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第二章
我恋歌、君へ。第二部 17: 再始動
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つくづく遠い場所にいたんだな、と腰をさすりながら痛感する。
「お疲れ様。腰が痛そうだけど大丈夫?」
「……何とか歩けます」
「座りっぱなしだったからね」
途中で飛行機を乗り継いで、ようやく日本に帰ってきた。
やった、と歓声を上げたいところだけど、体が言うことを聞かない。
アレンさんの言う通り、歩き回るわけにもいかない機内で長時間我慢していたつけが、足腰に溜まっている。
ぎこちなく動く足腰を庇いながら、どうにか手続きを終えてゲートを出ると、そこには思いもよらない人が立っていた。
「何でここにいるんですかっ!」
口から飛び出したのは必死で覚えた英語。
俺の反応を楽しそうにニヤニヤ笑って見ているのが、イギリスにいるはずのジュノさんだった。
「いい反応ありがとよ、ボケカス」
「……ぼけ、かすって……」
「本腰入れて扱いてやっから、覚悟しとけ」
「…………」
相変わらず皺くちゃのシャツを着ているジュノさんの隣には、きっちりシーツを着こんだ富岡さんが立っていたから、視線で説明を求めてみた。
「響の声を聞けば、こいつは絶対に食いつくと思った。案の定、おまえ専属のトレーナーにしろと言ってきたのでな。引き抜いた」
腕組みをしたまま、こちらも定番の無表情で淡々と説明してくれる。
懐かしいと言うべきか、変わらないと安心するべきか迷って、中途半端に相槌を打つだけにした。
その代わり、俺たちより先の便で日本に来ていたらしいジュノさんに向けて、
「俺のことダメだって言ったのに」
「んなこと言ってねぇよ。指導する側がおまえさんの方向性を見誤ったらダメだ、とは言ったかもしれんが」
いや言ってないよ、と食い下がるのもあきらめた。
とにかく俺を認めて、鍛えてくれるのならそれでいい。
日本の歌、それも女装をして歌うハンデがあったとは言え、ユリエルに勝てたのはジュノさんのおかげだと思っているから。
「……無茶苦茶な奴だが、腕はいい。信じてやってくれ」
「自信ないですけどね」
富岡さんがキレたことがあると言うジュノさん相手に、果たしてどれだけ耐えられるだろう。
行きとは違う不安を抱えたまま、富岡さんが運転する車で向かった先は、イギリスに出発する前に集められたビルだった。
てっきり神音と暮らすマンションに戻れると思っていた俺は、富岡さんに促され戸惑いながらビルの中に入る。
後からアレンさん、ジュノさんがのんびりとついてきた。
「積もる話は後で存分にしてくれ。時間が時間だけに、今晩は一曲あわせるだけで限界だな」
エレベーターに乗りこんだ富岡さんについて行った先は、高校卒業記念ライブに向けて練習を重ねた懐かしい場所とよく似たスタジオだった。
明りがついたそのスタジオには数人の姿が見える。
富岡さんがドアを開けると、音が溢れ出す。
(まさか……この音って)
うれしい予感に胸が高鳴る。
「待たせた」
たったそれだけ言葉を投げかけると、富岡さんはドアの前から移動して、俺たちを中に手招いた。
喜ぶのはまだ早い、とはやる気持ちを抑えながら中に入ると、明るいスタジオにいたのは予想通りの三人だった。
「神音、文月さん、八代さんっ!」
それぞれの楽器を手に、それぞれが笑顔になって手を振ってくれた。
「響、お帰り~」
「お久しぶりです、響君」
「よぅ、ずいぶん疲れてるようやけど、平気か?」
肩にかけていた荷物を壁際に置いて、彼らへ駆け寄った。
「みなさん、いままで何をしていたんです?いつから練習してたんですか?」
「まぁまぁ、落ち着きなさいな、響ちゃん。おれらも小一時間ほど前に到着したばかりやで」
「そうですよ。招集をかけた張本人の富岡さんが、ただ待っていろと言ったきり戻ってこないので、とりあえず音を出していたところです」
息せき切って質問する俺を八代さんが宥め、文月さんと状況説明してくれた。
「話は後だ。これで全員が揃っただろう。何でもいい、一曲あわせてみろ」
壁に背をつけ、様子を見ていた富岡さんがぶっきらぼうに促してきた。
最後に入ってきたジュノさんは、富岡さんの隣にしゃがんだ。同じく様子見をするつもりらしい。
こうなるとわかっていたのか、アレンさんは上着を脱いで、用意されていたセットの方へすたすた歩いて行く。
「響、何が歌いたい?」
久しぶりに見る片割れが、前より大人びた気がして不思議な気持ちになりながら、少し考える。
富岡さんは何でもいいと言っているけど、本当に何でもいいのか。
ちらっと壁際のジュノさんを見て、希望を固めた。
「最後にみんなで演奏した曲にしよう」
「了解~」
それぞれが位置に戻り、スタンバイする。
全員が集まって演奏したのは、卒業記念ライブを終えて間もなく、ただ一度きり。
(富岡さんが見たいのは、解散宣言前といまの違いだろうから、これが最善のはず)
ユリエルとの対決に備えて、軽く教わったジュノさんの指導を思い出しながら、はじまった演奏に集中する。
(……あれ?)
