3回目の人生は、悪役令嬢を辞めて引きこもります~一歩も出ずに国を救ったら、なぜか「聖女」として崇められ最強の男たちが部屋を包囲してくる件~

放浪人

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第2話 王太子殿下がドアの前で懺悔を始めました(騒音)

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 チュンチュン、と小鳥のさえずりが聞こえる。  柔らかい日差しがカーテンの隙間から差し込み、部屋の中を穏やかに照らしていた。

 私は、まどろみの中でゆっくりと目を開けた。  視界に入ってくるのは、見慣れた天井と、昨日バリケードとして積み上げた高級家具の山。そして、微かに光る半透明の膜――私が展開した【絶対領域(サンクチュアリ)】だ。

「……んぅ」

 大きく伸びをする。  体の節々が痛くない。  頭が重くない。  胃がキリキリしない。

 カレンダーを見る。  今日は平日だ。  本来であれば、朝の6時に起床し、1時間は身支度、その後、王太子妃教育のために王宮へ登城し、昼まで座学、午後は公務の補佐、夜は夜会……という地獄のスケジュールが詰まっているはずの日だ。

 だが、今の私はパジャマ姿で、ベッドの上でゴロゴロしている。  二度寝をする権利も、三度寝をする権利も、今の私にはあるのだ。

「……最高」

 私は枕に顔をうずめ、深呼吸した。  太陽の匂いと、洗いたてのシーツの香りがする。  これが幸せというものか。  前世で、血を吐きながら書類と格闘していた自分に教えてあげたい。  人生の正解は、ここにあったのだと。

 昨夜の「婚約破棄宣言」と「パーティー欠席」の余波は、今のところこの部屋には届いていない。  いや、正確には「届いているが、無視している」だけだ。  結界の外では、昨晩から父や母が交互にやってきては、ドアを叩いたり、泣き落としをしたり、時には斧でドアを破壊しようとしたりしていた(斧は結界に弾かれて父の足に落ちたらしい。悲鳴が聞こえた)。

 だが、私にとっては、それも心地よいBGMのようなものだ。  雨の日に家の中にいる安心感に似ている。  外が嵐であればあるほど、安全な室内の快適さが際立つのだ。

 私はサイドテーブルから、昨日アンナにこっそり持ってこさせた「恋愛小説」の山を崩さないように一冊抜き取った。  タイトルは『公爵令嬢は騎士団長に溺愛される~ただし脳筋に限る~』。  ……なんだか不穏なタイトルだが、娯楽小説なんてこんなものだろう。

 ページをめくり始めたその時。

 ドタドタドタドタッ!!

 廊下の向こうから、明らかに常軌を逸した足音が近づいてきた。  一人や二人ではない。  軍隊の行進のような、あるいは暴走した馬車のような、地響きを伴う轟音だ。

「エリザベート! エリザベートはどこだ!」

 聞き覚えのある声。  聞くだけで蕁麻疹が出そうな、あの声。

「王太子殿下! お待ちください! そこは乙女の寝室でございます!」

「ええい、離せ! リズが病に伏せっていると聞いた! 私が直接見舞わねば誰がやるというのだ!」

「殿下、落ち着いてください! お嬢様は伝染病かもしれませんよ!?」

「構わん! リズの病が移るなら本望だ! むしろ二人で隔離病棟に入って永遠に愛を語り合いたい!」

 ……重い。  物理的にも、内容的にも、足音も、すべてが重い。

 私は本を閉じ、深い深いため息をついた。  来たか。フレデリック。  昨日の今日で、よくもまあ抜け抜けとやってきたものだ。  手紙は読んだはずだ。  『寿命が縮む』『探さないで』と、あれほど明確に拒絶の意思を示したのに。

