我恋歌、君へ。(わがこいうた、きみへ。)

郁一

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第二章

我恋歌、君へ。第二部 16: 約束の感触

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 帰国まではアレンさんと、穏やかに観光をしたりお土産を買って過ごした。
 最終日には俺がお礼の代わりに夕食を作り、豪華な料理でもなかったけど懐かしい味だと喜んで食べてもらえた。
「ああ~わたしも日本に帰りたくなったわ~。ダーリンに会いたい~!」
 お母さんが地団駄を踏むのを、アレンさんとお兄さんがはいはい、と受け流している。
 いつもこんな感じなんだよ、と後からアレンさんが苦笑していた。
 そして帰国当日。
 お兄さんが運転する車で空港へ送ってもらうことになって、お母さんとレイナさんとリナちゃん、それぞれに挨拶をした。
「また会いましょうね~ヒビキちゃん」
 ちゅっと頬にお母さんがキスをしてくれたら、リナちゃんも真似してキスしてくれたのが可愛かった。
「騒がしかっただろう、ごめんな響君」
 運転席からゆったりとお兄さんが謝ってくる。
「いえ、そんなことないです。突然押しかけたのによくしていただいて、本当にお世話になりました」
「そこは気にしなくていい」
 お兄さんはあまり口数が多い方ではないから、そこで終わりかと思っていたらとんでもない発言が続いた。
「近い将来、義理の甥になる響君だ。いまから慣れてくれた方が助かる」
「……はい?」
 いま何て言いました。
 凍りついた俺の隣に座っていたアレンさんが、慌てたように身を乗り出して運転中のお兄さんに小声でまくしたてる。
 早すぎて聞き取れなかったけど、それから兄さんはさらに口数が減ってしまった。
 何となくいたたまれない空気になってしまった車内。
 途中でアレクと暮らしたアパートに寄ってもらい、車から降りられた時はかなりほっとした。
 管理人のエレナさんたちと別れの挨拶をして、再び車に乗り込んで空港まで。
 俺たちを降ろしたお兄さんに窓を覗いてお礼を告げる。
「本当にありがとうございました」
「また来ておくれ。リナも響君が気に入ったみたいだから」
 弟にも軽く手を振ってから、お兄さんが走り去っていく。
 搭乗手続きを済ませて、出発を待っていると経験させてもらったいろんなことが、どっと蘇ってきた。
 異国での夜、はじめて人と喧嘩したこと。
 望んでいないけど女装してダンスを踊って、思わぬ告白をされて。
 先輩歌手とバーで歌比べをしたり。
(大変だったけど、終わってみると充実してたんだなって思える)
 他のメンバーたちは、離れていた間にどこで何をしているんだろう。
 帰って会えたなら話を聞いてみたい。
 待ち遠しい気持ちが強くなって、早く飛行機が飛び立たってくれないかな、と気が急いた。
「そう言えば、アレンさんもイギリスに行けと言われて来たんですか?」
「ううん。おまえは好きにしろって言われたよ。わかってるだろうからって」
 アレンさんは別のバンドで活動していたことがある。約半年間を無駄にしないように過ごせとだけ言われたんだそうだ。
「いい機会だから家族と過ごしていたんだよ。いまは帰っていないけれど、途中は父さんも来ていたよ。ただユリエルがいろいろ問題を抱えていてね……」
「そう、ですか……」
 何があった、と言わないし、俺も聞けなかった。
「ダンスに出たいと言われた時は迷ったけど、出て良かったよ。おかげで響くんの艶姿が見れた」
「だからそれは忘れてくださいとお願いしたはずですけど」
「オレは口止め料をまだもらっていませんよ」
「…………」
 すっかり忘れていた。
 でも右を見ても左を見ても、人がたくさんいるこんな場所でするわけにもいかない。
 しかも何でキスなんだ。
「……恥ずかしながら告白しますと、俺は経験がありません」
 テレビで見たことならある。
 でもしたことはなくて。
 この年になって誇れることじゃないとはわかるけど、正直に言うしかなかった。
 アレンさんは髪をかきあげ、さらりと微笑むとそれきり何も言わなかった。
「響くんが富岡さんに呼ばれた後、他のメンバーたちもひとりずつ呼ばれて出て行ってね。オレが最後だったけれど、みんながどこへ行ったのかは教えてもらえなかったな」
 さて日本に戻ってみたら、ふたりきりかもしれないね、とまるで違う話題を振ってくる。
 アレンさんが何を考えているのか、よくわからない。
(……まぁ、いいか。なかったことにしてくれるのかも)
 何でもない会話を交わしながら、アレンさんが見逃してくれるんだと思った。
 やがて時間になり機内へ乗り込む。
 来た時は不安が強すぎて、フライトを楽しむ余裕がぜんぜんなかった。
 幼い頃に乗って以来の飛行機の旅を、帰りは存分に楽しみたかった。
 あれこれ触って、広げてみせる俺を見ていたアレンさんが、やがて我慢できなくなったらしく笑いはじめた。
 少しはしゃぎすぎたかな、と恥ずかしさをこらえつつ、飛び立った機内でシートベルトを外した。
 日本までは遠く、フライト時間は長い。
 映画を見終わっても、時間を確認してみるとまだまだ先は長かった。
「……アレンさん?」
 機内は薄暗く、ほとんどの人が眠っているようだ。となりを見るとアレンさんも目を閉じていた。
(俺も眠れるかな)
 眠りが浅い俺だけれど、アレンさんの家にお邪魔してからは、少し長く眠れるようになった。
 追いかけられる夢も毎晩見ることはなくなったし、息苦しさを感じることもない。
 帰国してからが勝負のはじまりなんだから、ちゃんと眠っておこうと上着を体にかけて目を閉じた。
 静けさに包まれていると、時間の流れが少しずつあやふやになっていく。
 どれくらい経っただろう。ようやくぼやけはじめた意識の中で、不意に何かを感じた。
(……え?)
 はっきりと感じる前にそれは消えてしまったけれど。
(何だっけ……いまの……)
 半分眠ったまま、何が起きたのか考えようとするけど、感触の儚さに夢を見ていたんだと思った。
「口止め料、確かにいただきました」
 と囁く声が聞こえた気もするけど、それも夢だったのかもしれない。
 なぜかその後にとても穏やかな心地に包まれて、俺は何の不安もなく眠れたのだった。
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