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第三章
我恋歌、君へ。第三部:6 心配と企み
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雨が降りだしたのも突然ならば、止むのも突然だった。
冷めた昼食と共にメンバーのところへ帰りつけたのは、買い出しに出かけてから二時間も経っていた。
受け取ったメンバーたちは、まず俺たちの濡れ具合に目を丸くして、食べるより先だとよってたかってシャワールームに押し込まれた。
もわもわ湯気が上がる熱い湯を浴びながら、心地よさに目を細める。じんわり指先が熱く感じるのは、それだけ体が冷えていたってこと。夏の手前だけど、雨に濡れたまま時間を過ごしている間に予想以上に体温を奪われていたようだ。
(あー……このまま、さっきの出来事も水に流れて消えてくれたらいいのにな)
もやもやした熱と羞恥心がまだ体に残っている。すべてお湯と一緒に流れてくれないかと、頭からひたすらシャワーを浴び続ける。
となりで同じくシャワーを浴びていたアレンさんが、先に出て行く音が聞こえた。
(ちゃんと温まったのかな……)
あれから帰りつくまで、アレンさんとはほとんど会話がない。いつもなら何気ない会話でもしてくれる人なのに。
(……謝らないと……)
機嫌を損ねてしまった、と落ち込んでいるのだけれど、かけるべき言葉を思いつけない。
このままシャワールームにこもっていたいと言うのが本音だけど、そう言うわけにもいかない。
息をひとつ吐き出して、シャワーを止めた。
体を拭いて楽屋に戻ると、乾いた服を神音が持ってきてくれた。厚手のパーカーを最後に羽織り着膨れした状態で、おやつ代わりになってしまったカレーを全員揃って食べた。
リハーサルを再開したものの俺は集中できなかった。
ただリハーサル中に気になった点をアレンさんに伝えると、いつも通りににっこり笑って頷いてくれたから、怒ってはいないようで少し安心できた。
楽屋に戻ると、やっぱりちょっと距離感があったけれど。
落ち込んでいようと、笑っていようとお客さんには関係がないこと。時間は待ってくれないんだから、と翌日は気合いを入れ直して本番を待った。
「お願いします!」
いつもなら号令をかけてくれるアレンさんが、円陣を組んだまま無言で手を重ね、メンバーたちと手を打ち鳴らしてステージへ向かった。
その背中に少しだけ不安を感じながらも、ステージに上がってしまえばすべて忘れてしまう。
ただ今夜はいつもより、ライブがあって良かったと思った。
疲れてしまえば、何も考えずに眠れるから。
(そう……俺もアレンさんも、ちょっと疲れただけなんだ)
ツアーは残りわずか。
みんなが俺たちに審判を下す日は、もうすぐだ。
横浜での公演を前にホテルで一日の休みがもらえた。
どこに行ってもいいけど、必ず夕方からのライブまでには戻ってくることと言う条件付きながら、久しぶりの休みにメンバーたちはうれしそうだ。
昼過ぎ早々にチェックインを済ませ、各自が好きなように休暇へくり出していく中、俺はアレンさんと八代さんの部屋に向かった。
「あれ響、どこ行くの?」
伸びをしていた神音が不思議そうに首を傾けるのへ、うん、と中途半端に答えてからアレンさんたちの部屋のドアをノックした。
しばらく待っても返事がないから、アレンさんもどこかへ出掛けてしまったのだろうかと思った。
背後で大人しく待っていた神音も痺れを切らしたようで、俺の服を引っ張った。
「せっかくなんだから、どこかへ行こうよ……」
神音が言い終わる直前、ドアが開いてアレンさんが顔を見せた。
そのとたん、俺たちもそしてアレンさんも目を見開いて言葉を見失った。
