我恋歌、君へ。(わがこいうた、きみへ。)

郁一

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第一章

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 必死になって目覚めようとする自分を感じながら、重いまぶたを開く。
「響ッ、響、よかった……ぼくがわかる?」
「……かの、ん」
 目を真っ赤にして、泣き腫らした顔になっているけれど、見慣れた片割れの顔が視界いっぱいに映って、俺はその名前を呼んだ。
 とたんにわっと顔を伏せて泣きだしてしまった神音の背後で、アレンさんがその背中をさすっているのが見えた。
「響くん、目覚めてよかった。ずいぶん長く眠っていたから、心配したんだよ。ね?」
 そう言って振り返ったアレンさんの後ろに、八代さんと文月さんもいた。
「……すまなかった、響」
 文月さんのとなりに、そろりと赤い髪の人影が近づく。ヒロが神妙な顔をして、深く謝罪してきた。
「……ヒロ、のせいじゃ、ないですから」
「でも、な」
「ファンの子……いたから、無視するわけにも」
 俺たちと違い、プロとして生きているんだ。好きだと言ってくれる人たちを、おろそかになんてしてはいけない。
 もしあの時ファンを無視するようなヒロだったら、俺はヒロに裏切られた気持ちになっていただろう。
「……俺、どうなって……?」
 掠れた声しか出ない俺に、アレンさんがそっと水を飲ませてくれた。
「階段から落ちたことはわかる?」
 頷くと、アレンさんも頷いた。
「頭を切って三針縫ったの。脳の検査で異常はなかったけど、目覚めるまでは入院しなさいと言われたんだよ。その他の怪我は左手に打撲、右足首に軽い捻挫。幸いにも緩衝材があったから、その程度で済んだんだよ」
 頼んでいた備品や食材を業者が階段の途中に置いていて、開店前だからと油断した店長がそのままにしていたところに、俺が落ちたおかげで怪我が軽く済んだらしい。
 ちなみにいまは階段から落ちた日から、二日目の昼過ぎなんだとか。
「うわ……それじゃ、仕入れた食材、全部だめにしちゃった?」
 話を聞いた直後に叫んだ俺の言葉に、部屋にいた全員がよろけた。
 付きあいの長さのおかげで、真っ先に立ち直った神音がすぐさま言い返す。
「そんなこと気にしてる場合じゃないでしょうがっ!」
「え、いや……だって、お店で使うものだったんでしょう? 台無しにしちゃって、迷惑かけてしまって……」
「あ~も~、本当に響ったら、時々どうしようもなく間抜けになるよね!」
 神音が頭をかきむしって叫んでいる。
「言いたいことはわかってるよ。おかげで助かったみたいだし……いや、でもね、用意していたはずの食材がなくなったショックってのは、結構大きいんだよ?」
「えらい主婦的発言やな~」
 八代さんがこらえきれずに吹き出し、笑いだした。
「まったく……呼びかけても反応ないわ、どんどん血だまりが広がっていくわ……俺がどんだけ肝を冷やしたことか。あげく目が覚めてみれば、体よりも食材の心配かよ」
 ヒロがやってられない、と天井を見上げながら悪態をついた。
「は、はは……それは心配をおかけしました」
 とにかく目が覚めたのだから、と八代さんが医者を呼びに行って、問診の結果退院は翌朝と決まった。
 頭部の抜糸まで毎日通院すること、と言い置いて、医者が病室から出て行くと、代わりに重い沈黙が残された。
「……響、だれが突き飛ばしたのか、覚えている?」
 ひそりと神音が聞いてきた。
「あ……う、ん……」
 言い淀んでしまったのは、ここが病室で他にも患者さんがいるからだ。
 きっとだれなのかを言ったら、神音が騒ぐと予想できた。
「……明日言うよ。まだ……眠くて」
「そっか……うん、ゆっくり休みなよ」
 とっさの言い訳に従って、目を閉じると本当に眠気が襲ってきた。


 次に目覚めると、窓の外はぼんやりと明るくなるところだった。
(いつの間に眠ったんだろ……元気ならいまごろは走っている頃かな)
 時計が見当たらなかったので、空模様から推測する。色を変えていく空を眺めていると、何もしないでベッドに寝転がっていることが、無性に焦れったく思えた。
(……くそっ、せっかく体力も戻ってきてこれからなのに。結局スタジオでみんなと練習できず、俺はこんなところで何をしてるんだ)
 痛みをこらえて上半身を起こす。ベッドヘッドに背中を預けて座り、息を吐き出した。
(ライブまであと一月じゃないか……怪我が治るまで、どれくらいかかるだろう。その間何もできないのか?)
