10 / 21
第10話 仕方がないので、分身(ゴーレム)を行かせました
しおりを挟む
王宮の大広間は、これ以上ないほどの熱気に包まれていた。 何百本もの蝋燭が灯されたシャンデリアが眩い光を放ち、着飾った貴族たちが煌びやかな衣装を競い合っている。 オーケストラが奏でるワルツの調べ。 グラスが触れ合う軽やかな音。 そして、それら全ての雑音を一瞬にして消し去るほどの『奇跡』が、今まさに大階段の上に姿を現したところだった。
「……おお」
誰かが感嘆の声を漏らした。 それを合図に、会場全体がどよめきに変わる。
「あれが、噂の……」 「引きこもりの聖女様……」 「なんて、美しいんだ……」
大階段の頂上。 そこに立っていたのは、夜空を切り取ったかのようなダークブルーのドレスを纏った少女だった。 星屑のように散りばめられたダイヤモンドが、動くたびにキラキラと輝く。 顔には薄いベールのような『幻影マスク』がかかっており、その表情は神秘的なモヤに包まれていてよく見えない。 ただ、その立ち姿だけは、この世の者とは思えないほど静止しており、微動だにしない。
そう。 文字通り、微動だにしていない。 なぜなら、それは『人形』だからだ。
◇
『……ふぅ。とりあえず入場は成功ね』
私は自室のソファで、ポップコーンを口に運びながらモニター(水晶玉)を覗き込んでいた。 手元には、人形を操作するための魔法コントローラー(元は父が隠し持っていた『遠隔会議用魔道具』を改造したもの)がある。
画面の中では、私の分身である『リズ2号(中身はテディベア)』が、フレデリックとアレクセイに挟まれて、階段を降りようとしているところだ。
『右足、前へ。左足、前へ。……よし、いい調子』
私は慎重に指を動かす。 リズ2号は、カクリ、カクリと、少しぎこちない動きで階段を降りていく。 その動きは、まるで油の切れたブリキのおもちゃのようだが、周囲の貴族たちの目にはそうは映っていないらしい。 『幻影魔法』と、彼ら自身の『信仰心フィルター』が、全ての不自然さを脳内で補正してくれているのだ。
「見ろ……あの動きを」 「なんと洗練された所作だ。無駄な筋肉の動きが一切ない」 「まるで、重力を感じさせない浮遊感だわ……」
会場のマイク(風魔法による集音)が、そんな囁きを拾ってくる。 チョロい。 チョロすぎるぞ、ルミナステラ王国の貴族たち。 関節がカクカクしているのを「洗練」と捉えるセンスには脱帽だ。
階段を降りきると、王太子フレデリックが一歩前に出た。 彼はリズ2号の手を取り、誇らしげに宣言する。
「皆様! 紹介しよう! 我が婚約者にして、この国の救世主。そして今や『影の女帝』とも呼ばれる、エリザベート・フォン・ローゼンバーグ嬢だ!」
パチパチパチパチ……! 割れんばかりの拍手が巻き起こる。 リズ2号は無表情(マスクの下はぬいぐるみの顔だが)のまま、首をカクンと45度傾けてお辞儀をした。 少し傾けすぎた気がするが、まあ誤差だ。
「おお……なんて可愛らしい仕草だ」 「首を傾げる角度すら、黄金比に基づいているに違いない」
勝手な解釈が進む中、私は次のアクションを入力した。 『歩行モード』から『挨拶モード』へ切り替えだ。
リズ2号は、フレデリックにエスコートされながら、会場の中心へと進んでいく。 次々と貴族たちが挨拶に来る。
「リズ様、お初にお目にかかります。辺境伯の――」 「聖女様、この度は豆のご慈悲を――」
彼らが口々に賛辞を述べるが、私は面倒なので『定型アクションA(無言で頷く)』を連打することにした。
リズ2号:コクン。 リズ2号:コクン。 リズ2号:コクン。
首を縦に振るだけの簡単なお仕事だ。 しかし、これが逆に効果的だったらしい。
「なんという……お言葉を発することすら惜しまれるほどの威厳!」 「沈黙は金と言うが、リズ様の沈黙はダイヤモンドだ!」 「安易な言葉で返事をせず、ただ心で対話してくださっているのだ!」
貴族たちが感動してハンカチで目頭を押さえている。 楽勝だ。 これなら、私が直接行くよりも好感度が高いのではないだろうか。 次からは全部これで済ませよう。
