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第一章
13:嵐の後に
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翌日。
何とか回復して登校した俺を待っていたのは、どこかいままでとは違った日常だった。
まず登校途中に、見知らぬ人から声をかけられた。
太ももが見えそうなくらい短いスーツスカートに、ヒールの高いパンプスを履いた女性記者が、にこりと笑顔で近づいてきた。
「片平響くん、よね? わたし、黒鴎舎発行の雑誌『scream』の記者で、宮崎れなと言います。お話聞かせてもらえないかしら」
「へ……? あ、あの……」
名刺らしきものを強引に握らされて、俺は予想外の状況に声も出なかった。
いままで記者と話をしたことなんてない。
だれかから名刺をもらったことも。
「もちろん、これから学校があることはわかっているわ。だから授業が終わって、時間が空いてからでいいの。ここに連絡してちょうだい。いつでもいいから」
握らせた名刺の携帯番号とアドレスらしき部分を指さして、宮崎れなは微笑んだ。
どう答えたらいいのかわからず、立ち尽くす俺を置いて、彼女は手を振って去って行った。
その後も電車内で、だれかに見られているような気がした。
吊革を握りながら周囲を見回す。いつもと変わらず、だれもが興味のない顔で車内につめこまれている。
視線があう人もなく、やっぱり気のせいかと電車を降りた。
校舎が近づくにつれ、周りを同じ学校の生徒が歩くようになる。
彼らが時々俺を見ているような気がしたけれど、俺が見るとすぐに顔を反らす。
最終学年の最終学期に突入したせいか、とたいして気にしなかったのだが。
「よぅ、片平」
「真柴」
生徒の姿がまばらな教室に入ると、すぐに友人のひとりが近づいてきた。
祖父母のどちらかがロシア人だと言っていた真柴は、鋭角で冷たそうな顔立ちをしていながら、本質は情熱家だ。
ロック好きの兄の影響もあって、ずいぶん前からバンドを組んで活動していると聞いていた。
俺は真柴の音楽活動を聞くばかりだったけれど、今日はいろいろ聞いてみたいことがある。
(ステージで演奏していると、恐くなったりしないか? なんて、直接聞くのも変かな)
どうやって聞くべきか、考えながら口を開こうとした時だ。
目の前にすっと真柴が手を差し出した。まるで待て、と犬に合図するように。
「何で来たんだ、片平」
「……朝からひどい言われようだな」
目の前の席に真柴が俺を向いて座り、低く話だした。
どうでもいいけど、そこは樫部の席だから座って欲しくない。真柴が嫌いなわけじゃない、ただ樫部が座っている姿をずっと覚えていたいから、他の人が座っているところを見たくないんだよ。
真柴は普段ならしない、しかめっ面で俺をじっと見てくる。俺の胸がすっと冷えた。
「片平はほとんど欠席せずにきたから、多少休んでも卒業できるだろ? 自由登校の日も増えてくるし」
「……まぁ、そうだけど」
なぜか言いにくそうにする真柴に、俺の不安が苛立ちに変わる。
「何が言いたいんだよ、真柴」
真柴は答える前に左右に目を動かし、周囲をうかがった。
まだ登校しているクラスメイトは少ない。俺たちに注意を向けている生徒もなく、近くにもいない。
聞かれないだろうと確認して、ようやく真柴が口を開いた。
「片平だろう、新しい『i-CeL』のヴォーカル、キョウっての」
「へー……やっぱり、バンドやっているから情報早いんだな」
初ライブから二日目なのに、よく知っているなと感心する俺に、真柴は眉を寄せ、まるで怒っているような表情になる。
