3回目の人生は、悪役令嬢を辞めて引きこもります~一歩も出ずに国を救ったら、なぜか「聖女」として崇められ最強の男たちが部屋を包囲してくる件~

放浪人

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第11話 国境の結界が破れそうです(他人事)

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 その日の朝、私の部屋――『聖域』には、死のような静寂ではなく、どこか生温かい絶望の空気が漂っていた。  私はベッドの上で膝を抱え、目の前に置かれた新聞を凝視していた。  震える指先で持っているのは、国一番のゴシップ紙『王都毎朝』だ。

 一面の見出しは、先日の舞踏会での『聖女の隻腕ダンス』を称賛するものだった。  それはいい。予想の範囲内だ。  問題は、その下の小さな囲み記事である。

『隣国の叡智、ルイス王子。聖女の左腕を「研究材料」として持ち帰る』 『夜な夜な寝室から聞こえる「素晴らしい肌触りだ」「この弾力、計算され尽くしている」という呟き』 『側近の証言:「殿下はあの腕を抱いて眠ると、睡眠効率が20%向上すると仰っています」』

「……ヒッ」

 私の喉から、短い悲鳴が漏れた。  気持ち悪い。  生理的に無理だ。    あの左腕は、マリアが夜なべして作ったテディベア生地の中に、最高級の綿を詰め込んだだけのものだ。  それを、あの「氷の計算機」と呼ばれる冷徹な王子が、毎晩抱いて寝ている?  しかも「睡眠効率が上がる」とか言って?

 想像してしまった。  シルクのパジャマを着た美貌の王子が、真顔で、綿の詰まった布切れ(私の腕の形をしたもの)を抱きしめ、満足げにスヤスヤと眠る姿を。

「……無理。もう無理」

 私は頭を抱えた。  この国の男たち(フレデリックとアレクセイ)の「熱血勘違い」も大概だが、隣国の王子(ルイス)の「効率的狂気」は、ベクトルが違いすぎて対処不能だ。  もし彼が「本体(私)の方が、もっと肌触りがいいはずだ」なんて結論に至ったら?  効率化の名の下に、私はアークライド王国へ拉致され、人間抱き枕として管理される未来しか見えない。

「……逃げよう」

 私は決意した。  もう、この屋敷での籠城戦は限界だ。  ノアに相談したときは冗談半分だった「亡命」が、今や現実的な選択肢として急浮上している。  いや、亡命なんて生ぬるい。  夜逃げだ。  誰にも見つからない場所へ。  無人島か、あるいは地の底か。

 私はベッドから這い出し、トランクに荷物を詰め込み始めた。  愛用の枕。  お気に入りの恋愛小説。  フレデリックから巻き上げた高級クッキーの缶。  そして、父からカツアゲした金貨の袋。

 よし、準備完了。  あとは、ノアの手引きでこっそりと……。

 ドンドンドンドン!

 その時、激しくドアが叩かれた。  ビクッとしてクッキー缶を落としそうになる。

「リズ! リズ様! 大変です!」

 マリアだ。  彼女の声は切羽詰まっており、いつもの「お姉様信者」としての能天気さがない。

「どうしたの、マリア。また誰かが変なものを置いていったの? それともルイス王子が『右腕も欲しい』って言ってきたの?」

「違います! もっと深刻な事態です! フレデリック殿下とアレクセイ様がいらっしゃっています! 緊急事態宣言です!」

 緊急事態?  嫌な予感がする。  私はトランクをベッドの下に隠し、渋々ドアの前に立った。

「……何事ですか」

 私が声をかけると、ドアの向こうから重苦しい声が返ってきた。

「リズ……。すまない。君が体を休めている最中に」

 フレデリックの声だ。いつになく沈んでいる。

「だが、報告せねばならない。……北の国境が、破られそうだ」

 国境。  その言葉に、私の心臓がドクンと跳ねた。  『1回目の人生』の記憶が蘇る。  魔物の大侵攻。  空を覆う瘴気。  燃える村々。  そして、『2回目の人生』の記憶。  聖女として最前線に立ち、血を吐きながら結界を張り続け、過労死したあの地獄の日々。