私は調子に乗って、ポップコーンの味を塩からキャラメルに変えた。 だが、そんなイージーモードは長くは続かなかった。
会場の空気が一変する。 モーゼの十戒のように人波が割れ、一人の青年が歩いてきたからだ。
銀髪に冷徹な碧眼。 無駄のない所作。 隣国アークライドの第一王子、ルイスだ。 彼は真っ直ぐにリズ2号の前まで来ると、値踏みするような視線を向けた。
「……やあ、エリザベート嬢。来てくれたようだね」
ルイスの声は静かだが、周りの空気を凍らせるような圧力がある。 フレデリックが警戒して一歩前に出るが、ルイスはそれを手で制した。
「邪魔をしないでくれたまえ。私は彼女に挨拶をしているだけだ」
ルイスはリズ2号の目の前に立ち、じっとその顔(幻影マスク)を見つめた。
「……ふむ」
何か違和感に気づいたか? 私は緊張してコントローラーを握りしめた。 バレたら終わりだ。 「王家主催の舞踏会にぬいぐるみを送り込んだ不敬罪」で、私の首が物理的に飛ぶ。
「……瞬きを、しないね」
ルイスが呟いた。
ヒッ。 しまった。瞬き機能を実装するのを忘れていた。
「呼吸の乱れもない。心拍音も聞こえない。まるで、生命活動を極限まで抑制しているようだ」
人形だからね。生きてないからね。
しかし、ルイスの結論は違った。
「素晴らしい。これが君の言う『非効率の排除』か。社交の場における無駄な生体反応(緊張による発汗や動悸)すらも、君はコントロール下に置いているというわけだ」
……セーフ! ルイス王子の「効率厨」な思考回路に救われた。 彼は「人間が人形のように振る舞っている」と解釈してくれたようだ。
「気に入ったよ。君のような合理的かつ冷徹な女性こそ、私のパートナーに相応しい」
ルイスが優雅に手を差し出した。
「エリザベート嬢。私と一曲、踊っていただけるかな?」
会場がざわめく。 隣国の王子からのダンスの申し込み。 これは外交儀礼上、拒否権がないやつだ。
しかし、まずい。 非常にまずい。 リズ2号には『歩行』と『挨拶』のプログラムしか入れていない。 『ワルツ』なんて高度な動き、入力していないのだ。
私は慌てて、アレクセイかフレデリックが止めてくれるのを期待した。 だが、彼らはなぜかドヤ顔で頷いている。 「見ろ、俺のリズは他国の王子にも認められたぞ!」とでも言いたげだ。 馬鹿者。止めろよ。 中身が綿だとバレるだろ。
ルイスの手が、リズ2号の手を取ろうとする。 もう逃げられない。 私は覚悟を決めた。
『……やるしかないわね。マニュアルモード、起動!』
私は自動プログラムを切り、完全手動操作に切り替えた。 これから私は、モニターを見ながら、指先の微細な操作でリズ2号にワルツを踊らせなければならない。 音ゲーだ。 これは、失敗したら即死(社会的に)する、超高難易度の音ゲーだ。
音楽が始まる。 優雅なワルツの調べ。 ルイスがリードする。
『右、左、ターン……!』
私は必死に指を動かした。 リズ2号が、カシャン、カシャンと動く。 動きが硬い。 ロボットダンスみたいになっている。
「……おや?」
踊りながら、ルイスが眉をひそめた。
「君の体、随分と……軽いね。それに、関節の可動域が人間離れしている」
そりゃそうだ。中身は綿だし、関節なんてない(縫い目だ)。
「それに、この感触……。君の手は、驚くほど柔らかく、温かみがない」
手袋の下はモフモフのぬいぐるみ生地だからね。
バレる。 このままでは確実にバレる。 私は焦った。 焦りのあまり、コントローラーのスティックを強く倒しすぎてしまった。
バキッ。
嫌な音がした。 コントローラーからではない。 会場のリズ2号からだ。
ターンの瞬間。 遠心力に耐えきれず、リズ2号の首が、クルンと180度回転してしまったのだ。
背中を向けたまま、顔だけがルイスの方を向いている。 ホラーだ。 完全にエクソシストの世界だ。
会場が一瞬、静まり返った。 悲鳴が上がる寸前――
「……すごい」
ルイスが、恍惚とした表情で呟いた。
「背中を見せながらも、視線は決してパートナーから逸らさない……! これぞ、社交ダンスにおける『全方位監視』の極意か!」
は?
