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第十一話 ダンジョン発生。逃げ場がなくなったので攻略します
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入り口を塞いだ岩盤の向こうから、微かに聞こえていたアレクセイ殿下の絶叫も、今はもう聞こえない。 完全なる静寂。 そして、肌にまとわりつくような濃密な闇。 私が作り出した青白い魔法の光だけが、ゴツゴツとした岩肌と、どこまでも続く鍾乳洞の奥を頼りなく照らしていた。
「……行っちゃいましたね、殿下」
ミナが震える声で呟いた。 彼女の声が洞窟内に反響し、幾重にも重なって聞こえる。
「ええ。さすがの彼も、崩落した岩盤を掘り返すほど暇じゃないでしょう」
私は努めて明るく言ったが、内心では冷や汗を拭っていた。 暇じゃない? とんでもない。 あの男は、私の髪の毛一本のためなら、スプーン一本でトンネルを掘り抜くくらいの狂気を持ち合わせている。 彼がすぐに追ってこないのは、単に「愛の試練を見守る」という謎のポジティブ・モードに入ったからか、あるいは別のルートを探しているからに過ぎない。
「さて、ミナ。状況を確認するわよ」
私はリュックを背負い直し、冷静に周囲を見渡した。 空気の状態、魔素の濃度、風の流れ。
「ここは『深淵の迷宮』。かつてS級指定を受けた古代ダンジョンの一つよ。入り口付近でこの魔素濃度……普通の人間なら、一時間で魔力酔いを起こして廃人になるレベルね」
「は、廃人!? 私、もう頭がクラクラしてますけど!」
「大丈夫。あんたは聖女だから、無意識に浄化フィルターが働いてるわ。深呼吸して、自分の中に綺麗な空気をイメージしなさい」
ミナがスゥー、ハァーと深呼吸をする。 素直で助かる。
「問題は魔物ね。S級ダンジョンの生態系は、地上のそれとは別次元よ。ゴブリン一匹とっても、地上のオーク並みの戦闘力があると思っていいわ」
「ひぃっ! そんなの、私たちが勝てるんですか!?」
「勝つんじゃないの」
私は懐から、愛用のミスリル製ナイフ(宝物庫産)を取り出し、光にかざした。
「『処理』するのよ。邪魔な雑草を刈るように、効率的にね」
私の瞳が、冷徹なアメジストの輝きを帯びた。 10回目の人生。 これまでのループで培った知識と経験、その全てを動員する時が来た。 スローライフのためなら、S級ダンジョンだろうが魔王城だろうが、更地にしてやる。
「行くわよ。私の背中から離れないでね」
私たちは、底知れぬ闇の奥へと足を踏み出した。
◇
歩き始めて30分。 最初の遭遇者は、定番の『スケルトン』だった。 ただし、ただのスケルトンではない。 骨格がミスリルのように銀色に輝き、手には魔力を帯びた剣を持ち、眼窩には赤い鬼火を宿している。 『シルバー・スケルトンナイト』。 地上の冒険者なら、Aランクパーティーが全力で挑んで辛勝するレベルのアンデッドだ。 それが、10体もワラワラと湧いて出た。
「カカカカッ……!」
骨たちが顎を鳴らし、殺意を向けてくる。
「ひぃぃぃっ! お姉さま! 骨が! 強そうな骨が!」
ミナが私の服の裾を握りしめて悲鳴を上げる。
「騒がないで。ただのカルシウムの塊よ」
私は立ち止まり、左手をかざした。 詠唱? そんなまどろっこしいことはしない。 私が使うのは、8回目の人生で習得した『古代語魔法(ロスト・マジック)』だ。 現代魔法のような複雑なプロセスを省略し、現象そのものをダイレクトに書き換える、神代の技。
「『還れ(リターン)』」
短く呟き、指をパチンと鳴らす。 それだけだ。
ドォン!
目に見えない衝撃波が、スケルトンの群れを貫通した。 次の瞬間、彼らの繋ぎ目という繋ぎ目が一斉に外れた。 バラバラバラッ! 銀色の骨たちが、ただの骨粉となって地面に崩れ落ちる。 剣を構える暇すら与えない。
「え……?」
ミナが目を丸くしている。
「アンデッドは魔力で骨を繋いでいるだけ。その結びつきを解除すれば、ただのゴミよ。はい、次行くわよ」
私はスタスタと歩き出した。 地面に落ちた銀色の骨片の中から、魔石だけを念動力で回収するのを忘れない。 これは良い換金アイテムになる。
その後も、私たちの進撃は続いた。
巨大な毒蜘蛛『アラクネ・クイーン』が現れた時は、 「『燃えろ(イグニス)』」 の一言で、蜘蛛の巣ごとウェルダンに焼き上げた。
壁から触手を伸ばす『擬態ミミック』が襲ってきた時は、 「『凍れ(グレイシャル)』」 でカチコチに凍らせ、ハンマーで粉砕した。
「す、すごいですお姉さま……! 魔法使いというより、破壊神です……!」
ミナの目が、恐怖から尊敬、そして崇拝へと変わっていくのがわかる。 彼女の中で、私のステータスが「頼れるお姉さま」から「絶対強者」へとランクアップしたようだ。
「ミナ、あんたもボサッとしてないで仕事しなさい。魔石拾って。あと、レアなキノコがあったら教えて」
「はい! 仰せのままに!」
ミナは忠実な下僕(ミニオン)のように働き始めた。 彼女の聖女スキル『鑑定』のおかげで、隠されたアイテムやトラップの発見もスムーズだ。 私たちは、驚くべきスピードでダンジョンを攻略していった。
◇
地下5階層。 ここから環境が一変した。 岩肌だった洞窟が、人工的な遺跡のような石造りの回廊に変わったのだ。 壁には発光する苔が自生し、幻想的な緑色の光が満ちている。
「綺麗……」
ミナが感嘆の声を漏らす。 だが、美しい場所ほど危険なのがダンジョンの常識だ。
「気をつけて。ここは『ガーディアン』のテリトリーよ」
私の警告と同時に、回廊の奥から重厚な足音が響いてきた。 ズシン、ズシン。 現れたのは、全身が黒曜石で作られた、身長5メートルのゴーレム。 『オブシディアン・ジェネラル』。 物理攻撃をほぼ無効化し、魔法反射の鏡面装甲を持つ、対魔導師キラーだ。
「あわわ……お姉さま、あれは魔法が効きませんよ! 反射されます!」
ミナが叫ぶ。 その通りだ。 普通の魔法使いなら詰みだ。
だが、私はニヤリと笑った。
「反射するなら、反射できない攻撃をすればいいだけよ」
私はリュックから、一本の小瓶を取り出した。 中には、以前の人生で調合した『スライム溶解液(強酸性カスタム)』が入っている。 それを、投擲スキルでゴーレムの足元に投げつける。
パリンッ!
