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第一章
28:準備中
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いつまでも感傷につきあっている余裕はない。気を取り直して歩き出し、歩道の脇に見慣れた車が止まっていることに気づいた。
「お疲れ~」
「アレンさん、神音まで」
運転席からはアレンさんが顔を出して、その後部座席には神音がいて手を振っている。
「途中で昼食仕入れてから行くよ。最後に確認もしたいし、急いで急いで」
神音にせかされ、助手席に乗り込んだ。
シートベルトを装着した俺を確認してから車を発進させて、アレンさんがふわりと笑った。
「いや~何か柄にもなく緊張してきちゃったな」
「アレンさんでも緊張するんですね」
「でも、って何……あぁ、確かにライブよりも八代の緊張が移った比率の方が大きいかも」
ただでさえ緊張しいの八代さんは、夜明け直前にお姉さんの久遠さんが産気づいて入院したせいで、もう手の施しようがない状態らしい。
人数分の昼食を買いこみ、ライブハウスの控室に行くと文月さんが口を尖らせてギターを弾いていた。熱中するとそうなる癖があるらしい。
「ダイ、ちょっと休憩しなさい。八代は?」
リーダー権限で文月さんからギターを取り上げつつ、アレンさんが室内を見回した。
気の抜けた表情で目だけはギターに釘付けのまま、文月さんがトイレと答えたのと、八代さんが入ってくるのが同時だった。
「はぁ~……あと少しやて、さっきも同じやったやん」
「久遠さん?」
各自に食料を手渡しながら、アレンさんが聞けば、八代さんは頷いて椅子に座った。
「頼むで、ライブまでに出してくれんと、集中できへんわ~」
おでんの蓋を開けて、餅巾着を箸でつまみあげながら、文月さんが口を挟んだ。
「いっつも集中してないから、たいして影響しないでしょう」
カツ丼を手に持ったまま、八代さんが目尻を吊り上げた。
「おれはいつも、全力投球やで!」
「鹿のハートながら、ですけどね」
はいはい、と片手を振りつつ文月さんはおでんを食べ続ける。
まだ何か言おうとする八代さんに、アレンさんが割り箸を手渡した。
「いいから、まず食せよ男子」
「……ハイ」
昼食を全員が食べ終わる頃に、控室に男性が入ってきた。
富岡さんかな、と振り向いた先にいたのは、和服が似合う日本風の美男子だった。
彼を見るなり、八代さんが立ち上がる。
「来たよ、八代」
「忙しいのに悪いなぁ」
友達だろうかと見守っていたら、日本風美男子の目が俺を向いたので驚いた。
「……君が響さん?」
「あ、え……そうです、けど?」
「話に聞いてた通り。艶めく黒髪、透ける白肌、玉のような瞳……」
美男子がうっとりと目を細めて、俺の頬を撫でまくってくれる。異様すぎる状況についていけずに俺は硬直した。
(だれ、この人~)
「逸美さん、ええ加減にせえへんと、うちのリーダーに撲殺されるで」
八代さんがやれやれとため息をつきながら、美男子を引き離してくれた。
俺の背後でアレンさんが不穏な空気を発していたし、となりでは神音が牙を向いていたので、八代さんの台詞も誇張はなかったかもしれない。
「おやおや。みなさん狭量なこと……」
懐から扇を取り出して広げ、口元を隠して嫌味を言う。
(本当にだれなんだよ、この人)
面食らったままの俺に、逸美と呼ばれた美男子が微笑みかけてきた。
「自己紹介が遅れました。わたくし久遠姉さんの代わりに、本日みなさんを飾り立てさせていただきます。逸美と申します、よろしゅう」
後で聞いたところ、いままで久遠さんがスタイリスト兼ヘアメイクアーティストとして、『i-CeL』を助けてくれていたらしい。
「でも、俺たち全員男でしょう? メイクは要らないんじゃ……?」
前回のライブで文月さんはメイクをしていたけれど、と思いだしながら言うと、メンバーたちが揃って苦笑した。
「え、何?」