「常人なら首の骨が折れる角度だが、君は柔軟性を極限まで高めることで可能にしたのか。無駄な体の切り返しを省略し、首の回転だけで視界を確保する……。究極の効率化だ!」
違う。 物理的に壊れたんだ。
しかし、ルイスの賛辞につられて、周りの貴族たちも「おお……!」「あれが最新のステップか!」「私も明日から首のストレッチをしよう!」と拍手喝采を送っている。 狂っている。 この国はもうダメかもしれない。
私は冷や汗を拭いながら、急いで首を元に戻す操作をした。 ギギギ……と音を立てて首が戻る。
『もう限界よ……。早く終わって……!』
しかし、曲はまだ中盤だ。 さらに悪いことに、ルイスはテンションが上がってしまったらしく、ステップを加速させた。
「さあ、もっと君の性能を見せてくれ! 君のスペックを測らせてくれ!」
彼はリズ2号を激しく振り回す。 リフト(持ち上げ技)だ。 彼はリズ2号を軽々と持ち上げ、空中で回転させた。
ブチッ。
今度は、もっと致命的な音がした。 ドレスの背中が裂けたのではない。 リズ2号の『左腕』の縫い目が、遠心力で千切れたのだ。
ルイスの手の中に、リズ2号の左腕だけが残り、本体は勢いよく宙を舞った。
『ぎゃあああああああ!!』
私は部屋で絶叫した。 腕が! 腕が取れた! もはやホラーを超えてスプラッタだ! 中から白い綿がフワフワと舞い散っている!
会場の全員が、宙を舞う『隻腕の聖女』と、ルイスの手に残された『千切れた腕』を凝視した。 時間が止まる。 綿が雪のように美しく降る。
終わった。 私の社会的な死と、伝説の崩壊。 そして「中身はぬいぐるみでした」という最大の恥辱。
私は顔を覆った。 もう見たくない。
だが、その時。 会場の沈黙を破ったのは、またしてもあの男――アレクセイだった。
「見ろぉぉぉぉッ!!」
アレクセイが叫んだ。
「聖女様が! 聖女様が、自らの腕を切り離されたぞ!」
「なんだって!?」
フレデリックが応じる。
「あれは……『義手』か!? いや、『ロケットパンチ』の構えか!?」
違う。
「分かったぞ! これはパフォーマンスだ! 『肉体という枷からの解放』を表現しているのだ!」
アレクセイの謎理論が炸裂する。
「リズ様は、我々に問いかけているのだ。『体の一部を失ってでも、魂は踊り続けることができるか?』と! あの舞い散る白い羽毛(綿)は、彼女の純潔な魂の具現化だ!」
「おおぉぉぉ!!」と会場が揺れる。 綿を「魂の具現化」と言いくるめやがった。
そして、ルイス王子もまた、手の中の腕(綿が詰まった布)を見つめ、真剣な顔で頷いた。
「なるほど……。これは『パージ(強制排除)』機能か」
ルイスが納得顔で言う。
「高速回転による負荷が限界値を超えたため、損傷を本体に波及させないよう、あえて腕を切り離したのか。なんと高度な危機管理システム……! 君は自分自身さえも『部品(パーツ)』として扱えるのか!」
違います。 ただの縫製ミスです。
宙を舞ったリズ2号(本体)は、アレクセイがナイスキャッチした。 彼は片腕のない人形を抱きしめ、涙を流している。
「リズ様……! 痛いでしょう、辛いでしょう! ですが、貴女のその覚悟、しかと受け止めました!」
リズ2号は無表情のまま、残った右手をカクカクと動かした。 私はヤケクソで『サムズアップ』のポーズをとらせた。 「グッ」と親指を立てる隻腕の聖女。
ワァァァァァァァッ!! 会場が爆発的な歓声に包まれる。
「ブラボー! ブラボー、リズ!」 「なんて前衛的なダンスなんだ!」 「これぞ現代芸術! これぞ聖女の奇跡!」
拍手喝采。 スタンディングオベーション。 ルイス王子も、千切れた腕を大切そうに胸に抱き、深く一礼している。
「素晴らしい体験だった。君という存在の深淵を垣間見た気がするよ」
深淵というか、中身(綿)を見ただけだけどね。
こうして。 私の分身による舞踏会デビューは、奇跡的な確率で(主に周囲の狂った解釈のおかげで)成功に終わった。 バレなかった。 それどころか、「腕を切り離して踊る」という新しい伝説を作ってしまった。
◇
『……疲れた』
私はコントローラーを放り出し、ソファに沈み込んだ。 寿命が縮んだ。 確実に3年は縮んだ。 もう二度と、こんな綱渡りはしたくない。
画面の中では、アレクセイがリズ2号を抱きかかえ、フレデリックが「すぐに最高級の義手を手配しよう!」と叫びながら退場していく様子が映っている。 マリアが青ざめた顔で綿を回収しているのが涙を誘う。
後日。 この日の出来事は『聖女の隻腕ダンス』として新聞の一面を飾り、王都では「体の一部を取り外し可能な服」が大流行することになるのだが……それはまた別の話だ。
私は冷めきった紅茶を飲み干し、深いため息をついた。
「とりあえず、明日は一日中寝よう……」
そう固く心に誓った。 だが、運命は私を休ませてはくれない。 この「腕が取れる」という事件が、巡り巡って「リズ様の体はボロボロだ」→「彼女を守るためには国境の結界を強化せねば」→「そのためには古代遺跡の魔道具が必要だ」という話に飛躍し、新たな冒険(トラブル)の幕開けとなることを、私はまだ知らなかった。
さらに悪いことに。 ルイス王子が、持ち帰った「リズの左腕」を研究室に持ち込み、「この素材(ぬいぐるみ生地)の肌触り……鎮静効果がある。素晴らしい」と、夜な夜なその腕を抱いて寝ているという噂が流れてくるのは、数日後のことである。
私の体の一部(の偽物)が、隣国の王子の抱き枕になっている。 その事実を知ったとき、私は本気で国を捨てようと決意することになるのだが……。
今はただ、安らかな眠りを。 おやすみなさい、世界。 どうか明日、目が覚めたら、みんなの記憶から昨夜のことが消えていますように。 (そんな奇跡は起きないけれど)
「……おお」
誰かが感嘆の声を漏らした。 それを合図に、会場全体がどよめきに変わる。
「あれが、噂の……」 「引きこもりの聖女様……」 「なんて、美しいんだ……」
大階段の頂上。 そこに立っていたのは、夜空を切り取ったかのようなダークブルーのドレスを纏った少女だった。 星屑のように散りばめられたダイヤモンドが、動くたびにキラキラと輝く。 顔には薄いベールのような『幻影マスク』がかかっており、その表情は神秘的なモヤに包まれていてよく見えない。 ただ、その立ち姿だけは、この世の者とは思えないほど静止しており、微動だにしない。
そう。 文字通り、微動だにしていない。 なぜなら、それは『人形』だからだ。
◇
『……ふぅ。とりあえず入場は成功ね』
私は自室のソファで、ポップコーンを口に運びながらモニター(水晶玉)を覗き込んでいた。 手元には、人形を操作するための魔法コントローラー(元は父が隠し持っていた『遠隔会議用魔道具』を改造したもの)がある。
画面の中では、私の分身である『リズ2号(中身はテディベア)』が、フレデリックとアレクセイに挟まれて、階段を降りようとしているところだ。
『右足、前へ。左足、前へ。……よし、いい調子』
私は慎重に指を動かす。 リズ2号は、カクリ、カクリと、少しぎこちない動きで階段を降りていく。 その動きは、まるで油の切れたブリキのおもちゃのようだが、周囲の貴族たちの目にはそうは映っていないらしい。 『幻影魔法』と、彼ら自身の『信仰心フィルター』が、全ての不自然さを脳内で補正してくれているのだ。
「見ろ……あの動きを」 「なんと洗練された所作だ。無駄な筋肉の動きが一切ない」 「まるで、重力を感じさせない浮遊感だわ……」
会場のマイク(風魔法による集音)が、そんな囁きを拾ってくる。 チョロい。 チョロすぎるぞ、ルミナステラ王国の貴族たち。 関節がカクカクしているのを「洗練」と捉えるセンスには脱帽だ。
階段を降りきると、王太子フレデリックが一歩前に出た。 彼はリズ2号の手を取り、誇らしげに宣言する。
「皆様! 紹介しよう! 我が婚約者にして、この国の救世主。そして今や『影の女帝』とも呼ばれる、エリザベート・フォン・ローゼンバーグ嬢だ!」
パチパチパチパチ……! 割れんばかりの拍手が巻き起こる。 リズ2号は無表情(マスクの下はぬいぐるみの顔だが)のまま、首をカクンと45度傾けてお辞儀をした。 少し傾けすぎた気がするが、まあ誤差だ。
「おお……なんて可愛らしい仕草だ」 「首を傾げる角度すら、黄金比に基づいているに違いない」
勝手な解釈が進む中、私は次のアクションを入力した。 『歩行モード』から『挨拶モード』へ切り替えだ。
リズ2号は、フレデリックにエスコートされながら、会場の中心へと進んでいく。 次々と貴族たちが挨拶に来る。
「リズ様、お初にお目にかかります。辺境伯の――」 「聖女様、この度は豆のご慈悲を――」
彼らが口々に賛辞を述べるが、私は面倒なので『定型アクションA(無言で頷く)』を連打することにした。
リズ2号:コクン。 リズ2号:コクン。 リズ2号:コクン。
首を縦に振るだけの簡単なお仕事だ。 しかし、これが逆に効果的だったらしい。
「なんという……お言葉を発することすら惜しまれるほどの威厳!」 「沈黙は金と言うが、リズ様の沈黙はダイヤモンドだ!」 「安易な言葉で返事をせず、ただ心で対話してくださっているのだ!」
貴族たちが感動してハンカチで目頭を押さえている。 楽勝だ。 これなら、私が直接行くよりも好感度が高いのではないだろうか。 次からは全部これで済ませよう。
私は調子に乗って、ポップコーンの味を塩からキャラメルに変えた。 だが、そんなイージーモードは長くは続かなかった。
会場の空気が一変する。 モーゼの十戒のように人波が割れ、一人の青年が歩いてきたからだ。
銀髪に冷徹な碧眼。 無駄のない所作。 隣国アークライドの第一王子、ルイスだ。 彼は真っ直ぐにリズ2号の前まで来ると、値踏みするような視線を向けた。
「……やあ、エリザベート嬢。来てくれたようだね」
ルイスの声は静かだが、周りの空気を凍らせるような圧力がある。 フレデリックが警戒して一歩前に出るが、ルイスはそれを手で制した。
「邪魔をしないでくれたまえ。私は彼女に挨拶をしているだけだ」
ルイスはリズ2号の目の前に立ち、じっとその顔(幻影マスク)を見つめた。
「……ふむ」
何か違和感に気づいたか? 私は緊張してコントローラーを握りしめた。 バレたら終わりだ。 「王家主催の舞踏会にぬいぐるみを送り込んだ不敬罪」で、私の首が物理的に飛ぶ。
「……瞬きを、しないね」
ルイスが呟いた。
ヒッ。 しまった。瞬き機能を実装するのを忘れていた。
「呼吸の乱れもない。心拍音も聞こえない。まるで、生命活動を極限まで抑制しているようだ」
人形だからね。生きてないからね。
しかし、ルイスの結論は違った。
「素晴らしい。これが君の言う『非効率の排除』か。社交の場における無駄な生体反応(緊張による発汗や動悸)すらも、君はコントロール下に置いているというわけだ」
……セーフ! ルイス王子の「効率厨」な思考回路に救われた。 彼は「人間が人形のように振る舞っている」と解釈してくれたようだ。
「気に入ったよ。君のような合理的かつ冷徹な女性こそ、私のパートナーに相応しい」
ルイスが優雅に手を差し出した。