瓶が割れ、液体が広がる。 ゴーレムはそれを踏みつけようとして――。
ジュワァァァァッ!!
「グオォォォ!?」
黒曜石の足が、酸によって溶かされ、バランスを崩す。 魔法ではない。 純粋な化学反応だ。 魔法反射装甲も、化学薬品には無力である。
「今よ!」
巨体が傾いた隙に、私は懐に飛び込んだ。 手にはミスリルのナイフ。 狙うは、装甲の継ぎ目、首の後ろにある魔力核だ。 私は身体強化魔法をフルブーストし、壁を蹴って跳躍した。
「せぇぇぇぇいッ!!」
一閃。 ナイフが正確に核を突き刺す。 パキィィン! 澄んだ音が響き、ゴーレムの動きが停止した。 そして、砂の城のように崩れ去った。
「ふぅ。堅かったわね」
私は着地し、ナイフを拭った。
「お姉さま……。物理もいけるんですか……?」
「当たり前でしょ。4回目の人生は暗殺者だったんだから。人体構造もゴーレム構造も、急所は頭に入ってるわ」
「人生経験が豊富すぎます……」
私たちは崩れたゴーレムの残骸を乗り越え、さらに奥へと進んだ。
◇
地下10階層。 ついに最深部に到達した。
そこは、広大な地下ドームだった。 天井が見えないほど高く、中央には巨大な地底湖が広がっている。 そして、湖の中央にある小島に、それはいた。
山のように巨大な体躯。 鋼鉄よりも硬い、真紅の鱗。 剣山のような背びれ。 そして、黄金に輝く爬虫類の瞳。
『エンシェント・レッドドラゴン』。 S級ダンジョンの主であり、伝説級の災害指定魔獣だ。
「グルルルル……」
ドラゴンが目を覚まし、私たちを見下ろした。 その鼻息だけで突風が巻き起こり、湖面が波立つ。
「ひっ、ひぃぃぃっ!! ド、ド、ドラゴンですぅぅぅ!!」
ミナが腰を抜かしてへたり込む。 無理もない。 生物としての格が違う。 そのプレッシャーだけで、心臓が止まりそうだ。
「人間か……久しいな。我が眠りを妨げる愚か者は」
ドラゴンが喋った。 重低音の声が、骨の髄まで響く。 高位のドラゴンは知能が高く、人語を解する。
「去れ。今なら見逃してやる。我は今、虫の居所が悪い」
ドラゴンは面倒くさそうに尻尾を振った。 慈悲深い。 通常なら、ここで「はい、すみません」と言って逃げ帰るのが正解だ。 だが、逃げ帰る先には、このドラゴンよりも恐ろしい「愛のストーカー王子」が待っている。 前門のドラゴン、後門の王子。 ならば、選ぶべき道は一つ。
「ねえ、トカゲさん」
私は一歩前に出た。
「誰がトカゲだ。我は古の龍王、ヴォルガノスだ」
「名前なんてどうでもいいわ。単刀直入に聞くけど、あんた、飛べるわよね?」
「は?」
ドラゴンが怪訝な顔をする。
「飛べるかって聞いているの。あと、背中の乗り心地はどうかしら? 人を二人乗せて、隣国までひとっ飛びできる?」
「……貴様、我をタクシーか何かと勘違いしていないか?」
ドラゴンの目に怒りの炎が灯った。 空気が熱くなる。
「我は龍王だぞ! 人間ごときが背に乗るなど、万死に値する不敬だ!」
「そう。交渉決裂ね」
私はため息をついた。 平和的解決(交渉)は無理か。 ならば、実力行使しかない。
「お姉さま! 何挑発してるんですか!? 殺されますよ!?」
ミナが泣き叫ぶ。 私は彼女の方を向かずに言った。
「ミナ、結界を張ってて。あいつのブレスが来るわよ」
「えっ!?」
「『グオオオオオオオッ!!』」
ドラゴンの口が大きく開かれ、灼熱の炎が吐き出された。 『ドラゴンブレス』。 岩をも溶かす数千度の業火が、私たちを飲み込む。
「『聖域(サンクチュアリ)』!!」
ミナが咄嗟に結界を展開する。 光のドームが炎を受け止める。 だが、熱量が凄まじい。 結界がミシミシと音を立てる。
「あつっ! 熱いですお姉さま! 結界が持ちません!」
「10秒耐えて。それで十分よ」
私は結界の中から、炎の渦を見つめた。 この熱量。この魔力密度。 素晴らしい。 さすがS級の素材だ。
私は懐から、一本のナイフを取り出した。 ミスリルのナイフではない。 以前、7回目の人生で手に入れた、ドラゴンの逆鱗を加工して作った『竜殺しの短剣(ドラゴンスレイヤー)』だ。 これを宝物庫から盗んでおいて本当に良かった。
「(ターゲット、ロックオン。ドラゴンの魔力供給源は喉元の『第二心臓』)」
私は深く息を吸い込み、魔力を練り上げる。 身体強化? いいえ、もっと上だ。 『限界突破(リミット・ブレイク)』。 肉体のリミッターを外し、一時的に身体能力を数十倍に跳ね上げる自爆技ギリギリの奥義。
「行くわよ!」
「えっ!?」
私は結界を飛び出した。 灼熱の炎の中へ生身で突っ込む。
「なっ!?」
ドラゴンが驚愕する。 自殺行為だと思ったのだろう。 だが、私は炎を浴びながらも燃え尽きない。 私の体表には、極薄の『真空断熱層』を展開しているからだ。
炎のトンネルを突き抜け、私はドラゴンの鼻先へと躍り出た。
「遅い!」
ドラゴンの爪が迫るが、私は空中で軌道を変え、その腕を駆け上がった。 巨大な腕を足場にして、顔面へと肉薄する。
「小賢しいハエめ!」
ドラゴンが顎を開き、私を噛み砕こうとする。 それが隙だ。
「口を開けたわね。ごちそうさま」
私は開かれた口の中へ、持っていた『特製麻痺毒ポーション(超濃縮版)』の樽を放り込んだ。 小瓶ではない。 樽だ。 アイテムボックスに入れておいた酒樽サイズの劇薬だ。
ガブリ。
ドラゴンは反射的にそれを噛み砕いた。 中身が口内に広がる。
「んぐっ……!? なんだこれは……舌が……痺れ……」
ドラゴンの動きが止まる。 即効性の神経毒だ。 いくらドラゴンでも、粘膜から直接吸収されればひとたまりもない。 巨体がグラリと揺れる。
「仕上げよ!」
私はドラゴンの頭上に着地し、脳天にある『制御神経』のツボに、竜殺しの短剣を突き立てた。 殺しはしない。 魔力の流れを遮断し、体の自由を奪うだけだ。 いわゆる『峰打ち』の究極版である。
ドスッ!
「ギャオォォォン……!」
断末魔のような悲鳴を上げ、ドラゴンはその場に崩れ落ちた。 ズズズズズ……ン! 地響きを立てて倒れる巨体。 勝負ありだ。
「ふぅ。なんとか計算通りね」
私はドラゴンの頭の上で汗を拭った。 『限界突破』の反動で筋肉が悲鳴を上げているが、ポーションを飲めば治る。
「……え?」
結界から出てきたミナが、口をあんぐりと開けて固まっている。
「お、お姉さま……。ドラゴンを……素手で(実際は短剣だが)……?」
「だから言ったでしょ。処理するだけだって」
私は倒れたドラゴンの鼻先をポンポンと叩いた。
「おい、起きてるでしょ? 死んでないのはわかってるわよ」
「……ぐぬぬ……」
ドラゴンが薄目を開けた。 体は動かないが、意識はあるようだ。 屈辱にまみれた目で私を睨んでいる。
「貴様……人間風情が、誇り高き龍王に何をする……」
「誇りは結構だけど、命とどっちが大事?」
私はナイフをチラつかせた。
「今ここで解体して、鱗を剥いで、肉をステーキにして、骨を粉末にしてスープの出汁にしてもいいのよ? ドラゴンの素材は高く売れるしねえ」
私は舌なめずりをした。 実際、ドラゴンの肉は極上の美味だ。
「ひっ……!」
ドラゴンが怯えた。 こいつ、意外とヘタレだ。
「でも、私も鬼じゃないわ。取引をしましょう」
「と、取引だと?」
「ええ。私の言うことを聞くなら、命は助けてあげる。ついでに、あんたが悩んでる『虫歯』も治してあげるわよ」
「な、なぜそれを!?」
ドラゴンが目を見開いた。 そう、さっき口の中を見た時、奥歯が黒くなっているのを見逃さなかったのだ。 ドラゴンといえど甘いものが好きな個体は虫歯になる。 そして、その激痛がさっきの「虫の居所の悪さ」の原因だったのだろう。
「私は薬屋だからね。お安い御用よ」
私はニッコリと笑った。 アメとムチ。 調教の基本だ。
「……わかった。負けだ。我は貴様の軍門に下ろう」
ドラゴンは観念したように目を閉じた。
「よろしい。今日からあんたの名前は『ポチ』ね」
「ポチ!? 我はヴォルガノスという高貴な……」
「ポチ」
「……ワン」
こうして、私はS級ダンジョンの主、エンシェント・レッドドラゴンをペット(下僕)にした。 最強の移動手段を手に入れた瞬間だった。
◇
一方その頃。 私たちがドラゴンをポチ呼ばわりしていたのと同じ時系列。 ダンジョンの入り口付近。
「待ってろリゼ! 今行くぞ!」
アレクセイ殿下は、単身ダンジョンに突入していた。 彼が進む道には、魔物の死体が山のように築かれていた。
「邪魔だ! どけぇぇぇッ!」
殿下の剣が一閃するたびに、シルバー・スケルトンが粉砕され、アラクネが燃やされ、ミミックが細切れにされていく。 リゼが「処理」したのと同じ魔物たちだが、殿下のそれは「虐殺」に近かった。
「はぁ、はぁ……リゼの匂いがする……」
彼は地面に落ちていた小さな布切れを拾い上げた。 リゼがアラクネと戦った時に破れた服の一部だ。
「ああ、リゼ……こんな危険な場所で、服を破くなんて……! きっと怖い思いをしているに違いない!」
彼は布切れを頬に押し当て、恍惚と悲憤が入り混じった表情をした。
「許さんぞ、ダンジョンの魔物ども! 私のリゼの肌を露わにさせた罪、絶滅で購ってもらう!」
ドガァァァン!!
