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第20話 そして伝説の引きこもりへ
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アークライド王国の魔導戦艦『シルバー・アロー号』が、王都ルミナステラの港に入港したのは、夜明けと同時だった。 水平線から昇る朝日が、海面をキラキラと照らし、私たちの帰還を祝福しているようだった。
……と言えば聞こえはいいが、現実はもっと騒がしく、もっとカオスだった。
「リズ様ァァァッ!! 万歳ィィィッ!!」 「おかえりなさいませ、聖女様!!」 「我らが怠惰の女神に栄光あれ!!」
港には、見渡す限りの群衆が押し寄せていた。 数万人、いや十万人以上はいるだろうか。 そして驚くべきことに、その全員が『パジャマ』を着ていた。 シルクのパジャマ、コットンのパジャマ、羊柄、水玉模様……色とりどりのナイトウェアに身を包んだ国民たちが、枕や抱き枕を掲げて歓声を上げているのだ。 異様だ。 新手の宗教団体か、あるいは国全体規模のパジャマパーティー会場に迷い込んだかのようだ。
私は甲板のデッキチェアからその光景を見下ろし、頭を抱えた。
「……帰りたくない」
本音が漏れた。 無人島に行けばよかった。 こんな『パジャマ狂想曲』が流れる国で、どうやって静かに暮らせというのか。
「諦めろ、リズ。これが君の選んだ道(自業自得)だ」
隣でシオンが、あくびをしながら言った。 彼もまた、アークライド王国の最高級パジャマ(ルイス王子からの支給品)を着て、手にはポテトチップスの袋を持っている。
「君はもう、ただの公爵令嬢じゃない。『パジャマ・レボリューション』の指導者なんだよ」
「そんな革命、起こした覚えはないわよ」
「さあ、行くぞリズ! 君の信徒たちが待っている!」
フレデリックが満面の笑みで私の手を取ろうとする。 私はそれを手で払い除け、冷徹に告げた。
「触らないで。それと、パレードはなしよ。私はこのまま『開かずの離宮』へ直行するわ。人目につきたくないの」
「分かっているとも! 君のその『人嫌い』こそが、神秘性を高める最高のスパイスだからな!」
フレデリックは指を鳴らした。
「用意しろ! リズ専用・隠密移動用馬車、通称『黒塗りの棺桶』だ!」
……ネーミングセンスどうなってんの。
タラップの下には、窓のない漆黒の馬車が待機していた。 私はシオンと共に、逃げるようにその馬車へと乗り込んだ。 アレクセイ率いる(元)騎士団、現・安眠守護騎士団が周囲をガッチリとガードし、馬車は群衆の波をかき分けて走り出した。
車内は完全防音で、外の歓声は聞こえない。 私はシートに深く沈み込み、長い長い逃亡劇の終わりを噛み締めた。 やっと、帰れる。 私の(新しい)家へ。
◇ ◇ ◇
王宮の敷地内、北の奥深くに広がる『沈黙の森』。 鬱蒼と茂る木々に囲まれたその場所に、『開かずの離宮』はあった。
かつては幽霊屋敷と呼ばれ、蔦に覆われた廃墟同然の建物だったはずだ。 だが、馬車の扉が開いた瞬間、私の目に飛び込んできたのは、予想を遥かに超える光景だった。
「……何、これ」
そこには、白亜の巨城がそびえ立っていた。 蔦や苔はきれいに取り払われ、外壁は『強化魔力ガラス』と大理石でピカピカに磨き上げられている。 建物の周囲には、青白く光る結界のドームが展開されており、雨風はおろか、花粉や塵ひとつ通さない鉄壁の防御を誇っている。
そして、入り口には巨大な看板(ミスリル製)が掲げられていた。
『聖女リズの絶対領域(サンクチュアリ) ~関係者以外立ち入り禁止、および私語厳禁~』
「……仕事が早すぎるわよ」
私は呆然と呟いた。 私たちが海上でチェイスを繰り広げている間に、先回りしたアークライドの工兵部隊と、ローゼンバーグ家の職人集団が、突貫工事で完成させたらしい。
「ようこそ、リズ様! ここが貴女の終の住処、ドリーム・ハウスですわ!」
マリアが、メイド服ではなく、なぜか白衣のような『研究員スタイル』で出迎えた。 彼女の背後には、同じく白衣を着た侍女たちがズラリと並んでいる。
