3回目の人生は、悪役令嬢を辞めて引きこもります~一歩も出ずに国を救ったら、なぜか「聖女」として崇められ最強の男たちが部屋を包囲してくる件~

放浪人

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第5話 部屋から出ないだけで、国が動き始めました

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 その日の朝、私は異様な『圧』で目を覚ました。  物理的な圧力ではない。  なんというか、空気中に漂う期待感というか、崇拝の念というか……とにかく、部屋の外から無数の視線が突き刺さるような感覚だ。

 私はベッドの中で寝返りを打ち、布団を頭まで被った。

「……気のせい、気のせい」

 自己暗示をかける。  私が引きこもり生活を始めてから、まだ三日目だ。  初日は婚約破棄と絶縁状送付。  二日目は王太子と騎士団長の襲撃、そしてヒロインの改心(?)。  怒涛の展開だったが、今日こそは平和な一日になるはずだ。

 なにしろ、私の部屋の前には、頼もしい『番犬』ならぬ『親衛隊長』がいるはずだから。

 私はそっと耳を澄ませた。  廊下からは、マリアの張り切った声が聞こえてくる。

「皆様! ここから先は聖域ですわ! エリザベートお姉様は今、世界の平穏のために瞑想(という名の二度寝)をされています! 足音を立てることも、呼吸を荒げることも禁止です!」

「は、はい! 申し訳ありません、聖女マリア様!」

 使用人たちが恐縮している気配がする。  どうやらマリアは、有言実行で私の安眠を守ってくれているらしい。  素晴らしい。  彼女には後で、とっておきの高級クッキーをあげよう。

 私は安心して、再びまどろみの海へと沈んでいった。  ああ、このまま夕方まで寝ていたい。  起きたら、ノアが差し入れてくれた新作の恋愛小説を読んで、紅茶を飲んで、また寝るのだ。  完璧な計画だ。

 ――しかし。  私のささやかな幸福は、またしても打ち砕かれる運命にあった。

「おお……ここが。ここが、慈愛と無欲の聖女が眠る、伝説の扉か……!」

 マリアの声ではない。  男の声だ。  しかも、聞き覚えのある、暑苦しいほどに芝居がかったあの声。

 私はガバッと飛び起きた。  嘘でしょ。  また来たの?

 私は枕元の時計を見た。  午前10時。  王太子フレデリック。  お前、公務はどうした。

 私は慌てて、枕の下から『集音器(魔道具)』を取り出し、耳に当てた。  廊下の様子を探るためだ。

「フレデリック殿下! 困りますわ! アポ無しでの訪問は、お姉様の精神衛生上よくありません!」

 マリアが必死に止めている声がする。  頑張れマリア。  君だけが頼りだ。

「退け、マリア。私はリズに会いに来たわけではない」

「は? どういうことですの?」

「私は、ただ『独り言』を言いに来ただけだ。リズに会えば、彼女に負担をかけてしまう。だから、このドアの前で、壁に向かって独り言を呟き、そして帰る。それだけだ」

 ……は?  何言ってんだこいつ。

「独り言……ですの? それなら、まあ……お姉様の耳に入らなければ……」

 マリアが毒気を抜かれたようにたじろぐ。  甘い。  甘いぞマリア。  そいつの『独り言』は、騒音公害レベルなんだぞ。

 案の定、フレデリックはドアの前にドカリと座り込んだようだ。  そして、まるで演説でもするかのような大声で話し始めた。

「ああ! 困った! 実に困った!」

 でかい。  声がでかい。  私の防音結界を貫通するほどの声量だ。  まさか、喉に拡声魔法でもかかっているのか?

「北部の穀倉地帯で、原因不明の凶作が続いているとは! このままでは冬を越せない民が出てしまう! 王太子として、なんと無力なのだ私は!」

 凶作。  その単語に、私の眉がぴくりと動いた。  知っている。  1周目の人生でも、2周目の人生でも起きた問題だ。  原因は単純な『連作障害』と、異常気象による『土壌の酸性化』だ。

「神官たちは『祈りが足りない』と言う。ならば、私が不眠不休で祈りを捧げるべきか? それとも、国庫を開いて他国から高値で小麦を買い付けるべきか? いや、それでは財政が破綻してしまう……!」

 フレデリックが頭を抱えている(ような音を立てている)。    違う。  そうじゃない。  祈っても作物は育たないし、高い小麦を買えばインフレが起きて庶民が苦しむだけだ。

 私はイライラしながら、ベッドの上で爪を噛んだ。  答えは分かっている。  分かっているが、教えてはいけない。  教えれば、私は『賢者』として崇められ、また政務に引きずり出されてしまう。

 無視だ。  無視に限る。  私が口を出さなくても、いずれ優秀な官僚が気づくはずだ。  ……多分。

「ああ、リズ……。君ならどうする? いや、君に頼ってはいけない。君は今、世界の理(ことわり)と対話している最中なのだから」

 対話してない。  クッションの毛並みを整えていただけだ。

「そうだ! やはり、私が現地へ行き、鍬(くわ)を持って耕そう! 王太子の汗と涙が大地に染み込めば、きっと女神も微笑んでくれるはずだ!」

 はあ?  馬鹿なの?  王太子が畑を耕してどうする。  パフォーマンスとしてはいいかもしれないが、根本的な解決にはならない。  しかも、北部の土は今、酸性化していて、無理に耕せば余計に土壌が死ぬ。

「よし、決めたぞ! 今すぐ出発だ! 全騎士団を連れて、北の大地を掘り返すぞー!」

「殿下、お待ちください! それはあまりにも無計画では!?」

 マリアが止めに入っているが、フレデリックは暴走モードに入っているようだ。  ガタガタと立ち上がる音がする。

 このまま行かせればどうなる?  北部の大地は荒れ果て、騎士団は疲弊し、結果として大飢饉が起きる。  そうなれば、巡り巡って私の実家である公爵領にも難民が押し寄せ、私の引きこもりライフも脅かされるかもしれない。  美味しいパンやケーキが食べられなくなるのも困る。

 ……あー、もう!  うるさい!  バカ!  無能!

 私の堪忍袋の緒が、プチリと音を立てて切れた。

 私はベッドから飛び降り、ドカドカとドアへ歩み寄った。  そして、思い切りドアを蹴り……いや、内側から拳で叩いた。

 ドンッ!!

 廊下が静まり返る。

「……リズ?」

 フレデリックがおずおずと声をかけてきた。

 私はドアに額を押し当て、腹の底から声を絞り出した。  できるだけ低い、威圧的な、地獄の底から響くような声で。

「……うるさい」

「ひっ!?」

「朝っぱらから大声で喚かないで。安眠妨害よ」

「す、すまない! だが、国の危機が……!」

「いいから聞きなさい! 北部の土は今、酸性に傾いているの! そこに小麦を植えても枯れるだけよ!」

 言ってしまった。  もういい。  さっさと正解を教えて、追い払うのが吉だ。

「酸性……? それは一体……?」

「土がすっぱくなってるってことよ! だから、石灰を撒きなさい! それから、小麦じゃなくて、根粒菌(こんりゅうきん)を持つ豆類を植えるの! 大豆とか、クローバーとかよ! そうすれば土が蘇るわ!」

「ま、豆……?」

「そうよ! 今年は豆を育てて、土を休ませなさい。小麦は来年植えれば、倍の収穫になるわ! 以上! 分かったらさっさと帰って実行して!」

 私は一気にまくし立てると、再びドガンッ! とドアを叩いた。  会話終了の合図だ。  ふぅ、すっきりした。  これで彼も、私の剣幕に恐れをなして退散するだろう。

 しかし。  廊下の空気は、私の予想とは違う方向へ凝固していた。

「……すごい」

 フレデリックの震える声。

「『土がすっぱくなっている』……? 『豆が土を蘇らせる』……? 聞いたこともない理論だ。だが、なぜだろう。君の言葉には、確信という名の光が宿っている!」

 そりゃそうだ。  2周目の人生で、私が農業大学の教授並みに研究して出した結論だもの。

「リズ……君は、部屋に籠もりながらにして、千里眼で北部の土壌を見ていたというのか? いや、もしかして、大地の精霊と交信していたのか!?」

 してない。  図鑑で読んだだけだ。

「なんてことだ……。私は愚かだった。根性論で土を掘り返そうなどと……。君の言う通りだ。石灰と豆! それが神の啓示だったのか!」

 神の啓示じゃなくて、農業の基礎知識だ。

「ありがとう、リズ! 君は国の救世主だ! すぐに手配する! 石灰だ! 国中の石灰を北部へ送れ! 豆もだ!」

 ダダダダダッ!  フレデリックが猛烈な勢いで走り去っていく音がする。  後に残されたのは、唖然とするマリアと使用人たち、そして静寂だった。

「……行ってしまった」

 私は脱力して、ズルズルとドアにもたれかかった。  やってしまった。  またしても、余計なことをしてしまった。  これでは「引きこもり」ではなく「引きこもり賢者」ではないか。