「……一応ね、ぼくたちはヴィジュアル系ロックバンドと言われているんだけど……」
神音がそう言って見せてくれたのは、いつか真柴と見た雑誌『scream』の記事だ。
あの時は気づかなかった文章の後に、小さいけれど写真も載っている。だれもが見たことない姿で映っていた。
そう言えば過去のライブ映像でも、みんな飾りたてていた。
「……ヴィジュアル系って?」
またも全員が肩を落とした。
「ほら、オレたち見た目に特徴ある奴ばかり揃ってるじゃない? 使わないのはもったいないからって、久遠さんがいろいろ飾り立てててくれてたの」
アレンさんがそう言って、順にメンバーたちを示していく。
文月さんは凛々しい顔立ちで、メイクをするとさらに刃みたいな危うい魅力を漂わせていた。
八代さんは口を開かなければ、男性から見てもかっこいいと思う、迫力がある男前だ。
神音は言うまでもないし、アレンさんにいたっては選ぶ職業を間違えている。
「……だけど、俺も?」
「当然でしょ。初ライブは代打だったし、響を必要以上に緊張させるといけないから、いたって質素にやったけど。今回は響もはじけてもらうからね~」
神音がとなりから肩に腕を回してきて、逃さないよとばかりに微笑みかけてきた。
「と言うわけですので、早速仕事をさせていただきましょう。まずは八代で手馴らし」
「おれは手馴らしかいな……ったく、口の悪い雇い主や」
聞けば逸美さんの店で八代さんは働いているのだそうだ。逸美さんはデザイナーで、自分のブランドを立ち上げていて、手先が器用なので久遠さんの代理に選ばれたんだそうだ。
ひとりずつ逸美さんの手で変身させてもらう間に、俺と神音が支度をはじめる。
午前中から会場入りしていたアレンさんたちと違い、俺たちは準備が整っていない。
衣装とかメイクをされる前に、神音はキーボードを触りに行き、俺はストレッチや発声練習をした。
早めに起きてアレンさんとマラソンは走ってきたけれど、本番までに時間が空いたいま、もう一度走っておきたい気分だった。
使いすぎると熱を持つ足のことを考えるとそれも出来ない。
大人しく衣装に着替えると、先にメイクを終えたアレンさんが俺に近づいてきて、何かを手渡してくれた。
「オレたちから、響くんへプレゼント。無事に今日を迎えられたお祝い」
「えっ……」
いつもと別人に見えるアレンさんが、変わらないウィンクをしてくれたので、少し安心した。
「これ……」
渡されたのはアームカバーみたいだ。片手分だけで、指の第二間接まで隠れる長さだ。
黒く染めた包帯を巻いたようにも見えて、ところどころわざと破いて、ほつれさせた部分があって、細いチェーンが全体を彩っている。
「八代が作ってくれたの。お守りになればなって思ってね」
アレンさんが俺の手から取り上げて、それを左手につけてくれた。
「……ありがとうございます」
いつの間にこんなものを用意してくれたんだろう。
八代さんの方を見ると、こちらも別人みたいに見える八代さんが気づいて、にやりと笑って手を振った。
「これに負けないくらいの仕事を、ステージ上でも期待してるよ、ヤッシー?」
「んなっ、よけい緊張するやん、やめてんか~っ」
アレンさんが八代さんに冗談めかして言うと、八代さんは頭を抱えてしまった。
せっかく整えたのに、と間髪入れず逸美さんに咎められて、八代さんは肩を落としてすごすご鏡の前に戻って行った。
ぷんすか怒る逸美さんが八代さんの手直しにかかる。
その時控室のドアが開いて、富岡さんが入ってきた。
「……あれ、義兄さん病院にいたんとちゃうん?」
鏡越しに声をかけた八代さんを見て、富岡さんは無表情のまま淡々と打ち明けた。
「女の子だった。久遠も子供も異常なし。わかったとたん久遠に蹴り飛ばされた。代わりにしっかりおまえたちの雄姿を撮ってこい、とな……」
「うわ~久遠さんらしい」
アレンさんが苦笑しながら声をもらし、他のメンバーもほっと息を吐き出してから笑った。
鏡の前の八代さんは、逸美さんに顔をしかめられるのも忘れて、突っ伏してしまった。