「ドリーム・ハウス……?」
「はい! 内部はすべて、リズ様の『動きたくない』という願いを叶えるために設計されています。ご案内しますわ!」
私は恐る恐る、城の中へと足を踏み入れた。 シオンも「おー、すげー」と興味津々でついてくる。
エントランスホールは、ホテルのロビーのように広かった。 床には、足音が一切しない『超消音カーペット』が敷き詰められている。 空気は適度な湿度と温度に保たれ、ほんのりとラベンダーの香りが漂う。
「まずはこちら、メインのリビングルームです!」
案内された部屋に入ると、そこには巨大な『人をダメにするクッション』が、山脈のように連なっていた。 いや、クッションではない。 床全体が、低反発素材でできているのだ。 どこで転んでも、どこで寝ても、そこがベッドになる仕様だ。
「壁には、世界中の図書館とリンクした『魔導書架』を設置しました。読みたい本を念じるだけで、手元に転送されます」
マリアが説明する。
「そして、こちらがキッチン直結の『フード・シューター』です。メニュー表のボタンを押せば、地下の厨房で作られた出来たての料理が、カプセルに入ってシュポッ! と届きます」
「……歩かなくていいの?」
「はい。一歩も。トイレもお風呂も、この床が自動的にベルトコンベアのように動いて運んでくれます」
人間を廃人にする気か。 最高じゃないか。
「さらに!」
ルイス王子が現れ、眼鏡を光らせた。
「地下には、アークライド王国の技術を結集した『魔導サウナ』と『ジャグジー』を完備した。お湯は24時間循環浄化され、常に一番風呂の状態を保つ。もちろん、入浴剤は日替わりだ」
「ルイス……貴方、いつの間に」
「私は仕事が早いのでね。それに、君の左腕(ぬいぐるみ)の研究成果を応用して、肌触りの良いタオルも開発しておいたよ」
彼はまだあの腕を持っていたのか。 まあいい。タオルの質が良いなら許す。
「僕の部屋は!?」
シオンが叫ぶ。
「あるとも。地下2階に、最新鋭の魔導サーバーと冷却システムを完備した『ゲーミング・ダンジョン』を用意した。そこなら、どれだけ大声を出しても地上には届かない」
「やったー! 愛してるよ、メガネのおっさん!」
シオンは歓声を上げ、地下への階段を転がり落ちていった。 これで騒音問題も解決だ。
私はリビングの中央、一番柔らかそうな場所に身を投げ出した。 ボフッ、と体が沈み込む。 まるで雲の上に乗ったようだ。 天井を見上げると、そこには『プラネタリウム機能』がついた天窓があり、昼間でも星空を投影できるらしい。
「……完璧」
私は認めざるを得なかった。 王宮の地下牢も悪くなかったが、ここは次元が違う。 私の欲望のすべてが、形となって具現化されている。
ここなら。 ここなら、一生引きこもれる。
私は目を閉じ、至福の吐息を漏らした。 しかし、すぐに目を開けた。 重要なことを確認しなければならない。
「……ねえ。設備は完璧だけど」
私は、部屋の入り口に立っている男たち――フレデリック、アレクセイ、ルイス、ノアを見た。
「貴方たちは、どうするの? ここに住む気?」
それが一番の問題だ。 彼らが毎日ここに入り浸るなら、私の安息はない。
四人の男たちは顔を見合わせた。 そして、代表してフレデリックが一歩前に出た。 彼は真剣な表情で、一枚の羊皮紙を取り出した。
「リズ。僕たちは誓ったんだ。あの船の上で、君の魂の叫びを聞いて」
彼は羊皮紙を広げた。 そこには、『聖女リズ安眠条約』と書かれていた。
「第一条。我々は、リズの許可なく『絶対領域』の結界内部へ立ち入らないこと」 「第二条。我々は、リズに公務、社交、その他の労働を一切強制しないこと」 「第三条。我々は、リズの生活を維持するために、全力を挙げて国を運営し、資金と物資を供給し続けること」
フレデリックが読み上げると、アレクセイが続いた。
「第四条。リズ様の安全を守るため、我々は離宮の周囲1キロメートルを封鎖し、不審者(および我々自身)の侵入を阻止する」
ノアが続く。
