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第七話 聖女ミナ、王子の重圧に耐えかねて脱走する
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夜の闇が深まる王都。 その中心にそびえ立つ王城の、とある一室で。 一人の少女が、机に突っ伏して震えていた。
ミナ・フォン・アスター男爵令嬢。 本来であれば、この世界の『正ヒロイン』として、王太子アレクセイと甘い恋に落ち、世界を救う『聖女』として崇められるはずの少女だ。
しかし、現実は非情だった。
「……もう、無理」
ミナは顔を上げ、充血した目で虚空を睨んだ。 彼女の目の前には、未だかつて見たこともない高さの書類タワーがそびえ立っている。 『西部開拓予算案』『魔導具輸出規制法案』『王太子殿下のファンクラブ会報誌検閲』……。 本来、一介の男爵令嬢が触れることすら許されない国家機密レベルの書類が、無造作に積み上げられているのだ。
「なんで……? なんで私は、こんなことをしているの?」
ミナは羽ペンを握りしめ、涙を流した。
彼女は転生者だ。 前世はブラック企業で働く社畜OL。 過労死寸前でトラックに轢かれ、大好きな乙女ゲーム『エターナル・ラブ・ファンタジー』の世界に転生した。 「やっと報われる! 今度こそイケメン王子に溺愛されて、キラキラのスローライフを送るんだ!」 そう夢見ていた。
だが、蓋を開けてみればどうだ。 ゲームの開始地点である学園に入学する前に、なぜか王城に呼び出され、そのまま事務室に軟禁された。 そして、目の前には、ゲームでは見たこともない『死んだ魚の目をしたおじさんたち(宰相や官僚)』が並び、口々にこう言ったのだ。
『リゼ様がいなくなった今、君がやるしかないんだ』 『聖女なんだろう? 奇跡の力でこの書類を片付けてくれ』 『寝るな! 決裁印を押す手が止まっているぞ!』
地獄だった。 前世よりも酷いブラック環境。 しかも、肝心の攻略対象であるアレクセイ王子は、ミナに見向きもしない。 一度だけ廊下ですれ違った時、彼はミナを見てこう言った。
『邪魔だ。そこをどけ』
冷徹な瞳。 まるで路傍の石を見るような目。 ゲームの中で見せてくれた、あの甘い微笑みはどこへ消えたのか。
「違う……私のシナリオと違う……!」
ミナは悟った。 このままでは、過労死ルート一直線だ。 聖女として覚醒する前に、ストレスで胃に穴が開いて死ぬ。
「……逃げよう」
ミナは決意した。 前世では逃げられずに死んだ。 でも、今世には魔法がある。 聖女の力がある。 これを使えば、このブラック王城から脱出できるはずだ。
「さようなら、王子様。さようなら、おじさんたち。私は自由になります!」
ミナは窓を開けた。 夜風が冷たい。 彼女は机の上の書類の山に、書き置きを残した。 『一身上の都合により退職します。探さないでください』 奇しくも、彼女が憧れた悪役令嬢リーゼロッテと同じ文言だったが、そこに込められた感情は『恐怖』のみだった。
「『聖なる加護(ホーリー・プロテクション)』……私を隠して!」
ミナは拙い詠唱で、自身の姿を隠蔽する魔法を発動させた。 本来なら高度な魔法だが、極限状態の火事場の馬鹿力か、彼女の体はふわりと光に包まれ、夜の闇に溶け込んだ。
こうして、正ヒロインの脱走劇が幕を開けた。 向かう先などない。 とにかく、この城から、あの恐ろしい上司(王子)から、一番遠い場所へ。
◇
数日後。 王国と帝国の国境付近、『迷いの森』。
鬱蒼と茂る木々が日光を遮り、昼間でも薄暗いこの森は、方向感覚を狂わせる磁場と、凶暴な魔獣の生息地として恐れられている。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ミナは、泥だらけのドレスを引きずりながら歩いていた。 お気に入りのピンクのヒールは片方折れ、綺麗に巻いていた髪はボサボサになり、顔には擦り傷ができている。
「ここ、どこぉ……?」
王都を脱出してから、無我夢中で西へ逃げた。 乗合馬車に忍び込み、荷馬車の荷台で眠り、気づけばこんな深い森の中に迷い込んでいた。
お腹が空いた。 喉が渇いた。 足が痛い。
「ううっ……こんなはずじゃ……」
ミナはその場に座り込んだ。 前世の記憶にあるゲーム知識では、この森には『隠しイベント』があり、ここで迷っているとイケメンの騎士団長が助けに来てくれるはずだった。 だから、あえてこの森に入ったのに。
現れたのはイケメンではなく、巨大な牙を持つ猪型の魔獣『キラー・ボア』だった。
「グルルルッ……!」
茂みから、真っ赤な目をしたイノシシが現れた。 鼻息荒く、地面を前足で掻いている。
「ひっ!」
ミナは悲鳴を上げた。 魔法で戦おうとするが、恐怖で声が出ない。 それに、数日間の逃亡生活で魔力も枯渇している。
「こ、来ないでぇ!」
キラー・ボアが突進してくる。 トラックのような質量が、時速50キロで迫る。 死ぬ。 二度目の死だ。
ミナはギュッと目を閉じた。 走馬灯が見える。 前世の残業の日々。 今世の書類の日々。 ……あれ? 私、働いてばっかりじゃない?