「……まったく。今回は専門に撮らせると言っているのに……」
いささか寝不足を滲ませた顔の富岡さんが、まだぶつぶつ呟いていた。最愛の妻には頭が上がらないのかもしれない。
「ところで準備は終わっているか」
ぐるりとメンバーを見回し、富岡さんが問いかけてくる。
「アレンと響はついて来い。挨拶に行くぞ」
俺はまだ衣装に着替え終わって、メイクの順番待ちだったけれど、富岡さんはアレンさんと俺を連れて歩き出した。
ライブはただ演奏して終わりではないらしい。狭い通路にだれが何の役割なのかわからないけれど、関係者が行き交って空気が張りつめていた。
オーナーやスタッフたちに挨拶に回る富岡さんについて、紹介されるたびに頭を下げて歩いた。
「よく覚えておけよ。人間どれだけ才能と実力があっても、ひとりで出来ることはたかが知れている。いつでも己を支えてくれる多くの人間がいることを胸に刻みつけろ」
控室に戻りながら富岡さんが背中越しに言う。
「……はい」
初顔となる俺のために連れて歩いてくれたのだ。目の前の背中に、身が引き締まる思いだった。
控室に入ると、ちょうど逸美さんが神音の準備を終えたところだった。
「さて、トリは響さん。お待たせ」
「あ、はいっ」
逸美さんに呼ばれて、慌てて駆け寄る。
左手のアームカバーを見て、逸美さんは目を輝かせた。
「いいよ、とてもお似合い。響さんにも、衣装にもね……さて、ここに座って目を閉じておくれ。他は何もしなくてよろしい」
「はい……お願いします」
言われた通りに座って、目を閉じる。
顔や頭の周りを流れるようななめらかな動作で、逸美さんの手が動き回っていた。
「神音さんと双子でも、やっぱりそれぞれ違いますなぁ」
話していいのかいけないのか迷って、結局沈黙していると、くすりと逸美さんが笑った気配がした。
「本業ではないのに熱中してしまう。君たちはみんな方向性は違うけれど、飾り立て甲斐があって、意欲を駆り立ててくれること」
しみじみと語りながら、鼻歌を歌いそうなくらい楽しそうに逸美さんは手を動かし続けた。
(ひぇ……くすぐったい……)
生まれてこのかたメイクしたことがないので、肌を撫でる感触に身悶えしそうだった。
俺のために作ってくれたから衣装を着るけれど、本音は衣装もメイクもどうだっていいと思っている。ただ歌えればいいし、よりよくしていこうと思うのは音楽で、見た目には感心がない。
こうなりたい理想像もないので、早く終わらないかなぁと思うばかりだ。
(平凡地味をどれだけこねくり回したって、みんなには敵わないってば)
延々と続く時間に耐えつつ、ため息をつきたい気持ちをこらえていると、逸美さんが手を叩いて終了を告げた。
「さっ、目を開いてごらんなさいな。われながらいい仕事。ほほ」
言われて目を開く。目の前に見知らぬ男性がいて、思わずのけ反った。
背後に立っている逸美さんが、鏡の中で苦笑した。
「……なに、驚くほど出来が酷い?」
「ち、違いますッ……え、えっ……これ俺ですか?」
逸美さんに言い訳しながらも、鏡の中の男性が俺と一緒に口を動かすのが気になった。
「うふふ……見違えた?」
「はい……本当に俺ですか」
「まだ言うの」
肩に手を置いた逸美さんが、口元に手を当てて笑いをこらえながら言った。
「神音さんと双子と言ってもねぇ……やはり顔立ちに差異があります。わたくしはプロではありませんので、各々の顔立ちの良いところを伸ばすメイクしかできません。響さんが見て驚くのならば、きっと響さんはご自分の長所を知らないのでしょう」
凛々しくも甘さのある、ぱっと見たら忘れられなくなるような顔立ちの男性が、鏡の中から俺を見返す。
(これが、俺の姿……? 嘘だろ)
よほど逸美さんの腕がよかったんだ。だってさっき見せてもらった雑誌に載っていた人たちに並んでも、劣らない姿に見えるんだから。
呆気に取られて身動きがとれない俺の背後で、アレンさんが両手を打ち鳴らした。
「さて、ステージで音合わせしよう」
みんなが別人みたいに見えるから、音を出すと本人だと確認できて安心してしまった。