「第五条。リズが暇を持てあました時のために、面白い本やゲーム、ゴシップネタを定期的にポストへ投函すること。ただし、直接手渡しは禁止」
最後にルイス。
「第六条。これらの条約を破った場合、リズによる『スタンガン刑』および『空間圧縮刑』を甘んじて受けること」
……なんてことだ。 彼らは本気だ。 自分たち自身を縛るルールを、自ら作ってきたのだ。
「リズ。僕たちは君を愛している。だからこそ、君の願い――『孤独』を尊重する」
フレデリックが優しく微笑んだ。
「僕たちは、このドアの向こう側で、君を守る『壁』になるよ。君は安心して、この中で眠っていてくれ」
「……殿下」
私は少しだけ、胸が熱くなるのを感じた。 彼らは変わった。 私のワガママを、ようやく理解してくれたのだ。
「……分かったわ。その条約、批准する」
私は言った。
「でも、たまには……そうね、週に一回くらいなら、お茶くらい付き合ってあげてもいいわよ。ただし、私が起きていればの話だけど」
男たちの顔が、パァァァッと輝いた。 まるで、飼い主に「待て」を解除された犬のようだ。
「リズ!!」 「週に一回! 十分です! いや、奇跡です!」 「そのチャンスを巡って、我々で公平なルーレットを行おう!」
彼らは喜び勇んで、部屋から出て行った。 ドアが閉まる。 カチャリ、と鍵がかかる音。
静寂。 今度こそ、本当の静寂が訪れた。
私は広い部屋で一人になった。 (地下にはシオンがいるが、彼はゲームに夢中で出てこないだろう)
「……ふふっ」
笑いが込み上げてきた。 勝った。 私は勝ったのだ。 運命に、社会に、そして愛という名の束縛に。 私はついに、完全なる『引きこもり』の座を手に入れたのだ。
◇ ◇ ◇
それから、数ヶ月が過ぎた。
季節は巡り、王都ルミナステラは黄金の秋を迎えていた。 国の情勢は、驚くほど安定していた。
王太子フレデリックは、私の『快眠プロジェクト』を継承し、国民の労働時間を短縮し、福祉を充実させる政策を次々と打ち出した。 「リズ様が寝ている間に、国を良くしておかねば!」という謎のモチベーションで働いているため、内政は盤石だ。
騎士団長アレクセイは、離宮の警備を鉄壁のものとし、暇な時間は部下たちと共に「音を立てずに歩く訓練」や「気配を消す瞑想」に励んでいる。 おかげで、王都の治安は劇的に向上し、スリや空き巣すらいなくなった(忍者のような騎士に見つかるから)。
隣国のルイス王子とノアは、定期的に最新の魔導具や娯楽小説を送りつけてくる。 アークライド王国との同盟関係はかつてないほど良好で、両国の間には「パジャマ通商条約」なるものが結ばれたらしい。
そして、肝心の私――聖女エリザベートは。
私は今、『伝説』になっていた。
姿を見せない聖女。 開かずの離宮に籠もり、深い瞑想(睡眠)の中で国の未来を案じている女神。 国民たちは、離宮の方角に向かって朝晩の祈りを捧げ、私の似顔絵(なぜか後光が差している)をお守りにしている。
たまに、王宮のバルコニーに私が姿を現すと、国中が揺れるほどの大歓声が上がる。 ……もちろん、本物の私ではない。 マリアが作った『リズ3号(精巧な自動人形)』だ。 ルイスの技術協力により、以前のように腕が取れたり首が回ったりすることなく、滑らかに手を振ることができるようになった。 私は部屋のモニターでその様子を見ながら、「あー、右手がちょっとズレてる」とか文句を言っているだけだ。
そんなある日の午後。 私はリビングの『人をダメにするクッション』に埋もれながら、ノアから届いたばかりの新作ラノベ『転生したらスライムだった件について考察する本』を読んでいた。 地下からは、シオンがオンラインゲームで絶叫する声が微かに聞こえてくる。
「……平和ね」
私は呟いた。 窓の外では、紅葉した木々が風に揺れている。 『絶対領域』の結界内は、常に適温だ。 テーブルには、フードシューターで届いた『秋の味覚満載モンブラン』と、温かいミルクティー。
これ以上の幸せが、どこにあるだろうか。
その時。 ドアの向こうから、微かな話し声が聞こえてきた。 防音壁を隔てても聞こえる、熱い議論の声。
