我恋歌、君へ。(わがこいうた、きみへ。)

郁一

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第一章

12:奔流

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 ライブハウスのステージ脇に立つと、緊張感がぐんっと上昇した。
 膝ががくがく震えて、手が汗ばんでくる。持ち慣れてないから何度もマイクを落としそうになり、隣にいた文月さんが受け止めてくれた。
 ここからはステージ上がよく見える。先に演奏しているバンドは、俺たちよりも激しいリズムと叫んでいるようなヴォーカルの声とで、耳が痛いくらいだった。
 彼らの最後の曲が終わり、観客の歓声と拍手に彼らがお礼を言った。
 照明が落ちて、ステージ上に人が行き交いはじめた。
「オレたちが使う楽器と、前の演奏者たちのとを入れ替える時間があるの。響くんは、その時間を使って、心構えをしておいてね」
 事前にアレンさんから説明を受けていたので、俺はステージ脇に残って目を閉じた。
「響くんはひとりじゃない。オレたちがいる。忘れないで」
 最後にアレンさんが俺の頬に手をそえて、まっすぐ目を見つめながら言った。
 あまりにもまっすぐに言われて、慣れてない俺は胸にせりあがってきた何かに声を失ってしまう。
 仲間たちは先にステージに出て行った。
 鬼気迫る雰囲気で、ステージ上を人の影が動き回る。
 いつ、合図があったのかわからない。
 気がつくと照明がついて、ステージを照らしていた。
「こんばんは~、本当は『Clasical Hevens』が今夜ここで演奏する予定でしたが、ぼくたち『i-CeL』の演奏を代わりに楽しんでください」
 神音が客席に話しかける。照明が神音を中心にステージを照らした。
 一番近くにいた八代さんが、脇で突っ立ったままの俺に手を振って合図する。
 慌てて歩きだした。足がもつれて転びそうだ。
「一曲目、聞いてください。ぼくたちのオリジナル『Deep Blue』です」
 胸元のシルバーアクセサリーを片手で一度握りしめた。
(俺だけじゃない。みんながいる)
 アレンさんの言葉をくり返し、深呼吸をしてから立ち位置についた。
 客席に向き直る。一瞬、照明に目がくらみ、客先がなくなったみたいに真っ暗に見えた。
 しばらく経つと目が暗闇に慣れて、人の姿がぼんやり見えるようになる。
 だれもがこちらを見上げていた。表情まで読み取れるのは前列くらいだけど、いきなり出てきた俺に不審そうな顔をしているのが見えた。
 彼らから、巨大な壁みたいな圧力が俺に押し寄せてくる。いまにも押し潰されそうになりながら、緊張で干からびる喉に唾を飲んだ。
 演奏がはじまる。
(感じるんだ……ただ歌うだけじゃなくて)
 特訓で教わったあれこれを思いだしつつ、目を閉じて頭の中に譜面を広げる。
 バーではじめて歌った時を思い出して、できるだけ深呼吸をして意識を集中した。
 呼吸を合わせ、マイクを構えた。
 声を演奏に乗せ、客席へと放つ。
 ぞわっ、と体の奥底を見えない手でかきまわされたような感覚が襲う。
 思わず目を開いてしまった。
(……っ!)
 音をひとつ外した。舌打ちしたくなるのをこらえて、演奏に集中しようとしたけれど、意識がまとまらなかった。
(ど、どうしよう……わけ、わかんなくなってきた)
 演奏がうまく聞き取れない。呼吸の切れ目と、出だしが演奏とあっているのかわからない。
 そんなはずはないのに、ステージの上にひとり取り残されたような錯覚に落ちる。
 周囲から音が遠ざかる。奔放な神音のキーボードや、繊細ながら刃のような文月さんのギターが囁き声みたいに小さく聞こえてくる。
 八代さんのベースがそよ風のように頼りなく、アレンさんのドラムは木枯らしに飛ばされたビニール袋が鳴らす音みたいだ。
 心細さに足が竦んだ。まるでステージの床がいまにも開いて、奈落の底に落ちてしまいそうな心地だった。
一曲目はどうやら無事に歌い終えられたらしい。気がつくと、神音が俺を新メンバーだと観客に紹介していた。
 二曲目もすぐにはじまり、俺はどうにか立てなおそうともがいた。
(また、リズムがずれたっ!)
 やっぱり演奏が遠い。ステージの中央にひとり取り残された俺に、客席がどんどん大きくなりながら、押し寄せてくる気がした。
 暗くてはっきり見えないはずなのに、俺たちを見ている客のひとりひとりの表情が、目の色が、感情が苦しいほどに伝わってくる。
『ナンナノ、オマエハ』
『ヘタクソ』
 声にならない言葉が客席から突き刺さる。
 客席が何倍にもふくらんで、頭上から何度も声が降り注いでくる錯覚に震えながら、ステージで歌い続けた。
 全身に冷や汗が浮かび、もはや楽しむ余裕なんてまるでない。ただひたすら、目を閉じて頭の中の譜面に集中し、かすかな演奏に耳を澄ませるだけだ。
 取り残され、もがく俺の中で、だれかが囁く声がした。
『神音じゃなくて、よかったわ』
 ぞくり、と背筋が凍りつく。
(な、んだろ……いまの)
 暗闇がとてつもなく恐ろしく思えて、目を開くと、照明が見えて少しだけ息が楽になった。
 その代わりに立ちはだかる観客の壁が見えて、足元がふらついた。
 壁が俺を囲んでまわりはじめる。
(はやく、はやく終われっ!)
 俺はただそれだけを念じて、虚ろに歌い続けた。