 いまここで、窓の外を眺める他にもできることがあるんじゃないだろうか。
 頭や手足は痛むけれど、呼吸をするのに支障はない。なら呼吸の練習はできる。
 俺は目を閉じて、頭の中でリズムをとりながら呼吸をくり返した。腹式呼吸を意識しながら、だんだん伸ばしていく。
 少しずつ病院の中が活気づいてきて、朝食の時間になったらしい。
 患者さんに順番に配膳する声が聞こえてくる頃、病室のドアが開いて神音とアレンさんが入ってきた。
「おはよ。着替えられそう?」
 神音が着替えの入った紙袋をベッドサイドに置いて、中からチェックのシャツとカーゴパンツを取りだした。パンツは見覚えのないから、あれ、と神音を見ると買ってきたと笑った。
「足の手当がしやすいように、足元がゆるいものを探してきたんだ。これなら着替えやすいかと思って」
 腰回りが総ゴムで履きやすく、ボタンを止める必要もないから片手が不自由でもひとりで着替えられそうだ。
「ありがと、神音」
 それでも神音に手伝ってもらって、どうにか着替え終わると看護師が来て、頭部の消毒をしてくれた。
 エレベーターで一階のフロアまで降りると、退院の手続きを母親がしてくれていた。
「本当によろしいんでしょうか?」
 母親はアレンさんに頭を下げて、そう切り出した。
 何のことだろうとアレンさんを見ると、もちろんと頷いている。
「被害にあわないようにお預かりしておきながら、このような事態になり、こちらこそ申し訳ありません。今度こそ責任をもってお預かりいたします」
「そんな……本当に助かります」
 そうか、退院した後家に戻るかどうか、母親はアレンさんと相談していたのだろう。
 仕事を休むわけにもいかず、かと言って実際に被害にあった息子をひとり家に置いて行くのも気が引けるのだろう。
 母親はアレンさんの申し出に、もう一度深く頭を下げていた。
 榎本家にアレンさんの車で戻る。
 リビングのソファまでアレンさんが支えてくれた。そうしなくても歩けるんだけど、足の捻挫は軽く見ない方がいいと言って聞かなかったんだ。
 リビングにはアレンのお父さんと、八代さんに文月さん、何と富岡さんまでもが待っていた。
 神音が客室に荷物を置きに行って、アレンさんが全員の飲み物を用意する。
 全員がリビングに腰を落ち着けるまでに、お父さんが手足の怪我を診察してくれた。
「朝晩、接骨院に連れてきなさい」
 アレンさんにそう言って、お父さんは接骨院に戻って行った。わざわざ待っていてくれたようだ。
「……それで、だれがこんなことしたの」
 神音が待ちきれない様子で、俺を伺いながら口を開いた。
 全員の視線が俺に集中する。
 言わないわけにはいかない空気だけど、言いにくい。
 ちらりとアレンさんを伺うと、視線が合ってしまい、アレンさんは目を細めて苦笑した。
 すべてわかってる、と言いたげだ。
「……須賀原って言う人。『ラダフ』のメンバーだったって」
 渋々打ち明けると、アレンさん以外のメンバーが息を飲んだ気配がした。
「『ラダフ』の……」
 文月さんが小さく呟く声がする。
「……須賀原、か」
 富岡さんの苦い呟き声に、八代さんの呻り声が重なった。
「すみません、聞いて欲しいことがあります」
 そこでアレンさんが切り出した。
「『ラダフ』解散のことです。あの頃のオレは当然だけど、いまより若くて……すっごく嫌な奴でした」
「えっ……」
 思いもよらぬ台詞に絶句して、アレンさんを見つめると、さらに苦笑を深めた。
(こんなに親身になってくれる人が、嫌な人だった?)
