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第5話 部屋から出ないだけで、国が動き始めました
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その日の朝、私は異様な『圧』で目を覚ました。 物理的な圧力ではない。 なんというか、空気中に漂う期待感というか、崇拝の念というか……とにかく、部屋の外から無数の視線が突き刺さるような感覚だ。
私はベッドの中で寝返りを打ち、布団を頭まで被った。
「……気のせい、気のせい」
自己暗示をかける。 私が引きこもり生活を始めてから、まだ三日目だ。 初日は婚約破棄と絶縁状送付。 二日目は王太子と騎士団長の襲撃、そしてヒロインの改心(?)。 怒涛の展開だったが、今日こそは平和な一日になるはずだ。
なにしろ、私の部屋の前には、頼もしい『番犬』ならぬ『親衛隊長』がいるはずだから。
私はそっと耳を澄ませた。 廊下からは、マリアの張り切った声が聞こえてくる。
「皆様! ここから先は聖域ですわ! エリザベートお姉様は今、世界の平穏のために瞑想(という名の二度寝)をされています! 足音を立てることも、呼吸を荒げることも禁止です!」
「は、はい! 申し訳ありません、聖女マリア様!」
使用人たちが恐縮している気配がする。 どうやらマリアは、有言実行で私の安眠を守ってくれているらしい。 素晴らしい。 彼女には後で、とっておきの高級クッキーをあげよう。
私は安心して、再びまどろみの海へと沈んでいった。 ああ、このまま夕方まで寝ていたい。 起きたら、ノアが差し入れてくれた新作の恋愛小説を読んで、紅茶を飲んで、また寝るのだ。 完璧な計画だ。
――しかし。 私のささやかな幸福は、またしても打ち砕かれる運命にあった。
「おお……ここが。ここが、慈愛と無欲の聖女が眠る、伝説の扉か……!」
マリアの声ではない。 男の声だ。 しかも、聞き覚えのある、暑苦しいほどに芝居がかったあの声。
私はガバッと飛び起きた。 嘘でしょ。 また来たの?
私は枕元の時計を見た。 午前10時。 王太子フレデリック。 お前、公務はどうした。
私は慌てて、枕の下から『集音器(魔道具)』を取り出し、耳に当てた。 廊下の様子を探るためだ。
「フレデリック殿下! 困りますわ! アポ無しでの訪問は、お姉様の精神衛生上よくありません!」
マリアが必死に止めている声がする。 頑張れマリア。 君だけが頼りだ。
「退け、マリア。私はリズに会いに来たわけではない」
「は? どういうことですの?」
「私は、ただ『独り言』を言いに来ただけだ。リズに会えば、彼女に負担をかけてしまう。だから、このドアの前で、壁に向かって独り言を呟き、そして帰る。それだけだ」
……は? 何言ってんだこいつ。
「独り言……ですの? それなら、まあ……お姉様の耳に入らなければ……」
マリアが毒気を抜かれたようにたじろぐ。 甘い。 甘いぞマリア。 そいつの『独り言』は、騒音公害レベルなんだぞ。
案の定、フレデリックはドアの前にドカリと座り込んだようだ。 そして、まるで演説でもするかのような大声で話し始めた。
「ああ! 困った! 実に困った!」
でかい。 声がでかい。 私の防音結界を貫通するほどの声量だ。 まさか、喉に拡声魔法でもかかっているのか?