 いや、でもまあ、これで食料危機が回避されるならいいか。  パンが値上がりするのは嫌だし。

 私は気を取り直して、再びベッドへ戻った。  二度寝のリズムは崩れてしまったが、おやつの時間まではまだある。  読書でもしよう。

 そう思っていたのだが。

 数日後。  事態は、私の想像を遥かに超えるスピードで動いていた。

 ◇

「エリザベート様! 大変です! 大変ですわ!」

 マリアが、いつになく興奮した様子でドアの外から叫んでいる。  私はクッキーを齧りながら、けだるげに応答した。

「……なに? また誰か来たの? 今度はドラゴンでも攻めてきた?」

「違います! 新聞です! 号外が出ましたのよ!」

 ガサガサッという音とともに、ドアの下から一枚の紙が差し込まれた。  私は面倒くさそうにそれを拾い上げ、目を通した。

 そこには、デカデカとこう書かれていた。

『奇跡の予言! 北部の大地が黄金色に輝く!』 『引きこもり聖女・エリザベート様の神託により、死に絶えた土地が復活!』 『豆の大豊作! 王太子殿下、「全ては彼女の愛のおかげ」と涙の会見』

 ……は?  早くない?  まだ数日しか経っていないはずだ。  豆が育つのにどれだけ時間がかかると思っているんだ。

 記事を読み進めると、どうやらこういうことらしい。  フレデリックが私の助言通りに石灰を撒き、豆(魔力で成長促進された改良品種らしい)を植えたところ、みるみるうちに土壌が回復。  さらに、植えた豆が異常なスピードで成長し、またたく間に収穫期を迎えたとのこと。

 魔法使いかよ。  いや、ここは魔法の世界だった。  王宮魔術師たちが総出で成長促進魔法をかけたらしい。  私の「土を休ませろ」という助言はどこへ行った。

 まあ、結果として土壌改良は成功し、とりあえずの食料も確保できたようだ。  それはいい。  問題は、記事の後半だ。

『この功績により、エリザベート様への国民の支持率は急上昇。街では彼女の肖像画(想像図・後光が差している)が飛ぶように売れ、彼女が住む屋敷の方角へ向かって祈る「リズ様参り」が流行している』

 ……やめて。  本当にやめて。  肖像画のロイヤリティくらいよこしなさいよ。

「お姉様! 凄いですわ! わたくし、感動しました!」

 ドアの向こうで、マリアが鼻をすすっている。

「部屋から一歩も出ずに、国の危機を救うなんて……! これぞまさに『座して天下を動かす』ですわ! わたくし、一生ついていきます!」

「いや、ついてこないで。お願いだから」

「あ、そうだわ! この『聖女の豆』を使った新作スイーツを、王室料理長が作ったそうですの。差し入れに置いておきますわね!」

 コトッ、と何かが置かれる音。  豆のスイーツ?  ずんだ餅か何かか?

 私はため息をつきながら、風魔法でそれを回収した。  箱を開けると、そこには美しい緑色のクリームが乗ったタルトが入っていた。  一口食べる。  ……美味い。  濃厚な豆の風味と、程よい甘さが絶妙だ。

「……悔しいけど、美味しい」

 私はタルトをもぐもぐと頬張りながら、天井を仰いだ。  国は救われた。  食料危機も去った。  民衆は喜んでいる。

 しかし、私の「平穏な引きこもりライフ」は、ますます遠のいている気がしてならない。

 なぜなら、私の『集音器』が、屋敷の外の新たな騒がしさを捉えていたからだ。   「ここが聖女様の屋敷か!」 「お願いだ! 俺の病気も治してくれ!」 「うちの商売が上手くいくように占ってくれ!」 「リズ様ー! 顔を見せてー!」