 立て続けに三曲演奏してライブはようやく終わった。
「今夜は聞いてくれて、ありがとう~!」
 神音が観客に向けて叫び、照明が落とされると、俺は何も考えられなくなっていた。
ステージに突っ立ったまま、両腕を垂らして動かない俺に、アレンさんが気づいた。
「響くん……? 終わったよ、戻ろう」
「…………」
 マイクを握ったままの手を引かれ、促されても俺は歩き出せない。
 体中に言葉にできない感情が渦巻いて、少しでも動いたら吹き出してしまいそうだったのだ。
「……みんな先に戻ったよ。いまはオレだけだ。大丈夫、ゆっくりでいいから動いてごらん」
 俺の両肩を抱きしめるみたいに抱えて、アレンさんがステージから控室へと、俺をゆっくり歩かせていく。
 俯いたまま歩いて、戻った控室ではまだ神音たちがいたみたいだけど、アレンさんが何か言ったのか、俺の様子を見て気を使ったのか。我に返って視線を上げると、いなくなっていた。
「……みん、なは?」
「先に帰ったよ。ほら、響くんも着替えて」
 てきぱきと自分の着替えだけじゃなく、俺の着替えまで手伝って、アレンさんは控室から俺を連れ出した。
 そのまま車に乗せられて、走りだす。
 二回目の赤信号で停車した時、上着ポケットの中で携帯が震え、神音からのメールを着信した。
『今夜はお疲れサマ。また後日、打ち上げしよう!』
「……くっ」
 携帯を持つ手から力が抜けて、膝にぶつかり音を立てた。
 運転していたアレンさんが、俺をちらりと見たのがわかった。
 窓ガラスに顔を向けて、アレンさんから表情を隠す。
 しばらくの間、車は静かに走り続けた。
「……すみませんでした」
「何が?」
 ずっと渦巻いていた感情の波が、一気に吹き出してしまいそうで、押し殺した声で謝罪した俺にアレンさんが短く問いかける。
「俺、全然歌えなかった……ッ!」
 ぎゅっ、と携帯を握りしめる。
 あんなに毎日、神音に付き合ってもらって練習してきたのに。
「……悔しいっ!」
 携帯を握ったままの手で、何度も膝を殴る。
 その手をアレンさんの手が重なり、動きを止めさせる。
「そんなことなかったよ……何て言っても、いまの響くんにとっては嘘に聞こえるんだね」
「…………」
 窓ガラスに額をつけたまま、視線を上げると、いつの間にか車は見晴らしのいい場所に止まっていた。
「……ここ、は?」
 憤りも何もかもを一瞬忘れて、周囲を見回した。
 ハンドルにもたれかかりながら、アレンさんは小さく笑った。
「いつもの場所。もう一度、響くんと夜景を楽しみたくてね、今度はゆっくり」
「…………」
 ライブ直前にも連れて来てもらった、早朝ランニングの終着地だ。
 車窓いっぱいに埋めつくす、都会の明かりを見ていると、少しずつ体から力が抜けていくのがわかった。
 呆然としたまま、座席に体を沈める。
 アレンさんはとなりで、何も言わずにただ居てくれた。
「……ごめんなさい」
 どれくらい経ったのか、ぽつりと言葉が俺の口からこぼれる。
 ひどく疲れた。体中が重くて、目を開けているのも辛かった。
「何に謝りたいのかな、響くんは」
「ライブ……出来損なってしまって……アレンさんに、ここまで……付き合わせてしまった」
「いやいや、ここに来たのはオレの我がまま。オレが響くんを拉致してきたのよ、謝るのはオレの方でしょう?」
「でも……」
「響くんは、何に怯えているのかな」
 アレンさんの一言に、どくり、と俺の心臓が不気味に鳴った。
 そんな俺の髪をアレンさんが撫でるように梳いた。
「そうやって涙をこらえて、悔しがっている姿を見てね。オレはちょっとだけ安心しちゃったわけ。薄情にも、ね」
「……安心、ですか」
「うん。響くんも、男の子だったんだなって」
「……え?」
 まるで子守唄みたいに優しくて、心地いい音量の声に、眠気すら覚えていた俺は、驚いて目を開いた。
 となりを見ると、アレンさんが笑っていた。
「まさか、俺の性別を疑ってたわけじゃないですよね」
「そうじゃないよ。ただ、オレたちの勧誘が強引だったでしょ。特訓と言う名目で、あれこれ連れ回して、色々やらせてきた。響くんの心が完全に決まったわけじゃないのに。極めつけが今夜のライブ」
「…………」
 アレンさんの手が止まることなく、俺の頭を撫でて髪を梳く。その感覚が不思議と荒れていた胸の内を静めてくれる。
「オレは歌えないだろうなって、覚悟してライブに出たんだよ。だけど響くんは立派に歌ってた。負けそうになりながら、震えながらも歌いきったでしょう。あぁ、男の子だなってね」
 アレンさんはわかっていたんだ。
 ステージ上で俺をちゃんと見ていてくれたんだ、とわかったら、なぜか涙があふれてきて止まらなかった。
「あわわ、泣かせちゃった……」
 どうしよう、と慌てふためくアレンさんの声に笑いを誘われて、泣きながらもくすりと笑ってしまい、苦しくてよけに涙が出た。
 そんな俺を戸惑いながら、アレンさんが引き寄せて胸に抱きこんだ。
「もっと歌えたはずなのにって、悔しがってくれるのは、響くんが歌いたいと思っていてくれたからでしょう? オレはうれしかったんだよ、それが」
 言われて、ようやく気づいた。
 あの場の雰囲気に呑まれて、頭が真っ白で歌を聞かせたいとか、そんなこと考える余裕もなくて。それが何で泣きたいほど悔しいのかってことが、ようやくわかったんだ。
「……オレたちが、響くんを見限ってしまうと思ったのかな、もしかして」
 抱き寄せられた腕の中で、アレンさんの静かでいて強い問いかけを聞いた。
 頷きながら、頭の中でどう説明したら伝わるだろうと考えたけれど、疲れきった頭ではうまく言葉にできそうになかった。
 だから思いつくまま、途切れ途切れに話した。
「それも、あります……うまく言えないけど、あの時すごく……恐くてたまらなかった……いまもわからないんです。だれかの声が聞こえた気がして、それからとても心細くなった」
 いまでもステージで聞いた声を思い出そうとすると、体が震える。
 これは何だって言うんだろう。
「俺は……まだ、みんなと一緒に歌ってもいいですか?」
 恐るおそる、胸の奥で巣くっていた不安を問いかける。すると体を抱き寄せている腕に力がこもって、より強く胸に抱きこまれた。
「そんなこと、みんなの前で言ったら、罰として一月のスタジオ代、全部払わせちゃうからね」
 腕に込められた想いとは裏腹に、冗談めかしてアレンさんが応えてくれた。