最終調整も兼ねて演奏をし、各々確認していく。
合間のトークもお互いに確認しあって、本番の三十分前になったところで控室に戻る。
逸美さんが本番まで気になったところを直したり、追加していくのを見ながら、高まる緊張と興奮に体が熱くなってきた。
(樫部、来てくれるかな……)
はじめて経験する『i-CeL』単独のライブなのに、パニックは起きていない。
むしろ高揚した気分の中で、意識は落ち着いているようだ。
他のメンバーたちも、それぞれに本番までを過ごしている。
文月さんはまたギターを抱えて口を尖らせ、神音はあくびをしながら悠々とソファで雑誌を読んでいる。
八代さんは控室の角でぶつぶつ何か言い続けている。
「……何をしているんですか、八代さん」
「ん?」
神音のとなりに座りながら、向かいに座っていたアレンさんに聞く。スポーツドリンクを飲んでいたアレンさんが八代さんを見て、小さく笑った。
「ファミレスと同じこと。おれはやれるって言い続けるの」
「いつも?」
「だいたいね。他にも方法はあるんだけど、今回はあれみたいだね」
八代さんも苦労しているんだな、と思わず同情の視線を向けたところで、また富岡さんが入ってきた。
「時間だ」
メンバー全員が息を飲み、空気が張りつめた。立ち上がった俺たちを見て、最後に富岡さんの目が俺を捕える。
「響。おまえを今日、ここで見定める」
いつか須賀原に言った通り、俺を辞めさせることができるひとりに、挑むように視線を返しながら頷いた。
「神音じゃなくてよかったって、言わせてみせますよ。いい意味で」
そんな俺の肩に腕が回された。気がつくとアレンさんが全員を集めて円陣を組んでいた。
「『graduation』……! オレたちの演奏で、みんなを飛び立たせてやりましょうっ」
お互いの視線が絡み合う。
みんなの高まる心が見えるようで、俺自身も煽られて飛んでしまいそうだった。
神音が自信に輝く笑顔でにやりと笑い、文月さんが鋭い目つきで頷き、弱々しくも八代さんが引きつった笑顔を見せた。
アレンさんが全員を見て、声をかけた。
「行くぞっ」
おう、と声を上げて俺たちはステージに向かった。
「お疲れ~」
「アレンさん、神音まで」
運転席からはアレンさんが顔を出して、その後部座席には神音がいて手を振っている。
「途中で昼食仕入れてから行くよ。最後に確認もしたいし、急いで急いで」
神音にせかされ、助手席に乗り込んだ。
シートベルトを装着した俺を確認してから車を発進させて、アレンさんがふわりと笑った。
「いや~何か柄にもなく緊張してきちゃったな」
「アレンさんでも緊張するんですね」
「でも、って何……あぁ、確かにライブよりも八代の緊張が移った比率の方が大きいかも」
ただでさえ緊張しいの八代さんは、夜明け直前にお姉さんの久遠さんが産気づいて入院したせいで、もう手の施しようがない状態らしい。
人数分の昼食を買いこみ、ライブハウスの控室に行くと文月さんが口を尖らせてギターを弾いていた。熱中するとそうなる癖があるらしい。
「ダイ、ちょっと休憩しなさい。八代は?」
リーダー権限で文月さんからギターを取り上げつつ、アレンさんが室内を見回した。
気の抜けた表情で目だけはギターに釘付けのまま、文月さんがトイレと答えたのと、八代さんが入ってくるのが同時だった。
「はぁ~……あと少しやて、さっきも同じやったやん」
「久遠さん?」
各自に食料を手渡しながら、アレンさんが聞けば、八代さんは頷いて椅子に座った。
「頼むで、ライブまでに出してくれんと、集中できへんわ~」
おでんの蓋を開けて、餅巾着を箸でつまみあげながら、文月さんが口を挟んだ。
「いっつも集中してないから、たいして影響しないでしょう」
カツ丼を手に持ったまま、八代さんが目尻を吊り上げた。
「おれはいつも、全力投球やで!」
「鹿のハートながら、ですけどね」
はいはい、と片手を振りつつ文月さんはおでんを食べ続ける。
まだ何か言おうとする八代さんに、アレンさんが割り箸を手渡した。
「いいから、まず食せよ男子」
