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第三章
我恋歌、君へ。第三部:22 休日
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同じ部屋で暮らすようになったとは言っても、翌日から各地を回って演奏する仕事が続いたため、年明けまで部屋には戻れない生活が続いた。
当然アレンさんは少し不満そうだったけど、これが俺たちの仕事なんだから仕方がない。
予定通りに仕事が終わり、二週間ぶりに部屋へ戻るとふたりとも無言でベッドに倒れ込みすぐに眠った。
翌日は休日で、昼に近い時間になってようやく目覚める。
慌てて起きようとした俺は不意に引っ張られた。
「ふわっ」
「……まだ早いよ……」
起き上がろうとしていた俺をアレンさんが抱きとめて、抱え込んでしまう。
「ちょ、ちょっと……アレンさんっ。寝ぼけているんですか? 離してください」
「ん~……やだよ~。響くんの匂い、落ち着く~」
妙に間延びしたアレンさんの声はまだちゃんと目覚めていないような気もしたけれど、隣を向いたらぱっちり目覚めているアレンさんの青い目と至近距離で見つめ合う状態になってしまった。
「おはよ。と言っても、もうこんな時間だけどね」
「お、おはようございます……ですから、あの……」
とりあえず離してくれないかと続けようとしたところへ、アレンさんがすっと腕を伸ばしてきて俺の前髪をすく。
少し目を細めて、俺を見ながらとろんと微笑む。
「やっと同じベッドで眠って起きて、ちゃんと目を見ておはようって言えたよ」
「……そ、そ……です、ね。でも俺のベッドが届くまで、ですから……」
引っ越しが決まった時に確かに頼んだはずの俺用のベッドが、いまだに届いていないことを仕事に行く前に気がついた。その日は仕方なくアレンさんと並んで眠り、昨夜もつい一緒に眠ってしまったわけだが。
なぜだろうか。アレンさんの蕩けるような笑顔を見たとたんに、心臓がどんどん高鳴り体が熱くなってきた。
お互いの体が触れている部分をやたらと意識してしまうし、指先で確かめるように俺の髪を弄んでいるアレンさんの手や視線も気になって仕方がない。
(な、んだか……変な気分になってくる……)
恥ずかしくて居心地が悪くて逃げ出したい気分なのに、同時にあったかくてずっとこうしていたい気分でもある。
(どうしたらいいんだ~)
ひとりで目を回してパニックを起こしかけている俺を見て、アレンさんがくすりと笑った。
「響くん。今日はずっとこのままでいようよ」
「……え?」
もぞもぞと動いて顔を覗きこんでくるアレンさんが、間近でふわりと微笑んだ。
「しなくちゃいけないこと全部明日にして。今日はベッドの中にいよう?」
アレンさんのその笑顔を見たら、また勝手に俺の心臓が暴走しはじめた。
間近で見る笑顔はすごく幸せそうで、優しい笑顔を浮かべて指で何度も俺の額や頬の辺りを撫でてくる。
(いつもとアレンさんの様子が全然違う!)
同じベッドで眠って、並んで目が覚めて。
慣れない状況に拍車がかかり、思考は過剰負荷に耐えきれず、咄嗟に口から言葉が飛び出した。
「……い、嫌です」
「えぇっ! 何で?」
「な、なぜと言われましても……」
愕然と凍りつき、顔色を失うアレンさんに罪悪感を覚えるものの、とにかくこの状況から逃げ出したい一心の俺だった。
「せ、せせ洗濯もの、ずいぶん溜まってますし! そろそろ自分で作った料理を食べたいな、と思ってたところですし……それに、えっと……そう、ベッド! 俺のベッドがまだ届かないみたいなので、手配しないといけませんし!」
なぜ俺はこんなにも舌を噛みそうな勢いで話し続けているのだろう、と頭の片隅で疑問を感じながら理由を説明する。
アレンさんが意味深に、にっこりと笑った。
「言ってなかったっけ? 響くんのベッドはお断りしたんだよ~」
「……え?」
「だから、手配する必要はないよ。オレと一緒にここで眠ればいいじゃない」
「……はぁ?」
「オレはひとりで眠るより、響くんとこうして並んで眠りたいの。だったらもう一つベッドを置く必要なんてないでしょ?」
そう言ってまた抱きついてくるアレンさんを引きはがすように腕を突っ張って、俺はアレンさんから逃れようと暴れた。
「か、勝手に決めないでください! 俺はひとりで眠りますからねっ」
「えぇ~つれないなぁ。いいじゃん、せっかくひとつ屋根の下で暮らせるようになったんだからさ。ね、ほら……オレの腕の中においで~」
「だれが行きますかっ!」
「やだなぁ~響くん。もしかして照れてるの? うふふ~恥ずかしがらなくてもいいんだよ。もうオレは響くんのものなんだから。好きな時に好きなだけ触ってくれていいんだよ~」
「うわあぁ~っ」
せっかく腕を引きはがすことが出来て、ベッドから逃げられると思ったら、背後から圧し掛かるように抱きつかれて、バランスを崩したのを利用してまたベッドに押し倒されてしまった。
仰向けで転がる俺を見下ろすアレンさんが、急に笑顔を消した。
「……アレン、さん?」
いきなり真顔になったアレンさんに呼びかけてみたけど返事はなく、ただそっと指先で俺の顔を撫でてくる。
(はっ、う……何だろう、さっきよりずっと恥ずかしい……)
じっと見つめられ、何度も肌を滑っていく指先の感触に、静まりかけていた鼓動が乱れて、体温がまた急上昇していく。
「響くん……」
ぽつり、とアレンさんが名前を呼んでくる。
返事をしようと口を開いたところへ、アレンさんがすぅっと顔を近づけ、キスをしてきた。
「っ!」
「……響くん、好き……」
触れるだけのキスの後、ほとんど顔を離さないままアレンさんが囁いてくる。
それだけなのに、腰の辺りがぞわっとした。
(ななな、なんなの~っ!)