 怒涛の一週間が効いたのか、生まれてこのかた経験したことのないような感情の激流に飲まれたせいか。
 ライブの翌日、俺はベッドから起き上がれなかった。
「響~何か食べる?」
 神音がひょいっと様子を見に来た。
 指を怪我しないようにと、家事をしてこなかった神音が料理を作れるはずもない。
 差し入れてくれるのは、ゼリーやプリンなど、市販のものばかりだ。それでもうれしいけど。
 俺は苦笑しつつ、ずっと気になっていたことを聞いてみた。
 いつの間にか自宅に帰りついて、二段ベッドの下段に寝ていた。だれが運んでくれたんだろう。
「アレンが運んだんだよ。自分の怪我のせいで、響に余計に負担をかけたって思ってんじゃないかな」
「……そんな、違うのに……迷惑かけちゃったなぁ」
 すると神音がカラカラと笑った。
「気にすることないよ。響は頑張ってたからね、みんなちゃんとわかってる。責める奴はうちのメンバーにはひとりもいないから」
 もうすぐ高校卒業するってのに、俺は他人の腕にすがって泣いて、そのまま寝入ってしまったのだ。恥ずかしすぎて、責められた方がまだ救われる気がする。
「回復したら、日をあらためて打ち上げやるからね、響」
「うん……楽しみだ」
 神音に応えながら、今度八代さんたちに会う時に、どんな顔をしたらいいんだろうと複雑な心境になった。
 特にアレンさんだ。
(うわぁ~……出来るなら、二度と会いたくない~)
 ベッドの中で呻りながら、頭を抱える俺を、神音が何度も心配そうに見ていた。
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