「……あ、アレン、具合が悪いのっ!?」
最初に立ち直ったのは神音で、ひっくり返った声を出した。
ドアにもたれるようにして立っていたアレンさんは、目を開くのも辛そうな様子だったのに、俺たちの姿を見て平気そうな表情をしてみせた。
ただその上気した顔をごまかすことはできていない。
「……ちょっと疲れただけだよ。心配いらない」
「強がり言ってる場合なの? ほら、さっさとベッドに戻って! 八代はどうして気づかなかったんだよ」
神音がアレンさんの背中を押して歩かせる。
俺も部屋の中に入って、アレンさんたちを追いかけた。
ベッドに腰かけたアレンさんは、あきらめたように深く息を吐き出す。
「オレが八代より遅く部屋に入って、八代が先に出掛けるように仕向けたから……怒らないであげて、神音……」
「あのね……アレンも意地張ってないで、しっかり伝えろよ」
神音がぷりぷり怒りながらも、アレンの肩を押して寝ろと促している。
苦笑しながらも観念した様子のアレンさんがベッドに横たわる。体が重いのか、そっと息を吐き出した姿を見ると、本調子とは程遠いのだとわかる。
赤く色づいた白い額に手を載せた。
(……熱い……)
潤んだ目で俺を見上げたアレンさんは、弱々しく首を振って俺から離れようとする。
「響くんにうつしたら困るから……ゴホッ」
ちらっと神音が横目で俺を見ると、さりげなく俺とアレンさんの間に体を入れて、アレンさんから遠ざける。
「この間、雨に濡れた時に風邪をひいたんだね。あと少しだって言うのに……困ったな」
「……寝れば治る、よ」
「そんな赤い顔してて、信じられるもんか。とりあえず富岡と松木さんには連絡しとくから」
俺だって心配しているし、いつも助けてもらった相手なのだから、こんな時くらい頼りにしてもらいたいのに。
「……薬とか、買いに行ってくるよ」
「うん、よろしくね」
ふたりが出来るだけ俺を遠ざけようとしているから、居たたまれなくなって不満を抱えながら歩きだした。
病院の外来はすでに受付が終わっている時間だったから、とりあえずドラッグストアで見繕うしかない。
電話する神音とアレンさんに見送られ、部屋を出た。
(……そう言えばあの時、アレンさんは入口に近いところに立ってた。俺よりも濡れていたのかもしれない)
突然の雨に足止めをくらった不思議な時間を思い出すと、いまも胸がドキッと脈打つけど、冷静に思い出して気づく。
濡れた服のまま風が強く当たる入口側に立っていたアレンさんの方が、ずいぶんと体温を奪われて冷えていたんじゃないかって、いまになって思い当たるなんて。
(アレンさんが俺を奥に押しこんだのは、俺を庇ったからなんだ……)
罪悪感に胸がしめつけられる。
いままでアレンさんに助けられたことは数多くあるのに、今回もまた助けられてしまった。
(今度こそ俺がアレンさんの助けになりたい)
俺は守られてばかりじゃない。仲間たちのために、できることだってあるはずだ。
とにかく今はアレンさんの看病を、と薬から冷却シートと水分補給のドリンクや、食べられそうなお粥のパックやゼリーなどを買い込んでホテルに戻る。
「お帰り。買い出し、ありがとね」
ベッドに寝ているアレンさんのすぐ横に椅子を置いて見ていた神音が、俺に気づくとため息をついた。
「まったく、アレンったら……熱があるってのに大人しく寝てくれないんだから。見張ってなかったら響の後を追いかけてたね」
「そんな……駄目ですよ、寝ていないと」
買ってきたものをテーブルに出しながらアレンさんを見ると、目を閉じていたアレンさんが寝返りを打って顔を隠してしまった。
「拗ねてるよ」
「……拗ねてない」
ぼそっとアレンさんが言い返すのがおかしくて、思わずくすっと笑ってしまった。
簡易体温計をアレンさんに手渡し、とりあえずどの程度の熱なのかを測ってもらった。