「(次こそは、ナマケモノに転生したい……)」
そう願った、その瞬間だった。
ドォォォォォン!!
目の前で、凄まじい衝撃音が響いた。 地面が揺れ、熱風が顔を撫でる。 恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景があった。
キラー・ボアが、いない。 いや、正確には、遠くの木に突き刺さってピクピクしている肉塊がそれだったらしい。
そして、ミナの目の前には、一人の人物が立っていた。
深くフードを被った、小柄な人影。 手には何も持っていない。 ただの素手で、あの巨大な魔獣を吹き飛ばしたというのか。
「……ったく、騒がしいわね。安眠妨害よ」
フードの下から聞こえたのは、鈴を転がすような、しかしドスの利いた女性の声だった。
その人物が振り返る。 フードの隙間から見えたのは、意志の強そうなアメジスト色の瞳。 そして、どこか気だるげな、しかし圧倒的な強者のオーラ。
「あ……」
ミナは、その姿に釘付けになった。 イケメン騎士団長ではない。 でも、それ以上に衝撃的で、美しい人。
「あんた、こんなところで何してるの? ここはピクニックコースじゃないわよ」
女性が呆れたように言った。 ミナは震える声で答えた。
「た、助けて……ください……」
言い終わる前に、ミナの意識は暗転した。 安心感と空腹の限界で、彼女は地面に倒れ込んだのだった。
◇
目を覚ますと、そこは焚き火の前だった。 パチパチと薪が爆ぜる音。 香ばしい匂い。
「……ん」
ミナが身を起こすと、目の前で串焼き魚を食べている人物がいた。 先ほどのフードの女性だ。 今はフードを脱いでいる。 変装魔法を使っているのか、髪は地味な茶色で、顔にはそばかすがある。 だが、その所作――魚を食べる動作一つとっても、隠しきれない気品が漂っていた。
「起きた? とりあえず食べなさい」
女性は、焼けたばかりの魚を差し出した。
「あ、ありがとうございます!」
ミナは飛びついた。 熱々の魚にかぶりつく。 美味しい。 塩だけの味付けだが、今まで食べたどんな高級料理よりも美味しく感じた。
「……ふぅ。生き返りました」
完食したミナが礼を言うと、女性はジロリとこちらを見た。
「で? あんた誰? なんでこんな危険な森に一人でいるの?」
「あ、私はミナと申します。その……王都から逃げてきまして」
「逃げてきた?」
女性の眉がピクリと動いた。
「はい。あの、信じてもらえないかもしれませんが……私、王城で働いていたんです。でも、そこがとんでもないブラック職場で……」
ミナは堰を切ったように話し始めた。 終わらない残業。 理不尽な上司(宰相と王子)。 そして、自分が本来受けるはずだった『聖女』としての待遇が一切なかったこと。
「……というわけで、もう限界で逃げてきたんです。あんな怖い上司の顔、二度と見たくありません!」
ミナが涙ながらに訴えると、女性はなぜか深く頷き、同情の眼差しを向けてきた。
「わかるわ。すっごくわかる」
「え?」
「あそこの職場環境は異常よね。特にあの上司、人のことを便利な道具か何かだと思ってるし、自分の機嫌で周りを振り回すし、そのくせ自分は『愛』とか言っておけば何でも許されると思ってる節があるわ」
「そ、そうなんです! 愛というか、私には殺意に見えましたけど!」
「奇遇ね。私もあいつから逃げてる最中なの」
女性はニヤリと笑った。
「私、アリスよ。しがない薬屋だけど、まあ、色々あって指名手配中」
「し、指名手配!?」
「冤罪よ。ちょっと元婚約者から慰謝料をもらって、ストーカー被害から逃げてるだけ。でも、権力者が相手だと、被害者が悪者にされちゃうのよね」
アリスと名乗った女性――リーゼロッテは、肩をすくめた。 ミナは感動した。 この人も、自分と同じ被害者なんだ。 権力(王子)に立ち向かい、自由を求めて戦う同志なんだ。
「アリスさん……!」
ミナの瞳がキラキラと輝き始めた。
「私、ついていきます! 私、行くあてがないんです! 家事でも戦闘でも何でもしますから、どうかお供させてください!」
「はぁ? 断るわよ。私は一人の方が気楽なの」
アリスは即答した。 だが、ミナは食い下がった。
「お願いします! 私、これでも『聖女』の力があるんです! 結界とか回復魔法とか使えます! 役に立ちます!」
「聖女……?」
アリスの目が鋭くなった。 彼女はミナをじっと観察する。
(……この子、もしかしてミナ男爵令嬢? 本来のヒロイン?)
リーゼロッテ(アリス)は内心で計算を始めた。 彼女がここにいるということは、ゲームのシナリオが完全に崩壊しているということだ。 本来なら王子とくっついているはずの彼女が、王子を恐れて逃げ出してきた。 これは由々しき事態だ。 王子がフリーのままだと、その執着は永遠に私(リゼ)に向くことになる。
(待てよ。ここでこの子を保護して、うまく教育して、王子の元へ送り返せば……あるいは、王子への盾として使えば……)
リーゼロッテの脳内で、悪役令嬢らしい打算が働いた。 それに、聖女の結界魔法は使える。 王子の追跡魔法を防ぐのに、二重のセキュリティがあればより確実だ。
「……わかったわ」
アリスはため息交じりに言った。
「連れて行ってあげる。ただし、条件があるわ」
「なんでも聞きます!」
「一つ、私の睡眠時間を邪魔しないこと。二つ、私の指示には絶対に従うこと。三つ、もし追っ手が来たら、全力で足止めすること。いいわね?」
「はい! お姉さま!」
「お姉さまはやめて」
「はい! アリスお姉さま!」
「……まあいいわ」
こうして、奇妙なバディが結成された。 逃亡中の悪役令嬢(最強)と、脱走したヒロイン(聖女)。 本来なら恋敵になるはずの二人が、共通の敵(王子)から逃げるために手を組んだのだ。
◇
翌朝。 二人は森の中を進んでいた。
目指すは、森の奥深くにあるという『エルフの里』。 そこは人間嫌いのエルフたちが住む秘境であり、外部からの侵入を拒む強力な結界がある。 そこなら、しばらくは安全に暮らせるはずだ。
「お姉さま、あっちに綺麗なキノコが!」
「触らないで。それは『笑い茸』の変種よ。胞子を吸うだけで三日三晩笑い続けて死ぬわ」
「ひっ!」
「お姉さま、魔物が!」
「下がってて」
シュッ。ドカッ。 現れたウルフの群れを、アリスは投石だけで殲滅した。 魔法すら使っていない。
「すごいですお姉さま! どうやったらそんなに強くなれるんですか!?」
「死ぬ気で9回くらい人生やり直せば、誰でもできるわよ」
「え? 9回?」
「冗談よ」
ミナは、アリスの背中を見つめながら、憧憬の念を深めていた。 強い。 美しい。 そして、時折見せる気遣い(ミナが疲れた時に飴をくれたりする)が優しい。 王城で出会ったどのおじさんたちよりも、そしてあの冷酷な王子よりも、アリスの方がずっと頼りになるし、魅力的だ。
「(私、この人についていく。王子様なんていらない。アリスお姉さまと一緒に、世界中を旅するんだ)」
ミナの中で、何かが決定的にズレていった。 本来の恋愛対象(王子)へのフラグがへし折れ、代わりにリゼへの友情(百合?)フラグが建設されつつある。 リゼにとっては誤算だが、今の彼女は気づいていない。
そんな平和な(?)道中だったが、やはり世界は彼女たちを放っておかなかった。
「……止まって」
突然、アリスが足を止めた。 彼女の視線が、上空に向けられる。
「え? どうかしましたか?」
「……来たわね。しつこい男」
アリスが舌打ちをする。 森の上空、木々の隙間から見える空に、黒い点が旋回しているのが見えた。 飛竜だ。 しかも、ただの飛竜ではない。 王家の紋章が入った、黄金の鎧をまとった特務仕様機だ。
「嘘……なんでここが?」
ミナが青ざめる。 アリスは冷静に分析した。 『迷いの森』の磁場があっても、低空飛行で目視捜索されれば見つかる可能性がある。 それに、王子の勘は野生動物並みだ。
「ミナ、結界を張りなさい。全力で」
「は、はい! 『聖域展開(サンクチュアリ)』!」
ミナが祈ると、二人の周囲に半透明のドームが出現した。 聖女の固有スキルだ。 これにより、魔力反応も匂いも完全に遮断される。
だが。
「み~つけた♡」
上空から、拡声魔法を通した甘い声が降ってきた。
「ひぃっ!」
ミナが悲鳴を上げる。 その声の主を、彼女はよく知っていたからだ。 あの冷酷な上司、アレクセイ王子だ。
「なんで!? 結界張ったのに!」
「あいつには通じないのよ! 愛の力とかいう理不尽な理屈で突破してくるの!」
アリスが叫ぶ。 その通りだった。 アレクセイは、飛竜の上から地上を見下ろし、二人のいる場所を正確に指差していた。
「愛しいリゼ、そして……おや? そこにいるのは聖女ミナか?」
アレクセイの声には、驚きというよりは『邪魔者がいるな』という不快感が混じっていた。
「なるほど、そういうことか。ミナ、貴様がリゼを誘拐したんだな?」
「は!?」
ミナとリゼの声が重なった。