「今日の『お茶会権利』は俺の番だ! 先週はノアが抜け駆けしただろう!」(アレクセイ) 「違いますよ、あれは『新作ゲームの納品』という業務です。ノーカウントです」(ノア) 「二人とも静かに! リズが起きるじゃないか! ……ところで、僕が持ってきたこの『究極のプリン』は、鮮度が命なんだ。今すぐ届けないと!」(フレデリック) 「非効率だね。まとめて私が持っていけば、移動コストは4分の1で済む」(ルイス)
……またやってる。 彼らは毎日、ドアの前でこうして小競り合いをしているらしい。 条約で「中に入らない」と決めたのに、隙あらば入ろうとする執念深さ。 呆れるを通り越して、感心すら覚える。
でも。 不思議と、不快ではなかった。 彼らがそこにいるという気配が、なぜか心地よいBGMのように感じられる。 独りだけど、独りじゃない。 守られている安心感。
「……ふあぁ」
私は大きなあくびをした。 お腹もいっぱいだし、本も読んだし。 そろそろ、メインイベントの時間だ。
私は本を閉じ、クッションの中にさらに深く潜り込んだ。 最高の寝心地。 意識がとろけていく。
ドアの向こうでは、まだ男たちが「ジャンケンで決めよう!」「最初はグー!」と騒いでいる。 平和だ。 本当に、平和だ。
私は口元に笑みを浮かべ、瞼を閉じた。
「……あー、忙しい忙しい」
私は、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「これから、世界で一番重要な仕事(二度寝)をしなきゃいけないんだから」
そして私は、3回目の人生にしてようやく手に入れた、永遠に続く至福の夢の中へと旅立った。
――3回目の人生は、悪役令嬢を辞めて引きこもりました。 ……なのに、なぜか歴代の婚約者たちが「やり直したい」と部屋の前に並んでいる件について。
結論。 並ばせておけばいい。 私は、私の城で、今日も今日とて惰眠を貪るのだから。
(おしまい)
……と言えば聞こえはいいが、現実はもっと騒がしく、もっとカオスだった。
「リズ様ァァァッ!! 万歳ィィィッ!!」 「おかえりなさいませ、聖女様!!」 「我らが怠惰の女神に栄光あれ!!」
港には、見渡す限りの群衆が押し寄せていた。 数万人、いや十万人以上はいるだろうか。 そして驚くべきことに、その全員が『パジャマ』を着ていた。 シルクのパジャマ、コットンのパジャマ、羊柄、水玉模様……色とりどりのナイトウェアに身を包んだ国民たちが、枕や抱き枕を掲げて歓声を上げているのだ。 異様だ。 新手の宗教団体か、あるいは国全体規模のパジャマパーティー会場に迷い込んだかのようだ。
私は甲板のデッキチェアからその光景を見下ろし、頭を抱えた。
「……帰りたくない」
本音が漏れた。 無人島に行けばよかった。 こんな『パジャマ狂想曲』が流れる国で、どうやって静かに暮らせというのか。
「諦めろ、リズ。これが君の選んだ道(自業自得)だ」
隣でシオンが、あくびをしながら言った。 彼もまた、アークライド王国の最高級パジャマ(ルイス王子からの支給品)を着て、手にはポテトチップスの袋を持っている。
「君はもう、ただの公爵令嬢じゃない。『パジャマ・レボリューション』の指導者なんだよ」
「そんな革命、起こした覚えはないわよ」
「さあ、行くぞリズ! 君の信徒たちが待っている!」
フレデリックが満面の笑みで私の手を取ろうとする。 私はそれを手で払い除け、冷徹に告げた。
「触らないで。それと、パレードはなしよ。私はこのまま『開かずの離宮』へ直行するわ。人目につきたくないの」
「分かっているとも! 君のその『人嫌い』こそが、神秘性を高める最高のスパイスだからな!」
フレデリックは指を鳴らした。
「用意しろ! リズ専用・隠密移動用馬車、通称『黒塗りの棺桶』だ!」
……ネーミングセンスどうなってんの。
タラップの下には、窓のない漆黒の馬車が待機していた。 私はシオンと共に、逃げるようにその馬車へと乗り込んだ。 アレクセイ率いる(元)騎士団、現・安眠守護騎士団が周囲をガッチリとガードし、馬車は群衆の波をかき分けて走り出した。
