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第7話 隣国のスパイ(ノア)と秘密のティータイム
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ふわり、と甘い香りが鼻をくすぐった。 意識がゆっくりと浮上してくる。 まぶたの裏で、パチパチという暖炉の薪が爆ぜる音が聞こえる。
「……ん」
私は目を開けた。 視界に入ってきたのは、見慣れた天井と、穏やかな午後の日差し。 そして、私のベッドの横にあるサイドテーブルで、優雅に紅茶を淹れている一人の少年の姿だった。
サラサラとした亜麻色の髪。 人懐っこいようでいて、どこか底知れない光を宿したヘーゼルナッツ色の瞳。 年齢は私と同じ17歳だが、その童顔のせいで3つは若く見える。 隣国アークライドの第3王子にして、私の『2回目の人生』からの腐れ縁、ノア・ヴァン・アークライド。
「やあ、リズ。おはよう。それとも、こんにちはかな?」
彼はポットからカップへ、黄金色の液体を注ぎながら微笑んだ。 その動作の一つ一つが洗練されており、絵画のように美しい。
私は、自分が置かれている状況を確認するために、のっそりと上半身を起こした。 記憶にある最後の光景は、私の部屋のドアが倒れ、王太子と騎士団長とその他大勢の男たちが、雪崩のように押し寄せてきた地獄絵図だ。 私は彼らの熱気と圧に押しつぶされ、意識を手放したはずだ。
「……生きてる?」
「うん、ピンピンしてるよ。ただ、君が気絶した瞬間、あの場はパニック映画みたいだったけどね」
ノアはクスクスと笑いながら、紅茶のカップを私に差し出した。
「『リズが死んだ!』『聖女様が崩御された!』って、大の男たちが泣き叫んで。そこへ僕が通りがかった医者(という設定)として介入して、全員を廊下へ叩き出したってわけ」
「……ありがとう。助かったわ」
「礼には及ばないよ。君の寝顔を特等席で見られたしね。それに、壊れたドアと結界も直しておいたよ。僕の国(アークライド)の最新技術を使った『認識阻害結界・改』だ。これでしばらくは、物理的にも視覚的にも、外からは干渉できないはずさ」
私は周囲を見渡した。 確かに、ドアは元通りになっており、部屋の中は完全なる静寂に包まれている。 あの騒がしい男たちの気配も、マリアの声も聞こえない。
「優秀ね、ノア。貴方を執事に雇いたいくらいよ」
「はは、光栄だね。でも僕の時給は高いよ? 国家予算くらいかかるけど」
ノアは肩をすくめると、自分用のカップを持って椅子に座った。 彼とは1周目の人生で知り合い、2周目では互いの利益のために情報を交換し合う『共犯者』のような関係だった。 彼は表向きは隣国の親善大使として滞在しているが、その実体は『スパイ』だ。 自国の利益のためにこの国の内情を探り、時には混乱を招き、時には救う。 すべては彼の気まぐれと、計算の上にある。
そして、私が『3回目の人生』を生きていること、そして私の本性が『極度の怠け者』であることを知る、唯一の人物でもある。 (なぜ知っているかといえば、彼もまた特殊な能力を持っていて、私の魔力波長の変化から『巻き戻り』を見抜いたからだ。本当に厄介な男だ)
「で? どうだった? 僕が送った魔法石を使った『異空間逃亡』の感想は」
ノアが楽しそうに聞いてきた。 私は不機嫌にマカロン(フレデリックの差し入れの残り)を齧った。
「最悪よ。貴方の石、出力不足じゃないの? あいつらの執念に負けて弾け飛んだわよ」
「いやいや、君の使い方が荒っぽいんだよ。空間魔法っていうのはもっと繊細に……まあいいや。結果として、君の『聖女伝説』に『天界からの帰還』という箔がついたわけだし」
「嬉しくないわよ。おかげで信者が増えたじゃない」