「……寝て治る、かな?」
神音とふたり体温計の数値を見ながら、呆然と呟くほどに高熱だった。
アレンさんが自分で言っていた通り、ツアーの疲れがたまっていたのも影響したんだと思う。
「いいから……ふたりは休み、楽しんでおいで……オレのことはもういいから」
ありがとうと弱々しく言うアレンさんが起き上がろうとするので、俺は首を振ってベッドに押し戻した。
「駄目ですってば。俺はアレンさんのそばにいます」
「ぼくもついててあげるから。アレンはとにかく明日までに熱を下げることだけ考えててよ」
「……まいったな……」
年下組ふたりに重ねて言われて、アレンさんは苦笑した後で抵抗するのをやめた。
富岡さんから神音へ何度か連絡が入り、部屋から出て会話する神音の背中を見送る。
力なく乾いた咳を時々こぼしながら、アレンさんは大人しく眠っている。
「そう言えば、文月さんが持って来てくれた加湿機があった。取りに戻るよ」
「いいね、それ」
電話を終えて戻ってきた神音に任せて部屋を出るつもりが、眠っているアレンさんを確認して神音も一緒についてきた。
「やっぱり明日は予定通りに行うってさ。万が一、アレンが出演できそうにない場合を考えて、富岡が手を打ってくれてる」
「うん……わかった、ありがとう」
アレンさんに聞かれたくなかったから、神音が外に出てきたのだとわかった。
宿泊する部屋に戻って、文月さんが肌のためと言って持ち込んでいた加湿機を持ち上げる。
本当は俺が喉を痛めないように、気を遣って持って来てくれたものだ。
(お借りします、文月さん)
加湿機を持って神音とアレンさんの元へ戻ると、出掛けていたはずの八代さんと文月さんが戻ってきていた。
「あれ、お二人とも帰ってきたんですか?」
驚いて声をあげると、八代さんがにかっと笑って頷いた。
「様子がおかしいと思っとったんやけどな。意地っ張りやから認めへんやろと、ダイと一緒に遊びに行くふりをしたんや。響ちゃんが気づいてくれたんやて? ありがとなぁ」
「いえ……」
たいしたことは何もしていない。お礼を言われるほどじゃないのに、と思いながら加湿機をベッドサイドに置こうとしたら、文月さんが静かに言った。
「しかし、なぜ響君はこの部屋に? 何か用事でも?」
「っ、え……あの、そうでもなくて……あ、そうだ。これお借りしますね、文月さん」
「それは構いません……それで……」
加湿器のお礼を言って誤魔化そうとしたけれど、文月さんは首を傾げて追及をやめようとしなかった。
(雨宿りの時にアレンさんの機嫌を損ねてしまったかもしれないから、謝りに来たなんて……言えない)
あれからどことなくぎこちなかったアレンさんと、少し話がしたかったのだ。
もしかしたらアレンさんはずっと体調が良くなかったのかもしれないと、いまになって思い至る。
助け舟を出してくれたのは八代さんだった。
「まぁまぁ、病人の枕もとで長話するもんやないで。みんなは外に行ってきな。アレンの看病はおれがするで心配いらん」
「……でも……」
八代さんがきりっと表情を引き締めると、俺を指さしてきっぱりと言った。
「絶対に響ちゃんには任せられへん。頼りにならんわけやないで。おれらと違って、代役がおらんからや。アレンが気に病んで、休むに休めんやろしな……おれはアレンと年が近いし、物を頼みやすいやろ? だからおれに任せとき」
「……はい……お願いします、八代さん」
ここまで言われてしまっては、看病をしたいとは言えなくなってしまった。
買ってきた物が何で、どこにあるかを伝えて、最後に眠っているアレンさんを見てから部屋を出る。
「そんなに落ち込まないでください、響君」
俺の様子に見かねたのか、文月さんが肩を叩いてなぐさめてくれた。