「笑い事じゃないんだ。いいか、片平。おまえが何で『i-CeL』に参加することになったのかは知らないが、何も知らないままでいると後悔するぞ」
「……どう言うことだよ」
「片平が思っている以上に、『i-CeL』は人気があるってことだよ!」
「だから、それが何……?」
俺の目の前に、真柴がびしっと指の先端を突きつける。
「『i-CeL』の人気は半端じゃない。次代『ラダフ』になるんじゃないかと、みんなが噂している。音楽雑誌が取材に行くほどなんだぜ?」
「そうなんだ…?」
真柴が何で怒っているのか、いまいちピンとこない。音楽雑誌だって真柴が持ってきたものを、横から眺めたくらいしかない俺だ。
取材されることがどれだけすごいことなのか、まるで理解できない。
「……あ、そう言えば今朝、記者だって言う女性に話かけられたっけ。えっと……あった、この名刺の人」
「嘘だろ、おい……『scream』じゃねぇかよ!」
制服のポケットに入れたままだった名刺を出して見せると、真柴が顔色を変えて食いついてきた。
そんなに有名な雑誌なのか、と呑気に感心するだけの俺に気づいたらしい。
自分の席に走って戻った真柴が、鞄を引っ掴んで猛ダッシュで引き返してくる。
「見ろよ、これだよ! 片平に声かけてきた記者が書いてる雑誌だ!」
と押し殺しながらも叫んだ真柴が、鞄の中から雑誌を取り出してみせた。
何度か見せてもらった、真柴の愛読雑誌だ。
『scream』と書かれた表紙をめくり、何かを探していた真柴が、ある記事を見つけて手を止めた。
「ここ、読んでみ」
「?」
雑誌を逆さにして俺の目の前に滑らせ、真柴が言う。
指差す先に、注目のインディーズバンドを紹介する記事が載っていた。
「鮮烈すぎる足跡を残し、咲き散った『ラダフ』のドラマー・煉を筆頭に結成されたバンド『i-CeL』。テクニックもハートも熱い、知らぬは末代までの恥とさえ言いたくなる期待の星……」
記事を読み上げた俺に、真柴が腕を組んで話しだした。
「ここで取り上げられたバンドは、ほとんどと言っていいくらい、メジャーになってる。その代わり注目株がいなければ、このコーナーは休載して別のコーナーになる。金を積んでも、記者が認めなければ記事にしてもらえないらしい。『聖白』だってここで紹介されて、知名度が飛躍的に上がったんだ」
「……ヒロが……」
あれだけ心つかむ演奏をする彼らでも、雑誌に紹介されるかどうかで知名度が変わるのか。
そう思うと、初対面でヒロが俺をからかってきた理由がわかるような気がする。
(あんな風に笑ってたけど、いろんな想いをしてきたんだろうな、きっと)
何の覚悟もしないまま、流されて歌いだした俺を見て、からかいながらヒロが何を想っただろう。
かなり居たたまれない心持ちになりつつ、記事に視線を落としていた。
真柴がまた口を開く。
「土曜のライブの後、待ってたファンがすごかったんじゃないか?」
「……いや俺、みんなより遅れて出たから」
呆然としたまま連れ出されていたんだとは言えず、苦し紛れに言い訳した。
「この近辺で『i-CeL』よりも集客力の多いバンドはいない。個人のファンも熱烈で、特にカノンは飛び抜けてる。女性ファンなんか、カノンが出演を終えて出てくるのを待ちながら、立ち位置をめぐって流血沙汰を起こしたらしいぜ。まぁ無理もないよ、あの外見に作曲能力、さらに歌唱力まで揃ってるんだ。おれですら憧れる」
「…………」
確かにライブ映像を見せてもらった時、神音がヴォーカルのままでもいいんじゃないかと思った。
樫部もさま付けで呼んでいたっけ。
がくん、と落ち込んでうなだれた俺に、真柴が追い打ちをかけた。
「みんなの憧れカノンさまを、片平が押しのけたとファンは思っているんだ」
「……はぁ?」
とんでもない誤解だ。俺が神音を押しのけただって?