「北部の穀倉地帯で、原因不明の凶作が続いているとは! このままでは冬を越せない民が出てしまう! 王太子として、なんと無力なのだ私は!」
凶作。 その単語に、私の眉がぴくりと動いた。 知っている。 1周目の人生でも、2周目の人生でも起きた問題だ。 原因は単純な『連作障害』と、異常気象による『土壌の酸性化』だ。
「神官たちは『祈りが足りない』と言う。ならば、私が不眠不休で祈りを捧げるべきか? それとも、国庫を開いて他国から高値で小麦を買い付けるべきか? いや、それでは財政が破綻してしまう……!」
フレデリックが頭を抱えている(ような音を立てている)。 違う。 そうじゃない。 祈っても作物は育たないし、高い小麦を買えばインフレが起きて庶民が苦しむだけだ。
私はイライラしながら、ベッドの上で爪を噛んだ。 答えは分かっている。 分かっているが、教えてはいけない。 教えれば、私は『賢者』として崇められ、また政務に引きずり出されてしまう。
無視だ。 無視に限る。 私が口を出さなくても、いずれ優秀な官僚が気づくはずだ。 ……多分。
「ああ、リズ……。君ならどうする? いや、君に頼ってはいけない。君は今、世界の理(ことわり)と対話している最中なのだから」
対話してない。 クッションの毛並みを整えていただけだ。
「そうだ! やはり、私が現地へ行き、鍬(くわ)を持って耕そう! 王太子の汗と涙が大地に染み込めば、きっと女神も微笑んでくれるはずだ!」
はあ? 馬鹿なの? 王太子が畑を耕してどうする。 パフォーマンスとしてはいいかもしれないが、根本的な解決にはならない。 しかも、北部の土は今、酸性化していて、無理に耕せば余計に土壌が死ぬ。
「よし、決めたぞ! 今すぐ出発だ! 全騎士団を連れて、北の大地を掘り返すぞー!」
「殿下、お待ちください! それはあまりにも無計画では!?」
マリアが止めに入っているが、フレデリックは暴走モードに入っているようだ。 ガタガタと立ち上がる音がする。
このまま行かせればどうなる? 北部の大地は荒れ果て、騎士団は疲弊し、結果として大飢饉が起きる。 そうなれば、巡り巡って私の実家である公爵領にも難民が押し寄せ、私の引きこもりライフも脅かされるかもしれない。 美味しいパンやケーキが食べられなくなるのも困る。
……あー、もう! うるさい! バカ! 無能!
私の堪忍袋の緒が、プチリと音を立てて切れた。
私はベッドから飛び降り、ドカドカとドアへ歩み寄った。 そして、思い切りドアを蹴り……いや、内側から拳で叩いた。
ドンッ!!
廊下が静まり返る。
「……リズ?」
フレデリックがおずおずと声をかけてきた。
私はドアに額を押し当て、腹の底から声を絞り出した。 できるだけ低い、威圧的な、地獄の底から響くような声で。
「……うるさい」
「ひっ!?」
「朝っぱらから大声で喚かないで。安眠妨害よ」
「す、すまない! だが、国の危機が……!」
「いいから聞きなさい! 北部の土は今、酸性に傾いているの! そこに小麦を植えても枯れるだけよ!」
言ってしまった。 もういい。 さっさと正解を教えて、追い払うのが吉だ。
「酸性……? それは一体……?」
「土がすっぱくなってるってことよ! だから、石灰を撒きなさい! それから、小麦じゃなくて、根粒菌(こんりゅうきん)を持つ豆類を植えるの! 大豆とか、クローバーとかよ! そうすれば土が蘇るわ!」
「ま、豆……?」
「そうよ! 今年は豆を育てて、土を休ませなさい。小麦は来年植えれば、倍の収穫になるわ! 以上! 分かったらさっさと帰って実行して!」
私は一気にまくし立てると、再びドガンッ! とドアを叩いた。 会話終了の合図だ。 ふぅ、すっきりした。 これで彼も、私の剣幕に恐れをなして退散するだろう。
しかし。 廊下の空気は、私の予想とは違う方向へ凝固していた。
「……すごい」
フレデリックの震える声。
「『土がすっぱくなっている』……? 『豆が土を蘇らせる』……? 聞いたこともない理論だ。だが、なぜだろう。君の言葉には、確信という名の光が宿っている!」
そりゃそうだ。 2周目の人生で、私が農業大学の教授並みに研究して出した結論だもの。
「リズ……君は、部屋に籠もりながらにして、千里眼で北部の土壌を見ていたというのか? いや、もしかして、大地の精霊と交信していたのか!?」
してない。 図鑑で読んだだけだ。
「なんてことだ……。私は愚かだった。根性論で土を掘り返そうなどと……。君の言う通りだ。石灰と豆! それが神の啓示だったのか!」
神の啓示じゃなくて、農業の基礎知識だ。
