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第一章
24:開放
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アレンさんと顔を合わせたくないと思う朝は、これで何度目になるだろう。
(う~わぁ~……タイムマシンで昨夜に戻って、俺自身を精一杯殴りつけてベッドまで引きずってやりたい……)
客室のベッドで目覚めてすぐ、寝入る直前の記憶を取り戻して、顔が茹だるくらいに熱くなった。
飛び起きて確認すると、ちゃんとパジャマに着替えている。起きている間に着替えた自覚はないので、寝た後にアレンさんが着替えさせてくれたのだ。
ベッドの上で頭を抱えて、盛大に呻いた。
泣き事を聞いてもらっただけじゃなく、身の周りの世話をさせて、ベッドに運ばせたことになる。
(……俺、自殺推奨……と言うか、いますぐ息の根止まってくれ~)
いくら積年の胸のつかえが取れたからって、気が緩みすぎなんだ。
そのまま頭をぼかすか殴りつけていると、部屋のドアがノックされた。
「響くん、起きてる? そろそろスタジオに行く準備を……って、何してるのかな」
「う、アレ……ンさん……」
見られた、ばっちり見られた。
ベッドの上で不自然に固まる俺を、アレンさんが呆れた表情で見た数秒後、こらえきれずに吹き出して笑いだした。
腹を抱えていつまでも笑い続けるから、だんだん憎らしくなってきて、俺はベッドから降りて詰め寄った。
「笑わないでくださいよッ」
「いやいや、ごめ……つい、可愛くって……ぷはははっ」
「か、可愛いって……俺は男ですってば!」
よくアレンさんは俺を見て可愛い可愛いと言うけれど、その表現は間違っているから。
(本当にそう見えるなら、眼科へ行って検査を受けるべきですよ)
しつこく笑い続けるアレンさんを部屋から追い出して、急いで着替えをした。
時計を確認すると、アレンさんの言う通り、すぐにもスタジオに行くべき時間を指していた。
部屋を出ると目の前にアレンさんが待っていて、衝突しそうになって急停止した。
「う、わっ……」
よろけた俺を抱きとめたアレンさんが、目元を和らげて見下ろし、微笑んだ。
「よかった。いい顔色だ」
「…………」
咄嗟に言葉が出てこなかった。
ひょっとしてさっきのやりとりも、俺が気にしないようにわざとやっていたのかと思ったからだ。
(……俺、もっと大人になりたい……)
朝ご飯は車内でね、と言い残して出掛けようとする背中を見ながら、そう思わずにはいられなかった。
スタジオまでの道のりの途中でコンビニに立ち寄り、朝食と飲料を買ってから練習に向かった。
アレンさんは運転で手が離せないので、俺がサンドイッチを小さくちぎっては口元に運んだ。
「ん~役得~絶品~」
「……何言ってんですか。いたって普通のサンドイッチですよ、これ」
幸せそうに咀嚼しながら言うアレンさんに、頭痛を覚えながら俺も朝食のパンをかじった。
いつもなら軽くストレッチをしてから練習に向かうのだけれど、今朝は恥ずかしくて起きだせなかったせいで、その時間がとれなかった。
スタジオについたら申し訳ないけれど、先に体をほぐさせてもらおう。
朝食を食べ終わると、今日練習する予定の曲に意識を切りかえた。
当然ながら俺以外のメンバーはライブで演奏する曲目を、いままでにも演奏したことがある。初披露するのは俺が作詞した新曲だけだから、こんなにも根を詰めて練習するのは俺のせいだと言ってもいい。
もちろん俺がいなくても練習はしただろうけれど、かなり時間は少なくてすんだはず。
初ライブの時と同じで、歌い手の変更によって過去の曲に手を加えることが多いから、なおさら時間が必要になっている。
(それだけ負担かけてるんだ……期待以上の歌を歌いたい)
神音が生き生きと、手を加えてもいい? とみんなに聞いている姿を見るたびに、満足させてあげたいと思う。
俺を誘ったことを少し後悔しているようだから、そんなことないんだと言えるようになりたい。
樫部を好きにならなければ、誘われたって歌わなかったかもしれないけれど、神音がいなければ樫部を好きになったところで、歌おうとは思わなかったはずだから。
(神音だけじゃない……みんなを喜ばせたい。俺の歌で)
スタジオにつくまで、目を閉じてどうしたら喜んでもらえる歌を歌えるだろうと、それだけを考え続けた。
集合時間ぎりぎりに到着した俺たちの他にも、文月さんがまだスタジオにいなかった。
「珍しいね、ダイが遅れるのは」
そう言いながら上着を脱ぐアレンさんに、チューニングをしていた八代さんが肩をすくめる。
「練習マニアやからな~昨日も夜遅うまで練習しとって、寝坊したとか言うんやないか?」
ふたりの会話を聞きながら、スタジオのすみでストレッチをはじめる。するとキーボードの前で譜面を睨んでいた神音が顔を上げて、音もなく近づいてきた。
「……大丈夫、響?」
声をひそめて聞いてくる。
(そっか……昔の話をしてから、神音と直接話す時間、ほとんどなかったもんな)
言葉を交わしても音楽についてで、個人的な話はする暇もない毎日だった。
もしかしたら神音の方から切り出すことをためらっていたのかもしれない。
「うん。もう大丈夫……心配してくれてありがとう」
「……無理はしないでよ。いつだって中断するからね」
「平気だってば、本当に」
神音に笑顔を向けたのに、渋い顔のまま心配そうに何度も振り返りつつ戻っていく。
体をほぐしながら、俺は不思議な高揚感に包まれていた。
(神音に言ったのは虚勢じゃない。本当に歌えると思えるんだよ……何でだろう、昨日までこんな気分にならなかったのに)
歌いたいけれど、どこか無理やり自分自身を引っ張り上げていたような昨日までを振り返りつつ、発声練習へ切り替えた。
神音が手伝ってくれて、一通り終わったころに文月さんが到着した。
「すみませんっ、遅れました!」
叫びながら入ってきた文月さんは、寝乱れた髪と服装で、腫れぼったい顔をしていた。寝坊して飛び起きて、そのまま駆けつけてきたんだとすぐにわかった。
「どうせ昨日神音に言われたとこ、寝ずに練習しとって朝になったんやろ」
すかさず八代さんが突っ込むと、反論したいのをこらえた顔つきで文月さんが謝罪しながらギターを取りだした。
結成間もない頃に文月さんが歌っていた曲を、ライブで俺と歌うことになっている。
昨日その曲を練習中に、神音がギターを変更させたのだ。
「あの頃より文月のテクニックも上がってるし、響が加わるなら、もうちょっとやってみたいことがあるんだよね」
神音がそう言って、書きかえた部分を練習していたんだろう。
うっすら隈が見える気がする文月さんの顔を見て、申し訳ないなと思っていると振り返った文月さんと目が合った。
疲れた表情だけど、文月さんは穏やかに微笑んで頷いてくれた。
「昔の曲だけど、こんなにやりがいのある曲になるなんて、うれしい驚きです。楽しくて夜が明けてました。よろしくです、響君」
「……あ、俺こそ……お願いします」
準備が整って、全員が定位置につく。
単独のライブをはじめて経験する俺のために、中盤に俺以外のメンバーが歌う曲目が挿入されている。
ずっと歌い続けるのは、まだ俺には負担が大きいだろうと言うわけだ。
歌い手が変更したことを快く思わないファンへの、せめてもの配慮と言う意味もあるらしい。
俺はコーラスで参加するけれど、あくまでも文月さんや神音が主役だ。
そのふたりが変更がなければそんなに練習しなくてもいいと言うので、曲を通しての練習は軽くする程度だった。
だから昨夜の復習に、と一度演奏を合わせただけで、次の曲に移る。
「どうせ一曲目からラストまで、通しで練習するからね。ぼくたちが歌う曲はその時でいいよ。あくまでもサイドメニューなんだし」
神音がけろりと言ってのける。さすが自信家なだけはある。
文月さんも顔色変えずに頷いているから、俺だけが上手く歌えずあがいているのかと思うと、ため息つきたくなった。
気を取り直すために、左手にタオルを巻きつけた。
ここに来てストレッチをする時に使っていたタオルを、ふとした拍子に左手に巻きつけた。すると妙に落ち着いたので、発作が起きないように巻いてみたのだ。
ちらり、とアレンさんが俺を見た。
発作じゃないよ、と左手を振って笑ってみせてから、深呼吸をして意識を切り替えた。
次の曲は発表してきた曲の中でも新しい方らしい。
前回のライブでは歌わなかったので、最近になってはじめて曲を聞き、歌詞を読んだ。
恋が終わる夜を描いた、かなり大人な曲だ。