 いつも首の付け根でくくっている髪を、アレンさんがひも解いて肩に流した。
 わずかに俯くと髪に表情が半分隠れてしまう。
「音楽をするために集まっているんだから、そのための努力はして当たり前。才能があるのも当たり前、私情には興味もない。そう思ってただ音楽だけやっていた小僧でした」
 アレンさんは両手を握りあわせ、じっと見つめながら話続ける。
「メジャーにって話を聞いた時、嬉しいよりもようやく本来の場所に行けると思った。だけどその頃から、須賀原さんの様子がおかしくなっていった」
 ヴォーカルだったと言う須賀原が、練習に来ない日が増えた。来たとしても精彩に欠いて、とてもそれまでの『ラダフ』の演奏とは比べられない出来だったのだと言う。
「オレは須賀原さんを責めた。腑抜けてる場合じゃないだろって」
 須賀原はアレンさんに問い詰められても弁解せず、ただ唇を噛んで顔を背けていたそうだ。
 その態度に少しずつバンド内の空気が悪くなっていった。
「オレは事情を聞こうともせず、勝手に決めつけたんです。須賀原さんは『ラダフ』に見切りをつけて、ひとりでメジャーに行くつもりなんだ、ってね……練習の合間に、他のメンバー相手にそう言ってしまった。確認もとらずに。その翌日に事件が起きました」
 アレンさんが頭を抱えて項垂れた。
「響くんがスタジオで飲んだ水と同じ手段で、須賀原さんは喉に傷を負ってしまった。メンバーのひとりが、薬を混ぜたんだ」
「…………」
 俺は何も言えず、ただ耳を傾けた。
 少し沈黙した後でアレンさんは先を続けた。
「須賀原さん、ちょうどその頃にお母さんが倒れて……手術をしても、助かるかどうかって時期だったらしい。メジャーに行く時期をずらして欲しいと交渉していたそうで……でも仲間たち、特にオレには言いだしにくかったんじゃないかな。嫌な奴だったから」
 だれもが夢見ていた場所に行けるチケットを手にしていた時に、行くのをやめようなんてなかなか言えなかったのだろう。いまなら須賀原さんの気持ちがわかるよ、とアレンさんが呟いた。
「事件が起きた後に事情を聞いて、仲間たちは音楽をやめてしまった。たぶん須賀原さんに対して責任を感じたんだと思う」
 喉を負傷し、メジャーデビューの話も流れた須賀原は、母親も失ったのだと言う。
「……オレもずいぶん悩んだ。でもやめていない。須賀原さんにとっては、目障りなんだと思う」
 話し終わって、アレンさんは大きく息を吐いた。
 だれも何も言わないので、恐るおそる気になったことを聞いてみることにした。
「……俺がはじめてライブで歌う前、練習が終わった後に、だれかと言い争っていましたけれど、もしかしてあの時……」
「うん、須賀原さん」
「どうしてあの時に? 何を言っていたんですか?」
 俺を一瞬だけ見て、アレンさんがまた床に視線を落とす。
 しばらく何も言わなかったから、はぐらかされるかと思った。
「……響くんをね、辞めさせろと言って来た」
 なぜ、どこからその話を聞いたんだ、と疑問が胸を冷やした。
「オレがまだ音楽を続けていることが気に食わないのなら、好きなだけ責めてくれればいいのにね」
 関係ないと突き放しきれなかったのは、負い目があったからだと、苦しそうに呟いた。
 アレンさんの話を聞いて、他のメンバーたちは渋い顔で呻っていた。
 解散までの経緯を富岡さんは知っていた様子で無反応だったけど。
「……冗談じゃないよ、まったく! 『ラダフ』とぼくたちは関係ないのにっ。何だってぼくたちが標的にされなきゃならないんだっ」
「オレがいるから、だろうね」
 腰を浮かせて言い募る神音に、アレンが沈んだ声を投げかける。
