飼い犬に頸を噛まれる。

むぎ

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暴露

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 急に軽くなった体に驚愕して目を見開く。大きな衝撃音の鳴った方向を見ると、襖をなぎ倒して奥の部屋に倒れる山田。そして、そいつに大股で近づく俺の犬。

「なっなんだお前…ぐぅっ」
「黙れよこれ以上その汚ねぇ豚声を廉太郎様の鼓膜に響かせるな。」

 山田の頭を片手で掴み、畳に押し付ける。頭部を抑えられ、身動きが不自由になった山田に、狗郎はそのまま馬乗りになる。

 呻きながらもぞもぞと抵抗する山田を事ともせず、狗郎は拳を高らかに上げる。そして、

ばきっ

 明らかに骨に異常をきたした音。生理的恐怖を感じて思わず顔をしかめる。パンチ…というより、杵のように顔面を叩き割ったようだ。ぴし、と色あせた畳に真っ赤な飛沫が跳ねる。

 俺の頭の整理がつかないうちに、部屋には同じ音が何度も何度も鳴り響いた。

ばきっ
ばきっ
ばきっ
ばきっ
ばきっ

 衝撃音に混じって やめろ、はなせ、などの言葉が聞こえるが、当然この狂犬は聞き入れるわけもなく。

 跳ねて抵抗していた山田の体は、幾度と拳を叩き込まれるうちにすっかり動かなくなっていた。そんな山田の姿を見て、さあラストスパートだと言わんばかりに狗郎は拳を高く高く持ち上げる。

 スローモーションのようなその光景を網膜に映して、漸く中枢から四肢に指令が入る。やばい。俺が止めなきゃ。

 拳が振り下ろされる刹那、畳の上を駆けてその腕にしがみついた。

「やりすぎ、やりすぎ!死ぬって!ステイ ステイ ステイ!」
「………」

 今振り落とされんとばかりの腕を抱えて必死に止める。俺だって細切れにして魚の餌にしてやりたいくらいには腸が煮えくり返っているけれども。ここで山田が死んだら後々面倒なことになるってのはさすがの俺でもわかるのだ。

 全身全霊で訴える俺に観念したのか、十数秒たっぷり沈黙した後、狗郎はようやっと山田を解放した。右拳にべったりついた血をジャケットに忍ばせていたハンカチで拭き取る。あーあー。このハンカチ新品だったけどもう使えねえな。家帰ったらすぐ捨てよう。

 そんな現実逃避じみたことを考えながら、恐る恐る山田の顔を覗き込む。

「わーお…」

 思わずアホみたいな感嘆詞が口から漏れてしまう。それくらいには、ひどい状態であった。項垂れている山田の顔は輪郭そのものが変わっており、なおかつ全体が赤色に腫れている。例えるならば、床にぐしゃりと落としたホールケーキのようだった。顔面は血なのか汗なのか涙なのか鼻水なのか、もう分別がつかないくらいの大量の体液にまみれている。

「はぁ~~~~~………やりすぎ………」
「……………ぅ………でも…」
 
 深いため息を付く俺に、狛郎もやりすぎてしまったと思ったのか、眉を下げて黙りこくる。そして俺の隣にぴと…とくっついてきた。オイタをしたときの、許して…というサインだ。

 タッパのある男が縮こまって黒目を泳がせる姿は少し面白い。ぺたんと閉じた犬耳と、しゅんと垂れた尻尾が見えるようだ。思わず口元が綻ぶ。

 だがしかし、これくらいの反省でなあなあにするわけにはいかない。俺たちのすぐ横には血濡れの屍(死んでないだろうけど…多分)。やっちまったもんは仕方ないが、その罪についてはきちんと叱らねばならない。犬の躾は飼い主の仕事なのだ。

 コラッ。その第一声のための酸素を吸い込んだ時、隣で倒れていた山田が急にがばりと起き上がる。

「うおっ!?びっくりした!!」

 未だにそんな元気があったのかと、人間の生命力に感動する。と同時にまだ何かあるのかと思わず狗郎の腕にひしと抱き着いてしまった。

 そんな俺をちらりと見て、目の前の男をギロリと睨み、また狗郎は腕を振りかぶ…待て待て待て臨戦態勢に入るな今度こそはこのおっさん死ぬぞ。なんでですか隠蔽は完璧にしてみせますじゃなくて。そういう問題じゃないんだ。後で大事になるに決まってんだろ誰が処理すると思ってんだこのイカレ狂犬野郎。

