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第1話 雪の公爵家
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肺の奥まで凍りつくような、冷たい空気だった。
王都を追放されてから一ヶ月。
揺れる馬車の窓から見えるのは、見渡す限りの銀世界だけ。
セレスティア王国北端の辺境、ヴァレンティス公爵領。
それが、私——ヴィオレッタ・アシュベリーの新しい居場所だ。
「……着きましたか」
分厚い毛皮の外套を引き寄せ、私は小さく息を吐いた。
白く濁った息が、ガラス窓に当たってふわりと消える。
王都では「硝子の悪女」と恐れられ、社交界の頂点に立っていた私が、まさかこんな雪深い最果ての地に厄介払いされるとは。
身に覚えのない罪状。
信じていた婚約者からの婚約破棄。
すべては、私の持つ『月鏡の祝福』——人の本心や隠された真実を映し出す魔法を、王都の権力争いに利用しようとした者たちの陰謀だった。
♦︎♦︎♦︎
重厚な鉄格子の門が開き、馬車がゆっくりと城塞のような屋敷の中庭に滑り込む。
馬車の扉が開かれると、刺すような冷風が頬を打った。
私は居住まいを正し、誰の手も借りずに雪の上に降り立つ。
出迎えたのは、黒ずくめの使用人たち。
そして、その中心に立つ一人の大柄な男だった。
「長旅、ご苦労だった」
低く、地を這うような冷たい声。
ヴァレンティス公爵、レオンハルト。
私の新しい「夫」となる男だ。
鋼色の髪に、すべてを見透かすような氷青の瞳。
軍服めいた詰襟の服を着崩すこともなく、彼は私を値踏みするように見下ろしている。
歓迎の意など微塵もない。
ただ、王都からの命令だから受け入れた。そんな義務感だけが、彼の周りの空気をさらに冷たくしていた。
「お初にお目にかかります、旦那様。ヴィオレッタ・アシュベリーと申します」
私は完璧なカーテシーをして見せた。
悪女と呼ばれようと、侯爵令嬢としての誇りまで捨てた覚えはない。
「……私のことはレオンハルトでいい。ここでは王都のくだらない虚飾は不要だ」
冷ややかに言い捨てられ、私は微かに眉をひそめた。
言葉の端々から、私に対する強い警戒と軽蔑が透けて見える。
無理もない。彼にとって私は、いわくつきの悪役令嬢なのだから。
「ええ、承知いたしました。……レオンハルト様」
私が静かに微笑み返すと、彼は少しだけつまらなそうに目を伏せた。
「紹介しよう。私の息子の、ルカだ」
レオンハルトが一歩横に退くと、彼の手前に隠れるようにして立っていた小さな人影が現れた。
私は、息を呑んだ。
雪のように白い肌。
月の光を紡いだような、輝く銀色の髪。
そして、薄氷のように透き通った青い瞳。
絵画から抜け出してきたかのような、儚くも美しい少年だった。
「お初にお目にかかります、ヴィオレッタお義母様」
澄んだ、鈴を転がすような声。
彼は小さな足を一歩引き、背筋をピンと伸ばして、見事な礼の姿勢をとった。
「ヴァレンティス公爵家長男、ルカ・ヴァレンティスと申します。遠路はるばる、北方の地へようこそお越しくださいました。未熟者ではございますが、これからどうぞよろしくお願いいたします」
――七歳。
事前に聞いていた年齢を思い出し、私は目の前の子どもをまじまじと見つめた。
言葉遣い、姿勢、声のトーン。
どれをとっても完璧すぎる。
大人の貴族でさえ、ここまで隙のない挨拶はなかなかできない。
「……ご丁寧な挨拶をありがとう、ルカ。私こそ、よろしくね」
私は少し身をかがめ、彼の目線に合わせて微笑んだ。
普通の子どもなら、新しい母親に対して戸惑うか、あるいは無邪気に喜ぶか、なんらかの感情の揺れを見せるはずだ。
けれど、ルカの顔には一枚の仮面が張り付いたように、微塵の変化もなかった。
ただ、美しい天使のような微笑みがそこにあるだけ。
(……何かが、おかしいわ)
私の胸の奥で、小さな警鐘が鳴った。
整いすぎている。
静かすぎる。
手がかからなすぎる。
私の持つ月鏡の力が、直接何かを映し出したわけではない。
ただ、長年人の悪意や嘘を見抜いてきた私の勘が、告げていた。
この子の笑顔は、あまりにも不自然だ、と。
ルカは私を見つめたまま、もう一度深くお辞儀をした。