違和感が集中力を削る。
久しぶりに聞く仲間たちの音が、記憶の中にあるものと違って聞こえるんだ。
みんなは何も感じないのか、演奏が続いて俺も歌いだした。
長時間のフライトを耐えたばかりだし、ろくにウォーミングアップもしていないから、無理せず軽く歌を合わせただけだったんだけど、一瞬演奏が揺れた。
曲が終わって余韻が空気に溶けて消えるまで、奇妙な沈黙がスタジオを満たす。
言いたいことがあるのに、それを表す言葉が見つからないような感じ。
そんな中で一番に動き出したのは神音だった。
荷物置き場になった壁際へ駆け寄って、がさごそカバンを漁りノートを引っぱり出した。
なぜか笑いながら、ヤバイヤバイとくり返している。
「鳥肌立ってて、気持ち悪いよ~」
「……神音、大丈夫? 何か変だよ」
すごい勢いでノートに何か書きなぐる神音が、がばっと俺を振り向いた。
その顔が満面の笑みで、目が輝いている。
「ぼくは間違っていたよ、響! みんなを見誤ってた」
「それはおれらが足りてへんってことか?」
ベースを下げたまま、八代さんが会話に参加してくる。
「違うさ、みんなもわかったでしょ? 逆だよ、逆! 足りてないのはぼくだ。だから富岡さん、ぼくたちを解散させたんだ!」
ほとんど叫ぶみたいに言い終えると、興奮した様子でまたノートに書きつけていく。
「これまでの曲じゃ、足りなすぎる。そんな曲しか作れなかった、作ろうとしなかったぼくの落ち度だ。みんなの力を甘く見すぎてた。これでも足りないくらいなのに……どんどん出てくるよ、すごいのが!」
叫んだかと思うと、カバンをがしっと掴んで神音が立ち上がった。
「帰って作ってくる! また明日でいいかな」
富岡さんはすべてわかっていたらしい。神音の問いかけに無言のまま頷いて、神音はお疲れを言う間もなく飛び出して行った。
「…………」
あまりの勢いに呆気にとられたままの俺たちを、富岡さんが順に見て腕組みをした。
「おのおの、充実した休暇を過ごせたようだな」
「……あれが休暇ですか?」
文月さんがワンテンポ遅れた返事をした。
「そうだ。この先三年間は、ろくに休めないと思え。その前にゆっくりさせてやろうと思ったまでだ」
「ゆっくりやて? あんな無茶ぶりしといてからに」
八代さんが肩を落としてため息をつき、しみじみと呟く。
いったい八代さんには何があったんだろう。
不思議そうな俺に気づいて、八代さんがこの半年間どこで何をしていたのかを教えてくれた。
八代さんと文月さんは、それぞれニューヨークに放り出されたそうだ。
八代さんはかつてのバンド仲間が現地にいたから、彼の自宅に居候して、文月さんは現地で知り合った女性の家で暮らしてきたのだと言う。
「顔のいい男はやっぱ得するんやなぁ。おれにもそういう展開が欲しかったわ」
文月さんは素知らぬ顔を装っていたけど、少しだけ得意そうな様子だった。
演奏を合わせてみて文月さんの演奏はもちろん、八代さんの音が変わったことが一番強く感じた。
例えて言うなら、演歌歌手がミュージカル俳優に転向したような、物すごい変わりようだった。
悔しそうに泣いてるふりをしているけど、きっと現地でいろんな苦労をして、たくさん学んできたんだと思う。
(これから楽しみだな)
体は正直かなり疲れているけれど、明日からが楽しみで仕方がない。
このまま帰っても興奮して眠れないんじゃないかってくらい、わくわくする。
「どうする。再結成で文句はないか?」
富岡さんがひとりひとり見ながら、淡々と問いかけてくる。
俺たちはお互いの様子を確認したけど、もちろん別の答えがあるはずがないとわかってもいた。
全員が笑って、大きく頷いた。
富岡さんの宣言からはじまった突然の休暇と言う名の、スパルタ教育期間が終わって、休む間もなく俺たちは活動を再開した。
「昨夜も言った通り、どうしてもぼくの枠の中で作ってしまっていた。もうぼくたちはバンドをはじめたばかりのぼくたちじゃないのにね」
神音が一晩で作り上げた曲のデモをみんなに聞かせながら、反省したように少しトーンを落とした声で話している。