「ありがとう、リズ! 君は国の救世主だ! すぐに手配する! 石灰だ! 国中の石灰を北部へ送れ! 豆もだ!」
ダダダダダッ! フレデリックが猛烈な勢いで走り去っていく音がする。 後に残されたのは、唖然とするマリアと使用人たち、そして静寂だった。
「……行ってしまった」
私は脱力して、ズルズルとドアにもたれかかった。 やってしまった。 またしても、余計なことをしてしまった。 これでは「引きこもり」ではなく「引きこもり賢者」ではないか。
いや、でもまあ、これで食料危機が回避されるならいいか。 パンが値上がりするのは嫌だし。
私は気を取り直して、再びベッドへ戻った。 二度寝のリズムは崩れてしまったが、おやつの時間まではまだある。 読書でもしよう。
そう思っていたのだが。
数日後。 事態は、私の想像を遥かに超えるスピードで動いていた。
◇
「エリザベート様! 大変です! 大変ですわ!」
マリアが、いつになく興奮した様子でドアの外から叫んでいる。 私はクッキーを齧りながら、けだるげに応答した。
「……なに? また誰か来たの? 今度はドラゴンでも攻めてきた?」
「違います! 新聞です! 号外が出ましたのよ!」
ガサガサッという音とともに、ドアの下から一枚の紙が差し込まれた。 私は面倒くさそうにそれを拾い上げ、目を通した。
そこには、デカデカとこう書かれていた。
『奇跡の予言! 北部の大地が黄金色に輝く!』 『引きこもり聖女・エリザベート様の神託により、死に絶えた土地が復活!』 『豆の大豊作! 王太子殿下、「全ては彼女の愛のおかげ」と涙の会見』
……は? 早くない? まだ数日しか経っていないはずだ。 豆が育つのにどれだけ時間がかかると思っているんだ。
記事を読み進めると、どうやらこういうことらしい。 フレデリックが私の助言通りに石灰を撒き、豆(魔力で成長促進された改良品種らしい)を植えたところ、みるみるうちに土壌が回復。 さらに、植えた豆が異常なスピードで成長し、またたく間に収穫期を迎えたとのこと。
魔法使いかよ。 いや、ここは魔法の世界だった。 王宮魔術師たちが総出で成長促進魔法をかけたらしい。 私の「土を休ませろ」という助言はどこへ行った。
まあ、結果として土壌改良は成功し、とりあえずの食料も確保できたようだ。 それはいい。 問題は、記事の後半だ。
『この功績により、エリザベート様への国民の支持率は急上昇。街では彼女の肖像画(想像図・後光が差している)が飛ぶように売れ、彼女が住む屋敷の方角へ向かって祈る「リズ様参り」が流行している』
……やめて。 本当にやめて。 肖像画のロイヤリティくらいよこしなさいよ。
「お姉様! 凄いですわ! わたくし、感動しました!」
ドアの向こうで、マリアが鼻をすすっている。
「部屋から一歩も出ずに、国の危機を救うなんて……! これぞまさに『座して天下を動かす』ですわ! わたくし、一生ついていきます!」
「いや、ついてこないで。お願いだから」
「あ、そうだわ! この『聖女の豆』を使った新作スイーツを、王室料理長が作ったそうですの。差し入れに置いておきますわね!」
コトッ、と何かが置かれる音。 豆のスイーツ? ずんだ餅か何かか?
私はため息をつきながら、風魔法でそれを回収した。 箱を開けると、そこには美しい緑色のクリームが乗ったタルトが入っていた。 一口食べる。 ……美味い。 濃厚な豆の風味と、程よい甘さが絶妙だ。
「……悔しいけど、美味しい」
私はタルトをもぐもぐと頬張りながら、天井を仰いだ。 国は救われた。 食料危機も去った。 民衆は喜んでいる。
しかし、私の「平穏な引きこもりライフ」は、ますます遠のいている気がしてならない。
なぜなら、私の『集音器』が、屋敷の外の新たな騒がしさを捉えていたからだ。 「ここが聖女様の屋敷か!」 「お願いだ! 俺の病気も治してくれ!」 「うちの商売が上手くいくように占ってくれ!」 「リズ様ー! 顔を見せてー!」
群衆だ。 ただの野次馬ではない。 切実な願いを持った人々が、救いを求めて押し寄せているのだ。
私が恐れていた事態。 『聖女』としての認知。 これが定着してしまえば、王宮や教会は私を放っておかないだろう。 「国民のために」という大義名分のもと、私を部屋から引きずり出し、神殿の奥に祀り上げようとするに違いない。 それは、実質的な「労働」だ。 毎日祈祷をして、信者に手を振り、愛想笑いを浮かべる。 そんな生活、まっぴらごめんだ。
私は決意した。 このままではいけない。 より強固な、より物理的な『拒絶』を示さねばならない。
そのためには、今の『部屋』だけでは不十分だ。 屋敷ごと要塞化するか? いや、父や母がうるさい。
なら、どうする?
その時、窓の外からヒュンッと風を切る音がして、またしても青い鳥が飛び込んできた。 ノアの使い魔だ。 足には小さな包みが結びつけられている。 中身は、手紙と……これは、魔法石?
『やあ、リズ。 すごいね、豆聖女さま。 君のおかげで、隣国(僕の国)への豆の輸出も決まったみたいだよ。兄上が感謝してた。 ところで、君の屋敷の周り、すごい人だかりだね。 これじゃあ、ゆっくりお昼寝もできないんじゃない? そこで提案なんだけど。 この魔法石、使ってみない? これは古代遺跡から発掘された「空間拡張」と「認識阻害」のアーティファクトなんだけど、君の結界魔法と組み合わせれば、面白いことができると思うんだ。 例えば……君の部屋を、この世のどこにもない「異空間」にしてしまうとかね。 楽しみにしてるよ。 追伸:次回の差し入れは、君の好きな激辛スナックにするね』
ノア……。 あいつ、本当に私の好みを熟知している。 そして、悪魔のような提案をしてくる。
異空間。 この世のどこにもない場所。
私の目が輝いた。 それだ。 物理的にここに存在するから、人はやってくるのだ。 なら、部屋の座標ごとズラしてしまえばいい。 誰も辿り着けない、私だけのパラダイス。
私は魔法石を握りしめ、ニヤリと笑った。 ありがとう、ノア。 これで次のステップへ進める。
だが、その前に片付けなければならない問題が一つある。 外の騒ぎだ。 この群衆をどうにか鎮めないと、魔術の儀式に集中できない。
私は再び、ドアの隙間に向かって声をかけた。 ターゲットは、廊下でうろうろしているマリアだ。
「マリア! いる?」
「はいっ! お呼びでしょうか、お姉様!」
「外の人たちがうるさくて眠れないの。なんとかしてきてくれない?」
「お任せください! この親衛隊長マリア、命に変えても静寂を取り戻してみせます!」
「命はかけなくていいから。あと、フレデリック殿下から貰った豆のタルト、美味しかったわ。貴女も食べていいわよ」
「まあっ! お姉様からのご褒美……! 感激ですわ! では、行ってまいります!」
マリアが弾丸のように飛び出していく気配がする。 彼女なら、持ち前の『ヒロイン補正(無自覚なカリスマ性)』で、群衆を上手く誘導してくれるだろう。 「聖女様は今、世界の平和のために夢の世界で悪魔と戦っておられます!」とか適当なことを言って。
私はほっと息をつき、魔法石を眺めた。 さて、準備を始めようか。 この部屋を、世界最強の『引きこもり要塞』へと進化させるための儀式を。
しかし、私はまだ気づいていなかった。 私の『土壌改良』の知識が、単なる農業問題に留まらず、隣国との外交問題、さらには『魔王復活の予兆』に関連する重大なフラグをへし折ってしまったことに。
そして、その結果として、私の部屋に『とんでもないもの』が届けられようとしていることに。
廊下の向こうから、ドタドタという足音とは別に、ズルズル……という何か重いものを引きずる音が聞こえ始めていた。 それは、王太子からの感謝の品か、それとも新たなトラブルの種か。
少なくとも、それが私の求めていた『平穏』でないことだけは確かだった。
「……なんか、嫌な予感がする」
私は魔法石をポケットにしまい、警戒態勢をとった。 右手にスタンガン、左手に枕。 これが私の戦闘スタイルだ。
さあ、次は誰だ。 どっからでもかかってきなさい。 私の睡眠時間は、私が守る!