「……詳しく聞かせて」

 私は努めて冷静に言った。  ドア越しに、アレクセイが報告を始める。

「北部の山岳地帯にある『嘆きの谷』より、高濃度の瘴気が噴出しました。以前から兆候はありましたが、ここ数日で急激に悪化。現地の砦からの報告によれば、魔物の活性化率が通常の50倍を超えているとのこと」

 50倍。  それはもう、災害レベルだ。

「現地の結界は?」

「……崩壊寸前です。王宮魔術師団が遠隔で補強を試みていますが、追いつきません。このままでは、あと3日もてば良い方でしょう」

 3日。  短い。  もし結界が破れれば、魔物の大群が雪崩れ込み、北部の穀倉地帯(せっかく豆で復活したのに)は壊滅する。  そして、その被害はいずれ王都にも及ぶだろう。  私の安眠も、美味しいお菓子も、全て失われる。

「……そうですか」

 私は短く答えた。  内心では「どうしよう」と焦っているが、声には出さない。

「リズ様」

 アレクセイの声が震えた。

「我々は愚かでした。貴女があの舞踏会で『腕を切り離す』ほどのパフォーマンスを見せた理由……今になってようやく理解しました」

 え?  あの話、まだ続くの?

「貴女は、ご自身の体が限界であることを、あのダンスで我々に警告してくださったのですね!」

 違います。  縫製が甘かっただけです。

「『腕が取れる』……それはつまり、『国の守り(結界)の一部が欠損する』という予言! そして、『中身が綿(空洞)である』というのは、『今の国の防衛体制はスカスカだ』という痛烈な皮肉!」

 深読みしすぎだ。  どうしてそこまでポジティブに解釈できるんだ。

「さらに言えば、貴女の体は、実はもうボロボロなのでしょう? 遠隔地から人知れず国境の結界を維持するために、生命力を削っておられた……。だからあんなに軽く、脆くなっていたのだ!」

 フレデリックが号泣し始めた。

「ああ、リズ! なんてことだ! 私は君に『豆を植えろ』などと言われて喜んでいたが、君はその裏で、命を削って魔物を抑えていてくれたのか! 知らなかった! 許してくれ!」

 やってない。  私は部屋で漫画を読んでいただけだ。  しかし、否定しても無駄だろう。  彼らの中では、私は「瀕死の体で国を支える聖女」として確定してしまっている。

「だから、決めたのだ」

 フレデリックが鼻をすすりながら言った。

「私が現場へ行く。全騎士団を率いて、私の命に変えても国境を死守する。リズ、君はここで休んでいてくれ。もう二度と、君に無理はさせない!」

「私も行きます! リズ様、貴女の作った平和、この命に代えても守り抜いてみせます!」

 二人の声には、悲壮な決意が滲んでいた。  ガシャン、と鎧が鳴る音がする。  彼らは本気だ。  死ぬ気だ。

 ……馬鹿な人たち。  王太子と騎士団長が特攻してどうする。  瘴気の濃い最前線に行けば、彼らとて無事では済まない。  指揮系統が崩壊し、国はもっと早く滅びるだろう。

 でも、止める理由がない。  彼らが行ってくれれば、私はここで安全に……いや、待てよ。  もし彼らが死んだら?  国が滅んだら?  私の「引きこもり資金」である公爵家の資産も紙屑になり、美味しい輸入菓子も途絶える。  それどころか、魔物がこの屋敷まで押し寄せてきたら、私の二度寝どころではない。

 つまり。  他人事ではないのだ。  巡り巡って、私の安眠に関わる重大な危機なのだ。

 どうする?  私が「聖女」として出向く?  嫌だ。  絶対に嫌だ。  寒いし、汚いし、疲れるし。  2周目のトラウマが蘇る。

 私が沈黙していると、窓の方からコンコン、と軽い音がした。  ノアだ。  彼はいつものように窓枠に座り、ニヤニヤと笑っていた。

「やあ。困ってるみたいだね、聖女様」

 彼は小声で囁いた。ドアの外の二人には聞こえない音量で。

「ノア……盗み聞き?」

「人聞きが悪いな。情報の共有だよ。……で、どうするの? 彼らを行かせる? 全滅するよ?」

「……分かってるわよ」

「彼らを救うには、結界を修復するしかない。でも、今の崩壊しかけた結界を直すには、ただの魔力じゃ足りない。必要なのは『核(コア)』だ」

 ノアが指を一本立てる。

「北の国境近くには、古代文明の遺跡がある。そこに眠る『星の聖杯』と呼ばれるアーティファクト。それを使えば、結界を一瞬で再構築できるらしい」

 アーティファクト。  ゲームみたいな話になってきた。

「ただし、それを起動できるのは、高純度の聖なる魔力を持つ者だけ。つまり、君だ」

「……結局、私が行かなきゃいけないってこと?」

「そうなるね。でも、リズ。悪い話ばかりじゃないよ」

 ノアは悪戯っ子のように瞳を輝かせた。

「その遺跡にはね、もう一つ面白い機能があるんだ。『時の揺り籠(クロノ・クレイドル)』。簡単に言えば、コールドスリープ装置さ」

 コールドスリープ。  その単語に、私の耳がピクリと反応した。

「中に入れば、肉体の時間を止めたまま、精神だけは夢の世界で永遠に遊んでいられる。年を取ることもない。お腹が空くこともない。もちろん、誰にも邪魔されない」

 ……!!  衝撃が走った。  それは、究極の『引きこもり』ではないか?  永遠の二度寝。  終わらない夢。  労働も、義務も、人間関係もない、完全なる安息の世界。

「……本当なの?」

「古代文献にはそう書いてあるよ。もし君が国を救ったら、そのご褒美として、その装置を私物化しても文句は言われないんじゃないかな?」

 ノアの囁きは、悪魔の契約のように甘美だった。  国を救う。  その対価として、永遠の眠りを手に入れる。  これ以上の好条件があるだろうか。

 私は拳を握りしめた。  行くしかない。  国のためではない。  フレデリックやアレクセイのためでもない。  私自身の、究極の理想郷(エデン)を手に入れるために。

 私は窓辺から離れ、ドアに向かって力強く宣言した。

「……待ちなさい、二人とも」

 ドアの外で、去りかけていた足音が止まる。

「リズ……?」

「貴方たちだけを行かせるわけにはいきません。私も行きます」

「なっ!? 馬鹿な! 君の体はボロボロなはずだ!」

「腕も取れたばかりだぞ!(誤解)」

「いいえ。私の体はどうなっても構いません(本当はどうもなってないけど)。この国の未来と、私の……ええと、愛する民のために、最後の力を振り絞りましょう」

 嘘八百だ。  しかし、効果は絶大だった。

「リズゥゥゥゥ――ッ!!」 「なんて……なんて気高い魂なんだ!」

 廊下で男たちが泣き崩れる音がする。  マリアも「お姉様……!」と感涙しているようだ。

「ただし!」

 私は釘を刺した。  ここからが重要だ。

「条件があります。私は『病弱』なので、普通の馬車での移動は耐えられません。振動も、寒さも、人目も、全てが私の命を削ります」

「も、もちろんだ! 最高級の馬車を用意させよう! クッションを100個詰め込んで!」

「いいえ、それじゃ足りません。私が移動するには、この『部屋』が必要です」

「……部屋?」

「はい。私はこの部屋の環境(結界、ベッド、お菓子)がないと生きていけません。ですから、この部屋ごと北へ移動します」

 シン……と廊下が静まり返った。

「へ、部屋ごと……?」

「はい。幸い、アレクセイ騎士団長が先日、クレーンで吊り上げようとしてくださいましたね? あれをヒントに、私が術式を完成させました」

 嘘だ。  本当は今からノアの手を借りて即興で作るのだが。

「名付けて、『移動式絶対領域(モバイル・サンクチュアリ)』。この部屋を土台から切り離し、結界で包んで浮遊させ、空路で現地へ向かいます」

 これなら、私はパジャマのまま、ベッドの上から一歩も動かずに戦場へ行ける。  外の寒風に晒されることもない。  トイレも完備。  おやつも完備。  完璧だ。

「……空飛ぶ部屋……」

 フレデリックが呆然と呟いた。  普通なら「何を言っているんだ」と却下される提案だ。  しかし、彼らのリズ信仰は限界突破している。

「……すごい」

 アレクセイが震える声で言った。

「地上を移動すれば、魔物の襲撃を受ける可能性がある。だが、空ならば! 敵の攻撃を回避しつつ、最短距離で国境へ到達できる! しかも、リズ様の聖なる結界が空を飛べば、その軌跡がそのまま浄化のラインとなり、国土を清めることになる!」

 さすがアレクセイ。  勝手に素晴らしい解釈をつけてくれた。

「採用だ! すぐに準備にかかろう! リズ、君の部屋を『天空の要塞』に改造するのだ!」

「了解しました! 全工兵部隊、再結集! 今度は吊るすのではなく、飛ばすための補強を行う!」

 ドタバタと彼らが動き出す。  話が早い。

 私は窓辺のノアを振り返った。  彼は「やれやれ」といった顔で肩をすくめている。

「君って本当に、自分の欲望のためなら手段を選ばないね。部屋ごと飛ぶなんて、前代未聞だよ」

「褒め言葉として受け取っておくわ。ノア、手伝ってくれるわよね? 貴方の国の『浮遊石』の技術、提供してちょうだい」

「はいはい。乗りかかった船……いや、乗りかかった部屋だ。最後まで付き合うよ」

 こうして。  私の『引きこもり』は、新たなステージへと突入することになった。  部屋から出ないのではない。  部屋が動くのだ。

 翌日。  王都の民衆は、信じられない光景を目撃することになる。    地響きとともに、公爵邸の一部――私の部屋がある離れが、バリバリと音を立てて地面から切り離され、ゆっくりと空へと舞い上がったのだ。

「うおぉぉぉぉ!!」 「リズ様の部屋が飛んだ!」 「天空の城だ! 聖女様の天空城だ!」

 部屋の下部には、アークライド王国製の『浮遊機関』と、私の魔力を増幅する『結界魔法陣』が輝いている。  周囲には、アレクセイ率いる『安眠守護騎士団』が、ワイバーン(先日アレクセイが狩ってきたやつの仲間を調教したらしい)に騎乗して護衛についている。  フレデリックは、私の部屋のベランダの下あたりに張り付き、「リズ! 寒くはないか!?」と叫んでいる(うるさい)。

 私は部屋の中で、揺れるティーカップを押さえながら、窓の外に広がる雲海を見下ろした。

「……悪くない眺めね」

 これぞ、究極の出不精。  パジャマのまま世界を救う旅の始まりだ。

 目指すは北の国境。  そして、その先にある『古代遺跡(永遠のベッド)』。

 待っていて、私のコールドスリープ。  邪魔する魔物は、部屋の結界(物理反射)ですべて弾き飛ばしてあげるから。

 しかし。  私は一つだけ計算違いをしていた。  「空を飛ぶ」ということは、地上だけでなく、「空からの客」も招き入れる可能性があるということを。

 例えば、隣国から飛竜に乗って追いかけてくる、執念深い「氷の計算機」とか。

 ゴンッ。

 部屋の屋根に、何かが着地する音がした。   「……やあ、エリザベート嬢。空中散歩とは優雅だね」

 天井の換気口から聞こえてくる、あのアークライド王子の声。

「私の計算では、この浮遊要塞のエネルギー効率は極めて悪い。……だが、改良の余地はある。同行させてもらおうか」

 ……嘘でしょ。  屋根に乗ってるの?  王子様が?

「降りてください! 定員オーバーです!」

「断る。君の左腕(人形)だけでは満足できなくなった。やはり本体を解析させてもらわなくては」

 変態だ。  空飛ぶ変態が住み着いてしまった。

 私の安息の旅は、開始5分で乱気流に巻き込まれようとしていた。  前途多難。  でも、もう戻れない。  行くぞ、マイルーム!  邪魔者は振り落とせ!
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