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第10話 仕方がないので、分身(ゴーレム)を行かせました
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王宮の大広間は、これ以上ないほどの熱気に包まれていた。 何百本もの蝋燭が灯されたシャンデリアが眩い光を放ち、着飾った貴族たちが煌びやかな衣装を競い合っている。 オーケストラが奏でるワルツの調べ。 グラスが触れ合う軽やかな音。 そして、それら全ての雑音を一瞬にして消し去るほどの『奇跡』が、今まさに大階段の上に姿を現したところだった。
「……おお」
誰かが感嘆の声を漏らした。 それを合図に、会場全体がどよめきに変わる。
「あれが、噂の……」 「引きこもりの聖女様……」 「なんて、美しいんだ……」
大階段の頂上。 そこに立っていたのは、夜空を切り取ったかのようなダークブルーのドレスを纏った少女だった。 星屑のように散りばめられたダイヤモンドが、動くたびにキラキラと輝く。 顔には薄いベールのような『幻影マスク』がかかっており、その表情は神秘的なモヤに包まれていてよく見えない。 ただ、その立ち姿だけは、この世の者とは思えないほど静止しており、微動だにしない。
そう。 文字通り、微動だにしていない。 なぜなら、それは『人形』だからだ。
◇
『……ふぅ。とりあえず入場は成功ね』
私は自室のソファで、ポップコーンを口に運びながらモニター(水晶玉)を覗き込んでいた。 手元には、人形を操作するための魔法コントローラー(元は父が隠し持っていた『遠隔会議用魔道具』を改造したもの)がある。
画面の中では、私の分身である『リズ2号(中身はテディベア)』が、フレデリックとアレクセイに挟まれて、階段を降りようとしているところだ。
『右足、前へ。左足、前へ。……よし、いい調子』
私は慎重に指を動かす。 リズ2号は、カクリ、カクリと、少しぎこちない動きで階段を降りていく。 その動きは、まるで油の切れたブリキのおもちゃのようだが、周囲の貴族たちの目にはそうは映っていないらしい。 『幻影魔法』と、彼ら自身の『信仰心フィルター』が、全ての不自然さを脳内で補正してくれているのだ。
「見ろ……あの動きを」 「なんと洗練された所作だ。無駄な筋肉の動きが一切ない」 「まるで、重力を感じさせない浮遊感だわ……」
会場のマイク(風魔法による集音)が、そんな囁きを拾ってくる。 チョロい。 チョロすぎるぞ、ルミナステラ王国の貴族たち。 関節がカクカクしているのを「洗練」と捉えるセンスには脱帽だ。
階段を降りきると、王太子フレデリックが一歩前に出た。 彼はリズ2号の手を取り、誇らしげに宣言する。
「皆様! 紹介しよう! 我が婚約者にして、この国の救世主。そして今や『影の女帝』とも呼ばれる、エリザベート・フォン・ローゼンバーグ嬢だ!」
パチパチパチパチ……! 割れんばかりの拍手が巻き起こる。 リズ2号は無表情(マスクの下はぬいぐるみの顔だが)のまま、首をカクンと45度傾けてお辞儀をした。 少し傾けすぎた気がするが、まあ誤差だ。
「おお……なんて可愛らしい仕草だ」 「首を傾げる角度すら、黄金比に基づいているに違いない」
勝手な解釈が進む中、私は次のアクションを入力した。 『歩行モード』から『挨拶モード』へ切り替えだ。
リズ2号は、フレデリックにエスコートされながら、会場の中心へと進んでいく。 次々と貴族たちが挨拶に来る。
「リズ様、お初にお目にかかります。辺境伯の――」 「聖女様、この度は豆のご慈悲を――」
彼らが口々に賛辞を述べるが、私は面倒なので『定型アクションA(無言で頷く)』を連打することにした。
リズ2号:コクン。 リズ2号:コクン。 リズ2号:コクン。
首を縦に振るだけの簡単なお仕事だ。 しかし、これが逆に効果的だったらしい。
「なんという……お言葉を発することすら惜しまれるほどの威厳!」 「沈黙は金と言うが、リズ様の沈黙はダイヤモンドだ!」 「安易な言葉で返事をせず、ただ心で対話してくださっているのだ!」