むしろ引っ張りこまれた方なのに。
「『i-CeL』のヴォーカルが仮だったことは、ファンだけじゃなくてバンドをやってる奴ら、みんなが知っていた。いろんな奴らが挑戦して、だれも選ばれなかった。選ばれるのはどんな奴なんだろうって、いっそカノンのままでいて欲しいってファンも多かったらしい。みんなが注目してきたところに現れたのが、片平だ。騒ぎにならないわけがないだろう?」
「あ……うん、何となくわかる。けど、さ」
だからって学校に来るな、と言われる理由にはならないと思う。
真柴は盛大にため息をついてから、話を続けた。
「ライブの翌日には、もうすでにネット上じゃすごい騒ぎだったぜ。この学校の中にもファンは多いだろう。教室に来るまで何もなかったか?」
「言われてみれば……何か、変な感じがした」
下駄箱で靴を履き替える間、ひたすら睨みつけられている気がして、周囲を見渡すとだれも俺を見てなくて、気のせいかと思った。
廊下を歩く時もすれ違った後で、何か囁く声をたくさん聞こえた。
すべて気のせいだと思っていたけど。
「ただの動揺で済めばいいさ。どう出るかはおれにもわからない。だから気をつけていた方が良い。できるなら休めよ。もう進路も決まってんだろ?」
「……うん。覚えておくよ、ありがとう。真柴」
真柴はそれだけ言うと、俺の腕を慰めるみたいにポンポン、と軽く叩いてから離れて行った。
ここは憧れの樫部と会える貴重な場だ。
それも残された時間は少なくて、二度と登校しないなんて選択肢は選びたくなかった。
予想もしていなかった情報を与えられて、動きを鈍らせた思考の中、携帯が振動する音が聞こえて我に返った。
鞄の中から携帯を出そうと机を見下ろすと、机の中に茶色い封筒が入っているのが見えた。
「……何だろ」
見覚えも心当たりもない封筒に戸惑いながら、先に携帯を、と鞄から取り出してみるとメールを受信したようだ。
いまや時代はスマホだけど、俺も神音もはじめて買ってもらった携帯を使い続けていた。
折りたたみ式の携帯を開いて、メールを確認する。知らないアドレスだ。
(バンドのだれかからかな……?)
ライブの後ほとんど話せず別れたメンバーたちが、神音にアドレスを聞いて送ってくれたんだろうと、気楽に考えてメールを開いた。
交友関係が広くないから、家族以外には友人の真柴くらいしか俺のアドレスを知らない。
ちなみに樫部は携帯もスマホも持っていないので、アドレスを聞きだす必要もない。
だから疑いもしなかった。
届いたメールが、悪意に満ちた物だなんて。
「……っ!」
文字制限いっぱいまで『シネ』と書き連ねてあるメールの中ほどに、無残に首を切られた鳩の死骸写真が貼ってあった。
ところどころ、文字の色を変えてある。よく見ると色の違う部分も『シネ』と言う文字になるように作られていた。
とっさに携帯を閉じて、俺は口を手で覆った。あまりにも生々しい写真と文字に吐き気がした。
「…………」
ふと視線を感じて振り向くと、友人と話していた真柴が俺を心配そうに見ていた。
視線が合うと、すぐに顔を背けたが、時々俺を伺っている。
(嘘だろ……こんなこと……だれが)
メールを見たせいか、クラス中がよそよそしい空気に満ちている気がした。
まるで俺はここにいてはいけないような、刺々しい感じがして、俺は逃げるように俯いた。
視界に茶色い封筒が映る。
頭の中で真柴の声が再生された。
(憧れのカノンを押しのけた……学校の中にもファンがいる……まさか、これは関係ないよ)
恐るおそる封筒の端をつまんで引っ張りだす。手のひらサイズの簡素な紙封筒には何も書いてない。
何だ、と息を吐き出し中を覗く。
紙が一枚入っているだけのようだ。それを引っ張り出そうとして、途中でそれが写真だとわかり、俺は息を飲んだ。
一昨日のライブを隠し撮りしたものらしい。解像度が悪く見にくいものの、俺が歌っている場面が映っていた。
ただの隠し撮り写真ではない。写真の俺は全裸でメンバーたちの代わりに、太った裸の男たちに囲まれ、肌を舐められていた。
「……っ、く……」
俺は立ち上がって教室を飛び出した。
「……片平?」
入口で樫部とすれ違ったらしい。不審そうな声を聞いたけれど、返事をする余裕がなかった。
「げほっ……ご、お……ぇ」
男子トイレの個室に駆け込み、堪えていた吐き気をぶちまけた。
合成写真の中の、俺の表情が忘れられない。
まるで舐められて喜んでいるような、恍惚とした表情をしていたのだ。
(俺は歌っていた時、あんな表情をしていたのか?)