「俺はアレンさんにたくさん迷惑をかけて、助けてもらったから、アレンさんが困っている時は助けになりたかったんです……だけど、俺はいまがその時だと思うのに、役に立てなくて……」
左右に立つ文月さんと神音が、顔を見合わせて何かを伝えあう気配がする。
「とりあえず、何か食べに行こう」
いつもの神音らしく、そう言って背中を押されて歩き出した。
どこに行くのかわからないまま、文月さんも一緒にエレベーターへ乗り込んだ。
ロビーは明るい日差しが降り注ぎ、観光シーズンだからか平日なのに宿泊者も多いようで、あちこちでくつろいでいる。
その楽しそうな雰囲気を見て、アレンさんが元気だったら同じように笑ってくれていたのかな、と考えてしまう。
「こんな時に言うのも何だけど。響が落ち込む必要はないんじゃない? ほら、前から考えてたこと、明日実行に移せばいいよ。あれは十分響にしかできないことだし、アレンの助けにもなると思うなぁ」
呑気なふりを装って、頭の後ろで手を組み歩いていた神音が、ホテルを出る時にいたずら坊主のように笑って言った。
背後にいた文月さんが首を傾げている。
「前から考えていたとは何のことです、神音」
文月さんの問いかけに振り向いた神音が、にやりと笑う。
「富岡には許可もらった。少なくとも一曲分はアレンの負担が減り、響の真価も伝わる素晴らしいアイディアさ」
「……もっと詳しく教えてください」
怪訝そうな文月さんと、ファミレスに入り遅めの昼食をとりながら作戦を打ち明けた。
主に話したのは神音だったけど、聞いていく間に少しずつ文月さんの表情が明るくなって、最後は楽しそうに目を輝かせてくれた。
「では僕は周辺で借りられそうな場所がないか探して来ます」
「頼むよ。でもくれぐれも年長組には秘密にしておいて」
驚かしてやりたいからさ、と陽気に手を振る神音へ、文月さんが親指を立てて見せ、任せておけと頷いてから店を出て行った。
「さて、ぼくたちも為すべきことを為しましょう」
神音がスマフォを取り出し、俺はテーブルに置かれていた、お客様の声を記入するハガキを一枚もらい、余白を探しては思いつくキーワードを書きだしていった。
冷めた昼食と共にメンバーのところへ帰りつけたのは、買い出しに出かけてから二時間も経っていた。
受け取ったメンバーたちは、まず俺たちの濡れ具合に目を丸くして、食べるより先だとよってたかってシャワールームに押し込まれた。
もわもわ湯気が上がる熱い湯を浴びながら、心地よさに目を細める。じんわり指先が熱く感じるのは、それだけ体が冷えていたってこと。夏の手前だけど、雨に濡れたまま時間を過ごしている間に予想以上に体温を奪われていたようだ。
(あー……このまま、さっきの出来事も水に流れて消えてくれたらいいのにな)
もやもやした熱と羞恥心がまだ体に残っている。すべてお湯と一緒に流れてくれないかと、頭からひたすらシャワーを浴び続ける。
となりで同じくシャワーを浴びていたアレンさんが、先に出て行く音が聞こえた。
(ちゃんと温まったのかな……)
あれから帰りつくまで、アレンさんとはほとんど会話がない。いつもなら何気ない会話でもしてくれる人なのに。
(……謝らないと……)
機嫌を損ねてしまった、と落ち込んでいるのだけれど、かけるべき言葉を思いつけない。
このままシャワールームにこもっていたいと言うのが本音だけど、そう言うわけにもいかない。
息をひとつ吐き出して、シャワーを止めた。
体を拭いて楽屋に戻ると、乾いた服を神音が持ってきてくれた。厚手のパーカーを最後に羽織り着膨れした状態で、おやつ代わりになってしまったカレーを全員揃って食べた。
リハーサルを再開したものの俺は集中できなかった。
ただリハーサル中に気になった点をアレンさんに伝えると、いつも通りににっこり笑って頷いてくれたから、怒ってはいないようで少し安心できた。