真剣な顔でやたらと甘い声で囁かれたんですけど、こんな時にどんな反応をするべきなのでしょうか。
「わ、あ……えっ、あ……」
焼き切れる寸前の思考回路を持て余し、意味不明な言葉を漏らす俺の口元をアレンさんが指先で撫でていく。
(ひ、ひえ~っ……た、たすけて~神音~)
今頃になって神音に忠告された意味が理解できた気がして、心の中で片割れに救いを求めた時だった。
アレンさんのスマフォが着信音を奏で、張りつめていた空気がふっと溶解した。
「……はぁ~。だれだろうね……相手によっては首絞めてやる」
目を閉じて長く息を吐き出したアレンさんが、最後は口の中だけで呟き体を離すと、ベッドサイドに置いていたスマフォを手に取った。
その様子を確認して、俺は慌ててベッドから飛び降りて部屋から逃げ出した。
閉めたドアに背中をつけ、爆音を鳴り響かせる心臓を落ち着かせようと何度も深く呼吸をくり返す。
(た、助かったぁ~……)
体から力が抜けてその場に座りこみながら、そんなにも緊張していたのかと自分自身に苦笑したくなった。
(……さっきのアレンさん、いつもと違ってた……)
ふわふわと春の陽射しのように微笑んでいる印象のアレンさんだったけど、さっきのアレンさんは何かを思いつめたような感じがした。
(余裕がないような、何かを激しく求めているような感じ……って、俺は何を思い出してんだっ!)
じっと見下ろされた時のアレンさんの表情やキスされた時の感触を思い出してしまい、ぼふんっと煙が出せそうなほど顔が熱くなる。
何度呼吸をくり返しても心臓が落ち着く気配がまるでしない。
(と、とにかくずっとここにいるわけにもいかないし……)
ドアの向こうの音は聞こえてこないけど、いつアレンさんが出てくるかわからない。
またベッドに引き戻されたらたまらない。
慌てて自分の部屋に飛び込んで、着替えを揃えると浴室に入ってシャワーを浴びた。
持ち込んだ私物は少なかったとは言え、逸見さんや神音からもらった服はそれなりに多くて、泊まり込みの制作が続いても洗い替えが確保できるほどには潤っていたのが救いだ。
「よし、やってしまいますか」
シャワーを浴びて着替えを済ませると、気分はずいぶんと落ち着いていて、現実問題を片付けるためまずは洗濯の山にとりかかった。
洗濯機をセットして開始させたところで背後から声が聞こえた。
「お疲れ。ずいぶんと遅い昼食だけど準備できたから、一緒に食べよう」
「うわっ……いつの間にそこに? 気がつかなかった……」
振り返ると入り口にアレンさんが立っていて、いつものふわふわとした笑顔で俺を見ていた。
「う~ん。そうだねぇ……響くんがオレのシャツの匂いを嗅いでいる時からここにいたかな~」
「そんなことしてませんっ!」
お手頃価格の自分の服と違った肌触りのシャツだったから、洗濯表示を確認していただけで、断じて匂いなんて嗅いでない。
「あれ、そうだっけ? じゃぁ、頬ずりしていた時?」
「どっちもしてません~っ」
「あははは。それは残念」
何が残念だ、と心の中で言い返しながらキッチンテーブルに移動してアレンさんが用意してくれた遅い昼食を食べる。
向かい合って食べながらアレンさんの様子を伺うと、何となく不機嫌そうに見えた。
「……さっきの電話は誰でした?」
休日のはずなのに仕事の連絡だったのだろうかと聞いてみると、アレンさんは俺を見て少し考えた後で軽く首を振った。
「何でもない、どうでもいいことだったよ。それはさておき……ね、響くん」
「はい?」
「洗濯が片付いたら買い物に行こう」
なんだそんなことか、と考える間もなく頷く。
「冷蔵庫の中にほとんど食材がありませんから、もともと行くつもりでしたので……」
するとアレンさんが少し困った顔になった。
「いや……うん、まぁそれも必要だけどねぇ」
「?」
「響くんの休日はこれが当たり前だったんだなって思っただけ」
何となく寂しそうな笑顔になったアレンさんに、俺はまた何かしでかしてしまったのかと遅まきながらに気付いた。
(え~っと、俺何か言った? 気に障るようなことをしたのかも……いや、でも普通に食べてるだけだし。もしかして食べたらいけなかった?)
残り半分ほどになった食事を見下ろし、急激に食欲が薄れていく。
「……ごちそうさまでした」
「あれ。残すの? 口に合わなかった?」
手を合わせた後に立ち上がった俺を見上げて、アレンさんが慌てた様子で聞いてくる。
「いえ、とても美味しかったです」
「だったら……」
「お腹がいっぱいになってしまったんです。いつもなら走った後に食べているのに、今日は走っていませんから」
たぶんそうだ、と自分自身にも言い聞かせながら残った食事を冷蔵庫にしまう。
食器を片づけて洗濯機が終わる前に、自分の部屋に入って荷物を片付けていく。
洗濯終了の合図を聞いて部屋から出るとアレンさんも部屋に戻っていたらしく、同じように部屋から出てくるところだった。
ふたり手分けして干し終えると、約束通りに買い物へ向かった。
「あれ……そっちじゃないですよ、アレンさん」
並んで歩いていると、スーパーへ向かっていたはずが別の方向へ進みだしたアレンさんを呼び止める。
くるっと振り返ったアレンさんがにっこり笑って頷く。
「ちょっと遠回りしよう」
そして俺の腕を掴むとぐいっと引き寄せて歩きだしてしまう。
慌てて歩きだした俺を見下ろして、アレンさんが満足そうに笑った。
道沿いの光景はまだ見慣れない。珍しさにきょろきょろ見回しながら歩いていると、アレンさんが笑いをこらえきれずに吹き出した。
「ごめん、隣に響くんがいてくれることがうれしくてね」
これで許して、と俺の手を取り自分の手と一緒にコートのポケットに入れた。
つないだ手の温度と感触に、ぶわっと俺の顔が熱くなる。
(そ、外ですよ……男同士で手をつないで歩くとか、バレたら大変なのに)
辺りが暗くなってきているならともかく、薄曇りではあるものの明るい時間帯だ。
だれかに見られたらと気が気でない俺に対して、アレンさんは涼しい顔で周囲を見渡しながら平然と歩いていた。
(……相変わらず、格好いいな……)
見た目に惚れたわけじゃないと思っているけれど、見上げたアレンさんの横顔にあらためて感じ入っていると、不意に目が合った。
「なに?」
「っ……な、何でもありませんっ」
見惚れていましたなんて、言えるわけがないので慌てて目を逸らしたらポケットの中の手をぎゅっと握られた。
「オレに隠し事するんだ~」
「違います。本当に何でもないんです」
「ふぅ~ん……」
気のない返事を最後に、会話が途切れる。
重なる二人分の足音が続く中、握られていた手の指の間をつぅ、と指先で撫でられた。
「ひぅっ……」
「ん、どうかした?」
絶対分かっているくせに、アレンさんはとぼけて理由を聞いてくる。
(何がしたいんだよ、まったく!)
ただ指を撫でられただけなのに、変な感覚に襲われた自分自身に舌打ちしながら、軽くアレンさんを睨みつける。
幸せそうに笑うアレンさんに、俺の視線は弾かれて何の効果も与えられなかった。
またポケットの中で指の間や手のひらをゆっくり撫でられた。
「やめて下さい、アレンさんっ!」
「何、をやめて欲しいのかな。響くん?」
わかっているくせに、身をかがめて顔を近づけわざと吐息が耳にかかりそうな位置で聞いてくる。
その手を振り払い、どうにかポケットから手を抜きだした。
「俺ひとりで買い物に行きます!」
「あ~ぁ、ごめんごめん。怒らないでよ、響くん」
先に立ってずんずん歩いていく俺を、後からアレンさんが追いかけてくる。
交差点の信号待ちで立ち止まり、そっと後ろを振り返るとちゃんと追いついて、横に並んでくれた。
「ん? 大丈夫だよ、オレは響くんのそばにちゃんといるからね」
見上げる俺の視線に気づいて、アレンさんが目を細めて笑った。
(べ、別に……不安になったわけじゃない……)
自分で振り払ったはずなのに、さっきまでポケットに入っていた片手がとても冷たく感じられた。
やたらと疲れた買い物から帰ると、もうすでに外は暗さを増して風が強く吹いていた。
洗濯物を片付ける間にアレンさんが夕食作りを買って出てくれて、向かい合って久しぶりの手作り夕食を食べた。
すべて片付け終わると、コーヒーを淹れるからソファに座って待っていてと言われた。
(いいのかな……)
朝食兼務の昼食から夕食まで、今日一日すべてアレンさんに作ってもらっている。
手伝いもせずソファで待っていることが居たたまれず、うろうろと立ち尽くす。
コーヒーを運んできたアレンさんが、そんな俺を見て不思議そうな顔をする。
「そんなところで立ってないで、座ってくれて構わないのに。さぁ、ここにおいで?」
「……はい」
アレンさんがコーヒーを置いてから座り、その隣を軽く叩いて示す。
ぎこちなく近づいてそこに座るけど、俺はとうてい寛げる気分じゃなかった。
(……え~っと、何か話をした方がいいのかな)
はじめて新しい部屋でふたりきりの休日を過ごすことになったわけで、何をしていいのかわからなかった。
(う~……アレクと暮らした時は目的があったからなぁ。それに何か話していたかな? どんな風に過ごしていたっけ? 神音と暮らしていた時はお互いに好きなことしてたけど)
コーヒーを握りしめたまま、無言でぐるぐる考えこんでいたら、隣でアレンさんがくすくすと笑いだした。
「本当に響くんは可愛いねぇ~。こうしてプライベートな時間を共有できるようになって、今まで知らなかった響くんを知ることが出来た。オレはすごく幸せだよ」
「……まだ暮らしはじめたばかりだから、そう思うんですよ」
言い返しながら、自分の言葉に胸が少しだけ痛んだ。
いつか飽きて、俺を嫌うようになるかもしれない。声を取り戻した夜にも抱えていた不安は、この部屋で暮らすことを決めた日も消えず、少しずつ強くなっているようだ。
するとアレンさんの手が俺の前髪をかきあげて、自分の額を触れ合わせる。
「響くん、いま何を考えたの? オレにちゃんと教えて?」
「…………」
「オレは起きた時から、そばに響くんがいてくれて幸せな気分になったよ。オレが作った料理を食べてくれるとうれしいし、並んで買い物に行けた時間も胸が躍って苦しいほど幸せだった……響くんはその時、どんな風に感じていたのかな……?」
「どんな……って……」
起きた時はアレンさんの言動に振り回されて、あわあわした気がする。
向かい合って食事していた時は、アレンさんの様子が気になってた。
買い物に行く途中のことは恥ずかしくて、いま思い出しても顔が熱くなってくる。
今日一日、アレンさんを気にしていたことだけは確かだって答えられる。
でもそれで幸せな気分になったかと聞かれると、よくわからない。
「……ねぇ、響くんはオレが怖いでしょう?」
「そんなことはっ」
否定しようとしたら唇にそっと指が触れた。
「その先は言わないで……オレの機嫌を伺って、食事を途中で止めていたでしょ。買い物の時もオレがいないかもしれないって不安な顔をしていた」
「……アレンさん……」
神音にもすぐに見破られていたけれど、俺はそんなにも顔に出やすいタイプなんだろうか。
「オレはね、響くんが安心していられる場所になりたいの。どうしたらいいとか、何をするべきとか考えなくてもいい場所にね」
「…………」
「すぐには難しいかもしれないけど、覚えておいて。ここでは無理や遠慮をしないで……オレの顔色を伺う必要もないんだよ、響くん」
アレンさんが優しく言い聞かせるように、ゆっくりと語りかけてくれた時、胸の奥が痺れるように震えた。
そんな俺をアレンさんがそっと引き寄せる。
「オレも好きなようにさせてもらうから」
アレンさんの胸元で囁く声を聞いていると、緩やかな鼓動と重なってどうしてだかすごく安心できる。
「響くんが嫌がることはしないよ」
まるで誓いの言葉みたいに噛みしめて言うアレンさんに、今日ベッドの中でされた時、少し嫌でしたと心の中だけで反論する。
どうしてこんなに気持ち良いのかな、と思っていたら、突然体を離された。
「っ……何をするんですかっ!」
ほんの一瞬、まばたきする間に素早くキスをされた。
「何って、キスだよ? うふふ、響くん照れなくてもいいのに~」
「て、照れてません!」
好きなようにさせてもらう、と宣言した通りに振る舞っているのだろうけど。
(こ、恋人になったらこれが普通なのか? それとも反応が面白くて遊ばれてるだけ? 嫌がることはしないって言ったのに!)
標準を知らない俺はキスされるたびに過剰反応してしまい、アレンさんに振り回されている状態だ。
コーヒーを飲んだ後は一緒に風呂に入る、入らないの押し問答がはじまった。
「またお風呂の中で眠っちゃったら大変でしょ? オレ、心配でたまらないよ~」
「もう痺れも急な眠気もなくなりましたからっ!」
どうにか先にアレンさんを風呂に押し込めた俺は深くため息をついた。
(何だか休みのはずなのに、ゆっくり休めない気がするんだけど……)
さらに避けられない現実問題が、入浴の後に待っている。
「ヘ~イ、響くん。ここにおいで~」
「…………」
結局ベッドはひとつしかないままなのだ。
起きたのがそのベッドならば、眠るのもそこしかないわけで。
ベッドに先に横たわり、上掛けをめくって隣をぽんぽんと叩くアレンさんをじっと見つめた後、俺はくるりと背中を向けた。
「……やっぱりソファで眠ります」
「駄目だって。そんな場所で寝させられない。風邪を引いたら仕事にも支障が出るんだよ」
慌ててベッドから飛び降りたアレンさんが先回りしてドアを手で押し止める。
「ベッドを購入するまでの応急処置です」
「どうしてひとりで眠ろうとするの。オレと眠るのがそんなに嫌なの?」
捨てられた犬猫のように寂しそうな目でアレンさんが俺を見下ろしてくる。
(そんな風に率直に聞かれると困るんだけどな)
アレンさんの視線に胸がズキッと痛んだ。
「い、嫌と言うわけでは……ない、かも?」
「だったら構わないよね? さ、風邪引いてしまうよ。布団に入ろうね~」
「うわっ……待って、やっぱり嫌です~!」
「許可しません、聞こえません~♪」
抵抗も空しく、強引にベッドへ引き摺りこまれた。
アレンさんが満足そうな笑顔でぽんぽん、と俺の胸元を軽く叩いた。
「ゆっくりおやすみ、響くん」
「……おやすみなさい」
渋々とそう答えたものの、昨夜と違って眠れないだろうと思った。
だけどアレンさんの腕の重みや、すぐそばにいてくれる気配に誘われたように間もなく眠気が襲ってきた。
「……オレの夢を見て欲しいな……」
アレンさんが何か言った気がするけど、理解するより先に俺の意識が蕩けていく。
(変だ……アレンさんが隣にいるとすぐ眠くなる……)
眠りにくい体質のはずだったのに、と言う疑問も心地よい眠りに溶けた。