貴族たちが感動してハンカチで目頭を押さえている。 楽勝だ。 これなら、私が直接行くよりも好感度が高いのではないだろうか。 次からは全部これで済ませよう。
私は調子に乗って、ポップコーンの味を塩からキャラメルに変えた。 だが、そんなイージーモードは長くは続かなかった。
会場の空気が一変する。 モーゼの十戒のように人波が割れ、一人の青年が歩いてきたからだ。
銀髪に冷徹な碧眼。 無駄のない所作。 隣国アークライドの第一王子、ルイスだ。 彼は真っ直ぐにリズ2号の前まで来ると、値踏みするような視線を向けた。
「……やあ、エリザベート嬢。来てくれたようだね」
ルイスの声は静かだが、周りの空気を凍らせるような圧力がある。 フレデリックが警戒して一歩前に出るが、ルイスはそれを手で制した。
「邪魔をしないでくれたまえ。私は彼女に挨拶をしているだけだ」
ルイスはリズ2号の目の前に立ち、じっとその顔(幻影マスク)を見つめた。
「……ふむ」
何か違和感に気づいたか? 私は緊張してコントローラーを握りしめた。 バレたら終わりだ。 「王家主催の舞踏会にぬいぐるみを送り込んだ不敬罪」で、私の首が物理的に飛ぶ。
「……瞬きを、しないね」
ルイスが呟いた。
ヒッ。 しまった。瞬き機能を実装するのを忘れていた。
「呼吸の乱れもない。心拍音も聞こえない。まるで、生命活動を極限まで抑制しているようだ」
人形だからね。生きてないからね。
しかし、ルイスの結論は違った。
「素晴らしい。これが君の言う『非効率の排除』か。社交の場における無駄な生体反応(緊張による発汗や動悸)すらも、君はコントロール下に置いているというわけだ」
……セーフ! ルイス王子の「効率厨」な思考回路に救われた。 彼は「人間が人形のように振る舞っている」と解釈してくれたようだ。
「気に入ったよ。君のような合理的かつ冷徹な女性こそ、私のパートナーに相応しい」
ルイスが優雅に手を差し出した。
「エリザベート嬢。私と一曲、踊っていただけるかな?」
会場がざわめく。 隣国の王子からのダンスの申し込み。 これは外交儀礼上、拒否権がないやつだ。
しかし、まずい。 非常にまずい。 リズ2号には『歩行』と『挨拶』のプログラムしか入れていない。 『ワルツ』なんて高度な動き、入力していないのだ。
私は慌てて、アレクセイかフレデリックが止めてくれるのを期待した。 だが、彼らはなぜかドヤ顔で頷いている。 「見ろ、俺のリズは他国の王子にも認められたぞ!」とでも言いたげだ。 馬鹿者。止めろよ。 中身が綿だとバレるだろ。
ルイスの手が、リズ2号の手を取ろうとする。 もう逃げられない。 私は覚悟を決めた。
『……やるしかないわね。マニュアルモード、起動!』
私は自動プログラムを切り、完全手動操作に切り替えた。 これから私は、モニターを見ながら、指先の微細な操作でリズ2号にワルツを踊らせなければならない。 音ゲーだ。 これは、失敗したら即死(社会的に)する、超高難易度の音ゲーだ。
音楽が始まる。 優雅なワルツの調べ。 ルイスがリードする。
『右、左、ターン……!』
私は必死に指を動かした。 リズ2号が、カシャン、カシャンと動く。 動きが硬い。 ロボットダンスみたいになっている。
「……おや?」
踊りながら、ルイスが眉をひそめた。
「君の体、随分と……軽いね。それに、関節の可動域が人間離れしている」
そりゃそうだ。中身は綿だし、関節なんてない(縫い目だ)。
「それに、この感触……。君の手は、驚くほど柔らかく、温かみがない」
手袋の下はモフモフのぬいぐるみ生地だからね。
バレる。 このままでは確実にバレる。 私は焦った。 焦りのあまり、コントローラーのスティックを強く倒しすぎてしまった。
バキッ。
嫌な音がした。 コントローラーからではない。 会場のリズ2号からだ。
ターンの瞬間。 遠心力に耐えきれず、リズ2号の首が、クルンと180度回転してしまったのだ。
背中を向けたまま、顔だけがルイスの方を向いている。 ホラーだ。 完全にエクソシストの世界だ。
会場が一瞬、静まり返った。 悲鳴が上がる寸前――
「……すごい」
ルイスが、恍惚とした表情で呟いた。
「背中を見せながらも、視線は決してパートナーから逸らさない……! これぞ、社交ダンスにおける『全方位監視』の極意か!」
は?