「特に響だよ。ぼくは一番響の力を見誤っていたよ。わかってるつもりで、わかっていなかった。何よりぼくが響の可能性を信じて、引き出さないといけなかったのに!」
「神音にそう言ってもらえるのはうれしいけど、これ……俺に歌えるかな」
まだ荒削りな生まれたての曲は、これまで覚えたどの『i-CeL』の曲よりも難易度が高く、歌いこなせるか自信がない。
「何言ってんの。響には頼もしい味方も増えたじゃないか。それにぼくや文月では絶対に歌えないくらいじゃないと、響には足りないんだよ。昨日それがわかった。一番大きな気づきだったね」
「……いや、おれもこれは自信持てへんわ……」
譜面を睨みつけて唸る八代さんに、珍しく渋面になっている文月さんが言葉を挟む。
「ヤッシーが自信を無くすのは毎回のことでしょう。しかし……確かにハードルが高いですね」
それきりじっと譜面を睨みつけ、文月さんが指を動かしはじめた。
「アレンも物足りなかったんじゃない?」
神音が最後にアレンさんを見て問いかける。
メンバーたちの反応を眺めていた様子のアレンさんは、にこりと笑った。
「いいや? オレはいつだって、どんな曲だろうと、だれと演奏をしようとも全力投入しているからね。ただ、神音も大人になったんだなと感動はしているね」
「何だよ、大人って……ぼくは十分大人だってば」
唇を尖らせる神音の姿と、イギリスで出会ったユリエルの姿が重なって、やっぱりふたりは似ているなと思った。
はじまりは文月さんと八代さんのふたりだった『i-CeL』。
神音が飛びこんで、アレンさん、最後に俺の順で新メンバーが加わって、神音から俺に歌い手が代わった。
これまで『i-CeL』に起きたどの変化よりも、今回は見た目にはわかりにくい変化だったけれど、劇的に俺たちを変えたと思う。
新曲の音合わせをした時、俺たちはみな、はじめて組んだような新鮮な驚きを味わうことになった。
ひとりひとりがそれぞれの成長をしたら、全体がこんなにも違ってくるのか、と驚きすぎて俺は歌を間違えたほどだ。
いまなら神音が興奮した理由がわかる。
富岡さんがなぜ俺たちを解散させたのかも。
「ところで神音はいままで何をしていたの?」
ただひとり、空白の半年間について情報のない神音が一瞬目を丸くした後、なぜか不貞腐れた様子になった。
「……教えない」
「え? 何で」
問いつめると神音が横を向いてしまった。
これは何を言っても教えてくれそうにないとわかって、俺は追及をあきらめたんだけど。
後になって、八代さんが富岡さんから情報を引き出してきてくれた。
神音はこの半年間、ひたすらいろんな業種のアルバイトをしていたらしい。
「自分だけ海外に行かせてもらえんかったから、拗ねてんのよ。やっぱガキだねぇ」
なんて八代さんが笑い飛ばしていた。
その背後に張本人が近づいていたことも知らないで。
警告が間に合わず、足払いを食らった八代さんが転倒して騒ぎになったのは、また別の話だ。
突然の解散宣言、そして再結成を果たせた激動の年が暮れて、新春。
まだ桜の蕾も固い季節に、俺たち『i-CeL』はシングル曲を発表し、メジャーデビューを果たした。
ここから新しい俺たちの物語がはじまる。
<第二章・完>
「お疲れ様。腰が痛そうだけど大丈夫?」
「……何とか歩けます」
「座りっぱなしだったからね」
途中で飛行機を乗り継いで、ようやく日本に帰ってきた。
やった、と歓声を上げたいところだけど、体が言うことを聞かない。
アレンさんの言う通り、歩き回るわけにもいかない機内で長時間我慢していたつけが、足腰に溜まっている。
ぎこちなく動く足腰を庇いながら、どうにか手続きを終えてゲートを出ると、そこには思いもよらない人が立っていた。
「何でここにいるんですかっ!」
口から飛び出したのは必死で覚えた英語。
俺の反応を楽しそうにニヤニヤ笑って見ているのが、イギリスにいるはずのジュノさんだった。
「いい反応ありがとよ、ボケカス」
「……ぼけ、かすって……」