 足音は私の部屋の前で止まった。

「リズ! いるのか! 私だ、フレデリックだ!」

 ドンドンドンドン!  ドアが激しく叩かれる。  壊れるんじゃないかという勢いだ。  まあ、私の結界がある限り、ドアノブ一つ回せないだろうけれど。

「……」

 私は無言を貫く。  返事をしたら負けだ。  居留守こそが、引きこもりの最強の武器である。

「返事がない……やはり、それほどまでに重篤なのか……!」

 勝手に殺さないでほしい。  私は今、クッキーを食べようかマドレーヌにしようか真剣に悩んでいるところだ。

「公爵! 鍵を開けろ! マスターキーがあるだろう!」

「は、はい! ただちに!」

 父の情けない声が聞こえる。  ああ、お父様。娘のプライバシーを王権に売り渡すのね。  期待はしていなかったけれど、本当にがっかりだ。

 カチャリ、と鍵が回る音がした。  通常なら、これでドアが開き、感動(?)の対面となるはずだ。

 しかし。

「……あれ? 開きませんぞ?」

「貸せ! 私がやる!」

 ガチャガチャガチャ!  ドアノブを回す乱暴な音。  だが、ドアは溶接されたかのように動かない。

「な、なんだこれは!? 鍵は開いているはずなのに、押しても引いてもびくともしない!」

「故障か!? ええい、じれったい! 近衛兵! このドアを破れ!」

「はっ!」

 おいおい。  公爵家の、しかも令嬢の部屋のドアを軍隊に破らせる気か。  常識というものが欠落しているにも程がある。  まあ、1周目から分かっていたことだが、この男は思い込んだら一直線なのだ。

 ドガンッ!!

 近衛兵たちが体当たりをした衝撃音が響く。  しかし、ドアの表面に薄く張られた光の膜が、その衝撃を完全に吸収し、倍返しにして弾き返した。

「ぐわぁぁっ!?」 「な、なんだこの反発力は!?」

 廊下で兵士たちが将棋倒しになっている気配がする。  ふふっ、ざまあみろ。  私の【絶対領域】は、物理攻撃に対して「運動エネルギー反射」の特性を付与してある。  強く叩けば叩くほど、痛い目を見るのは自分たちなのだ。

「……魔法か」

 フレデリックの声が低くなった。  ようやく気づいたらしい。

「この魔力残滓……神聖属性。しかも、高密度の結界……。まさか、リズがこれを?」

 おっと。  少しやりすぎただろうか。  私はあくまで「魔力は平均的」ということにしている。  2周目の記憶があるから使えるだけで、今の私はまだ何の修行もしていないはずなのだ。

 バレたら面倒だ。  聖女認定されて、教会に連行されてしまう。  私は慌てて、枕元のクッションを抱きしめた。  どうする? 誤魔化すか?  いや、もう手遅れか?

 しかし、フレデリックの次の言葉は、私の予想を遥かに超えていた。

「そうか……。これは、彼女の『心の壁』なんだな」

 はい?

「僕の裏切り、冷酷な仕打ち、そしてマリアへの嫉妬……。それらが彼女の繊細な心を傷つけ、無意識のうちにこれほど強力な拒絶の壁を作り出してしまったんだ!」

 違います。  意識的に、緻密な計算の元に作った物理障壁です。

「リズ……! すまない! 本当にすまなかった!」

 突然、ドアの向こうからズルズルと崩れ落ちるような音がした。  おそらく、フレデリックがドアに膝をついたのだろう。

「僕は愚かだった。君がいつも完璧で、冷静で、微笑みを絶やさないから、君には心がないのだと錯覚していた。王太子妃という立場にあぐらをかいているのだと、勝手に思い込んでいた!」

 いや、あぐらはかいていないけど、面倒だとは思っていたよ。  微笑んでいたのは、顔の筋肉を動かすのが一番摩擦の少ない処世術だったからだ。

「昨日の手紙を読んで、僕は一晩中泣いたよ。枕を濡らしながら、君との思い出を振り返ったんだ」

 気持ち悪い情報をありがとう。  王太子の涙で濡れた枕とか、国宝級の汚物だわ。

「『寿命が縮む』……。君はそう書いたね。それはつまり、僕への愛が強すぎて、心臓が持たないということだろう?」

 ポジティブシンキングにも限度がある。  ストレスで胃に穴が開くという意味だ。

「『探さないで』……。これは、今の惨めな自分を見られたくないという、君の乙女心だろう? だが、僕は探すよ。君が地の果てに隠れようとも、このドア一枚隔てた向こうにいようとも、僕は君を見つけ出す!」

 見つけなくていい。  そして、頼むから帰ってくれ。  私の静かな午前中を返してくれ。

 フレデリックの懺悔ショーは続く。  廊下にいるであろう、アンナや父、そして近衛兵たちはどんな顔でこれを聞いているのだろうか。  公開処刑ならぬ、公開羞恥プレイだ。