「……ハイ」
昼食を全員が食べ終わる頃に、控室に男性が入ってきた。
富岡さんかな、と振り向いた先にいたのは、和服が似合う日本風の美男子だった。
彼を見るなり、八代さんが立ち上がる。
「来たよ、八代」
「忙しいのに悪いなぁ」
友達だろうかと見守っていたら、日本風美男子の目が俺を向いたので驚いた。
「……君が響さん?」
「あ、え……そうです、けど?」
「話に聞いてた通り。艶めく黒髪、透ける白肌、玉のような瞳……」
美男子がうっとりと目を細めて、俺の頬を撫でまくってくれる。異様すぎる状況についていけずに俺は硬直した。
(だれ、この人~)
「逸美さん、ええ加減にせえへんと、うちのリーダーに撲殺されるで」
八代さんがやれやれとため息をつきながら、美男子を引き離してくれた。
俺の背後でアレンさんが不穏な空気を発していたし、となりでは神音が牙を向いていたので、八代さんの台詞も誇張はなかったかもしれない。
「おやおや。みなさん狭量なこと……」
懐から扇を取り出して広げ、口元を隠して嫌味を言う。
(本当にだれなんだよ、この人)
面食らったままの俺に、逸美と呼ばれた美男子が微笑みかけてきた。
「自己紹介が遅れました。わたくし久遠姉さんの代わりに、本日みなさんを飾り立てさせていただきます。逸美と申します、よろしゅう」
後で聞いたところ、いままで久遠さんがスタイリスト兼ヘアメイクアーティストとして、『i-CeL』を助けてくれていたらしい。
「でも、俺たち全員男でしょう? メイクは要らないんじゃ……?」
前回のライブで文月さんはメイクをしていたけれど、と思いだしながら言うと、メンバーたちが揃って苦笑した。
「え、何?」
「……一応ね、ぼくたちはヴィジュアル系ロックバンドと言われているんだけど……」
神音がそう言って見せてくれたのは、いつか真柴と見た雑誌『scream』の記事だ。
あの時は気づかなかった文章の後に、小さいけれど写真も載っている。だれもが見たことない姿で映っていた。
そう言えば過去のライブ映像でも、みんな飾りたてていた。
「……ヴィジュアル系って?」
またも全員が肩を落とした。
「ほら、オレたち見た目に特徴ある奴ばかり揃ってるじゃない? 使わないのはもったいないからって、久遠さんがいろいろ飾り立てててくれてたの」
アレンさんがそう言って、順にメンバーたちを示していく。
文月さんは凛々しい顔立ちで、メイクをするとさらに刃みたいな危うい魅力を漂わせていた。
八代さんは口を開かなければ、男性から見てもかっこいいと思う、迫力がある男前だ。
神音は言うまでもないし、アレンさんにいたっては選ぶ職業を間違えている。
「……だけど、俺も?」
「当然でしょ。初ライブは代打だったし、響を必要以上に緊張させるといけないから、いたって質素にやったけど。今回は響もはじけてもらうからね~」
神音がとなりから肩に腕を回してきて、逃さないよとばかりに微笑みかけてきた。
「と言うわけですので、早速仕事をさせていただきましょう。まずは八代で手馴らし」
「おれは手馴らしかいな……ったく、口の悪い雇い主や」
聞けば逸美さんの店で八代さんは働いているのだそうだ。逸美さんはデザイナーで、自分のブランドを立ち上げていて、手先が器用なので久遠さんの代理に選ばれたんだそうだ。
ひとりずつ逸美さんの手で変身させてもらう間に、俺と神音が支度をはじめる。
午前中から会場入りしていたアレンさんたちと違い、俺たちは準備が整っていない。
衣装とかメイクをされる前に、神音はキーボードを触りに行き、俺はストレッチや発声練習をした。
早めに起きてアレンさんとマラソンは走ってきたけれど、本番までに時間が空いたいま、もう一度走っておきたい気分だった。
使いすぎると熱を持つ足のことを考えるとそれも出来ない。
大人しく衣装に着替えると、先にメイクを終えたアレンさんが俺に近づいてきて、何かを手渡してくれた。
「オレたちから、響くんへプレゼント。無事に今日を迎えられたお祝い」
「えっ……」