「本腰入れて扱いてやっから、覚悟しとけ」
「…………」
相変わらず皺くちゃのシャツを着ているジュノさんの隣には、きっちりシーツを着こんだ富岡さんが立っていたから、視線で説明を求めてみた。
「響の声を聞けば、こいつは絶対に食いつくと思った。案の定、おまえ専属のトレーナーにしろと言ってきたのでな。引き抜いた」
腕組みをしたまま、こちらも定番の無表情で淡々と説明してくれる。
懐かしいと言うべきか、変わらないと安心するべきか迷って、中途半端に相槌を打つだけにした。
その代わり、俺たちより先の便で日本に来ていたらしいジュノさんに向けて、
「俺のことダメだって言ったのに」
「んなこと言ってねぇよ。指導する側がおまえさんの方向性を見誤ったらダメだ、とは言ったかもしれんが」
いや言ってないよ、と食い下がるのもあきらめた。
とにかく俺を認めて、鍛えてくれるのならそれでいい。
日本の歌、それも女装をして歌うハンデがあったとは言え、ユリエルに勝てたのはジュノさんのおかげだと思っているから。
「……無茶苦茶な奴だが、腕はいい。信じてやってくれ」
「自信ないですけどね」
富岡さんがキレたことがあると言うジュノさん相手に、果たしてどれだけ耐えられるだろう。
行きとは違う不安を抱えたまま、富岡さんが運転する車で向かった先は、イギリスに出発する前に集められたビルだった。
てっきり神音と暮らすマンションに戻れると思っていた俺は、富岡さんに促され戸惑いながらビルの中に入る。
後からアレンさん、ジュノさんがのんびりとついてきた。
「積もる話は後で存分にしてくれ。時間が時間だけに、今晩は一曲あわせるだけで限界だな」
エレベーターに乗りこんだ富岡さんについて行った先は、高校卒業記念ライブに向けて練習を重ねた懐かしい場所とよく似たスタジオだった。
明りがついたそのスタジオには数人の姿が見える。
富岡さんがドアを開けると、音が溢れ出す。
(まさか……この音って)
うれしい予感に胸が高鳴る。
「待たせた」
たったそれだけ言葉を投げかけると、富岡さんはドアの前から移動して、俺たちを中に手招いた。
喜ぶのはまだ早い、とはやる気持ちを抑えながら中に入ると、明るいスタジオにいたのは予想通りの三人だった。
「神音、文月さん、八代さんっ!」
それぞれの楽器を手に、それぞれが笑顔になって手を振ってくれた。
「響、お帰り~」
「お久しぶりです、響君」
「よぅ、ずいぶん疲れてるようやけど、平気か?」
肩にかけていた荷物を壁際に置いて、彼らへ駆け寄った。
「みなさん、いままで何をしていたんです?いつから練習してたんですか?」
「まぁまぁ、落ち着きなさいな、響ちゃん。おれらも小一時間ほど前に到着したばかりやで」
「そうですよ。招集をかけた張本人の富岡さんが、ただ待っていろと言ったきり戻ってこないので、とりあえず音を出していたところです」
息せき切って質問する俺を八代さんが宥め、文月さんと状況説明してくれた。
「話は後だ。これで全員が揃っただろう。何でもいい、一曲あわせてみろ」
壁に背をつけ、様子を見ていた富岡さんがぶっきらぼうに促してきた。
最後に入ってきたジュノさんは、富岡さんの隣にしゃがんだ。同じく様子見をするつもりらしい。
こうなるとわかっていたのか、アレンさんは上着を脱いで、用意されていたセットの方へすたすた歩いて行く。
「響、何が歌いたい?」
久しぶりに見る片割れが、前より大人びた気がして不思議な気持ちになりながら、少し考える。
富岡さんは何でもいいと言っているけど、本当に何でもいいのか。
ちらっと壁際のジュノさんを見て、希望を固めた。
「最後にみんなで演奏した曲にしよう」
「了解~」
それぞれが位置に戻り、スタンバイする。
全員が集まって演奏したのは、卒業記念ライブを終えて間もなく、ただ一度きり。
(富岡さんが見たいのは、解散宣言前といまの違いだろうから、これが最善のはず)
ユリエルとの対決に備えて、軽く教わったジュノさんの指導を思い出しながら、はじまった演奏に集中する。
(……あれ?)