「リズ、聞いてくれ。マリアのことだが、あれは誤解なんだ」

 お、その話をするのか。

「彼女が『王都の地理に不慣れで迷子になりそう』だと言うから、案内していただけなんだ。『王宮の作法が分からない』と言うから、手取り足取り教えていただけなんだ!」

 それを世間では「浮気」と言うのだ。  しかも「手取り足取り」って言っちゃってるじゃないか。

「だが、君は一度も僕を責めなかった。ただ静かに、寂しそうな目で僕を見つめていた……。ああ、あの時の君の瞳が、今はナイフのように僕の胸を刺す!」

 あれは「寂しそうな目」ではない。  「早く終わらないかな。今日のご飯なにかな」と考えていただけだ。  ジト目は生まれつきだ。

「リズ! お願いだ、声を聞かせてくれ! 罵倒でもいい! 『死ね』でもいい! 君の感情を、僕にぶつけてくれ!」

 ドンドンドンドン!  再びドアが叩かれる。  さっきよりもリズミカルだ。  これでは読書どころではない。

 私はこめかみを指で押さえた。  このまま放置すれば、彼は脱水症状で倒れるまで懺悔を続けるだろう。  あるいは、音波攻撃で私がノイローゼになるのが先か。

 どちらにせよ、私の平穏な引きこもりライフにとって、彼は有害なノイズでしかない。

 一度だけ。  一度だけ反応して、諦めさせよう。  徹底的に冷たく、愛想のない言葉を投げつければ、プライドの高い彼のことだ、怒って帰るに違いない。  1周目の彼はそうだった。  私が少しでも反論すれば、「可愛げのない女だ!」と激昂していたのだから。

 私はベッドから降り、ドアへと近づいた。  ペタペタと素足の音がするが、防音結界の調整をして、私の声だけが外に届くように設定する。

 ドアの前に立つ。  板一枚隔てた向こうに、フレデリックがいる。  その熱気というか、湿度の高い気配が伝わってくるようだ。

 私は、ありったけの「面倒くさい」「どうでもいい」「消えろ」という感情を込めて、短く言い放った。

「……帰って」

 それだけだ。  敬称もなし。  丁寧語もなし。  ただの命令形。

 シン……と、廊下が静まり返った。

 やったか?  さすがに王太子に対してこの口調は不敬罪ギリギリだ。  父の「ひぃっ!」という悲鳴が聞こえた気がする。  これでフレデリックも激怒し、「こんな無礼な女、願い下げだ!」と帰ってくれるはず……。

「…………」

 沈黙が続く。  長い。  どうした? 怒りで声も出ないのか?

 と、その時。

「……ありがとう」

 は?

 震えるような、感極まった声が聞こえた。

「ありがとう、リズ……! 君は、どこまで優しいんだ……!」

 意味が分からない。  私は今、お前を追い払ったんだぞ?

「『帰って』……。つまり、君は知っているんだね。今、王宮に隣国の使節団が来ていて、僕がその対応に追われていることを」

 知らない。初耳だ。

「本来なら、ここで何時間でも粘りたい僕を、君はあえて突き放した。『自分のために公務を疎かにしてはいけない』と。『王太子としての責務を果たせ』と、そう叱咤激励してくれたんだね!」

 違う。  単純にうるさいから消えてほしいだけだ。

「ああ、なんてことだ……。自分の悲しみを押し殺して、国の未来を案じるとは……。君こそ真の国母だ。聖女だ! それに比べて、自分の感情だけで動いていた僕は、なんて未熟なんだ!」

 フレデリックが号泣し始めた。  廊下がカオスだ。  兵士たちも「おお……なんと気高い……」とかもらい泣きしている気配がする。  集団ヒステリーか何かか?