アレクセイの脳内で、またしても都合の良い解釈が生成された。 『か弱いリゼが、一人でこんな危険な森を歩けるはずがない。となると、あの聖女がリゼを騙して連れ出したのか。あるいは、リゼの美しさに嫉妬して、森に捨てようとしたのか? 許せん!』
「待ってろリゼ! 今、その悪女から助けてやる!」
「えええええ!?」
ミナは絶叫した。 冤罪だ。 完全なる冤罪だ。 というか、さっきまで「リゼが悪党」って言ってなかったか? 設定がブレブレだ。
「違うわよバカ王子! 私が誘拐したんじゃなくて、拾ったの!」
リゼが反論するが、アレクセイは聞いていない。
「飛竜部隊、降下! 聖女を捕縛しろ! リゼは優しく保護しろ!」
「イエッサー!」
上空から、騎士たちがロープで降下してくる。 武装した精鋭たちだ。
「お姉さま! どうしましょう!」
「戦うわよ! ここで捕まったら、私は軟禁、あんたは残業地獄よ!」
「嫌ぁぁぁぁ! 残業はもう嫌ぁぁぁぁ!」
ミナが覚醒した。 社畜のトラウマが、彼女の潜在能力を引き出したのだ。
「『聖女の鉄槌(ホーリー・スマッシュ)』!!」
ミナが杖を振り上げると、光の塊が空中に生成された。 それは慈愛の光ではない。 書類の山を吹き飛ばしたいという、OLの怨念が凝縮された破壊光線だった。
ドガァァァン!!
光線が降下中の騎士たちを直撃する。 「ぐわぁぁぁ!」「ま、眩しい!」「目が、目がぁぁ!」 騎士たちが空中でキリモミ回転しながら吹き飛んでいく。
「……やるじゃない」
アリスが口笛を吹いた。 意外な戦力だ。 これならいけるかもしれない。
「ミナ、援護するわ! 『風の刃(ウィンド・カッター)』!」
アリスも攻撃魔法を放つ。 風の刃が、騎士たちのロープを切断する。 次々と地面に落下する騎士たち(地面にはアリスが事前に『クッション苔』を生成しておいたので死にはしない。優しい)。
「おのれ、ミナ……! リゼを洗脳して操っているのか!」
上空のアレクセイが激怒する。
「ならば、私が直接相手をしてやる!」
アレクセイが飛竜から飛び降りた。 高度100メートル。 パラシュートなし。
「死ぬわよ!?」
ミナが叫ぶが、アレクセイは着地の瞬間に光のクッションを展開し、音もなく地面に降り立った。 その姿は、まさにヒーロー。 顔が良いのがさらに腹立たしい。
「さあ、リゼを返してもらおうか」
アレクセイが剣を抜く。 その瞳は、ミナを完全に『敵』として認識していた。
「ひっ……!」
ミナが腰を抜かす。 王子の殺気が凄まじい。 本気だ。 この人は、恋路を邪魔する者は聖女だろうが容赦なく斬るつもりだ。
その時。 アリスが、ミナの前に立った。 小柄な背中が、王子の殺気を正面から受け止める。
「手出しはさせないわよ、アレクセイ」
アリスが低い声で言った。
「この子は私の……そう、新しい『部下』よ。私の許可なくいじめないでくれる?」
「……部下?」
アレクセイが眉をひそめる。 そして、次の瞬間、彼の顔がパァッと明るくなった。
「そうか! リゼ、君は新しい『悪の組織』を作ろうとしているんだね! 聖女を堕落させ、手下に加えて世界征服……。なんてクリエイティブなんだ! その野心、痺れるほどカッコいい!」
「は?」
「いいだろう。君がその気なら、私も本気で『勇者』を演じようではないか! 愛する魔王(リゼ)を倒し、そのハートを奪う勇者に!」
アレクセイは剣を構え直した。 やる気満々だ。 話が余計にこじれた。
「ミナ、逃げるわよ。こいつの妄想には付き合ってられない」
「は、はい!」
「『煙幕(スモーク)』!」
アリスが地面に小瓶を叩きつける。 紫色の煙が爆発的に広がり、視界を奪う。 その隙に、アリスはミナの手を引いて走り出した。
「待てリゼ! まだ名乗り口上も終わっていないぞ!」
煙の向こうから王子の声がする。 無視だ。 今は距離を稼ぐことが最優先だ。
二人は森の奥へと駆けた。 背後から迫る王子の気配を感じながら。
「お姉さま……あの人、頭大丈夫なんですか?」
「大丈夫じゃないから逃げてるのよ」
「納得です」
息を切らしながら走る二人。 その手は、いつの間にか固く握り合わされていた。
吊り橋効果か、あるいは共通の敵を持った連帯感か。 この逃避行を通じて、元悪役令嬢と元ヒロインの間に、奇妙な絆が芽生え始めていた。 それは、王子がどれほど求めても得られない、信頼という名の絆だった。
しかし、エルフの里まではまだ遠い。 そして、アレクセイの『勇者ごっこ』は、まだ始まったばかりだった。
ミナ・フォン・アスター男爵令嬢。 本来であれば、この世界の『正ヒロイン』として、王太子アレクセイと甘い恋に落ち、世界を救う『聖女』として崇められるはずの少女だ。