愕然とした。歌っている間は楽しいどころか、恐ろしさに負けそうだったのに。
「……なんで、あんな写真……くそっ」
まるでAV女優みたいだった。あんなもの俺じゃない。
だれかに見られるのも嫌だから、細切れに破ってトイレに流した。
水音がおさまると、遠くに生徒たちの喧騒が聞こえた。
再び携帯が震える音がする。
今度こそメンバーからのメールだといい。そう思い携帯と開くも、やはり知らないアドレスからだった。
「…………」
ここまできて真柴の忠告を信じないわけにはいかない。
けれどやっぱり、心のどこかでそんなことする人間ばかりじゃないと思いたかったんだ。
俺の指は勝手に動いて、受信メールを開いてしまった。
「…………何で」
メールの中身は先の鳩の死骸写真と同じ向きになった俺の写真で、鳩と同じように首を切られていた。
気にする必要なんてないんだ。こんなものはただの悪戯、現実になるはずない。
頭ではそう理解していても、気持ちがついていかない。
トイレの個室にうずくまり、俺は体を抱きしめて顔を腕の間に埋めた。
しばらくそのままでいると、妙な虚脱感が体中に満ちてきた。
(直接何かされたわけじゃないんだ。気にすることないさ)
メールを閉じて携帯をしまい、立ち上がってトイレから出る。
いつの間にか授業がはじまっていたらしい。廊下にはだれもいなかった。
俺は教室に戻り、ドアを開けた。
突然開いたドアに驚いたのは教師だけじゃなく、クラスメイトたちも同じだった。
特に真柴は立ち上がりそうになっている。たぶん俺が帰ったんだと思っていたんだろう。
「片平、どうしたんだ。その顔……」
「……すみません。ちょっと腹の具合がおかしくてトイレ行ってました」
半分は嘘だけど、トイレに行っていたのは本当だ。教師は深く追求しないで、席へ行けと言って黒板に向き直った。
声もないクラスメイトの間を通り、席に座る。
樫部がわずかに振り返って、眉間にしわを寄せた。
俺は樫部を安心させようと微笑んだけれど、うまく笑えただろうか。
その日の授業をすべてこなし、俺はだれよりも早く教室を出た。
「おい、片平っ!」
背後に樫部の声を聞いた気がしたけど、今日はあまり話したくなかった。こんな風に思う日が来るなんて、想像したことなかったな。
電車内でも周囲を伺ってしまい落ち着けなかった。
呼吸するのも苦しい気がして、ひたすら身を縮めて時間をやりすごす。
気にしすぎだと思う。社会から見たら、俺がしたことなんて小さなことで、知らない人の方が多いことなんだ。
前向きになろうとする俺をあざ笑うみたいに、鞄の中で携帯が震えているのがわかる。きっとまた知らないアドレスからだろう。
やっと辿り着いた自宅に入ろうとしたところで、封書が玄関に落ちているのに気づいた。
「……まさか」
見ると宛先は俺宛、住所や切手はなく、差出人も不明。
「…………」
かがんで震える手を封書に伸ばす。
見ないまま捨てようかと一瞬迷って、でも開けてしまった。俺だけじゃなく、他のメンバーにまで悪意を向けていないか、気になったからだ。
可愛らしい花柄の便せんが出てきて、警戒心が一瞬緩む。
便せんの中央に、ただ三文字だけ書いてあった。
細いペンで、消えろ、と。
「ッ……!」
とっさに便せんを手放した。
ひらひらと、花柄の便せんが落ちていく。
しばらく呆然と封書を見下ろしていた俺の背後で、だれかが自転車で通り過ぎた。その音に我に返って、俺は封書を取り上げて胸に抱き、立ち上がった。
(こんなの、家族のだれにも見せたくない)
翌朝から俺は家族のだれよりも早く起きるようにした。
新聞受けにまっさきに行き、新聞以外の届き物を処分するためだ。
ライブの時、神音は俺を双子だとは言わなかったけれど、似ている外見が言葉よりも雄弁に事実を伝えてしまったらしい。
ファンがなぜ神音の自宅を知っているのか、そもそもファンはそう言うものなのか。