楽屋に戻ると、やっぱりちょっと距離感があったけれど。
落ち込んでいようと、笑っていようとお客さんには関係がないこと。時間は待ってくれないんだから、と翌日は気合いを入れ直して本番を待った。
「お願いします!」
いつもなら号令をかけてくれるアレンさんが、円陣を組んだまま無言で手を重ね、メンバーたちと手を打ち鳴らしてステージへ向かった。
その背中に少しだけ不安を感じながらも、ステージに上がってしまえばすべて忘れてしまう。
ただ今夜はいつもより、ライブがあって良かったと思った。
疲れてしまえば、何も考えずに眠れるから。
(そう……俺もアレンさんも、ちょっと疲れただけなんだ)
ツアーは残りわずか。
みんなが俺たちに審判を下す日は、もうすぐだ。
横浜での公演を前にホテルで一日の休みがもらえた。
どこに行ってもいいけど、必ず夕方からのライブまでには戻ってくることと言う条件付きながら、久しぶりの休みにメンバーたちはうれしそうだ。
昼過ぎ早々にチェックインを済ませ、各自が好きなように休暇へくり出していく中、俺はアレンさんと八代さんの部屋に向かった。
「あれ響、どこ行くの?」
伸びをしていた神音が不思議そうに首を傾けるのへ、うん、と中途半端に答えてからアレンさんたちの部屋のドアをノックした。
しばらく待っても返事がないから、アレンさんもどこかへ出掛けてしまったのだろうかと思った。
背後で大人しく待っていた神音も痺れを切らしたようで、俺の服を引っ張った。
「せっかくなんだから、どこかへ行こうよ……」
神音が言い終わる直前、ドアが開いてアレンさんが顔を見せた。
そのとたん、俺たちもそしてアレンさんも目を見開いて言葉を見失った。
「……あ、アレン、具合が悪いのっ!?」
最初に立ち直ったのは神音で、ひっくり返った声を出した。
ドアにもたれるようにして立っていたアレンさんは、目を開くのも辛そうな様子だったのに、俺たちの姿を見て平気そうな表情をしてみせた。
ただその上気した顔をごまかすことはできていない。
「……ちょっと疲れただけだよ。心配いらない」
「強がり言ってる場合なの? ほら、さっさとベッドに戻って! 八代はどうして気づかなかったんだよ」
神音がアレンさんの背中を押して歩かせる。
俺も部屋の中に入って、アレンさんたちを追いかけた。
ベッドに腰かけたアレンさんは、あきらめたように深く息を吐き出す。
「オレが八代より遅く部屋に入って、八代が先に出掛けるように仕向けたから……怒らないであげて、神音……」
「あのね……アレンも意地張ってないで、しっかり伝えろよ」
神音がぷりぷり怒りながらも、アレンの肩を押して寝ろと促している。
苦笑しながらも観念した様子のアレンさんがベッドに横たわる。体が重いのか、そっと息を吐き出した姿を見ると、本調子とは程遠いのだとわかる。
赤く色づいた白い額に手を載せた。
(……熱い……)
潤んだ目で俺を見上げたアレンさんは、弱々しく首を振って俺から離れようとする。
「響くんにうつしたら困るから……ゴホッ」
ちらっと神音が横目で俺を見ると、さりげなく俺とアレンさんの間に体を入れて、アレンさんから遠ざける。
「この間、雨に濡れた時に風邪をひいたんだね。あと少しだって言うのに……困ったな」
「……寝れば治る、よ」
「そんな赤い顔してて、信じられるもんか。とりあえず富岡と松木さんには連絡しとくから」
俺だって心配しているし、いつも助けてもらった相手なのだから、こんな時くらい頼りにしてもらいたいのに。
「……薬とか、買いに行ってくるよ」
「うん、よろしくね」
ふたりが出来るだけ俺を遠ざけようとしているから、居たたまれなくなって不満を抱えながら歩きだした。
病院の外来はすでに受付が終わっている時間だったから、とりあえずドラッグストアで見繕うしかない。
