ちが幼い。
 背後で八代さんがドラムを叩いていた。
 繊細で澄んだ文月さんの声が歌う、曲の内容と演奏がアンバランスで、それがまた危うげな魅力となって聞く者の心を鷲掴みにする。
 次々と年月を重ねて、成長していくメンバーたちが映った映像を再生していった。
 アレンさんが加入したのは、結成後間もなくだったらしい。八代さんがドラムを叩く姿は数えるほどしか映像に残っていない。
 歌い手は文月さんと神音で、その時々で変わっていた。
 初期の映像から続けて見ていると、演奏の中身がどんどん研ぎ澄まされていくのがわかる。
(……俺、こんな人たちと歌う資格なんて、あるのかな)
 神音のパソコンを借りて見ていた俺は、椅子の上で足を抱え、丸まった。
 いままで身近に感じていた相方が、急に遠くて尊い存在になったような気がした。
 パソコンの前で動けなくなっていた俺に気づいたのかどうか。
「家の中じゃ、存分に声を出せないもんね」
 そう神音に言われて、高校生組の俺たちは授業の後、毎日スタジオに通った。
 神音がスタジオに行くのは俺の練習のためだ。富岡さんたちがしてくれたことを、引き継いでくれたのだ。
 木曜日は文月さんが早めに練習に合流できたので、神音はライブで演奏する曲の練習に切り替えた。
 欠けているパートは神音持参のデジタル音源で代用した。俺にはよくわからないけれど、薄っぺらな音で味気ない音だった。
 神音から俺に歌い手が変わったせいか、細かな部分の修正が重なり、練習はよく中断した。
「ここはあと半音上げてもいけそう、響?」
「あ、たぶん」
「ならギターもちょっとアレンジしていい?」
「……カノン、お願いだからこれ以上難しくしないでください」
 文月さんの懇願は聞き流されたらしく、唇噛みながら修正した部分を何度も弾く文月さんに、俺はこっそり同情した。


 金曜日になった。
 メンバー全員が揃った練習がほとんどできないまま、ライブ前日を迎えてしまったことになる。
「響くん、大丈夫?」
 さすがに今日ばかりは、とメンバー全員が朝からスタジオに揃った中で、がちごちに緊張している俺の背中をアレンさんがさすってくれた。
「ごめんね、オレが怪我しちゃったから。ほとんど練習できないで、初ライブを経験させてしまうことになって」
「い、いい、いえ……」
 そうなんだよ、昨日の夜カレンダーを見て、ライブ前日なんだと気づいた時から、俺は緊張で胃が痛くて、とても眠れなくなってしまった。
 特訓と、神音が練習に付き合ってくれたおかげで、かなり上達したと思う。けれどいざ人前に出るとなると、話はまったく別次元になる。
 ヒロが見せてくれたようなライブを、俺は明日できるんだろうか。
「アレンさんが悪いわけじゃないんですよ……気にしないでください」
 そう、こればかりは練習したとかしてないじゃないと思うんだ。
 モーチンさんの特訓を思い出し、不安が加速する。
 感情豊かに声を操ってみせるモーチンさん。
 俺はどうだろう。曲は確かに覚えたけど、まだ神音は満足していない様子だ。
 初日に言われたように、楽譜に書ききれない部分がどうしても表現できないのだ。
 それなのにライブに来た客を満足させられるだろうか。
 ヒロみたいに熱くさせる音楽を、会場中に広げられるだろうか。
 いままでの『i-CeL』を見てきたファンを失望させてしまわないだろうか。
 やり方がわからない。どうしたらモーチンさんみたいに、ヒロみたいに、文月さんや神音みたいに歌えるだろう。
 わからないまま、時間は容赦なく過ぎていく。
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