違和感が集中力を削る。
久しぶりに聞く仲間たちの音が、記憶の中にあるものと違って聞こえるんだ。
みんなは何も感じないのか、演奏が続いて俺も歌いだした。
長時間のフライトを耐えたばかりだし、ろくにウォーミングアップもしていないから、無理せず軽く歌を合わせただけだったんだけど、一瞬演奏が揺れた。
曲が終わって余韻が空気に溶けて消えるまで、奇妙な沈黙がスタジオを満たす。
言いたいことがあるのに、それを表す言葉が見つからないような感じ。
そんな中で一番に動き出したのは神音だった。
荷物置き場になった壁際へ駆け寄って、がさごそカバンを漁りノートを引っぱり出した。
なぜか笑いながら、ヤバイヤバイとくり返している。
「鳥肌立ってて、気持ち悪いよ~」
「……神音、大丈夫? 何か変だよ」
すごい勢いでノートに何か書きなぐる神音が、がばっと俺を振り向いた。
その顔が満面の笑みで、目が輝いている。
「ぼくは間違っていたよ、響! みんなを見誤ってた」
「それはおれらが足りてへんってことか?」
ベースを下げたまま、八代さんが会話に参加してくる。
「違うさ、みんなもわかったでしょ? 逆だよ、逆! 足りてないのはぼくだ。だから富岡さん、ぼくたちを解散させたんだ!」
ほとんど叫ぶみたいに言い終えると、興奮した様子でまたノートに書きつけていく。
「これまでの曲じゃ、足りなすぎる。そんな曲しか作れなかった、作ろうとしなかったぼくの落ち度だ。みんなの力を甘く見すぎてた。これでも足りないくらいなのに……どんどん出てくるよ、すごいのが!」
叫んだかと思うと、カバンをがしっと掴んで神音が立ち上がった。
「帰って作ってくる! また明日でいいかな」
富岡さんはすべてわかっていたらしい。神音の問いかけに無言のまま頷いて、神音はお疲れを言う間もなく飛び出して行った。
「…………」
あまりの勢いに呆気にとられたままの俺たちを、富岡さんが順に見て腕組みをした。
「おのおの、充実した休暇を過ごせたようだな」
「……あれが休暇ですか?」
文月さんがワンテンポ遅れた返事をした。
「そうだ。この先三年間は、ろくに休めないと思え。その前にゆっくりさせてやろうと思ったまでだ」
「ゆっくりやて? あんな無茶ぶりしといてからに」
八代さんが肩を落としてため息をつき、しみじみと呟く。
いったい八代さんには何があったんだろう。
不思議そうな俺に気づいて、八代さんがこの半年間どこで何をしていたのかを教えてくれた。
八代さんと文月さんは、それぞれニューヨークに放り出されたそうだ。
八代さんはかつてのバンド仲間が現地にいたから、彼の自宅に居候して、文月さんは現地で知り合った女性の家で暮らしてきたのだと言う。
「顔のいい男はやっぱ得するんやなぁ。おれにもそういう展開が欲しかったわ」
文月さんは素知らぬ顔を装っていたけど、少しだけ得意そうな様子だった。
演奏を合わせてみて文月さんの演奏はもちろん、八代さんの音が変わったことが一番強く感じた。
例えて言うなら、演歌歌手がミュージカル俳優に転向したような、物すごい変わりようだった。
悔しそうに泣いてるふりをしているけど、きっと現地でいろんな苦労をして、たくさん学んできたんだと思う。
(これから楽しみだな)
体は正直かなり疲れているけれど、明日からが楽しみで仕方がない。
このまま帰っても興奮して眠れないんじゃないかってくらい、わくわくする。
「どうする。再結成で文句はないか?」
富岡さんがひとりひとり見ながら、淡々と問いかけてくる。
俺たちはお互いの様子を確認したけど、もちろん別の答えがあるはずがないとわかってもいた。
全員が笑って、大きく頷いた。