しかし、現実は非情だった。
「……もう、無理」
ミナは顔を上げ、充血した目で虚空を睨んだ。 彼女の目の前には、未だかつて見たこともない高さの書類タワーがそびえ立っている。 『西部開拓予算案』『魔導具輸出規制法案』『王太子殿下のファンクラブ会報誌検閲』……。 本来、一介の男爵令嬢が触れることすら許されない国家機密レベルの書類が、無造作に積み上げられているのだ。
「なんで……? なんで私は、こんなことをしているの?」
ミナは羽ペンを握りしめ、涙を流した。
彼女は転生者だ。 前世はブラック企業で働く社畜OL。 過労死寸前でトラックに轢かれ、大好きな乙女ゲーム『エターナル・ラブ・ファンタジー』の世界に転生した。 「やっと報われる! 今度こそイケメン王子に溺愛されて、キラキラのスローライフを送るんだ!」 そう夢見ていた。
だが、蓋を開けてみればどうだ。 ゲームの開始地点である学園に入学する前に、なぜか王城に呼び出され、そのまま事務室に軟禁された。 そして、目の前には、ゲームでは見たこともない『死んだ魚の目をしたおじさんたち(宰相や官僚)』が並び、口々にこう言ったのだ。
『リゼ様がいなくなった今、君がやるしかないんだ』 『聖女なんだろう? 奇跡の力でこの書類を片付けてくれ』 『寝るな! 決裁印を押す手が止まっているぞ!』
地獄だった。 前世よりも酷いブラック環境。 しかも、肝心の攻略対象であるアレクセイ王子は、ミナに見向きもしない。 一度だけ廊下ですれ違った時、彼はミナを見てこう言った。
『邪魔だ。そこをどけ』
冷徹な瞳。 まるで路傍の石を見るような目。 ゲームの中で見せてくれた、あの甘い微笑みはどこへ消えたのか。
「違う……私のシナリオと違う……!」
ミナは悟った。 このままでは、過労死ルート一直線だ。 聖女として覚醒する前に、ストレスで胃に穴が開いて死ぬ。
「……逃げよう」
ミナは決意した。 前世では逃げられずに死んだ。 でも、今世には魔法がある。 聖女の力がある。 これを使えば、このブラック王城から脱出できるはずだ。
「さようなら、王子様。さようなら、おじさんたち。私は自由になります!」
ミナは窓を開けた。 夜風が冷たい。 彼女は机の上の書類の山に、書き置きを残した。 『一身上の都合により退職します。探さないでください』 奇しくも、彼女が憧れた悪役令嬢リーゼロッテと同じ文言だったが、そこに込められた感情は『恐怖』のみだった。
「『聖なる加護(ホーリー・プロテクション)』……私を隠して!」
ミナは拙い詠唱で、自身の姿を隠蔽する魔法を発動させた。 本来なら高度な魔法だが、極限状態の火事場の馬鹿力か、彼女の体はふわりと光に包まれ、夜の闇に溶け込んだ。
こうして、正ヒロインの脱走劇が幕を開けた。 向かう先などない。 とにかく、この城から、あの恐ろしい上司(王子)から、一番遠い場所へ。
◇
数日後。 王国と帝国の国境付近、『迷いの森』。
鬱蒼と茂る木々が日光を遮り、昼間でも薄暗いこの森は、方向感覚を狂わせる磁場と、凶暴な魔獣の生息地として恐れられている。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ミナは、泥だらけのドレスを引きずりながら歩いていた。 お気に入りのピンクのヒールは片方折れ、綺麗に巻いていた髪はボサボサになり、顔には擦り傷ができている。
「ここ、どこぉ……?」
王都を脱出してから、無我夢中で西へ逃げた。 乗合馬車に忍び込み、荷馬車の荷台で眠り、気づけばこんな深い森の中に迷い込んでいた。
お腹が空いた。 喉が渇いた。 足が痛い。
「ううっ……こんなはずじゃ……」
ミナはその場に座り込んだ。 前世の記憶にあるゲーム知識では、この森には『隠しイベント』があり、ここで迷っているとイケメンの騎士団長が助けに来てくれるはずだった。 だから、あえてこの森に入ったのに。
現れたのはイケメンではなく、巨大な牙を持つ猪型の魔獣『キラー・ボア』だった。
「グルルルッ……!」
茂みから、真っ赤な目をしたイノシシが現れた。 鼻息荒く、地面を前足で掻いている。
「ひっ!」
ミナは悲鳴を上げた。 魔法で戦おうとするが、恐怖で声が出ない。 それに、数日間の逃亡生活で魔力も枯渇している。
「こ、来ないでぇ!」
キラー・ボアが突進してくる。 トラックのような質量が、時速50キロで迫る。 死ぬ。 二度目の死だ。
ミナはギュッと目を閉じた。 走馬灯が見える。 前世の残業の日々。 今世の書類の日々。 ……あれ? 私、働いてばっかりじゃない?