「常人なら首の骨が折れる角度だが、君は柔軟性を極限まで高めることで可能にしたのか。無駄な体の切り返しを省略し、首の回転だけで視界を確保する……。究極の効率化だ!」
違う。 物理的に壊れたんだ。
しかし、ルイスの賛辞につられて、周りの貴族たちも「おお……!」「あれが最新のステップか!」「私も明日から首のストレッチをしよう!」と拍手喝采を送っている。 狂っている。 この国はもうダメかもしれない。
私は冷や汗を拭いながら、急いで首を元に戻す操作をした。 ギギギ……と音を立てて首が戻る。
『もう限界よ……。早く終わって……!』
しかし、曲はまだ中盤だ。 さらに悪いことに、ルイスはテンションが上がってしまったらしく、ステップを加速させた。
「さあ、もっと君の性能を見せてくれ! 君のスペックを測らせてくれ!」
彼はリズ2号を激しく振り回す。 リフト(持ち上げ技)だ。 彼はリズ2号を軽々と持ち上げ、空中で回転させた。
ブチッ。
今度は、もっと致命的な音がした。 ドレスの背中が裂けたのではない。 リズ2号の『左腕』の縫い目が、遠心力で千切れたのだ。
ルイスの手の中に、リズ2号の左腕だけが残り、本体は勢いよく宙を舞った。
『ぎゃあああああああ!!』
私は部屋で絶叫した。 腕が! 腕が取れた! もはやホラーを超えてスプラッタだ! 中から白い綿がフワフワと舞い散っている!
会場の全員が、宙を舞う『隻腕の聖女』と、ルイスの手に残された『千切れた腕』を凝視した。 時間が止まる。 綿が雪のように美しく降る。
終わった。 私の社会的な死と、伝説の崩壊。 そして「中身はぬいぐるみでした」という最大の恥辱。
私は顔を覆った。 もう見たくない。
だが、その時。 会場の沈黙を破ったのは、またしてもあの男――アレクセイだった。
「見ろぉぉぉぉッ!!」
アレクセイが叫んだ。
「聖女様が! 聖女様が、自らの腕を切り離されたぞ!」
「なんだって!?」
フレデリックが応じる。
「あれは……『義手』か!? いや、『ロケットパンチ』の構えか!?」
違う。
「分かったぞ! これはパフォーマンスだ! 『肉体という枷からの解放』を表現しているのだ!」
アレクセイの謎理論が炸裂する。
「リズ様は、我々に問いかけているのだ。『体の一部を失ってでも、魂は踊り続けることができるか?』と! あの舞い散る白い羽毛(綿)は、彼女の純潔な魂の具現化だ!」
「おおぉぉぉ!!」と会場が揺れる。 綿を「魂の具現化」と言いくるめやがった。
そして、ルイス王子もまた、手の中の腕(綿が詰まった布)を見つめ、真剣な顔で頷いた。
「なるほど……。これは『パージ(強制排除)』機能か」
ルイスが納得顔で言う。
「高速回転による負荷が限界値を超えたため、損傷を本体に波及させないよう、あえて腕を切り離したのか。なんと高度な危機管理システム……! 君は自分自身さえも『部品(パーツ)』として扱えるのか!」
違います。 ただの縫製ミスです。
宙を舞ったリズ2号(本体)は、アレクセイがナイスキャッチした。 彼は片腕のない人形を抱きしめ、涙を流している。
「リズ様……! 痛いでしょう、辛いでしょう! ですが、貴女のその覚悟、しかと受け止めました!」
リズ2号は無表情のまま、残った右手をカクカクと動かした。 私はヤケクソで『サムズアップ』のポーズをとらせた。 「グッ」と親指を立てる隻腕の聖女。
ワァァァァァァァッ!! 会場が爆発的な歓声に包まれる。
「ブラボー! ブラボー、リズ!」 「なんて前衛的なダンスなんだ!」 「これぞ現代芸術! これぞ聖女の奇跡!」
拍手喝采。 スタンディングオベーション。 ルイス王子も、千切れた腕を大切そうに胸に抱き、深く一礼している。
「素晴らしい体験だった。君という存在の深淵を垣間見た気がするよ」
深淵というか、中身(綿)を見ただけだけどね。
こうして。 私の分身による舞踏会デビューは、奇跡的な確率で(主に周囲の狂った解釈のおかげで)成功に終わった。 バレなかった。 それどころか、「腕を切り離して踊る」という新しい伝説を作ってしまった。
◇
『……疲れた』
私はコントローラーを放り出し、ソファに沈み込んだ。 寿命が縮んだ。 確実に3年は縮んだ。 もう二度と、こんな綱渡りはしたくない。
画面の中では、アレクセイがリズ2号を抱きかかえ、フレデリックが「すぐに最高級の義手を手配しよう!」と叫びながら退場していく様子が映っている。 マリアが青ざめた顔で綿を回収しているのが涙を誘う。
後日。 この日の出来事は『聖女の隻腕ダンス』として新聞の一面を飾り、王都では「体の一部を取り外し可能な服」が大流行することになるのだが……それはまた別の話だ。
私は冷めきった紅茶を飲み干し、深いため息をついた。
「とりあえず、明日は一日中寝よう……」
そう固く心に誓った。 だが、運命は私を休ませてはくれない。 この「腕が取れる」という事件が、巡り巡って「リズ様の体はボロボロだ」→「彼女を守るためには国境の結界を強化せねば」→「そのためには古代遺跡の魔道具が必要だ」という話に飛躍し、新たな冒険(トラブル)の幕開けとなることを、私はまだ知らなかった。
さらに悪いことに。 ルイス王子が、持ち帰った「リズの左腕」を研究室に持ち込み、「この素材(ぬいぐるみ生地)の肌触り……鎮静効果がある。素晴らしい」と、夜な夜なその腕を抱いて寝ているという噂が流れてくるのは、数日後のことである。
私の体の一部(の偽物)が、隣国の王子の抱き枕になっている。 その事実を知ったとき、私は本気で国を捨てようと決意することになるのだが……。
今はただ、安らかな眠りを。 おやすみなさい、世界。 どうか明日、目が覚めたら、みんなの記憶から昨夜のことが消えていますように。 (そんな奇跡は起きないけれど)
「……おお」
誰かが感嘆の声を漏らした。 それを合図に、会場全体がどよめきに変わる。
「あれが、噂の……」 「引きこもりの聖女様……」 「なんて、美しいんだ……」
大階段の頂上。 そこに立っていたのは、夜空を切り取ったかのようなダークブルーのドレスを纏った少女だった。 星屑のように散りばめられたダイヤモンドが、動くたびにキラキラと輝く。 顔には薄いベールのような『幻影マスク』がかかっており、その表情は神秘的なモヤに包まれていてよく見えない。 ただ、その立ち姿だけは、この世の者とは思えないほど静止しており、微動だにしない。
そう。 文字通り、微動だにしていない。 なぜなら、それは『人形』だからだ。
◇
『……ふぅ。とりあえず入場は成功ね』
私は自室のソファで、ポップコーンを口に運びながらモニター(水晶玉)を覗き込んでいた。 手元には、人形を操作するための魔法コントローラー(元は父が隠し持っていた『遠隔会議用魔道具』を改造したもの)がある。
画面の中では、私の分身である『リズ2号(中身はテディベア)』が、フレデリックとアレクセイに挟まれて、階段を降りようとしているところだ。
『右足、前へ。左足、前へ。……よし、いい調子』
私は慎重に指を動かす。 リズ2号は、カクリ、カクリと、少しぎこちない動きで階段を降りていく。 その動きは、まるで油の切れたブリキのおもちゃのようだが、周囲の貴族たちの目にはそうは映っていないらしい。 『幻影魔法』と、彼ら自身の『信仰心フィルター』が、全ての不自然さを脳内で補正してくれているのだ。
「見ろ……あの動きを」 「なんと洗練された所作だ。無駄な筋肉の動きが一切ない」 「まるで、重力を感じさせない浮遊感だわ……」
