『婚約破棄された瞬間、前世の記憶が戻ってここが「推し」のいる世界だと気づきました。恋愛はもう結構ですので、推しに全力で貢ぎます。

放浪人

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第9話:夜会での再会

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王都の夜空が、魔法の花火で彩られる。 今宵は、国王陛下主催の建国記念祝賀パーティー。 国中の貴族が一堂に会する、一年で最も華やかな夜会だ。

ハルティア公爵家の私の部屋では、まさに戦争のような準備が行われていた。

「お嬢様、息を止めてください! コルセットをあと3センチ締めます!」 「メイク担当、肌の艶は完璧よ! 『エリザ・コスメ』の新作ファンデーション、その威力を存分に見せつけるのよ!」 「宝石の配置、ミリ単位で調整して! 照明の角度を計算しなさい!」

侍女たちが戦場を駆ける兵士のように動き回っている。 鏡の前に立つ私は、されるがままになりながら、静かに闘志を燃やしていた。

今夜は、婚約破棄騒動以来、初めて公の場に姿を現す日だ。 社交界の噂好きたちは、きっとこう予想しているだろう。 「婚約を破棄された哀れな公爵令嬢は、やつれ果て、みすぼらしい姿で現れるに違いない」と。 あるいは、「まだ第一王子に未練たらたらで、泣いてすがりつくのではないか」と。

「……ふふっ」

鏡の中の私が、凶悪な笑みを浮かべた。 残念ながら、私は泣き濡れる悲劇のヒロインではない。 推しに課金するために財を成した、剛腕の実業家だ。

「セバスチャン、準備はいい?」

「はい、お嬢様。……言葉もございません。今宵の会場で、貴女様より輝く存在は、星空を含めても存在しないでしょう」

老執事が、感極まったように目元を拭う。 私は立ち上がった。

纏うのは、隣国の王族しか着ることを許されない幻の布『月光絹(ムーン・シルク)』を惜しげもなく使用した、ミッドナイトブルーのドレス。 光の当たり方によって、夜空の星々のように繊細な銀の粒子が煌めく。 首元には、かつてダンジョンの深層でしか採掘されなかった『深海の涙』と呼ばれる大粒のサファイア。 その総額、推定金貨80万枚。

レオンハルト様の装備にお金を使いすぎた? いいえ、これは「広告費」だ。 私が健在であり、かつてないほどの富と権力を有していることを、あの無能な元婚約者と社交界に見せつけるための、最強の戦闘服なのだ。

「行きましょう。……私の『新しい人生』のお披露目よ」

                    ◇

王城の大広間は、むせ返るような香水の匂いと、貴族たちの嬌声に包まれていた。

「第一王子殿下、ご機嫌麗しゅう」 「マリア様、今宵も愛らしいドレスですな」

会場の中心には、ジュリアン殿下とマリア嬢がいた。 ジュリアン殿下は純白の軍服(実戦経験ゼロ)に身を包み、マリア嬢はフリルとリボンが過剰についたピンク色のドレスを着ている。 二人は勝ち誇ったような顔で、取り巻きたちに囲まれていた。

「ふん、エリザベートの奴、まだ来ないのか。どうせ恥ずかしくて来られないのだろうが」 「かわいそうですぅ。私なら、殿下に捨てられたら生きていけませんわ」

クスクスと下品な笑いが起きる。 その時だった。

入り口の衛兵が、声を張り上げた。

「――ハルティア公爵令嬢、エリザベート様、ご入場!!」

重厚な扉がゆっくりと開く。 ざわめきが一瞬で消え、静寂が広がった。

カツン、カツン、カツン。

ヒールの音だけが響く。 私が一歩足を踏み出すたびに、そこから波紋が広がるように、人々が道を開けていく。 モーゼの海割れのごとく。

「な……ッ!?」

誰かが息を呑む音が聞こえた。

私が歩くたびに、ドレスの裾が光を帯びて揺らめく。 それはまるで、夜空そのものを切り取って身に纏っているかのようだった。 肌は『エリザ・コスメ』の最上級ラインで磨き上げられ、内側から発光しているかのように白い。 そして何より、その表情。 悲壮感など微塵もない。 自信と余裕、そして圧倒的な「美」の暴力。

私は扇子を優雅に広げ、口元を隠した。

(……反応よし。全員、私のドレスの値段を計算して白目を剥いているわね)

会場の奥へ進むと、ジュリアン殿下たちの前で足が止まった。 彼らは、幽霊でも見たかのように口をパクパクさせている。

「ごきげんよう、ジュリアン殿下。それにマリア様」

私は完璧なカーテシーを披露した。

「エ、エリザベート……? き、貴様、その格好はなんだ!?」

ジュリアン殿下が裏返った声で叫ぶ。

「なんだ、とはご挨拶ですね。陛下より招待状をいただきましたので、相応の正装をして参りましたが」

「そ、そんな金がどこにある! 我が王家ですら手に入らない月光絹だと!? 公爵家の資産を横領したのか!」

「失礼な。これは全て、わたくし個人の事業収益で購入したものですわ。……ああ、殿下には『自分で稼ぐ』という概念は難しかったでしょうか?」

私は扇子で仰ぐふりをして、冷ややかに彼を見下ろした。 周囲から「プッ」と吹き出す声が漏れる。

「それに、マリア様」

私は視線を隣のピンク色の塊に向けた。

「とても……可愛らしいドレスですわね。既製品のようですが、よくお似合いです」

「き、既製品じゃありません! 殿下に買ってもらった特注品ですぅ!」

「あら、そうでしたの? 王都の問屋街で同じデザインのものが『見習い用』として売られていたものですから、てっきり。……ああ、でも殿下の現在の財政状況を考えれば、それが精一杯の愛情表現ですわよね。微笑ましいですわ」

マリア嬢の顔が真っ赤になる。 彼女のドレスも決して安物ではないのだが、私のドレスと並んでしまえば、悲しいほどに見劣りした。 本物の宝石と、ガラス玉ほどの差がある。

「き、貴様ァァァ!! 僕を愚弄する気か!!」

ジュリアン殿下が激昂し、手を振り上げた。 公衆の面前で元婚約者を殴ろうとするなど、王族としての品位は地に落ちたも同然だ。

私は身構えた。 殴ってくるなら、この扇子で受け流して、ついでに『護身術』で投げ飛ばしてやろうか。

しかし、その必要はなかった。

「――そこまでだ、兄上」

凛とした、よく通る低い声。 空気が凍りついたように静まる。

人垣を割って現れたのは、漆黒の礼服に身を包んだ青年。 第三王子、レオンハルト様だった。

(ッ……!!)

私は心の中で悲鳴を上げた。 今日のレオンハルト様は、いつもの戦闘服ではない。 身体のラインに仕立てられた上質な黒の礼服。 胸元には、私が以前プレゼントした銀のブローチが輝いている。 黒髪は綺麗に撫で付けられ、紫水晶の瞳が照明を受けて妖艶に光っている。

破壊力が高すぎる。 顔が良い。 スタイルが良い。 存在自体が国宝。

「レ、レオンハルト……? 貴様、なぜここに!? いつも『俺に社交界は似合わない』と引きこもっていたくせに!」

ジュリアン殿下が後ずさる。 レオンハルト様が放つ覇気は、以前の彼とは別物だった。 数多の死線をくぐり抜け、最強の装備で武装し、自信を取り戻した男のオーラ。 ただ立っているだけで、ジュリアン殿下が霞んで見える。

「招待状が届いていたのでな。それに……」

レオンハルト様は、ジュリアン殿下を無視して、真っ直ぐに私を見た。 その瞳が、私だけを映して細められる。

「どうしても会いたい人がいた」

会場中の視線が、私と彼に集中する。 ロマンス小説の挿絵のような光景。

「エリザベート嬢。……息災だったか」

「は、はい。殿下もお元気そうで」

私は必死に平静を装った。 心臓がうるさい。 推しが、公衆の面前で私を庇い、私に会いに来たと言った。 これはもう、実質的なプロポーズでは?(違います)

「兄上。女性に暴力を振るうなど、王族の恥だ。お引き取り願おう」

レオンハルト様が冷たく言い放つと、周囲の貴族たちも同調するように頷いた。 完全にアウェーとなったジュリアン殿下は、顔を歪め、「覚えてろ!」と捨て台詞を吐いて、マリア嬢を連れて逃げるように去っていった。