「エリザベート嬢。私と一曲、踊っていただけるかな?」
会場がざわめく。 隣国の王子からのダンスの申し込み。 これは外交儀礼上、拒否権がないやつだ。
しかし、まずい。 非常にまずい。 リズ2号には『歩行』と『挨拶』のプログラムしか入れていない。 『ワルツ』なんて高度な動き、入力していないのだ。
私は慌てて、アレクセイかフレデリックが止めてくれるのを期待した。 だが、彼らはなぜかドヤ顔で頷いている。 「見ろ、俺のリズは他国の王子にも認められたぞ!」とでも言いたげだ。 馬鹿者。止めろよ。 中身が綿だとバレるだろ。
ルイスの手が、リズ2号の手を取ろうとする。 もう逃げられない。 私は覚悟を決めた。
『……やるしかないわね。マニュアルモード、起動!』
私は自動プログラムを切り、完全手動操作に切り替えた。 これから私は、モニターを見ながら、指先の微細な操作でリズ2号にワルツを踊らせなければならない。 音ゲーだ。 これは、失敗したら即死(社会的に)する、超高難易度の音ゲーだ。
音楽が始まる。 優雅なワルツの調べ。 ルイスがリードする。
『右、左、ターン……!』
私は必死に指を動かした。 リズ2号が、カシャン、カシャンと動く。 動きが硬い。 ロボットダンスみたいになっている。
「……おや?」
踊りながら、ルイスが眉をひそめた。
「君の体、随分と……軽いね。それに、関節の可動域が人間離れしている」
そりゃそうだ。中身は綿だし、関節なんてない(縫い目だ)。
「それに、この感触……。君の手は、驚くほど柔らかく、温かみがない」
手袋の下はモフモフのぬいぐるみ生地だからね。
バレる。 このままでは確実にバレる。 私は焦った。 焦りのあまり、コントローラーのスティックを強く倒しすぎてしまった。
バキッ。
嫌な音がした。 コントローラーからではない。 会場のリズ2号からだ。
ターンの瞬間。 遠心力に耐えきれず、リズ2号の首が、クルンと180度回転してしまったのだ。
背中を向けたまま、顔だけがルイスの方を向いている。 ホラーだ。 完全にエクソシストの世界だ。
会場が一瞬、静まり返った。 悲鳴が上がる寸前――
「……すごい」
ルイスが、恍惚とした表情で呟いた。
「背中を見せながらも、視線は決してパートナーから逸らさない……! これぞ、社交ダンスにおける『全方位監視』の極意か!」
は?
「常人なら首の骨が折れる角度だが、君は柔軟性を極限まで高めることで可能にしたのか。無駄な体の切り返しを省略し、首の回転だけで視界を確保する……。究極の効率化だ!」
違う。 物理的に壊れたんだ。
しかし、ルイスの賛辞につられて、周りの貴族たちも「おお……!」「あれが最新のステップか!」「私も明日から首のストレッチをしよう!」と拍手喝采を送っている。 狂っている。 この国はもうダメかもしれない。
私は冷や汗を拭いながら、急いで首を元に戻す操作をした。 ギギギ……と音を立てて首が戻る。
『もう限界よ……。早く終わって……!』
しかし、曲はまだ中盤だ。 さらに悪いことに、ルイスはテンションが上がってしまったらしく、ステップを加速させた。
「さあ、もっと君の性能を見せてくれ! 君のスペックを測らせてくれ!」
彼はリズ2号を激しく振り回す。 リフト(持ち上げ技)だ。 彼はリズ2号を軽々と持ち上げ、空中で回転させた。
ブチッ。
今度は、もっと致命的な音がした。 ドレスの背中が裂けたのではない。 リズ2号の『左腕』の縫い目が、遠心力で千切れたのだ。
ルイスの手の中に、リズ2号の左腕だけが残り、本体は勢いよく宙を舞った。
『ぎゃあああああああ!!』
私は部屋で絶叫した。 腕が! 腕が取れた! もはやホラーを超えてスプラッタだ! 中から白い綿がフワフワと舞い散っている!