「(次こそは、ナマケモノに転生したい……)」
そう願った、その瞬間だった。
ドォォォォォン!!
目の前で、凄まじい衝撃音が響いた。 地面が揺れ、熱風が顔を撫でる。 恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景があった。
キラー・ボアが、いない。 いや、正確には、遠くの木に突き刺さってピクピクしている肉塊がそれだったらしい。
そして、ミナの目の前には、一人の人物が立っていた。
深くフードを被った、小柄な人影。 手には何も持っていない。 ただの素手で、あの巨大な魔獣を吹き飛ばしたというのか。
「……ったく、騒がしいわね。安眠妨害よ」
フードの下から聞こえたのは、鈴を転がすような、しかしドスの利いた女性の声だった。
その人物が振り返る。 フードの隙間から見えたのは、意志の強そうなアメジスト色の瞳。 そして、どこか気だるげな、しかし圧倒的な強者のオーラ。
「あ……」
ミナは、その姿に釘付けになった。 イケメン騎士団長ではない。 でも、それ以上に衝撃的で、美しい人。
「あんた、こんなところで何してるの? ここはピクニックコースじゃないわよ」
女性が呆れたように言った。 ミナは震える声で答えた。
「た、助けて……ください……」
言い終わる前に、ミナの意識は暗転した。 安心感と空腹の限界で、彼女は地面に倒れ込んだのだった。
◇
目を覚ますと、そこは焚き火の前だった。 パチパチと薪が爆ぜる音。 香ばしい匂い。
「……ん」
ミナが身を起こすと、目の前で串焼き魚を食べている人物がいた。 先ほどのフードの女性だ。 今はフードを脱いでいる。 変装魔法を使っているのか、髪は地味な茶色で、顔にはそばかすがある。 だが、その所作――魚を食べる動作一つとっても、隠しきれない気品が漂っていた。
「起きた? とりあえず食べなさい」
女性は、焼けたばかりの魚を差し出した。
「あ、ありがとうございます!」
ミナは飛びついた。 熱々の魚にかぶりつく。 美味しい。 塩だけの味付けだが、今まで食べたどんな高級料理よりも美味しく感じた。
「……ふぅ。生き返りました」
完食したミナが礼を言うと、女性はジロリとこちらを見た。
「で? あんた誰? なんでこんな危険な森に一人でいるの?」
「あ、私はミナと申します。その……王都から逃げてきまして」
「逃げてきた?」
女性の眉がピクリと動いた。
「はい。あの、信じてもらえないかもしれませんが……私、王城で働いていたんです。でも、そこがとんでもないブラック職場で……」
ミナは堰を切ったように話し始めた。 終わらない残業。 理不尽な上司(宰相と王子)。 そして、自分が本来受けるはずだった『聖女』としての待遇が一切なかったこと。
「……というわけで、もう限界で逃げてきたんです。あんな怖い上司の顔、二度と見たくありません!」
ミナが涙ながらに訴えると、女性はなぜか深く頷き、同情の眼差しを向けてきた。
「わかるわ。すっごくわかる」
「え?」
「あそこの職場環境は異常よね。特にあの上司、人のことを便利な道具か何かだと思ってるし、自分の機嫌で周りを振り回すし、そのくせ自分は『愛』とか言っておけば何でも許されると思ってる節があるわ」
「そ、そうなんです! 愛というか、私には殺意に見えましたけど!」
「奇遇ね。私もあいつから逃げてる最中なの」
女性はニヤリと笑った。
「私、アリスよ。しがない薬屋だけど、まあ、色々あって指名手配中」
「し、指名手配!?」
「冤罪よ。ちょっと元婚約者から慰謝料をもらって、ストーカー被害から逃げてるだけ。でも、権力者が相手だと、被害者が悪者にされちゃうのよね」
アリスと名乗った女性――リーゼロッテは、肩をすくめた。 ミナは感動した。 この人も、自分と同じ被害者なんだ。 権力(王子)に立ち向かい、自由を求めて戦う同志なんだ。
「アリスさん……!」
ミナの瞳がキラキラと輝き始めた。
「私、ついていきます! 私、行くあてがないんです! 家事でも戦闘でも何でもしますから、どうかお供させてください!」
「はぁ? 断るわよ。私は一人の方が気楽なの」
アリスは即答した。 だが、ミナは食い下がった。
「お願いします! 私、これでも『聖女』の力があるんです! 結界とか回復魔法とか使えます! 役に立ちます!」
「聖女……?」
アリスの目が鋭くなった。 彼女はミナをじっと観察する。
(……この子、もしかしてミナ男爵令嬢? 本来のヒロイン?)