 きっ、と神音はアレンを振り返って睨みつける。
「だから、何だよ! ぼくたちがアレンを誘った理由はそんなんじゃないっ。部外者が勝手に推測して、決めつけんなっ!」
 神音は相当頭に血が昇っているらしい。
 バンバン床を叩いて、言い終わった後も悔しそうに唇を噛んで顔をしかめていた。
 文月さんも八代さんも、神音の意見に頷いている。
「……この件は私に任せてくれないか」
 いきなり富岡さんが話だした。
 全員が富岡さんを見る。腕を組んで、富岡さんは眼鏡の向こうから、表情のない視線で全員を順番に見た。
「おまえたちは私が責任を負う者たちだ。須賀原の事件を私も知っているが、だからと言って今回の行動が正当になるはずがない。それを須賀原が認めるとも思えない。少しばかり権力が必要になるだろう。その為に私がいる。私を信じて任せてくれないだろうか」
 俺はアレンさんを見た。他のメンバーもアレンさんに視線を向けていた。
「……お願い、します」
 沈黙の後、目を閉じたアレンさんが、声をしぼりだした。頭を下げたアレンさんに、富岡さんがわずかに頷いて、さっと立ち上がって出て行った。


「はぁ……もう、なんだって響ばっかり狙われるんだろ。ただでさえ重圧感じてるってのに、ね?」
 神音がソファに座り直しながら、俺を見て首を傾げた。
「本当ですよ。身も心も壊れてしまうほど、音楽に向かい合ってくれているのに」
 悔しそうに文月さんも同意した。
(うっ……俺、そんなに真面目だったっけ)
 どうしようもない悪戯やメールに振り回され、神音に八つ当たりした覚えはあるけれど。
(あ……何で歌うのかって悩んだりはしたっけ……あぁ、でもまだ満足に歌えるようにはなってない)
 あらためてそれに気づく。残り時間を考えると、無性に焦りにかられた。
 卒業記念ライブで歌うのは神音かもしれないと、いてもたってもいられなくなる。
「っ、いた……」
「こら。無理しちゃダメでしょ」
 無意識に立ち上がろうとして、足の痛みに呻いたら、ばっちりアレンさんに気づかれてしまった。
 そうは言っても、ただ座っている場合じゃないんだ。
「……俺、こうしてるわけにはいかないんです」
「響くん……」
 自由にならない体の中で、自由を求めて心が暴れているようだ。
 その時、手が重なって、見ると神音がにやりと笑って俺を見ていた。
「だったら響に出した宿題を見てみよう」
「宿題?」
 ぎくり、と体を硬直させる俺の前で、見覚えのあるノートを神音が開いた。
「うわ~っ、いつの間に!」
 作詞に使っていたノートだと気づいて、俺は大慌てで止めに入る。
(一応出来たと思ったけど、歌ってみたら、まだ納得いかない部分がたくさん出てきたから、まだ見せたくなかったのに~)
 よくよく思い返してみれば、ソファで眠ってしまって、アレンさんに運ばれた時に、リビングに置きっぱなしになっていたんだろう。
 翌朝は違うことで頭がいっぱいになっていたから、いまに至るまですっかり忘れていた。
 立ち上がろうとする俺の体をアレンさんが掴んで押し留め、軽く睨んできた。
(怪我してんだからってこと? いや、でもさ~)
 すると秀麗な額にしわを寄せて読んでいた神音が、だんだんしわを解いて、微笑みだした。
「響、もうこれ歌ってみてもいいんじゃない?」
「えぇ~でも、まだ途中……」
「続きはみんなで考えれば? ここまで出来れば十分だって」
 と神音が強引に話をまとめてしまい、アレンさんに渡していた新曲を入れたCDを持ってきてもらい、再生させはじめた。
 座ったまま歌って、と神音が要求してくる。