私はベッドの中で寝返りを打ち、布団を頭まで被った。
「……気のせい、気のせい」
自己暗示をかける。 私が引きこもり生活を始めてから、まだ三日目だ。 初日は婚約破棄と絶縁状送付。 二日目は王太子と騎士団長の襲撃、そしてヒロインの改心(?)。 怒涛の展開だったが、今日こそは平和な一日になるはずだ。
なにしろ、私の部屋の前には、頼もしい『番犬』ならぬ『親衛隊長』がいるはずだから。
私はそっと耳を澄ませた。 廊下からは、マリアの張り切った声が聞こえてくる。
「皆様! ここから先は聖域ですわ! エリザベートお姉様は今、世界の平穏のために瞑想(という名の二度寝)をされています! 足音を立てることも、呼吸を荒げることも禁止です!」
「は、はい! 申し訳ありません、聖女マリア様!」
使用人たちが恐縮している気配がする。 どうやらマリアは、有言実行で私の安眠を守ってくれているらしい。 素晴らしい。 彼女には後で、とっておきの高級クッキーをあげよう。
私は安心して、再びまどろみの海へと沈んでいった。 ああ、このまま夕方まで寝ていたい。 起きたら、ノアが差し入れてくれた新作の恋愛小説を読んで、紅茶を飲んで、また寝るのだ。 完璧な計画だ。
――しかし。 私のささやかな幸福は、またしても打ち砕かれる運命にあった。
「おお……ここが。ここが、慈愛と無欲の聖女が眠る、伝説の扉か……!」
マリアの声ではない。 男の声だ。 しかも、聞き覚えのある、暑苦しいほどに芝居がかったあの声。
私はガバッと飛び起きた。 嘘でしょ。 また来たの?
私は枕元の時計を見た。 午前10時。 王太子フレデリック。 お前、公務はどうした。
私は慌てて、枕の下から『集音器(魔道具)』を取り出し、耳に当てた。 廊下の様子を探るためだ。
「フレデリック殿下! 困りますわ! アポ無しでの訪問は、お姉様の精神衛生上よくありません!」
マリアが必死に止めている声がする。 頑張れマリア。 君だけが頼りだ。
「退け、マリア。私はリズに会いに来たわけではない」
「は? どういうことですの?」
「私は、ただ『独り言』を言いに来ただけだ。リズに会えば、彼女に負担をかけてしまう。だから、このドアの前で、壁に向かって独り言を呟き、そして帰る。それだけだ」
……は? 何言ってんだこいつ。
「独り言……ですの? それなら、まあ……お姉様の耳に入らなければ……」
マリアが毒気を抜かれたようにたじろぐ。 甘い。 甘いぞマリア。 そいつの『独り言』は、騒音公害レベルなんだぞ。
案の定、フレデリックはドアの前にドカリと座り込んだようだ。 そして、まるで演説でもするかのような大声で話し始めた。
「ああ! 困った! 実に困った!」
でかい。 声がでかい。 私の防音結界を貫通するほどの声量だ。 まさか、喉に拡声魔法でもかかっているのか?