邪魔者は消えた。 音楽が再び流れ始める。

「……助けていただき、ありがとうございます」

私が礼を言うと、彼は小さく首を振った。

「礼を言うのは俺の方だ。……それに、助けなどいらなかっただろう? お前なら、兄上を扇子一本で制圧していたように見えたが」

「ふふっ、バレていましたか」

私たちは顔を見合わせて笑った。 共犯者の笑みだ。

「少し、風に当たりたいな。……付き合ってくれるか?」

彼が右手を差し出す。 ダンスの誘いではない。 ここから連れ出してくれ、という合図だ。

私はその手に、自分の手を重ねた。 温かい。 剣ダコのある、大きくて頼もしい手。

「喜んで、殿下」

                    ◇

大広間を抜け出し、私たちは人気の少ないバルコニーへと出た。 夜風が火照った頬に心地よい。 眼下には王都の夜景が広がり、遠くでは花火が上がっている。

二人きり。 喧騒が遠のき、静寂が二人を包む。

「……綺麗なドレスだな」

レオンハルト様が、手すりに背を預けながら言った。

「ありがとうございます。貴方の礼服姿も、とても素敵です。正直、直視できないくらいに」

「お前が送ってくれた仕立て券で作ったものだ。……俺には勿体ない」

彼は照れくさそうに襟元を触った。

「そんなことありません。貴方こそが、この国で一番高貴な装いが似合う方です」

私は断言した。 彼こそが王にふさわしい。 その確信は、日々強くなっている。

「……先日、北の街道でのことだが」

彼が表情を引き締めた。 話題は、昨夜の共闘のことだ。

「お前の部隊のおかげで、多くの兵士が死なずに済んだ。俺一人では、守りきれなかっただろう。……礼を言う」

「契約の履行です。貴方の負担を減らすのが、私の役目ですから」

「それだけじゃない」

彼は懐から、一本の短剣を取り出した。 それは、私が一番最初に、森で無理やり押し付けたミスリルの短剣だった。

「昨日の戦闘で、大型のキメラに囲まれた時……魔力が尽きて、大剣を振るえなくなった瞬間があった」

彼は短剣を愛おしそうに撫でた。

「死んだ、と思った。だが、この短剣が……勝手に動いたんだ。俺の手を引くように、敵の喉元を切り裂いた。まるで、お前が『死ぬな』と叫んでいるかのように」

彼は私を見た。 その瞳は、夜空の星よりも深く、熱く輝いていた。

「この短剣のおかげで、俺は昨日も生き延びられた。……エリザベート。お前は俺の命の恩人だ」

ドキリ、と心臓が跳ねた。 彼が私へ向ける感情。 それは単なるパトロンへの感謝を超えているように感じた。

彼は一歩、私に近づいた。

「俺は、ずっと考えていた。なぜお前は、ここまでするのか。金のため? 名誉のため? ……違う。お前の行動には、もっと根源的な、熱量がある」

彼は私の手を取り、そっと引き寄せた。 抵抗できない。 したくない。

「教えてくれ。お前は、俺に何を見ている? 俺という人間に、どんな価値を見出しているんだ?」

彼の顔が近い。 吐息が触れる距離。 花火の音が、ドーン、ドーンと心臓の音に重なる。

私は震える声で答えた。 嘘はつけない。 でも、全ての真実(前世の記憶やゲームのこと)を話すわけにもいかない。

「……私は、知っているのです」

私は彼の手を強く握り返した。

「貴方が、誰よりも優しく、誰よりも強いことを。貴方が暗闇の中で、誰にも知られずに流していた血と涙を。私は、それらが報われない世界なんて、間違っていると思うのです」

私は彼を見上げた。

「価値があるから投資するのではありません。貴方が貴方だから……私は、私の全てを賭けて、貴方を推し(支え)たいのです」

「……推す、か」

彼はその言葉を噛み締めるように繰り返した。 そして、ふっと柔らかく笑った。

「不思議な言葉だ。だが……悪い気はしない」

彼は私の手を持ち上げ、その指先に口づけを落とした。 今度は、躊躇いなく。 熱い唇の感触に、私の身体中に電流が走る。

「契約者として、ではなく。……男として、誓わせてくれ」

彼は私の瞳を射抜いた。

「俺は必ず、勝つ。お前が望む未来を、この手で掴み取る。だから……」

「だから?」

「……俺の隣で、見ていてくれないか。最後まで」

それは、ほとんど告白だった。 この世界の誰よりも高潔で、不器用な騎士からの、精一杯の求愛。

私は涙がこぼれそうになるのをこらえ、最高の笑顔で頷いた。

「はい。……特等席で、見届けさせていただきます」

花火が上がり、私たちの影を一つに重ねた。 この瞬間、私たちは確かに通じ合っていた。 契約書や金銭を超えた、魂の絆で。

しかし。 甘い時間は長くは続かない。

「……エリザベート。気づいているか?」

レオンハルト様の声が、急に低く、鋭いものに変わった。 彼はバルコニーから、王都のさらに向こう、北の空を睨み据えていた。

「ええ……。嫌な風が吹いていますね」

私も表情を引き締めた。 肌にまとわりつくような、不快な魔力の残滓。 風に乗って運ばれてくる、微かな腐臭。

ゲームの知識が警鐘を鳴らしている。 来る。 シナリオにおける中盤の最大の山場。 王都壊滅の危機、『スタンピード(魔物の大氾濫)』が。

「予兆よりも早い。……何かが、魔物たちを刺激している」

レオンハルト様が剣の柄に手をかける。

「急がなければなりませんね。……準備はいいですか、殿下?」

「ああ。お前がくれた装備がある。負ける気はしない」

私たちは視線を交わし、頷き合った。 華やかな夜会の裏で、静かに、しかし確実に、破滅の足音が近づいていた。

次回、物語は急転する。 優雅なドレスを脱ぎ捨て、私たちは本当の戦場へと向かう。

「金で買える装備は全部買った。あとは……私の『運営知識(インテリジェンス)』で、運命をねじ伏せるだけよ」

バルコニーに立つ私の瞳には、もう恋する乙女の甘さはなかった。 あるのは、推しを、そしてこの国を守り抜くという、鋼の決意だけだった。
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