 あーだこーだ言い合っている最中、か細い山田のつぶやきが耳に届く。

「…と、…よ」
「ん?」
「こ、こ、こんなことしておいて、ただで済むと思うなよ!!!」

 すっげえ典型的な悪役のセリフ言うじゃん。先程まで死にかけていたのにすごい根気で言い立てる中年男に感心する。

「お、お、俺が訴えればすぐに組全体が動いて、お前ら鬼頭組なんてすぐ潰せるぞ!お前らだってすぐに犬の餌行きだ!やるぞ俺は!お前ら組ごと潰してやる!覚悟しておけ!」

 ふふんっと自信一杯に嘲笑う山田。勝ち目は充分に自分にあるのだと信じてやまないのだろう。

 まだなお殴って黙らせようとする狗郎を手で制す。ちょっとお前は落ち着け。な?SITDOWN。

 完全に舐められているようだが、こちらもタダで体をまさぐらせてたわけではない。このときのために暖めていたカードがあるのだ。

 山田の前に両手で手を付き、四つん這いになる。されど間抜けに視えぬよう、腰の位置は落として。騒ぎ立てる山田を上目遣いでじっ…と見つめる。

 俺が土下座でもすると思ったのか、ぐふぐふと薄ら笑う目の前の男に、最終兵器を打ち出す。

「山田様、奥様いらっしゃいましたよね。娘さんも。今年から高校生でしたっけ。進級おめでとうございます」

 はぁ?という声が上から降る。予想外の方向から会話を切り出され、拍子抜けしたのだろう。

「そ、それは、今は関係のないことだろう」
「実は、この間の会合で奥さんと仲良くなりまして。ありがたいことに連絡先も交換させて頂けたんですよ。ほんと、お優しくて良い奥様でした」

 ポケットからスマホを取り出し、メッセージアプリを開く。そして、その画面を山田の目の前に照らす。それを見た山田はヒュッ、と大きく喉を鳴らし、面白いくらいに顔面から血の気が引いていった。

 画面に映るは山田の妻とのトーク画面。つらつらと重ねられた文字列のその一番下には、とある録音データが送られんばかりになっている。あと数ミリ、俺が親指を動かしたらポコン、と間抜けな音を上げて送信されてしまうだろう。

「は…なんだよ、その録音は………」
「さぁ~なんでしょうねぇ?聴いてみます?」

 メッセージの下書き欄に開かれた音源ファイル。その横三角形のマークをタップする。

『はぁ…廉太郎君…好き…好きだよ…』
『廉太郎くん…好きだよ。愛してる。ね、ね?お願い。お互い組を捨ててさ、俺と海外で暮らそう?絶対に不自由な暮らしはさせないよ』
『えぇ…そんな熱烈なラブコール、初めて言われました。嬉しいな。でも山田様は美しい奥様と可愛い娘さんとで幸せな家庭を築けているじゃないですか。そこに俺は割り込めないですよ』
『あっあんな奴ら!いつでも捨てられる!俺の言葉ひとつで海に沈めることだってできるんだ!』

 淡々と流される音声。その再生時間と比例して、山田の身体はガタガタと震えていく。それもそのはず、この男は知らぬ存ぜぬを突き通せる立場でないのだから。鳥肌が立つ程に気色悪い、これら全てのセリフに身に覚えがあるはず。

 極めつけに、たった数分前の自分の発言を聞かせてやる。

『ね、ね、ね、廉太郎くん。好きだ。好きなんだよ。俺の愛人になってよぉ』
「…っ!!」

 言葉を無くした山田は首を弱弱しく振っている。この部屋に連れ込まれてからもこっそりと録音していた甲斐があった。

 つい先ほど自分が発した言葉に首を絞められるなんて、思いも寄らなかったのだろう。顔面蒼白とは、こういう顔のことを言うのだろうか。こんな男でも、家族の信頼を失うのは恐いらしい。

「山田様を脅すような真似は俺もしたくないんですよ。ここは穏便に済ませませんか?わかって頂けると幸いですが…」
「こ、これが放出すれば…お前だって共犯になるぞ…」
「え?あぁ~。いやいやいやいや。この音声聞いて誰が俺を責め立てるんですか?権力行使して若い子にセクハラするオッサン以外の何物でもないですよ」
「…………………」
「ねぇねぇ山田様。俺ね、仲良くさせて頂いてるお偉いさんがたくさ~んいるんですよ。奥様や娘さんだけじゃなくて、そういう方々にも漏れたら、山田様の組、ちょっとだけ制裁を受けるかもしれないですねぇ。俺、それくらいは愛されてると自負してるので」
「わ、わ、わかった!!わかったから。どうか、どうか内密にしてくれ。頼む…」

 よし。堕ちた。念押しとして、そのまま山田の顔を片手で擦る。上から覗きこむように、にっこりと笑うと、山田はさらに震え上がった。

 たった今、狗郎がぐにゃりと折り曲げた骨格を指で確かめるようになぞる。患部を手に収められている恐怖心からか、山田の目には涙の膜が浮かんだ。身体も精神もボキボキに折られて、さぞ逃げ出したくてたまらないだろう。

 そうそうその顔。俺はね、ひきつったその顔が見たかったの。

「これからも、山田様とは良い関係を築いていける気がします♡何卒よろしくお願いいたします♡」
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