 群衆だ。  ただの野次馬ではない。  切実な願いを持った人々が、救いを求めて押し寄せているのだ。

 私が恐れていた事態。  『聖女』としての認知。  これが定着してしまえば、王宮や教会は私を放っておかないだろう。  「国民のために」という大義名分のもと、私を部屋から引きずり出し、神殿の奥に祀り上げようとするに違いない。  それは、実質的な「労働」だ。  毎日祈祷をして、信者に手を振り、愛想笑いを浮かべる。  そんな生活、まっぴらごめんだ。

 私は決意した。  このままではいけない。  より強固な、より物理的な『拒絶』を示さねばならない。

 そのためには、今の『部屋』だけでは不十分だ。  屋敷ごと要塞化するか?  いや、父や母がうるさい。

 なら、どうする?

 その時、窓の外からヒュンッと風を切る音がして、またしても青い鳥が飛び込んできた。  ノアの使い魔だ。  足には小さな包みが結びつけられている。  中身は、手紙と……これは、魔法石?

『やあ、リズ。  すごいね、豆聖女さま。  君のおかげで、隣国(僕の国)への豆の輸出も決まったみたいだよ。兄上が感謝してた。  ところで、君の屋敷の周り、すごい人だかりだね。  これじゃあ、ゆっくりお昼寝もできないんじゃない?  そこで提案なんだけど。  この魔法石、使ってみない?  これは古代遺跡から発掘された「空間拡張」と「認識阻害」のアーティファクトなんだけど、君の結界魔法と組み合わせれば、面白いことができると思うんだ。  例えば……君の部屋を、この世のどこにもない「異空間」にしてしまうとかね。  楽しみにしてるよ。  追伸:次回の差し入れは、君の好きな激辛スナックにするね』

 ノア……。  あいつ、本当に私の好みを熟知している。  そして、悪魔のような提案をしてくる。

 異空間。  この世のどこにもない場所。

 私の目が輝いた。  それだ。  物理的にここに存在するから、人はやってくるのだ。  なら、部屋の座標ごとズラしてしまえばいい。  誰も辿り着けない、私だけのパラダイス。

 私は魔法石を握りしめ、ニヤリと笑った。  ありがとう、ノア。  これで次のステップへ進める。

 だが、その前に片付けなければならない問題が一つある。  外の騒ぎだ。  この群衆をどうにか鎮めないと、魔術の儀式に集中できない。

 私は再び、ドアの隙間に向かって声をかけた。  ターゲットは、廊下でうろうろしているマリアだ。

「マリア! いる?」

「はいっ! お呼びでしょうか、お姉様!」

「外の人たちがうるさくて眠れないの。なんとかしてきてくれない?」

「お任せください! この親衛隊長マリア、命に変えても静寂を取り戻してみせます!」

「命はかけなくていいから。あと、フレデリック殿下から貰った豆のタルト、美味しかったわ。貴女も食べていいわよ」

「まあっ! お姉様からのご褒美……! 感激ですわ! では、行ってまいります!」

 マリアが弾丸のように飛び出していく気配がする。  彼女なら、持ち前の『ヒロイン補正(無自覚なカリスマ性)』で、群衆を上手く誘導してくれるだろう。  「聖女様は今、世界の平和のために夢の世界で悪魔と戦っておられます!」とか適当なことを言って。

 私はほっと息をつき、魔法石を眺めた。  さて、準備を始めようか。  この部屋を、世界最強の『引きこもり要塞』へと進化させるための儀式を。

 しかし、私はまだ気づいていなかった。  私の『土壌改良』の知識が、単なる農業問題に留まらず、隣国との外交問題、さらには『魔王復活の予兆』に関連する重大なフラグをへし折ってしまったことに。

 そして、その結果として、私の部屋に『とんでもないもの』が届けられようとしていることに。

 廊下の向こうから、ドタドタという足音とは別に、ズルズル……という何か重いものを引きずる音が聞こえ始めていた。  それは、王太子からの感謝の品か、それとも新たなトラブルの種か。

 少なくとも、それが私の求めていた『平穏』でないことだけは確かだった。

「……なんか、嫌な予感がする」

 私は魔法石をポケットにしまい、警戒態勢をとった。  右手にスタンガン、左手に枕。  これが私の戦闘スタイルだ。

 さあ、次は誰だ。  どっからでもかかってきなさい。  私の睡眠時間は、私が守る!
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