「分かったよ、リズ。君の想い、確かに受け取った。僕は城へ戻るよ。君に誇れる王になるために!」

 おお、結果オーライか?  理由はなんであれ、帰ってくれるならそれでいい。

「だが、これだけは覚えておいてくれ。僕は諦めない。公務が終わったら、また来る。毎日来る。朝昼晩来る!」

 来るな。  暇なのか、この国の王族は。

「それから、君の好きなマカロンと、最高級の茶葉を置いておくよ。食べてくれとは言わない。ただ、僕の気持ちだと思って、そこに存在させておいてくれればいい」

 ガサゴソと、ドアの前に何かが置かれる音がする。  マカロン。  ……まあ、マカロンに罪はない。  後で結界の一部を解除して、魔法のアームで回収しよう。

「では、また来るよ! 愛している、リズ!」

 バッ! とマントを翻す音がして、猛烈な勢いで足音が遠ざかっていった。  嵐が去った。

 私はドアにもたれかかり、ズルズルと座り込んだ。

「……疲れた」

 会話らしい会話は一言もしていないのに、フルマラソンを走った後のような疲労感だ。  1周目の彼は冷酷だったが、話は通じた(私の話を聞かなかっただけで)。  しかし、今回の彼は話が通じないどころか、全ての言葉を自分の都合のいいように変換する機能が搭載されている。  最強のバグキャラだ。

「ふぅ……」

 気を取り直そう。  とにかく、彼は帰った。  マカロンという戦利品を残して。

 私は指先を動かし、結界の下部を少しだけ開いた。  風魔法で、ドアの前に置かれた包みをシュッと部屋の中に引き入れる。  有名店のロゴが入った箱だ。  中には色とりどりのマカロンが詰まっている。

「……いただきます」

 一つ摘んで口に放り込む。  サクサクとした食感と、フランボワーズの甘酸っぱさが広がる。  美味しい。  悔しいけれど、美味しい。

 糖分が脳に染み渡り、イライラが少しだけ治った。  さて、邪魔者も消えたことだし、今度こそ優雅な読書タイムを……。

 そう思った、その時だった。

 パリンッ。

 不吉な音がした。  ドアの方ではない。  窓の方だ。

 私の部屋は2階にある。  そして、窓には当然、防犯用の格子がついているし、その内側には私の【絶対領域】が展開されている。  鳥一匹、虫一匹入れないはずだ。

 しかし。

 ミシッ……ミシシッ……。

 窓枠が、悲鳴を上げている。  まるで、巨大な万力で締め上げられているかのように、ガラスに亀裂が走り、鉄の格子が飴細工のように捻じ曲がっていく。

 私はマカロンを落としそうになった。  なんだ?  何が起きている?  地震? 竜巻?  いや、違う。

 窓の外に、人影が見えた。

 2階の窓の外に、だ。  梯子もない。  足場もない。  ただ、窓枠に手をかけ、懸垂のような姿勢で、そこに「張り付いている」男がいる。

 逆光で顔は見えないが、鍛え上げられた筋肉のシルエットと、風になびく黒髪が見える。  そして、ガラス越しに目が合った。

 獣の目だ。  飢えた、しかし歓喜に満ちた、肉食獣の目。

「……見つけた」

 ガラス越しに、くぐもった声が聞こえた。

「正面がダメなら、裏から入ればいい。単純なことだ」

 バキバキバキッ!!

 男の腕が膨張し、窓枠ごと鉄格子を引き剥がそうとしている。  結界が、警告音のような甲高い音を立てて軋む。

 嘘でしょ。  私の【絶対領域】は、魔法攻撃には無敵だが、純粋な物理攻撃には「一定の耐久値」がある。  もちろん、ドラゴンの突進くらいなら耐えられる強度だ。  それを、素手で?

「リズ……待っていてくれ。今、その檻を壊してあげるからな」

 男が笑った。  白い歯がキラリと光る。  爽やかさと狂気が同居した、その笑顔。

 忘れるはずがない。  アレクセイ・フォン・ベルンシュタイン。  この国の騎士団長であり、私の『2回目の人生』の夫。  そして、私を「愛しているからこそ閉じ込めたい」と願った、もう一人のトラウマ製造機。

「……前門の王太子、後門のゴリラ」

 私は呟いた。  平穏な引きこもりライフ?  前言撤回する。  これは、引きこもりをかけた、命がけの籠城戦だ。

 パリーンッ!!

 ついに、窓ガラスが粉々に砕け散った。  結界が最後の抵抗を見せるが、アレクセイの筋肉という名の暴力が、それをねじ伏せようとしている。

 私はとっさに、サイドテーブルの下に隠しておいた『護身用魔道具(スタンガン・改)』を握りしめた。  2周目の知識で作った、対変質者用の最終兵器だ。

 さあ、来なさい、脳筋騎士団長。  私の部屋に入ったことを、後悔させてあげるわ。  電気ショックの味でね!
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