車内は完全防音で、外の歓声は聞こえない。 私はシートに深く沈み込み、長い長い逃亡劇の終わりを噛み締めた。 やっと、帰れる。 私の(新しい)家へ。
◇ ◇ ◇
王宮の敷地内、北の奥深くに広がる『沈黙の森』。 鬱蒼と茂る木々に囲まれたその場所に、『開かずの離宮』はあった。
かつては幽霊屋敷と呼ばれ、蔦に覆われた廃墟同然の建物だったはずだ。 だが、馬車の扉が開いた瞬間、私の目に飛び込んできたのは、予想を遥かに超える光景だった。
「……何、これ」
そこには、白亜の巨城がそびえ立っていた。 蔦や苔はきれいに取り払われ、外壁は『強化魔力ガラス』と大理石でピカピカに磨き上げられている。 建物の周囲には、青白く光る結界のドームが展開されており、雨風はおろか、花粉や塵ひとつ通さない鉄壁の防御を誇っている。
そして、入り口には巨大な看板(ミスリル製)が掲げられていた。
『聖女リズの絶対領域(サンクチュアリ) ~関係者以外立ち入り禁止、および私語厳禁~』
「……仕事が早すぎるわよ」
私は呆然と呟いた。 私たちが海上でチェイスを繰り広げている間に、先回りしたアークライドの工兵部隊と、ローゼンバーグ家の職人集団が、突貫工事で完成させたらしい。
「ようこそ、リズ様! ここが貴女の終の住処、ドリーム・ハウスですわ!」
マリアが、メイド服ではなく、なぜか白衣のような『研究員スタイル』で出迎えた。 彼女の背後には、同じく白衣を着た侍女たちがズラリと並んでいる。
「ドリーム・ハウス……?」
「はい! 内部はすべて、リズ様の『動きたくない』という願いを叶えるために設計されています。ご案内しますわ!」
私は恐る恐る、城の中へと足を踏み入れた。 シオンも「おー、すげー」と興味津々でついてくる。
エントランスホールは、ホテルのロビーのように広かった。 床には、足音が一切しない『超消音カーペット』が敷き詰められている。 空気は適度な湿度と温度に保たれ、ほんのりとラベンダーの香りが漂う。
「まずはこちら、メインのリビングルームです!」
案内された部屋に入ると、そこには巨大な『人をダメにするクッション』が、山脈のように連なっていた。 いや、クッションではない。 床全体が、低反発素材でできているのだ。 どこで転んでも、どこで寝ても、そこがベッドになる仕様だ。
「壁には、世界中の図書館とリンクした『魔導書架』を設置しました。読みたい本を念じるだけで、手元に転送されます」
マリアが説明する。
「そして、こちらがキッチン直結の『フード・シューター』です。メニュー表のボタンを押せば、地下の厨房で作られた出来たての料理が、カプセルに入ってシュポッ! と届きます」
「……歩かなくていいの?」
「はい。一歩も。トイレもお風呂も、この床が自動的にベルトコンベアのように動いて運んでくれます」
人間を廃人にする気か。 最高じゃないか。
「さらに!」
ルイス王子が現れ、眼鏡を光らせた。
「地下には、アークライド王国の技術を結集した『魔導サウナ』と『ジャグジー』を完備した。お湯は24時間循環浄化され、常に一番風呂の状態を保つ。もちろん、入浴剤は日替わりだ」
「ルイス……貴方、いつの間に」
「私は仕事が早いのでね。それに、君の左腕(ぬいぐるみ)の研究成果を応用して、肌触りの良いタオルも開発しておいたよ」
彼はまだあの腕を持っていたのか。 まあいい。タオルの質が良いなら許す。
「僕の部屋は!?」
シオンが叫ぶ。
「あるとも。地下2階に、最新鋭の魔導サーバーと冷却システムを完備した『ゲーミング・ダンジョン』を用意した。そこなら、どれだけ大声を出しても地上には届かない」
「やったー! 愛してるよ、メガネのおっさん!」
シオンは歓声を上げ、地下への階段を転がり落ちていった。 これで騒音問題も解決だ。
私はリビングの中央、一番柔らかそうな場所に身を投げ出した。 ボフッ、と体が沈み込む。 まるで雲の上に乗ったようだ。 天井を見上げると、そこには『プラネタリウム機能』がついた天窓があり、昼間でも星空を投影できるらしい。
「……完璧」