私はため息をついた。 ふと、部屋の隅に積まれた『武器の山』がなくなっていることに気づく。 アレクセイが持ち込んだ、あの呪われた鎧や生首だ。
「あれも片付けてくれたの?」
「ああ、あれね。廊下の騎士たちにあげたよ。『リズ様からの授かりものだ!』って泣いて喜んでた。今頃、彼らは君を守るために、城の周りを黒い壁になって取り囲んでいるよ」
……また変な組織を強化してしまったか。 まあ、部屋の中に入ってこないならそれでいい。
私は紅茶を一口飲んだ。 ダージリンの芳醇な香りが広がる。 ノアが淹れる紅茶は、悔しいけれど絶品だ。
「……ねえ、ノア」
「ん?」
「私、この国を出ようかしら」
ぽつりと、本音が漏れた。 冗談ではない。本気だ。 ここ数日の騒動で、この屋敷に留まることの限界を感じ始めていた。
「へえ。亡命?」
「そう。貴方の国でも、もっと遠くの無人島でもいいわ。とにかく、フレデリックやアレクセイの手が届かない場所へ行きたいの。名前を変えて、平民として、一日中ハンモックで揺られて暮らすの」
ノアは瞳を細め、カップの縁を指でなぞった。
「君らしい夢だね。でも、無理だと思うよ」
「なぜ?」
「だって君、この国にとって『心臓』になっちゃってるから。君がいなくなったら、この国の農業は崩壊し(君の豆知識がないと維持できない)、騎士団は暴走し(君という主を失った狂犬になる)、王太子は廃人になる(君を探して世界中を放浪する)。結果、ルミナステラ王国は滅びる」
「滅びればいいじゃない」
私は即答した。
「知ったことではないわ。1回目は殺され、2回目は過労死させられたのよ? この国に義理なんてこれっぽっちもないわ。むしろ、滅んで更地になった方が、静かでよく眠れそう」
言い放つと、ノアが「ぷっ」と吹き出した。
「あはは! 最高だね、リズ。君のその、清々しいまでの利己主義(エゴイズム)。聖女の皮を被った悪魔だ」
「悪魔で結構よ。悪魔の方が労働環境がホワイトなら、喜んで契約書にサインするわ」
「いいねえ。そういう君だから、僕は飽きないんだ」
ノアは楽しそうにクッキーをつまんだ。
「でも、残念ながら君は逃げられない。なぜなら、君のその『無欲さ』こそが、彼らを惹きつけてやまない最強の引力だからさ。君が逃げれば逃げるほど、彼らは『自分たちが試されている!』と勘違いして、追いかけてくる。地獄の果てまでね」
ぞっとする未来予想図だ。 ストーカー国家か、ここは。
「じゃあ、どうすればいいのよ。一生この部屋で籠城戦を続けろって言うの?」
「うーん、そうだね。一つだけ方法があるとしたら……」
ノアは意味深に言葉を切り、ニヤリと笑った。
「彼らに『君を諦めさせる』のではなく、『君に満足させる』ことかな」
「満足?」
「そう。彼らは今、君に『理想の聖女』を重ねて見ている。だから、君が何をしても『聖女の深慮遠謀』だと解釈する。なら、いっそのこと、彼らを完全に支配下に置いて、君の都合のいいように動く『駒』にしてしまえばいい」
支配。 面倒くさい単語だ。
「王太子には『私が寝ている間に国を富ませろ、さもなくば口を利かない』と命じる。騎士団長には『私の安眠を妨げる者を排除しろ、お前自身も含めて』と命じる。そうやって、君を中心とした『最強の独裁国家』を作ってしまえば、君は玉座(ベッド)の上で寝ているだけで、世界が回るようになる」
……なるほど。 一理ある。 逃げるから追われる。 ならば、頂点に立ってしまえば、誰も私に意見できなくなる。
「悪くないわね。……でも、やっぱり面倒くさいわ。指示を出すのも、報告を聞くのも嫌」
「ははは、ぶれないねえ」
私とノアは顔を見合わせて笑った。 唯一、仮面を被らずに話せる相手との時間は、思いのほか心地よかった。 毒のある会話と、甘いお菓子。 これが私の求めていた『休息』の形かもしれない。
――さて。 ここで一つ、重大な事実を明かさなければならない。
ノアは先ほど、「認識阻害結界・改」を張ったと言った。 外からは中の様子は見えないし、物理的な干渉もできないと。
だが、彼は一つだけ、意図的な『穴』を開けていた。
音だ。 音声だけは、一方的に外へ漏れるように設定されていたのだ。 しかも、ノアが持参した『拡声魔道具(極小サイズ)』によって、私たちの会話は、ドアの外に張り付いている(であろう)者たちの耳に、クリアに、かつドラマチックに届いていたのである。
もちろん、私はそのことを知らない。 ノアだけが知っている。 この悪趣味なスパイは、私の本音が外でどう『翻訳』されるかを楽しみながら、会話を誘導していたのだ。
◇ ◇ ◇
廊下。 そこには、王太子フレデリック、騎士団長アレクセイ、そしてマリアと数名の側近たちが、ドアに耳を押し当てるようにして固まっていた。
「しっ! 静かに! リズの声が聞こえるぞ!」 「隣国の王子と話しているようだ……」
彼らは固唾を呑んで、漏れ聞こえてくる会話に聞き耳を立てていた。
『私、この国を出ようかしら』
リズの声が響く。 フレデリックが息を呑んだ。
「ぼ、亡命だと……!? 彼女はそこまで追い詰められていたのか!?」
『名前を変えて、平民として……』
「なんてことだ……。公爵令嬢としての地位も、次期王妃の座も、彼女にとっては重荷でしかなかったというのか!」
フレデリックは自分の胸を強く掴んだ。 彼女の苦悩に気づけなかった己の不明を恥じるように。
そして、会話は続く。
『君がいなくなったら、この国は滅びるよ』(ノアの声)
『滅びればいいじゃない』(リズの声)
衝撃が走る。 側近たちが「なっ……!」と顔を見合わせる。 国母となるべき女性が、自国の滅亡を望む発言。 これは反逆罪に問われてもおかしくない。
しかし。 ここにいるのは、リズ信者(ガチ勢)たちである。 彼らの脳内変換回路は、常人のそれを遥かに凌駕していた。
「……聞いたか」
アレクセイが、震える声で呟いた。 その瞳には、感動の涙が溜まっている。
「『滅びればいい』……。これは、単なる破壊願望ではない。既存の腐敗した体制への、痛烈な批判だ!」
「ど、どういうことですか、団長?」
「彼女は言っているのだ。『今のままのルミナステラ王国ではダメだ』と。『一度ゼロに戻し、新たな理念のもとに再生しなければ、民は救われない』と!」
フレデリックも激しく頷いた。
「そうだ……! 彼女は以前、私に農業改革を説いた。あれも、古い慣習(根性論)を捨て、新しい技術(石灰と豆)を取り入れろというメッセージだった! 彼女は、この国の膿を出し切りたいのだ!」
『1回目は殺され、2回目は過労死させられたのよ?』
リズの謎めいた発言。 これを彼らはどう解釈したか。
「1回目は……おそらく、社交界でのいじめや、私の冷たい態度のことだろう。彼女の心は一度殺されたも同然だった……」 「2回目は、聖女としての激務のことだ。彼女は我々の見えないところで、死ぬほどの努力を重ねていたのだ!」
マリアがハンカチで目頭を押さえる。
「お姉様……。そんなに傷ついていらしたなんて……。なのに、わたくしたちはのんきに『お菓子だ』『鎧だ』と騒いで……!」
廊下に、重苦しい懺悔の空気が流れる。 そして、会話はクライマックスへ。
『いっそのこと、彼らを完全に支配下に置いて……』 『王太子には「国を富ませろ」と命じる』 『騎士団長には「排除しろ」と命じる』 『最強の独裁国家を作ってしまえば……』
ノアの提案に対する、リズの答え。
『悪くないわね』
これを聞いた瞬間。 フレデリックとアレクセイの表情が、カッと輝いた。
「聞いたか、アレクセイ!」
「ええ、聞きましたとも、殿下!」
二人はガシッと固い握手を交わした。
「リズは、覚悟を決めたのだ! この国を背負い、我々を導く『絶対君主』となる覚悟を!」
「『独裁』……なんと甘美な響きだ! 彼女がすべてを決定し、我々はただその手足となって動く。それこそが、最も効率的で、最も幸福な国家の形ではないか!」
完全に洗脳されている。 民主主義などクソ食らえだ。 彼らは今、リズによる『聖女独裁帝国』の樹立を夢見て、トランス状態に陥っていた。
「よし! すぐに準備だ!」 フレデリックが叫ぶ。 「リズがいつ『命令』を下してもいいように、国政の全権限を彼女に委譲する書類を作成する! 議会が反対したら解散させる!」
「私は騎士団を再編する! リズ様の敵となる不穏分子をリストアップし、いつでも『排除』できるように暗部を組織する!」
暴走が止まらない。 リズが中で「面倒くさい」と言って話を終わらせたことなど、彼らの耳には届いていない。 彼らが聞き取ったのは、「私が王になる(意訳)」という部分だけだ。
「行くぞ! 新しい時代の幕開けだ!」
ドタドタドタッ! 男たちは、新たな使命感に燃えて走り去っていった。 革命前夜のような熱気が、廊下に残された。
残されたマリアは、呆然とドアを見つめていた。
「お姉様……。貴女は、一体どこまで先を見通していらっしゃるのですか……?」
彼女もまた、深い畏敬の念を抱きつつ、静かに頭を下げた。 そして、「わたくしも、お姉様の覇道を支えるために、もっと勉強しなくては!」と、図書室へと走っていった。
◇ ◇ ◇
部屋の中。 そんな外の大騒動などつゆ知らず。
「……ん、なんだか外が静かになった気がする」
私は最後のクッキーを口に入れ、不思議そうに首を傾げた。
「おや、そうかい? 嵐の前の静けさかもしれないよ」
ノアがにっこりと笑う。 その笑顔に、ほんの少しだけ悪魔の尻尾が見えた気がしたが、気のせいだろう。
「まあいいわ。ノア、今日はありがとう。久しぶりにまともな会話ができて楽しかったわ」
「僕もだよ、リズ。君の『国滅亡論』、参考にさせてもらうよ」
ノアは立ち上がり、優雅にお辞儀をした。
「さて、そろそろお暇するよ。長居すると、外の番犬たちが嫉妬でドアを破りかねないからね」
「そうね。また来てちょうだい。今度はもっと美味しいお菓子を持って」
「了解。君の好みの激辛スナックも探しておくよ」
ノアは窓を開け、そこから軽やかに飛び降りていった。 (彼は魔法使いでもあるから、2階からの落下など造作もない)
一人になった部屋。 私は大きく伸びをした。
「ふぁぁ……。食べたし、喋ったし、眠くなってきた」
満腹感と適度な疲労感が、心地よい睡魔を誘う。 私はベッドに潜り込んだ。 ふかふかの布団が私を包み込む。
外の連中が、今まさに私の発言を元に『国家転覆レベルの改革』を進めていることなど、知るよしもない。 私はただ、今日が平和に終わった(と思っている)ことに感謝し、深い眠りへと落ちていった。
――だが。 翌日、私が目覚めたとき。 私の部屋の前に、とんでもないものが置かれているのを見て、絶叫することになる。
それは、金箔で彩られた豪華な台座に乗せられた、『王国の全権委任状』と『国璽(ハンコ)』のセットだった。 添えられた手紙には、フレデリックの達筆な文字でこう書かれていた。
『親愛なるリズへ。 君の覚悟、受け取った。 この国は今日から君のものだ。 好きなように煮るなり焼くなりにするなりしてくれ。 我々は君の手足となり、剣となり、盾となることを誓う。 追伸:反対派の貴族は、アレクセイが昨晩のうちに「説得(物理)」して回ったから安心してくれ』
……は?
私はパジャマのまま、廊下で硬直した。
煮るなり焼くなりって。 私は料理がしたいわけじゃない。 寝たいだけだ。 あと、「説得(物理)」って何だ。粛清か?
「……どうしてこうなったぁぁぁぁぁ!!!」
私の悲鳴が、朝の公爵邸に響き渡った。 引きこもり生活7日目。 私は、望まぬままに、この国の『影の女帝』として即位してしまったようである。
「……ん」
私は目を開けた。 視界に入ってきたのは、見慣れた天井と、穏やかな午後の日差し。 そして、私のベッドの横にあるサイドテーブルで、優雅に紅茶を淹れている一人の少年の姿だった。
サラサラとした亜麻色の髪。 人懐っこいようでいて、どこか底知れない光を宿したヘーゼルナッツ色の瞳。 年齢は私と同じ17歳だが、その童顔のせいで3つは若く見える。 隣国アークライドの第3王子にして、私の『2回目の人生』からの腐れ縁、ノア・ヴァン・アークライド。
「やあ、リズ。おはよう。それとも、こんにちはかな?」
彼はポットからカップへ、黄金色の液体を注ぎながら微笑んだ。 その動作の一つ一つが洗練されており、絵画のように美しい。
私は、自分が置かれている状況を確認するために、のっそりと上半身を起こした。 記憶にある最後の光景は、私の部屋のドアが倒れ、王太子と騎士団長とその他大勢の男たちが、雪崩のように押し寄せてきた地獄絵図だ。 私は彼らの熱気と圧に押しつぶされ、意識を手放したはずだ。
「……生きてる?」
「うん、ピンピンしてるよ。ただ、君が気絶した瞬間、あの場はパニック映画みたいだったけどね」
ノアはクスクスと笑いながら、紅茶のカップを私に差し出した。
「『リズが死んだ!』『聖女様が崩御された!』って、大の男たちが泣き叫んで。そこへ僕が通りがかった医者(という設定)として介入して、全員を廊下へ叩き出したってわけ」
「……ありがとう。助かったわ」
「礼には及ばないよ。君の寝顔を特等席で見られたしね。それに、壊れたドアと結界も直しておいたよ。僕の国(アークライド)の最新技術を使った『認識阻害結界・改』だ。これでしばらくは、物理的にも視覚的にも、外からは干渉できないはずさ」
私は周囲を見渡した。 確かに、ドアは元通りになっており、部屋の中は完全なる静寂に包まれている。 あの騒がしい男たちの気配も、マリアの声も聞こえない。
「優秀ね、ノア。貴方を執事に雇いたいくらいよ」
「はは、光栄だね。でも僕の時給は高いよ? 国家予算くらいかかるけど」
ノアは肩をすくめると、自分用のカップを持って椅子に座った。 彼とは1周目の人生で知り合い、2周目では互いの利益のために情報を交換し合う『共犯者』のような関係だった。 彼は表向きは隣国の親善大使として滞在しているが、その実体は『スパイ』だ。 自国の利益のためにこの国の内情を探り、時には混乱を招き、時には救う。 すべては彼の気まぐれと、計算の上にある。
そして、私が『3回目の人生』を生きていること、そして私の本性が『極度の怠け者』であることを知る、唯一の人物でもある。 (なぜ知っているかといえば、彼もまた特殊な能力を持っていて、私の魔力波長の変化から『巻き戻り』を見抜いたからだ。本当に厄介な男だ)
「で? どうだった? 僕が送った魔法石を使った『異空間逃亡』の感想は」
ノアが楽しそうに聞いてきた。 私は不機嫌にマカロン(フレデリックの差し入れの残り)を齧った。
「最悪よ。貴方の石、出力不足じゃないの? あいつらの執念に負けて弾け飛んだわよ」
「いやいや、君の使い方が荒っぽいんだよ。空間魔法っていうのはもっと繊細に……まあいいや。結果として、君の『聖女伝説』に『天界からの帰還』という箔がついたわけだし」
「嬉しくないわよ。おかげで信者が増えたじゃない」
私はため息をついた。 ふと、部屋の隅に積まれた『武器の山』がなくなっていることに気づく。 アレクセイが持ち込んだ、あの呪われた鎧や生首だ。
「あれも片付けてくれたの?」
「ああ、あれね。廊下の騎士たちにあげたよ。『リズ様からの授かりものだ!』って泣いて喜んでた。今頃、彼らは君を守るために、城の周りを黒い壁になって取り囲んでいるよ」
……また変な組織を強化してしまったか。 まあ、部屋の中に入ってこないならそれでいい。
私は紅茶を一口飲んだ。 ダージリンの芳醇な香りが広がる。 ノアが淹れる紅茶は、悔しいけれど絶品だ。
「……ねえ、ノア」
「ん?」
「私、この国を出ようかしら」
ぽつりと、本音が漏れた。 冗談ではない。本気だ。 ここ数日の騒動で、この屋敷に留まることの限界を感じ始めていた。
「へえ。亡命?」
「そう。貴方の国でも、もっと遠くの無人島でもいいわ。とにかく、フレデリックやアレクセイの手が届かない場所へ行きたいの。名前を変えて、平民として、一日中ハンモックで揺られて暮らすの」
ノアは瞳を細め、カップの縁を指でなぞった。
「君らしい夢だね。でも、無理だと思うよ」
「なぜ?」
「だって君、この国にとって『心臓』になっちゃってるから。君がいなくなったら、この国の農業は崩壊し(君の豆知識がないと維持できない)、騎士団は暴走し(君という主を失った狂犬になる)、王太子は廃人になる(君を探して世界中を放浪する)。結果、ルミナステラ王国は滅びる」
「滅びればいいじゃない」
私は即答した。
「知ったことではないわ。1回目は殺され、2回目は過労死させられたのよ? この国に義理なんてこれっぽっちもないわ。むしろ、滅んで更地になった方が、静かでよく眠れそう」
言い放つと、ノアが「ぷっ」と吹き出した。
「あはは! 最高だね、リズ。君のその、清々しいまでの利己主義(エゴイズム)。聖女の皮を被った悪魔だ」
「悪魔で結構よ。悪魔の方が労働環境がホワイトなら、喜んで契約書にサインするわ」
「いいねえ。そういう君だから、僕は飽きないんだ」
ノアは楽しそうにクッキーをつまんだ。
「でも、残念ながら君は逃げられない。なぜなら、君のその『無欲さ』こそが、彼らを惹きつけてやまない最強の引力だからさ。君が逃げれば逃げるほど、彼らは『自分たちが試されている!』と勘違いして、追いかけてくる。地獄の果てまでね」
ぞっとする未来予想図だ。 ストーカー国家か、ここは。
「じゃあ、どうすればいいのよ。一生この部屋で籠城戦を続けろって言うの?」
「うーん、そうだね。一つだけ方法があるとしたら……」
ノアは意味深に言葉を切り、ニヤリと笑った。
「彼らに『君を諦めさせる』のではなく、『君に満足させる』ことかな」
「満足?」
「そう。彼らは今、君に『理想の聖女』を重ねて見ている。だから、君が何をしても『聖女の深慮遠謀』だと解釈する。なら、いっそのこと、彼らを完全に支配下に置いて、君の都合のいいように動く『駒』にしてしまえばいい」
支配。 面倒くさい単語だ。
「王太子には『私が寝ている間に国を富ませろ、さもなくば口を利かない』と命じる。騎士団長には『私の安眠を妨げる者を排除しろ、お前自身も含めて』と命じる。そうやって、君を中心とした『最強の独裁国家』を作ってしまえば、君は玉座(ベッド)の上で寝ているだけで、世界が回るようになる」
……なるほど。 一理ある。 逃げるから追われる。 ならば、頂点に立ってしまえば、誰も私に意見できなくなる。
「悪くないわね。……でも、やっぱり面倒くさいわ。指示を出すのも、報告を聞くのも嫌」
「ははは、ぶれないねえ」
私とノアは顔を見合わせて笑った。 唯一、仮面を被らずに話せる相手との時間は、思いのほか心地よかった。 毒のある会話と、甘いお菓子。 これが私の求めていた『休息』の形かもしれない。
――さて。 ここで一つ、重大な事実を明かさなければならない。
ノアは先ほど、「認識阻害結界・改」を張ったと言った。 外からは中の様子は見えないし、物理的な干渉もできないと。
だが、彼は一つだけ、意図的な『穴』を開けていた。
音だ。 音声だけは、一方的に外へ漏れるように設定されていたのだ。 しかも、ノアが持参した『拡声魔道具(極小サイズ)』によって、私たちの会話は、ドアの外に張り付いている(であろう)者たちの耳に、クリアに、かつドラマチックに届いていたのである。
もちろん、私はそのことを知らない。 ノアだけが知っている。 この悪趣味なスパイは、私の本音が外でどう『翻訳』されるかを楽しみながら、会話を誘導していたのだ。
◇ ◇ ◇
廊下。 そこには、王太子フレデリック、騎士団長アレクセイ、そしてマリアと数名の側近たちが、ドアに耳を押し当てるようにして固まっていた。
「しっ! 静かに! リズの声が聞こえるぞ!」 「隣国の王子と話しているようだ……」
彼らは固唾を呑んで、漏れ聞こえてくる会話に聞き耳を立てていた。
『私、この国を出ようかしら』
リズの声が響く。 フレデリックが息を呑んだ。
「ぼ、亡命だと……!? 彼女はそこまで追い詰められていたのか!?」
『名前を変えて、平民として……』
「なんてことだ……。公爵令嬢としての地位も、次期王妃の座も、彼女にとっては重荷でしかなかったというのか!」
フレデリックは自分の胸を強く掴んだ。 彼女の苦悩に気づけなかった己の不明を恥じるように。
そして、会話は続く。
『君がいなくなったら、この国は滅びるよ』(ノアの声)
『滅びればいいじゃない』(リズの声)
衝撃が走る。 側近たちが「なっ……!」と顔を見合わせる。 国母となるべき女性が、自国の滅亡を望む発言。 これは反逆罪に問われてもおかしくない。
しかし。 ここにいるのは、リズ信者(ガチ勢)たちである。 彼らの脳内変換回路は、常人のそれを遥かに凌駕していた。
「……聞いたか」
アレクセイが、震える声で呟いた。 その瞳には、感動の涙が溜まっている。
「『滅びればいい』……。これは、単なる破壊願望ではない。既存の腐敗した体制への、痛烈な批判だ!」
「ど、どういうことですか、団長?」
「彼女は言っているのだ。『今のままのルミナステラ王国ではダメだ』と。『一度ゼロに戻し、新たな理念のもとに再生しなければ、民は救われない』と!」
フレデリックも激しく頷いた。
「そうだ……! 彼女は以前、私に農業改革を説いた。あれも、古い慣習(根性論)を捨て、新しい技術(石灰と豆)を取り入れろというメッセージだった! 彼女は、この国の膿を出し切りたいのだ!」
『1回目は殺され、2回目は過労死させられたのよ?』
リズの謎めいた発言。 これを彼らはどう解釈したか。
「1回目は……おそらく、社交界でのいじめや、私の冷たい態度のことだろう。彼女の心は一度殺されたも同然だった……」 「2回目は、聖女としての激務のことだ。彼女は我々の見えないところで、死ぬほどの努力を重ねていたのだ!」
マリアがハンカチで目頭を押さえる。
「お姉様……。そんなに傷ついていらしたなんて……。なのに、わたくしたちはのんきに『お菓子だ』『鎧だ』と騒いで……!」
廊下に、重苦しい懺悔の空気が流れる。 そして、会話はクライマックスへ。
『いっそのこと、彼らを完全に支配下に置いて……』 『王太子には「国を富ませろ」と命じる』 『騎士団長には「排除しろ」と命じる』 『最強の独裁国家を作ってしまえば……』
ノアの提案に対する、リズの答え。
『悪くないわね』
これを聞いた瞬間。 フレデリックとアレクセイの表情が、カッと輝いた。
「聞いたか、アレクセイ!」
「ええ、聞きましたとも、殿下!」
二人はガシッと固い握手を交わした。
「リズは、覚悟を決めたのだ! この国を背負い、我々を導く『絶対君主』となる覚悟を!」