当然アレンさんは少し不満そうだったけど、これが俺たちの仕事なんだから仕方がない。
予定通りに仕事が終わり、二週間ぶりに部屋へ戻るとふたりとも無言でベッドに倒れ込みすぐに眠った。
翌日は休日で、昼に近い時間になってようやく目覚める。
慌てて起きようとした俺は不意に引っ張られた。
「ふわっ」
「……まだ早いよ……」
起き上がろうとしていた俺をアレンさんが抱きとめて、抱え込んでしまう。
「ちょ、ちょっと……アレンさんっ。寝ぼけているんですか? 離してください」
「ん~……やだよ~。響くんの匂い、落ち着く~」
妙に間延びしたアレンさんの声はまだちゃんと目覚めていないような気もしたけれど、隣を向いたらぱっちり目覚めているアレンさんの青い目と至近距離で見つめ合う状態になってしまった。
「おはよ。と言っても、もうこんな時間だけどね」
「お、おはようございます……ですから、あの……」
とりあえず離してくれないかと続けようとしたところへ、アレンさんがすっと腕を伸ばしてきて俺の前髪をすく。
少し目を細めて、俺を見ながらとろんと微笑む。
「やっと同じベッドで眠って起きて、ちゃんと目を見ておはようって言えたよ」
「……そ、そ……です、ね。でも俺のベッドが届くまで、ですから……」
引っ越しが決まった時に確かに頼んだはずの俺用のベッドが、いまだに届いていないことを仕事に行く前に気がついた。その日は仕方なくアレンさんと並んで眠り、昨夜もつい一緒に眠ってしまったわけだが。
なぜだろうか。アレンさんの蕩けるような笑顔を見たとたんに、心臓がどんどん高鳴り体が熱くなってきた。
お互いの体が触れている部分をやたらと意識してしまうし、指先で確かめるように俺の髪を弄んでいるアレンさんの手や視線も気になって仕方がない。
(な、んだか……変な気分になってくる……)
恥ずかしくて居心地が悪くて逃げ出したい気分なのに、同時にあったかくてずっとこうしていたい気分でもある。
(どうしたらいいんだ~)
ひとりで目を回してパニックを起こしかけている俺を見て、アレンさんがくすりと笑った。
「響くん。今日はずっとこのままでいようよ」
「……え?」
もぞもぞと動いて顔を覗きこんでくるアレンさんが、間近でふわりと微笑んだ。
「しなくちゃいけないこと全部明日にして。今日はベッドの中にいよう?」
アレンさんのその笑顔を見たら、また勝手に俺の心臓が暴走しはじめた。
間近で見る笑顔はすごく幸せそうで、優しい笑顔を浮かべて指で何度も俺の額や頬の辺りを撫でてくる。
(いつもとアレンさんの様子が全然違う!)
同じベッドで眠って、並んで目が覚めて。
慣れない状況に拍車がかかり、思考は過剰負荷に耐えきれず、咄嗟に口から言葉が飛び出した。
「……い、嫌です」
「えぇっ! 何で?」
「な、なぜと言われましても……」
愕然と凍りつき、顔色を失うアレンさんに罪悪感を覚えるものの、とにかくこの状況から逃げ出したい一心の俺だった。
「せ、せせ洗濯もの、ずいぶん溜まってますし! そろそろ自分で作った料理を食べたいな、と思ってたところですし……それに、えっと……そう、ベッド! 俺のベッドがまだ届かないみたいなので、手配しないといけませんし!」
なぜ俺はこんなにも舌を噛みそうな勢いで話し続けているのだろう、と頭の片隅で疑問を感じながら理由を説明する。
アレンさんが意味深に、にっこりと笑った。
「言ってなかったっけ? 響くんのベッドはお断りしたんだよ~」
「……え?」
「だから、手配する必要はないよ。オレと一緒にここで眠ればいいじゃない」
「……はぁ?」
「オレはひとりで眠るより、響くんとこうして並んで眠りたいの。だったらもう一つベッドを置く必要なんてないでしょ?」
そう言ってまた抱きついてくるアレンさんを引きはがすように腕を突っ張って、俺はアレンさんから逃れようと暴れた。
「か、勝手に決めないでください! 俺はひとりで眠りますからねっ」
「えぇ~つれないなぁ。いいじゃん、せっかくひとつ屋根の下で暮らせるようになったんだからさ。ね、ほら……オレの腕の中においで~」
「だれが行きますかっ!」
「やだなぁ~響くん。もしかして照れてるの? うふふ~恥ずかしがらなくてもいいんだよ。もうオレは響くんのものなんだから。好きな時に好きなだけ触ってくれていいんだよ~」
「うわあぁ~っ」
せっかく腕を引きはがすことが出来て、ベッドから逃げられると思ったら、背後から圧し掛かるように抱きつかれて、バランスを崩したのを利用してまたベッドに押し倒されてしまった。
仰向けで転がる俺を見下ろすアレンさんが、急に笑顔を消した。
「……アレン、さん?」
いきなり真顔になったアレンさんに呼びかけてみたけど返事はなく、ただそっと指先で俺の顔を撫でてくる。
(はっ、う……何だろう、さっきよりずっと恥ずかしい……)
じっと見つめられ、何度も肌を滑っていく指先の感触に、静まりかけていた鼓動が乱れて、体温がまた急上昇していく。
「響くん……」
ぽつり、とアレンさんが名前を呼んでくる。
返事をしようと口を開いたところへ、アレンさんがすぅっと顔を近づけ、キスをしてきた。
「っ!」
「……響くん、好き……」
触れるだけのキスの後、ほとんど顔を離さないままアレンさんが囁いてくる。
それだけなのに、腰の辺りがぞわっとした。
(ななな、なんなの~っ!)