(ぐぇ……他の曲歌うより数千倍恥ずかしい~)
 変に汗が出て手が濡れる。
 呼吸をくり返して気を落ち着かせ、新曲に意識を集中する。
(声、出るかな……)
 自信家の神音も少しばかり不安そうに俺を見るから、本当は俺も自信がなかったけれど、笑ってみせた。
 いつもの調子で口を動かすと、まだ頭の怪我が痛むので、控えめに歌う。
(……歌える、大丈夫)
 一字一句、忘れることができなくなるくらい、何度もくり返し見た詞の冒頭を、声に変えた。
 ふわっ、と空気を揺らし、拡散していく。
 何度聞いても自分自身が出しているとは思えない声だ。歌い終わってもみんな無言だった。
 恐るおそるメンバーたちの様子を見ると、腕組みして聞いていた文月さんが額に手を当てて目を閉じ、深く息を吐き出した。
「先輩以外にも、こんな詞が書ける人がいるんですね……参りました」
 いや、そんな大げさな。
「アレンさんにたくさん教えてもらったから」
「そう言うことではなくて。もっと深い部分のこと……響君のまっすぐな心が伝わってきて、いい詞だと思います、本当に」
「そ、うですか……よかった」
 まっすぐな心と言われると、かなり恥ずかしくて照れてしまう。
「あー悔しいな。響がぼくだけのものじゃなくなるみたいで」
 神音が唇を尖らせる。
「何言ってんだよ、神音」
「ちぇっ、ぼくじゃこんな言葉、響から引き出せやしないよ。せいぜい音だもん」
「……それだって十分じゃない?」
 もう十分に神音によって鍛えられてきたと思うんだけど。八代さんも俺を見て苦笑していたから、同じこと思っていたんだろう。
「できればここと、ここ……言い方変えてみるといいかも。このままでもいいけどね」
「それは僕も感じました。せっかく柔らかい流れで来ていたのに、言葉の選び方で断ち切れてしまっている気がしました」
 アレンさんと文月さんに言われて、数か所の訂正をする横で、八代さんがなぜか半泣きになっていた。
「ええやん~おっさん、泣いちゃうで~」
 どうにかここまでは合格点がもらえたらしく、安心した俺が息を吐き出す。その肩にアレンさんが手を置いて、視線が合うとにこりと笑ってくれた。
 その後も歌詞の検討が続いた。
 ところどころ曲の方を変えるべきかも、と討論が交わされた。
 俺はすっかり怪我のことや、突き落とされた騒動を忘れて、興奮して夢中になっていた。
 だからどれだけ体が疲弊しているのかなんて、考えも及ばなかった。
「……響ちゃん? 眠いんか?」
 八代さんの声が遠くに聞こえた気がする。
 ちょっとソファにもたれようと思っただけのはずなのに、みんなの検討する声がどんどん遠ざかっていく。
「無理させすぎたね。退院してきたばかりなんだから、ここまでにしよう」
 神音がそう言った気がしたけれど、もう目も開いていられなくて、俺は吸い込まれるように意識を失った。
 次に気づいた時、体はあたたかくてやわらかいものに包まれていた。
「響くん、目が覚めた?」
「……アレン、さん」
 明るかったはずの室内はほんのりオレンジ色した室内灯に照らされ、カーテンの隙間から夜景が見えていた。
 二人掛けソファに俺は眠っていて、となりでアレンさんが本を読んでいた。その肩に寄りかかって眠っていたようで、慌てて離れようとした。
「あぁ、せっかくあたたかったんだから、逃げなくてもいいのに」
「す、すみませんっ。俺よだれつけてないかな」
 口元を擦っていると肩から毛布が落ちて、どれだけ世話してもらったんだと、自分の間抜けさに落ち込んだ。