いつもと別人に見えるアレンさんが、変わらないウィンクをしてくれたので、少し安心した。
「これ……」
渡されたのはアームカバーみたいだ。片手分だけで、指の第二間接まで隠れる長さだ。
黒く染めた包帯を巻いたようにも見えて、ところどころわざと破いて、ほつれさせた部分があって、細いチェーンが全体を彩っている。
「八代が作ってくれたの。お守りになればなって思ってね」
アレンさんが俺の手から取り上げて、それを左手につけてくれた。
「……ありがとうございます」
いつの間にこんなものを用意してくれたんだろう。
八代さんの方を見ると、こちらも別人みたいに見える八代さんが気づいて、にやりと笑って手を振った。
「これに負けないくらいの仕事を、ステージ上でも期待してるよ、ヤッシー?」
「んなっ、よけい緊張するやん、やめてんか~っ」
アレンさんが八代さんに冗談めかして言うと、八代さんは頭を抱えてしまった。
せっかく整えたのに、と間髪入れず逸美さんに咎められて、八代さんは肩を落としてすごすご鏡の前に戻って行った。
ぷんすか怒る逸美さんが八代さんの手直しにかかる。
その時控室のドアが開いて、富岡さんが入ってきた。
「……あれ、義兄さん病院にいたんとちゃうん?」
鏡越しに声をかけた八代さんを見て、富岡さんは無表情のまま淡々と打ち明けた。
「女の子だった。久遠も子供も異常なし。わかったとたん久遠に蹴り飛ばされた。代わりにしっかりおまえたちの雄姿を撮ってこい、とな……」
「うわ~久遠さんらしい」
アレンさんが苦笑しながら声をもらし、他のメンバーもほっと息を吐き出してから笑った。
鏡の前の八代さんは、逸美さんに顔をしかめられるのも忘れて、突っ伏してしまった。
「……まったく。今回は専門に撮らせると言っているのに……」
いささか寝不足を滲ませた顔の富岡さんが、まだぶつぶつ呟いていた。最愛の妻には頭が上がらないのかもしれない。
「ところで準備は終わっているか」
ぐるりとメンバーを見回し、富岡さんが問いかけてくる。
「アレンと響はついて来い。挨拶に行くぞ」
俺はまだ衣装に着替え終わって、メイクの順番待ちだったけれど、富岡さんはアレンさんと俺を連れて歩き出した。
ライブはただ演奏して終わりではないらしい。狭い通路にだれが何の役割なのかわからないけれど、関係者が行き交って空気が張りつめていた。
オーナーやスタッフたちに挨拶に回る富岡さんについて、紹介されるたびに頭を下げて歩いた。
「よく覚えておけよ。人間どれだけ才能と実力があっても、ひとりで出来ることはたかが知れている。いつでも己を支えてくれる多くの人間がいることを胸に刻みつけろ」
控室に戻りながら富岡さんが背中越しに言う。
「……はい」
初顔となる俺のために連れて歩いてくれたのだ。目の前の背中に、身が引き締まる思いだった。
控室に入ると、ちょうど逸美さんが神音の準備を終えたところだった。
「さて、トリは響さん。お待たせ」
「あ、はいっ」
逸美さんに呼ばれて、慌てて駆け寄る。
左手のアームカバーを見て、逸美さんは目を輝かせた。
「いいよ、とてもお似合い。響さんにも、衣装にもね……さて、ここに座って目を閉じておくれ。他は何もしなくてよろしい」
「はい……お願いします」
言われた通りに座って、目を閉じる。
顔や頭の周りを流れるようななめらかな動作で、逸美さんの手が動き回っていた。
「神音さんと双子でも、やっぱりそれぞれ違いますなぁ」
話していいのかいけないのか迷って、結局沈黙していると、くすりと逸美さんが笑った気配がした。
「本業ではないのに熱中してしまう。君たちはみんな方向性は違うけれど、飾り立て甲斐があって、意欲を駆り立ててくれること」
しみじみと語りながら、鼻歌を歌いそうなくらい楽しそうに逸美さんは手を動かし続けた。
(ひぇ……くすぐったい……)
生まれてこのかたメイクしたことがないので、肌を撫でる感触に身悶えしそうだった。
俺のために作ってくれたから衣装を着るけれど、本音は衣装もメイクもどうだっていいと思っている。ただ歌えればいいし、よりよくしていこうと思うのは音楽で、見た目には感心がない。