わからない。けれど封書は毎日必ず一通が届く。
神音は朝が苦手で遅いうえに、副業としての作曲家の打ち合わせなどで、外出することが多い。
両親も共働きだったことは、この際ありがたかった。
高校へは通い続けた。行かなければ、変な写真や手紙、メールに負けたことになると思ったから。
それにやっぱり、樫部が近くにいると心が穏やかになる。
(こんなことくらいで、やめられない)
樫部が認めたバンドの一員として努力すれば、樫部もきっと俺を見てくれるから。
それだけが俺の支えになっていた。
何とか回復して登校した俺を待っていたのは、どこかいままでとは違った日常だった。
まず登校途中に、見知らぬ人から声をかけられた。
太ももが見えそうなくらい短いスーツスカートに、ヒールの高いパンプスを履いた女性記者が、にこりと笑顔で近づいてきた。
「片平響くん、よね? わたし、黒鴎舎発行の雑誌『scream』の記者で、宮崎れなと言います。お話聞かせてもらえないかしら」
「へ……? あ、あの……」
名刺らしきものを強引に握らされて、俺は予想外の状況に声も出なかった。
いままで記者と話をしたことなんてない。
だれかから名刺をもらったことも。
「もちろん、これから学校があることはわかっているわ。だから授業が終わって、時間が空いてからでいいの。ここに連絡してちょうだい。いつでもいいから」
握らせた名刺の携帯番号とアドレスらしき部分を指さして、宮崎れなは微笑んだ。
どう答えたらいいのかわからず、立ち尽くす俺を置いて、彼女は手を振って去って行った。
その後も電車内で、だれかに見られているような気がした。
吊革を握りながら周囲を見回す。いつもと変わらず、だれもが興味のない顔で車内につめこまれている。
視線があう人もなく、やっぱり気のせいかと電車を降りた。
校舎が近づくにつれ、周りを同じ学校の生徒が歩くようになる。
彼らが時々俺を見ているような気がしたけれど、俺が見るとすぐに顔を反らす。
最終学年の最終学期に突入したせいか、とたいして気にしなかったのだが。
「よぅ、片平」
「真柴」
生徒の姿がまばらな教室に入ると、すぐに友人のひとりが近づいてきた。
祖父母のどちらかがロシア人だと言っていた真柴は、鋭角で冷たそうな顔立ちをしていながら、本質は情熱家だ。
ロック好きの兄の影響もあって、ずいぶん前からバンドを組んで活動していると聞いていた。
俺は真柴の音楽活動を聞くばかりだったけれど、今日はいろいろ聞いてみたいことがある。
(ステージで演奏していると、恐くなったりしないか? なんて、直接聞くのも変かな)
どうやって聞くべきか、考えながら口を開こうとした時だ。
目の前にすっと真柴が手を差し出した。まるで待て、と犬に合図するように。
「何で来たんだ、片平」
「……朝からひどい言われようだな」
目の前の席に真柴が俺を向いて座り、低く話だした。
どうでもいいけど、そこは樫部の席だから座って欲しくない。真柴が嫌いなわけじゃない、ただ樫部が座っている姿をずっと覚えていたいから、他の人が座っているところを見たくないんだよ。
真柴は普段ならしない、しかめっ面で俺をじっと見てくる。俺の胸がすっと冷えた。
「片平はほとんど欠席せずにきたから、多少休んでも卒業できるだろ? 自由登校の日も増えてくるし」
「……まぁ、そうだけど」
なぜか言いにくそうにする真柴に、俺の不安が苛立ちに変わる。
「何が言いたいんだよ、真柴」
真柴は答える前に左右に目を動かし、周囲をうかがった。
まだ登校しているクラスメイトは少ない。俺たちに注意を向けている生徒もなく、近くにもいない。
聞かれないだろうと確認して、ようやく真柴が口を開いた。
「片平だろう、新しい『i-CeL』のヴォーカル、キョウっての」
「へー……やっぱり、バンドやっているから情報早いんだな」
初ライブから二日目なのに、よく知っているなと感心する俺に、真柴は眉を寄せ、まるで怒っているような表情になる。
「笑い事じゃないんだ。いいか、片平。おまえが何で『i-CeL』に参加することになったのかは知らないが、何も知らないままでいると後悔するぞ」
「……どう言うことだよ」
「片平が思っている以上に、『i-CeL』は人気があるってことだよ!」
「だから、それが何……?」
俺の目の前に、真柴がびしっと指の先端を突きつける。
「『i-CeL』の人気は半端じゃない。次代『ラダフ』になるんじゃないかと、みんなが噂している。音楽雑誌が取材に行くほどなんだぜ?」
「そうなんだ…?」
真柴が何で怒っているのか、いまいちピンとこない。音楽雑誌だって真柴が持ってきたものを、横から眺めたくらいしかない俺だ。
取材されることがどれだけすごいことなのか、まるで理解できない。
「……あ、そう言えば今朝、記者だって言う女性に話かけられたっけ。えっと……あった、この名刺の人」
「嘘だろ、おい……『scream』じゃねぇかよ!」
制服のポケットに入れたままだった名刺を出して見せると、真柴が顔色を変えて食いついてきた。
そんなに有名な雑誌なのか、と呑気に感心するだけの俺に気づいたらしい。
自分の席に走って戻った真柴が、鞄を引っ掴んで猛ダッシュで引き返してくる。
「見ろよ、これだよ! 片平に声かけてきた記者が書いてる雑誌だ!」
と押し殺しながらも叫んだ真柴が、鞄の中から雑誌を取り出してみせた。
何度か見せてもらった、真柴の愛読雑誌だ。
『scream』と書かれた表紙をめくり、何かを探していた真柴が、ある記事を見つけて手を止めた。
「ここ、読んでみ」
「?」
雑誌を逆さにして俺の目の前に滑らせ、真柴が言う。
指差す先に、注目のインディーズバンドを紹介する記事が載っていた。
「鮮烈すぎる足跡を残し、咲き散った『ラダフ』のドラマー・煉を筆頭に結成されたバンド『i-CeL』。テクニックもハートも熱い、知らぬは末代までの恥とさえ言いたくなる期待の星……」
記事を読み上げた俺に、真柴が腕を組んで話しだした。
「ここで取り上げられたバンドは、ほとんどと言っていいくらい、メジャーになってる。その代わり注目株がいなければ、このコーナーは休載して別のコーナーになる。金を積んでも、記者が認めなければ記事にしてもらえないらしい。『聖白』だってここで紹介されて、知名度が飛躍的に上がったんだ」
「……ヒロが……」
あれだけ心つかむ演奏をする彼らでも、雑誌に紹介されるかどうかで知名度が変わるのか。
そう思うと、初対面でヒロが俺をからかってきた理由がわかるような気がする。
(あんな風に笑ってたけど、いろんな想いをしてきたんだろうな、きっと)
何の覚悟もしないまま、流されて歌いだした俺を見て、からかいながらヒロが何を想っただろう。
かなり居たたまれない心持ちになりつつ、記事に視線を落としていた。
真柴がまた口を開く。
「土曜のライブの後、待ってたファンがすごかったんじゃないか?」
「……いや俺、みんなより遅れて出たから」
呆然としたまま連れ出されていたんだとは言えず、苦し紛れに言い訳した。
「この近辺で『i-CeL』よりも集客力の多いバンドはいない。個人のファンも熱烈で、特にカノンは飛び抜けてる。女性ファンなんか、カノンが出演を終えて出てくるのを待ちながら、立ち位置をめぐって流血沙汰を起こしたらしいぜ。まぁ無理もないよ、あの外見に作曲能力、さらに歌唱力まで揃ってるんだ。おれですら憧れる」
「…………」
確かにライブ映像を見せてもらった時、神音がヴォーカルのままでもいいんじゃないかと思った。
樫部もさま付けで呼んでいたっけ。
がくん、と落ち込んでうなだれた俺に、真柴が追い打ちをかけた。
「みんなの憧れカノンさまを、片平が押しのけたとファンは思っているんだ」
「……はぁ?」
とんでもない誤解だ。俺が神音を押しのけただって?