富岡さんの宣言からはじまった突然の休暇と言う名の、スパルタ教育期間が終わって、休む間もなく俺たちは活動を再開した。
「昨夜も言った通り、どうしてもぼくの枠の中で作ってしまっていた。もうぼくたちはバンドをはじめたばかりのぼくたちじゃないのにね」
神音が一晩で作り上げた曲のデモをみんなに聞かせながら、反省したように少しトーンを落とした声で話している。
「特に響だよ。ぼくは一番響の力を見誤っていたよ。わかってるつもりで、わかっていなかった。何よりぼくが響の可能性を信じて、引き出さないといけなかったのに!」
「神音にそう言ってもらえるのはうれしいけど、これ……俺に歌えるかな」
まだ荒削りな生まれたての曲は、これまで覚えたどの『i-CeL』の曲よりも難易度が高く、歌いこなせるか自信がない。
「何言ってんの。響には頼もしい味方も増えたじゃないか。それにぼくや文月では絶対に歌えないくらいじゃないと、響には足りないんだよ。昨日それがわかった。一番大きな気づきだったね」
「……いや、おれもこれは自信持てへんわ……」
譜面を睨みつけて唸る八代さんに、珍しく渋面になっている文月さんが言葉を挟む。
「ヤッシーが自信を無くすのは毎回のことでしょう。しかし……確かにハードルが高いですね」
それきりじっと譜面を睨みつけ、文月さんが指を動かしはじめた。
「アレンも物足りなかったんじゃない?」
神音が最後にアレンさんを見て問いかける。
メンバーたちの反応を眺めていた様子のアレンさんは、にこりと笑った。
「いいや? オレはいつだって、どんな曲だろうと、だれと演奏をしようとも全力投入しているからね。ただ、神音も大人になったんだなと感動はしているね」
「何だよ、大人って……ぼくは十分大人だってば」
唇を尖らせる神音の姿と、イギリスで出会ったユリエルの姿が重なって、やっぱりふたりは似ているなと思った。
はじまりは文月さんと八代さんのふたりだった『i-CeL』。
神音が飛びこんで、アレンさん、最後に俺の順で新メンバーが加わって、神音から俺に歌い手が代わった。
これまで『i-CeL』に起きたどの変化よりも、今回は見た目にはわかりにくい変化だったけれど、劇的に俺たちを変えたと思う。
新曲の音合わせをした時、俺たちはみな、はじめて組んだような新鮮な驚きを味わうことになった。
ひとりひとりがそれぞれの成長をしたら、全体がこんなにも違ってくるのか、と驚きすぎて俺は歌を間違えたほどだ。
いまなら神音が興奮した理由がわかる。
富岡さんがなぜ俺たちを解散させたのかも。
「ところで神音はいままで何をしていたの?」
ただひとり、空白の半年間について情報のない神音が一瞬目を丸くした後、なぜか不貞腐れた様子になった。
「……教えない」
「え? 何で」
問いつめると神音が横を向いてしまった。
これは何を言っても教えてくれそうにないとわかって、俺は追及をあきらめたんだけど。
後になって、八代さんが富岡さんから情報を引き出してきてくれた。
神音はこの半年間、ひたすらいろんな業種のアルバイトをしていたらしい。
「自分だけ海外に行かせてもらえんかったから、拗ねてんのよ。やっぱガキだねぇ」
なんて八代さんが笑い飛ばしていた。
その背後に張本人が近づいていたことも知らないで。
警告が間に合わず、足払いを食らった八代さんが転倒して騒ぎになったのは、また別の話だ。
突然の解散宣言、そして再結成を果たせた激動の年が暮れて、新春。
まだ桜の蕾も固い季節に、俺たち『i-CeL』はシングル曲を発表し、メジャーデビューを果たした。
ここから新しい俺たちの物語がはじまる。
<第二章・完>
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