「怪我人なんだから、眠るのはお役目です。本当はベッドに運んであげるべきだったんだろうけど、あんまりにも寝顔が可愛くって、そばで見ていたかったから、もったいなくってそのままにして見ていたんだよ。うふふっ」
「か、可愛い寝顔って……」
 丸っきり意識がなかった俺は、醜態をさらしていやしないか気が気でなくて、いまさらだけど顔を洗ってこようとした。
「……っ、た」
 忘れていた。本当に単細胞の俺の頭は、ひとつのことを考えると、他のことを忘れるようにできているらしい。
 立ち上がろうとして下ろした足が、捻挫した足なんだから痛むのは当然だ。
「もう……もっとオレを頼りなさいって。ほら、手を貸して」
「すみません……」
 洗面所まで支えてもらって、そこで手を離した。何かにつかまっていれば、ひとりで出来るんだ。
 手が離れる間際に、ふいに言葉がせりあがってきた。
 振り返ると、ちょうどドアを閉めようとしていたアレンさんと目が合った。
「……どうかした?」
 気がついて、ドアを再び開いて顔を覗かせ、アレンさんが問いかける。
 何か手伝って欲しいのかと思っているのだろう。その目が心配そうだったから。
 でも俺が言いたいことは、そのことじゃない。
「さっきは言いそびれたことがあって」
「ん?」
「……須賀原のこと、なんですけど」
「…………」
 やっぱり彼の名前を聞くと、アレンさんはとたんに表情を失ってしまう。
(アレンさんひとりの責任じゃないのに)
 話を聞こうともしなかった過去の自分を責め続けているのだろうけれど、実際に行動を起こしたのはアレンさんではない。
 今回間違った行動を起こしたのも。
 息を大きく吸って、聞き間違えないようにはっきりと発音した。
「俺は、アレンさんが音楽をやめないでいてくれて、感謝しています。須賀原の一件があったからこそ、いまのアレンさんがいてくれるわけですから、彼にも感謝したいくらいです」
 アレンさんは目を見開いて、呆然と俺を見つめて固まった。
「苦しんだのはアレンさんなのに、勝手な言い草ですみません。でも、俺の本心なんで……俺はいつも助けてもらってばかりだし、みんなの足を引っ張ってる状態だけど」
「……響、くん」
 ようやく俺の名前を呟いてくれたアレンさんに、俺は笑いかけた。
「アレンさんのいる、『i-CeL』に誘ってもらえて、よかったと思ってます」
「…………」
 実力が追いついていれば、もっと堂々と言えるんだけどと内心で苦笑しながら言い終えて、顔を洗おうと洗面台に向き直った。
「、う……わっ」
 突然、背中越しに抱きしめられた。
 視界の端に金色の波が映る。
 顔を俺の肩に埋めたまま、アレンさんが小さく、かすれた声でありがとう、と言った。


 ひとり洗面台に残り、鏡に映った自分の姿を見たとたんに、顔に血が昇ってきた。
 さっきまで触れていた体温がなくなってからの方が、より強く意識してしまうのはなぜだろう。
 半分夢に頭を奪われた状態で聞いたアレンさんの声を思い出してしまい、発熱しているんじゃないかってくらい顔が赤くなってきた。
(うわ~っ! あれは親愛の表現だ、そうなんだってば!)
 勝手に駆け足になる心臓を手で押さえ、何度も言い聞かせる。
 俺がライブに出て歌おうと思ったのは、樫部が好きだからだ。
(そう、俺が好きなのは樫部なんだよ)
 なのになぜ、消えた体温を意識してしまうのだろう。
 深く考えると、抜けだせなくなりそうで、俺はそれ以上考えるのをやめた。
 これからは出来る限り、アレンさんに頼らないでおこうと心に誓った。
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