会場のマイク(風魔法による集音)が、そんな囁きを拾ってくる。 チョロい。 チョロすぎるぞ、ルミナステラ王国の貴族たち。 関節がカクカクしているのを「洗練」と捉えるセンスには脱帽だ。
階段を降りきると、王太子フレデリックが一歩前に出た。 彼はリズ2号の手を取り、誇らしげに宣言する。
「皆様! 紹介しよう! 我が婚約者にして、この国の救世主。そして今や『影の女帝』とも呼ばれる、エリザベート・フォン・ローゼンバーグ嬢だ!」
パチパチパチパチ……! 割れんばかりの拍手が巻き起こる。 リズ2号は無表情(マスクの下はぬいぐるみの顔だが)のまま、首をカクンと45度傾けてお辞儀をした。 少し傾けすぎた気がするが、まあ誤差だ。
「おお……なんて可愛らしい仕草だ」 「首を傾げる角度すら、黄金比に基づいているに違いない」
勝手な解釈が進む中、私は次のアクションを入力した。 『歩行モード』から『挨拶モード』へ切り替えだ。
リズ2号は、フレデリックにエスコートされながら、会場の中心へと進んでいく。 次々と貴族たちが挨拶に来る。
「リズ様、お初にお目にかかります。辺境伯の――」 「聖女様、この度は豆のご慈悲を――」
彼らが口々に賛辞を述べるが、私は面倒なので『定型アクションA(無言で頷く)』を連打することにした。
リズ2号:コクン。 リズ2号:コクン。 リズ2号:コクン。
首を縦に振るだけの簡単なお仕事だ。 しかし、これが逆に効果的だったらしい。
「なんという……お言葉を発することすら惜しまれるほどの威厳!」 「沈黙は金と言うが、リズ様の沈黙はダイヤモンドだ!」 「安易な言葉で返事をせず、ただ心で対話してくださっているのだ!」
貴族たちが感動してハンカチで目頭を押さえている。 楽勝だ。 これなら、私が直接行くよりも好感度が高いのではないだろうか。 次からは全部これで済ませよう。
私は調子に乗って、ポップコーンの味を塩からキャラメルに変えた。 だが、そんなイージーモードは長くは続かなかった。
会場の空気が一変する。 モーゼの十戒のように人波が割れ、一人の青年が歩いてきたからだ。
銀髪に冷徹な碧眼。 無駄のない所作。 隣国アークライドの第一王子、ルイスだ。 彼は真っ直ぐにリズ2号の前まで来ると、値踏みするような視線を向けた。
「……やあ、エリザベート嬢。来てくれたようだね」
ルイスの声は静かだが、周りの空気を凍らせるような圧力がある。 フレデリックが警戒して一歩前に出るが、ルイスはそれを手で制した。
「邪魔をしないでくれたまえ。私は彼女に挨拶をしているだけだ」
ルイスはリズ2号の目の前に立ち、じっとその顔(幻影マスク)を見つめた。
「……ふむ」
何か違和感に気づいたか? 私は緊張してコントローラーを握りしめた。 バレたら終わりだ。 「王家主催の舞踏会にぬいぐるみを送り込んだ不敬罪」で、私の首が物理的に飛ぶ。
「……瞬きを、しないね」
ルイスが呟いた。
ヒッ。 しまった。瞬き機能を実装するのを忘れていた。
「呼吸の乱れもない。心拍音も聞こえない。まるで、生命活動を極限まで抑制しているようだ」
人形だからね。生きてないからね。
しかし、ルイスの結論は違った。
「素晴らしい。これが君の言う『非効率の排除』か。社交の場における無駄な生体反応(緊張による発汗や動悸)すらも、君はコントロール下に置いているというわけだ」
……セーフ! ルイス王子の「効率厨」な思考回路に救われた。 彼は「人間が人形のように振る舞っている」と解釈してくれたようだ。
「気に入ったよ。君のような合理的かつ冷徹な女性こそ、私のパートナーに相応しい」
ルイスが優雅に手を差し出した。
「エリザベート嬢。私と一曲、踊っていただけるかな?」
会場がざわめく。 隣国の王子からのダンスの申し込み。 これは外交儀礼上、拒否権がないやつだ。
しかし、まずい。 非常にまずい。 リズ2号には『歩行』と『挨拶』のプログラムしか入れていない。 『ワルツ』なんて高度な動き、入力していないのだ。
私は慌てて、アレクセイかフレデリックが止めてくれるのを期待した。 だが、彼らはなぜかドヤ顔で頷いている。 「見ろ、俺のリズは他国の王子にも認められたぞ!」とでも言いたげだ。 馬鹿者。止めろよ。 中身が綿だとバレるだろ。
ルイスの手が、リズ2号の手を取ろうとする。 もう逃げられない。 私は覚悟を決めた。
『……やるしかないわね。マニュアルモード、起動!』
私は自動プログラムを切り、完全手動操作に切り替えた。 これから私は、モニターを見ながら、指先の微細な操作でリズ2号にワルツを踊らせなければならない。 音ゲーだ。 これは、失敗したら即死(社会的に)する、超高難易度の音ゲーだ。
音楽が始まる。 優雅なワルツの調べ。 ルイスがリードする。
『右、左、ターン……!』
私は必死に指を動かした。 リズ2号が、カシャン、カシャンと動く。 動きが硬い。 ロボットダンスみたいになっている。
「……おや?」
踊りながら、ルイスが眉をひそめた。
「君の体、随分と……軽いね。それに、関節の可動域が人間離れしている」
そりゃそうだ。中身は綿だし、関節なんてない(縫い目だ)。
「それに、この感触……。君の手は、驚くほど柔らかく、温かみがない」
手袋の下はモフモフのぬいぐるみ生地だからね。
バレる。 このままでは確実にバレる。 私は焦った。 焦りのあまり、コントローラーのスティックを強く倒しすぎてしまった。
バキッ。
嫌な音がした。 コントローラーからではない。 会場のリズ2号からだ。
ターンの瞬間。 遠心力に耐えきれず、リズ2号の首が、クルンと180度回転してしまったのだ。
背中を向けたまま、顔だけがルイスの方を向いている。 ホラーだ。 完全にエクソシストの世界だ。
会場が一瞬、静まり返った。 悲鳴が上がる寸前――
「……すごい」
ルイスが、恍惚とした表情で呟いた。
「背中を見せながらも、視線は決してパートナーから逸らさない……! これぞ、社交ダンスにおける『全方位監視』の極意か!」
は?
「常人なら首の骨が折れる角度だが、君は柔軟性を極限まで高めることで可能にしたのか。無駄な体の切り返しを省略し、首の回転だけで視界を確保する……。究極の効率化だ!」
違う。 物理的に壊れたんだ。
しかし、ルイスの賛辞につられて、周りの貴族たちも「おお……!」「あれが最新のステップか!」「私も明日から首のストレッチをしよう!」と拍手喝采を送っている。 狂っている。 この国はもうダメかもしれない。
私は冷や汗を拭いながら、急いで首を元に戻す操作をした。 ギギギ……と音を立てて首が戻る。
『もう限界よ……。早く終わって……!』
しかし、曲はまだ中盤だ。 さらに悪いことに、ルイスはテンションが上がってしまったらしく、ステップを加速させた。
「さあ、もっと君の性能を見せてくれ! 君のスペックを測らせてくれ!」
彼はリズ2号を激しく振り回す。 リフト(持ち上げ技)だ。 彼はリズ2号を軽々と持ち上げ、空中で回転させた。
ブチッ。
今度は、もっと致命的な音がした。 ドレスの背中が裂けたのではない。 リズ2号の『左腕』の縫い目が、遠心力で千切れたのだ。
ルイスの手の中に、リズ2号の左腕だけが残り、本体は勢いよく宙を舞った。
『ぎゃあああああああ!!』
私は部屋で絶叫した。 腕が! 腕が取れた! もはやホラーを超えてスプラッタだ! 中から白い綿がフワフワと舞い散っている!