私は認めざるを得なかった。 王宮の地下牢も悪くなかったが、ここは次元が違う。 私の欲望のすべてが、形となって具現化されている。
ここなら。 ここなら、一生引きこもれる。
私は目を閉じ、至福の吐息を漏らした。 しかし、すぐに目を開けた。 重要なことを確認しなければならない。
「……ねえ。設備は完璧だけど」
私は、部屋の入り口に立っている男たち――フレデリック、アレクセイ、ルイス、ノアを見た。
「貴方たちは、どうするの? ここに住む気?」
それが一番の問題だ。 彼らが毎日ここに入り浸るなら、私の安息はない。
四人の男たちは顔を見合わせた。 そして、代表してフレデリックが一歩前に出た。 彼は真剣な表情で、一枚の羊皮紙を取り出した。
「リズ。僕たちは誓ったんだ。あの船の上で、君の魂の叫びを聞いて」
彼は羊皮紙を広げた。 そこには、『聖女リズ安眠条約』と書かれていた。
「第一条。我々は、リズの許可なく『絶対領域』の結界内部へ立ち入らないこと」 「第二条。我々は、リズに公務、社交、その他の労働を一切強制しないこと」 「第三条。我々は、リズの生活を維持するために、全力を挙げて国を運営し、資金と物資を供給し続けること」
フレデリックが読み上げると、アレクセイが続いた。
「第四条。リズ様の安全を守るため、我々は離宮の周囲1キロメートルを封鎖し、不審者(および我々自身)の侵入を阻止する」
ノアが続く。
「第五条。リズが暇を持てあました時のために、面白い本やゲーム、ゴシップネタを定期的にポストへ投函すること。ただし、直接手渡しは禁止」
最後にルイス。
「第六条。これらの条約を破った場合、リズによる『スタンガン刑』および『空間圧縮刑』を甘んじて受けること」
……なんてことだ。 彼らは本気だ。 自分たち自身を縛るルールを、自ら作ってきたのだ。
「リズ。僕たちは君を愛している。だからこそ、君の願い――『孤独』を尊重する」
フレデリックが優しく微笑んだ。
「僕たちは、このドアの向こう側で、君を守る『壁』になるよ。君は安心して、この中で眠っていてくれ」
「……殿下」
私は少しだけ、胸が熱くなるのを感じた。 彼らは変わった。 私のワガママを、ようやく理解してくれたのだ。
「……分かったわ。その条約、批准する」
私は言った。
「でも、たまには……そうね、週に一回くらいなら、お茶くらい付き合ってあげてもいいわよ。ただし、私が起きていればの話だけど」
男たちの顔が、パァァァッと輝いた。 まるで、飼い主に「待て」を解除された犬のようだ。
「リズ!!」 「週に一回! 十分です! いや、奇跡です!」 「そのチャンスを巡って、我々で公平なルーレットを行おう!」
彼らは喜び勇んで、部屋から出て行った。 ドアが閉まる。 カチャリ、と鍵がかかる音。
静寂。 今度こそ、本当の静寂が訪れた。
私は広い部屋で一人になった。 (地下にはシオンがいるが、彼はゲームに夢中で出てこないだろう)
「……ふふっ」
笑いが込み上げてきた。 勝った。 私は勝ったのだ。 運命に、社会に、そして愛という名の束縛に。 私はついに、完全なる『引きこもり』の座を手に入れたのだ。
◇ ◇ ◇
それから、数ヶ月が過ぎた。
季節は巡り、王都ルミナステラは黄金の秋を迎えていた。 国の情勢は、驚くほど安定していた。
王太子フレデリックは、私の『快眠プロジェクト』を継承し、国民の労働時間を短縮し、福祉を充実させる政策を次々と打ち出した。 「リズ様が寝ている間に、国を良くしておかねば!」という謎のモチベーションで働いているため、内政は盤石だ。
騎士団長アレクセイは、離宮の警備を鉄壁のものとし、暇な時間は部下たちと共に「音を立てずに歩く訓練」や「気配を消す瞑想」に励んでいる。 おかげで、王都の治安は劇的に向上し、スリや空き巣すらいなくなった(忍者のような騎士に見つかるから)。
隣国のルイス王子とノアは、定期的に最新の魔導具や娯楽小説を送りつけてくる。 アークライド王国との同盟関係はかつてないほど良好で、両国の間には「パジャマ通商条約」なるものが結ばれたらしい。
そして、肝心の私――聖女エリザベートは。
私は今、『伝説』になっていた。