その銀色の髪が揺れるたび、私はなぜか、胸が締め付けられるような違和感を拭えずにいた。
王都を追放されてから一ヶ月。
揺れる馬車の窓から見えるのは、見渡す限りの銀世界だけ。
セレスティア王国北端の辺境、ヴァレンティス公爵領。
それが、私——ヴィオレッタ・アシュベリーの新しい居場所だ。
「……着きましたか」
分厚い毛皮の外套を引き寄せ、私は小さく息を吐いた。
白く濁った息が、ガラス窓に当たってふわりと消える。
王都では「硝子の悪女」と恐れられ、社交界の頂点に立っていた私が、まさかこんな雪深い最果ての地に厄介払いされるとは。
身に覚えのない罪状。
信じていた婚約者からの婚約破棄。
すべては、私の持つ『月鏡の祝福』——人の本心や隠された真実を映し出す魔法を、王都の権力争いに利用しようとした者たちの陰謀だった。
♦︎♦︎♦︎
重厚な鉄格子の門が開き、馬車がゆっくりと城塞のような屋敷の中庭に滑り込む。
馬車の扉が開かれると、刺すような冷風が頬を打った。
私は居住まいを正し、誰の手も借りずに雪の上に降り立つ。
出迎えたのは、黒ずくめの使用人たち。
そして、その中心に立つ一人の大柄な男だった。
「長旅、ご苦労だった」
低く、地を這うような冷たい声。
ヴァレンティス公爵、レオンハルト。
私の新しい「夫」となる男だ。
鋼色の髪に、すべてを見透かすような氷青の瞳。
軍服めいた詰襟の服を着崩すこともなく、彼は私を値踏みするように見下ろしている。
歓迎の意など微塵もない。
ただ、王都からの命令だから受け入れた。そんな義務感だけが、彼の周りの空気をさらに冷たくしていた。
「お初にお目にかかります、旦那様。ヴィオレッタ・アシュベリーと申します」
私は完璧なカーテシーをして見せた。
悪女と呼ばれようと、侯爵令嬢としての誇りまで捨てた覚えはない。
「……私のことはレオンハルトでいい。ここでは王都のくだらない虚飾は不要だ」
冷ややかに言い捨てられ、私は微かに眉をひそめた。
言葉の端々から、私に対する強い警戒と軽蔑が透けて見える。
無理もない。彼にとって私は、いわくつきの悪役令嬢なのだから。
「ええ、承知いたしました。……レオンハルト様」
私が静かに微笑み返すと、彼は少しだけつまらなそうに目を伏せた。
「紹介しよう。私の息子の、ルカだ」
レオンハルトが一歩横に退くと、彼の手前に隠れるようにして立っていた小さな人影が現れた。
私は、息を呑んだ。
雪のように白い肌。
月の光を紡いだような、輝く銀色の髪。
そして、薄氷のように透き通った青い瞳。
絵画から抜け出してきたかのような、儚くも美しい少年だった。
「お初にお目にかかります、ヴィオレッタお義母様」
澄んだ、鈴を転がすような声。
彼は小さな足を一歩引き、背筋をピンと伸ばして、見事な礼の姿勢をとった。
「ヴァレンティス公爵家長男、ルカ・ヴァレンティスと申します。遠路はるばる、北方の地へようこそお越しくださいました。未熟者ではございますが、これからどうぞよろしくお願いいたします」
――七歳。
事前に聞いていた年齢を思い出し、私は目の前の子どもをまじまじと見つめた。
言葉遣い、姿勢、声のトーン。
どれをとっても完璧すぎる。
大人の貴族でさえ、ここまで隙のない挨拶はなかなかできない。
「……ご丁寧な挨拶をありがとう、ルカ。私こそ、よろしくね」
私は少し身をかがめ、彼の目線に合わせて微笑んだ。
普通の子どもなら、新しい母親に対して戸惑うか、あるいは無邪気に喜ぶか、なんらかの感情の揺れを見せるはずだ。
けれど、ルカの顔には一枚の仮面が張り付いたように、微塵の変化もなかった。
ただ、美しい天使のような微笑みがそこにあるだけ。
(……何かが、おかしいわ)
私の胸の奥で、小さな警鐘が鳴った。
整いすぎている。
静かすぎる。
手がかからなすぎる。
私の持つ月鏡の力が、直接何かを映し出したわけではない。
ただ、長年人の悪意や嘘を見抜いてきた私の勘が、告げていた。
この子の笑顔は、あまりにも不自然だ、と。
ルカは私を見つめたまま、もう一度深くお辞儀をした。
その銀色の髪が揺れるたび、私はなぜか、胸が締め付けられるような違和感を拭えずにいた。
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