(だれだよ、こんな高度な歌詞書いたのは~)
八つ当たり混じりに作者を見てみれば、アレンさんだった。
(……文月さんが憧れるのもわかるよ……)
こんな恋愛したことない俺でも胸に沁みる言葉の選び方で、無条件で敗北を認めてひれ伏したくなる。
問題はそれを表現しないといけないことだ。
演奏がはじまり、耳を澄ませながら息を吐く。
不安は少しずつ形を変えて、意識の彼方に溶けていった。
歌いだして間もなく、いつも感じていたつっかえがなくなっていることに気づく。
神音に言った通り、歌えると思えた。
すると歌声が演奏にはまった感覚がした。
みんなの音を飾りにした声じゃなくて、音をまとめて、引き上げていくような感じだった。
(そっか……ひとりで歌っているんじゃないって……こういうことなんだ)
胸の奥で何かが居場所を得て、落ち着く。
みんなの音と俺の声は同じ、音楽の一部でどちらが欠けても曲は形になれない。
(あぁ、本当に……俺頭でっかちだった)
譜面に捕らわれ歌っていたんだと、いまようやく実感できた。
距離を感じる声、と言われた意味も。
演奏するみんなの息、鼓動を感じられた。
みんなにも俺の息づかいが感じられるだろうか。
一緒に演奏するみんなも、何よりも自分自身が一番身近な観客だ。彼らを満足させずに、他のだれを満足させられると言うのだろう。
曲にこめられた神音やアレンさんの想い。
どこまで再現できるのか、俺の持てるすべてを注ぎこむつもりで歌った。
いつもなら浮かんでくる譜面も、頭の中から吹き飛んでいた。
夢中で歌い終わって、余韻が消えたとたんに盛大に深呼吸してしまった。
(やった……はじめて、ちゃんと歌えた気がする)
マイクを下ろして、初体験する達成感を味わっていると、周囲が静かなままなのに気づく。
「……あれ?」
どれだけ待っても、だれも一言も発しなかった。
(何だろ、この空気……妙な既視感があるぞ)
記憶を巻き返して、はじめてスタジオでメンバーの演奏に合わせて歌った時と同じだと思い当たる。
あの時真っ先に反応をした神音に視線を向けると、今回も神音が大きく息を吐き出してから話だした。
「響、ぼくたちのバンド名『i-CeL』の意味、知ってる?」
「……ううん、知らない……何で?」
「ぼくが文月と八代に出会って、三人で組もうって決めた時。バンド名を決めようとして、案を出しあった。ぼくはその時から語学センスがなかったから、考えた名前全部駄目だしされたけれどね。八代が『i-CeL』を考えてきた」
そしてまた特大のため息をつく。
「自分(i)の殻(shell)と言う意味にしたかったらしいんだ。でも八代の奴、抜けてるからさぁ……調べもせずに英語表記したらしいんだよ。それがフランス語の天国(ciel)のiが抜けた綴りでさ。しょうがないから天国からぼくらを表す(i)が前に飛び出したことにして、『i-CeL』がバンド名になった」
本当間抜けな奴なんだよ、とぼやいてから神音は俺に笑顔を向けた。
「だから本来の意味は、ぼくらが持つ殻があるからこそ、傷ついたり傷つけたり、泣いたり笑ったり。生きて感じて、それが歌に音楽になるんだって意味なんだよ。まさにいまの響にぴったりだなって思ってさ。あらためてこの名前を選んでよかったと感動してたところ」
「神音……俺そんな風に言ってもらえるほどに歌えてた?」
輝く笑顔だった神音が、がくんと前のめりに頭を落とした。
手振りでメンバーたちを示す。
「……うちのメンバー全員を腰砕けにさせといて、何で気づかないかな……」
「腰砕け?」
あらためてスタジオの中を見回してみる。
額に手を当てて、信じられないと首を振る神音の横で、八代さんが鼻を手で抑えていた。
一番奥のアレンさんはドラムの上に突っ伏していて動かない。その手前で文月さんがギターを熱く抱きしめて、顔を伏せて肩を震わせていた。
「言われてみれば……みんな変だけど……?」
「変って……あ、こらっ、八代! 鼻血垂れてきてるっ!」
「ぐっ……あかん、止まらへん……だれかティッシュもってへんか~っ」
スタジオの床にぽたぽた赤い滴をこぼす八代さんに神音が駆け寄って、俺も慌てて鞄からポケットティッシュを掴み出して後を追った。
「……先輩、僕今ほど興奮したこと、生まれてはじめてです」
「うん……強烈すぎるよね、響くん……色っぽすぎる……」
「ふたりとも、変なこと言ってないで、手伝ってくださいよっ」
床を拭いたり、八代さんを連れ出して落ち着かせたりで、俺と神音が忙しく動き回る中、最後までアレンさんと文月さんは悶絶したまま動かなかった。
(う~わぁ~……タイムマシンで昨夜に戻って、俺自身を精一杯殴りつけてベッドまで引きずってやりたい……)
客室のベッドで目覚めてすぐ、寝入る直前の記憶を取り戻して、顔が茹だるくらいに熱くなった。
飛び起きて確認すると、ちゃんとパジャマに着替えている。起きている間に着替えた自覚はないので、寝た後にアレンさんが着替えさせてくれたのだ。
ベッドの上で頭を抱えて、盛大に呻いた。
泣き事を聞いてもらっただけじゃなく、身の周りの世話をさせて、ベッドに運ばせたことになる。
(……俺、自殺推奨……と言うか、いますぐ息の根止まってくれ~)
いくら積年の胸のつかえが取れたからって、気が緩みすぎなんだ。
そのまま頭をぼかすか殴りつけていると、部屋のドアがノックされた。
「響くん、起きてる? そろそろスタジオに行く準備を……って、何してるのかな」
「う、アレ……ンさん……」
見られた、ばっちり見られた。
ベッドの上で不自然に固まる俺を、アレンさんが呆れた表情で見た数秒後、こらえきれずに吹き出して笑いだした。
腹を抱えていつまでも笑い続けるから、だんだん憎らしくなってきて、俺はベッドから降りて詰め寄った。
「笑わないでくださいよッ」
「いやいや、ごめ……つい、可愛くって……ぷはははっ」
「か、可愛いって……俺は男ですってば!」
よくアレンさんは俺を見て可愛い可愛いと言うけれど、その表現は間違っているから。
(本当にそう見えるなら、眼科へ行って検査を受けるべきですよ)
しつこく笑い続けるアレンさんを部屋から追い出して、急いで着替えをした。
時計を確認すると、アレンさんの言う通り、すぐにもスタジオに行くべき時間を指していた。
部屋を出ると目の前にアレンさんが待っていて、衝突しそうになって急停止した。
「う、わっ……」
よろけた俺を抱きとめたアレンさんが、目元を和らげて見下ろし、微笑んだ。
「よかった。いい顔色だ」
「…………」
咄嗟に言葉が出てこなかった。
ひょっとしてさっきのやりとりも、俺が気にしないようにわざとやっていたのかと思ったからだ。
(……俺、もっと大人になりたい……)
朝ご飯は車内でね、と言い残して出掛けようとする背中を見ながら、そう思わずにはいられなかった。
スタジオまでの道のりの途中でコンビニに立ち寄り、朝食と飲料を買ってから練習に向かった。
アレンさんは運転で手が離せないので、俺がサンドイッチを小さくちぎっては口元に運んだ。
「ん~役得~絶品~」
「……何言ってんですか。いたって普通のサンドイッチですよ、これ」
幸せそうに咀嚼しながら言うアレンさんに、頭痛を覚えながら俺も朝食のパンをかじった。
いつもなら軽くストレッチをしてから練習に向かうのだけれど、今朝は恥ずかしくて起きだせなかったせいで、その時間がとれなかった。
スタジオについたら申し訳ないけれど、先に体をほぐさせてもらおう。
朝食を食べ終わると、今日練習する予定の曲に意識を切りかえた。
当然ながら俺以外のメンバーはライブで演奏する曲目を、いままでにも演奏したことがある。初披露するのは俺が作詞した新曲だけだから、こんなにも根を詰めて練習するのは俺のせいだと言ってもいい。
もちろん俺がいなくても練習はしただろうけれど、かなり時間は少なくてすんだはず。
初ライブの時と同じで、歌い手の変更によって過去の曲に手を加えることが多いから、なおさら時間が必要になっている。
(それだけ負担かけてるんだ……期待以上の歌を歌いたい)
神音が生き生きと、手を加えてもいい? とみんなに聞いている姿を見るたびに、満足させてあげたいと思う。
俺を誘ったことを少し後悔しているようだから、そんなことないんだと言えるようになりたい。
樫部を好きにならなければ、誘われたって歌わなかったかもしれないけれど、神音がいなければ樫部を好きになったところで、歌おうとは思わなかったはずだから。
(神音だけじゃない……みんなを喜ばせたい。俺の歌で)
スタジオにつくまで、目を閉じてどうしたら喜んでもらえる歌を歌えるだろうと、それだけを考え続けた。
集合時間ぎりぎりに到着した俺たちの他にも、文月さんがまだスタジオにいなかった。
「珍しいね、ダイが遅れるのは」
そう言いながら上着を脱ぐアレンさんに、チューニングをしていた八代さんが肩をすくめる。
「練習マニアやからな~昨日も夜遅うまで練習しとって、寝坊したとか言うんやないか?」
ふたりの会話を聞きながら、スタジオのすみでストレッチをはじめる。するとキーボードの前で譜面を睨んでいた神音が顔を上げて、音もなく近づいてきた。
「……大丈夫、響?」
声をひそめて聞いてくる。
(そっか……昔の話をしてから、神音と直接話す時間、ほとんどなかったもんな)
言葉を交わしても音楽についてで、個人的な話はする暇もない毎日だった。
もしかしたら神音の方から切り出すことをためらっていたのかもしれない。
「うん。もう大丈夫……心配してくれてありがとう」
「……無理はしないでよ。いつだって中断するからね」
「平気だってば、本当に」
神音に笑顔を向けたのに、渋い顔のまま心配そうに何度も振り返りつつ戻っていく。
体をほぐしながら、俺は不思議な高揚感に包まれていた。
(神音に言ったのは虚勢じゃない。本当に歌えると思えるんだよ……何でだろう、昨日までこんな気分にならなかったのに)
歌いたいけれど、どこか無理やり自分自身を引っ張り上げていたような昨日までを振り返りつつ、発声練習へ切り替えた。
神音が手伝ってくれて、一通り終わったころに文月さんが到着した。
「すみませんっ、遅れました!」
叫びながら入ってきた文月さんは、寝乱れた髪と服装で、腫れぼったい顔をしていた。寝坊して飛び起きて、そのまま駆けつけてきたんだとすぐにわかった。
「どうせ昨日神音に言われたとこ、寝ずに練習しとって朝になったんやろ」
すかさず八代さんが突っ込むと、反論したいのをこらえた顔つきで文月さんが謝罪しながらギターを取りだした。
結成間もない頃に文月さんが歌っていた曲を、ライブで俺と歌うことになっている。
昨日その曲を練習中に、神音がギターを変更させたのだ。
「あの頃より文月のテクニックも上がってるし、響が加わるなら、もうちょっとやってみたいことがあるんだよね」
神音がそう言って、書きかえた部分を練習していたんだろう。
うっすら隈が見える気がする文月さんの顔を見て、申し訳ないなと思っていると振り返った文月さんと目が合った。
疲れた表情だけど、文月さんは穏やかに微笑んで頷いてくれた。
「昔の曲だけど、こんなにやりがいのある曲になるなんて、うれしい驚きです。楽しくて夜が明けてました。よろしくです、響君」
「……あ、俺こそ……お願いします」
準備が整って、全員が定位置につく。
単独のライブをはじめて経験する俺のために、中盤に俺以外のメンバーが歌う曲目が挿入されている。
ずっと歌い続けるのは、まだ俺には負担が大きいだろうと言うわけだ。
歌い手が変更したことを快く思わないファンへの、せめてもの配慮と言う意味もあるらしい。
俺はコーラスで参加するけれど、あくまでも文月さんや神音が主役だ。
そのふたりが変更がなければそんなに練習しなくてもいいと言うので、曲を通しての練習は軽くする程度だった。
だから昨夜の復習に、と一度演奏を合わせただけで、次の曲に移る。
「どうせ一曲目からラストまで、通しで練習するからね。ぼくたちが歌う曲はその時でいいよ。あくまでもサイドメニューなんだし」
神音がけろりと言ってのける。さすが自信家なだけはある。
文月さんも顔色変えずに頷いているから、俺だけが上手く歌えずあがいているのかと思うと、ため息つきたくなった。
気を取り直すために、左手にタオルを巻きつけた。
ここに来てストレッチをする時に使っていたタオルを、ふとした拍子に左手に巻きつけた。すると妙に落ち着いたので、発作が起きないように巻いてみたのだ。
ちらり、とアレンさんが俺を見た。
発作じゃないよ、と左手を振って笑ってみせてから、深呼吸をして意識を切り替えた。
次の曲は発表してきた曲の中でも新しい方らしい。
前回のライブでは歌わなかったので、最近になってはじめて曲を聞き、歌詞を読んだ。
恋が終わる夜を描いた、かなり大人な曲だ。
(だれだよ、こんな高度な歌詞書いたのは~)
八つ当たり混じりに作者を見てみれば、アレンさんだった。
(……文月さんが憧れるのもわかるよ……)
こんな恋愛したことない俺でも胸に沁みる言葉の選び方で、無条件で敗北を認めてひれ伏したくなる。
問題はそれを表現しないといけないことだ。
演奏がはじまり、耳を澄ませながら息を吐く。
不安は少しずつ形を変えて、意識の彼方に溶けていった。
歌いだして間もなく、いつも感じていたつっかえがなくなっていることに気づく。
神音に言った通り、歌えると思えた。
すると歌声が演奏にはまった感覚がした。
みんなの音を飾りにした声じゃなくて、音をまとめて、引き上げていくような感じだった。
(そっか……ひとりで歌っているんじゃないって……こういうことなんだ)
胸の奥で何かが居場所を得て、落ち着く。
みんなの音と俺の声は同じ、音楽の一部でどちらが欠けても曲は形になれない。
(あぁ、本当に……俺頭でっかちだった)
譜面に捕らわれ歌っていたんだと、いまようやく実感できた。
距離を感じる声、と言われた意味も。
演奏するみんなの息、鼓動を感じられた。
みんなにも俺の息づかいが感じられるだろうか。
一緒に演奏するみんなも、何よりも自分自身が一番身近な観客だ。彼らを満足させずに、他のだれを満足させられると言うのだろう。
曲にこめられた神音やアレンさんの想い。
どこまで再現できるのか、俺の持てるすべてを注ぎこむつもりで歌った。
いつもなら浮かんでくる譜面も、頭の中から吹き飛んでいた。
夢中で歌い終わって、余韻が消えたとたんに盛大に深呼吸してしまった。
(やった……はじめて、ちゃんと歌えた気がする)
マイクを下ろして、初体験する達成感を味わっていると、周囲が静かなままなのに気づく。
「……あれ?」
どれだけ待っても、だれも一言も発しなかった。
(何だろ、この空気……妙な既視感があるぞ)
記憶を巻き返して、はじめてスタジオでメンバーの演奏に合わせて歌った時と同じだと思い当たる。
あの時真っ先に反応をした神音に視線を向けると、今回も神音が大きく息を吐き出してから話だした。
「響、ぼくたちのバンド名『i-CeL』の意味、知ってる?」
「……ううん、知らない……何で?」
「ぼくが文月と八代に出会って、三人で組もうって決めた時。バンド名を決めようとして、案を出しあった。ぼくはその時から語学センスがなかったから、考えた名前全部駄目だしされたけれどね。八代が『i-CeL』を考えてきた」
そしてまた特大のため息をつく。
「自分(i)の殻(shell)と言う意味にしたかったらしいんだ。でも八代の奴、抜けてるからさぁ……調べもせずに英語表記したらしいんだよ。それがフランス語の天国(ciel)のiが抜けた綴りでさ。しょうがないから天国からぼくらを表す(i)が前に飛び出したことにして、『i-CeL』がバンド名になった」
本当間抜けな奴なんだよ、とぼやいてから神音は俺に笑顔を向けた。
「だから本来の意味は、ぼくらが持つ殻があるからこそ、傷ついたり傷つけたり、泣いたり笑ったり。生きて感じて、それが歌に音楽になるんだって意味なんだよ。まさにいまの響にぴったりだなって思ってさ。あらためてこの名前を選んでよかったと感動してたところ」
「神音……俺そんな風に言ってもらえるほどに歌えてた?」
輝く笑顔だった神音が、がくんと前のめりに頭を落とした。
手振りでメンバーたちを示す。
「……うちのメンバー全員を腰砕けにさせといて、何で気づかないかな……」
「腰砕け?」
あらためてスタジオの中を見回してみる。
額に手を当てて、信じられないと首を振る神音の横で、八代さんが鼻を手で抑えていた。
一番奥のアレンさんはドラムの上に突っ伏していて動かない。その手前で文月さんがギターを熱く抱きしめて、顔を伏せて肩を震わせていた。
「言われてみれば……みんな変だけど……?」
「変って……あ、こらっ、八代! 鼻血垂れてきてるっ!」
「ぐっ……あかん、止まらへん……だれかティッシュもってへんか~っ」
スタジオの床にぽたぽた赤い滴をこぼす八代さんに神音が駆け寄って、俺も慌てて鞄からポケットティッシュを掴み出して後を追った。
「……先輩、僕今ほど興奮したこと、生まれてはじめてです」
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