我恋歌、君へ。(わがこいうた、きみへ。)

郁一

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第一章

31:終了後

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「終わった~」
 控室のソファにダイブしながら、神音が声を出した。
 俺もソファに座り、息を吐き出していた。
(……終わってしまったな……本当に)
 まだ体が火照って、鼓動が高鳴っているけれど、ステージ上で楽しかったあの時間は過ぎ去ってしまったのだ。
 少しだけ寂しさを感じながらも、それ以上の疲労感が体を重くしていた。
「はぁ~……アカンわ……まだ片づけ残っとるのに、動けんわ~」
 八代さんもソファに大の字にふんぞり返って、盛大に息を吐き出して言った。
 文月さんは鏡の前に座り、憂鬱そうにメイク落としのシートをつまんだまま、頬杖をついてため息をこぼしている。
 頼れるリーダーのアレンさんはどうだろう、と視線を向けると、文月さんの隣の椅子に座って、彼もまた頬杖をついていた。
「……終わった直後の、この倦怠感が……何度経験しても辛いよね……」
 どうやらさすがのリーダーも、いまは動けないらしい。
 全員が冷めやらぬ興奮と、疲労に包まれる控室のドアを開いて、富岡さんが入ってきた。
 メンバーを見渡すなり、眉間にしわが刻まれた。
「情けない」
 一言で一刀両断してくれたプロデューサーに、全員が揃って苦笑するしかなかった。
 それでも動かないメンバーに焦れたのか、富岡さんが眼鏡を指先で押し上げつつ切り出した。
「今後の話も聞きたいだろう。打ち上げに連れて行ってやるから、早く片付けて来い」
 この言葉に真っ先に反応したのは神音だった。
 ぴょんっ、と跳ね起きて、きらきら輝く目で富岡さんを見上げた。
「それって、食べに連れて行ってくれるってこと?」
「……未成年者がふたりもいればな。呑みにはさすがに連れて行けん」
 憮然と言った富岡さんの言葉が終わるかどうかのタイミングで、神音が万歳をした。
「やった~、カニが食べられる~ッ!」
「おい……だれがカニを食わせてやると言った?」
「カニ、カニ~♪」
「神音おまえな……たかが卒業記念ライブを成功させたくらいで、カニをねだるとはいい度胸だ」
 富岡さんの声は復活した神音には届かなかった。
 大好物を餌にされ、さっきまでの様子が嘘のように動きだした神音につられて、くたびれきっていたメンバーたちも、きびきびと動きだした。
「……響。来い」
 俺も着替えよう、とどうにか体を起こしたところで、富岡さんに手招きされた。
 もつれる足をどうにか動かして近づくと、親指で廊下を指しながら、富岡さんが体をずらした。
「客だ」
「え? ……あ、真柴」
 顔を廊下につきだして見ると、壁際に腕組みした真柴が立っていた。
 つい周囲を見回してしまった俺に気づいて、真柴が苦笑する。
「樫部なら先に帰ったぜ。これをおまえに渡して欲しいってさ」
「そっか……ありがと」
 真柴が差し出したのは半分に折られたメモ用紙だ。その場で開いて見ると、飛行機の便と日時が記されているだけだった。
(……樫部らしい)
 素っ気なさに彼らしさを感じて、ふっ、と口元に笑みが浮かんでくる。
 真柴は俺をじっと見ていたが、やがてため息をついて話し出した。
「……片平があんな風に歌えるなんてなぁ」
「え?」
 ほら、あの曲の時だよと真柴が顔をしかめた。
「スタンドマイク使って、すっげぇ色っぽく歌ってただろう。かっこよすぎて、樫部がとなりであれは片平だよな、と呆然としてたぜ」
 アレンさんが作詞して、練習中に悶絶してた曲のことかと気づいて、少しだけ恥ずかしくなる。
「うん……何かみんな変な反応してたな、とは気づいてたんだけど。そんなに普段と違ってた?」
 照れ臭くて頭をかきつつ聞いてみると、真柴が鼻で笑い飛ばした。
「別人だぜ、べ・つ・じ・ん! 周りにいた女子なんて、曲が終わったとたんに悲鳴みたいな歓声あげやがった。きっと中にはおまえを悪く言ってたやつだっているだろうによ」
「そ、そんなに別人って部分を強調しなくても……」
 ずいっと真柴が顔を近づけた。
 眼前に指先を突きつけてくる。
「ぽけぽけの片平を知ってる奴はみんな、自分の目で見たって、あれがおまえだったなんて信じられないと思うぜ」
「ひ、ひどいな」
「まぁ、衣装とメイクの効果も大きいだろうけどな」
「……真柴。俺に駄目だししに来たのかよ」
 けなされているような気がして、肩を落とした俺に、真柴は腕組みをしてまた鼻で笑う。
「ふんっ。先を越されて悔しがってる負け犬の遠吠えだ。軽くあしらえるようになれよ……絶対に追いついてみせるからな。覚悟しておけよ、片平」
「真柴……」
 俺の肩をとんと叩いて、真柴が不敵に笑った。
「あぁ。楽しみにしてる」
「言ったな」
 笑い合った後に、真柴がじゃあな、と片手を上げて帰って行った。
 その背中をしばらく見送ってから、控室に戻った。
 入口で待っていた富岡さんの前を通りすぎる時、俺は富岡さんに聞いてみた。
「俺はどうでしたか?」
 すると富岡さんは目を細めて、わずかに口元を微笑ませた。
「……急げよ『キョウ』。おまえだけ置いて行かれたくないだろう?」
 キョウと言うのはバンドメンバーとしての名前で、それはつまり、俺をメンバーのひとりと認めてくれたと言うことだろう。
「わっ、待っててくださいよっ」
 嬉しさが体に力を取り戻させてくれた。
「手伝います。何をしたらいいですか?」
 着替えとメイクを落とした後で、俺はアレンさんに声をかけた。
 一番大変そうだと思ったし、何よりもいままでメンバーのだれよりもお世話になっていると思うから。
 するとアレンさんは少しだけ申し訳なさそうな顔で、助かるよと笑った。
 文月さんいわく、最高新記録な早さで片づけを終えた一行は、神音の希望通りにカニ料理店に押しかけ、さんざん騒いだ後にアレンさんの実家に場所を移して、最終的にはやっぱり酒盛りになった。
「神音は未成年やろが~」
「これは水だよ~」
「……立派に日本酒です、神音」
 文月さんにお酒を取り上げられた神音が、不満そうに口を尖らせた。
 何だかんだで呑んで騒ぎ、今後の話とかうやむやのまま、富岡さんまでも巻き込んでの徹夜の酒盛りになった。
 俺は酒は飲まなかったけれど、やっぱり疲れていたんだと思う。
「あ~れ~、ひびき~起きてる?」
 神音にべちべち頭を叩かれた気がする。
「右足を父さんに診てもらおうと思ってたんだけどね……今日はもう寝かせてあげよう」
 酔った気配のないアレンさんの声の後で、何かがふんわりと体を包みこむ感触がした。
 そこまでが限界だった。
 安らかな暗闇に意識がゆっくりと沈んでいった。
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