リーゼロッテ(アリス)は内心で計算を始めた。 彼女がここにいるということは、ゲームのシナリオが完全に崩壊しているということだ。 本来なら王子とくっついているはずの彼女が、王子を恐れて逃げ出してきた。 これは由々しき事態だ。 王子がフリーのままだと、その執着は永遠に私(リゼ)に向くことになる。
(待てよ。ここでこの子を保護して、うまく教育して、王子の元へ送り返せば……あるいは、王子への盾として使えば……)
リーゼロッテの脳内で、悪役令嬢らしい打算が働いた。 それに、聖女の結界魔法は使える。 王子の追跡魔法を防ぐのに、二重のセキュリティがあればより確実だ。
「……わかったわ」
アリスはため息交じりに言った。
「連れて行ってあげる。ただし、条件があるわ」
「なんでも聞きます!」
「一つ、私の睡眠時間を邪魔しないこと。二つ、私の指示には絶対に従うこと。三つ、もし追っ手が来たら、全力で足止めすること。いいわね?」
「はい! お姉さま!」
「お姉さまはやめて」
「はい! アリスお姉さま!」
「……まあいいわ」
こうして、奇妙なバディが結成された。 逃亡中の悪役令嬢(最強)と、脱走したヒロイン(聖女)。 本来なら恋敵になるはずの二人が、共通の敵(王子)から逃げるために手を組んだのだ。
◇
翌朝。 二人は森の中を進んでいた。
目指すは、森の奥深くにあるという『エルフの里』。 そこは人間嫌いのエルフたちが住む秘境であり、外部からの侵入を拒む強力な結界がある。 そこなら、しばらくは安全に暮らせるはずだ。
「お姉さま、あっちに綺麗なキノコが!」
「触らないで。それは『笑い茸』の変種よ。胞子を吸うだけで三日三晩笑い続けて死ぬわ」
「ひっ!」
「お姉さま、魔物が!」
「下がってて」
シュッ。ドカッ。 現れたウルフの群れを、アリスは投石だけで殲滅した。 魔法すら使っていない。
「すごいですお姉さま! どうやったらそんなに強くなれるんですか!?」
「死ぬ気で9回くらい人生やり直せば、誰でもできるわよ」
「え? 9回?」
「冗談よ」
ミナは、アリスの背中を見つめながら、憧憬の念を深めていた。 強い。 美しい。 そして、時折見せる気遣い(ミナが疲れた時に飴をくれたりする)が優しい。 王城で出会ったどのおじさんたちよりも、そしてあの冷酷な王子よりも、アリスの方がずっと頼りになるし、魅力的だ。
「(私、この人についていく。王子様なんていらない。アリスお姉さまと一緒に、世界中を旅するんだ)」
ミナの中で、何かが決定的にズレていった。 本来の恋愛対象(王子)へのフラグがへし折れ、代わりにリゼへの友情(百合?)フラグが建設されつつある。 リゼにとっては誤算だが、今の彼女は気づいていない。
そんな平和な(?)道中だったが、やはり世界は彼女たちを放っておかなかった。
「……止まって」
突然、アリスが足を止めた。 彼女の視線が、上空に向けられる。
「え? どうかしましたか?」
「……来たわね。しつこい男」
アリスが舌打ちをする。 森の上空、木々の隙間から見える空に、黒い点が旋回しているのが見えた。 飛竜だ。 しかも、ただの飛竜ではない。 王家の紋章が入った、黄金の鎧をまとった特務仕様機だ。
「嘘……なんでここが?」
ミナが青ざめる。 アリスは冷静に分析した。 『迷いの森』の磁場があっても、低空飛行で目視捜索されれば見つかる可能性がある。 それに、王子の勘は野生動物並みだ。
「ミナ、結界を張りなさい。全力で」
「は、はい! 『聖域展開(サンクチュアリ)』!」
ミナが祈ると、二人の周囲に半透明のドームが出現した。 聖女の固有スキルだ。 これにより、魔力反応も匂いも完全に遮断される。
だが。
「み~つけた♡」
上空から、拡声魔法を通した甘い声が降ってきた。
「ひぃっ!」
ミナが悲鳴を上げる。 その声の主を、彼女はよく知っていたからだ。 あの冷酷な上司、アレクセイ王子だ。
「なんで!? 結界張ったのに!」
「あいつには通じないのよ! 愛の力とかいう理不尽な理屈で突破してくるの!」
アリスが叫ぶ。 その通りだった。 アレクセイは、飛竜の上から地上を見下ろし、二人のいる場所を正確に指差していた。
「愛しいリゼ、そして……おや? そこにいるのは聖女ミナか?」
アレクセイの声には、驚きというよりは『邪魔者がいるな』という不快感が混じっていた。
「なるほど、そういうことか。ミナ、貴様がリゼを誘拐したんだな?」
「は!?」
ミナとリゼの声が重なった。
アレクセイの脳内で、またしても都合の良い解釈が生成された。 『か弱いリゼが、一人でこんな危険な森を歩けるはずがない。となると、あの聖女がリゼを騙して連れ出したのか。あるいは、リゼの美しさに嫉妬して、森に捨てようとしたのか? 許せん!』
「待ってろリゼ! 今、その悪女から助けてやる!」
「えええええ!?」
ミナは絶叫した。 冤罪だ。 完全なる冤罪だ。 というか、さっきまで「リゼが悪党」って言ってなかったか? 設定がブレブレだ。
「違うわよバカ王子! 私が誘拐したんじゃなくて、拾ったの!」
リゼが反論するが、アレクセイは聞いていない。
「飛竜部隊、降下! 聖女を捕縛しろ! リゼは優しく保護しろ!」
「イエッサー!」
上空から、騎士たちがロープで降下してくる。 武装した精鋭たちだ。
「お姉さま! どうしましょう!」
「戦うわよ! ここで捕まったら、私は軟禁、あんたは残業地獄よ!」
「嫌ぁぁぁぁ! 残業はもう嫌ぁぁぁぁ!」
ミナが覚醒した。 社畜のトラウマが、彼女の潜在能力を引き出したのだ。
「『聖女の鉄槌(ホーリー・スマッシュ)』!!」
ミナが杖を振り上げると、光の塊が空中に生成された。 それは慈愛の光ではない。 書類の山を吹き飛ばしたいという、OLの怨念が凝縮された破壊光線だった。
ドガァァァン!!