電話する神音とアレンさんに見送られ、部屋を出た。
(……そう言えばあの時、アレンさんは入口に近いところに立ってた。俺よりも濡れていたのかもしれない)
突然の雨に足止めをくらった不思議な時間を思い出すと、いまも胸がドキッと脈打つけど、冷静に思い出して気づく。
濡れた服のまま風が強く当たる入口側に立っていたアレンさんの方が、ずいぶんと体温を奪われて冷えていたんじゃないかって、いまになって思い当たるなんて。
(アレンさんが俺を奥に押しこんだのは、俺を庇ったからなんだ……)
罪悪感に胸がしめつけられる。
いままでアレンさんに助けられたことは数多くあるのに、今回もまた助けられてしまった。
(今度こそ俺がアレンさんの助けになりたい)
俺は守られてばかりじゃない。仲間たちのために、できることだってあるはずだ。
とにかく今はアレンさんの看病を、と薬から冷却シートと水分補給のドリンクや、食べられそうなお粥のパックやゼリーなどを買い込んでホテルに戻る。
「お帰り。買い出し、ありがとね」
ベッドに寝ているアレンさんのすぐ横に椅子を置いて見ていた神音が、俺に気づくとため息をついた。
「まったく、アレンったら……熱があるってのに大人しく寝てくれないんだから。見張ってなかったら響の後を追いかけてたね」
「そんな……駄目ですよ、寝ていないと」
買ってきたものをテーブルに出しながらアレンさんを見ると、目を閉じていたアレンさんが寝返りを打って顔を隠してしまった。
「拗ねてるよ」
「……拗ねてない」
ぼそっとアレンさんが言い返すのがおかしくて、思わずくすっと笑ってしまった。
簡易体温計をアレンさんに手渡し、とりあえずどの程度の熱なのかを測ってもらった。
「……寝て治る、かな?」
神音とふたり体温計の数値を見ながら、呆然と呟くほどに高熱だった。
アレンさんが自分で言っていた通り、ツアーの疲れがたまっていたのも影響したんだと思う。
「いいから……ふたりは休み、楽しんでおいで……オレのことはもういいから」
ありがとうと弱々しく言うアレンさんが起き上がろうとするので、俺は首を振ってベッドに押し戻した。
「駄目ですってば。俺はアレンさんのそばにいます」
「ぼくもついててあげるから。アレンはとにかく明日までに熱を下げることだけ考えててよ」
「……まいったな……」
年下組ふたりに重ねて言われて、アレンさんは苦笑した後で抵抗するのをやめた。
富岡さんから神音へ何度か連絡が入り、部屋から出て会話する神音の背中を見送る。
力なく乾いた咳を時々こぼしながら、アレンさんは大人しく眠っている。
「そう言えば、文月さんが持って来てくれた加湿機があった。取りに戻るよ」
「いいね、それ」
電話を終えて戻ってきた神音に任せて部屋を出るつもりが、眠っているアレンさんを確認して神音も一緒についてきた。
「やっぱり明日は予定通りに行うってさ。万が一、アレンが出演できそうにない場合を考えて、富岡が手を打ってくれてる」
「うん……わかった、ありがとう」
アレンさんに聞かれたくなかったから、神音が外に出てきたのだとわかった。
宿泊する部屋に戻って、文月さんが肌のためと言って持ち込んでいた加湿機を持ち上げる。
本当は俺が喉を痛めないように、気を遣って持って来てくれたものだ。
(お借りします、文月さん)
加湿機を持って神音とアレンさんの元へ戻ると、出掛けていたはずの八代さんと文月さんが戻ってきていた。
「あれ、お二人とも帰ってきたんですか?」
驚いて声をあげると、八代さんがにかっと笑って頷いた。
「様子がおかしいと思っとったんやけどな。意地っ張りやから認めへんやろと、ダイと一緒に遊びに行くふりをしたんや。響ちゃんが気づいてくれたんやて? ありがとなぁ」
「いえ……」