会場の全員が、宙を舞う『隻腕の聖女』と、ルイスの手に残された『千切れた腕』を凝視した。 時間が止まる。 綿が雪のように美しく降る。
終わった。 私の社会的な死と、伝説の崩壊。 そして「中身はぬいぐるみでした」という最大の恥辱。
私は顔を覆った。 もう見たくない。
だが、その時。 会場の沈黙を破ったのは、またしてもあの男――アレクセイだった。
「見ろぉぉぉぉッ!!」
アレクセイが叫んだ。
「聖女様が! 聖女様が、自らの腕を切り離されたぞ!」
「なんだって!?」
フレデリックが応じる。
「あれは……『義手』か!? いや、『ロケットパンチ』の構えか!?」
違う。
「分かったぞ! これはパフォーマンスだ! 『肉体という枷からの解放』を表現しているのだ!」
アレクセイの謎理論が炸裂する。
「リズ様は、我々に問いかけているのだ。『体の一部を失ってでも、魂は踊り続けることができるか?』と! あの舞い散る白い羽毛(綿)は、彼女の純潔な魂の具現化だ!」
「おおぉぉぉ!!」と会場が揺れる。 綿を「魂の具現化」と言いくるめやがった。
そして、ルイス王子もまた、手の中の腕(綿が詰まった布)を見つめ、真剣な顔で頷いた。
「なるほど……。これは『パージ(強制排除)』機能か」
ルイスが納得顔で言う。
「高速回転による負荷が限界値を超えたため、損傷を本体に波及させないよう、あえて腕を切り離したのか。なんと高度な危機管理システム……! 君は自分自身さえも『部品(パーツ)』として扱えるのか!」
違います。 ただの縫製ミスです。
宙を舞ったリズ2号(本体)は、アレクセイがナイスキャッチした。 彼は片腕のない人形を抱きしめ、涙を流している。
「リズ様……! 痛いでしょう、辛いでしょう! ですが、貴女のその覚悟、しかと受け止めました!」
リズ2号は無表情のまま、残った右手をカクカクと動かした。 私はヤケクソで『サムズアップ』のポーズをとらせた。 「グッ」と親指を立てる隻腕の聖女。
ワァァァァァァァッ!! 会場が爆発的な歓声に包まれる。
「ブラボー! ブラボー、リズ!」 「なんて前衛的なダンスなんだ!」 「これぞ現代芸術! これぞ聖女の奇跡!」
拍手喝采。 スタンディングオベーション。 ルイス王子も、千切れた腕を大切そうに胸に抱き、深く一礼している。
「素晴らしい体験だった。君という存在の深淵を垣間見た気がするよ」
深淵というか、中身(綿)を見ただけだけどね。
こうして。 私の分身による舞踏会デビューは、奇跡的な確率で(主に周囲の狂った解釈のおかげで)成功に終わった。 バレなかった。 それどころか、「腕を切り離して踊る」という新しい伝説を作ってしまった。
◇
『……疲れた』
私はコントローラーを放り出し、ソファに沈み込んだ。 寿命が縮んだ。 確実に3年は縮んだ。 もう二度と、こんな綱渡りはしたくない。
画面の中では、アレクセイがリズ2号を抱きかかえ、フレデリックが「すぐに最高級の義手を手配しよう!」と叫びながら退場していく様子が映っている。 マリアが青ざめた顔で綿を回収しているのが涙を誘う。
後日。 この日の出来事は『聖女の隻腕ダンス』として新聞の一面を飾り、王都では「体の一部を取り外し可能な服」が大流行することになるのだが……それはまた別の話だ。
私は冷めきった紅茶を飲み干し、深いため息をついた。
「とりあえず、明日は一日中寝よう……」
そう固く心に誓った。 だが、運命は私を休ませてはくれない。 この「腕が取れる」という事件が、巡り巡って「リズ様の体はボロボロだ」→「彼女を守るためには国境の結界を強化せねば」→「そのためには古代遺跡の魔道具が必要だ」という話に飛躍し、新たな冒険(トラブル)の幕開けとなることを、私はまだ知らなかった。
さらに悪いことに。 ルイス王子が、持ち帰った「リズの左腕」を研究室に持ち込み、「この素材(ぬいぐるみ生地)の肌触り……鎮静効果がある。素晴らしい」と、夜な夜なその腕を抱いて寝ているという噂が流れてくるのは、数日後のことである。
私の体の一部(の偽物)が、隣国の王子の抱き枕になっている。 その事実を知ったとき、私は本気で国を捨てようと決意することになるのだが……。
今はただ、安らかな眠りを。 おやすみなさい、世界。 どうか明日、目が覚めたら、みんなの記憶から昨夜のことが消えていますように。 (そんな奇跡は起きないけれど)
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何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?!
「殿下!私、死にたくありません!」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
※他サイトより転載した作品です。
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