会場の全員が、宙を舞う『隻腕の聖女』と、ルイスの手に残された『千切れた腕』を凝視した。 時間が止まる。 綿が雪のように美しく降る。
終わった。 私の社会的な死と、伝説の崩壊。 そして「中身はぬいぐるみでした」という最大の恥辱。
私は顔を覆った。 もう見たくない。
だが、その時。 会場の沈黙を破ったのは、またしてもあの男――アレクセイだった。
「見ろぉぉぉぉッ!!」
アレクセイが叫んだ。
「聖女様が! 聖女様が、自らの腕を切り離されたぞ!」
「なんだって!?」
フレデリックが応じる。
「あれは……『義手』か!? いや、『ロケットパンチ』の構えか!?」
違う。
「分かったぞ! これはパフォーマンスだ! 『肉体という枷からの解放』を表現しているのだ!」
アレクセイの謎理論が炸裂する。
「リズ様は、我々に問いかけているのだ。『体の一部を失ってでも、魂は踊り続けることができるか?』と! あの舞い散る白い羽毛(綿)は、彼女の純潔な魂の具現化だ!」
「おおぉぉぉ!!」と会場が揺れる。 綿を「魂の具現化」と言いくるめやがった。
そして、ルイス王子もまた、手の中の腕(綿が詰まった布)を見つめ、真剣な顔で頷いた。
「なるほど……。これは『パージ(強制排除)』機能か」
ルイスが納得顔で言う。
「高速回転による負荷が限界値を超えたため、損傷を本体に波及させないよう、あえて腕を切り離したのか。なんと高度な危機管理システム……! 君は自分自身さえも『部品(パーツ)』として扱えるのか!」
違います。 ただの縫製ミスです。
宙を舞ったリズ2号(本体)は、アレクセイがナイスキャッチした。 彼は片腕のない人形を抱きしめ、涙を流している。
「リズ様……! 痛いでしょう、辛いでしょう! ですが、貴女のその覚悟、しかと受け止めました!」
リズ2号は無表情のまま、残った右手をカクカクと動かした。 私はヤケクソで『サムズアップ』のポーズをとらせた。 「グッ」と親指を立てる隻腕の聖女。
ワァァァァァァァッ!! 会場が爆発的な歓声に包まれる。
「ブラボー! ブラボー、リズ!」 「なんて前衛的なダンスなんだ!」 「これぞ現代芸術! これぞ聖女の奇跡!」
拍手喝采。 スタンディングオベーション。 ルイス王子も、千切れた腕を大切そうに胸に抱き、深く一礼している。
「素晴らしい体験だった。君という存在の深淵を垣間見た気がするよ」
深淵というか、中身(綿)を見ただけだけどね。
こうして。 私の分身による舞踏会デビューは、奇跡的な確率で(主に周囲の狂った解釈のおかげで)成功に終わった。 バレなかった。 それどころか、「腕を切り離して踊る」という新しい伝説を作ってしまった。
◇
『……疲れた』
私はコントローラーを放り出し、ソファに沈み込んだ。 寿命が縮んだ。 確実に3年は縮んだ。 もう二度と、こんな綱渡りはしたくない。
画面の中では、アレクセイがリズ2号を抱きかかえ、フレデリックが「すぐに最高級の義手を手配しよう!」と叫びながら退場していく様子が映っている。 マリアが青ざめた顔で綿を回収しているのが涙を誘う。
後日。 この日の出来事は『聖女の隻腕ダンス』として新聞の一面を飾り、王都では「体の一部を取り外し可能な服」が大流行することになるのだが……それはまた別の話だ。
私は冷めきった紅茶を飲み干し、深いため息をついた。
「とりあえず、明日は一日中寝よう……」
そう固く心に誓った。 だが、運命は私を休ませてはくれない。 この「腕が取れる」という事件が、巡り巡って「リズ様の体はボロボロだ」→「彼女を守るためには国境の結界を強化せねば」→「そのためには古代遺跡の魔道具が必要だ」という話に飛躍し、新たな冒険(トラブル)の幕開けとなることを、私はまだ知らなかった。
さらに悪いことに。 ルイス王子が、持ち帰った「リズの左腕」を研究室に持ち込み、「この素材(ぬいぐるみ生地)の肌触り……鎮静効果がある。素晴らしい」と、夜な夜なその腕を抱いて寝ているという噂が流れてくるのは、数日後のことである。
私の体の一部(の偽物)が、隣国の王子の抱き枕になっている。 その事実を知ったとき、私は本気で国を捨てようと決意することになるのだが……。
今はただ、安らかな眠りを。 おやすみなさい、世界。 どうか明日、目が覚めたら、みんなの記憶から昨夜のことが消えていますように。 (そんな奇跡は起きないけれど)
10
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
〈完結〉八年間、音沙汰のなかった貴方はどちら様ですか?
詩海猫(8/29書籍発売)
恋愛
私の家は子爵家だった。
高位貴族ではなかったけれど、ちゃんと裕福な貴族としての暮らしは約束されていた。
泣き虫だった私に「リーアを守りたいんだ」と婚約してくれた侯爵家の彼は、私に黙って戦争に言ってしまい、いなくなった。
私も泣き虫の子爵令嬢をやめた。
八年後帰国した彼は、もういない私を探してるらしい。
*文字数的に「短編か?」という量になりましたが10万文字以下なので短編です。この後各自のアフターストーリーとか書けたら書きます。そしたら10万文字超えちゃうかもしれないけど短編です。こんなにかかると思わず、「転生王子〜」が大幅に滞ってしまいましたが、次はあちらに集中予定(あくまで予定)です、あちらもよろしくお願いします*
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる