48 / 81
第二章
我恋歌、君へ。第二部 16: 約束の感触
しおりを挟む
帰国まではアレンさんと、穏やかに観光をしたりお土産を買って過ごした。
最終日には俺がお礼の代わりに夕食を作り、豪華な料理でもなかったけど懐かしい味だと喜んで食べてもらえた。
「ああ~わたしも日本に帰りたくなったわ~。ダーリンに会いたい~!」
お母さんが地団駄を踏むのを、アレンさんとお兄さんがはいはい、と受け流している。
いつもこんな感じなんだよ、と後からアレンさんが苦笑していた。
そして帰国当日。
お兄さんが運転する車で空港へ送ってもらうことになって、お母さんとレイナさんとリナちゃん、それぞれに挨拶をした。
「また会いましょうね~ヒビキちゃん」
ちゅっと頬にお母さんがキスをしてくれたら、リナちゃんも真似してキスしてくれたのが可愛かった。
「騒がしかっただろう、ごめんな響君」
運転席からゆったりとお兄さんが謝ってくる。
「いえ、そんなことないです。突然押しかけたのによくしていただいて、本当にお世話になりました」
「そこは気にしなくていい」
お兄さんはあまり口数が多い方ではないから、そこで終わりかと思っていたらとんでもない発言が続いた。
「近い将来、義理の甥になる響君だ。いまから慣れてくれた方が助かる」
「……はい?」
いま何て言いました。
凍りついた俺の隣に座っていたアレンさんが、慌てたように身を乗り出して運転中のお兄さんに小声でまくしたてる。
早すぎて聞き取れなかったけど、それから兄さんはさらに口数が減ってしまった。
何となくいたたまれない空気になってしまった車内。
途中でアレクと暮らしたアパートに寄ってもらい、車から降りられた時はかなりほっとした。
管理人のエレナさんたちと別れの挨拶をして、再び車に乗り込んで空港まで。
俺たちを降ろしたお兄さんに窓を覗いてお礼を告げる。
「本当にありがとうございました」
「また来ておくれ。リナも響君が気に入ったみたいだから」
弟にも軽く手を振ってから、お兄さんが走り去っていく。
搭乗手続きを済ませて、出発を待っていると経験させてもらったいろんなことが、どっと蘇ってきた。
異国での夜、はじめて人と喧嘩したこと。
望んでいないけど女装してダンスを踊って、思わぬ告白をされて。
先輩歌手とバーで歌比べをしたり。
(大変だったけど、終わってみると充実してたんだなって思える)
他のメンバーたちは、離れていた間にどこで何をしているんだろう。
帰って会えたなら話を聞いてみたい。
待ち遠しい気持ちが強くなって、早く飛行機が飛び立たってくれないかな、と気が急いた。
「そう言えば、アレンさんもイギリスに行けと言われて来たんですか?」
「ううん。おまえは好きにしろって言われたよ。わかってるだろうからって」
アレンさんは別のバンドで活動していたことがある。約半年間を無駄にしないように過ごせとだけ言われたんだそうだ。
「いい機会だから家族と過ごしていたんだよ。いまは帰っていないけれど、途中は父さんも来ていたよ。ただユリエルがいろいろ問題を抱えていてね……」
「そう、ですか……」
何があった、と言わないし、俺も聞けなかった。
「ダンスに出たいと言われた時は迷ったけど、出て良かったよ。おかげで響くんの艶姿が見れた」
「だからそれは忘れてくださいとお願いしたはずですけど」
「オレは口止め料をまだもらっていませんよ」
「…………」
すっかり忘れていた。
でも右を見ても左を見ても、人がたくさんいるこんな場所でするわけにもいかない。
しかも何でキスなんだ。
「……恥ずかしながら告白しますと、俺は経験がありません」
テレビで見たことならある。
でもしたことはなくて。
この年になって誇れることじゃないとはわかるけど、正直に言うしかなかった。
アレンさんは髪をかきあげ、さらりと微笑むとそれきり何も言わなかった。
「響くんが富岡さんに呼ばれた後、他のメンバーたちもひとりずつ呼ばれて出て行ってね。オレが最後だったけれど、みんながどこへ行ったのかは教えてもらえなかったな」
さて日本に戻ってみたら、ふたりきりかもしれないね、とまるで違う話題を振ってくる。
アレンさんが何を考えているのか、よくわからない。
(……まぁ、いいか。なかったことにしてくれるのかも)
何でもない会話を交わしながら、アレンさんが見逃してくれるんだと思った。
やがて時間になり機内へ乗り込む。
来た時は不安が強すぎて、フライトを楽しむ余裕がぜんぜんなかった。
幼い頃に乗って以来の飛行機の旅を、帰りは存分に楽しみたかった。
あれこれ触って、広げてみせる俺を見ていたアレンさんが、やがて我慢できなくなったらしく笑いはじめた。
少しはしゃぎすぎたかな、と恥ずかしさをこらえつつ、飛び立った機内でシートベルトを外した。
日本までは遠く、フライト時間は長い。
映画を見終わっても、時間を確認してみるとまだまだ先は長かった。
「……アレンさん?」
機内は薄暗く、ほとんどの人が眠っているようだ。となりを見るとアレンさんも目を閉じていた。
(俺も眠れるかな)
眠りが浅い俺だけれど、アレンさんの家にお邪魔してからは、少し長く眠れるようになった。
追いかけられる夢も毎晩見ることはなくなったし、息苦しさを感じることもない。
帰国してからが勝負のはじまりなんだから、ちゃんと眠っておこうと上着を体にかけて目を閉じた。
静けさに包まれていると、時間の流れが少しずつあやふやになっていく。
どれくらい経っただろう。ようやくぼやけはじめた意識の中で、不意に何かを感じた。
(……え?)
はっきりと感じる前にそれは消えてしまったけれど。
(何だっけ……いまの……)
半分眠ったまま、何が起きたのか考えようとするけど、感触の儚さに夢を見ていたんだと思った。
「口止め料、確かにいただきました」
と囁く声が聞こえた気もするけど、それも夢だったのかもしれない。
なぜかその後にとても穏やかな心地に包まれて、俺は何の不安もなく眠れたのだった。
最終日には俺がお礼の代わりに夕食を作り、豪華な料理でもなかったけど懐かしい味だと喜んで食べてもらえた。
「ああ~わたしも日本に帰りたくなったわ~。ダーリンに会いたい~!」
お母さんが地団駄を踏むのを、アレンさんとお兄さんがはいはい、と受け流している。
いつもこんな感じなんだよ、と後からアレンさんが苦笑していた。
そして帰国当日。
お兄さんが運転する車で空港へ送ってもらうことになって、お母さんとレイナさんとリナちゃん、それぞれに挨拶をした。
「また会いましょうね~ヒビキちゃん」
ちゅっと頬にお母さんがキスをしてくれたら、リナちゃんも真似してキスしてくれたのが可愛かった。
「騒がしかっただろう、ごめんな響君」
運転席からゆったりとお兄さんが謝ってくる。
「いえ、そんなことないです。突然押しかけたのによくしていただいて、本当にお世話になりました」
「そこは気にしなくていい」
お兄さんはあまり口数が多い方ではないから、そこで終わりかと思っていたらとんでもない発言が続いた。
「近い将来、義理の甥になる響君だ。いまから慣れてくれた方が助かる」
「……はい?」
いま何て言いました。
凍りついた俺の隣に座っていたアレンさんが、慌てたように身を乗り出して運転中のお兄さんに小声でまくしたてる。
早すぎて聞き取れなかったけど、それから兄さんはさらに口数が減ってしまった。
何となくいたたまれない空気になってしまった車内。
途中でアレクと暮らしたアパートに寄ってもらい、車から降りられた時はかなりほっとした。
管理人のエレナさんたちと別れの挨拶をして、再び車に乗り込んで空港まで。
俺たちを降ろしたお兄さんに窓を覗いてお礼を告げる。
「本当にありがとうございました」
「また来ておくれ。リナも響君が気に入ったみたいだから」
弟にも軽く手を振ってから、お兄さんが走り去っていく。
搭乗手続きを済ませて、出発を待っていると経験させてもらったいろんなことが、どっと蘇ってきた。
異国での夜、はじめて人と喧嘩したこと。
望んでいないけど女装してダンスを踊って、思わぬ告白をされて。
先輩歌手とバーで歌比べをしたり。
(大変だったけど、終わってみると充実してたんだなって思える)
他のメンバーたちは、離れていた間にどこで何をしているんだろう。
帰って会えたなら話を聞いてみたい。
待ち遠しい気持ちが強くなって、早く飛行機が飛び立たってくれないかな、と気が急いた。
「そう言えば、アレンさんもイギリスに行けと言われて来たんですか?」
「ううん。おまえは好きにしろって言われたよ。わかってるだろうからって」
アレンさんは別のバンドで活動していたことがある。約半年間を無駄にしないように過ごせとだけ言われたんだそうだ。
「いい機会だから家族と過ごしていたんだよ。いまは帰っていないけれど、途中は父さんも来ていたよ。ただユリエルがいろいろ問題を抱えていてね……」
「そう、ですか……」
何があった、と言わないし、俺も聞けなかった。
「ダンスに出たいと言われた時は迷ったけど、出て良かったよ。おかげで響くんの艶姿が見れた」
「だからそれは忘れてくださいとお願いしたはずですけど」
「オレは口止め料をまだもらっていませんよ」
「…………」
すっかり忘れていた。
でも右を見ても左を見ても、人がたくさんいるこんな場所でするわけにもいかない。
しかも何でキスなんだ。
「……恥ずかしながら告白しますと、俺は経験がありません」
テレビで見たことならある。
でもしたことはなくて。
この年になって誇れることじゃないとはわかるけど、正直に言うしかなかった。
アレンさんは髪をかきあげ、さらりと微笑むとそれきり何も言わなかった。
「響くんが富岡さんに呼ばれた後、他のメンバーたちもひとりずつ呼ばれて出て行ってね。オレが最後だったけれど、みんながどこへ行ったのかは教えてもらえなかったな」
さて日本に戻ってみたら、ふたりきりかもしれないね、とまるで違う話題を振ってくる。
アレンさんが何を考えているのか、よくわからない。
(……まぁ、いいか。なかったことにしてくれるのかも)
何でもない会話を交わしながら、アレンさんが見逃してくれるんだと思った。
やがて時間になり機内へ乗り込む。
来た時は不安が強すぎて、フライトを楽しむ余裕がぜんぜんなかった。
幼い頃に乗って以来の飛行機の旅を、帰りは存分に楽しみたかった。
あれこれ触って、広げてみせる俺を見ていたアレンさんが、やがて我慢できなくなったらしく笑いはじめた。
少しはしゃぎすぎたかな、と恥ずかしさをこらえつつ、飛び立った機内でシートベルトを外した。
日本までは遠く、フライト時間は長い。
映画を見終わっても、時間を確認してみるとまだまだ先は長かった。
「……アレンさん?」
機内は薄暗く、ほとんどの人が眠っているようだ。となりを見るとアレンさんも目を閉じていた。
(俺も眠れるかな)
眠りが浅い俺だけれど、アレンさんの家にお邪魔してからは、少し長く眠れるようになった。
追いかけられる夢も毎晩見ることはなくなったし、息苦しさを感じることもない。
帰国してからが勝負のはじまりなんだから、ちゃんと眠っておこうと上着を体にかけて目を閉じた。
静けさに包まれていると、時間の流れが少しずつあやふやになっていく。
どれくらい経っただろう。ようやくぼやけはじめた意識の中で、不意に何かを感じた。
(……え?)
はっきりと感じる前にそれは消えてしまったけれど。
(何だっけ……いまの……)
半分眠ったまま、何が起きたのか考えようとするけど、感触の儚さに夢を見ていたんだと思った。
「口止め料、確かにいただきました」
と囁く声が聞こえた気もするけど、それも夢だったのかもしれない。
なぜかその後にとても穏やかな心地に包まれて、俺は何の不安もなく眠れたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】恋した君は別の誰かが好きだから
花村 ネズリ
BL
本編は完結しました。後日、おまけ&アフターストーリー随筆予定。
青春BLカップ31位。
BETありがとうございました。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
俺が好きになった人は、別の誰かが好きだからーー。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
二つの視点から見た、片思い恋愛模様。
じれきゅん
ギャップ攻め
心からの愛してる
マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。
全寮制男子校
嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります
※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください
ブレスレットが運んできたもの
mahiro
BL
第一王子が15歳を迎える日、お祝いとは別に未来の妃を探すことを目的としたパーティーが開催することが発表された。
そのパーティーには身分関係なく未婚である女性や歳の近い女性全員に招待状が配られたのだという。
血の繋がりはないが訳あって一緒に住むことになった妹ーーーミシェルも例外ではなく招待されていた。
これまた俺ーーーアレットとは血の繋がりのない兄ーーーベルナールは妹大好きなだけあって大いに喜んでいたのだと思う。
俺はといえば会場のウェイターが足りないため人材募集が貼り出されていたので応募してみたらたまたま通った。
そして迎えた当日、グラスを片付けるため会場から出た所、廊下のすみに光輝く何かを発見し………?
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
目線の先には。僕の好きな人は誰を見ている?
綾波絢斗
BL
東雲桜花大学附属第一高等学園の三年生の高瀬陸(たかせりく)と一ノ瀬湊(いちのせみなと)は幼稚舎の頃からの幼馴染。
湊は陸にひそかに想いを寄せているけれど、陸はいつも違う人を見ている。
そして、陸は相手が自分に好意を寄せると途端に興味を失う。
その性格を知っている僕は自分の想いを秘めたまま陸の傍にいようとするが、陸が恋している姿を見ていることに耐えられなく陸から離れる決意をした。
新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
※沢山のお気に入り登録ありがとうございます。深く感謝申し上げます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる