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沈黙の一ヶ月

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「あの……お部屋の中には、今どなたが?」
「どなたもいらっしゃいません。あの部屋にいらっしゃった方は、亡くなられてしまったので」
「え、でも……」
「陛下は、毎年約一ヶ月ほど、お気が済むまであのお部屋に閉じ籠もって、お一人で過ごされます。今日はその初日だったのですよ。今まで聖女を名乗る方は何人も現れましたが、この日に陛下が誰かと会う事はありませんでした。今年はナティスさんにお会いになられたばかりか、一緒に時間を過ごされたので、少し期待したのですが……どうやら変化はないようですね」

 フォーグが付いた深いため息には、半分諦めのようなものが混じっていて、これが毎年の事なのだとわかる。

 人間の世界が闇に覆われた日、ティアが亡くなったその日。
 魔族の侵攻が毎年一ヶ月ほど沈静化するのは、きっとこのせいだろうと察せられた。
 決して大修道院が送って寄越す、偽聖女を生贄に差し出した効果などではなく、ただただロイトが傷を癒やす為の休息時間であると見て、間違いない。

 ロイトの奥方様になるはずだった、亡くなってしまった方の部屋。
 あそこはきっと、ティアの部屋のままなのだと確信する。

 ロイトの傍に新たな誰かが居る訳でも無く、ずっとティアの事を好きで居てくれるからこその行動は、ある意味ティアの記憶を持つナティスとしては、とても嬉しい事のはずだ。
 けれど暗く沈んだロイトの様子を見てしまった後には、悲しさしか残らない。

 あの部屋をティアの部屋のままにしておくことは、良くない事なのだと突き付けられた気がしたけれど、今のナティスに為す術は無かった。

「もしかして、先程言っていた食事というのは……」
「陛下は本当に部屋から一歩も出て参りませんし、誰も寄せ付けません。放っておくと禄に食事もお取りになられないので、せめて食事を届けさせて頂けないかと交渉した結果、何とか日に一度だけ決まった時間に、軽食等を運ぶ事は許可頂いているのです」
「一日に一度だけ? しかも軽食だけですか?」

 そんな事を一ヶ月近くも続けていたら、身体を壊してしまう。
 どうして周りの誰も、ロイトの行動を止めようとしないのか理解出来なかった。

 ロイトは魔王としては若輩者だと、侮られているとは言っていたが、頼りにされていない様子ではなかったし、魔王として認められていないという事もなかったはずだ。
 むしろ四魔天という腹心を始め、この魔王城に仕える魔族達からは絶大な信頼を得ていたと記憶している。
 ロイトが倒れて困るのは、魔族達であるはずだ。

 働き過ぎのロイトに休暇を、という単純な理由なら納得も出来るけれど、一ヶ月近く食事も禄に取らずに一人で亡くした人の部屋に籠もる事は、全く休息にはならない事くらい、誰だってわかるだろう。

「人間は食事を取らないとすぐに死んでしまうのかもしれませんが、魔族は多少弱る事はあっても、数ヶ月程度であれば、命の危機に瀕する事態にはならないのです。それよりも、陛下のお気持ちを優先させたいというのが、下々の総意なのですよ」
「でも、弱ってしまう事はあるんですよね? それに魔王様はとても辛そうな目をしてらっしゃいました。良い思い出に浸りたいというならまだしも、もう会えない事実を突き付けられるだけなのでは? 愛しい人の痕跡が詰まったあのお部屋に籠もる事は、魔王様の傷を癒やす事にはならないと思います」

 逆に自ら、傷口を開きに行っているようにさえ思える。
 ロイトの気持ちを優先させてあげたいという、部下達の気持ちがわからない訳ではないけれど、それは良い方向へ向かう為の時間である事が、最重要事項であるべきだ。

「正論が、耳に痛いですね」

 フォーグの辛そうな顔にはっとする。
 フォーグがロイトを案じている事は、この短い間でも十分にわかっていた。
 ロイトの行動を強く諫めることが出来ない理由が、きっとあるのだ。事はそう、単純なものでもないのだろう。

「……すみません。良く知りもしないのに、勝手な事を言いました」
「いいえ、陛下のことを心配して下さってありがとうございます。そういう訳ですので、あのお部屋へご案内する事は出来ないのですが、同じ様な広さのお部屋はまだまだ沢山有りますので、僕のおすすめへご案内しますね」

 思わず本心を表情に出してしまった事に照れたのか、苦笑で誤魔化して、フォーグは頭を下げたナティスを優しく部屋へと案内してくれた。

 案内された部屋は、生贄としてやって来た人間が使って良いのかと疑うほどの広さの客室で、家具も備品もきちんと揃った快適な空間だった。
 人間を憎んで侵略という道へ進んだ、魔族の中心部である魔王城での聖女への扱いが、十八年前と何も変わっていない事に驚く。

 しかも、ナティスが本物の聖女ではないとわかっていての、この扱いだ。
 着替え等を持っていなかったナティスの為に、全てをすぐに用意してくれたし、預けてあったナティスの持参した小さな鞄まで簡単に返してくれて、呆気にとられるしかなかった。

「あの……いつもこんなに豪華なお部屋を、用意して下さっているのですか?」
「陛下に直接会って話したのも、部屋を用意しろと命じられたのも、貴方が初めてです。客人として、丁重に扱うべきかと判断しましたので」

 思わず聞いてしまった素朴な疑問に、フォーグは笑ってそう答える。
 最初に通された応接室でマヤタとフォーグに示された選択肢への対応から、今まで生贄として寄越された乙女達とは、何もかもが違っただろう事は確かだ。
 この部屋に案内したのはフォーグの判断の様だけれど、フォーグのにこやかな目は、ロイトの言葉にしなかった部分を汲み取って動いただけだと語っていた。

 そして、フォーグがナティスを残して部屋を出て行く際、やはり部屋に鍵はかけられなかった。
 人間の小娘一人、自由にさせた所で何が出来るはずもない。という所なのかも知れないけれど、相変わらず生贄への対応が緩い。

 魔力のある魔族には、鍵という概念自体があまり必要ないことなのかもしれないが、つい先程ロイトはティアの部屋に入ってきっちりと鍵をかけていた。
 少なくとも「入ってくるな」とか「出るな」という、意思表示には使われているのは間違いない。
 となると、ナティスを部屋の中に閉じ込めておくつもりがない事だけは、はっきりとしていると言っていいのだろう。

(そういう事なら、自由にさせて貰いますね)

 戸惑うばかりでなかなか部屋から出られなかったティアとは違って、ナティスは次の日からすぐに行動に移した。
 ロイトがあの部屋から出て来ないのならば、ナティスが部屋でじっと待っていても、きっと何も変わらないと判断したからだ。

 ロイトに一ヶ月近く会う方法がないのは残念だけれど、その間に魔王城内を巡っていれば、今のロイトの事を知るヒントはきっと沢山有るはずだ。
 そうしてナティスは次の日の夕方、魔族達が動き始める時間を見計らって、部屋の扉を押し開けた。
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