「北部の穀倉地帯で、原因不明の凶作が続いているとは! このままでは冬を越せない民が出てしまう! 王太子として、なんと無力なのだ私は!」
凶作。 その単語に、私の眉がぴくりと動いた。 知っている。 1周目の人生でも、2周目の人生でも起きた問題だ。 原因は単純な『連作障害』と、異常気象による『土壌の酸性化』だ。
「神官たちは『祈りが足りない』と言う。ならば、私が不眠不休で祈りを捧げるべきか? それとも、国庫を開いて他国から高値で小麦を買い付けるべきか? いや、それでは財政が破綻してしまう……!」
フレデリックが頭を抱えている(ような音を立てている)。 違う。 そうじゃない。 祈っても作物は育たないし、高い小麦を買えばインフレが起きて庶民が苦しむだけだ。
私はイライラしながら、ベッドの上で爪を噛んだ。 答えは分かっている。 分かっているが、教えてはいけない。 教えれば、私は『賢者』として崇められ、また政務に引きずり出されてしまう。
無視だ。 無視に限る。 私が口を出さなくても、いずれ優秀な官僚が気づくはずだ。 ……多分。
「ああ、リズ……。君ならどうする? いや、君に頼ってはいけない。君は今、世界の理(ことわり)と対話している最中なのだから」
対話してない。 クッションの毛並みを整えていただけだ。
「そうだ! やはり、私が現地へ行き、鍬(くわ)を持って耕そう! 王太子の汗と涙が大地に染み込めば、きっと女神も微笑んでくれるはずだ!」
はあ? 馬鹿なの? 王太子が畑を耕してどうする。 パフォーマンスとしてはいいかもしれないが、根本的な解決にはならない。 しかも、北部の土は今、酸性化していて、無理に耕せば余計に土壌が死ぬ。
「よし、決めたぞ! 今すぐ出発だ! 全騎士団を連れて、北の大地を掘り返すぞー!」
「殿下、お待ちください! それはあまりにも無計画では!?」
マリアが止めに入っているが、フレデリックは暴走モードに入っているようだ。 ガタガタと立ち上がる音がする。
このまま行かせればどうなる? 北部の大地は荒れ果て、騎士団は疲弊し、結果として大飢饉が起きる。 そうなれば、巡り巡って私の実家である公爵領にも難民が押し寄せ、私の引きこもりライフも脅かされるかもしれない。 美味しいパンやケーキが食べられなくなるのも困る。
……あー、もう! うるさい! バカ! 無能!
私の堪忍袋の緒が、プチリと音を立てて切れた。
私はベッドから飛び降り、ドカドカとドアへ歩み寄った。 そして、思い切りドアを蹴り……いや、内側から拳で叩いた。
ドンッ!!
廊下が静まり返る。
「……リズ?」
フレデリックがおずおずと声をかけてきた。
私はドアに額を押し当て、腹の底から声を絞り出した。 できるだけ低い、威圧的な、地獄の底から響くような声で。
「……うるさい」
「ひっ!?」
「朝っぱらから大声で喚かないで。安眠妨害よ」
「す、すまない! だが、国の危機が……!」
「いいから聞きなさい! 北部の土は今、酸性に傾いているの! そこに小麦を植えても枯れるだけよ!」
言ってしまった。 もういい。 さっさと正解を教えて、追い払うのが吉だ。
「酸性……? それは一体……?」
「土がすっぱくなってるってことよ! だから、石灰を撒きなさい! それから、小麦じゃなくて、根粒菌(こんりゅうきん)を持つ豆類を植えるの! 大豆とか、クローバーとかよ! そうすれば土が蘇るわ!」
「ま、豆……?」
「そうよ! 今年は豆を育てて、土を休ませなさい。小麦は来年植えれば、倍の収穫になるわ! 以上! 分かったらさっさと帰って実行して!」
私は一気にまくし立てると、再びドガンッ! とドアを叩いた。 会話終了の合図だ。 ふぅ、すっきりした。 これで彼も、私の剣幕に恐れをなして退散するだろう。
しかし。 廊下の空気は、私の予想とは違う方向へ凝固していた。
「……すごい」
フレデリックの震える声。
「『土がすっぱくなっている』……? 『豆が土を蘇らせる』……? 聞いたこともない理論だ。だが、なぜだろう。君の言葉には、確信という名の光が宿っている!」
そりゃそうだ。 2周目の人生で、私が農業大学の教授並みに研究して出した結論だもの。
「リズ……君は、部屋に籠もりながらにして、千里眼で北部の土壌を見ていたというのか? いや、もしかして、大地の精霊と交信していたのか!?」
してない。 図鑑で読んだだけだ。
「なんてことだ……。私は愚かだった。根性論で土を掘り返そうなどと……。君の言う通りだ。石灰と豆! それが神の啓示だったのか!」
神の啓示じゃなくて、農業の基礎知識だ。
「ありがとう、リズ! 君は国の救世主だ! すぐに手配する! 石灰だ! 国中の石灰を北部へ送れ! 豆もだ!」
ダダダダダッ! フレデリックが猛烈な勢いで走り去っていく音がする。 後に残されたのは、唖然とするマリアと使用人たち、そして静寂だった。
「……行ってしまった」
私は脱力して、ズルズルとドアにもたれかかった。 やってしまった。 またしても、余計なことをしてしまった。 これでは「引きこもり」ではなく「引きこもり賢者」ではないか。
いや、でもまあ、これで食料危機が回避されるならいいか。 パンが値上がりするのは嫌だし。
私は気を取り直して、再びベッドへ戻った。 二度寝のリズムは崩れてしまったが、おやつの時間まではまだある。 読書でもしよう。
そう思っていたのだが。
数日後。 事態は、私の想像を遥かに超えるスピードで動いていた。
◇
「エリザベート様! 大変です! 大変ですわ!」
マリアが、いつになく興奮した様子でドアの外から叫んでいる。 私はクッキーを齧りながら、けだるげに応答した。
「……なに? また誰か来たの? 今度はドラゴンでも攻めてきた?」
「違います! 新聞です! 号外が出ましたのよ!」
ガサガサッという音とともに、ドアの下から一枚の紙が差し込まれた。 私は面倒くさそうにそれを拾い上げ、目を通した。
そこには、デカデカとこう書かれていた。
『奇跡の予言! 北部の大地が黄金色に輝く!』 『引きこもり聖女・エリザベート様の神託により、死に絶えた土地が復活!』 『豆の大豊作! 王太子殿下、「全ては彼女の愛のおかげ」と涙の会見』
……は? 早くない? まだ数日しか経っていないはずだ。 豆が育つのにどれだけ時間がかかると思っているんだ。
記事を読み進めると、どうやらこういうことらしい。 フレデリックが私の助言通りに石灰を撒き、豆(魔力で成長促進された改良品種らしい)を植えたところ、みるみるうちに土壌が回復。 さらに、植えた豆が異常なスピードで成長し、またたく間に収穫期を迎えたとのこと。
魔法使いかよ。 いや、ここは魔法の世界だった。 王宮魔術師たちが総出で成長促進魔法をかけたらしい。 私の「土を休ませろ」という助言はどこへ行った。
まあ、結果として土壌改良は成功し、とりあえずの食料も確保できたようだ。 それはいい。 問題は、記事の後半だ。
『この功績により、エリザベート様への国民の支持率は急上昇。街では彼女の肖像画(想像図・後光が差している)が飛ぶように売れ、彼女が住む屋敷の方角へ向かって祈る「リズ様参り」が流行している』
……やめて。 本当にやめて。 肖像画のロイヤリティくらいよこしなさいよ。
「お姉様! 凄いですわ! わたくし、感動しました!」
ドアの向こうで、マリアが鼻をすすっている。
「部屋から一歩も出ずに、国の危機を救うなんて……! これぞまさに『座して天下を動かす』ですわ! わたくし、一生ついていきます!」
「いや、ついてこないで。お願いだから」
「あ、そうだわ! この『聖女の豆』を使った新作スイーツを、王室料理長が作ったそうですの。差し入れに置いておきますわね!」
コトッ、と何かが置かれる音。 豆のスイーツ? ずんだ餅か何かか?
私はため息をつきながら、風魔法でそれを回収した。 箱を開けると、そこには美しい緑色のクリームが乗ったタルトが入っていた。 一口食べる。 ……美味い。 濃厚な豆の風味と、程よい甘さが絶妙だ。
「……悔しいけど、美味しい」
私はタルトをもぐもぐと頬張りながら、天井を仰いだ。 国は救われた。 食料危機も去った。 民衆は喜んでいる。
しかし、私の「平穏な引きこもりライフ」は、ますます遠のいている気がしてならない。
なぜなら、私の『集音器』が、屋敷の外の新たな騒がしさを捉えていたからだ。 「ここが聖女様の屋敷か!」 「お願いだ! 俺の病気も治してくれ!」 「うちの商売が上手くいくように占ってくれ!」 「リズ様ー! 顔を見せてー!」
群衆だ。 ただの野次馬ではない。 切実な願いを持った人々が、救いを求めて押し寄せているのだ。
私が恐れていた事態。 『聖女』としての認知。 これが定着してしまえば、王宮や教会は私を放っておかないだろう。 「国民のために」という大義名分のもと、私を部屋から引きずり出し、神殿の奥に祀り上げようとするに違いない。 それは、実質的な「労働」だ。 毎日祈祷をして、信者に手を振り、愛想笑いを浮かべる。 そんな生活、まっぴらごめんだ。
私は決意した。 このままではいけない。 より強固な、より物理的な『拒絶』を示さねばならない。
そのためには、今の『部屋』だけでは不十分だ。 屋敷ごと要塞化するか? いや、父や母がうるさい。
なら、どうする?