むしろ引っ張りこまれた方なのに。
「『i-CeL』のヴォーカルが仮だったことは、ファンだけじゃなくてバンドをやってる奴ら、みんなが知っていた。いろんな奴らが挑戦して、だれも選ばれなかった。選ばれるのはどんな奴なんだろうって、いっそカノンのままでいて欲しいってファンも多かったらしい。みんなが注目してきたところに現れたのが、片平だ。騒ぎにならないわけがないだろう?」
「あ……うん、何となくわかる。けど、さ」
だからって学校に来るな、と言われる理由にはならないと思う。
真柴は盛大にため息をついてから、話を続けた。
「ライブの翌日には、もうすでにネット上じゃすごい騒ぎだったぜ。この学校の中にもファンは多いだろう。教室に来るまで何もなかったか?」
「言われてみれば……何か、変な感じがした」
下駄箱で靴を履き替える間、ひたすら睨みつけられている気がして、周囲を見渡すとだれも俺を見てなくて、気のせいかと思った。
廊下を歩く時もすれ違った後で、何か囁く声をたくさん聞こえた。
すべて気のせいだと思っていたけど。
「ただの動揺で済めばいいさ。どう出るかはおれにもわからない。だから気をつけていた方が良い。できるなら休めよ。もう進路も決まってんだろ?」
「……うん。覚えておくよ、ありがとう。真柴」
真柴はそれだけ言うと、俺の腕を慰めるみたいにポンポン、と軽く叩いてから離れて行った。
ここは憧れの樫部と会える貴重な場だ。
それも残された時間は少なくて、二度と登校しないなんて選択肢は選びたくなかった。
予想もしていなかった情報を与えられて、動きを鈍らせた思考の中、携帯が振動する音が聞こえて我に返った。
鞄の中から携帯を出そうと机を見下ろすと、机の中に茶色い封筒が入っているのが見えた。
「……何だろ」
見覚えも心当たりもない封筒に戸惑いながら、先に携帯を、と鞄から取り出してみるとメールを受信したようだ。
いまや時代はスマホだけど、俺も神音もはじめて買ってもらった携帯を使い続けていた。
折りたたみ式の携帯を開いて、メールを確認する。知らないアドレスだ。
(バンドのだれかからかな……?)
ライブの後ほとんど話せず別れたメンバーたちが、神音にアドレスを聞いて送ってくれたんだろうと、気楽に考えてメールを開いた。
交友関係が広くないから、家族以外には友人の真柴くらいしか俺のアドレスを知らない。
ちなみに樫部は携帯もスマホも持っていないので、アドレスを聞きだす必要もない。
だから疑いもしなかった。
届いたメールが、悪意に満ちた物だなんて。
「……っ!」
文字制限いっぱいまで『シネ』と書き連ねてあるメールの中ほどに、無残に首を切られた鳩の死骸写真が貼ってあった。
ところどころ、文字の色を変えてある。よく見ると色の違う部分も『シネ』と言う文字になるように作られていた。
とっさに携帯を閉じて、俺は口を手で覆った。あまりにも生々しい写真と文字に吐き気がした。
「…………」
ふと視線を感じて振り向くと、友人と話していた真柴が俺を心配そうに見ていた。
視線が合うと、すぐに顔を背けたが、時々俺を伺っている。
(嘘だろ……こんなこと……だれが)
メールを見たせいか、クラス中がよそよそしい空気に満ちている気がした。
まるで俺はここにいてはいけないような、刺々しい感じがして、俺は逃げるように俯いた。
視界に茶色い封筒が映る。
頭の中で真柴の声が再生された。
(憧れのカノンを押しのけた……学校の中にもファンがいる……まさか、これは関係ないよ)
恐るおそる封筒の端をつまんで引っ張りだす。手のひらサイズの簡素な紙封筒には何も書いてない。
何だ、と息を吐き出し中を覗く。
紙が一枚入っているだけのようだ。それを引っ張り出そうとして、途中でそれが写真だとわかり、俺は息を飲んだ。
一昨日のライブを隠し撮りしたものらしい。解像度が悪く見にくいものの、俺が歌っている場面が映っていた。
ただの隠し撮り写真ではない。写真の俺は全裸でメンバーたちの代わりに、太った裸の男たちに囲まれ、肌を舐められていた。
「……っ、く……」
俺は立ち上がって教室を飛び出した。
「……片平?」
入口で樫部とすれ違ったらしい。不審そうな声を聞いたけれど、返事をする余裕がなかった。
「げほっ……ご、お……ぇ」
男子トイレの個室に駆け込み、堪えていた吐き気をぶちまけた。
合成写真の中の、俺の表情が忘れられない。
まるで舐められて喜んでいるような、恍惚とした表情をしていたのだ。
(俺は歌っていた時、あんな表情をしていたのか?)