こうなりたい理想像もないので、早く終わらないかなぁと思うばかりだ。
(平凡地味をどれだけこねくり回したって、みんなには敵わないってば)
延々と続く時間に耐えつつ、ため息をつきたい気持ちをこらえていると、逸美さんが手を叩いて終了を告げた。
「さっ、目を開いてごらんなさいな。われながらいい仕事。ほほ」
言われて目を開く。目の前に見知らぬ男性がいて、思わずのけ反った。
背後に立っている逸美さんが、鏡の中で苦笑した。
「……なに、驚くほど出来が酷い?」
「ち、違いますッ……え、えっ……これ俺ですか?」
逸美さんに言い訳しながらも、鏡の中の男性が俺と一緒に口を動かすのが気になった。
「うふふ……見違えた?」
「はい……本当に俺ですか」
「まだ言うの」
肩に手を置いた逸美さんが、口元に手を当てて笑いをこらえながら言った。
「神音さんと双子と言ってもねぇ……やはり顔立ちに差異があります。わたくしはプロではありませんので、各々の顔立ちの良いところを伸ばすメイクしかできません。響さんが見て驚くのならば、きっと響さんはご自分の長所を知らないのでしょう」
凛々しくも甘さのある、ぱっと見たら忘れられなくなるような顔立ちの男性が、鏡の中から俺を見返す。
(これが、俺の姿……? 嘘だろ)
よほど逸美さんの腕がよかったんだ。だってさっき見せてもらった雑誌に載っていた人たちに並んでも、劣らない姿に見えるんだから。
呆気に取られて身動きがとれない俺の背後で、アレンさんが両手を打ち鳴らした。
「さて、ステージで音合わせしよう」
みんなが別人みたいに見えるから、音を出すと本人だと確認できて安心してしまった。
最終調整も兼ねて演奏をし、各々確認していく。
合間のトークもお互いに確認しあって、本番の三十分前になったところで控室に戻る。
逸美さんが本番まで気になったところを直したり、追加していくのを見ながら、高まる緊張と興奮に体が熱くなってきた。
(樫部、来てくれるかな……)
はじめて経験する『i-CeL』単独のライブなのに、パニックは起きていない。
むしろ高揚した気分の中で、意識は落ち着いているようだ。
他のメンバーたちも、それぞれに本番までを過ごしている。
文月さんはまたギターを抱えて口を尖らせ、神音はあくびをしながら悠々とソファで雑誌を読んでいる。
八代さんは控室の角でぶつぶつ何か言い続けている。
「……何をしているんですか、八代さん」
「ん?」
神音のとなりに座りながら、向かいに座っていたアレンさんに聞く。スポーツドリンクを飲んでいたアレンさんが八代さんを見て、小さく笑った。
「ファミレスと同じこと。おれはやれるって言い続けるの」
「いつも?」
「だいたいね。他にも方法はあるんだけど、今回はあれみたいだね」
八代さんも苦労しているんだな、と思わず同情の視線を向けたところで、また富岡さんが入ってきた。
「時間だ」
メンバー全員が息を飲み、空気が張りつめた。立ち上がった俺たちを見て、最後に富岡さんの目が俺を捕える。
「響。おまえを今日、ここで見定める」
いつか須賀原に言った通り、俺を辞めさせることができるひとりに、挑むように視線を返しながら頷いた。
「神音じゃなくてよかったって、言わせてみせますよ。いい意味で」
そんな俺の肩に腕が回された。気がつくとアレンさんが全員を集めて円陣を組んでいた。
「『graduation』……! オレたちの演奏で、みんなを飛び立たせてやりましょうっ」
お互いの視線が絡み合う。
みんなの高まる心が見えるようで、俺自身も煽られて飛んでしまいそうだった。
神音が自信に輝く笑顔でにやりと笑い、文月さんが鋭い目つきで頷き、弱々しくも八代さんが引きつった笑顔を見せた。
アレンさんが全員を見て、声をかけた。
「行くぞっ」
おう、と声を上げて俺たちはステージに向かった。
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