真剣な顔でやたらと甘い声で囁かれたんですけど、こんな時にどんな反応をするべきなのでしょうか。
「わ、あ……えっ、あ……」
焼き切れる寸前の思考回路を持て余し、意味不明な言葉を漏らす俺の口元をアレンさんが指先で撫でていく。
(ひ、ひえ~っ……た、たすけて~神音~)
今頃になって神音に忠告された意味が理解できた気がして、心の中で片割れに救いを求めた時だった。
アレンさんのスマフォが着信音を奏で、張りつめていた空気がふっと溶解した。
「……はぁ~。だれだろうね……相手によっては首絞めてやる」
目を閉じて長く息を吐き出したアレンさんが、最後は口の中だけで呟き体を離すと、ベッドサイドに置いていたスマフォを手に取った。
その様子を確認して、俺は慌ててベッドから飛び降りて部屋から逃げ出した。
閉めたドアに背中をつけ、爆音を鳴り響かせる心臓を落ち着かせようと何度も深く呼吸をくり返す。
(た、助かったぁ~……)
体から力が抜けてその場に座りこみながら、そんなにも緊張していたのかと自分自身に苦笑したくなった。
(……さっきのアレンさん、いつもと違ってた……)
ふわふわと春の陽射しのように微笑んでいる印象のアレンさんだったけど、さっきのアレンさんは何かを思いつめたような感じがした。
(余裕がないような、何かを激しく求めているような感じ……って、俺は何を思い出してんだっ!)
じっと見下ろされた時のアレンさんの表情やキスされた時の感触を思い出してしまい、ぼふんっと煙が出せそうなほど顔が熱くなる。
何度呼吸をくり返しても心臓が落ち着く気配がまるでしない。
(と、とにかくずっとここにいるわけにもいかないし……)
ドアの向こうの音は聞こえてこないけど、いつアレンさんが出てくるかわからない。
またベッドに引き戻されたらたまらない。
慌てて自分の部屋に飛び込んで、着替えを揃えると浴室に入ってシャワーを浴びた。
持ち込んだ私物は少なかったとは言え、逸見さんや神音からもらった服はそれなりに多くて、泊まり込みの制作が続いても洗い替えが確保できるほどには潤っていたのが救いだ。
「よし、やってしまいますか」
シャワーを浴びて着替えを済ませると、気分はずいぶんと落ち着いていて、現実問題を片付けるためまずは洗濯の山にとりかかった。
洗濯機をセットして開始させたところで背後から声が聞こえた。
「お疲れ。ずいぶんと遅い昼食だけど準備できたから、一緒に食べよう」
「うわっ……いつの間にそこに? 気がつかなかった……」
振り返ると入り口にアレンさんが立っていて、いつものふわふわとした笑顔で俺を見ていた。
「う~ん。そうだねぇ……響くんがオレのシャツの匂いを嗅いでいる時からここにいたかな~」
「そんなことしてませんっ!」
お手頃価格の自分の服と違った肌触りのシャツだったから、洗濯表示を確認していただけで、断じて匂いなんて嗅いでない。
「あれ、そうだっけ? じゃぁ、頬ずりしていた時?」
「どっちもしてません~っ」
「あははは。それは残念」
何が残念だ、と心の中で言い返しながらキッチンテーブルに移動してアレンさんが用意してくれた遅い昼食を食べる。
向かい合って食べながらアレンさんの様子を伺うと、何となく不機嫌そうに見えた。
「……さっきの電話は誰でした?」
休日のはずなのに仕事の連絡だったのだろうかと聞いてみると、アレンさんは俺を見て少し考えた後で軽く首を振った。
「何でもない、どうでもいいことだったよ。それはさておき……ね、響くん」
「はい?」
「洗濯が片付いたら買い物に行こう」
なんだそんなことか、と考える間もなく頷く。
「冷蔵庫の中にほとんど食材がありませんから、もともと行くつもりでしたので……」
するとアレンさんが少し困った顔になった。
「いや……うん、まぁそれも必要だけどねぇ」
「?」
「響くんの休日はこれが当たり前だったんだなって思っただけ」
何となく寂しそうな笑顔になったアレンさんに、俺はまた何かしでかしてしまったのかと遅まきながらに気付いた。
(え~っと、俺何か言った? 気に障るようなことをしたのかも……いや、でも普通に食べてるだけだし。もしかして食べたらいけなかった?)