愕然とした。歌っている間は楽しいどころか、恐ろしさに負けそうだったのに。
「……なんで、あんな写真……くそっ」
まるでAV女優みたいだった。あんなもの俺じゃない。
だれかに見られるのも嫌だから、細切れに破ってトイレに流した。
水音がおさまると、遠くに生徒たちの喧騒が聞こえた。
再び携帯が震える音がする。
今度こそメンバーからのメールだといい。そう思い携帯と開くも、やはり知らないアドレスからだった。
「…………」
ここまできて真柴の忠告を信じないわけにはいかない。
けれどやっぱり、心のどこかでそんなことする人間ばかりじゃないと思いたかったんだ。
俺の指は勝手に動いて、受信メールを開いてしまった。
「…………何で」
メールの中身は先の鳩の死骸写真と同じ向きになった俺の写真で、鳩と同じように首を切られていた。
気にする必要なんてないんだ。こんなものはただの悪戯、現実になるはずない。
頭ではそう理解していても、気持ちがついていかない。
トイレの個室にうずくまり、俺は体を抱きしめて顔を腕の間に埋めた。
しばらくそのままでいると、妙な虚脱感が体中に満ちてきた。
(直接何かされたわけじゃないんだ。気にすることないさ)
メールを閉じて携帯をしまい、立ち上がってトイレから出る。
いつの間にか授業がはじまっていたらしい。廊下にはだれもいなかった。
俺は教室に戻り、ドアを開けた。
突然開いたドアに驚いたのは教師だけじゃなく、クラスメイトたちも同じだった。
特に真柴は立ち上がりそうになっている。たぶん俺が帰ったんだと思っていたんだろう。
「片平、どうしたんだ。その顔……」
「……すみません。ちょっと腹の具合がおかしくてトイレ行ってました」
半分は嘘だけど、トイレに行っていたのは本当だ。教師は深く追求しないで、席へ行けと言って黒板に向き直った。
声もないクラスメイトの間を通り、席に座る。
樫部がわずかに振り返って、眉間にしわを寄せた。
俺は樫部を安心させようと微笑んだけれど、うまく笑えただろうか。
その日の授業をすべてこなし、俺はだれよりも早く教室を出た。
「おい、片平っ!」
背後に樫部の声を聞いた気がしたけど、今日はあまり話したくなかった。こんな風に思う日が来るなんて、想像したことなかったな。
電車内でも周囲を伺ってしまい落ち着けなかった。
呼吸するのも苦しい気がして、ひたすら身を縮めて時間をやりすごす。
気にしすぎだと思う。社会から見たら、俺がしたことなんて小さなことで、知らない人の方が多いことなんだ。
前向きになろうとする俺をあざ笑うみたいに、鞄の中で携帯が震えているのがわかる。きっとまた知らないアドレスからだろう。
やっと辿り着いた自宅に入ろうとしたところで、封書が玄関に落ちているのに気づいた。
「……まさか」
見ると宛先は俺宛、住所や切手はなく、差出人も不明。
「…………」
かがんで震える手を封書に伸ばす。
見ないまま捨てようかと一瞬迷って、でも開けてしまった。俺だけじゃなく、他のメンバーにまで悪意を向けていないか、気になったからだ。
可愛らしい花柄の便せんが出てきて、警戒心が一瞬緩む。
便せんの中央に、ただ三文字だけ書いてあった。
細いペンで、消えろ、と。
「ッ……!」
とっさに便せんを手放した。
ひらひらと、花柄の便せんが落ちていく。
しばらく呆然と封書を見下ろしていた俺の背後で、だれかが自転車で通り過ぎた。その音に我に返って、俺は封書を取り上げて胸に抱き、立ち上がった。
(こんなの、家族のだれにも見せたくない)
翌朝から俺は家族のだれよりも早く起きるようにした。
新聞受けにまっさきに行き、新聞以外の届き物を処分するためだ。
ライブの時、神音は俺を双子だとは言わなかったけれど、似ている外見が言葉よりも雄弁に事実を伝えてしまったらしい。
ファンがなぜ神音の自宅を知っているのか、そもそもファンはそう言うものなのか。
わからない。けれど封書は毎日必ず一通が届く。
神音は朝が苦手で遅いうえに、副業としての作曲家の打ち合わせなどで、外出することが多い。
両親も共働きだったことは、この際ありがたかった。
高校へは通い続けた。行かなければ、変な写真や手紙、メールに負けたことになると思ったから。
それにやっぱり、樫部が近くにいると心が穏やかになる。
(こんなことくらいで、やめられない)
樫部が認めたバンドの一員として努力すれば、樫部もきっと俺を見てくれるから。
それだけが俺の支えになっていた。
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