その時、窓の外からヒュンッと風を切る音がして、またしても青い鳥が飛び込んできた。 ノアの使い魔だ。 足には小さな包みが結びつけられている。 中身は、手紙と……これは、魔法石?
『やあ、リズ。 すごいね、豆聖女さま。 君のおかげで、隣国(僕の国)への豆の輸出も決まったみたいだよ。兄上が感謝してた。 ところで、君の屋敷の周り、すごい人だかりだね。 これじゃあ、ゆっくりお昼寝もできないんじゃない? そこで提案なんだけど。 この魔法石、使ってみない? これは古代遺跡から発掘された「空間拡張」と「認識阻害」のアーティファクトなんだけど、君の結界魔法と組み合わせれば、面白いことができると思うんだ。 例えば……君の部屋を、この世のどこにもない「異空間」にしてしまうとかね。 楽しみにしてるよ。 追伸:次回の差し入れは、君の好きな激辛スナックにするね』
ノア……。 あいつ、本当に私の好みを熟知している。 そして、悪魔のような提案をしてくる。
異空間。 この世のどこにもない場所。
私の目が輝いた。 それだ。 物理的にここに存在するから、人はやってくるのだ。 なら、部屋の座標ごとズラしてしまえばいい。 誰も辿り着けない、私だけのパラダイス。
私は魔法石を握りしめ、ニヤリと笑った。 ありがとう、ノア。 これで次のステップへ進める。
だが、その前に片付けなければならない問題が一つある。 外の騒ぎだ。 この群衆をどうにか鎮めないと、魔術の儀式に集中できない。
私は再び、ドアの隙間に向かって声をかけた。 ターゲットは、廊下でうろうろしているマリアだ。
「マリア! いる?」
「はいっ! お呼びでしょうか、お姉様!」
「外の人たちがうるさくて眠れないの。なんとかしてきてくれない?」
「お任せください! この親衛隊長マリア、命に変えても静寂を取り戻してみせます!」
「命はかけなくていいから。あと、フレデリック殿下から貰った豆のタルト、美味しかったわ。貴女も食べていいわよ」
「まあっ! お姉様からのご褒美……! 感激ですわ! では、行ってまいります!」
マリアが弾丸のように飛び出していく気配がする。 彼女なら、持ち前の『ヒロイン補正(無自覚なカリスマ性)』で、群衆を上手く誘導してくれるだろう。 「聖女様は今、世界の平和のために夢の世界で悪魔と戦っておられます!」とか適当なことを言って。
私はほっと息をつき、魔法石を眺めた。 さて、準備を始めようか。 この部屋を、世界最強の『引きこもり要塞』へと進化させるための儀式を。
しかし、私はまだ気づいていなかった。 私の『土壌改良』の知識が、単なる農業問題に留まらず、隣国との外交問題、さらには『魔王復活の予兆』に関連する重大なフラグをへし折ってしまったことに。
そして、その結果として、私の部屋に『とんでもないもの』が届けられようとしていることに。
廊下の向こうから、ドタドタという足音とは別に、ズルズル……という何か重いものを引きずる音が聞こえ始めていた。 それは、王太子からの感謝の品か、それとも新たなトラブルの種か。
少なくとも、それが私の求めていた『平穏』でないことだけは確かだった。
「……なんか、嫌な予感がする」
私は魔法石をポケットにしまい、警戒態勢をとった。 右手にスタンガン、左手に枕。 これが私の戦闘スタイルだ。
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