光線が降下中の騎士たちを直撃する。 「ぐわぁぁぁ!」「ま、眩しい!」「目が、目がぁぁ!」 騎士たちが空中でキリモミ回転しながら吹き飛んでいく。
「……やるじゃない」
アリスが口笛を吹いた。 意外な戦力だ。 これならいけるかもしれない。
「ミナ、援護するわ! 『風の刃(ウィンド・カッター)』!」
アリスも攻撃魔法を放つ。 風の刃が、騎士たちのロープを切断する。 次々と地面に落下する騎士たち(地面にはアリスが事前に『クッション苔』を生成しておいたので死にはしない。優しい)。
「おのれ、ミナ……! リゼを洗脳して操っているのか!」
上空のアレクセイが激怒する。
「ならば、私が直接相手をしてやる!」
アレクセイが飛竜から飛び降りた。 高度100メートル。 パラシュートなし。
「死ぬわよ!?」
ミナが叫ぶが、アレクセイは着地の瞬間に光のクッションを展開し、音もなく地面に降り立った。 その姿は、まさにヒーロー。 顔が良いのがさらに腹立たしい。
「さあ、リゼを返してもらおうか」
アレクセイが剣を抜く。 その瞳は、ミナを完全に『敵』として認識していた。
「ひっ……!」
ミナが腰を抜かす。 王子の殺気が凄まじい。 本気だ。 この人は、恋路を邪魔する者は聖女だろうが容赦なく斬るつもりだ。
その時。 アリスが、ミナの前に立った。 小柄な背中が、王子の殺気を正面から受け止める。
「手出しはさせないわよ、アレクセイ」
アリスが低い声で言った。
「この子は私の……そう、新しい『部下』よ。私の許可なくいじめないでくれる?」
「……部下?」
アレクセイが眉をひそめる。 そして、次の瞬間、彼の顔がパァッと明るくなった。
「そうか! リゼ、君は新しい『悪の組織』を作ろうとしているんだね! 聖女を堕落させ、手下に加えて世界征服……。なんてクリエイティブなんだ! その野心、痺れるほどカッコいい!」
「は?」
「いいだろう。君がその気なら、私も本気で『勇者』を演じようではないか! 愛する魔王(リゼ)を倒し、そのハートを奪う勇者に!」
アレクセイは剣を構え直した。 やる気満々だ。 話が余計にこじれた。
「ミナ、逃げるわよ。こいつの妄想には付き合ってられない」
「は、はい!」
「『煙幕(スモーク)』!」
アリスが地面に小瓶を叩きつける。 紫色の煙が爆発的に広がり、視界を奪う。 その隙に、アリスはミナの手を引いて走り出した。
「待てリゼ! まだ名乗り口上も終わっていないぞ!」
煙の向こうから王子の声がする。 無視だ。 今は距離を稼ぐことが最優先だ。
二人は森の奥へと駆けた。 背後から迫る王子の気配を感じながら。
「お姉さま……あの人、頭大丈夫なんですか?」
「大丈夫じゃないから逃げてるのよ」
「納得です」
息を切らしながら走る二人。 その手は、いつの間にか固く握り合わされていた。
吊り橋効果か、あるいは共通の敵を持った連帯感か。 この逃避行を通じて、元悪役令嬢と元ヒロインの間に、奇妙な絆が芽生え始めていた。 それは、王子がどれほど求めても得られない、信頼という名の絆だった。
しかし、エルフの里まではまだ遠い。 そして、アレクセイの『勇者ごっこ』は、まだ始まったばかりだった。
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