殿下の全身から光の魔力が噴出した。 『聖なる怒り(ホーリー・レイジ)』。 周囲の空間そのものを浄化焼却する広範囲殲滅魔法だ。 地下1階層から3階層までの魔物が、一瞬で蒸発した。
「リゼェェェッ! どこだァァァッ!」
彼は血走った目で奥へと進む。 その背後には、彼を心配して追いかけてきた近衛騎士団が続いていたが、彼らは全員ドン引きしていた。
「で、殿下……少し落ち着いて……」 「うるさい! リゼが待っているんだ!」
暴走する王子。 もはや誰も止められない。 彼は一直線に最深部を目指していた。 そこに待ち受けるのが、すでにペット化されたドラゴンと、ドン引きしている元婚約者だとは知らずに。
◇
地下最深部、地底湖。
私はポチ(ドラゴン)の治療を終えていた。 虫歯を魔法で削り、特製の詰め物をしたおかげで、ポチはすっかり機嫌を直していた。
「おお……痛くない! 数百年ぶりに食事が美味しく感じられそうだ!」
ポチは尻尾を振って喜んでいる。 単純なやつだ。
「じゃあ、約束通り私たちを乗せて出口まで送ってちょうだい。出口はどこ?」
「うむ。この地底湖の底に、地上の火口湖に繋がる水脈がある。そこを通れば一気に外へ出られるぞ」
「水中ルートか。まあ、ポチの結界があれば大丈夫ね」
「任せておけ、ご主人様!」
私たちがポチの背中に乗ろうとした、その時だった。
ズズズズ……ッ!
入り口の回廊の方から、凄まじい殺気が押し寄せてきた。 ただの魔物の気配ではない。 空気がピリピリと痛み、空間が歪むほどのプレッシャー。 そして、聞き覚えのある絶叫。
「リゼェェェェェッ!! 見つけたぞォォォォッ!!」
回廊の闇を切り裂いて、黄金の光の塊が飛び込んできた。 アレクセイ殿下だ。 彼は空中を飛びながら、地底湖の小島に着地した。
ドォォン!!
着地の衝撃で地面が割れる。 ポチがビクリと震えた。
「な、なんだあの人間は……? 我以上の化け物の気配がするぞ……」
S級ドラゴンですら引いている。 殿下のヤンデレオーラは、種族の壁を超えて恐怖を与えるらしい。
「リゼ!」
殿下は私を見つけるなり、駆け寄ろうとした。 だが、私の背後にいる巨大なドラゴン(ポチ)を見て、足が止まった。
「……貴様か」
殿下の目が、ポチを射抜いた。 その瞳には、燃え盛る嫉妬の炎と、明確な殺意が宿っていた。
「私のリゼを攫い、こんな暗い場所に連れ込み、あまつさえ彼女を背中に乗せようとするとは……」
殿下は剣を構えた。
「その薄汚いトカゲの手で、リゼに触れるなァァァッ!!」
「ひぃっ!?」
ポチが悲鳴を上げる。
「ちょ、ちょっと待て人間! 我はご主人様のペットで……」
「ペットだと!? ふざけるな! リゼのペットになっていいのは、この私だけだァァァッ!!」
「ええええええ!?」
ポチとミナの絶叫が重なった。 殿下の発言がおかしい。 ペット志願ってなんだ。 王族のプライドはどこへ行った。
「死ね、トカゲ! リゼの愛玩枠(ペットスロット)は私が独占する!」
殿下が跳躍した。 光の剣が巨大化し、数十メートルの光刃となってポチに振り下ろされる。
「ギャーッ! ご主人様、助けてぇぇぇ!」
ポチが私の後ろに隠れる。 情けないドラゴンだ。
「やめなさいアレクセイ!」
私は殿下の前に立ちはだかった。 ここでポチを殺されたら、移動手段がなくなる。
「リゼ! どくんだ! そのトカゲは危険だ!」
「危険なのはあんたよ! ポチは私の大事な足なの! 壊さないで!」
「足……? そうか、君を運ぶための乗り物か……」
殿下は剣を止めた。 しかし、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
「ならば尚更不要だ。君を運ぶのは、私の腕(お姫様抱っこ)だけで十分だ!」
「嫌よ! あんたの腕は拘束具でしょ!」
「愛のゆりかごと言ってくれ!」
会話をしている間に、ポチが小声で囁いてきた。
「ご主人様、今のうちに逃げるぞ! あいつはヤバい! 本能が『逃げろ』と叫んでいる!」
「……そうね。ミナ、乗って!」
私はミナをポチの背中に放り投げ、自分も飛び乗った。
「ポチ、潜れ! 全力で!」
「合点承知!」
ポチが地底湖に向かってダイブする。
「あっ! 待てリゼ!」
殿下が手を伸ばすが、遅い。 私たちは水飛沫を上げて、地底湖の水面下へと消えた。 ポチが展開した気泡結界のおかげで、水に濡れることはない。
「逃がさん……! 地の果てまでも!」
水面の上から、殿下の声がくぐもって聞こえる。 彼も飛び込んでくる気か? いや、さすがに甲冑姿で水中戦は無理だろう。
「ふぅ……間一髪だったわね」
私はポチの背中で息をついた。 暗い水中を、ポチは猛スピードで泳いでいく。 地下水脈を通って、地上の火口湖へ。
「お姉さま……あの王子様、本当に人間ですか?」
ミナが青ざめた顔で聞く。
「人間よ。ただし、愛という名の狂気を燃料に動く永久機関ね」
私は遠ざかる水面を見上げながら呟いた。 今回の遭遇でわかったことがある。 殿下の執着は、物理的な障害では止められない。 ダンジョンすら突破してきたのだ。 次は、空か、海か、あるいは宇宙まで追いかけてくるかもしれない。
「……覚悟を決めなきゃいけないかもね」
私は拳を握りしめた。 逃げるだけでは終わらない。 いつか、彼と正面から向き合い、完全に「お断り」を叩きつけなければ、私の安眠は永遠に訪れないだろう。
ポチが上昇を始める。 光が見えてきた。 地上の光だ。
私たちは水面を割り、空へと飛び出した。 そこは、雪の降り積もる火口湖の上空。 そして、目の前には広大な景色が広がっていた。
「……ここは?」
「ガレリア帝国領だ」
ポチが得意げに言う。
ついに、国境を越えた。 王国の勢力圏外だ。 これで少しは時間を稼げるはずだ。
「さあ、行くわよ。帝国で、体勢を立て直すわ」
「……行っちゃいましたね、殿下」
ミナが震える声で呟いた。 彼女の声が洞窟内に反響し、幾重にも重なって聞こえる。
「ええ。さすがの彼も、崩落した岩盤を掘り返すほど暇じゃないでしょう」
私は努めて明るく言ったが、内心では冷や汗を拭っていた。 暇じゃない? とんでもない。 あの男は、私の髪の毛一本のためなら、スプーン一本でトンネルを掘り抜くくらいの狂気を持ち合わせている。 彼がすぐに追ってこないのは、単に「愛の試練を見守る」という謎のポジティブ・モードに入ったからか、あるいは別のルートを探しているからに過ぎない。
「さて、ミナ。状況を確認するわよ」
私はリュックを背負い直し、冷静に周囲を見渡した。 空気の状態、魔素の濃度、風の流れ。
「ここは『深淵の迷宮』。かつてS級指定を受けた古代ダンジョンの一つよ。入り口付近でこの魔素濃度……普通の人間なら、一時間で魔力酔いを起こして廃人になるレベルね」
「は、廃人!? 私、もう頭がクラクラしてますけど!」
「大丈夫。あんたは聖女だから、無意識に浄化フィルターが働いてるわ。深呼吸して、自分の中に綺麗な空気をイメージしなさい」
ミナがスゥー、ハァーと深呼吸をする。 素直で助かる。
「問題は魔物ね。S級ダンジョンの生態系は、地上のそれとは別次元よ。ゴブリン一匹とっても、地上のオーク並みの戦闘力があると思っていいわ」
「ひぃっ! そんなの、私たちが勝てるんですか!?」
「勝つんじゃないの」
私は懐から、愛用のミスリル製ナイフ(宝物庫産)を取り出し、光にかざした。
「『処理』するのよ。邪魔な雑草を刈るように、効率的にね」
私の瞳が、冷徹なアメジストの輝きを帯びた。 10回目の人生。 これまでのループで培った知識と経験、その全てを動員する時が来た。 スローライフのためなら、S級ダンジョンだろうが魔王城だろうが、更地にしてやる。
「行くわよ。私の背中から離れないでね」
私たちは、底知れぬ闇の奥へと足を踏み出した。
◇
歩き始めて30分。 最初の遭遇者は、定番の『スケルトン』だった。 ただし、ただのスケルトンではない。 骨格がミスリルのように銀色に輝き、手には魔力を帯びた剣を持ち、眼窩には赤い鬼火を宿している。 『シルバー・スケルトンナイト』。 地上の冒険者なら、Aランクパーティーが全力で挑んで辛勝するレベルのアンデッドだ。 それが、10体もワラワラと湧いて出た。
「カカカカッ……!」
骨たちが顎を鳴らし、殺意を向けてくる。
「ひぃぃぃっ! お姉さま! 骨が! 強そうな骨が!」
ミナが私の服の裾を握りしめて悲鳴を上げる。
「騒がないで。ただのカルシウムの塊よ」
私は立ち止まり、左手をかざした。 詠唱? そんなまどろっこしいことはしない。 私が使うのは、8回目の人生で習得した『古代語魔法(ロスト・マジック)』だ。 現代魔法のような複雑なプロセスを省略し、現象そのものをダイレクトに書き換える、神代の技。
「『還れ(リターン)』」
短く呟き、指をパチンと鳴らす。 それだけだ。
ドォン!
目に見えない衝撃波が、スケルトンの群れを貫通した。 次の瞬間、彼らの繋ぎ目という繋ぎ目が一斉に外れた。 バラバラバラッ! 銀色の骨たちが、ただの骨粉となって地面に崩れ落ちる。 剣を構える暇すら与えない。
「え……?」
ミナが目を丸くしている。
「アンデッドは魔力で骨を繋いでいるだけ。その結びつきを解除すれば、ただのゴミよ。はい、次行くわよ」
私はスタスタと歩き出した。 地面に落ちた銀色の骨片の中から、魔石だけを念動力で回収するのを忘れない。 これは良い換金アイテムになる。
その後も、私たちの進撃は続いた。
巨大な毒蜘蛛『アラクネ・クイーン』が現れた時は、 「『燃えろ(イグニス)』」 の一言で、蜘蛛の巣ごとウェルダンに焼き上げた。
壁から触手を伸ばす『擬態ミミック』が襲ってきた時は、 「『凍れ(グレイシャル)』」 でカチコチに凍らせ、ハンマーで粉砕した。
「す、すごいですお姉さま……! 魔法使いというより、破壊神です……!」
ミナの目が、恐怖から尊敬、そして崇拝へと変わっていくのがわかる。 彼女の中で、私のステータスが「頼れるお姉さま」から「絶対強者」へとランクアップしたようだ。
「ミナ、あんたもボサッとしてないで仕事しなさい。魔石拾って。あと、レアなキノコがあったら教えて」
「はい! 仰せのままに!」
ミナは忠実な下僕(ミニオン)のように働き始めた。 彼女の聖女スキル『鑑定』のおかげで、隠されたアイテムやトラップの発見もスムーズだ。 私たちは、驚くべきスピードでダンジョンを攻略していった。
◇
地下5階層。 ここから環境が一変した。 岩肌だった洞窟が、人工的な遺跡のような石造りの回廊に変わったのだ。 壁には発光する苔が自生し、幻想的な緑色の光が満ちている。
「綺麗……」
ミナが感嘆の声を漏らす。 だが、美しい場所ほど危険なのがダンジョンの常識だ。
「気をつけて。ここは『ガーディアン』のテリトリーよ」
私の警告と同時に、回廊の奥から重厚な足音が響いてきた。 ズシン、ズシン。 現れたのは、全身が黒曜石で作られた、身長5メートルのゴーレム。 『オブシディアン・ジェネラル』。 物理攻撃をほぼ無効化し、魔法反射の鏡面装甲を持つ、対魔導師キラーだ。
「あわわ……お姉さま、あれは魔法が効きませんよ! 反射されます!」
ミナが叫ぶ。 その通りだ。 普通の魔法使いなら詰みだ。
だが、私はニヤリと笑った。
「反射するなら、反射できない攻撃をすればいいだけよ」
私はリュックから、一本の小瓶を取り出した。 中には、以前の人生で調合した『スライム溶解液(強酸性カスタム)』が入っている。 それを、投擲スキルでゴーレムの足元に投げつける。
パリンッ!
瓶が割れ、液体が広がる。 ゴーレムはそれを踏みつけようとして――。
ジュワァァァァッ!!
「グオォォォ!?」
黒曜石の足が、酸によって溶かされ、バランスを崩す。 魔法ではない。 純粋な化学反応だ。 魔法反射装甲も、化学薬品には無力である。
「今よ!」
巨体が傾いた隙に、私は懐に飛び込んだ。 手にはミスリルのナイフ。 狙うは、装甲の継ぎ目、首の後ろにある魔力核だ。 私は身体強化魔法をフルブーストし、壁を蹴って跳躍した。
「せぇぇぇぇいッ!!」
一閃。 ナイフが正確に核を突き刺す。 パキィィン! 澄んだ音が響き、ゴーレムの動きが停止した。 そして、砂の城のように崩れ去った。
「ふぅ。堅かったわね」
私は着地し、ナイフを拭った。
「お姉さま……。物理もいけるんですか……?」
「当たり前でしょ。4回目の人生は暗殺者だったんだから。人体構造もゴーレム構造も、急所は頭に入ってるわ」
「人生経験が豊富すぎます……」
私たちは崩れたゴーレムの残骸を乗り越え、さらに奥へと進んだ。
◇
地下10階層。 ついに最深部に到達した。
そこは、広大な地下ドームだった。 天井が見えないほど高く、中央には巨大な地底湖が広がっている。 そして、湖の中央にある小島に、それはいた。
山のように巨大な体躯。 鋼鉄よりも硬い、真紅の鱗。 剣山のような背びれ。 そして、黄金に輝く爬虫類の瞳。
『エンシェント・レッドドラゴン』。 S級ダンジョンの主であり、伝説級の災害指定魔獣だ。
「グルルルル……」
ドラゴンが目を覚まし、私たちを見下ろした。 その鼻息だけで突風が巻き起こり、湖面が波立つ。
「ひっ、ひぃぃぃっ!! ド、ド、ドラゴンですぅぅぅ!!」
ミナが腰を抜かしてへたり込む。 無理もない。 生物としての格が違う。 そのプレッシャーだけで、心臓が止まりそうだ。
「人間か……久しいな。我が眠りを妨げる愚か者は」
ドラゴンが喋った。 重低音の声が、骨の髄まで響く。 高位のドラゴンは知能が高く、人語を解する。
「去れ。今なら見逃してやる。我は今、虫の居所が悪い」
ドラゴンは面倒くさそうに尻尾を振った。 慈悲深い。 通常なら、ここで「はい、すみません」と言って逃げ帰るのが正解だ。 だが、逃げ帰る先には、このドラゴンよりも恐ろしい「愛のストーカー王子」が待っている。 前門のドラゴン、後門の王子。 ならば、選ぶべき道は一つ。
「ねえ、トカゲさん」
私は一歩前に出た。
「誰がトカゲだ。我は古の龍王、ヴォルガノスだ」
「名前なんてどうでもいいわ。単刀直入に聞くけど、あんた、飛べるわよね?」
「は?」
ドラゴンが怪訝な顔をする。
「飛べるかって聞いているの。あと、背中の乗り心地はどうかしら? 人を二人乗せて、隣国までひとっ飛びできる?」
「……貴様、我をタクシーか何かと勘違いしていないか?」
ドラゴンの目に怒りの炎が灯った。 空気が熱くなる。
「我は龍王だぞ! 人間ごときが背に乗るなど、万死に値する不敬だ!」
「そう。交渉決裂ね」
私はため息をついた。 平和的解決(交渉)は無理か。 ならば、実力行使しかない。
「お姉さま! 何挑発してるんですか!? 殺されますよ!?」
ミナが泣き叫ぶ。 私は彼女の方を向かずに言った。
「ミナ、結界を張ってて。あいつのブレスが来るわよ」
「えっ!?」
「『グオオオオオオオッ!!』」
ドラゴンの口が大きく開かれ、灼熱の炎が吐き出された。 『ドラゴンブレス』。 岩をも溶かす数千度の業火が、私たちを飲み込む。
「『聖域(サンクチュアリ)』!!」
ミナが咄嗟に結界を展開する。 光のドームが炎を受け止める。 だが、熱量が凄まじい。 結界がミシミシと音を立てる。
「あつっ! 熱いですお姉さま! 結界が持ちません!」
「10秒耐えて。それで十分よ」
私は結界の中から、炎の渦を見つめた。 この熱量。この魔力密度。 素晴らしい。 さすがS級の素材だ。
私は懐から、一本のナイフを取り出した。 ミスリルのナイフではない。 以前、7回目の人生で手に入れた、ドラゴンの逆鱗を加工して作った『竜殺しの短剣(ドラゴンスレイヤー)』だ。 これを宝物庫から盗んでおいて本当に良かった。
「(ターゲット、ロックオン。ドラゴンの魔力供給源は喉元の『第二心臓』)」
私は深く息を吸い込み、魔力を練り上げる。 身体強化? いいえ、もっと上だ。 『限界突破(リミット・ブレイク)』。 肉体のリミッターを外し、一時的に身体能力を数十倍に跳ね上げる自爆技ギリギリの奥義。
「行くわよ!」
「えっ!?」
私は結界を飛び出した。 灼熱の炎の中へ生身で突っ込む。
「なっ!?」
ドラゴンが驚愕する。 自殺行為だと思ったのだろう。 だが、私は炎を浴びながらも燃え尽きない。 私の体表には、極薄の『真空断熱層』を展開しているからだ。
炎のトンネルを突き抜け、私はドラゴンの鼻先へと躍り出た。
「遅い!」
ドラゴンの爪が迫るが、私は空中で軌道を変え、その腕を駆け上がった。 巨大な腕を足場にして、顔面へと肉薄する。
「小賢しいハエめ!」
ドラゴンが顎を開き、私を噛み砕こうとする。 それが隙だ。
「口を開けたわね。ごちそうさま」
私は開かれた口の中へ、持っていた『特製麻痺毒ポーション(超濃縮版)』の樽を放り込んだ。 小瓶ではない。 樽だ。 アイテムボックスに入れておいた酒樽サイズの劇薬だ。
ガブリ。
ドラゴンは反射的にそれを噛み砕いた。 中身が口内に広がる。
「んぐっ……!? なんだこれは……舌が……痺れ……」
ドラゴンの動きが止まる。 即効性の神経毒だ。 いくらドラゴンでも、粘膜から直接吸収されればひとたまりもない。 巨体がグラリと揺れる。
「仕上げよ!」
私はドラゴンの頭上に着地し、脳天にある『制御神経』のツボに、竜殺しの短剣を突き立てた。 殺しはしない。 魔力の流れを遮断し、体の自由を奪うだけだ。 いわゆる『峰打ち』の究極版である。
ドスッ!