姿を見せない聖女。 開かずの離宮に籠もり、深い瞑想(睡眠)の中で国の未来を案じている女神。 国民たちは、離宮の方角に向かって朝晩の祈りを捧げ、私の似顔絵(なぜか後光が差している)をお守りにしている。
たまに、王宮のバルコニーに私が姿を現すと、国中が揺れるほどの大歓声が上がる。 ……もちろん、本物の私ではない。 マリアが作った『リズ3号(精巧な自動人形)』だ。 ルイスの技術協力により、以前のように腕が取れたり首が回ったりすることなく、滑らかに手を振ることができるようになった。 私は部屋のモニターでその様子を見ながら、「あー、右手がちょっとズレてる」とか文句を言っているだけだ。
そんなある日の午後。 私はリビングの『人をダメにするクッション』に埋もれながら、ノアから届いたばかりの新作ラノベ『転生したらスライムだった件について考察する本』を読んでいた。 地下からは、シオンがオンラインゲームで絶叫する声が微かに聞こえてくる。
「……平和ね」
私は呟いた。 窓の外では、紅葉した木々が風に揺れている。 『絶対領域』の結界内は、常に適温だ。 テーブルには、フードシューターで届いた『秋の味覚満載モンブラン』と、温かいミルクティー。
これ以上の幸せが、どこにあるだろうか。
その時。 ドアの向こうから、微かな話し声が聞こえてきた。 防音壁を隔てても聞こえる、熱い議論の声。
「今日の『お茶会権利』は俺の番だ! 先週はノアが抜け駆けしただろう!」(アレクセイ) 「違いますよ、あれは『新作ゲームの納品』という業務です。ノーカウントです」(ノア) 「二人とも静かに! リズが起きるじゃないか! ……ところで、僕が持ってきたこの『究極のプリン』は、鮮度が命なんだ。今すぐ届けないと!」(フレデリック) 「非効率だね。まとめて私が持っていけば、移動コストは4分の1で済む」(ルイス)
……またやってる。 彼らは毎日、ドアの前でこうして小競り合いをしているらしい。 条約で「中に入らない」と決めたのに、隙あらば入ろうとする執念深さ。 呆れるを通り越して、感心すら覚える。
でも。 不思議と、不快ではなかった。 彼らがそこにいるという気配が、なぜか心地よいBGMのように感じられる。 独りだけど、独りじゃない。 守られている安心感。
「……ふあぁ」
私は大きなあくびをした。 お腹もいっぱいだし、本も読んだし。 そろそろ、メインイベントの時間だ。
私は本を閉じ、クッションの中にさらに深く潜り込んだ。 最高の寝心地。 意識がとろけていく。
ドアの向こうでは、まだ男たちが「ジャンケンで決めよう!」「最初はグー!」と騒いでいる。 平和だ。 本当に、平和だ。
私は口元に笑みを浮かべ、瞼を閉じた。
「……あー、忙しい忙しい」
私は、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「これから、世界で一番重要な仕事(二度寝)をしなきゃいけないんだから」
そして私は、3回目の人生にしてようやく手に入れた、永遠に続く至福の夢の中へと旅立った。
――3回目の人生は、悪役令嬢を辞めて引きこもりました。 ……なのに、なぜか歴代の婚約者たちが「やり直したい」と部屋の前に並んでいる件について。
結論。 並ばせておけばいい。 私は、私の城で、今日も今日とて惰眠を貪るのだから。
(おしまい)
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私も泣き虫の子爵令嬢をやめた。
八年後帰国した彼は、もういない私を探してるらしい。
*文字数的に「短編か?」という量になりましたが10万文字以下なので短編です。この後各自のアフターストーリーとか書けたら書きます。そしたら10万文字超えちゃうかもしれないけど短編です。こんなにかかると思わず、「転生王子〜」が大幅に滞ってしまいましたが、次はあちらに集中予定(あくまで予定)です、あちらもよろしくお願いします*
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