残り半分ほどになった食事を見下ろし、急激に食欲が薄れていく。
「……ごちそうさまでした」
「あれ。残すの? 口に合わなかった?」
手を合わせた後に立ち上がった俺を見上げて、アレンさんが慌てた様子で聞いてくる。
「いえ、とても美味しかったです」
「だったら……」
「お腹がいっぱいになってしまったんです。いつもなら走った後に食べているのに、今日は走っていませんから」
たぶんそうだ、と自分自身にも言い聞かせながら残った食事を冷蔵庫にしまう。
食器を片づけて洗濯機が終わる前に、自分の部屋に入って荷物を片付けていく。
洗濯終了の合図を聞いて部屋から出るとアレンさんも部屋に戻っていたらしく、同じように部屋から出てくるところだった。
ふたり手分けして干し終えると、約束通りに買い物へ向かった。
「あれ……そっちじゃないですよ、アレンさん」
並んで歩いていると、スーパーへ向かっていたはずが別の方向へ進みだしたアレンさんを呼び止める。
くるっと振り返ったアレンさんがにっこり笑って頷く。
「ちょっと遠回りしよう」
そして俺の腕を掴むとぐいっと引き寄せて歩きだしてしまう。
慌てて歩きだした俺を見下ろして、アレンさんが満足そうに笑った。
道沿いの光景はまだ見慣れない。珍しさにきょろきょろ見回しながら歩いていると、アレンさんが笑いをこらえきれずに吹き出した。
「ごめん、隣に響くんがいてくれることがうれしくてね」
これで許して、と俺の手を取り自分の手と一緒にコートのポケットに入れた。
つないだ手の温度と感触に、ぶわっと俺の顔が熱くなる。
(そ、外ですよ……男同士で手をつないで歩くとか、バレたら大変なのに)
辺りが暗くなってきているならともかく、薄曇りではあるものの明るい時間帯だ。
だれかに見られたらと気が気でない俺に対して、アレンさんは涼しい顔で周囲を見渡しながら平然と歩いていた。
(……相変わらず、格好いいな……)
見た目に惚れたわけじゃないと思っているけれど、見上げたアレンさんの横顔にあらためて感じ入っていると、不意に目が合った。
「なに?」
「っ……な、何でもありませんっ」
見惚れていましたなんて、言えるわけがないので慌てて目を逸らしたらポケットの中の手をぎゅっと握られた。
「オレに隠し事するんだ~」
「違います。本当に何でもないんです」
「ふぅ~ん……」
気のない返事を最後に、会話が途切れる。
重なる二人分の足音が続く中、握られていた手の指の間をつぅ、と指先で撫でられた。
「ひぅっ……」
「ん、どうかした?」
絶対分かっているくせに、アレンさんはとぼけて理由を聞いてくる。
(何がしたいんだよ、まったく!)
ただ指を撫でられただけなのに、変な感覚に襲われた自分自身に舌打ちしながら、軽くアレンさんを睨みつける。
幸せそうに笑うアレンさんに、俺の視線は弾かれて何の効果も与えられなかった。
またポケットの中で指の間や手のひらをゆっくり撫でられた。
「やめて下さい、アレンさんっ!」
「何、をやめて欲しいのかな。響くん?」
わかっているくせに、身をかがめて顔を近づけわざと吐息が耳にかかりそうな位置で聞いてくる。
その手を振り払い、どうにかポケットから手を抜きだした。
「俺ひとりで買い物に行きます!」
「あ~ぁ、ごめんごめん。怒らないでよ、響くん」
先に立ってずんずん歩いていく俺を、後からアレンさんが追いかけてくる。
交差点の信号待ちで立ち止まり、そっと後ろを振り返るとちゃんと追いついて、横に並んでくれた。
「ん? 大丈夫だよ、オレは響くんのそばにちゃんといるからね」
見上げる俺の視線に気づいて、アレンさんが目を細めて笑った。
(べ、別に……不安になったわけじゃない……)
自分で振り払ったはずなのに、さっきまでポケットに入っていた片手がとても冷たく感じられた。
やたらと疲れた買い物から帰ると、もうすでに外は暗さを増して風が強く吹いていた。
洗濯物を片付ける間にアレンさんが夕食作りを買って出てくれて、向かい合って久しぶりの手作り夕食を食べた。
すべて片付け終わると、コーヒーを淹れるからソファに座って待っていてと言われた。
(いいのかな……)
朝食兼務の昼食から夕食まで、今日一日すべてアレンさんに作ってもらっている。
手伝いもせずソファで待っていることが居たたまれず、うろうろと立ち尽くす。
コーヒーを運んできたアレンさんが、そんな俺を見て不思議そうな顔をする。
「そんなところで立ってないで、座ってくれて構わないのに。さぁ、ここにおいで?」
「……はい」
アレンさんがコーヒーを置いてから座り、その隣を軽く叩いて示す。
ぎこちなく近づいてそこに座るけど、俺はとうてい寛げる気分じゃなかった。
(……え~っと、何か話をした方がいいのかな)
はじめて新しい部屋でふたりきりの休日を過ごすことになったわけで、何をしていいのかわからなかった。
(う~……アレクと暮らした時は目的があったからなぁ。それに何か話していたかな? どんな風に過ごしていたっけ? 神音と暮らしていた時はお互いに好きなことしてたけど)
コーヒーを握りしめたまま、無言でぐるぐる考えこんでいたら、隣でアレンさんがくすくすと笑いだした。
「本当に響くんは可愛いねぇ~。こうしてプライベートな時間を共有できるようになって、今まで知らなかった響くんを知ることが出来た。オレはすごく幸せだよ」