たいしたことは何もしていない。お礼を言われるほどじゃないのに、と思いながら加湿機をベッドサイドに置こうとしたら、文月さんが静かに言った。
「しかし、なぜ響君はこの部屋に? 何か用事でも?」
「っ、え……あの、そうでもなくて……あ、そうだ。これお借りしますね、文月さん」
「それは構いません……それで……」
加湿器のお礼を言って誤魔化そうとしたけれど、文月さんは首を傾げて追及をやめようとしなかった。
(雨宿りの時にアレンさんの機嫌を損ねてしまったかもしれないから、謝りに来たなんて……言えない)
あれからどことなくぎこちなかったアレンさんと、少し話がしたかったのだ。
もしかしたらアレンさんはずっと体調が良くなかったのかもしれないと、いまになって思い至る。
助け舟を出してくれたのは八代さんだった。
「まぁまぁ、病人の枕もとで長話するもんやないで。みんなは外に行ってきな。アレンの看病はおれがするで心配いらん」
「……でも……」
八代さんがきりっと表情を引き締めると、俺を指さしてきっぱりと言った。
「絶対に響ちゃんには任せられへん。頼りにならんわけやないで。おれらと違って、代役がおらんからや。アレンが気に病んで、休むに休めんやろしな……おれはアレンと年が近いし、物を頼みやすいやろ? だからおれに任せとき」
「……はい……お願いします、八代さん」
ここまで言われてしまっては、看病をしたいとは言えなくなってしまった。
買ってきた物が何で、どこにあるかを伝えて、最後に眠っているアレンさんを見てから部屋を出る。
「そんなに落ち込まないでください、響君」
俺の様子に見かねたのか、文月さんが肩を叩いてなぐさめてくれた。
「俺はアレンさんにたくさん迷惑をかけて、助けてもらったから、アレンさんが困っている時は助けになりたかったんです……だけど、俺はいまがその時だと思うのに、役に立てなくて……」
左右に立つ文月さんと神音が、顔を見合わせて何かを伝えあう気配がする。
「とりあえず、何か食べに行こう」
いつもの神音らしく、そう言って背中を押されて歩き出した。
どこに行くのかわからないまま、文月さんも一緒にエレベーターへ乗り込んだ。
ロビーは明るい日差しが降り注ぎ、観光シーズンだからか平日なのに宿泊者も多いようで、あちこちでくつろいでいる。
その楽しそうな雰囲気を見て、アレンさんが元気だったら同じように笑ってくれていたのかな、と考えてしまう。
「こんな時に言うのも何だけど。響が落ち込む必要はないんじゃない? ほら、前から考えてたこと、明日実行に移せばいいよ。あれは十分響にしかできないことだし、アレンの助けにもなると思うなぁ」
呑気なふりを装って、頭の後ろで手を組み歩いていた神音が、ホテルを出る時にいたずら坊主のように笑って言った。
背後にいた文月さんが首を傾げている。
「前から考えていたとは何のことです、神音」
文月さんの問いかけに振り向いた神音が、にやりと笑う。
「富岡には許可もらった。少なくとも一曲分はアレンの負担が減り、響の真価も伝わる素晴らしいアイディアさ」
「……もっと詳しく教えてください」
怪訝そうな文月さんと、ファミレスに入り遅めの昼食をとりながら作戦を打ち明けた。
主に話したのは神音だったけど、聞いていく間に少しずつ文月さんの表情が明るくなって、最後は楽しそうに目を輝かせてくれた。
「では僕は周辺で借りられそうな場所がないか探して来ます」
「頼むよ。でもくれぐれも年長組には秘密にしておいて」
驚かしてやりたいからさ、と陽気に手を振る神音へ、文月さんが親指を立てて見せ、任せておけと頷いてから店を出て行った。
「さて、ぼくたちも為すべきことを為しましょう」
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