「ギャオォォォン……!」
断末魔のような悲鳴を上げ、ドラゴンはその場に崩れ落ちた。 ズズズズズ……ン! 地響きを立てて倒れる巨体。 勝負ありだ。
「ふぅ。なんとか計算通りね」
私はドラゴンの頭の上で汗を拭った。 『限界突破』の反動で筋肉が悲鳴を上げているが、ポーションを飲めば治る。
「……え?」
結界から出てきたミナが、口をあんぐりと開けて固まっている。
「お、お姉さま……。ドラゴンを……素手で(実際は短剣だが)……?」
「だから言ったでしょ。処理するだけだって」
私は倒れたドラゴンの鼻先をポンポンと叩いた。
「おい、起きてるでしょ? 死んでないのはわかってるわよ」
「……ぐぬぬ……」
ドラゴンが薄目を開けた。 体は動かないが、意識はあるようだ。 屈辱にまみれた目で私を睨んでいる。
「貴様……人間風情が、誇り高き龍王に何をする……」
「誇りは結構だけど、命とどっちが大事?」
私はナイフをチラつかせた。
「今ここで解体して、鱗を剥いで、肉をステーキにして、骨を粉末にしてスープの出汁にしてもいいのよ? ドラゴンの素材は高く売れるしねえ」
私は舌なめずりをした。 実際、ドラゴンの肉は極上の美味だ。
「ひっ……!」
ドラゴンが怯えた。 こいつ、意外とヘタレだ。
「でも、私も鬼じゃないわ。取引をしましょう」
「と、取引だと?」
「ええ。私の言うことを聞くなら、命は助けてあげる。ついでに、あんたが悩んでる『虫歯』も治してあげるわよ」
「な、なぜそれを!?」
ドラゴンが目を見開いた。 そう、さっき口の中を見た時、奥歯が黒くなっているのを見逃さなかったのだ。 ドラゴンといえど甘いものが好きな個体は虫歯になる。 そして、その激痛がさっきの「虫の居所の悪さ」の原因だったのだろう。
「私は薬屋だからね。お安い御用よ」
私はニッコリと笑った。 アメとムチ。 調教の基本だ。
「……わかった。負けだ。我は貴様の軍門に下ろう」
ドラゴンは観念したように目を閉じた。
「よろしい。今日からあんたの名前は『ポチ』ね」
「ポチ!? 我はヴォルガノスという高貴な……」
「ポチ」
「……ワン」
こうして、私はS級ダンジョンの主、エンシェント・レッドドラゴンをペット(下僕)にした。 最強の移動手段を手に入れた瞬間だった。
◇
一方その頃。 私たちがドラゴンをポチ呼ばわりしていたのと同じ時系列。 ダンジョンの入り口付近。
「待ってろリゼ! 今行くぞ!」
アレクセイ殿下は、単身ダンジョンに突入していた。 彼が進む道には、魔物の死体が山のように築かれていた。
「邪魔だ! どけぇぇぇッ!」
殿下の剣が一閃するたびに、シルバー・スケルトンが粉砕され、アラクネが燃やされ、ミミックが細切れにされていく。 リゼが「処理」したのと同じ魔物たちだが、殿下のそれは「虐殺」に近かった。
「はぁ、はぁ……リゼの匂いがする……」
彼は地面に落ちていた小さな布切れを拾い上げた。 リゼがアラクネと戦った時に破れた服の一部だ。
「ああ、リゼ……こんな危険な場所で、服を破くなんて……! きっと怖い思いをしているに違いない!」
彼は布切れを頬に押し当て、恍惚と悲憤が入り混じった表情をした。
「許さんぞ、ダンジョンの魔物ども! 私のリゼの肌を露わにさせた罪、絶滅で購ってもらう!」
ドガァァァン!!
殿下の全身から光の魔力が噴出した。 『聖なる怒り(ホーリー・レイジ)』。 周囲の空間そのものを浄化焼却する広範囲殲滅魔法だ。 地下1階層から3階層までの魔物が、一瞬で蒸発した。
「リゼェェェッ! どこだァァァッ!」
彼は血走った目で奥へと進む。 その背後には、彼を心配して追いかけてきた近衛騎士団が続いていたが、彼らは全員ドン引きしていた。
「で、殿下……少し落ち着いて……」 「うるさい! リゼが待っているんだ!」
暴走する王子。 もはや誰も止められない。 彼は一直線に最深部を目指していた。 そこに待ち受けるのが、すでにペット化されたドラゴンと、ドン引きしている元婚約者だとは知らずに。
◇
地下最深部、地底湖。
私はポチ(ドラゴン)の治療を終えていた。 虫歯を魔法で削り、特製の詰め物をしたおかげで、ポチはすっかり機嫌を直していた。
「おお……痛くない! 数百年ぶりに食事が美味しく感じられそうだ!」
ポチは尻尾を振って喜んでいる。 単純なやつだ。
「じゃあ、約束通り私たちを乗せて出口まで送ってちょうだい。出口はどこ?」
「うむ。この地底湖の底に、地上の火口湖に繋がる水脈がある。そこを通れば一気に外へ出られるぞ」
「水中ルートか。まあ、ポチの結界があれば大丈夫ね」
「任せておけ、ご主人様!」
私たちがポチの背中に乗ろうとした、その時だった。
ズズズズ……ッ!
入り口の回廊の方から、凄まじい殺気が押し寄せてきた。 ただの魔物の気配ではない。 空気がピリピリと痛み、空間が歪むほどのプレッシャー。 そして、聞き覚えのある絶叫。
「リゼェェェェェッ!! 見つけたぞォォォォッ!!」
回廊の闇を切り裂いて、黄金の光の塊が飛び込んできた。 アレクセイ殿下だ。 彼は空中を飛びながら、地底湖の小島に着地した。
ドォォン!!
着地の衝撃で地面が割れる。 ポチがビクリと震えた。
「な、なんだあの人間は……? 我以上の化け物の気配がするぞ……」
S級ドラゴンですら引いている。 殿下のヤンデレオーラは、種族の壁を超えて恐怖を与えるらしい。
「リゼ!」
殿下は私を見つけるなり、駆け寄ろうとした。 だが、私の背後にいる巨大なドラゴン(ポチ)を見て、足が止まった。
「……貴様か」
殿下の目が、ポチを射抜いた。 その瞳には、燃え盛る嫉妬の炎と、明確な殺意が宿っていた。
「私のリゼを攫い、こんな暗い場所に連れ込み、あまつさえ彼女を背中に乗せようとするとは……」
殿下は剣を構えた。
「その薄汚いトカゲの手で、リゼに触れるなァァァッ!!」
「ひぃっ!?」
ポチが悲鳴を上げる。
「ちょ、ちょっと待て人間! 我はご主人様のペットで……」
「ペットだと!? ふざけるな! リゼのペットになっていいのは、この私だけだァァァッ!!」
「ええええええ!?」
ポチとミナの絶叫が重なった。 殿下の発言がおかしい。 ペット志願ってなんだ。 王族のプライドはどこへ行った。
「死ね、トカゲ! リゼの愛玩枠(ペットスロット)は私が独占する!」
殿下が跳躍した。 光の剣が巨大化し、数十メートルの光刃となってポチに振り下ろされる。
「ギャーッ! ご主人様、助けてぇぇぇ!」
ポチが私の後ろに隠れる。 情けないドラゴンだ。
「やめなさいアレクセイ!」
私は殿下の前に立ちはだかった。 ここでポチを殺されたら、移動手段がなくなる。
「リゼ! どくんだ! そのトカゲは危険だ!」
「危険なのはあんたよ! ポチは私の大事な足なの! 壊さないで!」
「足……? そうか、君を運ぶための乗り物か……」
殿下は剣を止めた。 しかし、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
「ならば尚更不要だ。君を運ぶのは、私の腕(お姫様抱っこ)だけで十分だ!」
「嫌よ! あんたの腕は拘束具でしょ!」
「愛のゆりかごと言ってくれ!」
会話をしている間に、ポチが小声で囁いてきた。
「ご主人様、今のうちに逃げるぞ! あいつはヤバい! 本能が『逃げろ』と叫んでいる!」
「……そうね。ミナ、乗って!」
私はミナをポチの背中に放り投げ、自分も飛び乗った。
「ポチ、潜れ! 全力で!」
「合点承知!」
ポチが地底湖に向かってダイブする。
「あっ! 待てリゼ!」
殿下が手を伸ばすが、遅い。 私たちは水飛沫を上げて、地底湖の水面下へと消えた。 ポチが展開した気泡結界のおかげで、水に濡れることはない。
「逃がさん……! 地の果てまでも!」
水面の上から、殿下の声がくぐもって聞こえる。 彼も飛び込んでくる気か? いや、さすがに甲冑姿で水中戦は無理だろう。
「ふぅ……間一髪だったわね」
私はポチの背中で息をついた。 暗い水中を、ポチは猛スピードで泳いでいく。 地下水脈を通って、地上の火口湖へ。
「お姉さま……あの王子様、本当に人間ですか?」
ミナが青ざめた顔で聞く。
「人間よ。ただし、愛という名の狂気を燃料に動く永久機関ね」
私は遠ざかる水面を見上げながら呟いた。 今回の遭遇でわかったことがある。 殿下の執着は、物理的な障害では止められない。 ダンジョンすら突破してきたのだ。 次は、空か、海か、あるいは宇宙まで追いかけてくるかもしれない。
「……覚悟を決めなきゃいけないかもね」
私は拳を握りしめた。 逃げるだけでは終わらない。 いつか、彼と正面から向き合い、完全に「お断り」を叩きつけなければ、私の安眠は永遠に訪れないだろう。
ポチが上昇を始める。 光が見えてきた。 地上の光だ。
私たちは水面を割り、空へと飛び出した。 そこは、雪の降り積もる火口湖の上空。 そして、目の前には広大な景色が広がっていた。
「……ここは?」
「ガレリア帝国領だ」
ポチが得意げに言う。
ついに、国境を越えた。 王国の勢力圏外だ。 これで少しは時間を稼げるはずだ。
「さあ、行くわよ。帝国で、体勢を立て直すわ」
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