「……まだ暮らしはじめたばかりだから、そう思うんですよ」
言い返しながら、自分の言葉に胸が少しだけ痛んだ。
いつか飽きて、俺を嫌うようになるかもしれない。声を取り戻した夜にも抱えていた不安は、この部屋で暮らすことを決めた日も消えず、少しずつ強くなっているようだ。
するとアレンさんの手が俺の前髪をかきあげて、自分の額を触れ合わせる。
「響くん、いま何を考えたの? オレにちゃんと教えて?」
「…………」
「オレは起きた時から、そばに響くんがいてくれて幸せな気分になったよ。オレが作った料理を食べてくれるとうれしいし、並んで買い物に行けた時間も胸が躍って苦しいほど幸せだった……響くんはその時、どんな風に感じていたのかな……?」
「どんな……って……」
起きた時はアレンさんの言動に振り回されて、あわあわした気がする。
向かい合って食事していた時は、アレンさんの様子が気になってた。
買い物に行く途中のことは恥ずかしくて、いま思い出しても顔が熱くなってくる。
今日一日、アレンさんを気にしていたことだけは確かだって答えられる。
でもそれで幸せな気分になったかと聞かれると、よくわからない。
「……ねぇ、響くんはオレが怖いでしょう?」
「そんなことはっ」
否定しようとしたら唇にそっと指が触れた。
「その先は言わないで……オレの機嫌を伺って、食事を途中で止めていたでしょ。買い物の時もオレがいないかもしれないって不安な顔をしていた」
「……アレンさん……」
神音にもすぐに見破られていたけれど、俺はそんなにも顔に出やすいタイプなんだろうか。
「オレはね、響くんが安心していられる場所になりたいの。どうしたらいいとか、何をするべきとか考えなくてもいい場所にね」
「…………」
「すぐには難しいかもしれないけど、覚えておいて。ここでは無理や遠慮をしないで……オレの顔色を伺う必要もないんだよ、響くん」
アレンさんが優しく言い聞かせるように、ゆっくりと語りかけてくれた時、胸の奥が痺れるように震えた。
そんな俺をアレンさんがそっと引き寄せる。
「オレも好きなようにさせてもらうから」
アレンさんの胸元で囁く声を聞いていると、緩やかな鼓動と重なってどうしてだかすごく安心できる。
「響くんが嫌がることはしないよ」
まるで誓いの言葉みたいに噛みしめて言うアレンさんに、今日ベッドの中でされた時、少し嫌でしたと心の中だけで反論する。
どうしてこんなに気持ち良いのかな、と思っていたら、突然体を離された。
「っ……何をするんですかっ!」
ほんの一瞬、まばたきする間に素早くキスをされた。
「何って、キスだよ? うふふ、響くん照れなくてもいいのに~」
「て、照れてません!」
好きなようにさせてもらう、と宣言した通りに振る舞っているのだろうけど。
(こ、恋人になったらこれが普通なのか? それとも反応が面白くて遊ばれてるだけ? 嫌がることはしないって言ったのに!)
標準を知らない俺はキスされるたびに過剰反応してしまい、アレンさんに振り回されている状態だ。
コーヒーを飲んだ後は一緒に風呂に入る、入らないの押し問答がはじまった。
「またお風呂の中で眠っちゃったら大変でしょ? オレ、心配でたまらないよ~」
「もう痺れも急な眠気もなくなりましたからっ!」
どうにか先にアレンさんを風呂に押し込めた俺は深くため息をついた。
(何だか休みのはずなのに、ゆっくり休めない気がするんだけど……)
さらに避けられない現実問題が、入浴の後に待っている。
「ヘ~イ、響くん。ここにおいで~」
「…………」
結局ベッドはひとつしかないままなのだ。
起きたのがそのベッドならば、眠るのもそこしかないわけで。
ベッドに先に横たわり、上掛けをめくって隣をぽんぽんと叩くアレンさんをじっと見つめた後、俺はくるりと背中を向けた。
「……やっぱりソファで眠ります」
「駄目だって。そんな場所で寝させられない。風邪を引いたら仕事にも支障が出るんだよ」
慌ててベッドから飛び降りたアレンさんが先回りしてドアを手で押し止める。
「ベッドを購入するまでの応急処置です」
「どうしてひとりで眠ろうとするの。オレと眠るのがそんなに嫌なの?」
捨てられた犬猫のように寂しそうな目でアレンさんが俺を見下ろしてくる。
(そんな風に率直に聞かれると困るんだけどな)
アレンさんの視線に胸がズキッと痛んだ。
「い、嫌と言うわけでは……ない、かも?」
「だったら構わないよね? さ、風邪引いてしまうよ。布団に入ろうね~」
「うわっ……待って、やっぱり嫌です~!」
「許可しません、聞こえません~♪」
抵抗も空しく、強引にベッドへ引き摺りこまれた。
アレンさんが満足そうな笑顔でぽんぽん、と俺の胸元を軽く叩いた。
「ゆっくりおやすみ、響くん」
「……おやすみなさい」
渋々とそう答えたものの、昨夜と違って眠れないだろうと思った。
だけどアレンさんの腕の重みや、すぐそばにいてくれる気配に誘われたように間もなく眠気が襲ってきた。
「……オレの夢を見て欲しいな……」
アレンさんが何か言った気がするけど、理解するより先に俺の意識が蕩けていく。
(変だ……アレンさんが隣にいるとすぐ眠くなる……)
眠りにくい体質のはずだったのに、と言う疑問も心地よい眠りに溶けた。
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