我恋歌、君へ。(わがこいうた、きみへ。)

郁一

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第三章

我恋歌、君へ。第三部:25 約束の彼方へ

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 アレンさんと肌を合わせた翌日から、何ともくすぐったい心地を味わうはめになった。
「おはよ、響くん」
 朝の挨拶からはじまり、スタジオに向かう途中のエレベーターの中でとか、数えたらきりがないほどアレンさんが軽いキスをしてくるのだ。
(嫌じゃないけど、恥ずかしいんだって!)
 行為そのものよりも、その場の空気と言うか、何気ない仕草とかがとにかくやたらと恥ずかしい。
 例えば今もそう。事務所ビルの地下駐車場に車を止めて、降りようとシートベルトを外しかけた俺の手に手を重ねてきて、素早く唇を重ねてくる。
 それだけならまだしも、至近距離で俺を見つめてふわっと微笑みながら、こめかみから髪を指で払いのけ、頬を撫でていく。
 その短い時間に漂う濃厚な空気が甘くて、くすぐったくて逃げ出したくなるほどなんだ。
(ふわぁ〜! 俺が気にし過ぎてる? それとも付き合ったら、こうなるものなのか?)
 そんな俺の動揺を神音が見逃すはずもなく。
 顔を合わせるなり神音が声をかけてきた。
「響……ちょっと、話をさせて」
「えっと……何?」
 あごでくいっと合図され、ドキドキしながら外に出ていく神音の後について行く。
 深夜に生放送する番組の出演前だから、ずいぶん遅い時間にも関わらず廊下ですれ違う人の数は多い。
 人が少なそうな男子用トイレに入り、中に人がいないことを確認してから入り口のカギを内側からかけて、神音がくるりと振り返った。
「それで?」
「……何が?」
「ぼくに言うべきことがあるんじゃないの、お兄サマ」
「…………」
 腰に手を当てて、神音が片方の眉を持ち上げ俺を見てくる。
「……そ、相談に乗ってくれてありがとうございました」
「ぼくが聞いているのはそんなことじゃないってわかってるよね?」
「…………」
(神音が怖いですっ)
 相変わらず神音が鋭いのか、俺がバレやすいのかわからない。ただ今回も神音に看破されてしまったことは確かだ。
(俺ってそんなに顔に出やすいのかなぁ……)
 はぁ、とため息をつきながら、心の中で仕方がないと覚悟を決めた。
 いつまでも隠しておけることでもないし、片割れには嘘をつきたくはない。
「それで……?」
「……神音、勘違いしないで。俺が頼んだんだ。アレンさんが無理やりしたわけじゃないよ」
「ふぅん……」
 どこまでも信じていなさそうな神音の返答に、泣く泣く俺はアレンさんがどれだけ心を砕いてくれたかを説明するはめになった。
(うぅ……逆にこれ、すっごく恥ずかしいんですけどっ! 弟に行為の詳細を説明するとか、あり得なくないですかっ!)
 心の中で悲鳴を上げながら、どうにか神音が納得するまで説明を終えることができた。
 仕事する前に、仕事する以上に疲れた。
(もう帰りたいです……)
 神音のとなりでぐったりと洗面台に手をついてうなだれていたら、神音が腕を組んで横の壁にもたれかかる。
「響の場合は、勢いがなければ出来なかっただろうしね……今回に限っては、アレンを責めないであげよう」
「神音……」
「ただし、今回だけだからね。まったく……仕事がある日の直前は手を出すなって言ったのに。あぁ、こんなに色気がある響を見せたら、余計なこと考える奴らが増えちゃうよ」
 頭を抱え始めた神音を見て、俺は首を傾げつつ洗面台の鏡を見る。
(色気……?)
 唸っていた神音は俺の様子に気付いて、じとっと座った目で見つめてくる。
「自覚してないようだけど……期待してた以上に変わりすぎだよっ。またぼくの心配の種が増えたじゃないかっ!」
「……神音、あのさ……」
「あぁ、もうっ! とにかく一回ここで顔を洗って、落ち着いてから控え室に戻ってきてよね」
 神音は俺に向けて、厳しく言い放つと勢いよく出て行った。
 とにかくよくわからないものの、神音に新たな心配をかけてしまったようだ。
 言われたままに顔を洗い、深呼吸をしてから控え室に戻ると、なぜかアレンさんが片隅で肩を落として俯いていた。
「響ちゃん、お帰り~。無事でよかったで」
「まったくです。初心者を労わらない年長者など、敬うに値しませんね」
「……えっと、八代さん、文月さん?」
 なぜかやたらと労わってくるふたりの様子に、今回もまたアレンさんと何があったのかが筒抜けなんだなと気付く。
 ため息をついて、仕方がないかとあきらめる。
 起きたことは事実だし、俺がアレンさんと別れたくないと思っていることも本当だ。
 この先ずっとふたりの関係を隠せるわけでもないし、いっそ仲間の中だけでも公になっていた方が気楽だと思うことにした。
(それにしても、みんなまったく嫌悪感とか見せないんだけど、俺たち男同士なのに嫌じゃないのかな?)
 後日それとなく聞いてみると、八代さんと文月さんは揃って同じ表情になった。
 アレンさんがバンドに加入する時、不快な思いをさせない為に性癖のことを打ち明けて、それでも良いならと了承を得たことは聞いている。
 ただ加入後、ずっと色恋を匂わせなかったアレンさんを二人は少なからず心配していたのだと言った。
「僕たちに遠慮して、先輩に無理させているのではないかと心配していました。対象がどうであれ、先輩も人間の男性です。遠慮する必要はないのだと直接言っても、柔らかく笑ってはぐらかすばかりでしたから」
「いやぁ~、おれたちの面倒を見るばっかりで、枯れて終わるんやないかと思っとったからなぁ。響ちゃんが入ってくれて、本当に良かったと安心しとるんや。うちのリーダーを末永くよろしく頼むで」
 まるでアレンさんの両親みたいに、しみじみと語る二人に苦笑しながら、あらためていいメンバーだなと思う。
 彼らと一緒に活動することが、以前よりずっと楽しい。
「最近、響の調子すごく良いよね」
 ある日スタジオで音合わせをしていると、神音がそう切り出した。
「そう、かな? 俺はいつも通りだと思っているけど」
「全然違うよ? 前よりもっと、ぐっと表現力が増して声も伸びてる。自分を曝け出せてるって言うのかな。一皮も二皮も剥けた感じ。自覚してなかったの?」
「うん……」
 八代さんも会話に加わってきた。
「響ちゃん誘って正解やったと思っとるよ。おれは毎回、響ちゃんと演奏する度に楽しくてたまらん。早くライブやりたくてウズウズしとるくらいや。このおれがやで?」
 緊張しすぎるほど緊張するタイプの八代さんが、どや顔でそう言うのでつい笑ってしまった。
 すると八代さんに頭をぐいぐいと撫でられる。
「その笑顔や。ようやっと、その笑顔を見れたわ……よう頑張ったな」
「……俺は、別に……何も」
 八代さんが優しく微笑んで頷く。
 神音が八代さんの横に立ち、同じくらい優しく笑った。
「八代の言う通りだよ。響がはじめてぼくたちの曲を歌った頃のこと、覚えてる? 譜面の通りに定められたように歌えばいいわけじゃない。ココロが必要なんだって」
 そう言って神音が俺の胸を軽く手の甲でノックする。
「響が楽しいって感じてくれなければ、一緒に演奏しているぼくたちはもちろん、観客だって楽しくなれない。最近の響はね、もう歌うことが楽しくて仕方ないって感じが伝わってくるんだ。以前ももちろん上手いから十分聞けるけど、ここに響く感じが全然違うよ」
 自分の胸を叩いた握りこぶしで、神音が俺の胸を軽くとん、と叩いた。
「ちゃんと気持ち、受け入れてくれる人がいるって安心感があるからかな?」
 神音が悪戯っ子みたいに笑いながら、俺の背後を見て片手を振る。
 振り返ってみると少し遠い場所にいたアレンさんが俺たちに気付いて、首を傾げながらも律義に手を振り返してくれていた。
 仕事場にいる時はあまり意識しないでいられるのに、今だけは勝手が違った。
 アレンさんとの間に起きたことを思い出してしまって、自覚できるほど顔面が熱くなる。
(……神音のせいだ、まったく……)
 顔の熱を逃がすために別のことを考えようとして、不意にあの日の光景を思い出した。
 朝の空に溶けていく飛行機と、それに乗っていく友人と交わした約束。そしてあの日はじめてアレンさんに告白されたのだった。
(あの時は好きになれないだろうなって、思っていたんだけど)
 初恋が朝日と共に空を越えて、彼方へ飛び去ったばかりで、他の人へ気持ちが向かうとは思えなかった。
 望んでも叶わないものもたくさんあるけど、気がついたら手放せなくなっているものも増えている。
 思い通りにならない中で、何を望んで、何を手放すのか。今なら胸を張って答えられる。
 俺はここで、彼らと『i-CeL』として共に歌い続ける。
 空を渡り、世界へ届けと望みながら。


 ずっと愛されることが怖かったのは、俺が自分自身を愛することが怖かったから。
 他人からの愛を受け入れず、信じなければ俺が傷つくことはないと思っていた。
 でもきっとそれは間違っている。
 俺が傷つかない代わりに、俺を愛してくれる人が傷ついてしまう。
 そのことに俺は気付けないでいた。
 だからずいぶん遠回りしたな、と過ぎた日を振り返りながら苦笑する。
 トン、と肩に何かが当たった。
 隣を見るとマグカップを両手に持って、アレンがソファに腰を下ろすところだった。
「どうしたの?」
 片方を俺に差し出しながら小さく首を傾げている。
 俺はアレンへ向けて微笑む。
「何でもないです。ただ俺がずいぶん物分かりが悪かったなって思って、おかしな気分になっていました」
「……ふ~ん、よくわからないけど……響くんが笑っているならそれでいいよ」
「はい。俺は幸せ者だなって再確認しているだけですから」
 受け取ったマグカップを両手で包み込み、そっとアレンの肩に頭を乗せる。
「……ありがとうございます」
 飲み物をもらったお礼だけじゃなく、ここまであったすべてに感謝していることを伝えたかった。
 ちゃんと伝わったかな、と不安になる一拍前にアレンの手が伸びて俺の頭を撫でた。
「響くんが幸せを感じてくれることが、オレにとっても幸せなんだよ。だからお互い様だね」
「……はい」
 アレンが俺の名前を呼んで身動ぎする。
 頭を撫でていた手が頬を包む。
 見つめ合って気恥ずかしさに息を飲む。
 ゆっくり近づく整った顔立ちがやがてぼけて、その代わり唇に熱が触れる。
 性急に何かを求めていない。
 じっとお互いを感じるためのような、深く染み渡るような感触だ。
 胸が震えて痛いほど高鳴る。
 そっと抱き寄せられ、触れ合う胸の中で鳴り続ける音が聞こえそうなほど濃厚な時間を惜しげもなく与えてくれる。降り積もるこの時間が、いつまでもお互いの心を結び付けてくれたらと願わずにはいられない。
「……だれよりも幸せにするよ。絶対にオレを選んだこと後悔させないから」
「後悔しません。今も、この先も」
 愛すること、愛されることを恐れる気持ちは今も残っているけど、恐れるほど愛しく思えることに誇らしい気持ちが今はある。
 樫部は今頃、どうしているだろう。
 最後に会ってからずいぶん月日が流れた。
 記憶しているよりお互いに姿が変わっているだろうけれど、また会いたいと思う。
 すべては彼と出会って、はじまった。
 幼い恋心が芽生えなければ、こうしてアレンさんと出会い、共に生きることを選ぶこともなかった。
 次に彼へ歌声が届けられる時が来たら、この気持ちを伝えたい。
 きっとこの望みは叶う。
 ずっと時間がかかっても、彼らとなら届けられる。
 はじめて俺に愛を教えてくれた人が幸せであるように。


 ――我恋歌わがこいうた、君へ。


 <終>
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