「『独裁』……なんと甘美な響きだ! 彼女がすべてを決定し、我々はただその手足となって動く。それこそが、最も効率的で、最も幸福な国家の形ではないか!」
完全に洗脳されている。 民主主義などクソ食らえだ。 彼らは今、リズによる『聖女独裁帝国』の樹立を夢見て、トランス状態に陥っていた。
「よし! すぐに準備だ!」 フレデリックが叫ぶ。 「リズがいつ『命令』を下してもいいように、国政の全権限を彼女に委譲する書類を作成する! 議会が反対したら解散させる!」
「私は騎士団を再編する! リズ様の敵となる不穏分子をリストアップし、いつでも『排除』できるように暗部を組織する!」
暴走が止まらない。 リズが中で「面倒くさい」と言って話を終わらせたことなど、彼らの耳には届いていない。 彼らが聞き取ったのは、「私が王になる(意訳)」という部分だけだ。
「行くぞ! 新しい時代の幕開けだ!」
ドタドタドタッ! 男たちは、新たな使命感に燃えて走り去っていった。 革命前夜のような熱気が、廊下に残された。
残されたマリアは、呆然とドアを見つめていた。
「お姉様……。貴女は、一体どこまで先を見通していらっしゃるのですか……?」
彼女もまた、深い畏敬の念を抱きつつ、静かに頭を下げた。 そして、「わたくしも、お姉様の覇道を支えるために、もっと勉強しなくては!」と、図書室へと走っていった。
◇ ◇ ◇
部屋の中。 そんな外の大騒動などつゆ知らず。
「……ん、なんだか外が静かになった気がする」
私は最後のクッキーを口に入れ、不思議そうに首を傾げた。
「おや、そうかい? 嵐の前の静けさかもしれないよ」
ノアがにっこりと笑う。 その笑顔に、ほんの少しだけ悪魔の尻尾が見えた気がしたが、気のせいだろう。
「まあいいわ。ノア、今日はありがとう。久しぶりにまともな会話ができて楽しかったわ」
「僕もだよ、リズ。君の『国滅亡論』、参考にさせてもらうよ」
ノアは立ち上がり、優雅にお辞儀をした。
「さて、そろそろお暇するよ。長居すると、外の番犬たちが嫉妬でドアを破りかねないからね」
「そうね。また来てちょうだい。今度はもっと美味しいお菓子を持って」
「了解。君の好みの激辛スナックも探しておくよ」
ノアは窓を開け、そこから軽やかに飛び降りていった。 (彼は魔法使いでもあるから、2階からの落下など造作もない)
一人になった部屋。 私は大きく伸びをした。
「ふぁぁ……。食べたし、喋ったし、眠くなってきた」
満腹感と適度な疲労感が、心地よい睡魔を誘う。 私はベッドに潜り込んだ。 ふかふかの布団が私を包み込む。
外の連中が、今まさに私の発言を元に『国家転覆レベルの改革』を進めていることなど、知るよしもない。 私はただ、今日が平和に終わった(と思っている)ことに感謝し、深い眠りへと落ちていった。
――だが。 翌日、私が目覚めたとき。 私の部屋の前に、とんでもないものが置かれているのを見て、絶叫することになる。
それは、金箔で彩られた豪華な台座に乗せられた、『王国の全権委任状』と『国璽(ハンコ)』のセットだった。 添えられた手紙には、フレデリックの達筆な文字でこう書かれていた。
『親愛なるリズへ。 君の覚悟、受け取った。 この国は今日から君のものだ。 好きなように煮るなり焼くなりにするなりしてくれ。 我々は君の手足となり、剣となり、盾となることを誓う。 追伸:反対派の貴族は、アレクセイが昨晩のうちに「説得(物理)」して回ったから安心してくれ』
……は?
私はパジャマのまま、廊下で硬直した。
煮るなり焼くなりって。 私は料理がしたいわけじゃない。 寝たいだけだ。 あと、「説得(物理)」って何だ。粛清か?
「……どうしてこうなったぁぁぁぁぁ!!!」
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